マルクスとセンの不平等論

マル クスとセンの不平等論
新村 聡
(岡山大学 )
1 は じめに
センは ,自 分 が 思想 的 ・
アマル ティア ・
理 論 的 に大きな影 響 を受 けた人物 として ,ア リストテ
レス,スミス,マ ル クスの 3人 をあげている。そ の 中で マル クスか ら受 けた影 響 がもつとも大きか
ったことはセンの 書物や 論 文 か ら明らかであるが ,これ まで マル クスとセンの理論 的継 承 関係
につ い て論 じられ ることはほとんどなか った。本 報告 は ,セ ンがマル クスか らとくに大きな影 響
を受 けた不 平 等 論 を中心 に 両者 の 関係 を考 察す る。以 下 では ,2節 でマ ル クスの 不 平等 論
の構 造 と特 質 を概 観 し,3節 で センの 不 平等 論 の 形 成 過 程 をたどりながらセンが マ ル クスを
いか に継 承 したかを検討 して,4節 で 両者 の 不平等論 に共通 する特徴 を要約 す る。
2マ ル クスの 不 平 等論
マル クスは , 『資本論』で資本主義社会 の平等と不平等を論 じ, 『ゴー タ綱領批判』では共
産 主義社会 の平等と不平等を論 じている。両著作 に共 通するの は, 平 等主義イデオ ロギー
を批判 して隠 された不平等 の存在 を明るみ に出すというマル クスの不平等批判 の方法であ
る。
マル クスは ,『資本論』にお いて,資 本家 と労働者 との 関係 が流通圏と生産圏ではまったく
異なって現れることを強調 した。流通圏 つ まり市場 では,資 本家と労働者 は労働力商品 の 買
い手と売り手として関係する。マル クスによれ ば,流 通圏を支配 しているのは 「自由,平 等,財
産 ,ベ ンサム」である。自由とは,資 本家と労働者 が労働力商品の売買 にお いて 自己の 自由
意 志だけに制約 されることを,また平等 とは,資 本家 と労働者 が商品所有者 として法的 に平
等な人格 として関係 しあい,価 値 の等 しい貨幣 と労働力商品 とを交換することを意味する。こ
の流通圏 にお いて,自 由で平等な資本主義社会という通念 が形成 される。「
俗流 自由貿易
論者 が資本や賃労働 の社会 について直観や概念や判断基準などを作 り上げるとき,そ のも
】,Bd.1,190-191)
とになつているのは単純な流通圏ないし商 品交換圏である。」
(Das Kap比
一方
,生 産圏すなわち労働過程 では,資 本家と労働者 は平等ではない。資本家 は購入 し
た労働 力 商 品を消 費 し,自 らの監督 のもとに労働者 を労働 させる。資本家 は労働 力 の所 有
者 であるがゆえに,労 働 と労働 生産 物 の所有者 となる。他方,資 本家 の監督 のもとで労働す
る労働者 にとっては,労働も労働 生産物も自己のものではない。そして労働者 は労働 力 の価
値 を上回る価 値す なわち乗J余価 値 を形成 し,1日 の労働 は労働力 の価値を形成す る必要労
働 と乗J余価 値 を形成する末J余労働とに分かれる。このような資本主義的労働過程 における資
本家 と労働者 の命令 ・
服従 関係 と搾取 関係 の前提 となっているの は,資 本家 だけが生産手
段を所有 してお り労働者 は 自己の労働 力をくりかえし販売せざるを得ないという生産手段 の
所有関係 である。
以 上はよく知られているマル クスの乗J余価 値論 である。ここで注 目したいの はマル クスの不
-18-
平等批判 の方法である。マル クスは,資 本家 と労働者 の間 に,流 通圏 では商 品 所有者 の法
服従 の 関
的関係 および等価 交換 関係 という平等な関係 が存在す る一 方 ,生 産圏では命令 ・
係 ,乗J余労働 の搾 取関係 ,生 産手段 の所有 関係 という不平等な関係 が存在すること,言 い
かえれ ば平等 と不平等 の重層的な構 造 があることを示 した上で ,流 通圏 の 平等な関係 だ け
に注 目して資本 主義社会を自由で平等な社会として描き出す俗流経済学者や 資本家 の通
俗的な観念を批判 している。
つ ぎに,マ ル クスが『ゴー タ綱領批判』で共産主 義社会 における平等 と不平等をどのように
労働 全収益
