若狭塗箸を支える人々 - 都留文科大学

 若狭塗箸を支える人々 岡
地
ち
ひ
ろ はじめに 卵殻・貝殻を塗布し、最後に研磨することによ
り美しい模様をだしていることだ。これは、伝
統工芸品の指定を受ける若狭塗の技法を用いた
福井県小浜市には、約 400 年続く若狭塗箸と
ものである。 いう伝統工芸品がある。小浜市はまた、年間約
このような伝統的な手法は研ぎ出しと呼ばれ
7200 万膳で日本第一位、全国シェアの 8 割を占
るが、近年では機械の発達に伴い、転写が圧倒
める生産量をほこる箸の産地でもある。 的に多くなっている。伝統的な研ぎ出しであっ
小浜市内のお土産店では、普段私が食事の際
に使うようなお箸から、職人による伝統的な手
ても、
機械によって作られるものが多数である。
作りのもので高価なものまで、実に幅広く“若
転写とは、図柄を機械で箸に写す方法のことで
狭塗箸”として販売されていた。山梨に戻って
ある。転写により作られる箸は、普段私たちが
から百円均一で売られている箸の生産地をみて
使うような箸を作る際に用いられる。 みたところ、小浜のものが多くあった。 表1 塗箸生産量 このように、幅広い範囲の箸が“若狭塗箸”
として売られていたのだが、はたしてこれらす
種類 べてを“若狭塗箸”と呼んでいいのだろうか、
研ぎ出し
2600 万膳
950 万膳 1140 万膳
という疑問が生じた。まず、キャラクターのつ
転写 2000 万膳
5000 万膳 6000 万膳
いたものがはたして“若狭塗箸”といえるだろ
塗り立て
25 万膳
30 万膳 35 万膳
うかという、
見た目の問題が挙げられる。
また、
木地箸 15 万膳
20 万膳 25 万膳
見た目は伝統的な若狭塗箸であっても、伝統的
合計 4640 万膳
6000 万膳 7200 万膳
な手作業による手法でなく機械で作られている
15 年前 5 年前 近年 資料:箸のふるさと館 WAKASA より ものもあるという、生産過程の問題も挙げられ
る。 2)分業による箸生産 そこでこのレポートでは、若狭塗箸に関わる
伝統的な模様を用いた若狭塗箸も含めて、現
様々な立場の人たちの話や小浜市のすすめる若
在では、箸の生産はほとんどが分業によって行
狭おばまブランド認証を通じて、
“若狭塗箸”と
われている。作業は、木地・製造(塗る・模様
は何かについて考えてみたい。 付け・研ぐ)
・販売の大きく分けて三つに分けら
れている。販売を担当する問屋が売れ筋のデザ
1 若狭塗箸の生産について インを製造業者に依頼して納入してもらうこと
も多いという。分業と機械化による箸製造の技
1)種類別生産量 術の向上は量産につながり、表1で示したよう
伝統的な若狭塗箸の特徴は、細工された木地
に、
生産量は5年前と比べて約 1000 万膳増加し
(木、竹)に塗料(生漆・最近ではほとんどが化学
た。 塗料)を塗り重ね、その工程中に塗料の色を変え、
1
木地加工を行う事業所も当地域に多くあっ
たが、海外依存の高まりにより数が減った。原
いるそうだ。また、機械による研ぎ出しの体験
料となる木は、中国やインド、マレーシア、ベ
もできる。 館長の古川さんにお話を伺ったところ、
現在、
トナムなどからの輸入が主である。分業で作業
を行う場合、内職のような小さな単位でもでき
中国産の安価な箸が流通してきていることに危
るため効率も良いという利点もある。製造業の
機感を感じているという。中には、小浜で製造
中でも、紋付けにはそれぞれ得意分野によって
した箸と見た目では区別できないものもあり、
分かれているそうだ。 困っているのだそうだ。しかし、中国製品の場
かつては木地・製造・販売と独立分業体制で組
合は国の品質管理が甘いため、安全・安心面で
合運営を行っていたのが、1998 年 8 月に木地組
まだまだ小浜の箸をアピールしていけるとおっ
合(木地の製造)
・工業組合(箸の製造)
・商業
しゃっていた。 組合(箸の販売)の3組合の統合がなされた。
大下漆器店 話を伺った大下さんは、福井県
こうしてできた若狭塗箸協同組合には、小浜市
の産業・観光など色々なことを紹介する“ふく
の箸関連業者の多くが所属している。入ってい
いブランド大使”も務めておられる。 ないのは約 3 割で、そのうち伝統的な手法を用
ここでは、自ら製造した若狭塗の漆器や若狭
いて全て手作りで箸を作っているのは一人だけ
塗箸とともに、他の製造業者から買い付けて販
だそうだ。 売するという問屋業を中心に行っているそうだ。
人気のあるデザインなどを製造業者に依頼し作
ってもらったものを店にだす。お土産としてよ
表2 箸関連業者 外注(内
りも、地元の人が進物用に買っていくことが多
業
会社
従業員
者 数 数(A) 職)
(B)
+B) いという。漆器や箸以外にも、若狭瓦や漆達磨
木
4 社 23 人 などの小浜の工芸品を販売しているが、やはり
20 人 合計(A
43 人 箸がよく売れるそうだ。店での販売以外にも、
地 製
19 社 315 人 320 人 各地の特産展へ出展したりしている。県の販売
635 人 ルートを確保しているということから、県の土
造 販
22 社 505 人 530 人 産品としても紹介されている。 1035 人 売 合
45 社 843 人 870 人 2 手作業により作られる若狭塗箸 1713 人 計 1)伝統的な手法で箸生産する青野漆器店 資料:箸のふるさと館 WAKASA より フィールドワークの2日目の9月6日に、手
作業で伝統的な手法を用いた若狭塗箸を作って
3)若狭塗箸の販売 おられる青野漆器店さんで、若狭塗の伝統工芸
若狭塗箸は、個人以外で販売を行っていると
士である青野良一さんからお話を伺うことがで
ころもある。 箸のふるさと館
きた。 若狭塗箸協同組合が運営
青野良一さんは、現在でも手作業で若狭塗箸
する“箸のふるさと館 WAKASA”(1998 年オー
プン)では、小浜で生産された箸の展示・販売を
を作っている。主に漆器を作っているのだが、
行っている。手作りの伝統的な若狭塗箸から転
需要の高まりに応じて箸も作るようになったの
写による普段使いの箸まで、実に幅広く多くの
だという。店内には、若狭塗の重箱や相撲の行
種類の箸が置いてある。1 万円ほどする高価な
司が使う軍配、
文箱から塗箸まで置いてあった。
箸も、米寿のお祝いなどとして買っていく人も
また、作業場も設置されており、青野さんの作
2
業風景を見学することができた。今回は、木地
漆を用いて伝統的な手法で作られた箸は長持ち
に漆をぬり、卵殻や貝殻で模様をつける工程を
するのだという。そんなお客さんに認めてもら
見せていただいた。 えればそれでいいのだと、青野さんはおっしゃ
っていた。 青野さんの店では現在、箸の原材料にはマラ
スという東南アジア原産の木を使っているそう
また、後継者不足も問題である。職人の育成
だ。製材された木地に漆を塗っていく。青野さ
には時間がかかる。
漆の性質を見分けるのに 3,4
んは本物の漆を使っているため、一回塗るごと
年、自分で模様をつけられるようになるまで 30
に一ヶ月ほど乾かさなければならないという。
年ほどもかかるのだそうだ。そのため現在は職
また、漆の性質や気候などによっても乾く時間
人の数も減少しているらしい。青野さんの場合
は変わってくるので難しいそうだ。その後、貝
は息子さんが跡を継いでいるのだが、そのあと
殻、細かく砕いた卵の殻や松の葉、金箔などで
の後継者はいないという。他の場所から弟子を
模様をつけ再び漆を塗る、という作業を何回か
雇ったとしても、根気のいる作業のために長く
繰り返すのだそうだ。そして最後に研磨して模
続かないといい、世襲制になってしまうのだそ
様をだす。箸 1 本を仕上げるのに 3 ヶ月~半年
うだ。 青野さんの息子さんら小浜市の伝統工芸士
ほどかかるという。 手間や模様に何を使うかによって値段もかわ
による技術の披露や体験ができる施設“若狭工
ってくるのだそうだ。青野さんのお店には、三
房”が 2003 年にオープンするなど、新しい取り
千円くらいのものから一万円を超えるものまで
組みもなされている。 様々な種類の塗箸がおいてあった。 2)個人の店―山田箸店 若狭塗箸協同組合に属さず、手作りの箸を売
る個人の店もある。
現在、
生産は行っておらず、
昔作った箸の残りを売っている。売られている
箸の値段も、用いられる材料や塗料によって
様々である。店は昔ながらの町家で、店の前に
サンプルの若狭塗箸がおかれている。 この店では、加工された木地を小浜市内の業
者から仕入れ、箸を塗る作業からを家族ぐるみ
で手作業で行っていたそうだ。製造を行ってい
た当時のことを聞いてみた。代々若狭塗箸を作
ってきたのではなく、ハルさんのご主人が始め
られたそうだ。塗料ができるまでは本物の漆を
漆を塗った後、卵殻をまぶしたところ 使っていたが、量が少なく貴重なことから、化
(青野さんの仕事場で) 学塗料を用いている。しかし中には本物の漆で
やはり生きた漆を
作られたものもあり、そういったものは何十年
使うので生産に時間がかかること、それによっ
も長持ちするという。全盛期には多くの観光客
て量がかぎられているということだ。それでも
が訪れ、家族で夜遅くまで作業をし、忙しかっ
青野さんは手作りにこだわる。機械化したほう
たという。
「忙しかったけど楽しかった、好きだ
が早いのは分かっているが、手作業でないと意
からやってこれた」とおっしゃっていたのが印
味がないというこだわりがある。お客さんも良
象的だった。 手作業ならではの苦労
現在では客数も減り、月に一人来る程度だと
いものは良いと分かってくれるそうだ。本物の
3
いう。観光客がほとんどで、たまに地元の人が
きっかけだという。若狭塗箸の場合は、安価な
他県へのお土産や結婚式のお祝いとして買って
中国製品の流入による脅威が問題視された。 いくそうだ。他の場所に売りに行ったりはしな
地域ブランドに登録することで期待される効
いのですかと尋ねたところ、
「お客さんが店に買
果として、まず、商品のイメージアップや販路
いにきてくれればいいから」とおっしゃってい
拡大、競争力の向上につながることが挙げられ
た。昔作った箸がまだ倉にもたくさん残ってい
ている。また、商品や商品をつうじての小浜市
るそうだが、全部売れれば店をたたむつもりだ
の PR になるとも考えられている。若狭おばま
という。 ブランドとすることで、類似品との区別化も期
待されている。 2)問題点 若狭塗箸を地域ブランドに登録することに
よって、次の二つのような問題が生じてきたと
いうことを伺った。 ①組合員以外では“若狭塗箸”という名前は
使えないのか ブランドへの登録は、組合で行
ったので、先ほど紹介した山田箸店のような組
合員以外の人が“若狭塗箸”という名前を使え
ないのかという問題がでてくる。約三割の組合
山田箸店で購入した若狭塗箸 でない人には個人で伝統的なものを作っている
貝殻や卵殻を用いた伝統的な柄のもの。化学塗料だが手塗。 人が多いという。こうした人たちには、相談会
3
若狭おばまブランド認証制度と
狭塗箸 若
やセミナーなどを通じて相互に理解を深めてい
くそうだ。 ②若狭塗箸の基準をどうするのか
はじめ
に述べたように、小浜市では生産方法や見た目
1)若狭おばまブランド認証制度の概要 小浜市では、2006(平成 18)年 2 月、小浜な
などに関わらず、
“若狭塗箸”として売られてい
らではという地域の財産を地域団体商標(地域
る。それが、ブランド認証制度や国への地域団
ブランド)として認証する制度を設けた。若狭
体商標登録をきっかけに、ある程度の基準設定
塗箸は同年 3 月、若狭おばまブランドの二番目
が必要なのではないかという動きが、行政側か
として登録された。また国の地域団体商標とし
らも生産者側からもでている。 しかし、基準の範囲をめぐっては、意見の食
ても申請している。 ブランド認証を取り扱う事務は市と商工会議
い違いがみられる。ブランド認証制度をすすめ
所で行っており、ブランド認証を受けるための
る市役所側としては、きちんとしたもののみを
申請は業界・組合・団体ごとに行われる。06 年
“若狭塗箸”としたいが、商工会議所側は幅広
9 月の時点で認証されているのは 2 件であるが、
く認めることで儲けをだしたいという。二者の
将来的には 30~40 品目を目指している。 間でもブランド制度により利益向上を期待する
商工会議所と市役所との食い違いがみられるが、
小浜の名物である小鯛の笹漬や鯖のへしこな
どがいつのまにか他所の名物となっていたこと
実際に若狭塗箸に関わる人たちはどのように考
や、にせものが「若狭もの」として流通している
えているのだろうか。 こと、
そして 06 年 4 月から商標法の改正により
3)箸生産者のブランド制度に対する考え 若狭塗箸協同組合事務局長・古川さんの考え
規制が緩和されたことなどに危機を感じたのが
4
まとめ 若狭塗箸の PR 効果、中国製品との区別という
効果に期待しているという。 基準をもうけることに関して、「箸のふるさ
小浜には、古くから伝わる伝統工芸である若
と館」
の古川さんによると、
現在の若狭塗箸は、
狭塗箸と、それらを含め全国シェア 1 位をほこ
全て手作りで伝統的な手法を用いて生産されて
る箸の産地としての二つの側面が混ざり合って
いるものはごくわずかであるそうだ。また、安
存在している。
お土産売り場に置かれている
“若
く提供するためなどの理由から、ほとんどが材
狭塗箸”も、伝統的な手法で作られたものや転
料を外から輸入しておりすべての工程を小浜で
写などの技術を用いて作られたものなど様々で
おこなっているわけではなく、材料から小浜で
ある。しかし今、若狭おばまブランド認証をき
作っているのは数パーセントだという。
よって、
っかけに、
“若狭塗箸”とは何かが問われようと
本当に伝統的なものだけを若狭塗箸としてしま
している。生産者の側からも基準設定をしよう
うと儲けがでなくなるおそれがある。ブランド
という声が上がっているが、その基準を設定す
登録した後の基準設定は各事業者任せになって
るのが難しいらしく、基準設定には至っていな
いるのだが、組合の中である程度の品質を確保
い。 し、
基準を統一しようという動きはあるそうだ。
今回、フィールドワークを行う中で、
“若狭塗
また、ブランド認証を取得すれば認証マーク
箸”の判断基準として見た目が重要であると感
をつかうことができるのだが、どのようにマー
じた。消費者の立場としては、
“若狭塗箸”を見
クをつけるか、費用などは組合任せになってい
た目で判断する。手作りなのかそうでないのか
るため、まだマークをつけて販売するには至っ
までは判断できない。 ていないそうだ。マークをつける基準について
しかし、伝統的に手作りで作られたものと機
も、例えば伝統的な手法を用いて手作業で作ら
械生産されたものとの区別も必要だと感じた。
れた若狭塗箸にはブランド認証マーク、幅広く
古川さんの言われていた「マークに二重の幅を
基準を設けたものに関しては何か別のマークと
もたせる」というのも有効な手段だと思う。 いうように、二重の幅をもたせることも検討中
今回のフィールドワークでは、一人手作業で
らしい。 若狭塗箸を作る人や問屋を中心に分業により行
大下漆器店・大下さんの考え 若狭おばまブ
う人、伝統的なものと機械により量産されたも
ランド認証制度に関しては、若狭塗箸や小浜を
の二つ合わせてアピールしていこうという新し
全国に広めるための啓蒙活動としてとらえてい
い形をとる人、個人で昔作った箸を売り続ける
るそうだ。販売量が増えることに期待しない理
人など、いろいろな面から若狭塗箸を支える人
由としては、すでに県の指定を受けているため
たちがいた。 販売ルートが確保されているということ、すで
(おかじ・ちひろ 2 年生) に“若狭塗”というブランド名は通っているの
で影響はあまりないだろうということが挙げら
れるという。また、若狭おばまブランドとして
参考文献・資料 売り出すとなると“
(小浜)市のもの”というこ
坂本光司、南保勝『地域産業発達史―歴史に学
とで店の名前が出ないということも理由のひと
ぶ新産業起こし』同友館、2005 年. つらしい。 箸のふるさと館 WAKASA 資料 5
若狭小浜に伝わる日本の伝統工芸 ―若狭塗にみる伝統工芸の現状と課題― 大
久
保
江
莉 はじめに 全国に数多い漆器産地の中でも
「若狭塗」
は、
漆を幾重にも塗り重ねては研ぐという“研ぎ出
小浜市は古くから日本海側屈指の要港として
し技法”が特徴である。漆を十数回塗り、貝殻・
栄えてきた。大陸文化や各地の物産は「鯖街道」
卵殻・金銀箔で模様を付け、
石や墨で研ぎ出し、
などを経て、近江、京都、奈良などにもたらさ
数ヶ月以上をかけて作られる。このように手間
れた。とくに京都からの文化的影響が大きいこ
ひまをかけることで、
「若狭塗」は独特の重厚感
とが、小浜の言葉やまち並み、市内に伝わる伝
と風格を持つ代物となる。 現在は全国シェアの8割をしめる若狭塗箸を
統的な祭事などからうかがい知ることができる。
小浜には、若狭塗、瑪瑙細工、若狭瓦など多
中心に、箸箱、盆、茶器から装飾品まで幅広く
くの伝統工芸が伝えられている。日本には数多
生産されている。小浜では昔から若狭塗は盆や
くの伝統工芸が残っているが、近年、若い後継
重箱などの漆器は小浜出身の女性が嫁ぎ先に贈
者の不足や、原材料の不足などといった問題を
答品として送る場合が多く、手作業で作られた
抱えている。小浜に伝わる伝統工芸も例外では
高価な塗箸も夫婦箸として結婚記念日などの贈
ない。ここでは、若狭塗職人の現場からみた伝
り物となることが多い。実用的というよりは贈
