第 5 章 真珠湾―アメリカにとっての「戦争突入への最善の方法」 1 問題

第 5 章 真 珠 湾 ―アメリカにとっての「戦 争 突 入 への最 善 の方 法 」
1 問 題 の所 在 と限 定
ハルの日米通商航海条約破棄に引き続き、第二次世界大戦勃発と第
三次海軍拡張法の成立のなかで、対日政策が経済制裁、対日戦決意へ
と転換されていく状況を海軍増強との関連を軸に検討し、アメリカの
第一の敵であるドイツ打倒のために、日本から仕掛けさせることによ
って戦争突入の最善の方法を選択し、圧倒的な海軍力により、戦後ア
メリカによる自由貿易体制を達成する状況を検証する。
2 第 二 次 世 界 大 戦 の勃 発 と第 三 次 海 軍 拡 張 法
(1)第 二 次 世 界 大 戦 の勃 発
① 大 戦 勃 発 と戦 略 なき海 軍 整 備
1 9 3 9 年 夏 、 ヨ ー ロ ッ パ で 戦 争 が 始 ま っ た が 、 ア メリ カ 人 の 誰 も が 、 ど ん な 形 に
せよ、アメリカ軍 がヨーロッパの戦 闘 に参 加 することはよもやあるまいと思 ってい
た。ルーズヴェルトもハルもアメリカはその局 外 にあるという国 民 の意 向 と表 向 き
には同 じく していた。 ルーズヴェ ルトは、三 選 に向 けた大 統 領 選 挙 戦 でも、その
可 能 性 を否 定 しアメリカ軍 がヨーロッパ戦 線 に送 られることはありえないと繰 り返
し述 べていた。一 方 で、1939 年 9 月 5 日 、ルーズヴェルトとハルは中 立 を宣 言
はするが、若 干 の修 正 を議 会 に要 請 し、イギリスとフランスに有 利 な中 立 法 の
実 践 を求 めていた 1 。
合 衆 国 艦 隊 は戦 略 的 指 向 がないまま、南 カリフォルニアの母 港 に停 泊 してい
た。海 軍 は予 算 獲 得 用 のオレンジ・プランに示 す艦 隊 決 戦 概 念 に執 着 してい
たが、政 治 的 なバックアップに欠 けたものであった。
大 戦 勃 発 が世 界 的 様 相 を示 すなかで、アメリカ海 軍 にとって、1938年 の第
二 次 海 軍 拡 張 法 以 来 の 本 土 お よび 西 半 球 の 防 衛 が 海 軍 予 算 獲 得 の 最 も 説
得 力 の あ る 理 由 で あ ったが 、 こ れ でヨ ー ロッ パ の 戦 争 に コ ミ ッ ト する こ と では なか
った。1939年 のレインボー戦 争 計 画 を最 優 先 して、陸 軍 は海 軍 の作 戦 基 地
の防 御 にあたり、アラスカからハワイ、パナマ運 河 、カリビア海 に防 御 線 を形 成
することで議 会 の承 認 を得 ていた。陸 軍 としては西 半 球 のラテンアメリカの親 枢
軸 国 にドイツの空 軍 基 地 が設 置 されるかどうかが関 心 事 であった。
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1940年 5 月 10 日 、ナチス・ドイツ軍 の西 方 大 攻 勢 が始 まった。24 日 、ダン
ケルク、26 日 、オランダ、ベルギーに侵 入 したとき、チャーチル首 相 は、アメリカ
がアイルランド防 衛 に参 加 すること、日 本 制 圧 の全 責 任 を取 ること、イギリスへ
の軍 事 物 資 の供 与 をルーズヴェルトに求 めた。1940年 5 月 22 日 、ルーズヴェ
ルトは陸 軍 省 の武 器 及 び軍 需 品 を急 ぎ余 剰 物 資 として提 供 することにし、194
0年 6 月 10 日 ヴァージニア州 、シアトルビルで演 説 して、一 歩 進 んだ考 えを示
し、アメリカの物 資 は侵 略 に敵 対 する国 に供 することが約 束 され、航 空 機 、駆
逐 艦 、銃 砲 その他 の軍 需 品 の供 与 が始 まった。
極 東 では日 本 が日 中 戦 争 の泥 沼 に落 ち込 んでいたが、アメリカがヨーロッパ
の植 民 地 をアジアで防 衛 することはできなかった。ルーズヴェルトは海 軍 戦 略 を
導 く 基 本 的 な意 思 決 定 を求 め られ てい たが 、 慎 重 に 世 論 の 動 向 を推 し量 っ て
いた。しかし世 論 はなお 2 分 した状 態 であり、ルーズヴェルトの意 思 決 定 はさら
に遅 れることになった 2 。
1940年 5 月 、ルーズヴェルトは、太 平 洋 艦 隊 のハワイ常 駐 を命 ずる。艦 隊 司
令 官 リ チャ ードソンは 何 度 も海 軍 作 戦 部 長 に書 簡 を送 り、その理 由 を質 すが、
スタークの答 えは、日 本 に対 する抑 止 であるという。リチャードソンは、「われわれ
の防 衛 の重 点 は西 半 球 防 衛 レインボー 1にあるのであり、西 半 球 防 衛 にハワイ
は 適 当 では な い 。 」 と 述 べ 、 彼 は 政 府 へ の 批 判 も 含 め 「 ア メリ カ の ア ジア へ の 国
益 は少 なく、第 2 の問 題 であり、ドイツ問 題 が重 要 だ」と強 調 した。明 確 な国 家
政 策 等 もなく、明 白 な安 全 保 障 に必 要 な兵 力 整 備 も、戦 時 の作 戦 もできない
という。1940 年 10 月 には、ルーズヴェルトに直 言 するが、受 け容 れられなかっ
た。
戦 略 と海 軍 整 備 には長 期 にわたるギャップが存 在 していた。ルーズヴェルトは
リチャードソンが考 えている以 上 にアメリカ海 軍 は強 力 だと考 えていかもしれな
い。議 会 から政 治 姿 勢 を要 求 され、ルーズヴェルトとハルはアメリカを戦 争 圏 外
に置 きながら、ドイツの攻 勢 と日 本 の膨 張 を止 めるという綱 渡 りを試 みていた。
② フランス降 伏 と戦 争 準 備
1940年 6 月 14 日 、フランスの降 伏 のもたらした影 響 は、アメリカの安 全 保 障
の構 図 を全 面 的 に塗 り替 えた。1940年 7 月 、ルーズヴェルトは閣 僚 に陸 軍 長
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官 として、共 和 党 内 閣 で陸 軍 長 官 、国 務 長 官 を歴 任 したスチムソン、海 軍 長
官 と し て 、 前 回 の 共 和 党 副 大 統 領 候 補 で あ っ た ノ ッ ク ス ( Frank Knox ) を 迎 え
入 れた。彼 らは高 名 な共 和 党 員 であり、これにより、彼 の大 統 領 三 選 への可 能
性 がいっそう強 化 された。いずれ、この大 戦 へのアメリカ参 戦 は不 可 避 と考 えた
ルーズヴェルトは、挙 国 一 致 内 閣 を名 目 に共 和 党 の大 物 を閣 僚 として取 り組
み、共 和 党 を分 断 して大 統 領 選 挙 に臨 もうとした。閣 僚 のうち、財 務 、国 務 、
陸 軍 、海 軍 の4長 官 で戦 争 内 閣 (プラスフォー)をごく内 輪 で構 成 した 3 。その
後 ルー ズ ヴ ェ ルト は ウォ ールス ト リ ート の 投 資 信 託 会 社 の フ ォ レスタル を海 軍 次
官 に任 命 した。フォレスタルの父 は名 の知 られた民 主 党 員 で、ルーズヴェルトが
28 歳 でニューヨーク州 議 会 議 員 に立 候 補 した時 に世 話 になったのである 4 。
③ 戦争指導体制
ルーズヴ ェ ルト は 陸 海 軍 長 官 に 代 わ って軍 の 主 要 人 事 を独 裁 す る こ と に な
ったが、とくに海 軍 の主 要 人 事 には熱 心 に介 入 した。従 来 陸 海 軍 長 官 の諮 問
機 関 であった統 合 会 議 (Joint Board)を大 統 領 直 接 補 佐 機 関 とした。第 二 次
世 界 大 戦 が 始 ま る と 統 合 参 謀 本 部 で あ る 統 合 参 謀 長 会 議 ( Joint Chief of
Staff ) を 作 り 、 軍 事 作 戦 に も 直 接 指 導 で き る 体 制 を 作 り 、 議 長 は 側 近 の リ ー ヒ
ー海 軍 大 将 を充 てた。
合 衆 国 艦 隊 司 令 長 官 にはキング(Ernest J. King)を任 命 した。キングは強 い
意 志 と実 行 力 を持 つ、戦 時 型 のトップに相 応 しい提 督 であったが、ノックスやフ
ォレスタルを無 視 する態 度 もあり、とても平 時 ならルーズヴェルトの選 択 外 にあっ
た人 物 であり、彼 の戦 争 準 備 の決 意 が伺 える。
④ 経済制裁発動
1940 年 6 月 28 日 の国 家 防 衛 法 (National Defense Act)が議 会 で承 認 さ
れた。1940 年 7 月 2 日 、国 防 強 化 を促 進 する貿 易 統 制 法 (Export Control
Act)に 署 名 して強 攻 策 を履 行 す る 大 統 領 の 権 限 が 拡 大 さ れ た。この 法 律 の 1
条 は、アメリカの軍 事 上 必 要 にして欠 かせない物 資 の輸 出 すべてを規 制 する
権 限 を大 統 領 に与 えた。この法 案 を成 立 させることによって、輸 出 は制 限 され
るか、完 全 に禁 止 された 5 。その 3 日 後 、日 本 への軍 事 関 係 物 資 の輸 出 を禁
止 した。1940 年 7月 26 日 、航 空 燃 料 、最 高 級 の鉄 鋼 とくず鉄 が特 別 規 制 の
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対 象 となり、日 本 への輸 出 が停 止 された。 1940 年 9 月 はじめ、日 本 はフラン
ス と 条 約 を結 び 、 こ れ に よ っ て イ ン ド ネ シ ア 北 部 へ 日 本 軍 を 平 穏 裡 に 進 駐 さ せ
た。国 務 省 はルーズヴェルトの同 意 を得 て、イギリスへの援 助 を拡 大 する一 方
で、1940 年 9 月 26 日 、日 本 へのくず鉄 の出 荷 を禁 止 して日 本 のインドシナへ
の動 きに対 応 するとともに、これらの地 域 の植 民 地 としての地 位 を保 全 すべく
外 交 的 支 援 を 始 め た 6 。 12 月 、 銑 鉄 、 鉄 合 金 、 鉄 の 半 製 品 を輸 出 許 可 制 の
下 に対 日 輸 出 をさらに制 限 した。
国 務 省 経 済 顧 問 ファイス(Herbert Feis)は、この処 置 は「言 葉 を実 行 に移 す
橋 渡 し 」 で あ っ た と 考 え た 。 当 時 日 本 は 必 要 な く ず 鉄 量 の 32 % 、 鉄 鉱 石 の
82%をアメリカから輸 入 していたのである。
(2) 第 三 次 海 軍 拡 張 法 の成 立 による「両 洋 海 軍 」建 設 の開 始
① 1941年 度 海 軍 予 算
1941年 度 海 軍 予 算 は、1938 年 の海 軍 拡 張 法 に基 づく海 軍 整 備 の延 長 に
あった。下 院 海 軍 省 予 算 小 委 員 会 の審 議 は 1940 年 1 月 4 日 から 17 日 まで
8 日 かけて行 われた。この間 ヨーロッパ戦 線 は奇 妙 な戦 争 といわれる戦 闘 のな
い状 態 が続 いており、上 院 予 算 委 員 会 の審 議 は 5 月 15 日 に予 定 されていた。
5 月 10 日 ドイツ軍 の西 方 大 攻 勢 が開 始 され、めまぐるしく状 況 が変 化 していく
中 で、審 議 しているものが古 くなる状 況 で上 院 修 正 案 を加 えて 27 日 まで審 議
が延 長 された。下 院 海 軍 予 算 はA予 算 (平 時 )であったものが、上 院 ではB予
算 (緊 急 )として8万 8000ドル追 加 された。その後 、次 々と 4 回 補 正 予 算 が追
加 されることになった 7 。
② 空 母 重 視 の両 洋 艦 隊
ドイツはフランス艦 隊 の喪 失 と大 西 洋 に面 する U ボート基 地 を建 設 すること
により、 U ボート 戦 を有 利 に 展 開 し、 一 方 船 団 護 衛 のイギリ ス艦 隊 は 手 薄 に な
ったが、アメリカの主 要 艦 隊 は太 平 洋 にあった。
強 力 な両 洋 艦 隊 の必 要 性 が強 調 された。閣 議 でこの問 題 が討 議 されたと き、
ハルは太 平 洋 艦 隊 が同 時 に大 西 洋 をカバーするように艦 隊 の行 動 範 囲 を拡
大 する こと は両 方 が うま くいかなく なるこ とだと強 調 した。 アフ リカのフ ランス艦 隊
基 地 に関 してヴィシー政 権 の行 方 がハルの頭 痛 の種 になっていた。
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大 西 洋 艦 隊 司 令 官 キン グ 中 将 は 大 西 洋 で 船 団 護 衛 を開 始 し てお り 、 大 西
洋 の戦 略 的 島 嶼 の占 領 を計 画 中 であった。まずナチスからの占 領 を未 然 に 防
止 するためにグリーンランド占 領 とアイスランドに米 軍 基 地 を設 置 することになっ
た 8 。海 軍 は久 しく大 西 洋 方 面 の基 地 を増 やしたいと考 えており、枢 軸 国 から
われわれを守 っている英 艦 隊 の力 をわれわれの駆 逐 艦 で増 強 するのだから、
われわれの防 衛 を強 めることになると考 えていた。
ハルの脅 威 の認 識 には、潜 水 艦 戦 の危 機 についても学 んでいた 9 。1940 年
8 月 4 日 、イギリス駐 米 大 使 ロシアン(Philip K. Lothian)がハルに駆 逐 艦 が毎
週 で 5 隻 喪 失 し て い る と い う ド イ ツ U ボ ー ト と の 大 西 洋 の 戦 い ( The Battle of
Atlantic)のすさまじさを説 明 した。 海 軍 基 地 貸 与 協 定 (駆 逐 艦 ―基 地 協 定 )
が 1940 年 9 月 2 日 に成 立 し、50 隻 の駆 逐 艦 をイギリスに貸 与 し、アメリカは
99 年 間 、西 インディ、バーミューダ、ニューファンドランド基 地 の使 用 権 をえるこ
とになった 1 0 。アメリカの海 上 正 面 が大 西 洋 に数 100 マイル拡 張 したことになっ
た 。 フ ラ ン ス が ド イ ツ に 降 伏 し た 6 月 14 日 に 第 三 次 海 軍 拡 張 法 ( Naval
Expansion Act of 1940)が成 立 して、ルーズヴェルトは艦 隊 の 11%増 を認 めた。
しかし、その計 画 はすぐに古 いものとなり、海 軍 省 は 17 日 には、四 次 計 画 とし
て 75%の増 勢 を要 求 して「両 洋 海 軍 」(Two-Ocean Navy)と呼 ばれる 125 万 ト
ン、現 存 の 2 倍 、40億 ドル、軍 用 機 15,000 機 に達 する計 画 を議 会 に要 求 して
承 認 を得 た。
第 二 次 海 軍 拡 張 法 と異 なるのは、海 軍 省 は、建 艦 プログラムの説 明 として、
ファシスト諸 国 および日 本 の侵 略 の時 期 に、アメリカ本 土 、大 西 洋 ・太 平 洋 両
岸 を同 時 に防 衛 する手 段 として同 計 画 を正 当 化 したことであった 1 1 。
ヨ ーロ ッ パの 戦 況 に 対 応 し て計 画 中 の 海 軍 軍 備 が 極 め て大 幅 に 増 強 さ れ て
い る に し ては 、 戦 略 な き 海 軍 整 備 で あ り 、 以 前 と し て 本 土 防 衛 以 上 の も の で は
なかった。「どこで戦 うのか、目 的 は何 なのか」という方 向 性 はあいまいのままで
あった。それでも海 軍 の質 的 な整 備 方 向 は、空 母 重 視 であった。1939 年 11 月 、
海 軍 作 戦 部 長 スターク大 将 は、4 万 5000 トン級 の戦 艦 2隻 を大 統 領 に認 めさ
せ、既 に認 可 されているものを含 めると総 計 12 隻 の新 鋭 戦 艦 が建 造 されること
になった。この間 、空 母 建 造 は戦 艦 に遅 れをとり、1936 年 4 月 から 1941 年 4
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月 までの 5 年 間 に 1 隻 が起 工 されただけだった。しかし、ヨーロッパでの空 中 戦
がもたらす衝 撃 によって逆 転 し、1940 年 7 月 から「エセックス」型 空 母 8 隻 が発
注 され、これ以 降 、戦 艦 は 1 隻 も発 注 せず、結 局 戦 艦 2 隻 は建 造 が取 りやめ
になった。
1940 年 計 画 の両 洋 海 軍 はしばらく海 上 に現 れることはなく、結 論 の項 で示 す
ように、この「エセックス」級 が就 役 するのが、1942 年 後 半 からであり、その後 日
本 海 軍 を圧 倒 する原 動 力 となる。戦 艦 は、海 戦 の主 力 艦 として戦 うことなく、着
上 陸 侵 攻 時 の援 護 射 撃 の役 割 に転 じてしまった 1 2 。
即 応 性 に関 しては問 題 があった。「われわれは準 備 ができているか」という問
題 は、報 告 書 として 1941 年 6 月 に海 軍 作 戦 部 長 へ送 付 された。参 謀 会 議 に
よると「アジアにおけるこの問 題 は、ほぼヨーロッパで決 定 されるだろう」という。
西 半 球 を防 衛 するために、報 告 は続 けて「われわれは、問 題 なくイギリス連 邦 と
ヨーロッパの政 治 的 、軍 事 的 な力 から西 半 球 における総 合 的 なある範 囲 を守
るために戦 争 に突 入 する。」という。
しかし、海 軍 はまだ両 洋 戦 争 の準 備 はできていなかった。参 謀 会 議 によると
「海 軍 は戦 争 に必 要 とする戦 艦 の 40%しかなく、重 巡 洋 艦 は 60%、軽 巡 洋 艦
は 30%、駆 逐 艦 が 40%」だという。実 際 問 題 として、海 外 に軍 隊 を輸 送 すると
いう考 えはなかった。またヨーロッパ大 陸 で戦 争 を遂 行 する後 方 支 援 にも考 え
が及 んでいなかった。もちろん太 平 洋 だけでも、両 洋 でも準 備 はできていなかっ
た。
(3) 大 西 洋 第 一 ・太 平 洋 防 御 戦 略
① 大西洋第一
ドイツと 日 本 の 脅 威 に対 して、 アメリ カの安 全 保 障 はヨ ーロッ パの 秩 序 に 依 存
していることが明 確 になってきた。フランス、オランダの敗 北 によって、南 米 およ
び南 太 平 洋 の植 民 地 がドイツの影 響 下 に入 る緊 急 性 とイギリスの敗 北 はカリブ
海 とアジア全 体 に及 びアメリカ本 土 、その海 外 領 土 への安 全 保 障 に係 わること
が明 白 になった。
1940年 11 月 、海 軍 作 戦 部 長 スタークは戦 略 目 標 に関 する覚 書 きを回 覧 し
た。スタークは海 軍 を戦 略 無 きまま放 置 した状 態 にさせたくなかった。彼 の上 司
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になるルーズヴェルト大 統 領 、ノックス海 軍 長 官 に海 軍 を「どこに指 向 させるの
か 」 と 意 思 決 定 を 求 め た 。 大 統 領 選 挙 も 終 わ っ て時 期 を 得 た も の と 考 え ら れ た
からだ。
ス タ ー クは ア メ リ カ が さ らに 援 助 し な け れ ば 、 イ ギリ ス は 長 期 に わ たる 戦 争 は で
きないと考 えてはいたけれども、イギリスの持 久 力 のお陰 で、アメリカは一 息 つけ
る時 間 ができた。1940 年 9 月 、海 軍 基 地 交 換 協 定 が成 立 して、アメリカはより
ヨ ー ロ ッ パの 紛 争 に 足 を 一 歩 踏 み 入 れ る こ と に な っ た 。 イ ギ リ ス は さ らに 北 大 西