論 じたか について検討 しよう。マル クスは ,『ゴー タ綱領批判』でラサ ー ル 派 の 「
権」
論 と「
平等な権利 」論を批判 している。マルクスは,共 産主義社会を歴 史的 に2段 階 に分
労
け,そ の第 1段 階 (しばしば社会主義 と呼 ばれる)にお いて,ラサール 派 が主張するように 「
全収益 」すなわち社会的総 生産 物 が労働者各人 にす べ て分配されるわけではないこと
TSJの
を指摘して,以 下の6つ の 「
控除」分 をあげている(Marx[1962]:19,訳
,25-26)。
生 産を拡大するための追加部分」(3)「
事故 ,
消耗 した生産手段を補うための補填分」(2)「
(1)「
生 産 に直接 に属さない
自然 災害 による攪乱 などにたいする予備 元本または保 険元本」(4)「
一 般的社会費用」(5)「
学 校 ,衛 生 設備などのような諸必要を共 同で充 足するためにあてられ
る部分 」(6)「
労働 不能な者などのための,要 するに,今 日のいわ ゆる公 的な貧 民救済 にあて
るための元本」
。
平等 な権利」論を批判 している。ラッサール 派 は ,労 働
続 いてマル クスは,ラッサ ール 派 の 「
者 が労働 に比例する報酬を受け取 るべきであり,同 等 の労働 を行 つた労働者 は同等 の報酬
を受 け取る権利 があると主張していた。この見解 をマル クスは2段 階 に分 けて検討 している。
平等な権利 」とはそもそも何か ,第 2に それ はなぜ批 判 されるべ きなのか ,で ある。マ
第 Jこ 「
ル クスは言う。
「
生産 者 たちの権利 は,か れらの労働 の給付 に比例している。平等 とは,労 働 という同 じ尺
度 で測られるということにある。……権利 とは ,そ の本性 上 ,同 じ尺 度 を適用するということに
お いてのみ成 り立ちうる。ところで,不 平等な個人 …… は,同 じ尺度で測定できはするが,そ
れはただ ,か れらを同じ視 点 のもとに置き,ある特定 の側 面か らだけとらえるかぎりでのことで
ある。」(Marx[1962]:20-21,訳
,28-29)
つ まリマル クスによれ ば,生 産物 の分配 における「
平等な権利」とは,「同 じ尺 度」で測ること,
「
からだけとらえることであり,分 配における「
平等 の権利」とは,さまざまな側
ある特定 の側 面」
一
尺
特定の側 面」だけに注 目して,そ れを唯 の 「
面を持 った人間存在 について,労 働 という「
度」として測定 した結果 に比例して分配す ることなのである。
ではこの 「
平等な権利」論はなぜ 批判されなければならないのか。マル クスは言う。
「
ある労働者 は結婚 しているが,他 の労働者 は結婚 していないとか ,一 方 の者 は他方 の者
よりも子供 が多 い等 々。したがつて,同 等 の労働 を行 い,そ れ ゆえ社会的消費元本 に同等 の
持ち分を有する場合 でも,一 方 の者 が他方 の者 よりも事実 上 多く受け取 り,一 方 の者 が他方
-19-
の者 よりも豊 かであるなど。これらの欠陥 のす べ てを避 けるためには,権 利 は平等であるかわ
りに,む しろ不 平等 でなけれ ばならないであろう。」(Marx[1962]:21,訳
,29)。
一
一
つ まリマル クスによれ ば ,労 働 と報酬 が比 例 し同 労TSJに
同 の報酬 が支払われるという
「
平等な権利」のもとでは,扶 養家族数 の異 なる労働者 は実質的報酬 ないし必要 充 足にお い
て不 平等 になるのである。共産主義社会 の第 1段 階 は,労 働 に応 じた分配 という点では平等
であつても,必 要充足 という点では不平等な社会 であることが示されている。ここにも,形 式的
平等 と実質的不平等 の重層的構造を示す ことによつて平等 の背後 に隠 された不平等を批判
するというマルクスの方法 が貫かれている。
この実質的な不平等を解決す るためには,同 一 労働 を行 つた労働者 にも扶養家族数 に応
じて異なつた分配 がなされなけれ ばならない。それを達成するのが,共 産主義 第 2段 階 であ
る。マル クスによれ ば,共 産主義第 2段 階 における分配 の原則 は,「各人 は能力 に応 じて[労