統工芸の現状と課題について述べていきたい。 り物、家宝として大切に保管しておくという場
合が多いそうだ。 1 若狭塗について また、近年では安いものばかりを買い求める
というよりは、
「いいものを長く使う」という本
小浜に伝わる伝統工芸のなかでも若狭塗は、
物志向が広まりつつあり、
「物産展で販売されて
400 年の歴史を持つ伝統工芸である。慶長年間
いるのを見た」といって遠方から漆器を購入に
(1596~1614)
、小浜の豪商組屋六郎佐衛門が、
やって来る人もおり、若狭塗は伝統工芸品とし
国外より入手した漆塗盆を藩主酒井忠勝公に献
て全国的にひとつのブランドとして評価されて
上し、城下の漆塗御用職人松浦三十郎がこれを
いる。 模して制作したことに始まったという。これに
若狭塗をはじめ小浜の伝統工芸に見られる手
改良・工夫を重ね、海底の模様を意匠化して菊
仕事は、先に述べたとおり長い歴史の中で地域
塵塗を案出した。さらにその門人が海底の貝殻
とかかわりながら受け継がれてきた小浜の大切
と白砂の美しい景観を表現した磯草塗を創り、
な地域資源といえる。しかしながら、近年機械
万治年間(1658~1660)に卵殻金銀箔塗押の技
による塗箸の製造が発展し、伝統的な生産方法
法を完成させた。これを藩主酒井忠勝公が「若
が減少するとともに、それに携わる職人数の減
狭塗」と命名して小浜藩の財政経済の基幹産業
少が進み、このままでは自然に消滅してしまう
として生産を保護奨励した結果、盛んになった
といっても過言ではない状況にある。また、量
のだという。 産型の塗箸と、職人が作る塗箸では製作にかか
6
るコストも販売価格も大きく違い、これらをひ
原料となる木は東南アジアなどで育つ「マラ
とつの「若狭塗箸」として販売してもよいもの
ス」という木を利用するため、必ずしも国内の
だろうかという懸念もある。 原料で作られるのではない。これは国内に生育
する塗箸に最適な木は数量が少なく、材料費が
2 伝統の継承と若狭塗職人の世界 高くなってしまうというためである。 青野さんのお店では作品を展示販売しながら、
作業も同じ場所で行っており、私たちが訪れた
熟練した国宝級の職人である青野良一さんと
中堅的立場にある職人である羽田浩一さん、二
日は実際に塗箸の製作風景を見ることができた。
人の職人の方からお話を伺った。 塗箸の製作は 15 膳ほどの箸に順番に漆を塗り、
1)若狭塗伝統工芸士・青野良一さん:「手作
乾きに時間がかかるため、乾かしている間にま
業でなければ意味がない」 た新たに別の作成途中の箸に装飾を加えるとい
青野さんは 1930(昭和5)年生まれ、青野漆
うような順序で進められる。 器店3代目である。青野さんは伝統工芸士であ
若狭塗の製作現場を見続けてきた青野さんに
り、大相撲行司木村庄之助の軍配製作、皇室へ
よれば、若狭塗の中に若狭塗箸があり、若狭塗
若狭塗文箱を献上するなど、非常に熟練した職
は漆器が始まりだということであった。若狭漆
人である。また、漆器の製作以外にも地域でバ
器の需要は時代の変化とともに次第に衰退し、
ンド活動なども行っており、また違った一面も
漆器以外の部分から利益を得ることを目的とし
持った方である。ちなみに青野さんの息子さん
て若狭塗箸の製作を始めたのだという。漆器職
は演歌歌手から漆器職人の道を目指した。熟練
人が作る箸と機械で作る量産型の塗箸とは質的、
した職人の立場から製作の苦労話についてお話
値段的な差がありすぎるとおっしゃっていた。
をうかがった。 すべてを機械化する方がコスト的にも安いのは
若狭塗の製作には非常に時間がかかる。修行
分かっているが、手作業で行わなければ意味は
の期間は非常に長く、人生が修行生活のような
なく、
「全部この手で作ることに意味がある」と
ものである。 青野さんは語った。プラスチック製品や中国製
塗料の漆は生きものであり、漆の種類によっ
の安い漆器の普及がもたらす、本場の塗箸や漆
て乾きの時間などが異なる。これらの性質の見
器への影響については「いいものは残っていく
極めに 3~4 年、
模様のつけ方を身に付けるのに
し、使われ続けるのでそこまでの懸念は無い」
30 年かかる。 と自信を持って語った。 また、製作も非常に手間がかかる。比較的小
青野さんが 10 代のころは多くの若狭塗職人
さな塗箸に関しても、短時間で製作可能な転写
がいたが、現在、高齢の若狭塗職人は青野さん
式の塗箸と全く作業工程が異なる。職人が作る
一人。青野さんの息子さんが 4 代目だが、その
箸は手作業で漆を 1 回塗るごとに 1 ヶ月以上乾
あと後継者はいない。
「将来的には職人が居なく
燥させ(乾燥の度合いは漆の性質、気候により
なってしまうのではないか…」という懸念もあ
変化する)
、貝殻、卵の殻、松の葉、金箔などを
る。しかし、一般の人(ほかの地域から来た人)
ふりかけ、模様の土台をつくりさらに上から漆
を職人として募っても、非常に根気の要る作業
を塗るという作業を何十回も繰り返し行う。こ
のため長続きせず、結局は世襲制をとる場合が
のように箸だけでみても 1 膳製作するのに3ヶ
多い。 「今出来ることをしっかり続けることが大切
月から半年かかる代物なのである。箱型の重箱
である」と語った青野さんであった。 などの製作の場合はまず原料の木を磨くことか
ら始まるため、より時間がかかる。 7
親子でも作風の違いが見られる。羽田さんの
2)若狭塗職人・羽田浩一さん:
「職人の世界
お父さんは昔ながらの若狭塗に見られる絢爛な
は生涯修行みたいなもの」 羽田さんは現在、若狭塗漆器製作の傍ら、食
デザインの作品が多いのに対し、羽田さんが製
文化館若狭工房の講師としても活動している。
作する漆器はお盆などでも、食器を乗せる面に
また若狭漆器協同組合の理事長でもある。羽田
はあまり模様を入れず、実用性を考えたシンプ
さんのお店は1階が販売店、2階が工房となっ
ルなものが多いのが特徴である。
しかしながら、
ている。すべてガラスの棚に漆器や箸が展示さ
地元の高齢のお客様には「派手なのが若狭塗の
れているのが印象的だった。 特徴じゃないか」といわれたりすることもある
そうだ。 羽田さんは、子供の頃からいつかは自分も職
人として実家の店を継ぐものだと感じていた。
また、漆器以外の漆器や箸の販売は自分で各
学生時代より漆器の勉強を始め、卒業後はその
地の物産展に出店して販売するが、物産展での
まま実家の若狭塗の店舗を継がずに、越前漆器
利益は少ないという。また、個人で販売をしよ
の勉強を福井市で行っていたという。まず、技
うと思っても、販路が限られているのも利益を
術を身に付けるため、越前漆器の工房で7年間
生み出せない原因にあるとも考えられる。この
塗り工程の勉強を行った。
「仲間が2、3人いた
ような状況の中で現在は、漆器の作成のほかに
から続けられた」というくらい根気のいる修行
も箸の卸、修理も行っている。新しいことに挑
だったそうだ。内容としては、自分の道具であ
戦してみたいという気持ちもあるが、若狭漆器
る小刀を1日中研ぎ、本を読み勉強するなどの
協同組合の仕事や物産展などで忙しく、なかな
修行だった。その後、実家の漆器店を継ぎ、若
か新しい試みができないということであった。 現在の漆器の評価について、一時は中国産の
狭漆器の製作に取り組んでいる。 羽田さんは「職人の世界は生涯修行みたいな
プラスチックの重箱などの類似品の登場により
もの」と語り、家業を継いでからでも、まだま
危機を迎えたこともあったが、若狭漆器を購入
だ学ぶことが多い。小浜の若狭塗店は世襲制が
してくれる年齢層の人たちは良いものが分かる
多く、
外部から職人を希望してくる人もいるが、
ので、よいものを求めている人が居るので最近
なかなか長続きしない場合が多いという。 は特に気にしていないという。 3)若狭塗職人の話に見る伝統工芸の課題 若狭塗りの特徴として、
「起こし紋様」という
同じ若狭塗製作に携わりながらも、対照的な
技術があり、松の葉を貼り付け、上から漆の重
ね塗りを行い、
漆が乾いたら松の葉を取り除き、
2人の職人の方からお話を伺った。青野さんは
ふくらみを起こすという技術があり、このよう
国宝級の職人であり、若狭塗のこれからの課題
な文様を取得するにも多くの時間を要したとい
や問題点よりも漆器を作り続けることへのやり
う。また、修行の中で、漆の乾き具合など、季
がい、生きがいとして職人の誇りのようなもの
節ごとに漆の特徴を見分けるのが非常に難しい
を感じた。 ところであるともおっしゃっていた。また、塗
それに対し、羽田さんは青野さんのような年
箸の最後の艶出しは手でこすって行うため、手
配の職人たちが残してきた伝統的な技術やデザ
に水ぶくれができるほどである。しかし、手作
インを受け継ぐとともに、食文化館にある若狭
りで作り上げることに意味があり、だからすべ
工房での講師などをつとめ、子供や若者に向け
て手作りで行うそうだ。漆を塗ってから、乾い
に古くから受け継がれてきた伝統工芸の技術な
てみるまで実際に成功しているか分からないた
どを広める活動も行っている。伝統工芸の伝統
め、時間とリスクがかかるが、何度も苦労を重
的な技術や作品をより知ってもらうために活動
ねることで漆器に愛着がわくそうだ。 しているため、売り上げ、知名度、販路開拓な
8
ているということであった。 どの面も気にかけており、伝統工芸を今後どの
大下漆器店における、売り上げのほとんどは
ようにして保全していくべきであるかを必死に
塗箸が占めており、漆器は地域の方が贈答品と
考えているように見受けられた。 お二人の話から共通して出てきた伝統工芸の
して購入していくような場合が多いそうだ。近
最大の問題点が
「若い後継者の不足」
であった。
年では、全国各地で行われた物産展をきっかけ
若狭塗の若年後継者は現在ほとんどいない。後
に来店される方もいる。また、小浜市が「若狭
継者問題はどの伝統工芸でも深刻である。小浜
おばまブランド認証制度」という地域ブランド
の伝統工芸のひとつ若狭瓦の後継者問題は特に
制度を制定するにあたり、市民を対象に行った
深刻で、現在の方が最後の方であるといわれて
アンケート「小浜と聞いて連想するものは何で
いる。 すか?(産物)」の第 1 位「若狭がれい」に次ぐ
第2位「若狭塗」という結果であった。 若狭塗の職人育成は世襲制で、親から子への
技術伝承が代表的な方法であった。しかし、職
このように若狭塗は小浜周辺だけでなく、全
業選択の幅が広まり、職人の子息の中でも漆器
国的にブランド名が浸透しており、それなりの
職人以外の道に進む人も増え、後継者が見つか
需要がある。しかし、それに対する職人の数が
らないという状況が発生した。近年は芸術大学
減少しているのが現状である。塗箸に関しては
や専門学校などから職人を目指して修行にやっ
職人だけが作るものではなく、地元の方が内職
てくる若者もいというが、職人の世界の厳しさ
として行っている場合もある(そのため、塗箸
にほとんどが途中でやめていってしまうという
の品切れはすることがない)
。
この場合、
塗り手、
ことであった。そのため、世襲制による技術伝
削り手などと分業化をし、効率的な生産を行っ
承が一番よいのではないかと青野さんはおっし
ている。 若狭塗を全国的に知ってもらうために、販売
ゃっていた。 店はデパートでの物産展出店などを通して販路
3 販売する側からみた若狭塗の現状 の確立に取り組み、漆器のデザインのリクエス
トを職人に対して行うなど、よりよい品をお客
丹精込めて作品を作り上げる職人、職人の作
様のもとに届けるように努力している。それに
品を受け止め、伝統工芸の宣伝・販売を行う販
答えるように職人の方々も丹精込めて作品を制
売店。若狭塗漆器をはじめ、塗箸、瑪瑙細工、
作する。若狭塗は職人、販売店両方の働きによ
若狭瓦など小浜の伝統工芸品を販売している大
り、伝統工芸として認められるようになった。 下漆器店の大下司さんに、若狭塗についてお話
を聞いた。 おわりに 大下さんは福井県のブランド大使をつとめ、
小浜の伝統工芸を物産展への出店などを通して
若狭塗に携わる人々のインタビューを通して、
全国に広めている。なぜ、福井県のブランド大
伝統工芸の問題点が凝縮されているように感じ
使なのだろうか。それは、県を通しての販路を
た。 拡大したほうが、販売店の地名度、若狭塗の知
一人の職人が手作業で行う伝統的な漆器の製
名度ともに向上させることができるためである。
作から数人が分業で行う塗箸の製作まで、若狭
小浜市のブランド制度を通して、全国にアピー
塗のさまざまな側面を見た。両者は同じ「若狭
ルしたとしても、有名になるのは「若狭塗」と
塗」という名で全国的に有名なのであるが、伝
いう名称だけで、取扱店の名前は表記されない
統的技術による手作業で行う漆器、
塗箸製作と、
ため、県を通じてのアピール、販路確立を行っ
機械化・分業化で製作する塗箸は同じ若狭塗で
9
あっても商品の価値が違う。手作業の漆器、塗
参考文献・URL 箸の職人は減少し、機械化による塗箸製作に携
小浜市役所配布資料 わる人々の数は増加している。 「若狭おばまブランド」アンケート 小浜市公式ホームページ: 若狭塗職人の方々は「すべて手作業でなけれ
ば意味がない」という反面、実際には量産型の
http://www.city.obama.fukui.jp/ 塗箸の売り上げが伸びているという現実は実に
ええやん!若狭の國 若狭小浜観光協会公式サ
さびしい。中堅職人の方々によって手作業が再
イト:http://www.wakasa‐obama.jp/ 興されることを期待したい。 日本の伝統的工芸品館: (おおくぼ・えり 3 年生) http://www.kougei.or.jp/ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
』
10
地域の特色をいかしたまちづくり ―
若狭おばまブランド認証制度
― 岡
田
沙
季 はじめに こと、あるいはものが、実は貴重な地域固有の
資源であったりする。 近年、地方分権が進む中で地域の自立が求め
小浜市の地域固有の資源は何か。小浜市役所
られている。豊かな地域を支えるためには、し
は 2006 年 8 月に市民に、
小浜市に関するアンケ
っかりとした経済的基盤、地域産業が必要であ
ートを行い、
20 歳代~50 歳代を中心に 572 人か
る。そんな中、地域固有の資源を活かしたまち
ら回答を得た。アンケートの結果を見ると、
「小
づくりが各地で行われている。夕張メロン、讃
浜を他の地域と比較して、特徴的、優れた面、
岐うどん、山形さくらんぼなどは全国的によく
自慢できることは何か」という問いに対しは、
知られた地域の特産品であるが、今、これらの
「歴史や文化」67%、
「自然環境」54.2%、
「食材
特産品をはじめ、観光、産業イメージ、地域サ
や美味しいものがある」46.2%、
「伝統産業や地
ービスなど、多種多様な地域固有の資源=「地
域産業」11.2%などという回答が出ている。ま
域ブランド」を利用した地域づくりが注目され
た、
「小浜の自慢できる若狭おばまブランドは何
ている。これからの地域固有の資源をいかした
か」という問いに対しは、
「若狭塗・若狭塗箸」
豊かな地域づくりには、地域の人々を含めた取
「若狭かれい」
「焼き鯖・鯖寿司」
「お水おくり」
り組みが求められるだろう。 「蘇洞門」など具体的な文化、伝統産業などが
今回、フィールドワークで訪れた福井県小浜
あげられている。小浜には地域固有の資源がい
市でも、まちづくりのひとつとして、地域固有
くつも存在しているといえる。 の資源を活かした地域ブランド認証制度(若狭
市役所では、小浜ならではの素材・製法・技
おばまブランド認証制度)が行われている。こ
術等を使ったもの、また市内で生産・製造・加
の論文では、この制度の現状と課題を関係する
工されたものを「若狭もの」と呼び、全国に発
方々への聞き取りをもとに探るとともに、この
信すべき地域の財産と位置づけている。地域の
制度を活用したまちづくりの可能性について考
人々に認められた地域の特色こそ、
「ほんもの」
えてみたい。 の地域の顔であり、他の地域の人々を惹きつけ
る潜在的な可能性を含んでいるといえよう。 1 地域の顔 「若狭もの」 2 「若狭おばまブランド認証制度」と
その運用 地域固有の資源は、他の地域が真似すること
のできない、その地域の誇りであり、強みであ
る。地域資源としては、その土地の歴史、その
1)若狭おばまブランド認証制度の概要 中でうまれた文化、伝統、その土地の人々と多
豊かな地域づくりが求められている今、
「特産
様なものが考えられる。その地域に住む人々に
品」や「観光」をただ売り出すだけではなく、
は当たり前であって普段は気がつかないような
多様な地域固有の資源の可能性を活かすための
11
た「若狭おばまブランド」ロゴマークをつける
工夫がいっそう重要となる。 ことができる。 小浜市では、
特色ある食や伝統工芸などの
「若
狭もの」を「若狭おばまブランド」として認証
認証制度に取り組んだ背景としては、もとも
する取り組みを行っている。それが、
「若狭おば
と小浜の特産品であった、
「へしこ」
「鯖寿司」
ま認証制度」である。地域ブランドとして全国
などが県内や他県の特産として出回っているこ
に発信することで地域イメージを高めるととも
とや、中国などで製造された若狭塗箸の安物の
に、他地域との差別化をはかり「若狭もの」の
コピー品がスーパーなどに流通していたことが
普及や産業振興を図ること、魅力ある自立した
挙げられる。また、2006 年 4 月に「地域団体商
地域を目指すことなどが目的である。 標制度」が導入されたことも短期間に認証制度
が実現した背景として重要である。 地域ブランドへの取り組みは、2005 年 11 月