洋 およびシンガポール向 けのアメリカ艦 艇 の支 援 を求 め、スタークは答 えねばな
らなかった。
スタークの覚 書 きのなかで、軍 事 と外 交 には国 家 目 標 を知 る必 要 があり、二
つの基 本 的 問 題 に対 応 する必 要 があると主 張 した。「どこで戦 うのか、目 的 は
何 なのか」ということである。スタークによると「私 としてはより論 理 的 な計 画 を立
て、 海 軍 力 をより適 切 に 配 置 し、 利 用 で き る 海 軍 力 が 外 交 手 段 を十 分 に 支 援
す る こ と が で き る 。 わ れ わ れ の 最 終 的 な 軍 事 目 的 が 公 式 に 回 答 さ れ る ま で、 規
模 または努 力 目 標 を決 定 することはできない。海 軍 の努 力 目 標 は、極 東 か、太
平 洋 か、大 西 洋 なのかということである 1 3 。
政 治 的 意 味 合 いの深 い抽 象 的 で不 完 全 なレインボー・プランを真 の軍 事 戦
略 に作 り変 えるために、スタークがルーズヴェルトに要 求 した 4 つの選 択 とは、
次 のものであった。 その1に、アメリカは西 半 球 防 衛 に基 本 的 な軍 事 的 努 力
を置 くべきか。その2に、オランダ、イギリスの支 援 をして日 本 に全 面 的 攻 勢 をか
けるべきか。その3に、ヨーロッパのイギリス、極 東 のイギリス、オランダ、中 国 に
軍 事 支 援 を与 える計 画 を立 てるべきか。その4に、アメリカの努 力 はイギリスを
同 盟 国 として大 西 洋 に強 力 な攻 勢 を直 接 指 向 すべきであり、太 平 洋 は防 御 で
あるべきか。この第 4 の選 択 はドック(D)プランとして知 られているものである。ル
ーズヴェルトはスタークのリストを読 んだも のの、どれも選 択 しなかったのである。
論 理 と し て Dプラン が 導 かれ 、 戦 時 の ア メリ カ 勝 利 戦 略 の 礎 石 と なっ た も の であ
る 。 ルイス ・モート ン は 著 書 『 指 揮 官 の 決 定 』の な かで、 「 第 二 次 世 界 大 戦 の 戦
略 の進 展 のなかでも、スタークの覚 書 きを最 大 に重 要 なドキュメントである」と述
べている 1 4 。
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スタークはルーズヴェルトの不 決 断 に直 面 して、「アメリカはどこで戦 争 を行 う
のか。そしてどの目 標 のために戦 うのか。」と自 問 して、彼 の答 えは「ドイツに勝
利 するために、ヨーロッパ第 1 であり、イギリスとの同 盟 によって大 西 洋 で強 力 な
攻 勢 作 戦 を取 る。」というものであった。スタークの注 目 点 は支 援 から戦 争 参 加 、
太 平 洋 から大 西 洋 へ、西 半 球 防 衛 からヨーロッ パ大 陸 に 参 入 する 海 外 にお け
る 攻 勢 作 戦 に 転 換 し た点 であ る 。 こ れ に よっ て、 太 平 洋 に 指 向 して い た陸 軍 も
海 軍 も逆 展 開 したこ とになる。それも中 立 志 向 の 強 かった最 中 に、 アメリカを同
盟 戦 争 に振 り向 けたものである。
安 全 と繁 栄 のため、アメリカ合 衆 国 は大 西 洋 、ヨーロッパの市 場 とその植 民 地
へのアクセスの自 由 な利 用 を堅 持 せねばならない。そのためにドイツを敗 北 され
ねばならない。これは、その後 1941 年 5 月 、ハルが全 国 放 送 で宣 言 した内 容 と
一 にするものであった。
スタークは国 家 が 戦 争 目 的 をまず考 え、それ を軍 が達 成 する道 を考 えてい た。
彼 は「ヨーロッパ大 陸 のドイツの席 巻 を破 壊 しなければならない。」と述 べ、如 何
にイギリスを支 援 したからと言 って、ヒットラーを打 ち負 かすことはできない。確 か
なことは、イギリスの生 き残 りは緊 急 にして最 優 先 事 項 である。イギリスが降 伏 し
て、 イ ギリ ス連 邦 が 崩 壊 す れ ば 、 ア メリ カ 合 衆 国 は その 貿 易 ルー ト が 閉 ざ さ れ る
危 機 に 曝 さ れ る 。 貿 易 と 原 材 料 な しに は 、 ア メリ カ 合 衆 国 経 済 は 崩 壊 す る で あ
ろう。アメリカは必 要 な武 器 さえも生 産 することができなくなる。もしイギリスが降
伏 すれば、西 半 球 は枢 軸 国 の侵 入 に晒 されるであろう。もしイギリスが降 伏 す
れば、敵 と戦 う前 進 基 地 を失 うことになる。ドイツの占 領 したヨーロッパに爆 撃 を
加 えることも攻 めることもできなくなる 1 5 。以 上 のスタークの考 えは、第 1部 4 章 3
の叙 述 内 容 に符 合 するものである。
一 方 ルーズヴェルトは明 確 な意 思 決 定 で縛 られたくなかった。大 統 領 はアメリ
カ 軍 事 力 が 不 十 分 だ と い う理 由 でアクシ ョ ン を避 けたかった。 彼 は 、 いずれ ア メ
リカが参 戦 せざるをえないと戦 争 準 備 体 制 を築 きながら、一 方 でアメリカを戦 争
の蚊 帳 の外 におきたかったのかもしれない。1940 年 の夏 になると西 半 球 への脅
威 は 減 ってい た。 そ の 後 も ルーズヴ ェ ルト は イギリ スの 支 援 以 上 に 行 動 する こ と
はなかった。
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ル ー ズヴ ェ ル ト の 政 策 で は ヨ ーロ ッ パ 第 一 で は あ る け れ ど も 、 中 国 を 支 援 しつ
つ、日 本 の拡 大 に対 抗 することと連 動 していた。彼 は国 民 の受 容 性 に目 配 りし
ており、ドイツの敗 北 は大 陸 での作 戦 を必 要 とするとするスタークの結 論 には承
認 を与 えなかった。したが って、 陸 軍 は兵 員 が 不 足 してい たが ため、 レイン ボー
5 は、条 件 、時 、それにいかに多 くの兵 員 がヨーロッパで必 要 であるかについて
も曖 昧 なままに置 かれていた。
ルーズヴェルトとチャーチルは海 軍 力 と航 空 機 による打 撃 力 を考 えていた。ベ
ルリン、ローマ、東 京 へ数 100万 の兵 士 を送 り出 すことではなかった。内 務 長
官 ハロルド・イッキーズの日 記 には、「1941 年 5 月 の閣 僚 会 議 で、大 統 領 は、ク
レタと東 地 中 海 戦 を説 明 した後 、これはあたかもわれわれはマハンのシーパワ
ー論 にわが軍 事 政 策 を戻 して再 度 戦 略 を創 設 せねばならいのではないか」と
述 べていた。ルーズヴェルトのお見 立 ては、イッキーズによると「現 在 の決 定 的
事 項 は制 海 にある」という 1 6 。
ABC-1 計 画 は、海 軍 大 将 スタークと陸 軍 参 謀 長 陸 軍 大 将 ジョージ・マーシャ
ルにより認 められ、統 合 陸 海 軍 参 謀 会 議 もこの線 に沿 って戦 争 計 画 を練 り上
げることで話 がついた。この計 画 は 1941 年 5 月 には完 成 し、レインボー5 として
組 み込 ま れた。 レインボー 5計 画 はABC-1 計 画 に 現 実 に 即 した考 え に 対 応 し
て改 名 したものである。軍 事 作 戦 計 画 ではないが、その目 的 と使 命 を大 統 領 の
承 認 をえる 必 要 があ った。 しかし大 統 領 は 承 認 しなかったが 、 認 め ない こと でも
なかったのである。彼 は付 き返 して主 張 したことは、「国 際 情 勢 は極 めて流 動 的
であり、どんな戦 争 計 画 を決 定 するにも未 成 熟 だ」という。毎 週 何 か新 しいこと
が起 こっていた。1941 年 1 月 にルーズヴェルトは軍 関 係 者 に述 べていたが、数
ヶ月 してから実 行 されるような計 画 に捕 らわれるな。われわれはいま何 ができる
かで行 動 する準 備 がなければならない。」という。戦 争 になった場 合 、計 画 した
戦 争 は他 の問 題 になっている 1 7 。
ルーズヴ ェルトは戦 争 前 の足 場 として軍 を進 めることはなかった。彼 の戦 略 は
大 西 洋 、 地 中 海 の 制 海 権 を確 保 する ことにより、 同 時 に英 米 連 合 軍 によるドイ
ツ本 土 の生 産 地 帯 への空 襲 によりドイツ戦 時 経 済 を逼 塞 させることができると
考 えていた 1 8 。
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スタークやマーシャルが欲 した誰 と戦 うとか、何 のためにという決 定 事 項 には、
ルーズヴェルトは誰 にも政 策 的 決 定 を示 さなかったのである。少 なくとも 1941 年
の春 ま では、ルー ズヴェルト の 表 向 きの 考 えは、 国 家 は 戦 争 を避 け ると言 うも の
だ った。 結 局 、 戦 略 的 ギャ ッ プ が 接 近 し、 ヨ ー ロッ パ第 一 、 連 合 して戦 争 を戦 う
というものである。そしてルーズヴェルトも少 なくともヨーロッパ第 一 主 義 に関 する
限 り同 調 していた。
ヘインドリックス(Waldo Heinrichs)によると、1941 年 春 のスタークの積 極 的
な船 団 護 衛 の熱 意 は、「イギリスをこれ以 上 失 わせることのないように、海 軍 はイ
ギリス船 を救 うために大 西 洋 の戦 いに参 加 しなければならない」と信 じたことが
大 きな動 機 になっていた 1 9 。
哨 戒 の準 備 、船 団 護 衛 、戦 争 の可 能 性 が 1941 年 に意 味 を持 ったものであり、
海 軍 大 将 キングが 1941 年 3 月 、指 揮 下 の大 西 洋 艦 隊 に送 ったメッセージは、
「われわれがもてるもので最 善 を尽 くせ」であった。1941 年 5 月 になると、スター
クは数 隻 のイギリス主 力 艦 がシンガポールに移 動 できる見 通 しがついたため、
太 平 洋 艦 隊 の 4 分 の 1 を大 西 洋 に移 す命 令 を送 った。航 空 母 艦 「ヨークタウ
ン」、4 隻 の軽 巡 洋 艦 、2個 駆 逐 隊 である。
Dプランは陸 海 軍 統 合 戦 争 計 画 に組 み込 まれていった。イギリスはスエズ運
河 以 東 の イ ギリ スの 覇 権 が 関 わ っ てい た と し ても 、 D プラン に 喜 ん でい た。 イ ギリ
ス 首 相 に は 分 か って い た こ と で あ る が 、 ド イ ツ に 勝 つ 唯 一 の 方 法 で あ り 、 そ れ に
向 かう第 1 歩 だったのである。1941 年 2 月 、チャーチルは第 1 海 軍 本 部 長 の
海 軍 大 将 ダードレイ・ポンド卿 に、「まずは、アメリカ合 衆 国 を戦 争 に引 きずり込
むことだ、われわれはその後 如 何 に戦 うかが解 決 できる」と述 べている 2 0 。
② 太平洋防御
全 面 的 攻 勢 で大 西 洋 を越 えて乗 り出 すことは、太 平 洋 には軍 を残 せないこと
を意 味 していた。戦 争 資 源 の有 効 配 分 政 策 を考 慮 すれば、スタークの考 えで
は、国 家 は極 東 へのコミットメントを減 らすべきであった。日 本 との紛 争 を避 け る
ことであった。大 西 洋 攻 勢 、太 平 洋 防 御 、これがスタークの選 択 だった。
大 西 洋 攻 勢 の言 葉 が明 白 になると、太 平 洋 防 御 の言 葉 が曖 昧 になる。政 策
で あ り 、 戦 争 計 画 で も あ る D プラ ン は 答 え ら れ な い 大 き な 問 題 を 残 し て い た 。 防
248
御 という意 味 は、アジアの現 状 の体 制 を維 持 するのか、多 少 なりともワシントン
条 約 体 制 を再 現 するのか。日 本 に強 制 してでも、 ヨーロッパの植 民 地 と中 国 だ
けを残 すのか。ヨーロッパの戦 争 の状 況 を分 析 すれば、アメリカ合 衆 国 だけが、
これらのシステムでも強 行 できたのである。このことは伝 統 的 なセンスでは防 御
を超 え てい たし、 大 西 洋 を危 険 に 晒 すこ と に なった。 ま た、 防 御 の 意 味 する こ と
は、フィリピン、中 国 、そしてイギリス、オランダ、フランスの植 民 地 維 持 が極 めて
困 難 な地 域 すべてを日 本 のなすがままに受 容 することになる。防 御 の定 義 から
すると現 存 する資 源 へのコミットメントと両 立 しがたいものになっていた 2 1 。
③ 揺 れる太 平 洋 防 御
1940 年 6 月 25 日 、イギリス軍 総 司 令 部 は、政 府 に対 して国 家 防 衛 のためイ
ギリス艦 隊 を太 平 洋 に派 遣 することは不 可 能 であり、中 近 東 から軍 隊 を引 き上
げてアジアに振 り替 えることもできないと通 達 してきた。同 年 6 月 27 日 、イギリス
大 使 は、アジアの現 状 維 持 のために戦 争 という危 険 をアジアで起 こすことはで
きないと伝 えてきた。チャーチルのイギリス政 府 はドイツの脅 威 に完 全 に曝 され
ていた。イギリスの軍 当 局 は、フィリピンおよびインドシナ以 南 への日 本 の進 軍
を阻 止 するには、マレー半 島 以 北 の前 哨 基 地 を犠 牲 にして、マレー半 島 およ
びシンガポールに兵 力 を集 中 する以 外 方 法 がないと考 えていた。
1940年 7 月 12 日 、日 本 の要 求 であった中 国 への武 器 その他 の軍 需 品 の
輸 送 を行 なう三 つの経 路 であったビルマ・ルートを閉 鎖 することをイギリス政 府
は受 諾 した。オーストラリア政 府 は、イギリス本 土 がドイツに占 領 される危 機 感 か
ら、日 本 に一 時 的 に譲 歩 してもアメリカ艦 隊 を大 西 洋 に移 動 できるようにすべき
であるとケーシー(Richard Casey)大 使 を通 じて勧 告 してきた 2 2 。ここに至 って、
太 平 洋 にあっては「戦 略 的 防 衛 」を維 持 することであった。
一 方 で、フランス降 伏 後 、対 日 経 済 強 硬 策 の主 張 があった。ハルは 1940 年
7 月 、ルーズヴェルトの陸 軍 長 官 となったスチムソンとしばしば談 合 して、スチム
ソンの持 論 を聞 かされていた。スチムソンは「ヨーロッパの代 わりにアジアこそ、は
っきりした攻 撃 を開 始 すべきだ」という。閣 僚 会 議 でも、大 統 領 との会 談 でもス
チムソンは日 本 に対 する石 油 、鉄 鋼 、くず鉄 の船 積 みをもっと禁 止 すべきだと
主 張 していた。日 本 は経 済 制 裁 に弱 い、従 って強 硬 策 が功 を奏 すると考 える
249
持 ち主 で、ホーンベックの支 持 者 でもあった。アメリカ艦 隊 がハワイからシンガポ
ールに移 動 すれば、攻 防 いずれの場 合 もシンガポールはアメリカの優 れた基 地
になると信 じていた。 1940 年 の夏 には、両 洋 艦 隊 法 が議 会 を通 過 し、秋 には
イギリスと の参 謀 会 議 、駆 逐 艦 ―基 地 協 定 、ハワ イ艦 隊 常 駐 問 題 、 対 日 スクラ
ップ輸 出 禁 止 の段 階 に進 んでいった。
国 務 省 の強 硬 策 支 持 者 の先 頭 は、ハルの政 治 顧 問 スタンレー・ホーンベック
であった。日 米 通 商 航 海 条 約 は 1940 年 期 限 切 れになり、アメリカは懲 罰 的 経
済 政 策 をとることが可 能 になった。5 月 24 日 、日 本 の戦 争 準 備 体 制 解 体 の可
能 性 が 急 増 したと 論 じ、 こ の ま ま 、 日 本 へ の 物 資 供 給 を許 さ なけ れ ば 、 日 中 戦
争 それ自 体 が解 消 すると記 していた。
1940 年 4 月 には、アメリカ太 平 洋 艦 隊 の主 力 は、ハワイの前 進 基 地 に移 動 し
ており、ルーズヴェルトはハワイに艦 隊 が常 駐 するように命 令 していた 2 3 。 ハル
は、1940 年 6 月 14日 のフランス降 伏 後 もアメリカのアジアへの関 心 が弱 まるこ
とはなく、 却 ってアメリカ国 民 は アジアでこ そ強 硬 策 をとること に意 欲 的 だと感 じ
ていた。このため、極 東 に対 するイギリス、オーストラリアの提 案 する宥 和 政 策 は
なんの効 力 もないと評 した。ハルは、7 月 19 日 に、日 本 との平 穏 な交 渉 を行 な
う時 期 は 過 ぎ てしま ったと 感 じてい た。 そして日 本 に 対 す る航 空 用 ガソ リ ン の 輸
出 制 限 を主 張 した。ハルは、7 月 24 日 、アメリカ太 平 洋 艦 隊 がハワイから引 き
上 げることにも強 く反 対 した。これから実 質 的 な完 全 禁 輸 を支 援 するには、ハワ
イにおける艦 隊 の常 駐 が有 効 であると考 えたからだ。ホーンベックの計 画 に対
して、財 務 長 官 モーゲンソーの強 力 な支 持 が得 られた。
し か し 、 一 方 国 務 次 官 ウ ェ ル ズ ( Sumner Welles ) 、 極 東 部 長 ハ ミ ル ト ン
(Maxwell Hamilton)は、日 本 に対 して、石 油 とくず鉄 禁 輸 を行 なってこれ以 上
圧 力 をかけ る 提 案 に は 反 対 であ った。 海 軍 作 戦 部 長 スターク提 督 、 陸 軍 参 謀
総 長 マーシャル将 軍 もアメリカの対 日 禁 輸 がオランダ領 東 インド諸 島 の石 油 資
源 を獲 得 するため南 進 を決 行 するだろうと論 じた。
3 国 同 盟 の前 後 からアメリカは日 本 に対 する態 度 を更 に硬 化 させ、40 年 の後
半 に は 輸 出 規 制 を 拡 大 した。 日 本 が 南 京 の 中 国 傀 儡 政 権 の 樹 立 を 発 表 した
その日 に、アメリカ輸 出 入 銀 行 から蒋 介 石 国 民 政 府 に 5 千 万 ドルの新 たな借
250
款 と日 本 への鉄 鋼 輸 出 規 制 を発 表 した後 、 マニラへの 新 たな艦 艇 を派 遣 する
と発 表 した。この発 表 で日 本 は更 にいらだつはずだとハルはルーズヴェルトと話
し合 った。また海 軍 省 はフィリピン防 衛 強 化 部 隊 を派 遣 するつもりだと発 表 する
件 でハルと話 し合 った。
アジアでの 融 和 策 に 反 対 しなが ら、 無 法 国 家 との 取 引 でハルが 考 え てい たこ
とは、明 白 なる脅 威 を与 えることなく、少 しずつ、推 測 を日 本 に与 えることが重
要 だ と 考 え て い た。 わ れ わ れ が 何 時 ど の よ う に して 戦 う 環 境 を 作 りつ つ あ る か を
日 本 に推 測 させることであり、日 本 が推 測 を続 けるうちに、アメリカは戦 争 準 備
を整 えるというものだった 2 4 。これは根 強 い国 内 の平 和 主 義 者 の反 発 を考 慮 し
て、 セン セ ー ションナ ルに ならぬ ように し、 軍 の 動 き や将 来 の 可 能 性 の ある作 戦
が 静 か に 進 め ら れ て 行 っ た 。 海 軍 省 も 確 信 し て 、 こ の 方 向 に 智 恵 を働 か す こ と
になった 2 5 。フランス降 伏 後 数 ヶ月 のハルの極 東 政 策 は、戦 争 準 備 を進 めると
いうものであったが、一 方 で日 本 の軍 事 物 資 が日 本 への流 入 するのを防 ぐ必
要 があった。もし 1940 年 の夏 頃 に極 東 に戦 争 が勃 発 していれば、イギリスへの
支 援 は、増 加 どころか縮 小 せざるを得 なかったと後 で述 べている。時 間 を稼 ぐ
