列 第 8 話 島 地 質 (大 – 37 – 藤) 日本の後期三畳紀~最前期白亜紀付加体:日本列島の骨組みの形成 日本列島の骨組みは,ジュラ紀付加体で構成されている と言っても過言ではない.それは,主に砕屑岩,玄武岩(緑 色岩),チャートおよび石灰岩からなる厚い地層である. 1970 年代半ばまで, わずかな石灰岩より産するフズリナ化 石より,これらの地層は古生層であるとされてきた.1970 年代後半に,チャートから三畳紀のコノドントが多く報告 され, 1980 年代以降は砕屑岩類よりジュラ紀の放散虫が報 告されるようになった.この様な経緯を経てジュラ紀付加 体が認定されるようになったのは,まだ 20 年ほど前のこ とに過ぎない. ジュラ紀付加体の主要分布域は, 西南日本内帯の丹波- 美濃-足尾帯(第 8.1 図)西南日本外帯の北部秩父帯(黒 瀬川構造帯の北)および南部秩父帯(黒瀬川構造帯の南) と,東北日本の北部北上帯である.いずれの地帯のジュラ 紀地質体も同様な岩石組合せおよび見かけの層序をもち, 単一の沈み込み帯で形成されたものと考えられている.た だ,単一の沈み込み帯とはいっても,その後背地には幾分 かの違いがあったらしい.地球進化学講座の小原北士君や 横川実和さんは,ジュラ紀付加体砂岩中の砕屑性ジルコン 超,南部秩父帯で 20% 以下という結果が出た.この結果 から,横川さんは,丹波-美濃-足尾帯の付加体は先カン ブリア時代の岩石(特に 18 ~ 20 億年前の岩石)が広く分 布する北中国地塊に面した沈み込み帯で,南部秩父帯の付 加体はそこから離れた南中国地塊に面した沈み込み帯でそ れぞれ形成され,両者の間で北部秩父帯の付加体が形成さ れたものと考えている. 丹波-美濃-足尾帯 丹波-美濃-足尾帯は,西南日本内帯の舞鶴帯より南に 主に分布する.ジュラ紀(厳密には後期三畳紀~白亜紀最 前期)の付加体を主体とする地帯である.丹波帯のジュラ 紀付加体は,大きく下記の2つのタイプに分けられ,美濃 帯と足尾帯にもそれらに相当する地層群が識別できる. Ⅰ型地層群は,三畳紀~前期ジュラ紀のチャートと中 期~最前期白亜紀の砕屑岩からなる,チャート-砕屑岩 シークェンスで特徴づけられる地層群である.海洋プレー ト層序の上半分を主体とする地層群と言い換えることもで の年代分布を調べている.砕屑性ジルコン中に占める先カ きる(第 8.2 図). Ⅱ型地層群は,(一部石炭紀~)ペルム紀の玄武岩‐ ンブリア時代のジルコンの含有率(プレカン率)を比較す ると,丹波-美濃-足尾帯で 50% 超,北部秩父帯で 30% チャートシークェンスで特徴づけられ,後期三畳紀~前期 ジュラ紀の砕屑岩を伴う地層群である.海洋プレート層序 第 8.1 図 西南日本内帯における,丹波帯Ⅰ型地層群(相当層),Ⅱ型地層群(相当層)および超丹波帯の分布(塗色部) – 38 – 第 8 話 日本の後期三畳紀~最前期白亜紀付加体:日本列島の骨組みの形成 の下半分を主体とする地層群と言い換えることもできる. れらは更に,東西トレンド・西プランジの軸を持つ褶曲に 丹波-美濃-足尾帯では,Ⅰ型地層群の見かけ上位に, Ⅱ型地層群およびそれを不整合に覆う下部白亜系関門層群 参加している.褶曲の結果,背斜構造の軸部にⅡ型地層群 が,向斜構造の軸部にⅠ型地層群がそれぞれ分布する(第 相当層が構造的にのるという二階建て構造が見られる.