地域ブランド事業の中心は市役所と商工会議
に「ブランド戦略会議」が設置されたことには
じまる。ここでは、若狭という地域、
「若狭もの」
所である。市役所商工振興課の藤澤さん、商工
についてなど、ブランド構想が練られた。2006
会議所の松井さんにお話を伺ったところ、行政
年 2 月 23 日には
「ブランド推奨機構」
が発足し、
がとくに意識したのは特許庁による商標改正の
3 月にはブランドの第 1 号として
「若狭かれい」
、
動きであったという。06 年 4 月に商標法の一部
第 2 号として「若狭塗箸」が認定された。 改正によって
「地域団体商標制度」
が導入され、
「ブランド推奨機構」がうちだしている認証
「地域名+商品(役務)名」が商標とされた。
制度の概要によると、認証される対象・基準は
今までは、
「西陣織」や「夕張メロン」など、全
「若狭おばまブランド」の理念に合致するもの
国的な知名度を獲得した一部のブランドだけが
である。すなわち、小浜ならではの製法・技術
商標登録を認められていたが、適切な保護によ
によるもの、名称・意匠・材料が若狭おばまに
る産業競争力の強化や地域経済の活性化を図る
ちなむもの、他地域に対し優位性・独自性を打
ため、今回、適用対象が広げられた。また、組
ち出せるもの、市内で生産・製造・加工された
合側でも商標登録に対する意識は強かった。 ものなど。ブランド認証のメリットとしては、
市と商工会議所では、売り上げ・地域PRの
地域に認知された製品・サービスとしての位置
二本立てで、地域の人にも関心をもってもらう
づけ、第三者が認知した「特選品」としての称
のも目標であると話していたが、地域ブランド
号、類似品・他産品・他社製品との差別化、価
による地域産業の売り上げ増加、地域活性が主
格競争の回避、
「機構」が認証品の情報などを全
にねらいであろう。 国・世界に向けて積極的に発信することなどが
2)認定基準をめぐる相違 「若狭おばまブランド」
の認定基準について、
挙げられている。申請資格としては、市内に住
所・事業拠点があるもの、苦情処理体制が確立
市と商工会議所で意見の相違も見られた。これ
していること、業界・組合・団体等の代表者な
は、組合側でも課題になっているが、基準の明
どである。 確化である。 また、認証の流れとしては、まず各業界、組
特色ある食や伝統工芸などの「若狭もの」を
合、団体の代表者から申請を受け、推奨機構が
地域ブランドとして認定することになっている
製法、技術、材料、意匠に独自性、優位性があ
が、
その製造過程や原料については様々である。
るかなどを審査する。認証されると認証書が渡
市はしっかりとした小浜産の物の認定を行いた
され、インターネット、チラシで紹介されるこ
いと考えているが、実際、原料から製造工程す
とになる。ブランドに認証されると、
「御食国若
べて小浜で行われている物は少ない。そのよう
狭おばま」シンボルロゴマークをもとに作られ
な状況の中、ブランド基準を厳しいものにした
12
はよく分からないと話していた。 場合、
「若狭おばまブランド」と認証されるのは
全体の数%にしかならないという。商工会議所
吉村さんのお話から、若狭おばまブランドよ
では、数%だけの認定では地域産業の売り上げ
りも、特許庁の商標登録への関心が強いという
増加に結びつけるのは難しいのではないかと考
印象をうけた。ちょうど、商標登録に関しての
えている。ブランド認定の規定を厳しいものに
申請書類などを作成していた時であったからか、
しては、地域ブランドとして普及する見込みは
他の地域よりも早く確実に商標登録してもらう
少ない。どのように基準を決めるかが大きな問
ことで、地域の差別化をはかりたいと話されて
題となっている。 いた。 若狭おばまブランド、特許庁の商標登録に共
3 地域の特産品と地域ブランド認証の
課題 通の課題は、認定基準である。今は、品種だけ
を定めているが、ブランド認知の高まりが進む
と、産地や魚の大きさなどでも基準をより明確
2006 年 9 月の時点では、
「若狭おばまブラン
にしていかなくてはならないと話していた。他
ド」に認証されたものは「若狭かれい」と「若
地域との差別化、また「若狭かれい」の高級さ
狭塗箸」の 2 つだけだった。市役所商工振興課
を保っていくために重要なことである。 の藤澤さん、商工会議所の松井さんの話による
また、市からの認定を受けているとはいえ、
と、新たに、谷田部ネギ、若狭ふぐ、くずまん
商品にクレームが出たときは、組合が責任をと
じゅうなどの申請が出されており、近々、認証
ることになっている。
「若狭かれい」
については、
の会議が予定されているということだったが、
今までの経験があるので、商品の保証は充分で
フィールドワーク後、
「谷田部ネギ」
が新たに
「若
きるが、クレームが出たときの対処をきちんと
狭おばまブランド」として認証された。 しておかなければならないと話していた。 「若狭おばまブランド認証制度」
に関しては、
これからどのように利用していくか、また、そ
1)
「若狭おばまブランド」の認証品 の可能性を探る必要があるのではないかという
フィールドワークの際にすでに認証されてい
ことだった。 た若狭かれいと若狭塗箸、
2つについて調べた。
若狭かれい
若狭塗箸
小浜魚商協同組合と市食品加
若狭塗箸工業協同組合が申請し
工協同組合が連名で申請した。
「若狭かれい」
(ヤ
た。
「若狭塗箸」は木地に漆を重ねて塗り、アワ
ナギムシカレイ)の干物は江戸時代から若狭の
ビの貝殻や金箔が浮き出るように研ぎ出された
特産物として知られていた。日本各地の名産を
古くからある伝統工芸品であり、地場産業とし
記した江戸時代の「日本山海名産図会」でも紹
て小浜の経済を支えてきた。 箸のふるさと館館長(若狭箸工業協同組合が
介されていたという。現在では、京阪神を中心
運営)古川さんにお話を伺った。若狭塗箸でも
に懐石料理に使われている高級品である。 小浜市食品加工協同組合参事、吉村さんにお
特許庁の商標登録の申請も行っている。地域ブ
話を伺った。ブランド申請は、小浜魚商協同組
ランド取得は、中国製品をにらんだ対抗策とい
合と市食品加工協同組合が連名で申請した。2
う意識が強いといえる。中国へ技術輸出したも
つの組合が連名で申請するというのは珍しいこ
のが、
今度は製品に形を変え逆輸入されている。
とであるそうだ。
「若狭おばまブランド」につい
価格の安さなどにより、若狭塗箸の売上げが減
ては、認定により売上げを増やすなどの期待な
っているので、地域ブランドによって中国製品
どはないようであった。また、市がどのような
との差別化をはかり、若狭塗箸の売り上げ回復
考えで、ブランド認証事業に取り組んでいるか
をねらっている。 13
若狭塗箸の組合には地域の全ての職人や業者
個々の店の名前は出せない。市と県では、販路
が加盟しているわけではなく、市内の箸製造・
やアピール力の規模が違うので、県のブランド
販売会社 40 社のうち 30 社が加盟している。ブ
大使として個人的な販路をとっているという。
ランド登録は組合ごとにおこなうが、新たに事
また若狭塗箸の知名度は高いので、中国製品の
業をはじめる人や非組合員は「若狭塗箸」とい
脅威やその対策などは考えていないそうだ。 う名前を使うことができない。そのため、セミ
市や商工会議所の方の話では、地域ブランド
ナーや相談会を開催し3割ほどいる非組合員に
による地域産業の売り上げ増加、地域活性が主
組合参加を促しているという。 にねらいであるという印象が強かったが、大下
さんから伺った話では、地域の人々にはうまく
若狭塗箸としての認証条件は、伝統的な研ぎ
伝わっていないようだ。 出しの技法で製造され、本漆やフェノール樹脂
を使用し5回以上塗り重ねられたものだが、条
ツカモト民芸センター・柄本忠宗さん 日本
件に合うのは現在生産されている箸の 10%位
で唯一、
「うるしダルマ」を制作している柄本さ
であるという。 ん夫婦にお話を伺った。 今後の課題として、これまでは若狭塗箸の品
「うるしダルマ」は漆の固まりを磨き上げ、
質や工程の基準は事業者によりばらばらであっ
そこにダルマの顔を描いた物である。制作を始
たが、地域ブランドとして若狭塗箸を確立して
めて 40 年たち、
今では全国に知られるほどにな
いくためにも、基準をより明確にし、統一して
った。制作期間は小さいダルマでも 2 ヶ月かか
いく必要がある。また、若狭おばまブランドに
るが、年間に小さいもの 15000 個、大きいもの
認定されると使うことのできるロゴマークにつ
は 100 個くらいを制作したいという。 いては、組合独自のものも作り、伝統的なもの
「うるしダルマ」は、県の郷土工芸品の指定
と手頃なものとそれぞれのシールを作り、幅を
は受けているが市の「若狭おばまブランド認証
もたせることも検討しているという。 制度」の認証を受けていない。そのことに関し
2)
「若狭もの」に関わる人々のブランド認証へ
て柄本さんは、お客さんには良い物であると認
の考え めてもらった上で買い求めてほしい。生産量が
大下漆器店・大下さん 大下漆器店では、い
限られていることも大きく関係しているが、宣
くつもの小浜の伝統工芸品を販売している。大
伝や売り込みをして売り上げを伸ばすという考
下さんは、福井県の「ふくいブランド大使」も
えはないそうである。市の工芸館の講師や講演
されている。ふくいブランド大使とは、県全体
会などの活動は行っている。
「うるしダルマ」の
の産業・観光など県の魅力を県外にアピールを
後継者はなく、
柄本さんの代で終わりであるが、
する制度である。福井県は、県が長寿県である
伝承していくということは考えておらず、自分
という特色を「健康・長寿」というコンセプト
の作品を大切に残してほしいと話していた。 とし、その下に個々の地域ブランドを集結させ
「若狭おばまブランド認証制度」の申請は団
ることで県全体のイメージを
「ふくいブランド」
体や組合でおこなうことが原則とされているが、
として位置づけている。 独創性・伝統などにより適当と認められる場合
大下さんの「若狭おばまブランド認証制度」
は個人での申請も認められている。うるしダル
についての考えを伺った。市からその制度など
マは認証をうける資格が充分あるはずだ。認証
についての説明は受けているが、利益よりも地
を受けるつもりはないという柄本さんに、職人
域PRの方を強く押し出しているようにみえ、
の強い想い、こだわりを感じた。 市の取り組みでは利益は望めないと考えている
3)認証制度の課題 聞き取りを進めていく中で、認証にあたって
ようだ。いわば小浜市の「広告」であるので、
14
箸」
に認証後どのような経済効果が現れたのか、
の基準づくりが大きな課題だとわかった。 地域ブランドが地域産業にどのような影響を与
市・商工会議所、申請した 2 つの組合とも基
準を整えることが必要であると考えていた。
「若
えるのか考察できなかった。 狭塗箸」を例にとると、箸の材料である木材を
海外から輸入している場合もあるなど、原料か
まとめ ら製造工程そのすべてを小浜で行っている物は
少ない。認証品の基準はそれぞれ品目により、
地域ブランドは、多様な地域資源の「付加価
組合によって定められている。しかし、材料か
値」を高め、他の地域との差別化を図ることに
ら製造まで小浜でおこなっているものというよ
より、市場において情報発信力や競争力の面で
うに、
ブランドの基準を厳しいものにした場合、
比較優位をもち、地域住民の自信と誇りだけで
「若狭おばまブランド」と認証されるのは全体
はなく、旅行者や消費者などに共感、愛着、満
の数%である。一部の認定では地域産業の売り
足度をもたらすものである。商業的・意図的に
上げ増加に結びつけるのは難しいだろうが、他
つくり出されるものではなく、知らず知らずに
地域との差別化による高いブランド品質の保証
地域内に出来上がっていたものという方が自然
は守っていかなくてはならない。 である。地域ブランドを利用したまちづくりが
この点で市・商工会議所、組合、職人の「若
各地で行われつつあるが、ただその流行にのっ
狭おばまブランド認証制度」に対する考えに相
て派手さや注目を追求するのではなく、その地
違が感じられた。地域ブランドのその先に、何
域の色があふれる地域の誇りとして、10 年、20
をもとめるのか。小浜市における地域ブランド
年と長い月日の中で地域ブランド、またその地
をこの先どう作り上げていくか、三者をはじめ
域は形作られていくと考える。 地域ぐるみでじっくり考えていかなくてはなら
小浜市の「若狭おばまブランド認証制度」
、地
ない。 域ブランドを活用したまちづくりはまだ始まっ
また、小浜には、若狭めのう細工、若狭和紙、
たばかりである。
市役所が 2006 年 8 月に市民に
若狭粘土瓦などの伝統工芸品が他にもあるが、
行った、小浜市に関するアンケート結果を見る
これらを含むいくつかの製品は「若狭おばまブ
と、
「求める小浜市の将来像」の回答をまとめる
ランド」への申請がされていない。このことに
と「自然・歴史・文化のあふれる、活気あるま
ついては、他県での生産、知名度の高さや、後
ち」
といえる。
また、
「それを具体化するために、
継者がいないことなどから、認証をすすめたと
何が必要か」という問いに「新産業の創出・に
してもその後、地場産業としての発展が厳しい
ぎわい・伝統・文化」などが挙げられている。
ことなどにより申請、認証になってないという
自分たちの地域に対する、関心と希望がなによ
現状もあるという。いまある貴重な「若狭もの」
りもまちづくりには重要であると思う。小浜市
がうまく認証できない中で、制度に固執せず地
の「若狭おばまブランド認証制度」
、地域ブラン
域で伝統を守っていくことも重要な課題といえ
ドを活用したまちづくりは、これからの長い月
よう。 日の中でその成果、それに対する評価がなされ
今回のフィールドワークでは、地域ブランド
るだろう。 の大きな柱の一つである地域産業の振興の面に
(おかだ・さき 3 年生) おいて、経済効果やブランド認証そのものの運
営費用などの具体的なデータを得ることができ
なかった。そのため、
「若狭おばまブランド認証
制度」により認証された「若狭かれい」
「若狭塗
15
参考文献・資料 関満博・及川孝信編『地域ブランドと産業振興』
新評論、2006. 博報堂・地ブランドプロジェクト編『地ブラン
ド』弘文堂、2006. 永野周志『よくわかる地域ブランド 徹底解説
改正商標法の実務』ぎょうせい、2006. 小浜市役所「若狭おばまブランド」アンケート
2006.8 福井県ホームページ http://info.pref.fukui.jp/seiki/brand.html 小浜市ホームページ 「若狭おばまブランド認証ロゴマーク」 小浜市ホームページより
http://www.city.obama.fukui.jp/ 地域ブランド NEWS ブランド総合研究所 http://www.tiiki.jp/news/org_news/05chubu/
2006_02_25oba... 16
小浜市の歴史的町並み保存活動 ―
住民の意思形成への努力
― 丸
山
祐
佳 はじめに 小浜西部地区の町並みは、武田元光iが後瀬山
に山城を築いた 1522 年頃に成立したと考えら
れている。
元光は後瀬山城のふもとに舘を構え、
小浜は「小京都」「海のある奈良」と呼ばれ
ている。昔、都が奈良や京都にあった頃、文化
その周囲に家臣団の屋敷を配置する。それが小
の取り込み先というのは中国・朝鮮半島だった。
浜西部地区の町並みの原型になるようである。
江戸時代には北前船の拠点ともなった。そのよ
その時代には武士と庶民が混在して住んでいた
うな交易によって昔はかなりの規模の町であり、
が、江戸時代になると町が大きくなり、後瀬山
当時の栄華を伝える文化財が今も沢山残ってい
ふもとにあった武家屋敷群は寺院に代わり、庶
る。これが小京都や海のある奈良と呼ばれる由
民の家屋が小浜西部地区の町家の大部分を占め
来であるそうだ。このようなエピソードによっ
るようになる。このような変化の中で、町並み
て私は小浜の歴史的町並みに興味を持った。 は丹後街道、常高寺前、八幡神社門前を軸とし
フィールドワークでは、小浜市の歴史的町並
て発展する。そこには、町家、商家、茶屋町、
み保存活動に携わる沢山の方々のお話を聞いた。
社寺仏閣が作られ、これらが一体となって小浜
景観形成助成事業を行っている市役所の方や市
西地区の町並みとなっている。 役所と住民のパイプ役を担う町並み相談員さん、
住民主体の町並み保存活動を行っている方など、
現在、小浜西部には 450 世帯が住んでいる。 2) 伝統的建造物群保存地区制度の概要 多様な面から調べることが出来た。市役所で最
伝統的建造物群保存地区制度とは
小浜市
初に伺った話の中で、小浜市は伝統的建造物群
は伝統的建造物群保存地区制度(以下、伝建制
保存地区制度(1‐3参照)を利用してまちづくり
度)を生かして、小浜の伝統・文化・町並みを
を行おうとしていることを知った。 活用するまちづくりを行おうとしている。1960
私は、その制度を小浜市で活用できるように、
年代の高度経済成長などによる日本社会の怒涛
住民の合意形成を目指して活動している人々に
の変化の中で、歴史的町並みや集落が急速的に
着目し、合意形成のためにどのような活動をし
失われていた。そのような中で独自の保存事業
ているのか、また活動をしている方々がそれぞ
を行っていた市町村があり、1973 年からその先
れ町並み保存についてどのように感じているの
駆的な取り組みを参考にして、文化財保護の観
かを調べ、小浜住民にとって町並み保存とは何