必 要 があった 2 6 。
この国 内 の平 和 主 義 者 の反 発 を考 慮 した将 来 の可 能 性 のある作 戦 の静 か
な進 行 として太 平 洋 艦 隊 および大 西 洋 艦 隊 の誕 生 がある。1941 年 2 月 1 日 、
海 軍 はアメリカ合 衆 国 艦 隊 の名 称 を変 え、海 軍 大 将 キンメル指 揮 下 の太 平 洋
艦 隊 と海 軍 大 将 キングの大 西 洋 艦 隊 である。アジア艦 隊 は、海 軍 大 将 ハート
指 揮 のもとに、引 き続 き残 ることになったが、海 軍 長 官 ノックスが明 確 にしたの
は、アジア艦 隊 は 強 化 されないということであり、その艦 艇 はイギリスを支 援 する
ためにシンガポールに も派 遣 さ れないものだった。ハートによれ ば、彼 の 艦 隊 は
海 上 戦 闘 にはおそまつで、いままでも長 くそうだったようにアジア艦 隊 のすべて
の 艦 艇 は あ ま りに も 旧 式 で あ っ た 。 戦 争 準 備 の ため に 、 ハ ー ト は 自 分 の 艦 艇 を
既 に 上 海 からマ ニラ に 移 して い た。 太 平 洋 艦 隊 は 、 明 確 な命 令 も ない ま ま ハ ワ
イに留 まっていた。艦 艇 の数 隻 は大 西 洋 艦 隊 に移 されていた。陸 軍 はフィリピ
ンの要 塞 化 に一 抹 の不 安 を抱 きながら、1940 年 にスタークのヨーロッパ第 1 主
義 を受 け入 れ ていた。 陸 軍 は 陸 軍 長 官 スチ ム ソン ほど にはイギリ スの 支 援 に 好
251
感 を持 つてはいなかった。
日 本 に 対 す る 将 来 の 経 済 制 裁 ( Economic Sanction ) に 伴 う 海 軍 海 上 封 鎖
( Blockade) 作 戦 と し て は 、 艦 隊 決 戦 を 求 め て 太 平 洋 を 西 進 す る と い う 対 日 海
軍 作 戦 、オレンジプランの伝 統 的 な構 想 も保 持 していたが、アメリカ艦 隊 の西
進 への準 備 中 に、主 として潜 水 艦 による海 上 交 通 路 をかく乱 して日 本 を締 め
付 ける構 想 が盛 り込 まれていた 2 7 。1939 年 ドイツがチェコに侵 攻 し、イタリアが
アルバニアに侵 攻 した後 、アメリカ海 軍 省 は日 本 がヨーロッパ危 機 を利 用 して、
南 進 する のでは ないかと考 え 、アメリカ 艦 隊 のカリ ブ演 習 後 のニューヨ ーク世 界
博 覧 会 参 加 を取 りやめ、南 カルフォルニアのサンジェゴ海 軍 基 地 に帰 投 させた。
1940年 7 月 、イギリスは艦 隊 のシンガポール派 遣 を取 りやめ、イギリス海 軍 省
はアジア沿 岸 に艦 隊 を行 動 させることはできないと伝 えてきた。
アメリカの仏 領 植 民 地 に対 する関 心 とイギリスの関 心 は異 にしており、1940
年 7月 1日 、イギリス政 府 はフランスのために、インドシナ半 島 を守 る意 思 は全 く
なく、この地 を日 本 が占 領 することにも同 意 するかもしれぬ状 態 だった。
仏 領 植 民 地 マ レー 半 島 、オラン ダ領 東 イン ド諸 島 は 、 石 油 と ゴム 資 源 に お い
て、アメリカの直 接 利 益 になる重 要 性 を持 つ 2 8 。ハルはシンガポールからオース
トラリア、オーストラリアからアメリカに至 る太 平 洋 の協 同 戦 略 に関 して閣 議 で検
討 した。ハルが念 を押 したの は、日 本 が消 耗 させられているかどうかに関 わらず、
太 平 洋 の協 同 戦 略 、オランダ領 西 インドおよび東 インド防 衛 、シンガポール
防 衛 と英 蘭 共 同 防 衛 を緊 急 の問 題 として取 り組 まねばならないと主 張 した 2 9 。
1940 年 ドイツの オランダ占 領 が間 じかになると 、オランダ領 西 イン ド諸 島 と東
インド諸 島 の帰 趨 がハルの頭 痛 の種 となった。前 者 はラテンアメリカへのナチの
進 出 であり、後 者 は日 本 の進 出 である。ラテンアメリカへのナチの進 出 は政 治 、
経 済 両 者 の心 理 的 跳 躍 台 をナチに与 えてしまう。日 本 の東 インド諸 島 への進
出 は、アメリカ極 東 政 策 、フィリピン防 衛 に大 きな影 響 を与 えると同 時 に、日 本
に対 する経 済 制 裁 の遂 行 を齟 齬 することになる 3 0 。
英 蘭 がどれだけの決 意 でマレー防 衛 にあたるかが、英 蘭 共 同 防 衛 の鍵 となっ
ている。ハルは極 東 で英 蘭 を支 援 する政 策 を推 していたし、新 任 のノックス海
軍 長 官 も 英 蘭 と 共 同 して 日 本 を封 じ 込 め る ため 、 オラン ダ領 東 イ ン ドへの 軍 事
252
輸 送 を阻 止 することは可 能 とする楽 観 論 であった。当 面 、 太 平 洋 艦 隊 をハワ イ
に 駐 留 させ、 他 方 、対 日 戦 争 、 日 本 と 英 蘭 と の戦 争 を回 避 す る ため には 、あ る
程 度 の代 価 を払 う積 極 的 な外 交 が必 要 とされた。
極 東 における共 同 防 衛 と経 済 制 裁 行 動 は、実 行 に移 すとなると、曖 昧 のまま
であった。ノックス新 長 官 は英 蘭 と共 同 して日 本 を封 じ込 め(Containment)、オ
ラン ダ領 と日 本 間 の輸 送 ルート を阻 止 でき ると 考 えてい た。 ハルと しては、 戦 争
に至 らない対 日 経 済 制 裁 の考 えが人 気 を集 めており、「封 じ込 め」という戦 略 も
否 認 できなくなっていた 3 1 。しかし、海 軍 としては、対 日 封 じ込 めの命 題 に強 い
疑 念 があった。強 力 な対 日 軍 事 的 圧 力 を加 えることもできない極 東 政 策 を暫
時 再 検 討 せざるをえないと考 えていた。
3 「日 独 伊 三 国 同 盟 」ーアメリカの真 の敵 ナチス・ドイツと日 本 との勢 力 範
囲 の確 定 と軍 事 同 盟 締 結
(1) アメリカを対 象 とした「三 国 同 盟 」とハルの立 場
① アメリカを狙 った三 国 同 盟 1940 年 9 月
1938 年 8 月 、ミュヘン会 議 が行 なわれていた頃 、ハルはヒットラーの計 画 と決
意 に関 する限 り、もう引 きがねに指 がかかっているとみていた。
ハルが日 本 との戦 争 決 意 の引 き金 になったものは、1940 年 9 月 27 日 の日 独
伊 三 国 同 盟 (Tripartite Pact)に日 本 が署 名 したことである。三 国 は地 理 的 勢
力 範 囲 内 の指 導 権 を認 めたが、日 本 は中 国 、仏 領 インド、マレー、インドネシ
ア、オーストラリア、ニュージーランド、インドに及 ぶ覇 権 をドイツに要 求 していた
32
。日 本 外 交 暗 号 は既 に 40 年 から解 読 されていたので、三 国 同 盟 はアメリカ
を狙 っているとハルは考 えた。理 由 は、もし、いずれか一 国 がヨーロッパ戦 争 と
日 中 戦 争 にまだ巻 き込 まれていない国 (アメリカ)によって攻 撃 を受 けた場 合 、
相 互 に政 治 ・経 済 ・軍 事 上 の援 助 を行 なうことに同 意 していたためである。
1940 年 イギリスへのドイツの侵 略 は急 迫 しているものに思 え ていた。戦 争 計
画 部 はレインボー4、西 半 球 防 衛 計 画 に専 心 するために、日 本 との戦 争 準 備
を止 めてしまった。イギリスが自 国 をドイツの猛 攻 から守 り抜 ける見 通 しがついた
頃 、1940 年 9月 25 日 になって、戦 争 計 画 部 は、現 在 準 備 ができていないし、
今 後 数 年 備 えが 充 分 でない極 東 におい て重 要 な軍 事 計 画 を起 こさない ように
253
警 告 した。2ヶ月 後 、陸 軍 参 謀 総 長 マーシャル大 将 は「主 要 戦 域 である大 西
洋 における効 果 的 、かつ決 定 的 な作 戦 をとる我 が国 の力 を弱 めるような武 力 の
分 散 を避 けるべきである」と提 言 した。
1941 年 1月 に、ルーズヴェルトはグルー大 使 宛 に手 紙 を書 いて、ヨーロッパ、
アフリカ、アジアにおける日 独 伊 の戦 争 行 為 は、世 界 戦 争 の様 々な部 分 の総
合 体 であり、 アメリ カの 戦 略 は世 界 戦 略 でなけ れ ばならない と 述 べてい た 3 3 。 こ
の頃 になると、ハルの対 日 戦 争 決 意 に引 き続 き、ルーズヴェルトもようやく世 界
戦 争 参 加 への意 思 が固 まりつつあることが伺 える。
1941 年 1月 には、国 務 省 は輸 出 許 可 制 の対 象 をコバルト、ストロンチューム
等 の希 少 金 属 、工 業 用 ダイヤモンドを用 いた研 磨 剤 や研 磨 工 具 にも拡 大 し
た。
② ハルと米 艦 隊 のシンガポール派 遣 問 題 、1940 年 11 月
イギリス大 使 のロシアンとオーストラリア外 務 大 臣 が 1940 年 6 月 27 日 、極 東
情 勢 に 関 するイギリ ス政 府 の 覚 書 きをハルに 手 渡 した。フ ランス降 伏 後 イギリ ス
極 東 政 策 の 再 検 討 の 結 果 、 天 津 問 題 の ような問 題 では 日 本 と 妥 協 する が 、 こ
れに平 行 してアメリカは日 本 のアジアの新 秩 序 計 画 を拒 否 すべきだというもの
であった
34
。イギリスはヨーロッパと極 東 の両 方 で攻 勢 に対 抗 するには既 に不
可 能 であ り、二 つ提 案 してき た。一 つは アメリカが 日 本 への 全 面 輸 出 禁 止 を課
して更 に圧 力 を強 め、シンガポールに艦 隊 を派 遣 するように要 望 するもので、こ
れは戦 争 に繋 がる可 能 性 もあった。二 つは、日 本 と完 全 解 決 のため交 渉 する
というものであった。第 一 のコースに対 してイギリスはアメリカと協 同 するという。し
かし、 ハル は 海 軍 をシン ガポールに 派 遣 する 明 白 な理 由 が ない と 答 えた。 ルー
ズヴ ェ ルトと 話 し合 った結 果 も同 じだ ったが 、 ハルは、 シン ガポールへの艦 隊 派
遣 は全 大 西 洋 を取 り残 し、ヨーロッパを脅 威 に曝 すことになる、アメリカ艦 隊 の
主 力 は、既 に太 平 洋 、ハワイ近 くに出 ていると答 えた。日 本 に対 する経 済 制 裁
は既 に 39 年 夏 以 来 圧 力 をかけており、今 後 の制 裁 ステップリストを示 して説 明
し た。 当 時 ハ ルは 日 本 が イ ギ リ ス、 アメ リ カ に 戦 争 を仕 掛 け る 準 備 は ない と 考 え
て お り 、 同 時 に 、 ア メリ カ 太 平 洋 艦 隊 は 太 平 洋 に 留 ま り、 主 要 な 紛 争 に 巻 き 込
まれないで、経 済 制 裁 と艦 隊 の圧 力 で日 本 の力 を削 いでいけるものと考 えてい
254
た 35 。
1940 年 11 月 にイギリス大 使 がロンドンからワシントンに帰 って、ハルに合 いに
来 た。 日 本 は 間 もなく シン ガポー ルを攻 撃 す るらしい と 言 うの である。 海 軍 専 門
家 の話 では、アメリカ海 軍 がシンガポールに大 型 基 地 を造 ってくれれば、アジア
の完 全 な維 持 を護 ることになる。日 本 海 軍 が南 アジアに来 る前 に、アメリカ艦 隊
が シン ガポールに 留 ま っておれ ば、 日 本 が 介 入 する こ とは ない と 述 べた。 しかし、
ハルは海 軍 関 係 者 に伝 えただけだった。1940 年 イギリス大 使 のロシアンから暫
く 閉 鎖 して い た中 国 国 民 政 府 への ビルマ ルート を再 開 するが 、 シン ガポールは
いつでもアメリカ艦 隊 が使 えるようになっていると述 べたが、ハルは明 白 な答 え
をしなかった。
当 時 の 理 由 と して、 次 のように 対 極 東 政 策 の展 開 につい てイギリ ス大 使 と話
し合 った 3 6 。 第 1に 、太 平 洋 では戦 争 を回 避 して、イギリ スを支 援 しアメリカ軍
の 強 化 を図 る 。 第 2に 、 日 本 に は アメリカ の 原 則 を堅 持 し経 済 制 裁 を継 続 し 中
国 を支 援 する。ただ、日 本 が戦 争 を仕 掛 けることのないように留 意 する。第 3 に、
日 本 にアメリカ太 平 洋 艦 隊 の力 を認 識 させる。第 4 に、日 本 には必 要 に応 じて
アメリカが力 を行 使 するのだと思 わせるが、話 し合 いのドアは開 けておく。しかし
われわれの原 則 は常 に堅 持 するというものだった。
1940 年 10 月 頃 から、アメリカ海 軍 は、日 本 に対 抗 するアメリカ、イギリス、オ
ーストラリア、ニュージーランド、東 インド・オランダと軍 の運 用 に関 して情 報 交 換
を始 めた 3 7 。1941 年 に至 りイギリスはアメリカの戦 艦 9 隻 をシンガポールに派 遣
するよう再 び要 望 してきた。前 年 12 月 イギリス側 は海 軍 代 表 を海 軍 作 戦 部 長
ス タ ー クと 会 談 さ せ 、 シ ン ガ ポー ル が 両 国 の 国 益 に と っ て 極 め て 重 要 な 地 位 に
あるかを説 明 した。1941 年 1 月 、日 本 の南 進 が目 前 に迫 っているとの予 想 のも
とに、シンガポールに重 巡 洋 艦 4隻 を派 遣 するかどうかが問 題 となり、ノックス海
軍 長 官 は審 議 のため会 議 を開 いた。この時 、東 京 大 使 館 参 事 官 ドーマン
(Eugene Doman)もこれに参 加 したが、彼 の意 見 では、小 艦 隊 を数 隻 派 遣 した
ところで、日 本 に対 してむなしいゼスチアに過 ぎないと指 摘 した。ノックス長 官 は
派 遣 に 賛 成 しスタ ー クは 反 対 した。 結 局 ルー ズヴ ェ ルト の 決 済 に より、 シン ガポ
ール派 遣 は取 りやめ、巡 洋 艦 はニュージーランドとオーストリアに派 遣 した。
255
1941 年 初 頭 、英 米 参 謀 会 議 でこの問 題 も追 及 され、ABC-1として知 られる英
米 戦 略 基 本 協 定 が成 立 した。
制 服 組 みであるスタークの判 断 は、シンガポールの防 衛 施 設 の不 満 足 な状
態 にあったことである。英 米 参 謀 会 議 で、イギリス側 は主 力 艦 の修 理 を行 なう
施 設 も 人 員 も ない こ と を 認 め たの で あ る 。 イ ギ リ ス 帝 国 を 守 る と い う 政 治 的 不 整
合 、補 給 ルートが長 いこと、集 中 の原 則 に反 すること、ハワイが脆 弱 になること
等 であったが。派 遣 した小 艦 隊 を喪 失 する恐 れがあることも大 きな要 因 であっ
た。
③ ハルとフィリピン防 衛 問 題 1940 年 11 月
ハルはフィリピン独 立 には賛 成 であり、帝 国 主 義 や植 民 地 の拡 大 に反 対 する
立 場 をとっていた。1934 年 3 月 に、ペリー提 督 による日 米 和 親 条 約 の 80 周 年
記 念 には、日 本 に対 して貿 易 の増 大 と友 好 増 進 のメッセージを送 ったほどだっ
あ も う
え い じ
たが、1934 年 4 月 、 天 羽 英 二 による発 表 によってハルは衝 撃 を受 けた。彼 は
「日 本 は東 南 アジアにおける特 別 な固 有 の責 任 を持 っており、中 国 に対 する如
何 なる外 国 の連 合 作 戦 、技 術 的 、財 政 的 支 援 にも反 対 する」とプレスで発 表 し
たのである。ハルは英 国 と共 同 して日 本 に抗 議 するのだが、イギリスの外 務 大
臣 ジョ ン ・シモン ズ( John Simon)卿 が 日 本 の 満 州 の 特 殊 権 益 を認 め る 発 言 を
して、二 重 の衝 撃 を受 け日 本 に対 する危 険 性 とフィリピン防 衛 に関 心 を持 つよ
うになる 3 8 。フィリピン防 衛 は対 日 戦 略 では重 要 な位 置 を占 めるものであったが、
実 際 には、極 めて消 極 的 なもので、その防 衛 力 の充 実 は殆 んど試 みられなか
った 3 9 。
1940 年 7 月 、グルーナート(George Gruenert)が派 遣 軍 司 令 官 として赴 任
すると、フィリピン防 衛 計 画 の根 本 方 針 の検 討 が行 なわれ、ルーズヴェルトに提
出 されていた。その内 容 は、強 力 な航 空 ・潜 水 艦 基 地 の建 設 等 が含 まれてお
り、ハルはその内 容 を知 っていたと思 われる。
1940 年 11 月 12 日 にオーストラリアの外 務 大 臣 ケーシ(Casey)が、ハルを訪
ね て、 アメリ カ 海 軍 が親 善 訪 問 と して、 オー スト ラリアに 艦 隊 を送 ってくれ ない か
と言 ってきた。ハルは「親 善 訪 問 より違 うことを考 えている。極 東 にいるアジア艦
隊 を全 部 マニラに集 める。潜 水 艦 も航 空 機 もだ。」と答 えた。そして、「オースト
256
ラリア政 府 はアメリカがフィリピンに更 に航 空 機 を送 ることを重 要 視 してほしい」と
述 べ、多 数 の航 空 機 がマニラに駐 留 する重 要 性 を強 調 した。
その後 も、大 西 洋 第 一 、太 平 洋 防 衛 主 義 のため、フィリピン派 遣 兵 力 の増 大
は殆 んど行 なわれなかったが、その後 、イギリスに貸 与 していた「空 の要 塞 」
B-17 がヨーロッパ戦 線 で活 躍 する状 況 から、1941 年 8 月 、フィリピン・極 東 防
衛 の最 も有 効 な方 法 として、艦 隊 移 動 や陸 軍 兵 力 の増 強 を必 要 とせず、飛 行
場 さえ整 備 されていれば、急 速 に移 動 配 備 できる方 法 として航 空 機 が大 きく評
価 されることになった。
(2) ハルによる太 平 洋 艦 隊 の大 西 洋 移 動 への反 対 と妥 協
① レインボー5 4 0 とドッグ(D)プラン 1940 年 11 月
ル ー ズ ヴ ェ ル ト の 暗 黙 の 了 解 の も と で 、 イ ギ リ ス 参 謀 達 と 協 議 が 始 ま り 、 1941
年 3 月 には ABC 第 1 号 参 謀 協 定 (ABC-1)として知 られるアメリカ・イギリス・カ
ナダ参 謀 協 定 が出 来 上 がった。ドイツの早 期 敗 北 が両 国 の主 たる戦 争 目 的 だ
った。 原 則 的 に アメリ カ 軍 の 努 力 は 、 大 西 洋 と ヨ ー ロッ パ地 域 に 傾 注 さ れ た。 ヨ
ーロッパ地 域 は決 戦 場 として規 定 された。1941 年 3 月 27 日 、ABC-1 計 画 は
完 成 し、議 会 は同 日 、70 億 ドルの武 器 貸 与 支 援 法 が通 過 して、ルーズヴェル
トは同 盟 国 支 援 提 案 者 として、勝 利 を補 償 する武 器 を、間 もなくイギリス、ロシ
アに送 り始 めた。しかし、これは金 であって人 ではなかった。議 会 投 票 の意 味 す
るところは。アメリカは戦 争 圏 外 にあって、参 加 はしないということを維 持 するとい
うものだった。
大 前 提 はアメリカの死 活 的 国 益 はイギリスの存 続 にあるということである。主 力
をヨーロッパ方 面 に集 中 し、ドイツ打 倒 のために欧 州 大 陸 で戦 うというものであ
る。まず、イギリスを支 援 してドイツを叩 き、その間 は日 本 との戦 争 をできるだけ
回 避 することを骨 子 としていた。
フ ラ ン スの 降 伏 は アメ リ カ 海 軍 戦 略 の 転 換 と 太 平 洋 か ら 大 西 洋 へ の 艦 隊 再
