幼稚園教育における人形劇の導入と発展に関する史的研究 A Historical

幼稚園教育における
幼稚園教育における人形劇
における人形劇の
人形劇の導入と
導入と発展に
発展に関する史的研究
する史的研究
A Historical Study on Introduction and Development of
the Puppet Play in Japanese Kindergarten Education
児童学研究科 児童学専攻 0707-0631 金城久美子
1.問題と
問題と目的
現在の日本の幼稚園では、文部科学省が告示する学校教育法施行規則(昭和 22 年文部省
令第 11 号)第 76 条の規定に基づいて定められた教育課程を基準としており、その概要は
平成 12 年 4 月 1 日から施行された幼稚園教育要領に記されている。
幼稚園において教師は、
幼児と共に教育環境を創造し、幼児との信頼関係を築き、幼児が様々な体験を行えるよう
に総合的な指導を行う。総合的な指導を行うに際して、必要に応じて教師の準備した教材
を用いる場合がある。その中で、
「言葉」の領域において、幼児の成長を促す教材のひとつ
に人形劇が挙げられる。
我が国の幼稚園教育の現場に初めて人形劇を導入した者は、東京女子師範学校附属幼稚
園(現お茶の水女子大学附属幼稚園)の主事であった倉橋惣三(1882~l955)であり、そ
の時期は 1923(大正 12)年頃であったと倉橋本人が述べている。その後、倉橋惣三や倉橋
の影響を受けた保育者の活動を通して、人形劇は全国の幼稚園に普及することとなった。
この流れは第二次世界大戦後に「保育要領」
、
「幼稚園教育要領」の保育内容における重要
な項目として人形劇が位置付けられることにつながった。
そこで本研究は、先行研究では充分解明されていない幼稚園教育における人形劇の導入
と普及および展開の歴史について分析する。さらに、文部省(文部科学省)の刊行した保育
要領及び幼稚園教育要領における人形劇の位置づけについてその変遷を分析する。これら
の分析をふまえ、幼稚園教育における人形劇の現代的な意義について再検討することを目
的とする。
2.幼稚園教育における
幼稚園教育における人形劇
における人形劇の
人形劇の導入
我が国で最初の本格的な幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園(現お茶の水女子大
学附属幼稚園)は、1876(明治 9)年に欧米の教育制度の影響を受け設立された。設立当
時の保育内容は、フレーベルの 20 種類の「恩物(Gabe)」を中心に用いたものであった。
その後、保育内容は、幼稚園教育に関する研究が進むにつれて整理改正が重ねられたが、
しばらくは恩物による遊びが保育の中心の観を呈した。
倉橋惣三は、1917(大正 6)年、同幼稚園の主事(現在でいう園長)を命じられ「恩物」
として取り扱われてきた積木を「積木玩具」として扱うなど、幼稚園改革を行った。その
後、1919(大正 8)年 12 月、教育学及び心理学の在外研究員として文部省から 2 年間、欧
米に派遣された。派遣先の各国で、倉橋は人形劇に出会い、フランスの「ギニョール」に
ついては、帰国後幼稚園に導入することになった。倉橋は、幼少の頃から浅草で様々な芸
事に興味を示したが、人形芝居もそのひとつであった。当時の浅草で行われていた人形芝
居は、
「性慾と險惨との犯罪藝術」であり、非教育的で子ども向けのものではなかったが、
倉橋を夢中にさせていた。その後、自らが楽しんだ人形劇を子ども向けにし、幼稚園に導
入したいと考えたのである。倉橋が人形劇を幼稚園に導入した目的は「型にはまった幼稚
園を、真に子どもの世界らしい幼稚園にしたいという主張」と「幼児達を喜ばせてやりた
い」という事であった。
帰国後の 1923(大正 12)年、倉橋は東京女子師範学校附属幼稚園の保母たちと共に「お
茶の水人形座」を立ち上げ、幼稚園教育に人形劇を導入する試みをおこなった。人形劇を
観劇した子どもの反応に手ごたえを感じた倉橋は、人形劇の成功を確信し、全国の幼稚園
に人形劇が導入されることを目指して普及活動を開始した。
3.幼稚園教育における
幼稚園教育における人形劇
における人形劇の
人形劇の展開
倉橋がお茶の水人形座を立ち上げた 1923(大正 12)年、日本幼稚園協会第 28 回総会で
人形劇の講習会が行われた。この講習会はメディアも注目しており、報知新聞とアサヒグ
ラフに写真画像が掲載され、人形劇は全国の幼児教育関係者のみならず、広く一般社会に
も知られるところとなった。その後、関東大震災に見舞われ、お茶の水人形座の活動はお
ろか幼稚園も一時休止となる。しかし、1930(昭和 5)年には、幼稚園談話会にて人形劇
の解説と実演の講習会が行われ、1931(昭和 6)年には、3日間かけて託児所の保母を対
象に講習会が開催された。倉橋を中心に行われた講習会は、どれも出席した者を魅了し人
形劇の普及活動として高く評価できるものである。
講習会に出席した者からは、人形劇に関する質問が多く寄せられた。それに応じて、人
形劇の道具(舞台・脚本・人形)がお茶の水人形座のメンバーの助言のもとフレーベル館よ
り販売された。しかし、販売された舞台が豪華な造りであったことや、千葉県女子師範学
校附属幼稚園保母の渡部きよが費用のかからない人形劇を「幼兒の敎育」において提案し
ていることから、人形劇は費用のかかるものと捉えられていた可能性がある。
幼稚園で実際に行われた人形劇については、日頃の保育や談話における実践、行事の出
し物としての利用の事実が明らかになった。幼稚園の子ども達はお茶の水人形座のおこな
