第6回:心の足しになるもの、腹の足しになるもの

第6回:心の足しになるもの
第 、腹の足しになるもの
~ 夏目漱石の講演録:『道楽と職業』を読む(3) ~
前回コラムの最後で、『 あなたにとっての、大学での勉学は、<道楽=己のためにする仕事>
ですか、それとも<職業=人にためにする仕事>ですか? 』と読者の皆さんに問いかけました。
就職相談員である私は、学生との面談を通して、大学での<学びの姿勢>は、将来の職業選択
や<就活>に向き合う態度と相通じるものがあるのではないかと、強く感じてきました。
今回は、<学ぶこと>と、<就活>や<働くこと>の関連性について考えてみたいと思います。
■ 夏目漱石の<職業論>の要約すると
夏目漱石は、彼の<職業論>で<職業>を大胆に単純化して、<道楽>と<職業>を両極端に
あるものとして対置させ、それぞれの特性を、下記の①、②のように説明しています。
① <道楽=己のためにする仕事>: 自己の知的・美的・精神的欲求を満たす学問、芸術など
の活動で、「自己実現」、「自己表現」が主目的であり、金銭的報酬は重要ではない。
② <職業=人のためにする仕事>: 生業(なりわい)として、経済的、物質的に人のために役に立
つことをする仕事で、生活の糧であるお金・報酬を得ることを主目的とする。
上記の<道楽>という言葉は、漱石独特のニュアンスがあり、今一つ分り難いところがあります。
この<道楽>という言葉を、現代風にどう言い換えたら良いかと悩んでいたところ、偶然、文化人類
学者・梅棹忠夫が、<文明>と<文化>の違いについて簡潔に述べた、次の言葉に出合いました。
『 文明とは 腹の足し になるもの、 文化とは 心の足し になるもの 』
この<心の足しになる>・<腹の足しになる>という表現は、漱石の<道楽>・<職業>とい
う言葉を、鮮やかな切り口でイメージ化していることを、私は直観しました。
■ 梅棹忠夫の<文明・文化論>から
前節の梅棹忠夫の言葉が意味する<文明><文化>の考え方は、次のように受け取れます。
・<文明>とは、技術や機械の発達・進歩に重きを置いた物質的所産であり、<腹の足しになる>
・<文化>とは、社会の風習・伝統・思考法・価値観などの精神的所産であり、<心の足しになる>
そして、梅棹の<文明文化論>と漱石の<職業論>の間には、次のような対応関係があります。
①<道楽=己のための仕事> → 精神的 =心の足しになる → <文化>
漱石
梅棹
②<職業=人のための仕事> → 物質的 =腹の足しになる → <文明>
以上をさらに簡潔にまとめてみると、下表のような対応づけになります。
夏目漱石の職業論
・道楽=己のため → 精神(自己)的満足
共通キー概念
梅棹忠夫の文明・文化論
精神的・伝統的
・文化→心の足しになるもの
・職業=人のため → 経済(金銭)的報酬
物質的・経済的
・文明→腹の足しになるもの
表―1
夏目漱石の<職業論> と 梅棹忠夫の<文明・文化論>の対応関係
■ 大学での<学ぶ姿勢>と<職業選択>との関連
ちょっと前置きが長くなりましたが、今回のコラムの主題である、『大学での勉学は、<自分のた
めにする仕事>か、<他人のためにする仕事>か』の検討に入ります。
大学における勉学は、学生にとっての本分(本来の務め)であり、学生の<本業>です。
そこで、大学での<勉学>に取り組む姿勢を、漱石の<職業論>と梅棹忠夫の<文明文化論>を
援用して、次のような2つのタイプ :①・② に分類して考えてみたいと思います。
①<文化志向型=自分のためにする勉学> ・・・ 漱石の<道楽>に対応するもの
②<文明志向型=他人のためにする勉学> ・・・ 漱石の<職業>に対応するもの
それぞれのタイプの<勉学>に取り組む姿勢の違いは、単に大学での勉学に対する態度だけで
