柔遠 自筆 文書

にゅうおん じ ひ つ も ん じ ょ
柔遠自筆文書
け ら く い ん にゅうおん
快楽院 柔 遠 (寛保 2 年〔1742〕~寛政 10 年〔1798〕)
高柳にある浄土真宗・明楽寺 13 世の学僧。浦山村(黒部市宇奈月町)善巧寺の
そうよう
く う げ ろ
僧鎔 が開いた学塾・空華廬 で学び、跡を継いだのちには多くの門弟を教育した。
空華廬の一派は隆盛を極め、柔遠の系統を「越中空華」と称し、同じく僧鎔の弟
どうおん
子であった道隠 の「堺空華」と並び称された。
明楽寺に残る 35 冊の自筆稿本は、柔遠の講義内容について知ることができる貴
重なものである。
柔遠自筆稿本