編 成 を促 した。1938 年 10 月 、大 西 洋 艦 隊 は旧 型 戦 艦 4、新 鋭 巡 洋 艦 4、空
母 1、駆 逐 艦 一 個 戦 隊 で編 成 されていた。大 西 洋 におけるアメリカの責 任 は増
大 し、1941 年 2 月 、大 西 洋 艦 隊 司 令 官 は中 将 に格 上 げされた。レインボー5
計 画 の 一 貫 と して、 ヨ ー ロッ パ進 攻 計 画 作 業 が 始 ま ってい た 。 ドイツ と イ タリ ア2
257
カ国 を敗 北 させるためには膨 大 な努 力 と大 規 模 な遠 征 軍 の編 成 が必 要 である
ことが明 らかになってきた。
1941 年 6月 、ドイツがソ連 との戦 争 に突 入 すると、戦 争 計 画 立 案 者 は、700
個 師 団 のアメリカ軍 部 隊 、2200 万 の武 装 兵 が必 要 と想 定 していた。このような
アメリカ兵 の動 員 は不 可 能 であると考 えられ、機 械 力 によって、2 対 1 の敵 に対
する不 足 を補 うことで望 みをかけた。
② 太 平 洋 艦 隊 のハワイ常 駐 問 題 (1941 年 4 月 )と太 平 洋 艦 隊 の
大西洋移動
大 西 洋 で、 海 軍 は 哨 戒 、 護 衛 用 艦 艇 それ に 大 西 洋 の 諸 島 の ド イ ツ からの 占
領 を防 止 するために揚 陸 可 能 な艦 艇 を必 要 としていた。艦 艇 が建 造 されるま
で、大 西 洋 艦 隊 は、太 平 洋 から補 充 する必 要 があった。艦 隊 の再 編 成 の時 期
に強 化 策 が約 束 されたが、1941 年 春 に、日 本 がソ連 と中 立 条 約 に調 印 するに
およんで、日 本 が満 州 の脅 威 から開 放 されて、南 方 に進 出 する道 が開 けたと
考 えられ、海 軍 は太 平 洋 艦 隊 の間 引 きを延 期 し、ハワイに艦 隊 を温 存 する こ と
になった。
ルーズヴ ェルトと ハルが 実 行 しようと してい た複 雑 な交 渉 を支 援 す るため 海 軍
は譲 歩 を試 みた。この問 題 は、国 務 省 の抑 止 感 覚 が海 軍 省 のそれよりも大 き
いものだったことによる。海 軍 作 戦 部 長 としては、ハワイで準 備 もなく艦 隊 が停
泊 し てい る よりは 、 大 西 洋 で艦 隊 行 動 を する か、 カ リ ビア海 で 任 務 行 動 に 艦 隊
を集 めるほうが、日 本 はより関 心 を集 めるのではないかと考 えていた。
艦 隊 の処 理 問 題 は、1940 年 の 4 月 の太 平 洋 艦 隊 ハワイ常 駐 問 題 に続 いて、
1941 年 4 月 、5 月 に再 び論 議 の的 になった。フランスにドイツ潜 水 艦 基 地 が建
設 さ れ る こ と に よ っ て、 大 西 洋 に お け る イギ リ ス の 海 上 交 通 路 ( Sea Lane ) が 非
常 な損 害 を受 けていた。
ルーズヴェルトは、戦 艦 はハワイ自 体 の防 衛 のためにハワイに置 いておく必
要 があるのだと主 張 した。
スチムソン、ノックス両 長 官 は艦 隊 全 てを大 西 洋 に移 動 すべきであると提 言
した。両 長 官 の論 法 によると、日 本 側 は、日 本 艦 隊 を攻 勢 的 に使 うことはない
ので、太 平 洋 艦 隊 が現 実 的 な脅 威 だとは思 っていないというものだった。
258
陸 軍 参 謀 総 長 マーシャル大 将 は陸 軍 長 官 スチムソン、海 軍 長 官 ノックスに
同 調 し て、 軍 艦 が い ようが い ま い が 、 ハワ イは 難 攻 不 落 だ と ルー ズヴ ェ ルト に 語
った。 ハワイに 駐 留 してい る陸 軍 航 空 部 隊 は 非 常 に 強 力 であ り、 日 本 は あの よ
うな遠 いところから敢 えて攻 撃 をしかけないだろうというのだった。ノックスもハワ
イは艦 隊 がいなくても攻 撃 をうけることはないと主 張 した。
こうした見 解 はスチムソンの日 記 にあるように、大 統 領 が艦 隊 移 動 に反 対 にす
る 理 由 がない と説 得 したかに 見 え た。ルーズヴェルト は 艦 隊 の プレゼ ン ス(抑 止
効 果 )にあるという論 法 に立 ち戻 り、ハワイに艦 隊 が存 在 するだけで、シンガポ
ールやオランダ領 東 インド諸 島 を含 めた南 大 西 洋 を守 れるのだと述 べた。この
問 題 の論 議 で、ルーズヴェルトは「ヨーロッパ第 一 主 義 」とする軍 事 的 、政 治 的
拘 束 と中 国 にたいする約 束 のはざ間 の中 ではっきりした態 度 を取 らず、高 まり
つつある大 西 洋 の軍 事 的 介 入 の重 要 性 についても、海 軍 の制 服 専 門 家 と話
し合 うことを避 けた。
ルーズヴェルトは「大 西 洋 艦 隊 はただ、攻 撃 してくる相 手 を監 視 してアメリカ
に 報 告 す る ため の パト ロールに すぎ ない 」 と スチ ム ソ ン 陸 軍 長 官 に 言 っ た。 ルー
ズヴェルトの本 当 の目 的 は、ドイツ海 軍 部 隊 の存 在 をイギリス艦 隊 に報 告 する
ことである と理 解 したが、スチム ソンは「大 統 領 は自 分 自 身 に 正 直 に なって欲 し
いと思 う」と日 記 に記 し、大 西 洋 のパトロールは戦 争 行 為 であることを認 め、そ
れらの行 為 に責 任 を持 ちたいという意 思 を書 き表 している。スチムソンには、ル
ーズヴェルトが自 分 の行 為 を実 際 に防 衛 的 行 為 ではないのに、そうであるよう
に言 って隠 しているように感 じたのである。
結 局 、艦 隊 の大 西 洋 移 動 案 は陸 海 軍 長 官 、参 謀 総 長 、海 軍 作 戦 部 長 も賛
成 であったが、ハルは抑 止 政 策 の利 器 を失 うことに強 硬 に反 対 し、当 然 太 平
洋 艦 隊 司 令 官 も彼 の艦 隊 の移 動 には猛 反 対 した。
イ ギ リ ス は ハ ルの 見 解 を 部 分 的 に 支 持 し た。 ロ ン ドン で は 、 日 本 が シン ガ ポー
ルへ進 攻 するのを抑 止 する意 味 で、何 隻 かの艦 を真 珠 湾 に止 めておくことが
必 要 だと言 っていた。ルーズヴェルトも譲 歩 し、結 局 、太 平 洋 艦 隊 の 25%が移
動 することになった。 戦 艦 3、 空 母 1、新 型 巡 洋 艦 4、 新 型 駆 逐 艦 6、若 干 の特
務 艦 が大 西 洋 艦 隊 に移 管 された。残 りの艦 隊 は 1941 年 12 月 7 日 には真 珠
259
湾 に停 泊 したままであった。
1941 年 5 月 大 西 洋 では、ドイツ戦 艦 ビスマルクが撃 沈 されひとまず危 機 が
去 り、イギリス海 軍 は「レパルス」と「プリンス・オブ・ウエールズ」をシンガポールに
派 遣 す る こ と に なっ た。 シン ガ ポール 防 衛 手 段 と し て最 後 に 、 アメリ カ 艦 艇 を 太
平 洋 から大 西 洋 に移 すかわりに、イギリス艦 艇 を極 東 に派 遣 するというものであ
った。1941 年 6 月 から 12 月 まで、作 戦 計 画 と艦 隊 配 備 は変 更 されることなく、
「大 西 洋 攻 勢 」、 「太 平 洋 防 御 」の 構 え で、 レイン ボー5 号 に も と づいて海 軍 は
行 動 した。
③ 新 たな脅 威 大 西 洋 の U ボート戦
1941 年 7 月 にはルーズヴェルトはアメリカ軍 がアイスランドの 要 塞 化 を行 うイギ
リス部 隊 を支 援 するというスタークの提 案 を承 認 した。海 兵 隊 旅 団 が送 られ、補
給 する必 要 があった。 その ために、艦 艇 が船 団 護 衛 の ために派 遣 され、大 き な
ステップとなった。
アイスランドはドイツの戦 争 地 域 内 にあったからである。そこではドイツ U ボート
は発 見 次 第 中 立 船 でも 撃 沈 すると通 知 してい たからである 。アイスランドは イギ
リスとカナダの護 衛 駆 逐 艦 の燃 料 補 給 の中 間 点 でもあった。U ボートが北 大 西
洋 に 展 開 する ため の 海 峡 であ った。 ルー ズヴ ェ ルト は イギリ ス を助 け る た め に 敵
対 行 為 をとるドイツによりマークされる海 域 にあえてアメリカ海 軍 艦 艇 を派 遣 して
いった。
④ 共 同 戦 線 参 加 国 (cobelligerency)
アメリカは共 同 戦 線 参 加 国 へ接 近 するよう動 いていた。イギリス商 船 は米 海
軍 が護 衛 する船 団 に組 み込 まれていた。結 局 これは、武 器 貸 与 法 と武 器 の現
金 買 いと自 国 船 輸 送 の要 であり、戦 争 参 加 によりイギリスの生 き残 りを確 保 す
るアメリカ政 策 であり、もし製 品 が安 全 に送 られなければどうなるかを意 味 してい
た。 イギリ ス船 員 が 護 衛 さ れ た中 立 船 と してアイ スラン ドへの 航 路 に 参 加 でき れ
ば、少 なくとも商 船 運 航 の西 側 レーンにとって商 船 の安 全 が確 保 されたことで
あり、イギリス海 軍 の伸 びきった任 務 を助 けることになった 4 1 。
260
(3) アメリカの日 本 に対 する中 国 との消 耗 戦 継 続 の強 要
① 日 中 戦 争 による消 耗 戦 の対 日 強 要
日 本 に圧 力 をかける別 の方 法 として、中 国 を直 接 援 助 するといものである。
中 立 法 は交 戦 国 に対 する武 器 ・軍 需 品 の売 却 、金 の貸 し付 けを禁 じていた。
しかし通 商 禁 止 は 日 中 が 正 式 に 戦 争 をしてい な い の で、 通 商 禁 止 を適 用 で き
なかった。1938 年 12 月 には蒋 介 石 政 権 に対 して約 2500 万 ドルにのぼる信 用
供 与 を補 う。これに呼 応 してイギリス政 府 もビルマ道 路 (いわゆる援 蒋 ルート)経
由 で中 国 へ輸 出 を促 進 するため蒋 介 石 政 権 に対 し 50 万 ポンドの信 用 供 与 を
与 えていた。1939 年 中 国 に対 する援 助 は拡 大 をし続 けた。1940 年 3 月 、ホー
ンベックはハルに「日 本 の行 く手 には直 接 障 害 物 を置 くよりも、中 国 を援 助 する
方 が簡 単 である。」と助 言 した。この年 、秋 、ヨーロッパにおける戦 争 が勃 発 して、
ルーズヴェルトはモーゲンソーに中 国 への援 助 の拡 大 を命 令 していた。1940 年
12 月 、大 統 領 はイギリスに対 する全 面 支 援 を公 表 し、新 年 度 の初 めに議 会 で
武 器 貸 与 法 (The Lend-Lease Act)が通 過 した。この武 器 貸 与 法 を議 会 で通
過 させるために、ハルは財 務 長 官 モーゲンソー、スチムソンとチームを組 んだ。
こ れ は 大 統 領 が 国 防 上 必 要 と 認 め た国 に 対 して、 如 何 なる 武 器 も 売 却 、交 換 、
リ ー ス 、 貸 与 等 の 権 限 を 大 統 領 に 与 え る と い うも の であ った 。 スチ ム ソ ン は 総 力
戦 への重 大 な法 的 処 置 の達 成 であり、枢 軸 国 を封 鎖 するアメリカの意 図 を明
確 に示 したもので、スチムソンは同 法 を経 済 戦 争 の宣 言 だと述 べている 4 2 。
② 新 たな借 款 と米 国 義 勇 空 軍
新 たな借 款 が中 国 に供 与 され、間 もなく、蒋 介 石 は 50 機 の戦 闘 機 供 与 の約
束 を得 たのであった。また中 国 空 軍 に参 加 を望 むアメリカ市 民 を派 遣 することも
決 まった。ルーズヴェルトの経 済 問 題 担 当 補 佐 官 は、41 年 4 月 15 日 、ルーズ
ヴェルトは米 軍 パイロットと地 上 要 員 が 1 年 に限 って、義 勇 兵 として中 国 空 軍 に
加 わることを許 可 する行 政 命 令 に署 名 したと述 べている。日 ソ中 立 条 約 調 印
の 2 日 後 、日 米 交 渉 の正 式 開 始 前 日 であった 4 3 。
4 開 戦 外 交 ―日 本 側 から戦 争 を仕 掛 けさせるための対 日 経 済 封 鎖 の強 化
(1)
米日会談とハルの海軍整備への配慮
① 経 済 制 裁 と時 間 稼 ぎ
261
ハルの日 米 会 談 の目 的 と戦 争 開 始 時 期 と海 軍 準 備 の連 接 を主 題 に検 討 し
てみたい。1938 年 末 までは、大 統 領 もハルも、個 人 的 な感 覚 では集 団 安 全 保
障 と して、 ヨーロッ パの戦 争 に 如 何 なる 形 でも参 加 する こと は不 可 能 であると 考
えていた 4 4 。しかし 1940 年 以 降 のアメリカ海 軍 は戦 争 準 備 にまっしぐらに進 ん
で い る こ と が 明 白 で あ る 。 1940 年 9 月 に は 選 抜 制 ( Selective Training and
Service Act)、輸 出 規 制 法 が敷 かれ、武 器 貸 与 法
45
により中 国 、イギリスの支
援 が強 化 され、太 平 洋 艦 隊 が 大 西 洋 へ 艦 隊 移 動 することにより、スタークの新
計 画 が大 西 洋 重 視 を実 現 し 4 6 、1945 年 5 月 27 日 、大 西 洋 でドイツ戦 艦 「ビス
マルク(Bismarck)」がイギリス艦 隊 により撃 沈 され、シンガポールへの艦 隊 移 動
計 画 も検 討 され始 めた 4 7 。ハインリクス(Waldo H.Heinrichs Jr)も言 うように、妥
協 と抑 止 の外 交 としては、1941 年 は 1940 年 ほど、必 ずしも重 要 ではなくなって
いた。
何 が問 題 で時 間 稼 ぎをしたのか 4 8 。ルーズヴェルトの 1941 年 1 月 6 日 の念
頭 教 書 にもあるように、アメリカの安 全 はイギリス海 軍 に守 られている点 を強 調 し、
1941 年 3 月 27 日 の英 米 参 謀 会 議 により英 米 海 軍 関 係 の緊 密 化 を図 り、41
年 8 月 9 日 から 12 日 のアルゼンチン会 議 において首 脳 による共 同 作 戦 につ
い ての 整 合 を ルー ズヴ ェ ル ト 、 チ ャ ーチ ルの 間 で 行 っ た。 こ の 結 果 を 、 チ ャ ーチ
ルは 1941 年 9 月 9 日 、英 国 国 会 で報 告 したのである 4 9 。このように、当 時 大
国 間 の連 合 海 軍 化 と共 同 作 戦 化 は時 間 を要 したのである。
ハルは 野 村 が 到 着 する 前 に ルーズ ヴ ェ ルト と 詳 細 に 日 本 と の 交 渉 の あ り 方 を
話 し合 った。ハルとしては、アメリカが戦 争 に入 るには武 器 も気 力 もまだまだ充
分 ではないと考 えていた。日 本 との交 渉 の成 功 率 は 20 分 の1程 度 と予 想 して
いた。極 東 における条 約 はいまのもので十 分 であり、新 たな協 定 も必 要 ないと
いうことでも意 見 が一 致 していた。唯 一 の期 待 は取 りあえず日 本 と話 し合 いを
続 けながら、時 を待 つというものだった 5 0 。
政 治 家 にとって、今 日 でも同 様 であるが、選 択 の幅 は軍 事 より柔 軟 であった
ように思 える。軍 事 専 門 家 はその計 画 に信 頼 しうる枠 組 みを欲 しがる。ハルは
起 こ る べき 何 かを 期 待 し てい たが 、 潜 在 的 に は 原 則 を 堅 持 する 軍 事 専 門 家 に
通 ずるところがあった。
262
入 江 昭 も言 っているように、日 米 交 渉 の顛 末 は、詳 細 に取 り上 げても意 味 の
ないものであった 5 1 。1941 年 2 月 に始 まり、11 月 26 日 まで続 いた日 米 交 渉 が
行 なわれるが、ハルは話 し合 いが長 引 くほど、日 本 の石 油 並 びに鋼 材 資 源 は
先 細 りになっていくので、優 位 に立 てる自 信 を持 っていた。
ヨーロッパ戦 線 の状 況 に睨 み ながら、何 時 日 本 から参 戦 さ せるか、タイミング
を図 るのが この会 談 だったと言 える。もはや一 切 の 妥 協 は ない。日 本 側 が妥 協
するか、日 本 から参 戦 させるかであった。
国 務 省 は 暗 号 解 読 と い う 成 果 に よ っ て 、 極 め て 有 利 な 立 場 に あ っ た 。 1940
年 の秋 、日 本 の外 交 暗 号 「紫 」を解 読 する装 置 が作 られていた。このマジック
(MAGIC)という名 で知 られた解 読 装 置 によって、東 京 、ワシントン、ベルリン、ロ
ーマ等 の外 交 上 の基 点 との間 に行 き交 う通 信 を毎 日 読 み取 ることができた。ハ
ルは日 本 政 府 との交 わした彼 自 信 の会 話 や日 本 の交 渉 に与 えられる日 本 から
の指 示 も知 ることができたのである。
4 月 13 日 、日 ソ中 立 条 約 が締 結 された。1940 年 10 月 には既 に独 ソ戦 計 画
を 知 っ て い た ル ー ズ ヴ ェ ル ト は 、 ヒ ッ ト ラー が ソ 連 攻 撃 を 決 断 し 、 作 戦 配 備 の 段
階 にあることも知 っていた。その3日 後 に岩 畔 とドラフトの第 1回 日 米 諒 解 案 が
できあがった。ハルはこの案 に諾 否 を表 明 せず、交 渉 の前 程 となる 4 条 件 、す
なわち、「1.領 土 の保 全 と各 国 すべての主 権 の尊 重 、2.内 政 不 干 渉 の原 則 、
3. 商 業 的 機 会 均 等 を含 む、 平 等 の 原 則 、 4. 平 和 的 手 段 に より現 状 を変 え る
場 合 を除 き、太 平 洋 の現 状 を乱 さない。」を示 したのである。
この前 程 は、英 米 蘭 の極 東 植 民 地 を保 全 しつつ、日 本 の大 陸 での特 権 を否
定 するものであり、従 来 のハルの対 日 要 求 と何 ら変 わらなかった。ハルは最 初
から日 本 との満 足 の行 く条 件 に達 する可 能 性 は持 っていなかった。野 村 はハ
ルが明 確 な否 定 をしなかった以 上 、そのままでなくてもある種 のたたき台 として
諒 解 案 が使 えるのではないかと期 待 しているようだった。野 村 がハルの原 則 を
東 京 に伝 達 していないことも分 かった。野 村 が誠 実 な姿 勢 を示 して交 渉 に臨
むほど猜 疑 心 は高 まる一 方 だった。「野 村 と私 との最 後 の会 見 は、交 渉 の初 め
から現 れ ていた野 村 の手 際 の悪 さ、」 と野 村 大 使 を酷 評 している。 野 村 が日 本
の共 産 主 義 に対 する懸 念 や中 国 におけるソ連 の影 響 について説 明 してもほぼ
263
完 全 に軽 視 した。日 本 の中 国 における経 済 的 利 益 を保 証 することは、ハルにと
っては、門 戸 開 放 政 策 を危 うくする帝 国 主 義 としか映 らなかった。
彼 の一 貫 した主 張 は、如 何 なる合 意 も日 本 が以 下 の 4 原 則 を約 束 することか
ら始 ま る と す る も の だった。 こ れ らは 、 門 戸 解 放 政 策 と して、 米 国 が 掲 げ た極 東
政 策 の根 幹 をなすものであるが、同 時 にすべての主 要 大 国 が既 に侵 犯 してい
るものであった。ハルはその現 実 主 義 と国 内 問 題 にはきびしい取 引 をするアメリ
カ人 の伝 統 を持 っていた。
東 洋 人 には抽 象 的 な対 処 の仕 方 をし、1937 年 までの対 応 は現 実 的 な妥 協
を必 要 とするであろうような具 体 的 な状 況 の処 理 をためらっていた。ハルもスチ