なく、将来の職業選択である<就活>における企業選びや自己PRの仕方など、その学生の価値観、
生き方、選択基準にも影響していることを、就職相談で出会う学生を通して、私は強く感じています。
以下、それぞれのタイプについて、その特徴を概観してみたいと思います。
◆<文化志向型=自分のためにする勉学>
自己の内面から発現する強烈な知的好奇心や表現欲求を満たすために、他人の制約を受けず、
自分の好きなことを追求することで自分の<心の足しになるもの>を追求するタイプ。
<文化>とは、自然条件によって支配されているそれぞれの土地が生み出す地方性であり、そ
こで発達した生活のことであり、どこにでも通用するといった普遍性の少ないものです。
<文化志向型>の学生は、自分らしい生き方を尊重し、仲間との広く浅い関係より、自分の思い
や志向を大切にする傾向があるようです。
<就活>においても、仲間のうわさや就職情報会社の人気企業ランキング等の外部情報に流さ
れることなく、自分のやりたいことや嗜好をはっきりと自覚して、自分流に活動している印象を、私は
持っています。
◆<文明志向型=人のためにする勉学>
勉学では、単位の取りやすい授業を選択し、最小の努力で最大の単位を取れるよう仲間との関
係を活用する要領の良さがあり、現実的に<腹の足しになるもの>を追い求めるタイプ。
<文明>とは、広く生産に関係する技術とその理論であり、世界中どこにおいても等しくその利
便性を共有できる普遍的なものです。今日は極度に文明の高度化した時代といえるでしょう。
<文明志向型>の学生は、地味で克己心を必要とする勉学よりも、サークル活動やアルバイト
のような日々の大学生活の楽しみを満たしてくれる活動に打ち込み、学生時代を謳歌しています。
<就活>においては、働くこと(勤務)の外部条件、即ち、給料、厚生福利、休日、残業等に着目し
ており、勤務地や会社の雰囲気などを重視する傾向があることを、私は感じています。
■ <巨大科学技術>時代 の 科学者
前節の<文化志向型>・<文明志向型>という2つのタイプは、学生の<学ぶ姿勢>に着目し
て、私(筆者)が自己流に<類型化>したものです。この<類型化=分類・タイプ分け>は、私が就
職相談で学生と対面する過程で、何となく感じてきたことを、夏目漱石と梅棹忠夫の言説から触発さ
れて、<学ぶ姿勢>と職業選択や<就活>との関連性の観点から、類型として分類したものです。
その妥当性については、皆さんのご批判に委ねたいと思います。
最後に一言、どうしても付け加えて置きたいことがあります。漱石の<職業論>では、「科学者」
は<道楽=己のためにする仕事>に分類されていました。明治時代の科学技術は、まだ程度が低
く、科学者の仕事はマニアックな<道楽>程度に考えられていたようです。
ところが、現在の科学技術の進歩は目覚ましく、遺伝子組み換えDNA技術や原子力技術は、人
類に恩恵をもたらす可能性をもっている一方、使い方を誤れば、人類の滅亡、地球の破滅を招きか
ねません。もはや最先端科学技術は、単に科学者の<道楽>ではなく、世界経済に組み込まれ、
<文明志向型>の「腹の足しになる仕事」に変質しているように思われます。
しかし、最先端科学技術の影響力が大きくなればなるほど、科学者は、「腹の足しになるもの」を
追求する<文明志向型>であると同時に、「心の足しになるもの」を追求する<文化志向型>をも
兼ね備えた、多様な価値観を許容できる幅広い人間であって欲しいと思います。
<大学時代>という自由で可能性に満ちた貴重な時期を、自己を<文化志向型>か、あるいは
<文明志向型>か、と自己限定的に捉えるのではなく、<文化志向型>=「心の足しになるもの」と、
<文明志向型>=「腹の足しになるもの」の在り方の良いところを、オープンな態度で学び、幅広い
体験を積んで欲しいと願っています。
(2012/8/8)