そ 8.1, 8.3 図).褶曲した地層の地質図上での分布が一部S字 状の非対称性をもち,向斜の北翼にカタクレーサイトなど の断層岩を伴うため,この褶曲が左横すべり場で形成され た褶曲とする考えもある. 典型的な剥ぎ取り付加体の南部秩父帯斗賀野ユニットで は,厚さ数百メートルの付加ユニットごとに時代が異な り,見かけの下位ほど徐々に若くなるという時代極性が見 られる.一方丹波-美濃-足尾帯では,それほど細かいス ケールの時代極性が見られるところは少ない.丹波-美濃 -足尾帯全体というスケールで見て,見かけの下位ほどや や若くなるという時代極性が見られる. 北部秩父帯 第 8 . 2 図 丹波帯Ⅰ型地層群・Ⅱ型地層群の模式復元層 序 Ⅱ型地層群の三畳紀チャートは,量的に極少ない. 北部秩父帯は,西南日本外帯の黒瀬川構造帯(南)と三 波川変成帯(後述;北)との間を占める南傾斜の地帯で,第 7話のペルム紀付加体沢谷ユニットと,その見かけ下位の ジュラ紀付加体とからなる.北部秩父帯のジュラ紀付加体 は,更に見かけの下位(北)から,みかぶユニット(模 み か ぼ かみよし だ 式地は御荷鉾山),柏木ユニット,上吉田ユニットおよ すま い づく び住居附ユニットに細分される. みかぶユニットは,玄武岩類および斑れい岩を主体とす る地質体である.玄武岩類はみかぶ緑色岩類と呼ばれ,ア ルカリ玄武岩とソレアイト質玄武岩との双方が知られてい 第 8 . 3 図 丹波-美濃帯の地体細分案(山北・大藤,2 0 0 0 ) Ⅰ型・Ⅱ型という地体区分を,岩質組合せと産状により更に 細かく区分した図 . 列 丹 石賀(1983) Imoto(1984) 波 島 地 美 濃 帯 木村ほか(1998) 中江(2000),木村(2000) 八丁背斜北翼 周山向斜 八丁背斜北翼 型 地 釜輪C 和知C 周山向斜 桜井向斜 周山C 周山C 本 論 本 論 出灰C ? 雲ヶ畑C 雲ヶ畑C – 39 – 藤) 帯 井本ほか (1989) 山家C 群 (大 木村ほか (1989) Ⅱ 層 質 灰屋C 灰屋C 周山U 春日野層 広瀬U 今庄層 和知U 舟伏山層 周山C 雲ヶ畑C 灰屋C 飛騨川層群 Ⅰ 型 Ⅰ 型 Ⅰ 型 地 地 地 層 群 層 群 層 群 鶴ヶ岡C 黒井U 由良川C 古屋層 比叡山C 古屋U 金 山 層 那 比 層 上 麻 生 層 味噌川層 薮原層 第 8.4 図 丹波帯と美濃帯の構造層序区分諸案(山北・大藤,2 0 0 0 ). る.玄武岩溶岩に伴うドレライト岩脈に,中期ジュラ紀の 放散虫チャートを捕獲岩として含むものがあり,また玄武 うかがわせる(第 8.6, 8.7 図). 上吉田ユニットは,三畳紀~中期ジュラ紀のチャート- 岩類を覆う赤色泥岩から後期ジュラ紀の放散虫化石が報告 されている.岩石学的性質および時代論より,みかぶユ 砕屑岩シークェンスで特徴づけられるユニットで,少量の ペルム紀玄武岩類を伴う.丹波-美濃-足尾帯のⅠ型地層 ニットの玄武岩類は,中期~後期ジュラ紀に,放散虫 チャートが存在する場所に噴出したおそらく海台の玄武岩 群や南部秩父帯の斗賀野ユニットに類似したユニットであ る(第 8.6, 8.7 図). 類だと推論される. 