ムソンドクトリンという抽 象 的 対 処 をしてきた。
しかし、いまは違 っていた、強 力 な経 済 制 裁 とそれを支 える大 海 軍 がぞくぞく
整 備 さ れ つつあ った。 い ま や、 日 本 が 妥 協 す る か、 日 本 から戦 争 を仕 掛 け る か 、
一 歩 も妥 協 せずに待 っておればよかったのだ。1941 年 5 月 18 日 に、ハルは全
国 外 国 貿 易 週 間 に際 し、ラジオ演 説 をして、開 放 的 貿 易 システムの 5 原 則
52
を主 張 して、自 由 貿 易 システムこそが国 際 秩 序 の基 礎 となるべきであり、この実
現 は日 本 を含 む枢 軸 諸 国 の敗 北 にかかっていると述 べて、対 決 姿 勢 を鮮 明 に
し た 5 3 。 こ の 放 送 は 全 国 放 送 会 社 ( National Broadcasting Co.Washington )
から極 東 、南 米 、イタリア、ドイツ、フランスにも放 送 された 5 4 。
その他 、モーゲンソー回 想 録 にある日 本 奇 襲 計 画 の例 でも証 明 できることは
55
、かくも非 現 実 的 なヴィジョンに米 政 府 の最 上 層 部 のハルが熱 狂 した事 実 は、
日 本 の大 陸 侵 攻 と進 展 に対 して、それを阻 止 できない強 いフラストを感 じてい
たことであり、妥 協 なき時 間 稼 ぎの交 渉 であったことである。
② 大 西 洋 会 談 (Atlantic Conference)と対 日 警 告
ハルは参 加 しなかったが、戦 後 の世 界 体 制 に至 るすべてのビジョンは国 務
省 に 準 備 さ せ、 ルーズヴ ェ ルト に 持 って い かせた。 大 西 洋 憲 章 の 内 容 は ウイル
ソンの14 ヵ条 によく似 ており、諸 国 民 の意 志 に反 する領 土 変 更 は行 なわない。
(14 ヵ条 の民 族 自 決 )、諸 国 民 の自 由 意 志 にもとづく政 治 形 態 、領 土 回 復 (14
ヵ条 の 68 条 、11 条 )、自 由 通 商 、資 源 の公 平 な配 分 (14 ヵ条 の 3 条 )、公 海
自 由 原 則 (14 ヵ条 の 2 条 )、軍 縮 (14 ヵ条 の 4 条 )、國 際 連 盟 構 想 (14 ヵ条 の
264
14 条 )が含 まれ、これは後 の國 際 連 合 設 立 の基 礎 となる。
新 しい考 えとして、国 際 経 済 協 力 、「四 つの自 由 」の精 神 がうたわれ、全 世
界 的 経 済 、社 会 の向 上 を求 めている。ルーズヴェルトの戦 争 参 加 体 制 、孤 立
主 義 の放 棄 、国 際 主 義 への転 換 が決 定 的 になったものである 5 6 。
1941 年 8 月 9日 から 12 日 まで、ルーズヴェルトとチャーチルは、ニューファン
ドラン ド(Newfoundland)沖 で大 西 洋 会 議 を行 なった。この 会 談 の重 要 な点 は、
英 米 の戦 略 的 結 束 が一 段 と 強 化 され たことであ る 5 7 。この会 談 でチャーチルイ
ギリス首 相 は、もし日 本 軍 がマレー半 島 あるいはオランダ領 東 インド諸 島 に侵
入 す るならば、戦 争 も辞 せずとしてアメリカ、イギリス、ソ連 が共 同 して日 本 に 最
後 通 牒 を出 すように求 めた。チャーチルはアメリカを参 戦 させたかった。
ルーズヴェルトとしては、1940 年 の大 統 領 選 挙 で公 約 した「皆 さんの子 息 を
戦 争 に参 加 させることはありません」明 言 していたこともあり、イギリス、オランダ
両 帝 国 のために、多 くの国 民 や議 員 が反 対 するであろう戦 争 にアメリカから参
入 するようなことはしたくなかった。
しかし、後 で、海 軍 長 官 ノックスに述 べたように、「何 か、最 後 通 牒 ではない
が、もし日 本 がわれわれの要 求 を受 け入 れなければ、すぐにでも最 後 通 牒 にな
りうるような、極 め て近 いもの を・・ ・は っき りと日 本 に 言 うことは でき ないも のか」 と
いうものであった。
ルーズヴェルトはワシントンに帰 ると、野 村 日 本 大 使 を呼 び「日 本 がこれ以 上
何 らかの軍 事 的 侵 略 を行 なうならば、アメリカは「必 要 とみなすあらゆる措 置 を
講 ずるのに止 む無 きに至 る」であろうと用 意 した声 明 文 で警 告 した。
(2)
対日石油輸出の禁止とハルによるルーズヴェルト・近衛会談の
抹殺
1940 年 末 ま でに 、石 油 を除 く す べ ての軍 需 物 資 の 日 本 への 流 入 許 可 が 差
し止 められ、その後 の 6 ヶ月 間 に、モーゲンソー財 務 長 官 は巧 妙 に石 油 の輸
出 量 をへらしていくことに成 功 していた。
1941 年 7 月 26 日 、日 本 部 隊 の南 部 インドシナへの新 たな進 出 に端 を発 し
て、ルーズヴェルトは 8 月 1 日 、日 本 対 する全 面 的 な経 済 戦 争 を開 始 した。日
本 が南 部 に進 出 するということは、新 たなる侵 略 にほかならず、さらには南 ベト
265
ナムは、戦 略 的 、地 政 学 的 に言 って、北 部 とは比 較 にならないほどの重 要 性 を
もっている。南 部 が日 本 の勢 力 範 囲 に入 ることで、一 挙 にインドシナ半 島 から
マーシア半 島 、 シンガポール、インドネシア、そしてフィリピンまでが日 本 軍 の 攻
撃 の射 程 内 に収 められる危 険 性 を持 っていた。
1941 年 7 月 26 日 、在 米 アメリカ資 産 が凍 結 され、イギリス、およびその自 治
領 並 びにイギリス領 植 民 地 もこれにならった。アメリカはオランダ領 東 インド石 油
を輸 出 制 限 処 置 のもとにおき、間 もなく日 本 への全 ての出 荷 を停 止 した。
日 本 の海 外 貿 易 は中 国 以 外 の実 質 的 な輸 入 源 を失 い、事 実 上 行 き詰 まっ
たのも同 然 であった。アメリカとしては、いまや日 本 の必 要 物 資 が減 っていくの
を待 ち な が ら見 て い れ ばよかった。 日 本 が 妥 協 する か、 南 方 に 進 出 して新 たな
供 給 源 を奪 ってくるかまで、どの程 度 日 数 がかかるかを情 報 筋 が予 測 を立 てた。
野 村 大 使 は、両 国 首 脳 が直 接 話 し合 う個 人 的 な会 談 を求 める近 衛 文 麿 首 相
の招 待 状 を以 ってこれに答 えた。ハルはこの日 本 側 の提 案 に反 対 であった。
日 本 が 全 面 的 に 妥 協 す る か 、 日 本 か ら何 時 戦 争 を 始 め さ せ る かの 段 階 で あ り 、
彼 の一 貫 して提 示 してきた原 則 を予 め会 議 前 に認 めるのでなければ、いかなる
会 談 も開 くことはできないと論 じたのである。10 月 半 ばまでに、この提 案 は抹 殺
され近 衛 内 閣 は倒 れた。
(3) 暫 定 協 定 案 の取 り扱 いと海 軍 整 備 の進 捗 状 況
① 海 軍 整 備 の状 況
な ぜ 暫 定 協 定 (modus vivendi) に よ っ て 時 間 を 稼 ぐ 必 要 が あ っ た の か 。 時 間
を嫁 せばねばならない理 由 については、ハルの保 管 していたコピーに示 されて
いた。
1941 年 11 月 5 日 、米 英 参 謀 会 議 の結 論 として、マーシャル陸 軍 参 謀 本
部 議 長 、スターク海 軍 作 戦 部 長 は、大 統 領 へ次 のように報 告 していたのである。
「 米 太 平 洋 艦 隊 は 日 本 海 軍 に 比 し 劣 勢 であ り 、 西 太 平 洋 で攻 勢 作 戦 をと る こ
とができない。米 日 開 戦 は極 東 米 軍 事 力 増 強 まで待 ってほしい。このため当 面
ドイツ攻 勢 を支 援 して、対 日 本 は防 御 となる。
当 面 、日 本 の経 済 状 態 を弱 める方 策 をとり、どうしても開 戦 が避 けられない
場 合 は防 御 作 戦 を取 らざるを得 ない。この場 合 は、米 国 、英 国 の領 土 、和 蘭
266
の西 インドへの直 接 攻 撃 、タイの東 経 100°以 西 、北 緯 10°以 南 への日 本 軍
の侵 入 、ポルトガル、チモール、ニューカレドニアへの進 入 に対 してである。
なお、日 本 軍 の雲 南 省 、昆 明 進 駐 にたいして米 軍 は対 日 攻 勢 作 戦 をとるべ
きではない。中 国 の日 本 軍 へ米 軍 が介 入 すべきではないが、中 国 の米 義 勇 軍
の救 援 は増 強 されるべきである。このため、中 国 中 央 政 府 の支 援 を延 長 してほ
しい。」と言 うものであった 5 8 。
モーゲンソー財 務 長 官 が、敏 腕 の片 腕 である財 務 次 官 ハリー・デクスター・
ホワイト(Harry Dexter White)が用 意 した提 案 をルーズヴェルトとハルに差 し出
した
59
。モーゲンソーは、ヒットラーの潜 水 艦 と戦 うために、アメリカの艦 隊 が大
西 洋 に移 動 する必 要 があるが、「両 洋 艦 隊 」は建 造 の途 上 にあり、このために
は 、 暫 定 は 的 に 日 本 に 解 決 策 を 示 して 時 間 を稼 ぐ 必 要 が あ る 点 で ル ー ズ ヴ ェ
ルト、ハルと意 見 が一 致 した。
ハルは四 原 則 を日 本 が受 け入 れない限 り、戦 争 にする決 意 であったが、米
国 の大 西 洋 、太 平 洋 の両 用 で戦 争 を開 始 する準 備 があと 3 ヵ月 は必 要 である
ため、時 間 稼 ぎとしての暫 定 案 を認 めたものの、積 極 的 に賛 成 しなかった理 由
は、次 のように考 えられる。第 1 に日 本 の対 米 戦 争 準 備 が進 んでいること。第 2
に 独 ソ 戦 は 、 連 合 軍 側 に 有 利 に 働 い てお り、 ソ 連 への 支 援 体 制 が 整 い つつ あ
り、スターリングラード攻 防 戦 の状 況 が膠 着 状 態 に入 りソ連 に有 利 に働 きだした
こと。第 3 に大 西 洋 会 談 にルーズヴェルトが早 期 に参 戦 することをチャーチルに
約 束 をしていたこと。第 4 に中 国 が 3 ヶ月 も待 たずに蒋 介 石 政 権 が崩 壊 するこ
とであった。
極 東 問 題 担 当 部 長 マックス・ハミルトン(Maxwell Hamilton)は、ハルが基 本 的
にこのような暫 定 案 に反 対 であることは知 りながらも、「いままで、私 が見 た最 も
建 設 的 な提 案 」と評 価 して、いくつかの小 さな手 直 しして、外 交 的 に提 示 しや
すいものにした 6 0 。
② 暫 定 協 定 破 棄 の決 定
日 本 は 11 月 20 日 、最 後 の暫 定 協 定 案 を提 示 してきた。石 油 出 荷 の復 活 と
和 平 会 談 進 行 中 の 対 中 国 援 助 中 止 を求 め る 代 わ りに 、 日 本 は こ れ以 上 軍 隊
を南 方 へ進 出 させないこととインドシナ内 の軍 隊 を北 方 へ撤 退 させることを約
267
束 していた。ルーズヴェルトの起 草 した暫 定 協 定 案 は、イギリス、中 国 、オランダ
に提 示 されたが、予 想 どおり中 国 は大 反 対 、イギリスも反 対 だった 6 1 。しかし、こ
のためにハルは国 益 を曲 げてまで暫 定 協 定 を破 棄 するつもりはなく、特 に中 国
の 執 拗 な 反 対 工 作 に は 中 国 大 使 を呼 んで 譴 責 し たほ ど で あ る 。 解 明 さ れ てい
ない部 分 があるが、とにかく、ルーズヴェルト、ハルは日 本 の暫 定 協 定 案 を無 視
することとし 6 2 、11 月 26 日 、日 本 には回 答 の代 わりに、思 い切 った 10 項 目 の
最 終 提 案 であった。この骨 組 みは、ハルの終 始 主 張 した原 則 にホワイト・モー
ゲンソー案 から主 要 な譲 歩 案 を取 り除 いたものを加 えたものであった 6 3 。
(4) 真 珠 湾 ―開 戦 への国 論 統 一 とドイツを参 戦 させたアメリカ外 交 戦 略 の勝
利
① ハルノートの本 質
第 1 部 第 4 章 4 項 で述 べているように、長 年 の主 張 した自 由 貿 易 体 制 の
原 則 をもって、日 本 側 の言 う最 後 通 告 に替 えたとも言 える 6 4 。
ルーズヴェルトはハル・ノートを見 て、「これで戦 争 だな」と言 ったという。ハル
は交 渉 が終 わりに来 たことを知 って、11 月 27 日 、スチムソンを呼 び、自 分 の仕
事 はもう終 わったと言 い、いまや事 態 は陸 海 軍 が処 理 すべき段 階 に来 たと告 げ
ていた。しかし、ハルは回 想 録 に次 のように書 いている。「日 本 に対 しては、通
商 協 定 に基 づく自 由 貿 易 というのは何 の役 にもたたなかった。野 村 大 使 に手
渡 した提 案 は、最 後 になっても、日 本 の軍 部 が少 しは常 識 を取 り戻 すこともあ
るかも 知 れ ないと い うはかない 希 望 をつ ない で交 渉 を継 続 しようとい う誠 実 な努
力 であった。日 本 はあとになってわれわれの覚 書 きは最 後 通 告 だといいくるめよ
うとする日 本 一 流 のやりかたであった。」と述 べている 6 5 。
ハルには、中 国 と満 州 の区 別 がつかないという説 があるが、中 国 に満 州 が含
まれるか、いなかはいまや問 題 ではなかったであろう 6 6 。ハルには満 州 に対 する
認 識 があり、交 渉 を継 続 するかいなかの鍵 になるのならば、野 村 に説 明 してい
たであろう。ほんの 1 部 の望 みを含 みながら、最 終 判 断 を日 本 側 に委 ねて、最
後 通 告 も日 本 から出 させる気 があったのかもしれない。
ハ イ ン リ クス は 河 口 湖 会 議 の 共 同 討 議 の 中 で 「 攻 勢 対 守 勢 と い う こ と に 関 し
ては、アメリカ側 は戦 争 の火 ぶたは日 本 側 によってきられると考 えていた。」と述
268
べている 6 7 。
マジックのお陰 で、東 京 の傍 受 信 号 はハルの提 案 に応 えて、交 渉 は 2,3 日
中 に 「 決 裂 す る」と忠 告 されてい た。別 の 通 信 文 に は、 アメリ カ、 イギリス両 国 内
の暗 号 機 を破 壊 するように命 じていた。ハルは、11 月 30 日 の大 政 翼 賛 会 と日
本 東 亜 連 盟 主 催 の会 合 で行 う予 定 の爆 弾 的 演 説 の要 旨 を受 け取 った。日 本
の攻 撃 の 危 機 が 迫 っているこ とを強 調 しワシン トン に帰 る日 をはやめる よう大 統
領 に進 言 した 6 8 。
② 米日開戦時期
ハル・ノ ー トは最 後 通 告 だ ったとす れば 、戦 争 開 始 時 期 と 海 軍 準 備 とはどの
ように連 接 していたのか。海 軍 作 戦 部 長 からの戦 争 開 始 時 期 を延 ばすように
要 請 が あ っ た に も かか わ ら ず 、 最 後 通 告 と 考 え ら れ る 危 険 な賭 け に でた の は な
ぜだろうか。1916 年 ルシタニア号 がUボートに撃 沈 されたのを切 っ掛 けにアメリ
カが第 一 次 世 界 大 戦 に参 戦 したように、1941 年 9 月 4 日 、アメリカ駆 逐 艦 グリ
アー(Greer)号 がアイスランド沖 でUボートから攻 撃 を受 ける。1941 年 9 月 11
日 、ルーズヴェルトは発 見 しだい攻 撃 するよう命 令 を下 す。1941 年 9 月 16 日
アメリカ海 軍 による船 団 護 衛 が開 始 された 6 9 。なお、1941 年 10 月 17 日 、駆 逐
艦 カーニー(Kearny)号 は、グリーンランド沖 でUボートから雷 撃 され 11 名 戦 死 し、
1941 年 10 月 31 日 には駆 逐 艦 Reuben号 は、船 団 護 衛 中 Uボートからの雷 撃
で沈 没 し 115 名 戦 死 する等 「宣 戦 布 告 なき戦 争 」が既 に始 まっていた。しかし、
この事 件 は国 家 が戦 争 を行 うために必 要 な凝 縮 した感 情 的 な力 にならなず、
戦 略 上 の 行 動 と し て 理 性 的 に 感 情 を 制 御 し てい た。 こ れ ら の 乗 組 員 の 死 亡 は
危 険 勤 務 の結 果 であったと考 えられた。大 西 洋 艦 隊 司 令 官 キング海 軍 大 将 は
海 軍 作 戦 部 長 スタークに書 簡 を送 っているが、「訓 練 中 の任 務 を遂 行 中 だっ
たとしている。スタークは公 言 して「国 家 が戦 争 中 だろうとなかろうと、われわれ
は戦 争 中 だ」と言 う。しかし、この意 見 は国 民 にも議 会 にも賛 同 されていない
70
。
たぶん多 くのものが感 じたのは、アメリカ艦 艇 の喪 失 が数 隻 だったし、これ以
上 でなくてよかったというもので驚 愕 するほどにはなっていないことだった 7 1 。
ハルから以 後 陸 海 軍 の処 理 すべき段 階 だと告 げられた、11 月 27 日 、スター
269
ク海 軍 大 将 はハワイを除 く太 平 洋 の前 哨 基 地 に対 し、「ここ数 週 間 内 に日 本
が攻 撃 を仕 掛 ける可 能 性 がある」と警 告 を発 した 7 2 。
ルーズヴェルト政 権 内 で、何 時 何 処 で日 本 が次 の行 動 をするかについて、
検 討 が行 なわれた。 ルーズヴェルトは既 に 11 月 の始 め、日 本 がアメリカ本 土
ではなく、イギリス、オランダの植 民 地 を攻 撃 した場 合 でも、議 会 や国 民 の支 持
がえられるだろうと閣 僚 から聞 いて確 信 していた。しかし、ハルは、国 務 省 の世
論 分 析 結 果 の状 態 では、崩 壊 しつつあるヨーロッパのために、アメリカ兵 の血 を
流 すと考 える人 たちの共 感 をえられないだろうと思 っていた 7 3 。
1941 年 初 頭 のギャラップの戦 争 に関 する世 論 調 査 では 29.5%は「絶 対 中
立 を守 れ」だった。12 月 7 日 の同 調 査 でも 27%が「NO」であった 7 4 。
表 5−1 ギャラップ世 論 調 査 1941.9.2
イ ギ リ ス、 フ ラン ス に 立 ってド イ ツに 参 戦 す る
ドイツを支 持 する
双 方 に武 器 を売 れ
西 側 にだ け武 器 を 売 れ
2.5%
0.3
3 7 .5
8.9
イ ギ リ スの 敗 色 が 濃 くなれば 救 援 する
絶 対 中 立 を守 れ
その他
1 4 .7
2 9 .9
6.2
ルーズヴェルトの大 統 領 三 選
では、「皆 さんの息 子 達 を再 び
戦 争 に行 かせることはありませ
ん。」公 約 していたのである。
11 月 25 日 、スチムソン、ノック
ス、マーシャル、スタークと話 し合 うが、スチムソンの日 記 に よれば、「ルーズヴ ェ
ルトは、アメリカに大 した危 険 を与 えることなく、巧 に日 本 から砲 撃 の火 ぶたを切
らせるにはどうしたらよいか」という質 問 を発 した 7 5 。その第 一 撃 も願 わくばアメリ
カの国 土 あるいはアメリカ軍 部 隊 に向 けて発 砲 して欲 しかったというのである。
ハルは 1930 年 代 の日 本 海 軍 戦 略 について、ある程 度 の認 識 をもっていた。
主 として防 衛 的 なもので、西 太 平 洋 の日 本 近 海 に進 出 してくるアメリカ艦 隊 を
迎 え打 つというものであった。1941 年 、ハルの認 識 は、山 本 五 十 六 大 将 の考 え
ていた「真 珠 湾 のアメリカ艦 隊 を素 早 く撃 滅 して、アメリカ艦 隊 の太 平 洋 移 動 を