である。
働 し],各人 には必 要 に応じて[分配す る]」
必要」と「
欲望」の
この原則 は ,これまで2つ の点で誤解されてきたように思われる。1つ は 「
欲望 に応じて」と言 い換 えられ ,「欲望 のおも
混同である。従来,「必 要 に応じて」はしばしば 「
無限の 富裕 」のイメー ジで理解 されてきた。これ が誤解 であるこ
むくままに何でも取る」という「
とは,マ ル クスの示す例 が配偶者や子供などの扶養家族 の人数 に応 じた生活 費 の違 いであ
必要 に応じて」とは扶養 家族数などの違 い に応じた必要生活費 の違
ることを見れ ばわかる。「
いのことであって,「欲望 のおもむくままに何でも取る」ことではない。
この原則 に関するもう1つ の誤解 は,共 産主義 の第 2段 階 にお いて初 めて実現すると理 解
されてきたことである。たしかにマル クスは,共 産主義 の第 2段 階 にお いて労働 に応 じた分配
ブルジョワ的権利 の狭 い限界 が完全 にのり越 えられる」と述 べ ている。しかし必要 に応
という「
じた分配 が 「
完 全 に」実現す るの は共産主 義第 2段 階 であるとしても,そ れ以前 の共産主義
第 1段 階 (社会 主義)や資本 主義 にお いても必要 に応じた分 配 が部分的 に存在す ることをマ
ル クスは否 定 していない。上述 のように,マ ルクスは共産主義 第 1段 階 における分配 のさまざ
・
まな 「
控 除」分 に言及しているが,そ のいずれもが必 要 に応じて支出または分配される費用
労働 不能な者などのための ,要 するに今 日のいわゆる公 的な貧 民救済
所得 である。とくに 「
公的な
にあてるための元本」という表現 が示 しているように,マ ルクスは必要 に応 じた分配 が 「
貧民救済」として資本 主義 にも存在す ることをはつきりと認識 していた。必要 に応 じた分配 (今
日の社会保 障給付)は,資 本 主義および共産主義第 1・第 2段 階 のいずれ の社会 にも存在
するものなのである。この必要に応 じた分 配に注 目したのがセンであつた古
3セ ンの不平等論
`
センは,1933年 にインドのベ ンガル 地方 に生まれ ,1953年 にカル カッタ大 学 で経済学 士 号
カレッジに留学して,1959年 に開発途 上 国 の技術
を取得 したあとケンブリッジ大学トリニティ・
カレッジの学部学 生時代
選択 に関す る研 究で博 士 号を取得 した (1962年 出版)。トリニティ・
にセンのチ ュー ター (十
旨導教師)となったの は ,ケ ンブリッジを代表するマル クス経済学者 の
-20-
M.ドッブであった。センは,ケンブリッジ時代 に強い影響 を受 けた経済学者 として,ドッブのほ
かに D.ロバ ー トノンとP,スラッファをあげている。博 士論文執筆後,セ ンはカル カッタのジャダ
つ とめ,トリニティ・
カレッジのフェロー
プー ル 大学 の経済学教 授 と経済学 部長 (1956-58)を
エコノミクスの教授(1963-71)と
なる。ケンブ リッジ時
スクール ・
オブ ・
経 て,デ リー ・
(1957-63)を
代 とデリー 時代 にセンが集 中的 に行 つた社会 選択論と厚 生経済学 の研 究は,1970年 刊行
の主 著『集合 的選択 と社会的厚 生』にまとめられ ている。その序言 で ,セ ンは,自 分 がこの問
ケンブ リッジ大学トリニティカレッジの学部学 生であつた頃 のモ
題 に関 心を持ち始めたの は 「
ー リス・
ドッブとの刺激 的な議論 によつてであり,そ れ以来折 に触れてかれとの議論 を続 けて
著者 でもあつたドッブの影
きている」と語 つている。『厚 生経済学 と社会 主義経済学』(1969)の
ー
響 を受 けてセンが意 図 したの は,効 用 に基礎 を置く新厚 生経済学をアロ が創始 した社 会
選択論を用 いて根本的から批判す ることであつた。
なつたセンは,社 会選択論 の研究を続 けるとともに,1970年 代 半
LSEの 教授 (1971-77)と
ー
転任
ばから道徳哲学 により大きな関心 をいだくようになり,オ ックスフォ ド大学(1977-88)へ
プローチ」を確 立す る。
潜在能 力(capabltty)ア