点から国として設けた歴史的集落・町並みの保
かについて探っていきたい。 存制度が伝建制度である。 伝建制度の特徴
1 小浜西部地区の町並み保存の概要 伝建制度の特徴は、地区住
民の合意によって、伝統的建造物群保存地区の
範囲を決めることである。住民が暮らしながら
1)小浜西部地区の紹介 i
たけだ もとみつ。若狭武田氏の六代当主。1519 年に
家督を継承して若狭国守護となった。
17
伝統的建造物群を保存することが前提となって
おり、
地元住民が市町村と協力の上で成り立つ。
外観の変更は制約があるが建物内部の改装等は
比較的自由にできる。 重要伝統的建造物群保存地区とは
決定し
た伝統的建造物群保存地区について、国が申し
出を受けて国にとって価値が高いものを重要伝
統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)に
選定する。この制度により、1976 年に全国で最
初に重伝建地区に選定されたのは7地区であっ
たが、2005 年には 36 道府県 64 市町村 73 地区
○窓・玄関:できるだけ木製建具。格子、出格
に増加している(『歴史的遺産の保存・活用とま
子、むしこ窓がある場合残す。 ちづくり』pp.56‐57 参照)。 ○外壁:漆喰塗、土塗壁、板貼など和風の仕上
3)
「伝建制度」利用によるまちの変化 げ。 重伝建地区に指定されると、地区の防災設備
○塀:外壁、庇と同じように和風の仕上げ。構
の整備、街路整備(融雪装置の設置・電柱の地
造が木造以外でも外観は木造のようにデザイ
下埋設など)が行われ、また個人等の家屋は、
ン。 家屋の建築年代等により、修理(主たる構造材
を補強して伝統的な構造物を復元的に修理する
2
小浜西部地区の町並み保存活動の経
緯 こと)
、修景(家屋の外観をその土地らしい様式
にあわせて作ること)等をする場合に、補助金
を受けることが出来る。補助金については市町
1)1990 年からの活動経過 村が独自に決定するが、その保存対象は外観に
小浜西部地区における町並み保存に関する動
かかる経費とし、修理の場合は3分の2から8
きは以下のようにまとめられる。年表風に整理
割程度、修景については6割から3分の2程度
してみた。
とすることが多い。限度額は修理については
1990(平成 2)年に小浜西部地区の町並み・
家屋調査の実施 600~800 万、修景については 400~600 万程度
が多くなっている。 国(文化庁)が伝統的建造物群保存地区とし
小浜らしい伝統的様式が、国の支援制度の修
て保存する価値があると判断 理基準・修景基準となる。伝統的とは、古来よ
↓ り小浜で建てられてきた建築物が持つ和風の建
1993 年より地区住民への町並み保存説明会
築様式を言う。規制は主として外観上認められ
を実施 る位置、形態、衣装を対象としており、建物内
↓ 部など通常望見出来ない部分については対象と
1998 年 12 月、伝統的建造物群保存地区保存
はならない。なお、
「小浜らしい」伝統的様式は
条例を制定 右上の図のようで、以下のような特徴をもつ。 ↓ 2001 年、地区住民の合意によって伝建地区の
○位置・構造・外観:平入り ○階数・高さ:階数は二階以下とし、原則とし
範囲を決めるため、小浜西部地区の住民にアン
て高さは現在のままで周囲の町並みと調和し
ケートを実施。伝建制度への反対が賛成よりも
たもの。 上回る。 18
↓ ~18 名)いる。目的は住民に町並み保存につい
2002 年 10 月、景観形成助成事業を実施 て理解してもらうことである。茶屋町やお寺、
歴史的景観形成地区内の家屋に対し、町並み
地蔵、辻ごとに異なり、この特徴的な古い形態
に合った外観工事費用への一部を歴史的景観形
のまちを保存することを目指している。放置し
成助成金として補助する事業を開始(この事業
ておけば壊れるだけであり、保存するにはお金
は、歴史的景観を守り生かしながら、市民の生
がかかる。それならば重伝建に選定してもらい
活の場と一体となった町並み形成や民家の改修
補助金を出してもらい、
保存をしやすくしたい。
方法を理解してもらうことを目的) 住民の方からは、古い・暗い・狭いという不満
があり、保存ではなく新しくしたいという意見
↓ もある。小浜の歴史的文化を理解してもらい、
2004(平成 16)年 11 月~05 年 5 月;市と町
保存する必要性を訴えている。 並み協議会が説明会を開催、住民の合意形成に
町並み保存を住民に理解してもらうために
努める。 「町並み月報」を発行している。月報には事務
以上のような経緯をふまえ、市は 2006 年度
報告や活動内容や話し合いの結果などを載せ、
をめどに地区合意形成を図り、2007(平成 19)
8地区 450 世帯全てに配布することで、住民の
年度中に国へ申請を行う予定ということだった。 町並み保存に対する認識の変化を促したいそう
2)住民の認識の変化 だ。 先
住民説明会の効果 澤口さんに「住民が町並
述したように、2001 年に行った保存地区に向け
み保存に対して、理解を示してきたと思う瞬間
たアンケート結果では、伝建制度に反対 57%、
はありますか」とお伺いしたところ、それは住
賛成 43%という数字が出た。反対が多かった原
民説明会を行っているときに感じたそうだ。
因は、重伝建についての住民への説明不足と思
2003~04(平成 15~16)年の間に、市と協議会
われる。簡単な説明しか行われず、どこまでが
が各区に出向いていき、各区の青年会や婦人会
対象になるかが明確にされず、重伝建に選定さ
で説明を行った。熱心な人は説明会に何度も参
れたら全ての家屋が修理をしなければならない
加するが、参加しない人は全く参加しない。参
のか、重伝建地区として整備が進むにつれて観
加しない人・出来ない人には戸別訪問を行った。
光客の増加が見込まれると言われても、公開を
大人数での説明会では反対の人に巻き込まれて
しなくてはならず住めなくなるのではないかと
しまう人もいた。戸別訪問や説明会を重ねるに
いうといった誤解が生まれてしまった。 つれて、理解してくれる人が意外と多く、反対
伝建制度反対が多数のアンケート結果
その後、市は、西部地区をどのようにしたら
はあまりなかったそうだ。現在では 70~80%の
いきいきとした町並みになるかという観点から、
人が賛成してくれていると感じているそうだ。 町並み保存をめざし住民と議論を重ねていくこ
このような住民の変化によって今後上手くい
とになった。 町並み協議会の活動
くのではないかと澤口さんは話してくださった。 私は市と協働で町並
み保存活動を行っている町並み協議会の会長で
3 生活もしていける保存 あり、住職でもある澤口輝禅さんに町並み協議
会の活動についてお話を伺った。 私は、「小浜住民にとって町並み保存とは何
町並み協議会の発足は 1995 年からである。
か」という観点を、町並み保存に携わるいろい
会員は小浜西部の8地区から各 7,8 人の代表に
ろな方々のお話を聞いて、多面的に捉えようと
出てきてもらい現在 64 人(そのうち役員は 17
した。 19
小浜市役所世界遺産推進室の中川那々子さ
ら嫌というわけではなく、値段の問題が大きい
んは、話の中で「外を残し、生活していける保
のである。古い家屋は落ち着くことが出来ると
存を作れるか、
皆で考えていけることが重要だ」
いう啓発が必要だ。 とおっしゃっていた。家が密接して建っている
経済性ではなく伝統を!ということを澤口
ため、駐車場を作るスペースがない等生活をし
さんは強調していた。私は、これからの小浜市
ていく上で課題はある。伝建制度は、外観の変
のまちづくりとして、生活もしていける保存と
更は制約があるが建物内部の改装等は比較的自
は何かと伺った。澤口さんによると、まちの景
由にできるといった特徴があるが、生活もして
観を保存していくという意識が広まってきたの
いける保存の難しさという課題がある中で、住
は 10 年ぐらい前で、
それまでは保存をしてこな
民の保存への認識ということが重点となってく
かった。
景観はあまり重要視されていなかった。
ると思う。 若者は新しいものを求める。その若者に期待す
町並み保存活動に従事している人は、この点
るのではなく、伝統を守るのはお年寄りで良い
についてどのように考えているのか。どのよう
のではないか。若者は無関心の中でも少しでも
な観点を持っているのか。2人の町並み相談員ii
伝統に興味を持ってくれれば良いというのが澤
の方のお話を参考に以下述べていきたいと思う。 口さんの意見であった。 伝統的家屋の維持 元料亭「蓬島楼」の五代
目であった村田さんにお話を伺うことが出来た。
1)町並み相談員 澤口輝禅さん 町並み協議会会長でもあり、町並み相談員の
蓬島楼が 1989(平成元)年に廃業になってから
澤口さんにお話を伺った。
澤口さんのお話では、
村田さんは別宅にお住まいである。現在は換気
町並み保存の継承という面で詳しくお話を聞く
をするためたまに帰っている程度で、伝統的家
ことが出来た。 屋を維持するため苦労もあるという。今後につ
現在の小浜市の雇用の
いては、息子や孫に維持を継いでほしいという
場は少ないそうだ。小浜市だけではなく全国の
思いがある。やはり古い家は残していきたいと
地方の小都市はどこも若者の人口が減少してい
いう気持ちが強いそうだ。 るのが現状である。そのような現状から小浜を
2)町並み相談員 石野幸子さん 若者と町並み保存
離れる若者が多い。現在活動を行っている人の
町並み相談員であり、町並み協議会の役員も
子供・孫の世代では嫌がる人がいるのではない
しておられる石野幸子さんにお話を伺った。石
かという住民の意見があるという。しかし、若
野さんは実際に改修した家に住んでいる方であ
者が減っていく主な原因はまちが古いからでは
り、重伝建と実際の住み心地という観点で詳し
なく、雇用の問題なのである。澤口さんは働く
くお話を聞くことが出来た。 場があれば若者も、町並み保存活動に協力をす
伝統的家屋の住み心地 市は、重伝建に選定
るのではないかとおっしゃっていた。今の住宅
されることを目指しているが、重伝建に選定さ
は大手建設会社がつくる家屋が主流となってい
れ、いざ改修を行おうとすると、外観に対する
るが、それは安いから。伝統的な建て方はお金
規制が出てきてしまう。
重伝建に選定されると、
がかかってしまう。伝統的な家を建てた経済力
建物内部は自由に出来るが外観はある程度統一
のある 30 歳ぐらいの若者もいるそうだ。
古いか
をしなければならない。やはり実際の住み心地
が重点となるだろう。 実際に伝統的家屋に住んでいる石野さんか
ii
町並み相談員とは、景観形成助成事業の市と住民との
パイプ役を担っており、各地区に1~2人いて住民に対
して重伝建などのアドバイスを行っている。行政ではな
く住民の方が修理などについて相談しやすいという意
見もある。
らは率直な意見を聞くことが出来た。石野さん
宅は、8年前の台風で壁や格子がずぶぬれにな
20
ってしまい、網戸に変えたそうだ。また、格子
修を行う人は、古すぎることや家族の増加など
があることによって暗くなってしまったり、と
生活しにくくなってきた人達であるそうだ。新
ても掃除がしづらかったりするそうだ。住み心
しい家なのに改修をするのはどうであろうとい
地という点を考えていくと、
問題点は沢山ある。
う石野さんの意見を聞いた。 古い家屋は段差が多く、お年寄りにとっては住
現在の小浜市の事業では、改修する人の負担
みづらくなる。また、道幅が狭く緊急車両が入
が重過ぎる。重伝建に対して賛成を示す住民が
ることが出来ない。また、家は互いに近接して
増えてきている中だが、今の段階では実際に改
いるので駐車場を取るスペースが無い。また観
修をすることは難しそうな現状である。理解者
光面を考えても駐車場スペースが無いことは致
が増えてきているとはいえ、住民が暮らしなが
命的だろう。小学校の移動による空きスペース
ら伝統的建造物群を保存していくことが前提と
を駐車場に使うという対策を取っているが、そ
して行われるため「住民の合意形成」がキーと
れだけではこれらの問題に太刀打ち出来ない。 なるのだろう。これが現在の小浜の町並み保存
活動の現状なのではないか。 しかし、伝統的な家屋はマイナス面だけでは
ない。古いということで落ち着くことが出来、
気密性により暖かさや涼しさを保つことが出来
おわりに るという。 住民のパイプ役という目線から
町並み相
住民と市とのコミュニケーションの問題を
談員とは、先述したように住民と市のパイプ役
考えると、過去に重伝建に対する誤解が生まれ
を担っている。そのような役割を果たしている
てしまったため、住民に対する説明は慎重にし
町並み相談員さんのお話から、小浜の町並み保
ていかなければならない。町並み協議会が行っ
存について考えてみる。 た視察の視察先では、重伝建に対して反対する
石野さんが町並み相談員になったきっかけ
人は押し切るところもあったという。たとえ、
は、建築関係の仕事をしているということもき
それでまちづくりとして成功していると言えて
っかけの一つだが、町並み相談員に女性がいて
も住民の意思を尊重しているとは言えない。小
も良いのではないか?という疑問からだという。
浜では、やはり賛同を求めていくと澤口さんの
石野さんは町並み協議会の役員もしておられる
お話であった。 方だが、協議会発足当時は女性が入る余地はな
中川さんが言っていたように「外を残し、生
かったそうだ。2005 年からなるべく女性に参加
活していける保存を作れるか、皆で考えていけ
してもらうように変更した。女性が家庭のお金
ることが重要だ」ということが今の小浜の町並
を握っていることもあり、夫婦で地区内での視
み保存活動にとって全てなのだと思う。2人の
察研修に訪れるといったように、理解者も増え
町並み相談員さんの話から、住民だけではなく
てきたように感じるという。1991 年に町並み保
活動をしている自分達自身が小浜の町並み保存
存活動が始まった頃は誰かがやってくれるだろ
に対して認識が変化したという点が共通項だっ
うと他人事に感じていたが、今は説明しなけれ
た。
町並み保存活動が始まったのは 1991 年度で
ばならない立場。すぐに活動が軌道に乗ったわ
あり、実は長い年月を経ている。それだけ、ま
けではないが、現在は自分たちに責任があると
ちづくりとして新しいことをしていくのは難し
いう自覚が生まれたという。 いということであり、住民に賛同してもらうの
現在、小浜市の景観形成助成事業によって改
は大変なのだということを実感できた。 修を行う際の一部を補償されている。ある程度
しかし、実際に住民の理解は生まれている。
のお金を負担しなければならない中で実際に改
先述したように、市は 2006(平成 18)年度をめど
21
に地区合意形成を図っている。その後、07 年度
参考文献 中に国へ申請を行う予定である。選定までもう
大河直躬・三舩康道『歴史的遺産の保存・活用
すぐなのである。 とまちづくり
改訂版』学芸出版社、2006. 小浜の人々は、近所付き合いが良好で、運動
小浜市役所企画経営部企画調整課世界遺推進室
会やバレーボール大会、祭りなどの時には物凄
『町並みを活かしたまちづくり-西部地区
い結束力が生まれるという。全国で地域のコミ
の伝統的建造物群保存地区の指定に向けて
ュニティが深刻化する中、このような地域の結
-』
(2006 年 1 月) 小浜市役所『小浜西部地区の町並み保存につい
びつきも手伝って、皆で生活していける保存を
て』 考えていくことは上手く進んでいくのではない
か。 参考 HP 全国伝統的建造物群保存地区協議会 (まるやま・ゆうか 2 年生) http://www.denken.gr.jp/ ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/ 元料亭「蓬莱楼」だった建物
西部地区にある「町並み保存資料館」
三丁町に残る、もと芸者置屋だった伝統的建築
佐竹邸の箱階段
22
小浜市西部地区における伝統的町並みをいかしたまちづくり ―
暮らしと保存の両立「動的保存」を目指して
― 小
谷
朋 はじめに 建造物群保存地区」選定制度が目指す、まち景
観の在り方とはどのようなものなのか。 以下では、この論のキーワードとも言える
小浜市は福井県の南西部に位置する都市で
ある。
「大陸文化の玄関口」として、過去に都
「重要伝統的建造物群保存地区」選定制度の概
の置かれた奈良や京都と古くから交流があり、
要、小浜西部(旧市街地)の町並み保存をめぐる
文化的に見て「海のある奈良」と称され、室町・
3つの視点、そして小浜西部地区における観光
江戸時代には丹後街道の要所として、経済発展
化の可能性と課題、空き家利用などを考察して
を遂げてきた地域である。若狭湾でとれる食材
いきたい。 を朝廷へ献上していた経緯から「御食国」とも
呼ばれていた。 1「重要伝統的建造物群保存地区」選定
制度について そんな小浜市の行政が、いま力を入れている
のが「食育・食農事業」
「町並み保存事業」
「小
浜ブランドの確立・PR」
「寺社仏閣の世界遺産
1)制度の概要 登録推進事業」などである。私はこのうちの「町
歴史的文化遺産としての価値ある建造物を
並み保存事業」に興味を持った。 保存する制度としては、国による「重要文化財」
小浜市が選定を目指している「重要伝統的建
あるいは「国宝」指定制度が有名である。これ
造物群保存地区」選定制度、いかにも重そうな
らの制度は建造物単体の保存を目的としており、
この制度名は「重要文化財」や「国宝」を想起
町並みのような広範囲に適用することはできな
させ、選定されたら「住めない」
「触れない」
い。