柏木ユニットは,石炭紀のチャート・苦灰岩互層,石炭 住居附ユニットは, (一部石炭紀~)ペルム紀の緑色岩- チャートシークェンスで特徴づけられ,前期ジュラ紀の泥 ~ペルム紀赤色チャート,三畳紀チャートおよび石灰岩, 中~後期ジュラ紀のチャート,珪長質凝灰岩および泥岩で 岩主体の砕屑岩を伴うユニットである.丹波-美濃-足尾 帯のⅡ型地層群と類似点が多い(第 8.6, 8.7 図). 特徴づけられるユニットである.関東山地秩父武甲山の三 畳紀石灰岩は,メガロドン動物群を産する.これは,テチ 四国,九州では,住居附ユニットの見かけ上位に,ペル へび き ム紀の沢谷ユニットがのるが,関東山地では蛇木ユニッ ス南方域を特徴づけ,後述の南部秩父帯三宝山ユニットの 同時代層と共通の要素である.後期ジュラ紀の岩石はドレ トがのる.蛇木ユニットは,前期ジュラ紀の泥質岩基質中 に石炭紀石灰岩の大岩塊を含むメランジュで,沢谷ユニッ ライトの貫入を受けており,みかぶユニットとの類縁性を トとジュラ紀地質体との中間的性質をもつと言える.沢谷 第 8.5 図 四国の秩父累帯の構造を示したブロックダイヤグラム 北 部秩 父帯・南部 秩父 帯の 位置 づけ を 示す . – 40 – 第 8 話 日本の後期三畳紀~最前期白亜紀付加体:日本列島の骨組みの形成 または蛇木ユニットを不整合に覆って,下部白亜系物部川 するとされる)とは好対照である. 層群相当層が分布する(第 8.5 図). 斗賀野ユニットの北半部は,最前期白亜紀の鳥巣層群 や前期白亜紀の南海層群相当層に覆われる.両者ともテチ 南部秩父帯 南部秩父帯は,西南日本外帯の黒瀬川帯(北)と白亜紀 付加体型地質体の四万十帯(後述;南)との間を占める,北 傾斜の地帯である.南部秩父帯は,更に見かけの上位(北) から,大平山,斗賀野,三宝山の3ユニットに細分される. おおひらやま 大平山ユニットは,剪断変形を受けた泥質混在岩を主 ス南方型の二枚貝動物群やサンゴを産する地層で,北部秩 父帯の同時代層である物部川層群相当層とは,古生物地理 的に好対照であるとされる. 北部北上帯 北部北上帯は南部北上帯と同様,白亜紀の花崗岩類に広 体とするユニットである.泥質混在岩の中には,石炭紀~ 三畳紀のチャートおよび石灰岩のほか,緑色岩,砂岩等の く貫かれているため,微化石の保存が極めて悪く時代がよ くは決まっていない.ただ,数少ない微化石データと岩質 岩塊を含む.更に,本ユニットには,黒瀬川構造帯を特徴 づける古期花崗岩類やはんれい岩の岩塊も含まれる. 組合せから見ると,大局的に南部秩父帯のジュラ紀付加体 とよく似たユニット構成をもつと判断される. と が の 斗賀野ユニットについては,第1話で詳しく触れた. 三畳紀~後期ジュラ紀のチャート・砕屑岩シークェンスの 北部北上帯の南西部には,根田茂ユニットが分布する. 根田茂ユニットについては,第7話で記した. 繰り返しからなる地質体で,岩相層序の同一層準を比べる と見かけ下位のシークェンスほど若くなる傾向をもつ.丹 根田茂ユニットの北東・見かけの下位は,従来葛巻-釜 石帯と呼ばれ,北部北上帯の中で最も著しい延性変形を受 波-美濃-足尾帯のⅠ型地層群や北部秩父帯の上吉田ユ ニットに類似するが,砕屑岩はやや若い時代にまで及ぶ. けた泥質混在岩からなる(B・C層).泥質混在岩中には, 古期花崗岩類の岩塊が含まれることから,葛巻-釜石帯の くずまき さんぼうさん 三宝山ユニットは,後期ジュラ紀~最前期白亜紀のメ ランジュを主体とする地質体である.