ずっと遅 らせ、妥 協 による和 平 を模 索 する」ものとは大 いに違 っていた。
グ ルー大 使 は 、 山 本 大 将 の こ の 案 を策 定 した その 月 に 、 日 本 が 真 珠 湾 攻 撃
を考 えている旨 を、ハルに報 告 している 7 6 。7 月 にアメリカが資 産 凍 結 して以 来 、
石 油 の購 入 を断 ち切 り、日 本 の資 源 は一 日 に 1 万 2000 トンずつ減 少 していっ
た。9 月 6 日 の御 前 会 議 は、外 交 交 渉 が決 裂 した場 合 は、アメリカとの戦 争 へ
270
の全 面 的 準 備 に入 ることを承 認 したものだった。これもグルー大 使 を通 じて、 ハ
ルの知 るところであった 7 7 。
たぶん、ルーズヴェルトは 10 月 には、介 入 は避 けられないと考 えていた。海 軍
記 念 日 の彼 の演 説 に表 れている。しかし、中 立 法 の改 正 、すなわち、商 船 の武
装 と 商 船 に よ る 「 共 同 戦 争 参 加 国 」 へ 輸 送 す る 承 認 が 上 院 与 党 ( 50:37 ) で す
れ すれ で可 決 さ れてい た。 これ は ヨーロッ パで戦 争 が 始 まって以 来 の 主 要 な外
交 政 策 の決 定 であった。下 院 ではもっと接 近 しており(212:194)だったのである。
議 会 が深 い分 裂 にあることを示 したに過 ぎなかった。説 得 に応 じたものもいるが
党 員 も分 裂 したのである 7 8 。
ヒットラーは戦 争 拡 大 準 備 がなかった。ドイツ海 軍 は苛 立 ち、1941 年 9 月 17
日 、ドイツ海 軍 総 司 令 官 レーダー(Erich Raeder)提 督 と潜 水 艦 隊 司 令 官 デー
ニッツ(Karl Doenitz)は、アメリカに対 する宣 戦 布 告 をヒットラーに要 求 した 7 9 。
ヒッ ト ラー は それ に 答 え て、 ソ 連 の 完 全 な征 服 ま でア メリ カ と の 紛 争 を避 け る よ う
命 令 した。1941 年 12 月 まで、このソ連 完 全 征 服 は達 成 されなかった。ドイツ海
軍 は大 西 洋 の戦 いの第 1 段 階 で攻 勢 戦 略 を失 っていた。ドイツはイギリスの海
洋 利 用 を拒 否 することはできなかった。制 限 された水 上 と空 の護 衛 でも船 団 護
衛 が 十 分 なさ れ ていた。 イギリ スへの 船 団 航 路 は無 線 情 報 に よって決 め られ て
いた。その情 報 は 1941 年 中 ごろにはドイツ海 軍 暗 号 を読 んで始 められたもの
で あ っ た。 重 大 な 損 失 が ド イ ツ 水 上 艦 隊 を 見 舞 った 。 巨 大 戦 艦 「 ビ スマ ル ク 」 、
ポケット戦 艦 「グラフシュペー」が撃 沈 されたのである。このことはドイツ水 上 艦 隊
の大 西 洋 からの戦 略 的 撤 退 を導 いた。ルーズヴェルトの考 えた宣 戦 布 告 なき
政 策 もうまくいくと結 論 づけられるようだが、たぶんルーズヴェルトも長 期 的 には
戦 争 を求 めていた。 戦 争 を求 めるには国 家 全 体 をその気 に奮 い立 たせる理 由
と熱 烈 に昂 揚 する衝 撃 のような何 かが必 要 であった。
数 日 のうちに、海 上 において大 事 件 がまさに起 きたのである。犠 牲 と暴 力 の
最 高 度 に利 用 する国 家 意 思 の準 備 が出 来 上 がった。
③ 真 珠 湾 の成 功 と誤 算
閣 僚 等 には、一 般 にアメリカの力 を過 信 し日 本 の力 とその力 が極 東 のパワ
ーバランスに占 める重 要 性 とを過 小 評 価 していたこによるものと考 えられるが、
271
中 でも海 軍 力 に対 するルーズヴェルト、ハルの認 識 にはある楽 観 主 義 があっ
た。
スチムソンは当 時 アメリカの政 策 遂 行 の基 本 的 責 任 はルーズヴェルトとハルに
あると断 言 している 8 0 。ハルは海 軍 の現 場 にいる艦 隊 指 揮 官 との交 流 に関 して
は、回 想 録 には一 言 も書 いていない。ただ、彼 の考 えは、実 力 の伴 わない艦 隊
のプレゼンスは害 あって一 利 なしと書 いている。
い ま ハ ルが 手 元 に 持 っ て い た 、 1940 年 頃 の 海 軍 省 が 作 成 し た 米 日 海 軍 力
比 較 に記 載 されている数 字 では、日 本 海 軍 を過 小 評 価 した数 字 にはなって い
ない 8 1 。 日 本 海 軍 の 航 空 兵 力 に つい て は 低 く 評 価 し てい る が 、 全 体 と し て アメ
リカ海 軍 は、日 本 海 軍 には敬 意 を払 い、高 度 に訓 練 され、果 断 な規 律 ある敵
として日 本 を眺 めていた。先 にも書 いたように、国 務 省 と海 軍 省 とのコミュニケ
ーションがスムースになるのは、40 年 になって、ノックスが海 軍 長 官 になってから
で 、 ハ ルは 日 本 海 軍 に 対 す る 、 ア メ リ カ 海 軍 の 情 報 に 接 す る 機 会 は ほと んど な
かった。ハルが日 本 海 軍 を過 小 評 価 してい たとい う証 拠 は ないが、 その根 底 に
はきわめて強 い、侮 りと反 発 、二 枚 舌 の模 倣 的 でイニシアティブを欠 く日 本 人 と
いう巷 の日 本 人 観 をそのまま日 本 海 軍 にも当 てはめていたのではないか。日 本
の 航 空 機 は 飛 ぶ だ け が 精 一 杯 と い う 観 念 も 災 い し て低 い 評 価 の ま ま 真 珠 湾 を
迎 えた。これには、ルーズヴェルトも同 じ過 小 評 価
82
が見 られる。実 際 戦 争 が
始 まってみると、アメリカ軍 はナチス・ドイツによって被 った数 倍 の損 害 を日 本 軍
から受 けたのである。
12 月 11 日 、ドイツはアメリカに対 して宣 戦 布 告 をして、事 態 を救 う形 となった。
戦 争 計 画 立 案 者 はこれでヨーロッパの戦 いを第 一 として、初 期 の計 画 を自 由
に進 めることになった。このドイツの行 動 はまた、ハロルド・イッキーズ内 務 長 官
は太 平 洋 をヨーロッパの戦 いの裏 口 であると、1941 年 10 月 の日 記 に書 いてい
る。「長 い 間 、私 は 戦 争 突 入 への最 善 の方 法 は 日 本 を通 じてのも の だと信 じて
きた。日 本 は我 が国 に友 を持 たないが、中 国 は持 っている。もちろん我 が国 が
日 本 と戦 争 する こと になれ ば、 必 ずやドイツとの戦 争 に 導 かれるであろ う。 」 8 3 と
述 べている。
なぜ、いままで自 重 してきた対 アメリカ戦 にヒットラーは踏 み切 ったのか。当 時
272
ドイツ陸 軍 は東 部 戦 線 にへばりついていた。ヒットラーは海 軍 にはアメリカとの紛
争 を少 なくとも 10 月 中 旬 まで避 けるように指 示 していた。彼 はその頃 にはソ連
が敗 北 することを期 待 していたからである。軍 事 的 の立 場 で考 えてみると、当 時
イギリスへの船 団 はカナダのニューファンドラント島 沖 で船 団 が編 成 されアイスラ
ン ドの 対 潜 哨 戒 圏 ま でアメリカ 海 軍 駆 逐 艦 が 護 衛 しイギリス海 軍 に引 き 継 いで
アイスランドで燃 料 補 給 をした後 、帰 り船 団 を護 衛 していた。イギリスは 1941 年
9 月 ソ連 への船 団 補 給 を開 始 した。航 空 母 艦 2 隻 で編 成 した強 力 な護 衛 部 隊
で成 功 していた。これはドイツ陸 軍 の東 部 戦 線 膠 着 の原 因 にもなっていた。ソ
連 補 給 線 の元 はアメリカであるが、船 団 がアメリカ海 軍 に護 衛 されている限 り少
なくとも 中 間 点 ま ではUボート は成 果 を挙 げること ができ なかった。ドイツのアメリ
カへの宣 戦 布 告 後 ドイツ潜 水 艦 はアメリカの手 薄 な東 部 沿 岸 に進 出 して、面
白 いほどの成 果 を挙 げていった。これは 1942 年 初 頭 、ソ連 側 の冬 季 反 抗 が次
第 に退 潮 気 味 になった理 由 に連 動 する。ヒットラーがもっと早 くアメリカに宣 戦
布 告 していれば、東 部 戦 線 は膠 着 することなくソ連 の崩 壊 を早 めたとするパラド
ックスがある 8 4 。
5 「太 平 洋 戦 争 」の結 末 と海 軍 整 備 との関 連
ここで、ハルと海 軍 の問 題 を離 れてハルが長 期 的 には楽 観 視 した米 日 海 軍
力 比 較 を行 い、圧 倒 的 な力 とはどのようなものか、海 軍 力 の差 が最 終 的 に外
交 を決 定 する昔 からの教 訓 を示 しておきたい。
(1) 開 戦 時 の米 日 海 軍 力 比 較 ―緒 戦 の日 本 側 勝 利 を可 能 にした近 接 した
海軍力
先 にアメリカ海 軍 力 に対 するルーズヴェルト、ハルの認 識 にはある楽 観 主 義
があったと記 した。たとえ奇 襲 でも成 功 するためには、場 所 と時 間 において現
有 兵 力 のわずかでも優 越 性 を持 っていなければならない。
スターク海 軍 作 戦 部 長 が認 めているように、キンメルの率 いる太 平 洋 艦 隊 は、
山 本 五 十 六 の率 いる連 合 艦 隊 より事 実 上 劣 勢 であった。表 5−2に示 すように、
41 年 秋 までに日 本 は、アメリカ太 平 洋 艦 隊 に比 べて、太 平 洋 で海 軍 力 のラフ
パリ ティ (ほぼ均 等 )に 達 してい た。 日 本 海 軍 の当 面 の 勝 率 (対 米 国 太 平 洋 艦
隊 ) で は 、 日 本 の 勝 率 ( ラ ン チ ェ ス タ タ ー 値 ) で は 、 82 % に 達 し て い た 。 日 本 艦
273
隊 は緒 戦 において、太 平 洋 艦 隊 を撃 破 しうる高 い確 率 を持 つ。総 合 勝 率 (対
合 衆 国 全 艦 隊 )と戦 う場 合 は、平 均 勝 率 は 30%であり、アメリカ海 軍 に高 い期
待 勝 率 を 与 え る 。 し たが っ て、 日 本 側 は 両 洋 艦 隊 が 合 同 す る 前 に 、 太 平 洋 艦
隊 を早 期 に分 撃 する必 要 があった。
表 5-2 1941 年 の太 平 洋 における日 米 海 軍 力 比 較 (1941 年 5 月 1 日 )
日本海軍
イギリス
オランダ
合計 連
アメリカ海 軍
(
4
1
年 12 月 7 日 )
海軍
海軍
合海軍
艦種
太平洋
アジア
戦力
艦隊
艦隊
戦艦
9
1
10
10
空母
3
1
4
10
巡洋艦
12
1
4
17
18
軽巡
9
2
13
3
27
17
駆逐艦
67
13
28
7
93
111
潜水艦
27
28
15
70
64
出 典 :Samuel Eliot Morison, The Rising Sun in the Pacific , Universit y o f Illinois
Press,2001,p58.
太 平 洋 艦 隊 はアジアから遠 くハワイに駐 留 して、アジアには貧 弱 なるアジア
艦 隊 を置 き、アメリカの強 い意 志 の強 制 を発 揮 することにはならなかった。永 井
陽 之 助 は『現 代 と戦 略 』において、41 年 当 時 、西 太 平 洋 に巨 大 な力 の真 空 が
生 じており、真 珠 湾 は真 の実 力 の欠 如 を補 完 するために敵 より早 く真 空 を埋 め、
局 地 的 支 配 権 を握 ろうと意 図 された先 制 攻 撃 の古 典 的 ケースと述 べている。
(2) 海 軍 整 備 完 整 による米 日 海 軍 力 の格 差 の拡 大 ―日 本 の戦 争 遂 行 能
力 の喪 失
1938 年 、第 2 次 海 軍 拡 張 法 が承 認 され海 軍 大 拡 張 計 画 が始 った。しかし、
外 交 目 的 達 成 の道 具 になるには遅 きに帰 した。この計 画 によって、洋 上 に出
現 する主 力 艦 空 母 「エッセックス」級 は 1942 年 になる。付 け加 えれば、第 1 次
計 画 艦 空 母 「エンタープライズ」が就 役 するのは 1938 年 、「ワスプ」は 1940 年 で
ある。
274
出 典 : 立 花 隆 「 戦 艦 大 和 と第 2 の 敗 戦 」 文 芸 春 秋 200 2 年 12 月 2 1 4 頁 に よる 。
立 花 隆 は『戦 艦 大 和 と第 2 の敗 戦 』(文 芸 春 秋 2002 年 12 月 号 )の中
で 「 状 況 が 一 変 す る の は 42 末 年 に な っ て 、 ア メ リ カ に 「 エ セ ッ ク ス 」 級 空 母 が
続 々と登 場 してくることによる。」と述 べている。アメリカ海 軍 は第 3 次 海 軍 拡 張
計 画 にお いて、ヨ ー ロッ パ戦 線 での航 空 機 の活 躍 に 注 目 して航 空 機 に 重 点 を
移 していたが、真 珠 湾 のあと、アメリカは直 ちに空 母 と飛 行 機 の大 増 産 を決 意
し、「エセックス」同 型 艦 21 隻 を追 加 発 注 する。造 船 所 は昼 夜 兼 行 で作 業 を進
め、42 年 末 にはほぼ 2 ヶ月 に 1 隻 の割 合 で進 水 させていった。表 5-8 の「航
空 機 生 産 量 比 較 表 」に示 すように日 米 航 空 機 の生 産 量 においても日 米 には
圧 倒 的 な差 がついていた。一 方 でアメリカ潜 水 艦 による攻 撃 により、日 本 の補
給 線 は 分 断 さ れ た。B29 爆 撃 機 の 大 群 が 日 本 の街 や 都 市 を焦 土 と化 し工 業
生 産 力 は壊 滅 的 となった。
(3) 終 戦 時 の米 日 海 軍 力 比 較 ―圧 倒 的 なアメリカ海 軍 力 と日 本 海 軍
の壊 滅
① 圧 倒 的 な海 軍 力
1943 年 から 44 年 にかけてアメリカだけで 1 日 に 1 隻 の割 合 で船 舶 を建 造 し、
5 分 に1機 の割 合 で飛 行 機 を製 造 し、多 くの新 型 兵 器 を次 々と開 発 していた。
275
表 に示 すように力 の均 衡 が決 定 的 に変 わってしまっていた。
表 5−3 日 米 艦 艇 数 、トン数 比
艦艇
数 、トン
数比較
真珠湾
攻撃直前
真珠湾
直後
日本
237隻
(1.1mt)
236隻
(1.0mt)
米
345隻
(1.44mt)
341隻
(1.31mt)
対米
パリティ
69.6%
76.2%
フィリピン
ミッドウ ガダルカルル マリアナ沖
海 戦 (1944.10)
撤収
ェー
(1943.2) (1944.5)
海戦直
後
212隻
186隻
165隻
230隻
(1.01mt) (0.98mt) (0.88mt)
(1.00mt
)
457隻
734隻
791隻
366隻
(181.0mt) (3.19mt)
(3.52mt)
(1.45mt
)
69.3%
55.6%
30.8%
25.0%
出 典 : 森 本 忠 夫 「 特 攻 」、 文 芸 春 秋 、 1 99 2 年 、 45 -8 7 頁 を要 約 し たもの 。
な か で も 海 軍 力 の 差 は 圧 倒 的 と い うに ふ さ わ しい 。 長 期 戦 に よ る 総 力 戦 で は 、
最 後 に勝 利 するのは最 も資 力 のある側 である。日 米 間 の戦 力 パリティは、開 戦
以 降 「フィ リピン 沖 海 戦 」ま での 間 にど のように 乖 離 してい ったの か。 ハワ イ真 珠
湾 の奇 襲 作 戦 の成 功 によって、対 米 パリティは 76.2%に縮 小 したが、日 本 海 軍
に 課 せられ た 課 題 は ア メリ カ 海 軍 と の 海 戦 に お い て 互 角 以 上 の 戦 い を 連 続 的
に続 けることであった。ミッドウェイ海 戦 の敗 北 によって、パリティは 69%に下 がり、
その後 ガダルカナル、マリアナ、フィリピンに至 ってパリティは 25%、1/4 を割 る
戦 力 へと転 落 していた。
太 平 洋 戦 争 に お け る 攻 勢 の 主 要 用 件 は 、 「 航 空 優 勢 」の 下 で の 制 空 、 制 海
の確 保 することであった。この航 空 戦 力 を巡 る日 米 間 の格 差 はどのようなもので
あったのか。
表 5−4 日 米 空 母 戦 力 比 較
日米航空母艦保有数
日 本 海 軍 の太 平 洋 戦 争 全 期 間 に投 入 し
出 典 : 表 5-3 に 同 じ 。
た空 母 は 27 隻 、アメリカは 110 隻 。日 本 が
開戦
前
日本
米
10隻
7隻
戦時 投入
空母
数
17隻
27隻
103隻 110隻
会 戦 前 に竣 工 していたものは 10 隻 であっ
た。開 戦 後 新 造 または改 装 されたものは
空 母 17 隻 だった。開 戦 後 、日 本 海 軍 が新
造 した制 式 空 母 は、大 型 空 母 2 隻 、軽 空
母 3 隻 に過 ぎず、その他 は改 装 空 母 に過 ぎなかった。
276
表 5−5 航 空 母 艦 就 役 数 出 典 : 表 5- 3 に 同 じ 。
1 94 1 年
1隻
1隻
日本
米
1 94 2 年
4隻
11隻
1 94 3 年
7隻
40隻
1 94 4 年
5隻
40隻
1 94 5 年
0
12隻
米 空 母 は開 戦 時 7 隻 に過 ぎなかったが、開 戦 後 新 造 、改 装 された空 母 は
103 隻 であり、大 型 空 母 17 隻 、軽 空 母 9 隻 、護 衛 空 母 77隻 に及 んでいた。
表 5−6 航 空 機 生 産 比 較 : 出 典 : 表 5- 3 に 同 じ 。
日本
5088 機
550 機
1941 年 生 産
陸海軍月産
ドイツ
11766 機
イギリス
20094 機
アメリカ
19433 機
2500 機
日 本 は、航 空 優 勢 という新 しい時 代 に 1941 年 の開 戦 初 頭 ですら、ドイツ、イ
ギリスよりもの物 質 的 土 台 を欠 いていた。1942 年 3 月 末 の消 耗 機 数 693 機 、
同 期 間 における生 産 機 数 は、損 耗 をやっとカバーできる程 度 の 769 機 でしかな
かった 8 5 。
② ワールド・パワーとしてのシーパワー
集 中 度 分 布 (Naval Power Concentration)とは世 界 の各 国 が保 有 する主 力
艦 (その時 代 を代 表 する制 海 権 獲 得 を決 定 する艦 、帆 船 時 代 、200 門 搭 載 戦
列 艦 、20 世 紀 前 半 、戦 艦 、20 世 紀 中 期 、空 母 、現 在 、核 ミサイル搭 載 原 子 力
潜 水 艦 )の総 数 と当 事 国 が保 有 する主 力 艦 の比 率 である。圧 倒 的 とは、世 界
の主 力 艦 の 50%以 上 を当 事 国 が保 有 している場 合 である。なるほど、1945 年
に お い て 米 英 の 主 力 艦 の 数 に お い て アメリ カ が 圧 倒 的 と は 言 い が たい が 、 イ ギ
リス海 軍 を支 える工 業 生 産 力 に衰 退 によって、もはや 1945 年 の数 字 だけにな
っていることである。
表 5−7 世 界 的 なシーパワーの集 中 度 分 布 状 況 1941-45
年
41
42
43
イギリス
0.283
0.300
0.294
フランス
0.000
0.000
0.000
ロシア
アメリカ
0.043
0.040
0.039
日本
0.109
0.080
0.078
0.239
0.200
0.176
44
0.286
0.000
0.061
0.510
0.041
45
0.350
0.050
0.075
0.500
0.000
出 典 : G eo ge M od e ls k i, Wil lia m R. T h o mp so n, Sea Power in Global
Politics,1494-1993 , p .12 4 .