そのため 1975 年に文化財保護法の改定が行
のではないかという不安が私の中に芽生えた。 われ、新たに「重要伝統的建造物群保存地区(以
そこで生きて、暮らしている人がいるからこ
下、重伝建)
」選定制度が設けられた。 その「まち」であり、どんなに美しい町並みが
これは文化財の定義に「周囲の環境と一体を
残っていても、生活する人がいなければ「まち」
なして歴史的風致を形成している伝統的建造物
とは言えない。人のいない建物は「博物館」に
群で価値の高いもの」を加え、
「伝統的建造物群
近い。 及びこれと一体をなしてその価値を形成してい
私の想像に反し、
「重要伝統的建造物群保存
る環境を保存するため」保存地区を定めた制度
地区」選定制度は、歴史的・文化的に価値ある
である。 町並みを「まち」として保存するために定めら
1975 年に文化財保護法の改定が行われるま
れた制度であった。 での「重要文化財」や「国宝」などに代表され
どうすれば町並みを保存と「まち」としての
る文化財指定方法は、一応は所有者の承諾をと
保存を両立していけるのだろうか。
「重要伝統的
るものの、法的には国が一方的に指定すること
23
が可能であった。しかし重伝建選定制度では、
そして 2002 年 10 月から「小浜市歴史的景観
市町村が保存制度を作って保存を図っているも
形成助成」という町並み保存の支援制度を行っ
ののうちから、文化庁(国)の文化財審議会が「重
ている。この景観形成助成事業では、歴史的景
要」と認めたものが選ばれる、とされている。
観形成地区内の家屋に対して、町並みに合った
「まち」は多くの人が住み、生活している場所
外観形成のための工事費用を市の財政から一部
であるため、政府からの押し付けではなく、住
補助するというものである。 民の十分な理解を前提としなければ、保存を続
市の景観形成助成事業が適用される例を挙
けていくことはできない。そのため重伝建選定
げてみると、 制度には、一方的な「指定」ではなく、住民の
① 建物の大規模な外観工事(修理、改築、増築
理解を前提とした「選定」という言葉が使われ
など) ② 門・塀などの修理、改築、増築や、垣・策
ている(吉田桂二『日本の町並み探求』)。 2)小浜市の「重伝建」選定に向けた取組み の新設、改良など 小浜は丹後街道という歴史的街道の要所で
③ 建物外観の色彩変更など(※一部分でなく、
あり、丹後街道の発展に伴って発展してきた。
半分以上の色彩変更) とくに西部地区(旧市街地)は、商家町・茶屋町・
④ 案内看板等の新設、改良など 寺社通り等、辻ごとに趣が異なる古い形態のま
などが挙げられる。 ちの特徴を残し、商家・町屋(庶民の住宅)・お
助成事業が開始されてから今までに、この助
茶屋(料亭)などの建物が数多く残っている。小
成事業を利用した改修事例を具体的に挙げてみ
浜における「町並み保存」の始まりは、1988 年
ると、 に茶屋町(料亭の組合)に建物の保存を考えても
① 家屋外観全体の改修工事 らえるよう、市が話を持ちかけたことだと言わ
② 家屋の外壁工事(トタンから焼杉板への変
れている。 更など) ③ ガッタリ新設工事 1990 年から小浜西部地区の町並み・家屋調査
も実施、文化庁(国)の文化財審議会にも「重伝
④ 屋根瓦の葺き替え工事 建選定地区として保存する価値がある」と判断
この4つに大きく別けられる。 された。 ちなみに③のガッタリとは、家屋の外部(主に
1993 年には西部地区の住民にむけて「町並み
通りに面した外壁)に設置された収納式の長椅
保存説明会」が実施された。1995 年には有志住
子である。私達が小浜を訪ねた時は生憎の悪天
民による保存団体「小浜西組歴史的地区環境整
候であったが、天気の良い日はガッタリを下ろ
備会(町並み協議会)」が成立した。その後 1997
して世間話やお茶をする住民の姿もあるという。 年には町屋再生モデルとして「町並み保存資料
3)助成金の比較 館」を開館、保存条例制定に向けた住民アンケ
現時点の助成事業で、外観改修のために小浜
ートも実施し、1998 年 12 月には「伝統的建造
市が補助してくれる金額は「100 万円を限度に
物群保存地区保存条例」を制定。 工事費用の 4 分の1まで」で、400 万円の修理
2001 年度に「保存地区決定にむけたアンケー
をしても、300 万円は個人負担である。しかし、
ト」を実施し、アンケート結果に基づき、小浜
これが重伝建選定を受け、国からの補助となる
西部の浅間・飛鳥・大原・鹿島・香取地区そし
と「(主屋補修の場合)800 万円を限度に8割ま
て男山・貴船・白鳥地区の一部、この8地区を
で」となり、例えば 1000 万円分の修理をしても
「歴史的景観形成地区」と定めた。 個人負担は 200 万円で済むのである。 24
比較してみると住民にとっても、市の行政に
住民に「町並み保存」の意思があり、地元が盛
とっても重伝建選定をうけた方が得なのは一目
り上がりつつ市(行政)がバックアップしてい
瞭然である。市は早く重伝建選定をうけようと
く、という形が理想的なのである。過去の行政
積極的に活動しているが、残念ながら未だ住民
による説明会の反省を活かし、今回は関係する
の合意が得られず、国へ選定申請ができていな
全ての部門から担当者を出し、
市役所の中で
「ワ
い状態にある。それはなぜなのか。 ーキンググループ」を形成、出前講座などの啓
発活動で住民に働きかけるなど、意欲的に活動
3
町並み保存に関わる人々:3つの立
している。 場から見た「小浜の景観」と「重伝建
しかし平日忙しい住民は「この日に説明会を
選定問題」 します」といっても集まれない。そのため説明
会に参加できない住民の家には、相手の予定に
1)3つの立場から あわせて説明に赴いている。Q&A を沢山つく
①行政:小浜市役所企画調整課・世界遺産推進
り、住民の疑問に素早く対応・返答できるよう
室 中川那々子さん 心掛けている。しかし、現在グループの担当者
小浜市は、実質的には 1990 年から重伝建選
は6人、スタッフの少なさは否めず休日返上で
定に向けた活動を行っている。活動開始から約
働くことも多いという。中川さんは「歴史に関
16 年経っているが、未だに住民の合意が得られ
する事業が沢山あるのに、財政的・人手的に大
ていないのは、過去に行われた住民説明会にお
変苦しい。仕事をこなすだけになってしまいそ
ける「説明不足とそれによる住民の誤解」が原
うなのが嫌である」
「今は小浜西部地区をメイン
因だと言われている。 に話を進めているが、
(まだ補助が適用されてな
1993 年に行われた「町並み保存説明会」は西
い地区とはいえ)東部にも良い所が沢山残って
部8地区各1回ずつしか行われず、説明会の内
いる。例えば遠敷地区の景観保存にもいずれ着
容も、
「重伝建制度でいくら補助金が出るのか」
手したい」と小浜市の景観事業の展望について
という補助金の話がメイン。数人の職員が予め
も語ってくれた。 作ってあった文面を読み上げ「説明」するだけ
②住民グループ:小浜西組歴史的地区環境整備
のものであり、住民の質問にも「担当が違うか
会(町並み協議会)会長 澤口輝禅さん ら答えられない」
ということが多かったという。
有志住民による町並み保存団体「町並み協議
その結果、住民の理解が得られず反対派が多く
会」会長の澤口輝禅さんは「丹後街道沿いに発
なってしまったのだろう、と中川さんは言う。 展した古い町並みを保存しつつ、まちづくりを
していきたい」と思ったという。 一度根付いてしまった反対感情を打ち消す
のは容易ではない。住民の理解を得る為には、
「西部地区の歴史的町並みは保存する意義が
見ていればいいということではない。時間の経
ある」という意識の啓発から入らねばならない。
過によって老朽化した部分を直す等、誰かが手
「雰囲気作り」が出来なかったのが、前段階に
を加えなければ壊れてしまうのである。
「保存す
おいて行政が犯してしまった失敗だと行政自
るだけでもお金がかかってしまう。重伝建選定
身が痛感しているという。 を受けることができれば、国から補助金が出る
ので、保存もしやすくなるだろう」と澤口さん
「上から下へのトップダウン式ではなく、い
はいう。 かに市民の中に同じ考えの人を増やせるか、を
考えなければならない」と中川さんは考える。
「保存する」というのは、手を加えず黙って
2001 年に市がとったアンケートでは、西部地
25
区住民の 57%が反対、これをうけて市長は重伝
仮にも「大陸文化の玄関口」として栄えてき
建選定の申請を
「時期尚早」
と判断し見送った。 た小浜である、
その歴史は大切にしていきたい。
「住民の意見を聞き、きちんと手続き・手順
「玄関」がこれでいいのか、行政やまちづくり
を踏み、賛同もしくは同意を得て進まなければ
協議会のように「重伝建だけ」でなく、
「小浜全
ならない」と澤口さんは語る。重伝建選定には
体」を考えていくことを、まち景は目標として
住民の合意が必要不可欠である。現段階で
掲げている。 7,80%の住民の合意を得ているらしいが、澤口
しかしいきなり大きなことはできない。古い
さんは「もうすこし」
「見切り発車で指定を受け
ものをどう保存し、引き継いでいけるか。統一
ては必ず反発がくる」と住民の合意を得ること
性のあるまちづくりの為には、研究を重ね、時
の大切さを説く。住民からしてみれば伝統的建
には行政に意見を言うことも必要であると考え、
築の家屋は「古い・暗い・狭い」の三拍子が揃
「まちづくり」に関する知識の底上げから活動
い、
「保存していこう」ではなく「壊して新しく
はスターとしたという。 してしまおう」という意識が高い。住民の理解
活動開始初期はメンバーの家で勉強会を開
がまだまだ不十分で、地元に住んでいても歴史
いていたのだが、人数も増加する中で「活動拠
的文化への理解は少ない為、保存する必要性か
点」として、人の集まる空間が必要となってく
ら説かねばならない状況だという。制度をそし
る。そんな時期に、造り酒屋のご主人から、1
て伝統的建築の家屋のよさを理解してもらうた
つの提案が出されたのである。 めに他地区へ(時には他県へ)研修視察旅行も
2)まち景の拠点施設「蔵夢(くらぶ)」の成立 行ったりもしている。 2002 年、老舗の造り酒屋・丹波屋のご主人の
自分たちの地域を知るということは「まちづ
提案を受け、店舗裏で物置となっていた蔵を賃
くり」の実践の第一歩である。町並み協議会は
貸契約・改装し、地域文化拠点「蔵夢」を立ち
毎月「町並み月報」という報告書を西部地区(行
上げることとなった。 政 8 区)内の約 450 戸全戸配布。商家見学(紹
2003 年 5 月から、まち景の活動拠点としての
介)や研修旅行の記事、町並み保存に関する情
「蔵夢」が本格的に動き出す。まち景の勉強会
報も載せている。
「月報」は自分のまちに対する
「蔵塾」も定期的に開催し、天然塗料の勉強や
認識の変化を促すためのひとつの手段であり、
体験、自然エネルギーをどう使うかなど環境に
観光客にも小浜のまちづくりの様子がわかるよ
優しい、
環境を壊さない建築材料の学習を行い、
うにと、町並み保存資料館にもバックナンバー
時には会費を使って外部から講師を招くなども
が置いてある。 しているという。 ③建築専門家集団:小浜まち景観研究会(まち
今年の勉強会のテーマは「よい風景・悪い風
景) 景」だという。電柱・ビル・街路樹などを写真
現在のメンバーは約 40 人、メンバーの大半
で撮ってきて CG で合成(理想の創造)
。各グル
が建築家・大工・コンサルタントなど各方面の
ープで検証結果をまとめ、定例会で出し合い、
専門家である。1998 年頃から「まちの景観が乱
「できることなら少しでも実現したい」と、最
れてきてないか」と気にし始めたことが「まち
終的には市に提出することを目標に活動してい
景」
の始まりだと元会長の新宮正幸さんはいう。
る。 彼らの目からみた今の小浜は「すき放題な色・
「蔵夢」は、まち景の活動拠点であると同時
形の家、道も無理やりに作られすぎている」と
に「地域文化拠点」でもあり、演劇・コンサー
いう。 ト・地元のアーティストの個展なども開催して
26
いる。落語家をよぶこともあり、近所には常連
の行政は「地域文化拠点としてのイベントの開
さんもできているらしい。
「勉強だけでなく、落
催は多くなっており、地域交流も見られるが、
語もコンサートも、何だって文化になる。ここ
あまり景観形成の面では表立った活動がみられ
にきて、いろいろなことを楽しんでほしい」
「会
ない。建築関係の会員が多いのだから、部会を
員同士の勉強会では真剣な話の場、だけど、も
頻繁に開くなど、建築関係方面への働きかけを
っと柔らかな面で小浜の良さをわかり、好きに
してほしい」という要望を持っている、と市役
なってくれる人が増えるのもいいと思う」と新
所の中川さんは言う。行政の言う「景観形成の
宮さんは語ってくれた。 面」とは、どこの景観形成なのだろうか。 まち景の副会長、津田浩一郎さんは「重伝建
3)まち景の目指す「まちの景観」のあり方 まち景の目指す活動は「小浜全体」の景観形
選定の問題には直接関わっていない。一歩おい
成である。彼らにとって、小浜市の市街地に在
て見ている感じ」
「僕らは僕らの、提案というや
る「つばき回廊」は、まち景の人々にどう見え
り方で動く。行政の理屈に乗る相乗型組織では
ているのだろうか。 ない。いったん市に関わったら、その後も上手
に使われてしまう」と語る。 「つばき回廊」とは小浜市街地中心部に位置
市民主導のまちづくりのためにも自主独立
する大型ショッピングモールだった建物である。
民家や商店街の建物に比べ高層のため、離れた
して、自分たちが体験したことを形にして市に
地区からでも視界に入る建物である。中心テナ
提案すること、小浜まち景観研究会は行政から
ントであった西友の撤退によって、今は道に面
完全独立しているからこそ、しがらみにとらわ
した1階部分などに少数のテナントが営業して
れたり、活動が制限されたりすることもないの
いるだけで賑わいはなく、商店街の中で静かに
だという。 「蔵夢を拠点として、町並みを変えようとは
佇んでいる。 「行政は読みが甘い。100 年先をみろとは言
思っていない。ただ、住民の視点をちょっと変
わない。しかし先を見ておかないといけない」
えてやろう、とは思っている」と津田さんは語
と新宮さんは語る。
「つばき回廊」の所在地は、
る3。 昔はまちの「真ん中」だったかもしれない、し
かし今や郊外型ショッピングセンターの時代で
4
重伝建選定予定地区における、まち
づくりの課題 ある。いつかは西友が撤退する、その後どうす
るかも視野に入れて建設するべきだったのだ、
と言っても後悔先に立たず、である。西友が撤
1)
「静的保存」と「動的保存」 退して今のようにハコだけ残っても、一度建て
「まち」を保存する、というのはどういうこ
てしまった建物を壊すのは難しい。テナントが
とであろうか。
日本の歴史的文化遺産の保存や、
入っていなくても、照明や清掃など維持費はか
景観を活かしたまちづくりに関する著作を多く
かり続けるのだ。残された負の財産をどうして
残している建築家の吉田桂二氏は、保存の方法
いくべきなのか、対応を考えると同時に、これ
を「静的保存」と「動的保存」の2つに区分し
からは、町の景観にそぐわない建物の建設が、
ている。前者は、
「重要文化財」あるいは「国宝」
不用意に認可されないよう規制していけるよう
にしなければならないだろう。 3
4)まち景と行政、それぞれの考え まち景では「まち景観のがったり広場」瓦版とい
うものを発行している。配布されるのは会員のみだが、
「蔵夢」におけるまち景の活動について、市
HP に掲載することで、誰でも閲覧可能な状態である。
http//www.viplt.ne.jp/machikei/
27
指定制度などに代表されるように、
「文化財その
道の整備などを国の補助金で行うことができる。
ものの本来の姿」の保存が目的とされ、時の流
防火設備はもちろんのこと、日本海に面する小
れや環境の変化によって価値が失われないよう
浜にとって融雪器具の整備は生活していく上で
に、日常生活から「隔離」することで保存をな
非常に重要である。
また電柱埋設や道の整備は、
している。しかし町並みの保存ともなれば、日
風情あるまちの景観形成に有用だろう。三丁町
常生活の場である「まち」の住民のことを無視
の道を石畳に変えるという案も出ているという。
した保存はできない。そこに生き、生活してい
まち景の方々に見せていただいた CG による合
る人たちに配慮した形での保存を考える必要が
成写真を見ても、電柱がなくなるだけでまちの
ある。吉田氏は、住民の生活から保存対象を隔
雰囲気は随分と変わる。 離した「静的保存」に対して、保存対象と住民
ただ電柱埋設工事は普通に電柱を立てる 5~
が共存する「暮らせる保存」を「動的保存」と
10 倍の費用がかかるという。地区内全ての電柱
している。昔ながらの生活を強いられるのでは
を一度に移動させるのは無理な話であり、どこ
なく、歴史的な形態と今の生活を両立させるこ
の電柱から優先的に電柱埋設工事を進めていく
とが動的保存の目的である。いくら立派な町並
かなどは住民が真剣に議論し、市に対して積極
みを残したとしても、暮らしにくければ住民は
的に働きかける必要がある。実際に埋設工事を
他地域へと流出してしまうだろう。人のいない
行うとなれば、住民が出した要望を、市が国に
地域は「町」であって「まち」ではない。
「まち」
伝えて初めて実行に移されるからだ。国や行政
を保存するため、重伝建制度は動的保存を掲げ
など、
誰かが勝手にやってくれるわけではない。
ている。 住んでいる住民が積極的に動かなければならな