う人形劇を好み、上演を待ちわびていた。お茶の水人形座は上演を待ちわびる子どもの声
や、観劇する子どもの笑顔に励まされ、さらに工夫をかさねていった。観劇する子どもの
心は、人形劇を演じたい思いに進展し、舞台を利用して人形劇遊びを行う子どもも出てき
た。子ども達に対し人形劇を演じるだけでなく、子どもが演じそれを保母が観劇するとい
うことも行われていた。幼稚園の保母と子どもは人形劇を観劇する楽しみを感じ、さらに
演じる者は観劇する者を楽しませたいと工夫する気持ちを有していた。
また、戦時下における保育において、お茶の水人形座の菊地ふじのは、社会的に関心が
高かった爆弾三勇士を人形劇として取り入れている。この脚本は「敵愾心を刺戟しない樣
に氣をつけて、爆弾三勇士を人形芝居にして見せてはどうか」という倉橋の助言を取り入
れて作成されたものである。また、陸軍省により、幼児時代から愛国的精神を吹き込む手
段として人形劇は推奨されていた。
人形劇の教育的意義については、倉橋惣三、菊地ふじの、松葉重庸の3人の意見を取り
上げた。三人に共通する人形劇の教育的意義は「想像力の高まり」であった。人形劇は、
通常の演劇と異なり、無表情の人形がする見ぶり手振りの動作と、人形を操作する人間が
舞台裏から発する台詞だけで話の内容を理解していくものである。観劇する者は、限られ
た表現から話の流れや登場する人形の性格や関係性を捉えていく。そのため、人形の動き
や台詞に没頭しながら話に集中し、
その理解度を上げていくことになるのである。
さらに、
次の展開を楽しみにすることから、自らもその展開を想像するようになっていく。また、
観劇するだけでなく人形を操作し演じて見たいという積極的な気持ちに発展することもあ
り、表現力を育むことにつながっていくのである。想像力の高まりが、創造力を育み、表
現する力に成長していくのである。
4.「保育要領
.「保育要領」
保育要領」及び「幼稚園教育要領」
幼稚園教育要領」における人形劇
における人形劇の
人形劇の位置づけと
位置づけと内容
づけと内容
人形劇を幼稚園教育に導入した倉橋惣三の考えや普及活動、さらに幼稚園での実演が、
その後の幼稚園教育にどのように反映されたのかを把握するため、文部省が刊行する「保
育要領」及び「幼稚園教育要領」における人形劇の位置づけや扱われ方を分析した。その
結果、1948 年の「保育要領」
、1956 年の「幼稚園教育要領」には人形劇の記述が掲載され
ているものの、1964 年の第1次改訂の「幼稚園教育要領」以降、人形劇に関する直接的な
記述は見られないことが判明した。
しかし、「幼稚園教育要領」において人形劇に関する直接的な記述が消えたことは、幼
稚園教育の現場で特定の児童文化財のみを用いるのではなく、多数の児童文化財の中から
選択することができるように意図されたところからのものであると考えられた。
文部省(文
部科学省)から発行されている各種指導書には人形劇の記述がみられ、
幼稚園教育現場にお
いても人形劇を取り入れている園は多く見られる。保育者養成校における児童文化等の科
目においては、人形劇が学習項目のひとつとなっている。これらのことから、人形劇の重
要性が幼稚園教育の中で低下したとはいえず、逆にその重要性はますます増大していると
推察された。
5.幼稚園教育における
幼稚園教育における人形劇
における人形劇の
人形劇の意義
人形劇の導入と展開に関するこれまでの分析をふまえ、幼稚園教育における人形劇の現
代的意義について、保育者と子どものコミュニケーション、子どもに及ぼす影響の2つの
視点から考察していく。
幼稚園で行う人形劇の特長は、日常的に園児に接する保育者が演じるという点である。
幼稚園で演じる保育者は、子どもの反応によって脚本や演出を速やかに変更することが可
能であり、子どもの要求や年齢に適した内容に工夫することも出来る。保育者が演じるこ
とによって、人形劇を通し子どもに感動や喜びを与えることができ、このことは結果的に
子どもの情緒的発達を促すことになる。さらに、人形劇を活用することで保育者と子ども
の会話が増えコミュニケーションが活発になる。その結果、保育者と子どもの情愛的結び
つきが深まると言えるだろう。
人形劇を観劇した子どもは、自らも「演じたい」という欲求を抱く場合がある。演じる
ということは、それを観る者が存在しているということであり、自分と他者との差異を知
る機会になる。観客を意識し、楽しませようと工夫や配慮をおこなうことは、幼児期の子
どもの知的発達を促すことにもつながると共に、演者と周囲の友だちとの交流が深まり、
豊かな人間関係を創造するものであると考えられる。
登場する人形は表情の変化が少なく、観劇した者は動きや台詞から人形の性格を想像し
作り上げていく。人形劇を演じる場合も、対象化された人形を操作し、人形に新たな生命
と性格を吹き込み演じる。これは、社会において他者を理解していく力を養うことにもつ
ながることになるだろう。人形劇は、子どもの想像力を培うなどの教育的な意義のほか他
者との交流や社会性を育むという教育的意義があるように思われる。
また、人形を通して自らを表現し、演じることの達成感を味わい、他の子どもや保育者
から賞賛を受けることにより自己評価を高めることになる。人形劇は幼児期において教育
的意義に富む重要な教材であると考えられる。
今後の課題点として、倉橋やお茶の水人形座以外の他の人形劇演者の貢献やメディアの
影響、幼稚園現場における人形劇利用の実態を明らかにすることと、幼稚園教育の中で保
育者がより活用しやすく、さらに子どもの言語的・情緒的発達を促す効果の高い人形劇の
提案の課題があると考える。