した後,1980年 頃 に有名 な 「
ー
センの不平等論 に関 しては ,1973年 の『不平等 の経済学』が潜在能 カ アプ ロ チ確 立 以
何 の平等か」が転換期 を,そ して1992年 の『不平等 の再検討』
前 の時期を,1980年 の論文 「
が 同アプロー チ確 立以後 の時期を代表す る文献 である。以下,順 に検討 する。
ー
センは ,『不平等 の経済学』最終章で ,マル クス『ゴ タ綱領批判』力も 長 い文章 (前節 で 引
用 したのとほぼ同じ個所)を引用 して,平 等 について考察している。センは ,マ ル クスが ,所
労働 原 理(works
応 じた分 配 の原理 」(その1つ が 「
功績(desert)に
得 分 配 の 分析 にお いて 「
応 じた分 配 の原 理」を明瞭 に区別 したこと,マ ル クス経済学 で
必要(needs)に
)と「
pAnCわ胎)」
功績 に応 じた分配 の原 理」に基 づいているにもか
搾取」
概念 が 「
重要な役割 を果 たしてきた 「
絶)が究極的 には優先されるべ きことを承認 し
必要原理(needs pAncゎ
かわらず ,マ ル クスは 「
指 摘 している。またセンは,「必要原理」が将来
,101)と
ていた」(Sen&Foster[1997]:87-88,訳
・
・
の共産主義 における分配 の原 理であるばかりでなく,資 本主義 における医療 教育 社会保
べ
ー
障・
住 宅などの社会 サ ビスの原 理 ,つ まり福祉 国家 の原 理であることも述 ている(Sen&
一
ot note 19,訳
Foster[1997]:95,拘
,109)。般的なマル クス経済学 では効 用価値論 と対置 され
るの は労働価値論 である。しかしセンは,厚 生経済学 の基礎原理 としての効用 に対置 される
べ きは労lD」
よりも必要であることを,マ ルクス自身 の著作 に依拠しながら示したのである。
1973年 段 階 のセンは,功 績 よりも必要が重視されるべきこと,また効用 と必要充足とは異 な
ることを認識 していた。しかしかれは,必 要 に応じた分 配 の平等や 必要 充 足 の平等 をどのよう
に判断 したらよいのか ,効 用 の平等 が必 要充 足 の平等 を判断する十分 な情報的基礎 になり
えないとしたら何 が必 要充 足 の平等 を判 断する基礎 になりうるのか という問題 を十分 に解決
できていなかつた。これ がセンにとつての次 の課題 となる。
1980年 の論文 「
何 の平等 か」の 中で,セ ンは,必 要 に応じた分配 の平等 あるいは必要充足
-21-
の平等を判断する情報的基礎 となるのは何 の平等 かについて考察 している。そしてセンは,
の平等 こそが ,必 要充
ty)」
基本的潜在能力(basたcapab面
効用 の平等や財 の平等 ではなく「
足 の平等を判断する最善 の情報的基礎 になりうると主張するのである。基本的潜在能力とは,
「
人 がある基本的なことがらをできること」であり,身 体を動 かして移動する能力 ,栄 養補給 の
必要量を摂 取する能力 ,衣 服を身 にまとい雨風をしのぐための手段を入 手する資力 ,共 同
体 の社会 生活 に参加する能力などをセンは例としてあげている。
その後 センは ,できることやあり方を意 味する「
と,そ の機 能 の集合 とし
機 能mncはOnhgS)」
ての潜在能力 とを区別するようになる。それは,選 択 の 自由を行使する実 質的な機 会 の平等
を考慮 したからである。こうして,潜 在能力 はさまざまな価値ある生き方 の選択肢 の広さを意
味する概念となった。
センは,1992年 の『不平等 の再検討 』で,あらためて平等と不平等について考察 している。
そこにもマル クスか らの強 い影響を読み取ることができる。センは言う。
「
平等 は,ある人 の特定 の側 面 (例えば,所 得,富 ,幸 福 ,自 由,機 会 ,権 利 ,必 要 の充足
など)を他 の人 の 同じ側 面と比較することによって判断することができる。このように不 平等 の
判断はそのような比較を行う変数 (所得,富 ,幸福 など)の選択 に依存 している。」(Sen[1992]:
2,訳,2)