い。 小浜市が重伝建選定地区にしようと考えて
3)重伝建選定によってもたらされるメリッ
いる小浜西部 8 区の中でも、特に伝統的な建造
物が群立している三丁町、ここが重伝建選定さ
ト・デメリット れた場合どんな変化がもたらされるのであろう
住民にとっての直接的なメリットは、家屋の
か。 維持管理に必要不可欠な「改修・補修費用の補
2)法と現実 助」であろう。2)で前述したように、今の市の
まず建築基準法に基づいて緊急車両を通れ
補助制度では住民の個人負担の割合が高く、重
るようにしなければならない。軽自動車が 1 台
伝建指定を受け、国の補助制度を利用したほう
通るだけでいっぱいいっぱいの三丁町において
が明らかに得ではある。 瓦の葺き替えにしても、伝統的なサンシュ瓦
は、
セットバックは必要不可欠だ。
古い町並み、
を維持し、仮に全面葺き替えするとなれば小さ
古い家では難しい。 町屋は細く・長く・隣とピッタリくっつくこ
な家で 100 万、
大きな家では 200~300 万もかか
とでお互いが支えあうようにして建っている。
ってしまうからだ。現行の市の補助制度であれ
加えて木造家屋である。どこか 1 軒でも火がつ
ば 200 万円中 150 万円が個人負担、重伝建制度
けば、延焼は免れないだろう。 であれば 40 万円の負担で済む。 「町並み保存」をするには法の縛りが多く、
しかし一見得に見える補助制度にも落とし
矛盾点も多い。
「法律と現実は決して相容れない。
穴がある。補助金は「外観の改修・補修」にし
保存の為にも法律の網の隙間を探していかなけ
か適用されないのである。通りから見える部分
ればならない」と、まち景の津田さんはいう。 しか補助金は出ないため、通りに面した部分し
重伝建指定されれば防火・融雪・電柱埋設・
か改修しないという人もいる。表は板壁・瓦屋
28
根、裏はトタン屋根という例も多い。 2 軒目は佐竹邸の向いに位置する村田邸で、
重伝建制度は重要文化財指定制度と違い、建
明治元年創業の老舗料亭「蓬島楼」だったが
物の中は、自由に作り変えることが可能だ。
「外
1989 年に廃業した。主の村田さんも佐竹さんと
観だけ揃えればよい」という考え方には賛否両
同じく、自らは市内他地域(水鳥地区)に新居
論あるが、考え方を変えれば「今の生活スタイ
を構え移住しているが、こちらの場合は頻繁に
ルに合わせて住みやすく改修してもよい」とい
家屋の手入れに帰宅している。1989 年まで営業
うことになる。 していたためか、村田邸には往時を偲ばせる品
ちなみに、白鳥地区にある新宮さんの家は、
が数多く残されている。現存する調度品は、布
2 階は息子夫婦の趣味でバリ風、裏庭は仲間と
団の収納できるタンス・卓型の囲炉裏・芸子さ
騒ぐためのバーベキューガーデン。だが「正面
んの三味線などである。
たくさんの備品の中に、
だけは和風」であるという。実際に通りから眺
確かな「生活感」が感じられた。 めてみたが、軒先にバリのお面が飾ってある以
村田邸には、昔はかまどが2つ、井戸とくみ
外、他の伝統的家屋となんら変わりは見られな
上げ式ポンプ、箱階段もあったが、実生活に支
かった。 障が出ない程度に改築も加えられている。ちな
みに表の塀は昔のまま残っているという。 「よい町」は住民にとって住みよい空間であ
ることが大前提である。
若者からお年寄りまで、
5)転居する理由 伝統的な家屋は残しておくだけで維持費が
すべての年齢層が住みつづける為にも「家」は
重要である。
「住みやすい家とはどんなものか」
かかる。村田さんの場合、伝統的な家屋・日本
4)
「ひと」のいる町並み、
「動的保存」のあり
ものの調度品の維持・管理など、今までは蓬島
方の模索 楼での「儲けがあっての補修」だった。今は廃
ひとが生活を営む場、それが「まち」である
業したこともあり補修も難しくなってきている
という。 以上、
「ひと」と「まち」は切り離すことがで
きない。はじめに書いたように、どんなに美し
市としては、(今の改修にかかる補助金制度だ
い町並みが残っていても、生活する人がいなけ
と住民の負担が大きいため)「早く重伝建選定を
れば「まち」とは言えないと私は思う。 うけて、
重伝建制度の補助金を利用してほしい」
伝統的な建造物が最も密集しており、重伝建
と考えているのだが、実際は、家屋修繕を重伝
選定の要となる「三丁町」では、人の居住して
建選定まで待ちたかったが、待てなかった、と
いない建物が増えているという。住民はなぜ伝
いう例もある。三宅邸では例年の台風などの影
統的な建造物から離れていったのであろうか。 響もあり、
瓦の老朽化が激しく雨漏りしていた。
今回の調査では三丁町の 2 軒の伝統的建築の
主は
「このままでは床や調度品が傷んでしまう」
家屋に入り、見学させてもらうことができた。 と憂えて屋根瓦の葺き替えを決意したという。
1 軒目は佐竹邸、主は 90 歳を超え、自分では
逆に「いつ重伝建選定地区になるんですか?」
維持管理できないが「なんとか残すだけでも」
と、補修見送り状態を継続している邸もあると
と、邸を改修した大工と市に管理を委託し、自
いう。 らは他地域に居住している。邸内には箱階段や
村田さんによると「伝統的建築家屋は水まわ
格子窓など古い家具や建具も残っていたが、日
りの使い勝手が悪く、段差も高い、高齢者には
常生活に必要なものが置かれていないせいか、
ちょっと生活しづらい」のだという。昔ながら
人が住んでいない建物はどこか空虚感に満ちて
の畳の「座敷」は落ち着くが、障害や寝たきり
いた。 の状態になった時のことを考えると敬遠せざる
29
をえない。
しかも古い家屋は窓を開け閉めして、
保存」ではなく「静的保存」になってしまう。
風を通さないとすぐにかびてしまうらしく、残
そこで考えていきたいのが空き家の有効利用で
すのならば維持管理も大変だ。 ある。 6)住みやすい家とはどんなものか 1)空き家利用の提案 どこの地域でも高齢化が問題になっており、
今回の聞き取り調査でお話を伺った方々の
もちろん小浜も例外ではない。むしろ住民の高
意見、
既に有効利用されている物件の例を基に、
齢化問題は深刻だ。町並みが保存されても「高
空き家の有効利用案を考えてみたいと思う。 齢者には住みづらいから」と住民が皆こぞって
① すでに新居を持っている人でも、セカンド
転居してしまっては、
「動的保存」を目指した制
ハウスとして改修し、趣味の空間を創出し
度の意味がなくなってしまう。村田さんの話だ
たり、週末に帰省感覚で利用したり、親戚
けでなく、実際に2軒の家屋の内部を見学して
や仲間が集まった際の集いの場として活用
感じたのだが、たしかに伝統的建築の家屋は、
する。 段差は高いし、階段は急傾斜なうえに手すりは
② 短期・長期滞在者や近郊の学校に通う学生
存在しない。高齢者にとっては危険が多い。
「重
のための格安な賃貸物件化。都留市内にお
伝建選定地区となっても、建物の中は、今の生
ける一部の大学生のように、
「友人数人での
活スタイルに合わせて、住みやすいよう自由に
ハウスシェア用物件」として入居者募集す
作り変えることが可能である」という事実を利
る。 用して、高齢者も安心して生活できる家屋にし
③ 市が管理委託を受けて、市営住宅化。新し
ていくことが求められるのではないだろうか。 く小浜に転入してくる家族などに PR。 階段や段差には手すりをつけ、お風呂やトイレ
④ 地域内のアーティストのアトリエ・個展と
などの水まわりを一所に集める。それだけでも
しての利用する(作品の展示販売など)
。 高齢者にはかなりの負担軽減となるであろう。 「まち景」の活動拠点であり地域文化拠点
バリアフリーを進めるにも改修費用が必要
である「蔵夢」も、以前は物置となっていた
だ、町並みを守り、なおかつ高齢者などが住み
酒蔵であった。老朽化し、あちこち傷んでい
続けるために必要な改修費用ならば、市行政が
た蔵を、研究会のメンバーの手で修繕・改装
助成金などで資金援助していく必要が出てくる
した。改修の際にも、土間にはサンワ土(赤土)
だろう。 を使い、あちこちの取り壊しになった旧家屋
から、建具等を貰って来るなど、少しでも過
5
三丁町の動的保存を考える:空き家
去の姿に近づけられるよう、それでいて活動
利用と観光化 拠点として使い勝手のいいように様々な工
夫を凝らしている。 ⑤ 小料理屋やカフェ・バーなど、地元住民の
仮に伝統的家屋のバリアフリー化が進められ
たとしても、佐竹さんや村田さんのように、す
憩いの場の形成 でに他地域に新居を構え、そこで生活を送って
実際に三丁町の中には「町並みと食の館
いる人の場合、改めて伝統的家屋に戻ってくる
酔月」や「スナックくまちゃん」がある。外
とは考えづらい。しかし、人の住んでいない家
観は周囲の建物と同じく伝統的な建築様式
屋であっても「定期的な空気の入れ替え」
「傷ん
で、看板がなければ傍目には飲食店やバーだ
だ箇所の補修」など維持管理はしなくてはなら
とわからない。 ⑥ 地元住民、観光客双方が利用できる無料休
ないし、ひとのいない「まち」の保存は「動的
30
小浜西部地区の観光化を考えるならば、前述
憩所の設置 したように空き家を利用した休憩所や、地元ア
2)観光化の可能性と課題 重伝建に選定されたら、古い町並みに興味の
ーティストによるアトリエ、お土産屋など、観
ある人が小浜に訪れるきっかけになるかもしれ
光客の興味関心を惹きつけ、足をとめさせるよ
ない。私達が小浜に滞在した短い期間にも、寺
うな工夫も必要であろう。 観光客は町並みを見て回るだけでなく、「中
社散策の延長で古い町並みを眺めて歩く観光客
を何組か見かけた。伝統的な建造物が最も密集
に入ってみたい」と感じるかもしれない。 している「三丁町」を観光の一部として考えて
その際、小浜市の町並みに関する歴史的資料を
いくためには、
いったい何が必要なのだろうか。
展示している「町並み保存資料館」だけではち
まず考えられるのは駐車場の整備。一方通行
ょっと物足りないように感じる。世界遺産推進
しかできないような狭い路地にマイカーで遠慮
室の中川さんは村田邸(旧:蓬島楼)の活用を考
もなく入ってこられても困るが、三丁町を散策
えており、主である村田さん自身も、邸の維持
するには小浜ロッジの駐車場や海岸沿いに止め
管理・有効活用案に乗り気である。 歴史を知ることができる
「町並み保存資料館」
るぐらいしかできないのが現状だ。しかし、そ
もそも中心市街地や旧市街地は建物が密集して
と、往時の「お茶屋」の雰囲気を見学できる「村
いて、駐車スペースを増設する余地はなさそう
田邸」の2つがあれば、より深く小浜西部地区
な気もする。小型の観光バスが入れるくらいの
の「古い町並み」を知ることができるだろう。 駐車場は、
駅前か小浜ロッジのような宿泊施設、
川崎地区の「箸のふるさと館」などの観光商業
おわりに 施設に留まっている。 そして観光客相手のお店、例えば土産物を売
「小浜市西部地区における伝統的町並みを
る店、気軽に軽食や休憩がとれる施設の増設も
いかしたまちづくり」は、まだ動き出したばか
考えなくてはならないだろう。飲食店は中心市
りで課題も多い。しかし発展途上だからこそ可
街地までいけば多々存在するが、三丁町付近で
能性も無限に広がっていると言えるだろう。長
は「雅」や「酔月」の 2 軒ほどしか見受けられ
い時間をかけて、よいまちを作っていってもら
なかったように思う。 いたいと思う。 提案
ここでちょっと提案してみたいと思
今回聞き取り調査を行って、市行政・住民グ
う。
閉鎖が決まっているという小浜ロッジを
「古
ループ「町並み協議会」
・専門家集団「小浜まち
い町並み・寺社散策」の起点として活かすこと
景観研究会」という3つの立場から見た小浜市
はできないだろうか。駐車場もあるし、三丁町
西部地区の町並み保存を知ることができた。行
にも近い。軽食・休憩・お土産販売・観光案内
政には権力の行使力や財力はあるが制約が多い、
所の全てを兼ねることは難しくても、ロビーを
住民には制約は少ないが権力や財力がないなど、
開放して、お土産販売や観光案内などならばで
それぞれ立場が違うため、町並み保存に対する
きそうな気がする。 アプローチの仕方も様々だったが、町並み保存
電車を利用して小浜に訪れる人たちは駅が
に関わる人々に共通していたのは、
町並みの
「動
観光の起点となるが、車を利用する人たちにと
的保存」
を前提として活動していたことである。
っては、駐車場に車をとめてから観光がスター
田村明氏は著作の中で「
『まちづくりの実践』
トする。そこそこに整備された駐車場には「観
とは、行動を通じて環境を意識的に変化させる
光案内マップ」を設置する必要もあるだろう。 ことである。
『実践』とは、すでに決まった計画
31
や施策をその通り正確に『実行』するのと全然
(こだに・とも 3 年生) 意味が違う。
『まちづくり』
の実践の基本には
『理
念』や『理想』がある。それが『現実』と食い
違うときに、現実を理念に近づけるようにする
参考資料
行動の全体が実践である。理念とか理想をもた
吉田桂二『建築の絵本「日本の町並み探求」伝
ない場合には、どんなに大きな事業でも、既定
統・保存とまちづくり』彰国社 1988 吉田桂二『歴史の町並み辞典 伝統的建造物群
路線上の機械的な実行に過ぎない」と言ってい
る。 保存地区総集』東京堂出版 1995 小浜市西部地区の町並み保存に関わる人々
夏目幸子『高齢化社会の手引き「やっぱり我が
は、住民が暮らしていける「動的保存」を理想
家で暮らしたい―老いても自立できる住ま
に、それぞれが自分たちの立場だからこそでき
いづくり―」岩波書店 2000 る「まちづくりの実践」を行っているように感
田村明『まちづくりの実践』岩波新書 1999 じられた。そこで生きて、暮らしている人がい
小浜市役所(世界遺産推進室)で頂いたまち景観
るからこその「まち」であり、生活する人がい
に関する資料 なければ「まち」とは言えない。
「まち」として
「丹後街道と放生祭に生きるまち 町並みを
保存し、
「まち」として生きていくために理念を
活かしたまちづくり」
(小浜市役所企画調整
持って活動し続けることで、理想の「まち」に
課・世界遺産推進室 2006) 「小浜西部地区の町並み保存対策の経緯につ
近づいていく。 理念をもって行動し、理想に近づく努力をす
いて」
(企画調整課・世界遺産推進室) 「小浜市伝統的建造物群保存地区補助金交付
ること、これは「まちづくり」に限らず、どん
なことにも当てはまると思う。 要綱(案)」 町並み協議会発行『町並み月報』 今回、小浜市に滞在した数日間の調査を通し
て、
多くの人の様々な意見を聞くことができた。
小浜まち景観研究会発行『まち景のがったり広
場 瓦版』 「まちづくり」のことだけでなく、人間として
大切なこともたくさん学べたように感じる。 「がったり」のある家(西部地区で) 「がったり」を収納したところ 32
市民グループが進める景観形成によるまちづくり ―
小浜まち景観研究会の取り組み
― 南
本
真
澄 はじめに 蔵があるなどの特徴がある。これらの保存が求
められる。しかし、そこに暮らす住民は、建物
景観形成には、古くから残る建物を保存して
に対して古い、暗い、狭いなどという不満を持
いくというものと、まちの個性をあらわすデザ
っており、壊して新しく立て直したいという声
インを作り出し新しく建物を建てていくという
がある。また、遊郭街だったことを恥と感じて
ものがある。小浜市には、江戸時代中期から昭
いて、
その文化は隠したいという意見もあるが、
和 30 年代に建てられた町家が並ぶ景観があり、
茶屋文化を小浜の文化として大切にしようとし
この町並みの保存によるまちづくりに取り組ん
ている。 でいる。行政では、
「伝統的建造物群保存地区制
新宮正幸さん(前代表)にお話を伺った。ま
度(重伝建制度)」への選定を目指して景観形成
ち景は、小浜の景観形成について、小浜に残っ
に取り組んでいるが、制度への選定は遅れてい
ている景観はどのような文化を背景とするもの
る。そのような中で、行政とは別に、市民が集
なのか、その町並みを残していくためにどのよ
まってつくられた「小浜まち景観研究会(通称
うな取り組みが必要なのかを行政に提言をして
まち景)
」が景観形成に取り組んでいる。 いくことを目指して、
1999 年 11 月に発足した。
本レポートでは、行政とは違った専門性を持
小浜の景観を代表するのは、江戸時代末期から
つ市民グループが進める景観形成によるまちづ
明治時代にかけて建てられた町屋の家並みであ
くりとはどのようなものかを、まち景の活動を
る。しかし小浜には、まちとしての機能や生活
事例に考える。景観形成を、制度に適応させる
の便利さを優先させ、
小浜の良さを徐々に壊し、
ものではなく、地域の文化の良さを住む人に合
魅力を半減させてしまっているという現状があ
う形で守っていくものという視点でとらえ、地
る。この現状を見直し、小浜の文化とそこから
域の建築家が中心となって集まる「まち景」が
生まれた景観の良さを再確認し、工法を研究し
果たす役割と可能性とはどのようなものかとい
協力し合い、次世代にすばらしい小浜を残さな
うことについて述べたい。 ければならない。町並み景観・自然景観を演出
することで、住む人が潤いと安らぎを感じられ
1 まち景の成り立ち る地域を創造したいという思いがある。 景観形成に携わる上で、新しいものを抑制す
ることによって古いものを残していきたいとい
1)まち景の発足 う思いがある。しかし同時に、
「古いものを残す
小浜市で景観形成に中心的に取り組まれて
だけで良いのか?」という疑問も持つ。 いる小浜西部地区は、丹後街道を中心に発達し
た地区である。
江戸時代中期から昭和 30 年代ま