メランジュは,次の 泥質混在岩は,南部秩父帯の大平山ユニットに対比できる (第 8.9 図). あっ か た の はた 様な多種多様なブロックを含む:石炭紀石灰岩,ペルム紀 チャートおよび石灰岩,後期三畳紀玄武岩および石灰岩 葛巻-釜石帯北東の,安家-田野畑帯南西部には,ペル ム紀の赤色チャートや赤色泥岩からなるユニット(D層) (一部でチャートレンズを挟む),三畳紀~ジュラ紀チャー ト.特に後期三畳紀石灰岩は南部秩父帯の南縁に配列し, が見られる.これも,大平山ユニットの構成要素に対比で きる.一方,D層の東側・見かけの下位には,チャート- 目印 とな る岩 石で あ る.海山 上の 石灰 岩と 考 えら れ, Carnian 階は St. Cassian 動物群,Norian 階はメガロドン動 砕屑岩シークェンスを主体とするユニット(E層)が分布 する.これは,南部秩父帯の斗賀野ユニットに類似した岩 物群でそれぞれ特徴づけられる.いずれも,テチス南方域 の動物群とされ,西南日本内帯や黒瀬川構造帯の後期三畳 質組合せのユニットである(第 8.9 図). 紀動物群(Carnian 階の河内ヶ谷動物群と Norian 階の Monotis ochotica 動物群;いずれも,北極‐太平洋区を指示 第 8 . 6 図 北部秩父帯の主要3ユニットの模式復元層序 北部秩父帯では地層が大局的に南傾斜で,上吉田ユニッ トの見かけ上位(南)に住居附ユニットが分布する. 第 8.7 図 秩父累帯付加体の模式復元層序 列 島 地 質 (大 藤) – 41 – 安家-田野畑帯の主部~東部には,後期三畳紀の玄武岩 および石灰岩(一部でチャートレンズを挟む)で特徴づけ られるユニット(F層)が,背斜をなして分布する.この ユニットは,南部秩父帯の三宝山ユニットに対比できる (第 8.9 図). 安家-田野畑帯の東縁には田老衝上断層があり,その東 方が田老帯である.田老帯には三畳紀~ジュラ紀のチャー ト・砕屑岩シークェンスで特徴づけられる付加体(G層)が あり,それを覆って下部白亜系の小本層や原地山層といっ た地層が分布する.小本層は“鳥巣動物群”を有し,原地 山層は多量の安山岩質火山砕屑岩類を主体とする地層であ る.田老帯のチャート・砕屑岩シークェンスは,南部秩父 帯の斗賀野ユニットに対比される(第 8.9 図). Ⅰ型・Ⅱ型地質体の作り方(案) 授業では,Ⅰ型・Ⅱ型地質体の作り方について私案を述 べる. Ⅰ型地質体は海洋プレート層序の上半分の岩石か らなり,見かけ上位のⅡ型地質体は海洋プレート層序の下 半分の岩石からなる.2分された海洋プレート層序の境 は,ほぼペルム紀-三畳紀境界(PT境界)に当たる.P T境界は海洋環境の激変により,古生代型放散虫が絶滅し た時期とされる.従って当時の遠洋域には,放散虫チャー ト以外の堆積岩(多くの場合炭質な泥岩や“砥石型”珪質 粘土岩)が主に堆積した.その岩石が,放散虫チャートを 主体とする地層の中で物性的な弱面を形成し,海洋プレー ト層序を2分することになったと考えられる. 2分された海洋プレート層序のうち,上半部の(三畳紀) チャート-砕屑岩シークェンスは,沈み込み帯浅所に剥ぎ 取り付加し,下半部の玄武岩-(ペルム紀)チャートシー クェンスはより深所まで沈み込み,底付け付加したのであ ろう.