センは,平 等 主義と不平等主義 の対 立として一般 にみなされているものが,実 際 には人間
の多様性 のどの側 面を重視するか という「
焦点変数 」の選択 に依存 していることを示す 。一般
に「
平等と不平等 の対 立 」とか 「自由と平等 の対 立 」とみなされているものがじつ は 「
平等 と平
等 の対 立 」であり,「より重要なのは何 の平等 か」についての見解 の相違 に由来するというの
がセンの主張である。この見解は,平 等と不平等をめぐる対 立の根底 に人 間の多様性 のどの
側 面をより重視するかという選択 が前提されていることを指摘したマル クスの見解を継 承 した
ものと言 えるであろう。
4む す び
最後 に,以 上で考祭 したマル クスとセンの不平等論 に共通する特徴をまとめておこう。第 1
は,平 等と不平等あるいは平等主義と不平等主義 の一 体性 の認識 である。マル クスとセンは,
人間 が多様な存在 であるために,ある側 面 の平等 はつ ねに別 の側 面 の不平等と一 体 となっ
ていること,ある側 面 の平等を強調する平等主義思想 は別 の側 面 の不平等を正 当化する不
平等主義思想として機能すること,それゆえ不平等または不平等主義 の批判 はそれと一 体 と
なった平等または平等主義 の批判的解 明と不可分であることを認識 した。
マル クスとセンは平等と不平等 について論ずるときに,まず 「
何 の平等 か」を考察して,人 間
や社会 の複数 の側 面にお いて平等 と不平等 が 問題 となることを示した後 ,つ ぎに 「
より重要
なのは何 の平等 か」を考祭している。これが 2人 に共通 する不平等批判 の方法である。これ
によって形式 的平等と実質的不平等 の重層的構造 がさまざまな形 で示される。マル クスでは,
法的平等と経 済的不平等 )流 通 ・
分配 における平等 と生産 における不 平等,流 通 における
-22-
等価 交換 と生産 における不等価 交換, 労働 に応 じた分配 における平等 と必要 に応 じた分 配
における不平等など, センで は, 効 用あるいは財 の平等 と潜在能力 の不平等 である。
・
第 2 に , マル クスとセンは, 人 間生活 のさまざまな平等 不平等 の 中で, 主観 的効用や財 の
不平等をより重視 した。マル ク
不平等よりも, 人 間 の活動 に関わる平等 ・
所有 における平等 ・
スが , 資 本家と労働者 の不平等な関係 にお いて所得 の不平等よりも重視 したの は , 労 働過
が資本家 のために乗J 余労働 を行う搾取関係 , さらに
程 における命令 と服従 の 関係 , 労4 3 J 者
労働者 だけが労働力 をくりかえし販 売 しなけれ ばならないという機会 の実質的不平等 であつ
た。マル クスは生産手段 の所有 における不平等を重視 したが , それ は労働者 に実 質的 な機
会 の不平等や労働過程 の不平等を強制する手段 になっていたからであつて, 生 産手段 の所
有それ 自体を重視 したわけではなかった。そしてセンも, 効 用や財 の所有 における不平等よ
りも, 人 間の価値 ある生き方 ( 機能) の選択肢 の広さ( 潜在能力) として示される実質的な機 会
の不平等を重視 したのである。
要をもつとも
第 3 に , マル クスとセンは, 所得分 配 の平等 と不平等を判断する基準 として老、
地代) , 労働 に応 じた所得 ( 賃金) ,
利子 ・
重視 した。一般 に所得 は, 財 産 に応 じた所得 ( 利潤 ・
必要に応 じた所得 ( 社会保 障給付など) に分かれる。それぞれ について平等 と不平等を判断
できるが , もつとも困難な問題 は 3 種 類 の所得 のどれをより重視するかである。マル クスは財
ゴータ綱領批判』の共産主義2段 階発展論 が示すように,イン
産所得 の権利を認 めず,また『
センティブ問題さえ解決 されるならば労働よりも必要がより優先 されるべき分配原理であると
能力などの功績 に応じた所得よりも必要 に応じた所得
考 えていた。そしてセンもまた,労働 ・
がより望ましいと考えたのである。
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二23-