古いものを残すだけでそこに人の暮らしが
でに建てられた建物が残り、商家町、遊郭街と
無ければただのミュージアムになってしまう。
して栄えた茶屋町(三丁町)
、寺社、辻ごとに地
古い建物やまちの中で人が生活していることが
33
魅力になり、観光客のリピーターも増える。
「生
員に今後のまち景への活動参加に対する意向を
きていけるまちづくり」を目指す必要がある。 問い直している。この会員整理により現在では
2)まち景としてのアイデンティティ 40 名となっている。 まち景は、小浜で景観形成を進めていくにあ
現在では建築関係以外の分野からも、新聞社
たって、守るべき小浜の景観とはどのようなも
で働く人、民宿経営者、主婦、京都に住む外国
のなのか、どのような部分を直せば良いのかと
人の陶芸家など、
バラエティに富んでいる。2006
いうことを、具体的な形で行政に提言をしてい
年春には、小浜に U ターンしてきた 30 代の若
くことを目的としている。
「こうありたい」とい
者も加わり、若い力にも期待が寄せられる。女
う理念より「こうしてこうなった」という結果
性会員は1人と少ないが、
「女性パワーも重要な
を常に示し続けることが「まち景」としてのア
戦力になっている」
(まち景HPより)
。会員は
イデンティティなのだ
(
『瓦版まち景のがったり
近所の人が多い。仕事の上司に誘われて入った
広場』平成 16 年創刊号より)
。後に述べるが、
り、会の存在を口コミで知り参加したり、蔵夢
まち景は建築業に携わる人が中心となって発足
で開かれた行事に来た人がその後の飲み会にお
した市民グループである。
「まち景としてのアイ
いて勢いで参加したりすることもある。趣味が
デンティティ」とは、小浜の景観形成に第一線
きっかけの場合もある。飲み会だけに参加する
で日々取り組んでいるまち景の会員が、理念を
人もいるなど、会の雰囲気はとてもフランクな
語るだけでなく、その理念を現実に景観として
感じである。 まち景の参加や活動は他から強制されるも
形に表すことができるというパワーを示してい
のではないので、活動や企画が簡単に流れてし
るのではないか。 まうという問題もある。
勉強会に来ない会員や、
新宮さんにお話を伺った。まち景の活動拠点
である蔵夢がある小浜西部地区では、重伝建制
会費を払っているだけという会員もいる。研究
度選定への取り組みが進められている。しかし
会の設立から時間がたち、会員の熱が冷めてき
まち景では、西部地区のみでなく、小浜全体を
ているといえる。 活動の範囲としている。小浜の景観やその文化
まち景における
「会員」
とは年間で男性 10,000
を知り、守ることで、住民の町や住まいに対す
円、女性 8,000 円の会費を支払う者をさす。2005
る意識を育て、観光客を呼び、小浜をより良い
年度の場合では、会費のみで 374,000 円の収入
町にすることが目指されている。行政の動きと
があり、全体の収入の約半分を占める。 は独立し、建築に実際に携わる者が集まる市民
グループとして、小浜が取り組むべき景観形成
2 まち景の活動内容 について市に提言するという形をとっている。 このように、蔵夢を地域文化拠点として住民
1)まなびの活動-地元建築家の集まりとして の交流の場とすることで、集まる人に景観形成
新宮さんによると、まち景の活動内容は、
「ま
の取り組みを知ってもらう場になることも期待
なび」と「あそび」の 2 つに分けられるという。 できるだろう。 まず「まなび」の部分では、「蔵塾」という
3)まち景の会員制度 活動が進められている。蔵塾の参加者は主に建
新宮さんにまち景の会員制度やシステムに
築関係の仕事に就く会員である。2005 年度には
ついてお話を伺った。
まち景の会員は 1998 年の
計 4 回、2006 年度には 3 回の蔵塾が開催されて
設立当時は大工、土建屋、設計士などの建築関
いる(06 年 9 月現在)
。蔵塾で取り組んでいる
係の仕事に携わる方を中心とする 37 名で、
その
のは、柿渋の塗料作り体験や、古い家屋がもつ
後最大で 60 名にもなった。2006 年度には各会
理由について学ぶ、太陽光利用の家づくりを学
34
ぶなど、専門分野に特化されている。後継者不
の料金は利用目的ごとに定められている。地域
足によりなくなってしまう恐れのある若狭瓦作
活性化目的のイベントや活動に対しては地酒 2
りを職人に学び体験するなどの活動も行った。
升分(4,000 円)×日数、業者による販売活動
また、まち景主催のコンペとして、空いた敷地
など絵いる目的の活動に対しては地酒 3 升分
にどのようなデザインの建物を建てるのが良い
(6,000 円)×日数、集会など非営利で 8 時間
のかという案を全国公募したこともある。1 軒
以内の利用に対しては 500 円×時間となってい
のみのデザインを考えるのではなく、隣接する
る。この収益の一部は地域活性化のために利用
建物とのデザインのバランスを考慮したものを
されるという。この目的は、
「小浜の古き良き環
考えさせた。
この企画には 30 件程の応募があっ
境の中で、思い思いの個性や特技を表現・紹介
たという。 し、力強いエネルギーを共有し、すばらしい地
2006 年度に企画されているものとして、映画
域文化の拠点となること」
、
「人と人とをつなぎ
上映会と景観バスターズがある。映画上映会で
地域へ文化的エネルギーを発信すること」だと
は、小浜で撮影された映画の上映を行い、昔の
いう。 以上のようなまち景の「あそび」と「まなび」
小浜の景観を顧みる。小浜の良さを再発見する
良いチャンスにしようという取り組みだ(11 月
の活動は、新宮さんによると 1:1 の比重でそれ
23 日蔵夢で「まち景 なつかしの上映会」とし
ぞれ取り組まれているという。 て行われる)
。景観バスターズは、まず講習会を
3)本拠地「蔵夢」づくり 2回ほど開催し、その後参加者が小浜の景観の
2003 年 5 月からは、使われなくなり維持が困
良い点、悪い点をそれぞれ写真に撮ってきて、
難になった酒蔵を会員の手によってリフォーム
電柱の有無や看板のデザインなどで変えるべき
した
「蔵夢たんばや」
を活動の本拠としている。 ものを画像ソフトを用いて修正し、小浜の景観
蔵夢は、酒蔵として 50 年間使われていたと
をどのようなものにしていくのが良いのかを考
はいえ、そのままで使うことはできなかった。
える。最終的には発表会と行政への提案をする
古い道具などを片付け、梁・柱の洗い、床の張
というものだ。また、個人の家を登録文化財に
替え、物置の撤去、土間の改修など、改修は全
登録するための調査や相談も受け付けている。
てまち景のメンバーで行われた。延べ 122 人の
いずれも市内の景観向上に向けて、小浜の景観
スタッフやボランティアが改修に参加した。 に興味をもつ住民への公募がなされている。 はじめに取り組んだのは囲炉裏作りだった。
2)あそびの活動-地域文化拠点作り- 酒造りに使われていたものを再利用している。
次に「あそび」の部分では、蔵夢でのジャズ
蔵を改修する中で一番作りたかったのがこの囲
ライブや落語などを企画し、地域の方が集まる
炉裏だそうだ。冬の寒い夜に仲間と囲炉裏を囲
地域文化拠点としての役割を果たしている。蔵
み、焼いた肴で酒を飲むという夢があった。 夢のこけら落としには神田山陽の落語公演会が
初代会長は特に「たたき土間」を昔ながらの
行われ、手作りのたたき土間にむしろを敷いた
手法で再現することにこだわった。今ではたた
観覧スペースは観客でいっぱいになった。結婚
き土間の手法は完全に廃れており、作れる職人
式の 2 次会に利用されるケースもあった。ジャ
がいないうえに、工法を知る人もほとんどいな
ズライブはジャズを趣味とする会員がライブを
い。しかしたたき土間は調湿効果があり歩行感
行う。周辺住民への配慮からアンプなどは利用
がよく、何よりも時代的な雰囲気が味わえると
せず、生音のみでの演奏だが、蔵の中は音がや
いう。たたき土間を作る材料は、赤土と砂・ス
わらかく反響し、
音楽活動に適しているという。
サを水で練ったドコロン、石灰と凝固材のにが
蔵夢はスペースの貸し出しも行っており、そ
り、
仕上げの玉砂利。
これらを混ぜ合わせ敷き、
35
たたく。たたきの作業はかなり重労働で、当時
と町並み保存のつなぎ役になるのだと話された。
の酒蔵を建てた方の苦労を伺うことが出来たと
都会に住む人のセカンドハウスとしての古民家
いう (参考:まち景HP)。 再生にも取り組んでいる。直接的な目的はまち
の景観を変えることではなく、家づくり・景観
3 会員のまちづくりに対する「使命感」 形成に対する住民の考え方を変えるということ
だ。建物というハードの提供から、ライフスタ
1)地元建築家 イルというソフトの提供の両方に取り組んでい
新谷さん(会長)、津田さん(副会長)にお
る。家に入ってほっとするという感覚をまちづ
話を伺った。まち景に入ってみて、建築関係の
くりに活かし、
「ほっとする家づくり」から「ほ
仕事をまちづくりにどう活かすことができるか
っとするまちづくり」を目指す。 と考えた。
どこの市町村も都市化が進んでおり、
2)小浜西部地区の住民 小浜もまたその傾向がある。しかし小浜には風
まち景の前代表である新宮さんは、一度は小
情のある町並みが残っており、この町並みを残
浜を離れて東京で進学・就職したが、12 年あけ
していきたいという声も多い。建築業に携わる
て小浜に戻った。その時に小浜のまち並みの素
ものとして、歴史のある町に 1 つだけ意匠の違
晴らしさや文化などの良さを再発見し、小浜に
うものを建てられないという思いを持つ。 残る良いものを守っていきたいと思った。 建物は 1 度建ててしまえば 50 年~100 年とそ
実家は材木屋を営んでおり、築 80 年の町屋
の地に残り、まちの景観をつくっていく。建物
だが、老朽化が進み手を加える必要があった。
を建てるときには時間軸を大きなスパンで考え
リフォームは建替えるよりも高額な費用がかか
る必要がある。1 度に景観を変えてしまおうと
る。隣家同士が密接しており、それぞれが支え
するのではなく、後に述べる新宮さん宅のリフ
あってバランスを保っているという町家の特徴
ォームの例ように、手を加えなければならなく
上、新築するのが難しいという問題もある。自
なった時に、1 軒ごとに気をかけていけば、長
宅がある西部地区では重伝建制度選定に向けて
い目で見たときにまち全体の景観の統一が可能
の動きもあったため、新宮さんはリフォームす
となる。景観形成という視点をまちづくりに取
ることを選び、まち景のメンバーと共に小浜の
り入れるときには、
1軒ごとの設計をしながら、
伝統的な意匠に合わせてリフォームをした。こ
まち全体の設計もする、
総合設計が大切である。
の際、まち景の活動で作った柿渋の塗料なども
大手の建築会社とは違い、地域の実情を知る地
使用した。外装のみを制限したものなので、内
元建築士ならではの取り組みが可能だ。地域を
装は息子夫婦の希望により、2 階部分はバリ風
思いやった建築の取り組みを続けていくことで、
になっている。海沿いの地域に暮らす若い世代
「住めるまちづくり」が目指される。 の住まいに対する欲求も満たし、世代を超えて
満足して暮らせる家づくりが実現しているとい
チェーン店や娯楽施設のような店舗を地域
に引っ張り入れるのではなく、地元商店が繁栄
える。 できるように、不便さをも楽しみ、時間をかけ
3)建築業以外に携わる者 るプロセスを楽しむことによって、子供が帰っ
会員の木下弘明さんは、小浜駅前通り商店街
てこられる田舎作りを目指す。また、小浜が観
振興組合の会長である。木下さんは建築学科を
光立国を目指す場合にも、観光客のリピーター
卒業し、大学では建物・まち並み・都市計画な
を増やすためにはまち並みの綺麗さが重要不可
どを学んだそうだ。現在は商店街で眼鏡店を営
欠となる。 んでおり、建築業に直接携わっているわけでは
新谷さんは、地元建築家として、小浜の発展
ないが、まち景の創設者(現理事)である浜岸吉
36
満さんの熱意に押され、ジャズ演奏の趣味のつ
小浜西部地区の町並み保存について、市では
ながりもあってまち景に入った。まち景の活動
地域づくりの気運が盛り上がるようにと、町並
については
「遊びの中にも真剣さを持っている」
み保存資料館、町並みと食の館である元料亭の
と評価している。木下さんは商店街振興組合の
酔月の整備、景観形成事業等への取り組みを行
仕事とご自身の店の仕事を抱え多忙なため、ま
うとともに、市役所の組織体制では、2003 年 10
ち景での建築の専門的な活動には参加していな
月には歴史遺産振興室を企画調整課の中に設置
い。参加するのは総会くらいである。建築専門
するなどの動きを見せている。町並み保存につ
の活動は専門の会員に頑張ってもらいたいとい
いては、市の説明不足による行き違いもあった
う考えだ。 が、国の重伝建制度選定へ向けて、小浜西組歴
まち景は使われなくなった酒蔵を蔵夢とし
史的地区環境整備協議会(町並み協議会)と連
て改修した。
しかし、
小浜には蔵夢だけでなく、
携を図り住民の合意形成を進めている。 他にも古い建物が残っている。
まち景の中では、
2006 年度までの過程は次の通りである。1993
朝日座という施設の復元・利用にも取り組んで
年度より、
西部地区の町並み・家屋調査を行い、
いきたいという声もあると話す。 国(文化庁)が伝建地区として保存する価値が
まち並み保存を進めるために、景観法や景観
あると判断する。1996 年度より、地区住民への
条例といった法の縛りが必要と話された。同じ
町並み保存説明会を実施。1997 年度には住民に
駅前商店街の地域を通る堺住吉縦貫線という道
よる保存団体設置のため、地区から推進委員を
路では、道路拡幅のために道路沿いの建物の建
推薦する。1998 年度、小浜西組歴史的地区環境
て替えが行われた。2 階建てで屋根の張り出し
整備協議会設立。2000 年度、町家のモデルとし
を統一させるなどの規定があった。しかし、こ
て、町並み保存資料館を開館。保存条例制定に
の建て替えは住民協定のみで進められたため、
向けたアンケートを実施する。2001 年度 12 月、
統一感に欠けているという。 「伝統的建造物群保存地区保存条例」を制定。
はまかぜ商店街もいずれ修景の必要が出る。
2002 年度、保存地区決定に向けたアンケートを
現在、通路に花を飾るなどの活動が行われてい
実施する。賛成よりも反対が多いアンケート結
る。アーケードは設置されているが、30 年前の
果を受けて、市では反省すべき点として住民へ
もので、老朽化が進み、逆に通路を暗くしてし
の説明不足をあげている。この対策として、住
まっている。はまかぜ通り商店街は、条例が出
民への説明会の実施や、景観形成助成事業を実
来てからの修景になることが予想される。その
施している。 際は西部地区に合わせ、和風のデザインに統一
市では 2006 年度をめどに地区住民の合意形
するのが理想だ。しかし、商店街なので業種に
成を図ることを目指し、協議会の活動を展開し
よっては和風の落ち着いたデザインに統一する
ている。建物所有者の同意・登録がまとまった
というのは難しいのではないかと考えている。 後、2007 年度中に国へ申請を行う予定である。 以上のように、市・協議会では重伝建制度を
4 景観形成が果たす役割 活かしたまちづくりを目指している。しかし、
町並み保存に着手した 1993 年度から 10 年以上
1)小浜市の動き が経過する 2007 年度にようやく国へ申請を行
う予定であることから、地区単位での合意形成
市が発行した「小浜西部地区の町並み保存に
の難しさが伺える。 ついて」
「小浜西部地区の町並み保存対策の経緯
行政の意図と住民の負担
について」という資料によると、市が進める景
み保存への合意形成が遅れていることによって、
観形成の詳細は次の通りである。 行政による町並
37
中川さんは、
小浜の景観形成への取り組みは、
住民への負担が生じている。明治元年から西部
地区で料亭を営んできた「蓬嶋楼」5 代目のご
以前は市から住民へというベクトルだったが、
主人の村田さんにお話を伺った。 現在では住民から市に提言するというベクトル
村田さんは 1989 年に商売をやめてから、建
に変わってきているという。小浜のまちづくり
物の管理が難しくなった。段差の多い家は、体
がレベルアップしていると感じている。そのベ
を壊した奥さんと2人で住むには不便で、現在
クトルの変化を顕著に示すのが、まち景の存在
は別の所に住んでいる。現在は時々窓を開けて
であろう。 空気を入れ替えるために蓬嶋楼に来ているが、
まちづくりとは、地域で共有できる価値を見
将来的にはそれも難しくなってくる。しかし、
出そうとする行為である。したがって、意識啓
西部地区の茶屋町としての色を強く残す蓬嶋楼
発の結果、その行為が住民によって真剣に試み
は、地域の大切な宝であり、残していくべきで
られ、その果実として多くの住民に共有できる
ある。重伝建制度の選定を待てば、老朽化が進
価値が徐々に蓄積されていけば、共有できる価
む町家の建物の維持や管理も楽になるが、先に
値はやがて地域の風景の価値としての認識が確
も述べたように選定は遅れている。雨漏りをし
立していくことになる(西村幸夫ほか 2003)
。 ていまい、やむを得ず屋根を葺き替えてしまっ
まち景でいえば、理念を持った建築家の集ま
た家もあるそうだ。村田さんは、自分たちでは
りであるまち景の存在そのものが、景観形成の
町家をもう管理できないので、できれば市で管
取り組みが行政主導のものだけではないという