しかし,現在では玄武岩-(ペルム紀)チャートシー クェンスの方が,Ⅱ型地層群として構造的上位に位置す る.深所まで沈み込み,底付け付加した玄武岩-(ペルム 紀)チャートシークェンスが,何らかの原因により上昇し, 第 8 . 8 図 北部北上帯のユニット区分と剪断帯の分布(大 藤・佐々木,2 0 0 3 ) A層は根田茂帯の付加体,B・C層 は従来の葛巻-釜石帯構成要素,D~F層は安家-田野畑 帯構成要素,G層は田老帯構成要素に,それぞれ相当する. 第 8.9 図 剥ぎ取り付加した(三畳紀)チャート-砕屑岩シークェン スの見かけ上位に定置したものと見られる(第 8.10 図). ジュラ紀付加体の最下部に位置する三宝山ユニットや安家 -田野畑帯の地層には,後期三畳紀の海山をなしていたと 思われる玄武岩とメガロドン石灰岩が分布する.大洋底よ 日本の後期三畳紀~最前期白亜紀付加体構成ユニットの,大まかな対比案. – 42 – 第 8 話 日本の後期三畳紀~最前期白亜紀付加体:日本列島の骨組みの形成 りも高く盛り上がった海山の沈み込みが,玄武岩-(ペル ム紀)チャートシークェンスの上昇と最終的定置に関与し ぎ取り付加体が発達しやすくなる.このように,臨界尖角 モデルが付加体形成に適用できるなら,Ⅰ型地層群のよう た可能性は大きい. 一方,付加体の形状変化には,臨界尖角が重要な役割を な剥ぎ取り付加体と, Ⅱ型地層群のような底付け付加体は, 本来,交互に発達するものなのかも知れない.前段落のモ するという考えがある.沈み込み帯の陸側先端の角度を尖 角といい,安定した沈み込みのためには,この角度が臨界 デルの対案として,日本のジュラ紀付加体の形成は,臨界 尖角モデルで華麗に説明できる可能性がある. 尖角(critical-taper angle)という一定の値を保とうとする 傾向があるという.第 8.11 図 a) にあるように,陸側の地 しかし,上記の問題に決着をつけるためには,付加体形 成年代をより詳細に決定し,付加ユニット間の変位の時期 殻の水平伸長や剥ぎ取り付加体の発達があると,尖角が小 さくなり沈み込みが不安定になる.そうすると,b) にある とその運動像を詳細に決めていかなくてはならない.今日 の環境は,そのように壮大だが時間のかかる研究の遂行を ように,底付け付加体の発達や構造浸食など尖角を大きく することがおき,尖角を一定に保つというのである.逆の 許してくれない.皆さんの世代の力を借りてでも,この,日 本列島の形成を考える上で最も重要な問題を,一刻も早く 場合もあって,尖角が b) のように大きくなり過ぎると,剥 解決するのが私の夢である. 三宝山海山の 沈み込み? 第 8.10 a) 図 日本の後期三畳紀~最前期白亜紀付加体の形成過程(案) b) 第 8 . 11 図 臨界尖角モデル 沈み込み帯陸側先端の角度(τ)を尖角といい.安定した沈み込みのためには,この角度が臨 界尖角という一定の角度になるという(ショベルカーに押される雪の先端の角度が,ほぼ一定を保つのと同じ).a ) のよ うに,地殻の水平伸長やはぎ取り付加体の発達で尖角が小さくなると,b ) の底付け付加体の発達や構造浸食など尖角を大 きくする作用がはたらくようになるという.
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