0.102
0.025
277
0.326
0.380
0.412
ドイツ
表 5 − 8 が 表 す も の は 、 E ・ H カ ー が 『 危 機 の 2 0 年 』 に 述 べ て い る よ う に 、 19
世 紀 に お い て は 、 イギ リ ス 艦 隊 が 大 き な戦 争 か ら 免 れ る 保 障 を 与 え た だ け で な
く、公 海 の治 安 を保 って、すべての国 に平 等 に安 全 を保 障 した。国 際 秩 序 は
優 越 した力 によってつくり出 されるが、その力 の相 対 的 な凋 落 によってイギリス
の艦 隊 がもはや戦 争 を防 止 するほどの力 を失 っていたのが 1900 年 代 に入 って
からである。1890 年 代 にアメリカが GDP ではイギリスを追 い抜 いているにもかか
わらず、それでも海 軍 力 はイギリスが圧 倒 的 あった。
表 5-8 世 界 大 戦 (1870-1958)におけるシーパワーの軌 跡
86
出 典 : G eog e M od e ls k i, Wil lia m R. Th o mp so n , Sea Power in Global
Politics,1494-1993 , p .12 9 .
1922年 のワシントン海 軍 条 約 の締 結 は、世 界 管 理 においてアメリカと対 等 に
協 力 しようとするイギリスの努 力 であった 8 7 。アメリカとイギリスは 10:10 であるは
ずであったが、実 際 、 アメリカは 60%程 度 しか達 成 していなかった。三 次 にわた
る海 軍 拡 張 計 画 の成 果 が現 れるのは 1942 年 代 以 降 であり、その後 アメリカ海
軍 力 が圧 倒 的 になる様 が表 されている。
278
② 戦 後 国 際 秩 序 の完 成
1935年 5 月、ボールドウィン卿はアルバートホールにおいて次
のように述べた。
「 世 界 の ど こ に 起 き る 戦 争 に 対 し て も 、最 大 の 安 全 保
障は、大英帝国とアメリカ合衆国との緊密な協力である。両国海軍を
合した実力、潜在的動員力、合同封鎖による当面の経済的実力行使、
さらに通商、融資の拒否などは、地球上いかなる強国も対抗しえない
制裁となるであろう。この念願は達成されるまでに100年を要する
かもしれない。決して実現しないかもしれない。わたくしは将来に期
待する。この力の結合こそ世界における平和と正義とのためであると
私は思っている。
88
」と。ボールドウィン卿の夢は、大戦を防止する
こ と に は な ら な か っ た が 10 年 後 に 達 成 さ れ た の で あ る 。
ハルは自 国 の海 軍 整 備 の進 捗 状 況 を見 据 えつつ、1941 年 5 月 、戦 後 の世
界 経 済 再 建 の 5 原 則 を提 示 し、開 放 的 貿 易 システムこそが「国 際 秩 序 の基
礎 」となり、その実 現 のためには枢 軸 国 の敗 北 にかかっていると断 言 した 8 9 。門
戸 開 放 の ために は 戦 争 も辞 さずと 宣 言 している の である 。彼 の政 策 を実 現 し た
のは、圧 倒 的 な軍 事 力 とりわけ海 軍 力 だった。ハルは自 由 貿 易 こそ世 界 を豊
かにして、世 界 平 和 に通 じると信 じていた。鹿 野 忠 生 はその著 『アメリカによる
現 代 世 界 秩 序 の形 成 ―貿 易 政 策 と実 業 界 の歴 史 学 的 総 合 研 究 』の中 で、
「ハ ルが い かに 国 際 貿 易 の 回 復 に 基 づ く 経 済 的 繁 栄 と そ れ に よる 世 界 平 和 を
言 葉 で主 張 しても、(国 益 優 先 の志 向 が内 実 を規 定 している限 り、)その実 現
はとうてい望 み得 ないものであったといえる」と。「戦 争 のみがその限 界 を突 破 す
ることができる」として「アメリカは、第 二 次 世 界 大 戦 によってドイツと日 本 を撃 破
し、それにイギリス中 心 の帝 国 ブロックを弱 体 化 させ、その圧 倒 的 な経 済 力 を
背 景 と して自 己 の 国 益 に基 づ いて自 国 中 心 の 世 界 自 由 貿 易 体 制 を形 成 して
いく。」と述 べている。力 の論 理 を回 避 して話 し合 いだけに固 執 していたらハル
の目 指 す理 想 は折 れてなくなっていたのである。鹿 野 忠 生 は続 いて「無 差 別
待 遇 に 基 づ く 相 互 的 貿 易 障 壁 の 低 減 と い う 互 恵 通 商 政 策 の 核 心 は GATT の
根 本 規 定 の 中 に 受 け 継 が れ てい く 」と 述 べ、 アメリ カ の 基 本 的 な極 東 政 策 であ
る門 戸 解 放 政 策 とウイルソンの自 由 貿 易 政 策 が第 二 次 世 界 大 戦 後 、GATTを
279
形 成 していく 9 0 。
6 小 括 と展 望
日 本 の 真 珠 湾 攻 撃 は真 に 戦 略 的 先 制 攻 撃 であった。 しかし、 なぜ 太 平 洋 に
戦 争 が起 きたかを考 えれば不 思 議 ではない。「日 本 政 府 が侵 略 的 な拡 大 とア
ジアの支 配 を行 う政 策 を実 行 したからにほかならないし、アメリカ合 衆 国 がこれ
に反 対 したからだ。」とハルは思 った。
アメリ カと日 本 は アジアに 対 して極 端 に こ と なる政 治 的 秩 序 を求 め てい た。 日
本 は北 東 中 国 および東 南 アジアの帝 国 支 配 を求 めていた。 アメリカは国 務 長
官 ハルが 1941 年 4 月 に述 べたように多 元 的 な国 際 秩 序 をベースにするように
求 めていた。特 にハルの商 業 的 機 会 均 等 の原 則 は、日 本 が中 国 における排
他 的 要 求 を放 棄 することを意 味 していた。強 硬 な立 場 が 1941 年 に実 施 された。
ルーズヴェルトはアジア安 定 と大 西 洋 に彼 が求 めた安 全 保 障 をリンクさせたの
である。アメリカの国 益 は枢 軸 国 のもう一 端 にある強 力 な閉 鎖 市 場 にも対 抗 し
た。ルーズヴェルトとハルのアジア政 策 の第 1 の目 的 は、中 国 の独 立 を支 持 す
る こ と であ った。 フ ィ リ ピ ン 防 衛 後 の ア ジ ア外 交 政 策 の 試 金 石 に なっ てい た。 中
国 陸 軍 が維 持 されている限 り、中 国 支 持 の軍 事 的 理 由 があった。
第 2 の目 的 は、ヨーロッパのアジア植 民 地 を維 持 することであった。大 統 領
の本 心 は大 西 洋 第 一 、海 軍 の配 備 も大 西 洋 第 一 に考 えていた。ルーズヴェル
ト の 日 本 への 対 応 手 段 は 、外 交 と 経 済 的 圧 力 、 それ に 侵 略 に 対 抗 する ゆる や
かな同 盟 にあった。1940 年 夏 には既 に、アメリカの戦 争 資 材 市 場 から多 くの輸
出 品 目 を日 本 から除 外 してい た。 アメリ カ 、 イギリス、 オランダ東 イン ドの 担 当 者
間 で相 互 支 援 の会 議 が行 われたが、これはその地 域 のイギリス、オランダの植
民 地 が実 質 的 に無 防 備 になっていたからである。ハルの四 原 則 の堅 持 という
宣 言 は、強 硬 なスタンスとして、1941 年 の春 に表 れていた。この意 味 するところ
は、日 本 が国 際 秩 序 のメンバーになるか、あくまで孤 立 化 に進 むかの選 択 を迫
っていることであった。日 本 はもし圧 力 をかけ続 ければ譲 歩 するというものだった。
日 本 人 が考 えていたのは、大 西 洋 にアメリカが介 入 すれば、自 分 たちにフリー
ハンドが与 えられ、アメリカは既 成 事 実 として日 本 の活 動 を認 めるのではない か
ということであった。中 国 との戦 争 終 結 に日 本 は失 敗 して、A・B・C・E(アメリカ、
280
イ ギ リ ス 、 中 国 、 オ ラン ダ )各 国 と の 共 同 形 成 、 日 本 の ソ 連 へ の 懸 念 、 そ れ に ア
メリカが行 っている中 国 、イギリス支 援 によって日 本 の指 導 者 を孤 立 感 に陥 ら
せ、対 抗 する決 意 をさせたことであった 9 1 。 1938 年 から始 まったハルの日 本 に
対 する 経 済 制 裁 は 結 局 その 目 的 を達 する こ と なく 失 敗 する 。 日 本 の 工 業 生 産
能 力 は割 譲 された領 土 や軍 事 占 領 のおかげで著 しく改 善 されていた。朝 鮮 半
島 、南 樺 太 、台 湾 、 満 州 、占 領 下 の中 国 地 域 からクロム、 マンガン、タングステ
ン と い った 重 要 鉱 石 をえ る こ と が でき た。 それ でも 工 業 生 産 に 必 要 な 石 油 等 は
危 険 なほど 外 国 に依 存 しており、 特 にアメリ カ 、 イギリ ス、 オラン ダの 植 民 地 、 オ
ーストラリア、カナダからの原 材 料 に強 く頼 っていた。最 も重 要 な石 油 はオラン
ダ領 インドネシアにあった。どうして経 済 制 裁 は段 階 毎 に失 敗 に終 わったのだ
ろうか。ゴードン・A・グレイグとアレキサンダー・L・ジョージ共 著 の『軍 事 力 と現
代 外 交 』 −歴 史 と 理 論 で学 ぶ平 和 の 条 件 の アメリ カ の 対 日 政 策 の 中 で、 「ア メ
リカは海 軍 拡 大 に よる抑 止 戦 略 と経 済 制 裁 とい う強 制 外 交 を併 用 した。 しかし、
国 内 政 治 の孤 立 主 義 や中 立 政 策 に よって効 果 が弱 め られたこと と 、日 本 に 明
確 にアメリカの意 図 を伝 える手 段 を欠 いていたために失 敗 した」というのである。
著 者 は、ハルが確 固 たるコメントを日 本 に伝 えなかったことを非 難 しているが、
ハルは意 図 的 に日 本 にはっきりと意 図 を示 さず、推 察 させる戦 略 をとったので
あ る 。 理 由 は 国 内 の 孤 立 主 義 と 貧 弱 な 海 軍 力 の た め で あ り、 大 西 洋 第 一 、 太
平 洋 防 御 の戦 略 が採 用 されアジアでは、日 本 に対 する軍 事 的 挑 発 を避 け る こ
とになったからである。ハルと野 村 との日 米 会 談 は 1941 年 2 月 から 11 月 まで
続 く日 米 交 渉 だったが、経 済 制 裁 効 果 と海 軍 整 備 の完 成 までの時 間 稼 ぎで
あった。アメリカ海 軍 は 11 月 時 期 において、なお 3 ヶ月 開 戦 準 備 に必 要 な旨 、
ハ ル に 通 告 し て い た 。 ア メ リ カ は ヨ ー ロッ パ 情 勢 等 か ら 、 日 本 か ら 戦 争 を 仕 掛
けることを期 待 していたルーズヴェルトとハルにある絶 好 の機 会 が訪 れた。そこ
で時 間 稼 ぎを目 的 にした暫 定 協 定 を破 棄 して、11 月 26 日 ハル・ノートを野 村
に手 渡 すことになった。 戦 争 突 入 への最 善 の方 法 が選 択 され、ハルの戦 後 を
見 据 えた諸 原 則 の達 成 への究 極 の目 的 は成 功 した。
281
第 5章 注
Hull, Memoirs ,pp.612-614 、 pp . 641-645.
特 別 委 員 会 で 修 正 さ れ た 中 立 法 は 、戦 争 当 事 国 へ の 武 器 そ の 他 の 軍 需
品 売 買 禁 止 を 撤 回 す る も の で あ っ た 。武 器 輸 出 は 現 金 払 い 自 国 船 方 式
( cash-and-carry) で 交 戦 国 に 輸 出 で き る こ と に な っ た 。
イ ギ リ ス と フ ラ ン ス は 購 入 し た 武 器 を 自 国 船 で 運 搬 で き た が 、ド イ ツ
は 大 西 洋 の 制 海 権 を 確 保 し て い な か っ た の で 、事 実 上 武 器 を ア メ リ カ
から購入はできなかった。
2
Robert Dallek , Franklin D.Roosevelt and American Foreign Po li cy
1932-1945 ,Oxford Uni versity, 1995, p.530.
3
新 たに 入 閣 したスチムソンとノックスは、そ の後 共 和 党 から除 名 処 分 を 受 け
た。
ノックスはシカゴディリー・ニ ュースを 大 新 聞 に育 て上 げた新 聞 人 である。
4
村 田 晃 嗣 『 米 国 初 代 国 防 長 官 フ ォ レ ス タ ル 』 中 公 新 書 、 1999 年 ,14
頁
5
Hull, Memoirs, 1,pp.832-833.
6
Ibid .,pp.815-816.
7
First Suppleme ntal Nati onal Defense Appro priation Bill for
1941, Hearings before the Subcommittee of the Committee on
Appropriations United States Senate, 76, Congre ss 3 th Se ssion on
H.R.1005,1940.
8
Hull., Memoirs, vol.l,p.756.
9
Ibid .,pp.832-833.
10
Ibid .,pp.768-781,p.873.
11
Baer, opc.cit , p.135.
12
重 要 攻 撃 兵 器 としての航 空 母 艦 の正 当 に評 価 されるようになったのは、第 二
次 世 界 大 戦 が 勃 発 してからであったとハインリク ス(Waldo H.Hein rich Jr は『
アメリカ海 軍 と 対 日 戦 略 』に書 いているが、ハ ル は 航 空 機 の 威 力 を 日 本 大
使 に 警 告 し て ,ヨ ー ロ ッ パ い ず れ の 国 の 首 都 か ら 飛 び 立 っ た 2 千 の 爆
撃 機 が 、 い ま や ロ ン ド ン を 跡 形 も な く 破 壊 してしまうこともできるのだと日
本大使に語ったことがある。
13
Stark’s memorandum is produced in the micro film collection
Strategic Planning in the United Sta t es Navy ;
James R.Leutze ,Bargaining for Suppremacy, :Anglo-American
N aval Collaboration.1937-1941 ,University of No rth Carolina
Press.
14
Louis Morton, Germany F i rst: The Basic Concept of Allied
1
Strategy
in World WarⅡ , Kent R Greenfield, Command Decisio ns , New
York, Harcourt,Brace,1955,p.26.
Sterk’s Memorandum, Germany First , Matloff and Snell , Strate gic
Planning,pp.122-123.
16
Ikes, opc,cit ,p.274.
17
Steven T. Ross, American War Plans,1939-1945 ,Krie ger
Publishing
Company, 2000,pp.13-24.
15
282
ヴ ァ ル タ ー ・ ゲ ル リ ッ ツ 『 ド イ ツ 参 謀 本 部 攻 防 史 』 下 、 277 頁 。
1940 年 に な る と 、 ド イ ツ 軍 最 高 司 令 部 も 地 上 軍 で あ る 陸 軍 が 現 代 戦
唯 一 の 決 定 的 要 素 で は な い こ と が 分 か っ て き た 。こ の 変 化 は 40 年 、4
1 年に 2 人の兵站部の上級指揮官の自決にはっきりと証明されて
い る 。: Thomas B.Buell, Master of Sea Power, Naval
Instetute,p.125.
19
Waldo Heinrichs, Threshold of War ,Oxford University
Press,1988,pp.40-43.
20
Joseph E.Percico , Roosevelt’s Secret War, Random
House,2001,pp.124.
21
入 江 、 前 掲 書 、 122-123 頁 。
22
Hull, Memoirs vol.1, p.775.
23
Ibid. ,pp.768-781.
24
I bid. ,p.915.
25
Ibid. ,p.915.
26
I bid. ,p.915.
27
Millar, op.cit .,p.228.
28
1929 年 ア メ リ カ 貿 易 統 計 に よ る と ゴ ム の 輸 入 量( 2 億 4700 万 ド ル )
の 62% ( 1 億 2200 ド ル )、 錫 の 輸 入 量 ( 9200 万 ド ル ) の 63% ( 5800
万ドル)が英領マレーからのものであった。
29
Hull, Memoirs ,1,p.907.
30
I bid. ,pp.815-816、pp.888-696.
31
ジョージ・ケナンの大量報復政策は、ソ連封じ込め政策として有名
であるが、この場合、アメリカは他国と連合して圧倒的な海軍力で
日本を封じ込めること。
32
不 破 哲 三 『 綱 領 路 線 の 今 日 的 発 展 』 新 日 本 出 版 、 1997 年 ,44 頁 。
33
Joseph Gre w, Ten Years in Japan, Si mon and Shuste r, 1944,
p.361 ; Dallek, op.cit .,p271.
34
入 江 ,前 掲 書 、 114 頁 。
35
Hull, Memoirs ,1,p. 899.
36
Ibid. ,p.911.
37
Ibid. ,p.912.
38
Hull, Memoirs, 1,pp.278-280.
外 務 省 外 交 資 料 館 、日 本 外 交 史 辞 典 編 纂 委 員 会 、『日 本 外 交 史 辞 典 』、
山 川 出 版 1992 年 、22 頁 。
39
いずれフィリピンは独立させるという決定
(Jones Bill,1914 に よ る )も あ り 、 ア メ リ カ 陸 軍 の フ ィ リ ピ ン 守 備
隊 は 縮 小 を 続 け た 。 1933 年 1 月 、 陸 軍 は 日 米 開 戦 15 日 以 上 、
マニラを保持することはできず、バターン半島、コレヒドール島か
ら撤退することになると結論付けていた。
The Commander-in-Chief,A siantic Fleet to Ch ief Operations,Ja n 31,Jun e
16,1933,FileA16/ND16,Secret Cor respondence of the Office of th e
Secretary of the Navy, 1927-1939,Record Grou p80,National Arch ives
将 官 会 議 ま た は 陸 海 軍 統 合 会 議 の 席 上 で も 、海 軍 は フ ィ リ ピ ン 固 守 を
明示することによって、日本艦隊は大きなフィリピン侵攻作戦を計
画 せ ざ る を 得 ず 、そ の 結 果 、ア メ リ カ 艦 隊 主 力 が 渡 洋 進 撃 し て く る 場
18
283
合に、日本艦隊の分散を余儀なくされると考えていた。したがって
、フィリピン防衛戦の成否に関わらず、対日戦に勝利に貢献できる
と考えた。アジア艦隊は、ルソン島防御任務の他に、他の水域にお
ける日本の通商路の撹乱任務に加えられた。アメリカの極東権益を
擁護して西太平洋で決戦を行うという「オレンジ作戦計画」の根本
を海軍は堅持した。
Greenslade, Policy Regarding Naval Base in the Pacific, May
21,1935,File 438-1,General Board Studies によれば、ア メ リ カ 海 軍
は 、 フ ィ リ ピ ン 独 立 後 の 基 本 的 戦 略 と し て 、 1935 年 4 月 、 海 軍 長 官
は大統領に書簡を送り、タイディングス・マグダフィ法
( Tydings-Mcduffie Act) で 認 可 さ れ た フ ィ リ ピ ン 独 立 後 も 、 海 軍 基
地 の 用 地 を 確 保 し て お く よ う に 要 望 し 、ア メ リ カ は 引 き 続 き フ ィ リ ピ
ン 群 島 に 要 塞 地 を 維 持 す べ き で あ る と 主 張 し た 。し か し ル ー ズ ヴ ェ ル ト
はフィリピン独立後の防衛問題には態度を保留した。
40
「 レ イ ン ボ ー 5」 計 画 は 、 本 来 英 仏 と 同 盟 し て 日 独 と 戦 う こ と を 基 本
としていた。ところが、フランス陥落を契機としてできたものが D
プ ラ ン で あ り 、1940 年 11 月 4 日 、ア メ リ カ 海 軍 戦 略 が ス タ ー ク 大 将
の も と で 大 き く 再 検 討 さ れ 、D プ ラ ン は 、D プ ラ ン 覚 書 き と な っ て ま
と ま っ た も の で あ る 。な お 全 体 は 、A プ ラ ン が 西 半 球 防 衛 、B プ ラ ン
はオレンジ計画またはレインボー3 号、C プランはレインボー2 号で
構 成 さ れ 、同 盟 諸 国 と 組 ん で 極 東 に 地 理 的 位 置 を 確 保 す る 太 平 洋 作 戦
計 画 で あ る 。ア メ リ カ 海 軍 は そ の 後 基 本 的 に こ の「 D プ ラ ン 」に 基 づ
く こ と に な る 。日 本 が イ ギ リ ス 、オ ラ ン ダ の ア ジ ア 領 土 に 軍 事 行 動 を
起 こ し て く れ ば 、C プ ラ ン に よ り 対 応 す る が 、そ の 基 本 は 経 済 封 鎖 で
あ り 、第 1 は マ レ ー 防 衛 の た め に ア メ リ カ 海 軍 を 派 遣 す る 。第 2 は 日
本 の 南 進 を け ん 制 す る た め に マ ー シ ャ ル 諸 島 に 作 戦 行 動 を 行 う 。こ の
ような日本との限定戦争が可能かどうか懸念された。
41
Nathan Miller, War at Sea: Naval History of
WWⅡ , Scribner,1995,p.183; S.W.Roskill, War a t
Sea,1939-1945, Vol.1,London,Her Majesty’s Stationary
Office,1954,p456.