理して欲しいと訴える。 インパクトを与え、文化・ライフスタイルに合
常高寺の澤口輝禅さん、小浜市役所世界遺産
わせた無理のない景観形成をしようという意識
推進室の中川那々子さんによると、
このように、
啓発となっているだろう。また、まち景が住民
西部地区に家は残すがそこには住まないという
に対して提供するあそびの活動によって、まち
家があるという。重伝建制度選定が遅れている
景と地域住民と景観形成を結んでいる。その結
ことにより、住民に負担がかかり、住民にとっ
果として、まち景で改めて見直される小浜の文
て住みづらい地域になってしまう。重伝建制度
化・景観が地域住民へと伝わり、小浜の景観に
がスムーズに取り入れられなかった原因に、制
新たな守るべき価値が見出される。
この価値は、
度に対する誤解があった。いずれ建物を修理し
制度に合わせるために強制される価値ではなく、
なければならなくなった時に補助を利用して修
住民の内から出てくる価値である。景観形成に
理すればよいというものだが、住民の中にはす
は、住民が守ろうとしている景観を、なぜ守り
ぐに家を壊さなければならなくなるという誤解
たいのかということを把握していることが欠か
があった。また、規制がかかるのは外観のみな
せない条件となる。 このようにまち景は、住民に対して小浜の景
ので、建物の中は自由に建てられるという点に
観の価値作りを提供しているといえる。 対しても理解度が低かった。 3)小浜全体での景観形成 「人が住み続けられるまちづくり」にするた
景観形成により、観光客数を増加させること
めには、住む人の暮らしに合わせて住みやすく
も考えられる。 リフォームするというやり方もできる。また、
住み続けるものと住まないものには持ち主の事
木下さんによると、現在の小浜の観光の交通
情もあるので、蓬島楼のように住まないものに
手段はバス観光が中心である。バスで県外など
関しては、魅せるものとして指定文化財に出来
から団体でやってきて、市内各地をまわり、土
ないか検討する必要がある。 産物など買い物をして帰っていくという形が多
2)まち景が取り組むまちづくり い。しかし木下さんは、このバス型観光では小
38
浜の良さは伝えられないのではないかと感じて
拠地となる、酒蔵を自分たちの手でリフォーム
いる。駅前商店街、西部地区、海岸通りなど、
した蔵夢では、コンサートや公演などが企画さ
観光客の目に触れる景観は広範囲にわたる。西
れ、地域の人たちが集まれるスペースとなって
部地区のみ、駅前商店街のみの景観形成では、
いる。まち景は、小浜市において景観形成とま
景観が途切れ途切れになってしまい、観光客の
ちづくりをそれぞれつなぐ役割を果たしている。 足がそこで止まってしまう。観光客が市内をじ
また、まち景は、住民に対して小浜の景観の
っくり歩いて回れるようにするためには、駅か
価値づくりもしていると。まち景に集まる地元
ら市内各地への景観をつなげて、観光客を誘導
建築家は、自分たちが建てる建物1つ1つが小
するような市全体での取り組みが必要だとのこ
浜の景観を作っていく素材となるという自負心
とである。 から、地域を思いやる建築をしていく。行政が
提案 他の地域の例であるが、富山県井波町
行う町並み保存によるまちづくりを支えるのが
の瑞泉寺門前町では商家建築と井波町で盛んな
国の指定する重伝建制度だが、この制度への選
彫刻業とを組み合わせた景観形成が進められて
定は遅れている。その間も住む人の高齢化・建
いる。公衆電話、看板、各家庭の表札に彫刻の
物の老朽化はどんどん進み、住民に負担がかか
デザインを施したものにするなどの取り組みを
っている。重伝建制度選定による補助は大きな
行い、町全体のデザインに統一感を出す工夫を
ものだが、制度に無理に適応させるだけでは、
している。小浜市においても、旧市街地の地区
住民が住みづらくなり、いなくなってしまう。
名を書いた案内板を設置するという活動に商工
小浜の町並みの素晴らしさは、そこに生活する
会議所において取り組まれている。看板だけに
人が作り出すものである。人がいなくなること
とどまらず、小浜の産業をもPRしながら観光
により中身のない景観になってしまう恐れがあ
客を市内全域に誘導できればよいのではないか。
る。 井波町の例にならえば、各家庭の表札に地区の
まち景のメンバーが目指すように、1軒ごと
特徴を連想させるモチーフを取り入れるなどと
の建替えの際に小浜の景観は文化が作り出して
いった事が考えられる。西部地区では茶屋町を
いるものという点に気を配り、各家のライフス
連想させる三味線や扇子、地蔵などがあげられ
タイルに合わせた建築をすることで、
「人が住め
るだろう。 るまちづくり」が可能となるのではないだろう
西部地区に限定して取り組む行政とは違い、
か。 活動の対象を小浜全体とするまち景が、小浜の
(みなもと・ますみ 3 年生) 景観をむすぶ活動を行っていくのもよいのでは
ないだろうか。
まち景には小浜全体から建築家、
商店街関係者、民宿経営者やマスコミ関係者な
参考文献・資料 ど、様々な分野の人が集まっているので、スム
須山聡「富山県井波町瑞泉寺門前町における景
ーズに進められるだろう。 観の再構成―観光の舞台・工業の舞台―」
『地
理学評論』76‐13、2003. おわりに 西村幸夫ほか『日本の風景計画 都市の景観コ
ントロール 到達点と将来展望』学芸出版社、
小浜まち景観研究会(
「まち景」
)は、地域の
2003. 建築家を中心とした市民が集まり、発足した。
小浜まち景観研究会企画運営部会編『瓦版 ま
小浜の景観や建築を学び、考え、小浜の良さを
ち景のがったり広場』
(平成 16 年創刊号・秋
活かした建築を目指している。また、活動の本
の号) 39
小浜市役所HP 小浜まち景観研究会総会(平成 18 年 7 月)資料 小浜まち景観研究会HP http://www.city.obama.fukui.jp/ http://www.viplt.ne.jp/machikei/ 小浜市役所「小浜西部地区の町並み保存につい
て」 40
地蔵がつなぐ地域の輪 小
林
隆
博 はじめに 1 地蔵盆について 今回のフィールドワークで訪れた福井県小
まず地蔵盆について調べるために、市役所の
浜市の「若狭おばま観光協会」のホームページ
方の紹介で、鹿島区で丹波屋酒店を営む石田二
には、
「お地蔵さんマップ」が掲載されている。
三さんに地蔵盆について店の中でお話を伺った。
このマップは、2005(平成 17)年 8 月に市の中
年齢はおよそ 50 歳代である。
石田さんは自身が
心市街地活性化推進室が作成したもので、市内
小さい頃から地蔵盆に参加しており、地蔵盆に
に数多くある地蔵の写真や位置、個々のご利益
ついては詳しく、思い入れも強い。石田さんは
が載っているマップである。このとき私はこの
地蔵盆の詳細を説明して下さった。 町の地蔵の多さと地蔵盆という地域の伝統行事
地蔵盆は、昔、飢饉で亡くなった子供の鎮魂
に興味を持った。 のために行われており、子供のための祭りであ
フィールドワークで市役所を訪れた際に中
り、幼児から中学生までがその対象であるとい
心市街地活性化推進室の方に話を聞いたところ、
う。地蔵盆自体は全国的に行われているが、特
このマップの作成の目的は、町の中を散策する
に関西地方で盛んであり小浜では毎年 8 月 23
人が増えることで町ににぎわいが戻ってくるよ
日(新暦)に行われる。地蔵は普段、祠の中に
うにすることである。また、このマップを作る
安置されているが、地蔵盆の 2,3 日前に、子供
際に小浜小学校の6年生に、自分の住んでいる
たちによって海辺(人魚の浜)へ運ばれ、海水
地区にある地蔵のご利益などを調べてもらうよ
で前年に行った地蔵への化粧を落とす。
その後、
うに頼み、その小学生の協力を基にお地蔵さん
地蔵を乾かしてから化粧が行われる。化粧の塗
マップは出来たという。小学生が自分の住んで
料には絵の具やベンガラが用いられ、子供たち
いる地域の事を調べることで地域に関心を持ち、
の感性で化粧が施される。実際に白鳥区の極楽
自分のまちを大事にしようとする機運を作るこ
寺の境内にあった地蔵を見てみると、顔は白く
ともこのマップの作成の目的であるという。 塗られ、その上に顔や服などが描かれており、
こういった地蔵を利用した地域の活性化の
ハートマークが描かれた地蔵も見られ、この化
試みに私は大変興味を持ち、小浜市の中心市街
粧の様子から子供らしさが大いに窺えた。 地における地蔵の役割は大きいと感じた。地蔵
盆がどのような伝統行事であり、一般的に地域
の文化や伝統の伝承が難しい現代において地蔵
盆はどのような状況にあるのかを調べてみた。
また日常において地蔵を介してどのように地域
がつながっているのかを調べてみた。 写真 白鳥区の極楽寺境内の地蔵 (9 月7日撮影) 41
まれたことであるという。実際は番組で地蔵盆
子供たちは地蔵の化粧だけではなく、旗や行
灯などの飾りも自分たちで作る。本番は地区に
のことを紹介する人は他に決まっていたのだが、
よって異なるが、地区内の比較的広い民家や集
その人が本番の前に体調を崩していたため津田
会所で行われる。そこに祭壇が組まれて地蔵が
さんに頼むことになり、津田さんはこの依頼を
祀られる。地蔵の周りには子供たちが作った旗
二つ返事で快く受けた。津田さん自身は小浜市
や行灯や飾られる。子供たちは地蔵に参るよう
の出身であるが、鹿島区に住む以前に住んでい
に「まいってんのー」と、道行く人などにお参
た地域では地蔵盆は行われておらず、鹿島区に
りを呼びかける。地蔵盆が終わった後は地蔵を
来てから実際に地蔵盆に関わってみて関心を持
もとの祠に戻すのだが、
化粧はそのままである。
ったという。特に地蔵盆が子供主体で行われる
こうして地蔵盆が行われると石田さんは教えて
点に感心し、それを多くの人に伝えたいと津田
下さった。 さんは感じている。津田さんはそういった自身
また、地蔵盆が果たす役割を石田さんはいく
の経験や想いから、番組において、子供が主体
つか挙げた。まず、地蔵盆という行事を子供が
となって地蔵盆の準備や本番を行うことや、本
主体となって準備や本番を執り行うことで、子
番の際に貯まったお賽銭を子供たちが貰えると
供に現代を生きていく上での社会性や、一つの
いうことを中心に、5分くらいで地蔵盆の魅力
ことに向かって子供達が協力して達成させよう
を知ってもらえるように話したという。 とすることによって育まれる協調性が身につく
最後に津田さんは、
「この放送を聞いた人たちが
という。さらに、地域全体がコミュニケーショ
地蔵盆を通して小浜に興味や関心を持ってくれ
ンを取れる場でもあるので、お互いの顔の見え
れば嬉しい。最終的には地域の活性化や地域の
る地域社会が形成される助けにもなる。また、
輪が広がっていくことにつながれば嬉しい」と
地蔵盆に取り組むことで自分の住んでいる町に
言う。 愛着が湧くので、成長する上で大事な行事であ
ったと石田さんは感じている。 3 地蔵盆に関わる伝承の問題 2 地蔵盆をラジオ番組で紹介した人 小浜出身であり、幼少の頃から地蔵盆に関わ
っている谷原茂夫さんに話を聞くことができた。
鹿島区に住む津田真知子さんに自宅でお話
今と昔の地蔵盆の違いや、伝承面での問題点な
を伺うことができた。
年齢はおよそ 50 歳代であ
どについて話を聞けると思い、自宅で話を伺っ
る。津田真知子さんは今年(2006 年)7 月 21
た。年齢はおよそ 70 歳代である。 日に小浜市文化会館において、NHKのラジオ
谷原さんは、年少時は戦時に少年兵として従
番組の「ふるさと自慢うた自慢」という番組に
軍していた時期もあったが、その時期以外では
出た。番組の内容は、ゲスト歌手2人をリーダ
地蔵盆に参加したという。長年に渡って地蔵盆
ーとする地域の男性、女性各グループがふるさ
に関わってきたので、様々な問題が見えている
との自慢をすると共に対抗でカラオケで歌を競
と谷原さんは言う。 挙げられた問題点として、昔と今の子供の意
う視聴者参加型の番組である。津田さんはふる
識の違いとそれを取り巻く環境についてであっ
さとの自慢の際に地蔵盆のことを話した。 津田さんがこの番組に出たきっかけは、この
た。谷原さんが子供の頃は娯楽が少なく、地蔵
番組が小浜で行われる前に「自分の地域につい
盆などの地域の伝統行事などが子供たちの主な
て紹介する番組に出て地蔵盆を紹介してみませ
娯楽であり、心から楽しんだという。しかし、
んか」と番組スタッフと市民の番組担当者に頼
今の時代はモノが溢れており、子供たちにとっ
42
ての娯楽は、地域の伝統行事からテレビゲーム
の方はその3日後に亡くなってしまったが、西
などに移ってしまっていて、地蔵盆においても
原さんは「このおばあさんは自分の死が近いこ
昔ほど子供たちに熱はないように感じるのだと
とを悟った上で、自分の代わりに私に地蔵の世
谷原さんは語る。実際に最近は地蔵を海で洗わ
話を頼んだのではないのだろうか」と感じてい
ずに水道で洗っている様子がみられ、谷原さん
るという。
その高齢者の方が亡くなってからは、
は残念であると感じている。そういった子供を
西川さんが主に一人で地蔵の世話をしているの
取り巻く環境から地域の文化や伝統の伝承にお
だという。 いて問題が生じるという。現代では少子化が進
世話の内容は、主に地蔵の前に供えてある花
んでおり、昔に比べ大幅に子供が減っているの
と水を替えることと祠や花瓶の掃除である。花
がはっきりとわかるという。地域の文化や伝統
は月初めに必ず替え、
夏は3日から4日おきに、
を担う子供が減っている状況は伝承をしていく
冬は二週間おきに替え、水は季節に関係なく一
上で大きな問題であると谷原さんは危惧してい
日おき、もしくは毎日替えるという。祠や花瓶
る。昔一度子供が減った時期があったのだが、
などは汚れが目立ち始めたらタオルで拭くのだ
そのときは地区同士の合併が行われ、一つの地
という。地蔵の世話をする心構えとして、西川
区における子供の数は増えて何とかなった。し
さんは「こういったことは心から進んで行うこ
かしこの先はどうなるか分からないし、今の若
とが大事。ご利益のおかげか家族はみんな健康
者は都市部に出てってそのまま暮らしてしまい、
であるし孫も元気に成長しています。地蔵に感
帰ってこない事も多いと谷原さんは言う。 謝をしながら世話をしています」と話す。さら
私の中で自分の地域の伝統行事は印象が薄
に、
「今となっては生活の一部のようになってい
いように感じる。遊んだ記憶といえばテレビゲ
て、生活に張りが出る」と西川さんは言う。実
ームなどが主に出てきて、地域に関わることは
際に西川さんが世話をしている地蔵を見てみる
あまり出てこない。 と、花は枯れていることなくきれいに咲いてお
り、
水もきれいであった。
この地蔵の様子から、
4 地域の輪を作り、つなげる人 西川さんの地蔵に対する感謝の気持ちが大いに
うかがえた。 ここまで地蔵盆という伝統行事に目を向け
地域のつながりという面において、西川さん
てきた。最後に地蔵盆以外の日、つまり日常に
が世話をしていると近所の人が「いつもきれい
おいて、地蔵を介してどのような人がどのよう
にしてくれていてありがとうね」と感謝された
に地域の輪を作ってつなげようとしているのか
り、花を提供してくれたり水を替えてくれたり
探るため、地蔵の身の回りの世話をしている西
することもあり、西川さんは近所の方々の親切
川節子さんにお話を伺った。西川さんは大原区
を身にしみて感じているという。こういったこ
に住み、自宅の近くの地蔵の世話を日常的に行
とから西川さんは自分ひとりだけではなく地域
っている。年齢はおよそ 60 歳代である。 全体で地蔵を世話しているように感じ、地蔵を
通じて地域がつながっているようにも感じてい
西川さんが地蔵の世話を行うようになった
るという。 きっかけは、西川さんが世話をするようになる
前は近所の高齢者の方が一人で世話を行ってい
また、今後の事について西川さんは、「自分
たという。ある日、その高齢者の方が地蔵の世
自身が元気な間は地蔵と地域の方々に感謝の気
話を終えた帰り道に西川さんに「あんたも地蔵
持ちを持ちながら世話を続けていきたい。そう
の世話をやってください」と頼まれ、西原さん
した中でさらに地域のつながりも強くなれば本
は世話をするようになったという。その高齢者
望です」という。 43
外の人間から見ても魅力的な行事であるのだか
まとめ ら、その地域の人にとっても楽しくやりがいが
あるように思える。そのような地蔵盆の持つ魅
今回のフィールドワークで私は地蔵をテー
力をもう一度地域で見直し、改めて子供たちに
マの中心において、まず地蔵盆の概要に始まっ
伝えるようにしていくことも重要であるように
て、ラジオ番組で地蔵盆の紹介をした方の話や
私は感じた。 現代における地蔵盆の伝承の問題についての話
(こばやし・たかひろ 2 年生) を伺い、最後に日常的に地蔵の世話をして地域
の輪をつなげている人の話を伺った。伝統行事
を伝承していくことが困難になってきている現
参考文献・WEB 代において、小浜市の中心市街地における地蔵
小浜市役所中心市街地活性化推進室『お地蔵
さんマップ』 盆も例に漏れず困難に直面している。しかしそ
『伝承文化研究』第4号(國學院大學伝承文
の中で現在まで地蔵盆を続けてこられたのも、
化学会) 西川さんのような、影ながらに地域の輪をつな
ウィキペディア 「地蔵盆」 げている人の存在が大きいように私は感じた。
また、今回のフィールドワークで私は地蔵盆の
ことを初めて知り、フィールドワークのテーマ
にするほどに大きく関心を持った。私のように
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