42
I bid. ,p.310.
43
Daniel Ford, Flying T i gers, 1991, p.47. 同 じ こ と は 、塩 谷 紘『 ル ー
ズ ヴ ェ ル ト 日 本 奇 襲 新 資 料 』 文 芸 春 秋 、 2002 年 9 月 号 ,275 頁 。
44
Hull, Memoirs, 1,p.873.
45
Ibid. ,p.945.
46
Ibid. ,p.897.
47
Baer, op,cit , p209.ち な み に 、 戦 艦 「 ビ ス マ ル ク 」 を 大 西 洋 上 で 発 見
し た イ ギ リ ス 海 軍 貸 与 の PBY カ タ リ ナ 哨 戒 機 に は 、 ア メ リ カ 海 軍 士
官が副操縦士として乗っていた。
48
1941 年 1 月 6 日 、ルーズヴェルトの年 頭 教 書 では、 アメリカの安 全 はイギリ
ス海 軍 に依 存 していると述 べ、1941 年 3 月 27 日 のABC-1 幕 僚 会 議 により英 米
海 軍 関 係 の緊 密 化 を 図 り、1941 年 8 月 9 日 から 12 日 のアルゼンチン会 議 にお
けるルーズヴェルト、チ ャーチ ル会 談 後 、1941 年 9 月 9 日 、英 国 国 会 におけるチ
ャーチ ルに よって、連 合 海 軍 化 と 共 同 作 戦 化 構 想 が 報 告 されたが、ここに 至 るま
でに は時 間 を要 したの である。これの資 料 は次 による。
284
Library of Congress Manuscript Division, The Papers of Codell
Hull ,Uni ted States Manuscript Di vision, Library of Congerss,
Washington, D.C.20540,Container No.65-66.
49
Ibid. ,No.65-66.
50
Hull, Memoirs ,Ⅱ.pp.985-986.
51
入 江 、 前 掲 書 、 1991 年 、 202 頁 。
52
鹿 野 、 前 掲 書 、 267 頁 。 原 則 と は 、 ① 過 度 な 国 家 主 義 、 貿 易 制 限 を
撤廃す。②国際貿易での無差別性③原料物資供給の無差別な獲得④消費
国および国民の利益の保護⑤国際金融機構との取り決めにおける貿易手
続きによる支払いの許容である。
53
鹿 野 忠 生 『経 済 グ ローバル化 の歴 史 的 前 提 -互 恵 通 商 協 定 からGA TTへ』
アメリカ研 究 34 号 、 2000 年 3 月 、39 頁 および鹿 野 、前 掲 書 、268-269 頁 。
54
The Department of State, Bulletin, vol.Ⅳ,Number
80-105,Jan.4-Jun.28, 1941,p.573.
55
日 米 会 談 中 のハルの交 渉 姿 勢 は次 の例 でも 証 明 できる。
『 モ ー ゲ ン ソ ー 回 顧 録 』フ ォ ー ト ン・ミ ク リ ン 社 、65 年 刊 、
:塩 谷 紘 、
前 掲 書 ,262頁 。産 経 新 聞 99 年 7 月 14 日 ワシントン特 派 員 電 、Note on
Conference in Office of the Secretary o f State, a.m., Monday,
December 23th,1940,お よ び Morgenthau Diary pp.47-4 9 に よ る と 、
ハルはルーズヴェルトの日 本 奇 襲 計 画 (JB355)を知 っており、フライング・タイ
ガーズも知 っていた。また、スチ ムソン陸 軍 長 官 が 統 合 本 部 に送 付 した要 望
書 「中 国 政 府 の航 空 機 需 要 」(1941 年 5 月 13 日 )の資 料 でハルは日 本 本 土
爆 撃 計 画 を見 ていた。内 容 の概 要 は次 のと おりである。
40 年 10 月 中 国 空 軍 軍 事 顧 問 クレア・リー・シェノールト大 佐 は、首 都 重 慶
に赴 き蒋 介 石 総 統 の依 頼 を 受 けアメリカに飛 び、 アメリカ義 勇 兵 によ る日 本 本
土 爆 撃 計 画 を 作 成 し、40 年 11 月 3 日 、宋 子 文 を通 じて最 終 爆 撃 計 画 を「中
国 政 府 の航 空 機 需 要 」と題 して、モーゲンソー財 務 長 官 に手 渡 し、 ルーズヴ
ェルトの支 援 を求 めた。12 月 8 日 モーゲンソーは計 画 の支 持 を 求 めてハル
国 務 長 官 を 訪 ねたところ、 ハルは自 ら進 んで日 本 本 土 爆 撃 計 画 の可 能 性 に
ついて語 り賛 成 した。
56
中 屋 健 一 『 新 米 国 史 』 誠 文 堂 新 光 社 、 1988 年 、 422 頁 。
57
入 江 、 前 掲 書 、 228 頁 。
58
L ibrary of Congress Manuscript Di vision, The Papers of Cordell
Hull ,United States, Manuscript Di vision ,Library of
Congerss,Washington,D.C.20540,Container No.74-75 に よ る と 、
陸軍参謀本部長、海軍作戦部長から大統領へ提出されたメモ
( 1941.11.5) お よ び 米 英 蘭 共 同 反 撃 条 件 の 大 統 領 へ の メ モ
1941.11.27 に は 、
「 中 国 の日 本 軍 へ米 軍 が介 入 すべきではないが、 中 国 の
米 義 勇 軍 の救 援 は増 強 されるべきであり、 このため、中 国 中 央 政 府 の支 援 を
延 長 してほしい。」と 言 うものであっ た。
59
須 藤 真 志 『 日 米 開 戦 外 交 の 研 究 』 慶 応 通 信 、 1986、 268 頁 か ら 引 用
。 F o re i g n R e l a t i o n s o f t h e U n i t e d S t a te s , 1 9 4 1 , Vo l . 4 , p p . 5 1 2 - 5 1 3、
そ の 概 要 は 、 まず、日 本 には思 い切 った譲 歩 を 求 める。すなわち、中 国 から
軍 隊 を 撤 退 させること、軍 需 物 資 の 3/4 を アメリカに 売 却 し、ドイツとの 戦 争 に
利 用 させる。代 わりに アメリカは太 平 洋 から艦 隊 を 撤 退 し、 東 洋 人 排 斥 法 案
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60
61
62
を撤 回 する。かつ、20 億 ドルの 20 年 借 款 に よって、日 本 の経 済 的 必 要 性 に
応 ずると いうものであっ た。
福 田 茂 夫『 ア メ リ カ の 対 日 参 戦 ― 対 外 政 策 決 定 過 程 の 研 究 』ミ ネ ル ヴ
ァ 書 房 、 1976 年 、 3 8 6 頁 。
Hull, Memoirs、 Ⅱ,p.1081.
Ibid. ,p.1082,ハ ル の 回 顧 録 で は 、 ハ ル が 暫 定 案 を 破 棄 し た こ と に な
っ
63
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69
て い る が 、 暫 定 案 は 11 月 17 日 、 ル ー ズ ヴ ェ ル ト が 発 案 し 、 ハ ル に
命 じ た も の で あ り 11 月 24 日 に 完 成 し て い た 。ハ ル が か な り 満 足 し て
い た 暫 定 案 を 26 日 早 朝 、 ル ー ズ ヴ ェ ル ト を 訪 ね て 放 棄 の 了 解 を 得 た
こ と に な っ て い る 。 疑 問 点 は 、 記 録 に よ る と ル ー ズ ヴ ェ ル ト は 26 日
午 前 中 は ハ ル と 会 っ て い な い 。 ハ ル と ル ー ズ ヴ ェ ル ト は 25 日 夜 遅 く
会 っ て お り 、ル ー ズ ヴ ェ ル ト か ら 破 棄 を ハ ル に 命 じ た こ と に な っ て い
る 。 ル ー ズ ヴ ェ ル ト が 破 棄 を 決 定 し た 資 料 は な い が 、択 捉 島 ヒ ト カ ッ
プ湾を出港した日本海軍機動部隊との関連があるという説がある。
須 藤 真 志 『 ハ ル ・ ノ ー ト を 書 い た 男 』 中 公 新 書 、 19 9 9 年 、 1 5 2 頁 。
鹿 野 、 前 掲 書 、 270 頁 。
コ ー デ ル ・ ハ ル 『 ハ ル 回 顧 録 』 中 公 文 庫 、 2001 年 、 184 頁 。
須 藤 、 前 掲 書 、 187-190 頁 、 John Toland, Infamy
Pearl Harbor and Its Aftermath, Penguin, 1982 ,p.275 で は 須 藤 、
ト ー ラ ン ド は 中 国 に 満 州 が 含 ま れ て い な か っ た と し て い る が 、ス チ ム
ソ ン か ら 申 し 継 い だ 当 初 か ら ハ ル の 四 原 則 か ら 考 え れ ば 、ハ ル が 中 国
と 満 州 を 区 別 で き な い は ず が な く 、心 底 で は 対 日 戦 争 を 決 意 し て い る
あ の 段 階 で の ハ ル の 目 的 を 考 え れ ば 、満 州 が 中 国 に 含 ま れ る か ど う か
はもはや彼にとって問題ではなかったと思われる。
Hull, Memoirs, Ⅱ,p.984.
Ibid. ,p.945.
ア メ リ カ 軍 は 1932 年 、 33 年 の 図 上 演 習 で 日 本 の 戦 略 の 持 つ 理 論 的
正
確 さ を 立 証 し て い た 。 1938 年 4 月 、 演 習 中 に 空 母 サ ラ ト ガ を 発 進 し
た航空機によってパールハーバの艦隊基地の強襲攻撃に成功すると
い う 事 例 が 発 生 し て い た 。 1941 年 3 月 、 こ の 形 式 の 攻 撃 が 陸 海 軍 の
航空隊司令の作成した防衛計画にそっくり描かれていた。
70
Patrick Abbazia, Mr, Roosevelt’s Navy: The Private War of the
U.S.
Atlantic Fleet,1939-1942 ,Naval Insti tute
Press,1975,pp.305-307.
71
Lange r and Gleason, Undeclared Wa r,Harper & Brothe rs,
1953,p.666.
72
モーゲン・スターン『真珠湾―日米開戦の真相とルーズヴェルトの
責 任 』錦 正 社 、1999 年 ,353-354 頁 。
:John Toland, op.cit .,1982, p.320.
73
Hull, Memoirs, Ⅱ,pp.1104.
74
L ibrary of Congress Manuscript Di vision, The Papers of Cordell
Hull ,United States.Manuscript Di vision ,Library of
Congerss,Washington,D.C.20540,Container No.65-66
75
細 谷 、 前 掲 書 、2、224頁 。日 本 か ら 仕 掛 け さ せ る こ と の 実 例 と し て 、1
286
2月 2 日、アジア艦隊司令官のハート海軍大将は、アメリカ国旗をつけ
た 3 隻の小型艇を「情報収集のための情報パトロール」としてチャータ
するように大統領から命令を受けた。そして、これらの艇を日本のマレ
ー半島あるいはオランダ領東インド諸島への前進通路にあるインドシナ
沿岸に配置するようにととくに指定された。ハート大将は、海軍省が適
性と考えた偵察はすべて、航空機、潜水艦を用いて、既に行なっていた
ので、この異例な監視艇配備命令は、自分たちが安上がりな開戦理由を
作るために派遣されるのだと映った。これらの艇の購入と派遣が遅れ、
真珠湾攻撃には一隻も当該地点に到達していなかった。
76
Gre w, op.cit . p.368.
77
吉 田 裕 『昭 和 天 皇 の 終 戦 史 』、岩 波 書 店 、1992 年 、227頁 。
78
Dallek, op,cit .,pp.291-292.
79
カ -ル ・ デ ー ニ ッ ツ 『 デ ー ニ ッ ツ 提 督 回 顧 録 』 第 1 巻 、 海 上 自 衛 隊
幹 部 学 校 ,1964 年 、 126 頁 。
80
Henry L.Stimso n and McGeorge Bundy, On active Service in Peace
and War, Octagon Book,1971,p.382.
真 珠 湾 が攻 撃 を 受 けると いう風 評 例 :12 月 2 日 、 ルーズヴェルトは、補 佐 官
ドナルド M・ネルソン(Donald M Nelson、彼 はモスク ワ会 議 にハルの随 員 と し
て参 加 した仲 ) に、12 月 4 日 までに戦 争 が起 きても驚 かないと語 っ た。
イギリス人 の操 作 する「マジック」暗 号 解 読 装 置 のあ るロンドンでは、12 月 6 日
、ジョン・G・ウィンナイト(J ohn G.Winant,1941 年 1 月 前 任 者 のケネディと交
代 した、彼 はベテランの外 交 官 であ り、この交 代 も 日 本 との戦 争 準 備 の一 貫
と考 えてよい。 イギリス駐 在 アメリカ大 使 が決 定 的 瞬 間 が近 づいていると判 断
して、 その戦 争 勃 発 時 にはチャーチ ル首 相 と共 に居 ようと 決 めていた。
81
Library of Congress Manuscript Di vision, The Papers of Cordel
Hull , United States.Manuscript Di vision ,Library of
Congerss,Washington,D.C.205 40,Conta i ner No.65-66, Comparison
between Arment of the United states and of Japan in the
Yea r s,Th e Outberak of WAR ; Morison,op.,cit.,pp.21-27.
保 存 資 料 の 中 に は 、日 本 の 戦 闘 能 力 に つ い て も っ と 現 実 的 な 評 価 も あ
っ た 。 パ ネ ー 号 事 件 当 時 の ヤ ー ネ ル ( Harry E.Yarnell) 海 軍 大 将 は
、 1936 年 か ら 1939 年 ま で ア ジ ア 艦 隊 の 指 揮 官 と し て 、 日 本 が 中 国
に対して行動する姿を見る機会があった。ヤーネルの艦隊情報部は、
パ ネ ー 号 事 件 の 煙 が 消 え ぬ 1938 年 1 月 、 日 本 海 軍 に 対 す る 幻 想 を 覆
す 報 告 を 行 な っ た 。日 本 海 軍 の 士 官 や 水 兵 は 勤 勉 で よ く 勉 強 し 、よ く
訓 練 さ れ て い る 、ど ん な 天 候 の も と で も 、最 も 過 酷 な 条 件 の も と で も
訓 練 を 怠 ら な い 。海 軍 の 艦 艇 、銃 砲 、弾 薬 、発 射 指 揮 装 置 も す べ て 優
秀 と 評 価 さ れ 、ア メ リ カ 海 軍 に 劣 ら な い と さ れ た 。日 本 海 軍 航 空 機 の
爆 撃 の 命 中 率 も 良 好 で 飛 行 技 術 は 優 秀 で あ り 、攻 撃 行 動 も 極 め て 優 秀
と さ れ 、既 に ア メ リ カ 海 軍 で 使 わ れ て い る 発 射 指 揮 装 置 と 同 じ く ら い
良 好 で あ る と 考 え ら れ た 。ヤ ー ネ ル は リ ー ヒ ー 海 軍 大 将 を 通 じ て 、日
本 海 軍 と 将 来 の 戦 争 の 問 題 に つ い て 、自 分 の 見 解 を ル ー ズ ヴ ェ ル ト に
読 ん で も ら お う と し た 。現 実 に 即 し た 評 価 で は 、海 軍 軍 人 間 で は 、日
本 海 軍 を 正 当 に 評 価 し て 、日 本 海 軍 と 戦 争 を し て 簡 単 に 勝 て る と 思 う
者はいなかった。
82
谷 光 太 郎 『 米 軍 提 督 と 太 平 洋 戦 争 』 学 習 研 究 社 2000 年 、 32 頁 か ら
287
要 約 す る と 、 ルーズヴェルトは、日 本 に対 抗 す るのに必 要 な海 軍 作 戦 をする
だけの 知 識 と能 力 があるという 確 信 があっ た。第 一 次 世 界 大 戦 中 の海 軍 次 官
の職 に あったので、こうした自 信 の基 礎 がで きたのであろう。彼 1 9 13 年 頃 、日 本 と
の戦 争 計 画 の粗 筋 をつ くったことがあり、日 本 の太 平 洋 補 給 路 をアメリカの艦 隊
で封 鎖 すれば、日 本 を屈 服 に 追 いやれるだろうと見 て いた。 1 9 3 7 年 の 7 月 サ
ムナ ー ・ ウェルズに平 時 にこの ような封 鎖 戦 を、どのよ うに日 本 に 利 用 できるかに
ついて説 明 した。1937 年 12 月 のパネー号 事 件 の後 、彼 はイギリスの協 力 があれ
ば、このよう な封 鎖 は大 した艦 隊 も要 らず、「 比 較 的 簡 単 な 仕 事 」で、日 本 を1年
以 内 に屈 服 できると閣 僚 達 に語 っ た。
Irw in F.Gellman, Secret Affairs Franklin Roosevelt, Cordell Hull, and
Summer Wells , Johns Hopkins University Press,199 5 p3 2.
スチム ソンが 1940 年 10 月 にルーズヴェルトに手 紙 を書 いた時 に、ルーズヴ
ェルト から、海 軍 の首 脳 は慎 重 すぎる、異 常 なまで に慎 重 な連 中 だと書 い てあ
る手 紙 を受 け取 った。当 時 ルーズヴェルト のこのような 傾 向 は、ホ ーンベックに
も見 ら れる。リチャードソンはパールハーバ 攻 撃 後 の 議 会 公 聴 会 で、「 私 が大
統 領 か ら解 任 され たのは、問 題 ないことだ。ただ、艦 隊 の処 理 に ついてホー ンベッ
クの方 が艦 隊 司 令 官 よ りも強 い影 響 力 を行 使 している」 と語 っている。
ホーン ベックから太 平 洋 艦 隊 司 令 官 リ チャードソン大 将 への書 簡 , 1 9 4 0 年 7 月 1 2
日 があるが 、当 時 国 務 省 の極 東 問 題 担 当 顧 問 だった者 が直 接 現 地 指 揮 官 に
海 軍 作 戦 上 の問 題 に 書 簡 をしたためていたのには驚 か される。
L ibrary of Congress Manuscript Division, The Papers of Cordel Hull,
United States Manuscript Divis ion ,Library of
Congerss,Washington,D.C.205 40,Conta i ner No.74-75、ハル一 次 資 料 フ
ィルム No74-75.
海 軍 情 報 機 関 が 組 み立 てた日 本 観 とし ては、東 京 ・北 京 の海 軍 駐 在 武 官
やアジア艦 隊 の幕 僚 達 の情 報 とアメリカ大 使 館 、公 使 館 、各 首 都 や港 の外 交 官 、
特 派 員 等 か ら情 報 を集 めたものを海 軍 省 でま とめて国 務 省 に報 告 し ていたが、
東 京 のグル ーから送 ら れてくるものと海 軍 情 報 部 の情 報 に は正 反 対 なものもあっ
た。海 軍 に とっては、日 本 は一 枚 岩 の膨 張 国 と して捕 らえる と都 合 がよ かった。
Yarn ell to Admiral A.J.H e pburn,September 27,193 7, Yarnel Papers ,
Library of Congress.
83
Harold Licks, The Secret Diary of Harold L.Ickes The First
Thousand Days 1933-1936 ,,Simon and Schust er,Inc1953 ,pp.23 7.
84
Miller,op.cit, Wa r a t Sea ,Lisa Drew Book,1995,p1 83, ;
E.B.Potter, SeaPower ,U.S.Naval Ins titute,198 1,pp.2 57 -2 66.
85
森 本 忠 生 『 特 攻 』 文 芸 春 秋 、 1992 年 、 45-4 7 頁 。
86
G e o ge M od e ls k i, Wil lia m R. T h o mp so n, Sea Power in Global
Politics,149 4- 199 3,p.1 3 1.
87
E・ Hカ ー 『 危 機 の 2 0 年 1919 - 193 9』、 岩 波 文 庫 、 199 6 年 、
419- 4 21 頁 。
88
同 上 、 41 2 頁 。
89
鹿 野 、 前 掲 書 、 39 頁 。
90
鹿野、前掲書、第 5 章。
91
ゴ ー ド ン・A・グ レ イ グ『 軍 事 力 と 外 交 理 論 で 学 ぶ 平 和 の 条 件 』有 斐 閣 、
199 5 年 、 22 5 頁 。 日 本 は 孤 立 化 を 挑 戦 と 受 け 取 り 、 三 国 同 盟 に よ り 対 応 し
よ う と し た と 述 べ 、 1940 年 6 月 14 日 の フ ラ ン ス 降 伏 と い う ヨ ー ロ ッ パ 情
勢におけるアメリカ外交の転換点にあって、ハルは三国同盟を戦争
への挑戦と受け取り対日戦争を決意したと述べている。
288