来時に多くの人の目に触れる部分。 そのため単に機能を満たす補強をす るだけではせっかくの景観を損なう ものになってしまいます。その結果 採用されたのが「斜面いろどり工法」 でした。 9 します。この海蝕洞でも天井面の自 然岩の色味が巧みに表現され、言わ れなければそれが人工物だとは気が 付かない馴染み具合を見せています。 岡三リビックは日本各地の景勝地 や公園施設で修景工事の実績を重ね、 様々なノウハウで景観形成に寄与し ています。 施 主 : 浜田市役所農林課 工 事 名: 石見畳ヶ浦保存整備工事 設計会社: 中電技術コンサルタント(株) 施工会社:(株)毛利組 施工規模: 斜面いろどり工法 159m2 物件概要 「斜面いろどり工法」とは法面など の補強に際して、もとの地形の地質 イメージを補強後にも再現するモル タル・コンクリート吹付工。「エージ ング」と呼ばれる年月を経た風合い を出す塗装技術により周囲の景観と 違和感なく融合した仕上がりを実現 186 祠の手前、洞穴天井部が「斜面いろどり工法」 によって施工された部分。 しかし、その景勝地の一角にある 海蝕洞は海特有の湿気・塩害等が原 因で一部の箇所に崩落の危険性がみ られたため人工的な補強が必要とさ れました。同所は千畳敷が点在する 箇所へと導くための天然のトンネル 通路も兼ねているため、観光客の往 No. 166 岡三マンスリー 2014- 07 NETIS 登録 斜 面 い ろ ど り 工 法( ) KT-140026-A 景勝地・畳ヶ浦の洞穴を修景 島根県浜田市の「石見畳ヶ浦」は 1932年に国の天然記念物に指定さ れた海岸景勝地です。一帯は千畳敷 の波打ち際と断崖が融合した景観、 波浪の侵食による海蝕洞等が点在し ており、地質学的に貴重な自然資料 となっています。 特にその名前の由来でもある千畳 敷は畳の様な珍しい形状を成してい ます。また石見畳ヶ浦は環境省の指 定する「かおり風景100選」にも認 定されており、景観と併せて磯の香 りでも訪れた観光客を楽しませてく れます。 ベトナム料理 ホ ー チ ミ ン 市 駐 在 員 事 務 所 Mai Thien Thanh ベトナム料理は他の国の料理ほど有名 で は あ り ま せ ん が、 お い し い 物 が た く さ んあります。フォー(米粉麺)や生春巻き、 バインセオ(お好み焼き)など、私にとっ てはやはりベトナム料理が一番です。 私 が 好 き な の は 生 春 巻 き で す。 生 春 巻 きが好きなのはたくさん野菜が入るから で す。 簡 単 に 作 る こ と が で き 食 べ や す い の で 私 の 家 で は 週 末 に よ く 食 べ ま す。 主 な 材 料 は 豚 肉、 海 老、 ビ ー フ ン、 レ タ ス そ れ に ラ イ ス ペ ー パ ー で す。 こ の 料 理 は 健康に良くとてもおいしいです。 ベ ト ナ ム は 南 北 に 細 長 い 国 な の で、 料 理 の 特 徴 も 地 域 に よ っ て 違 い ま す ※が、 共 通 す る の は、 魚 か ら 作 っ た 調 味 料「 ヌ ッ クマム」を使った料理が多いということ で す。 ヌ ッ ク マ ム 自 体 に も い ろ い ろ な 味 が あ り ま す。 私 は 生 春 巻 き に は 甘 い ヌ ッ クマムを添えます。 い ベトナムでは旧正月「テト」に向けて ろ い ろ な 料 理 を 作 り ま す。 私 の 家 で は バ イ ンチュン(豚入り餅)やバインテット(ち ま き )、 豚 肉 と コ コ ナ ッ ツ ジ ュ ー ス の 煮 込 みなどが用意されます。これにズアモイ (漬 物)とラッキョウも欠かせません。家族と と も に 食 べ る テ ト の 食 事 は 私 も 大 好 き で、 家族みなにとって大切な時間です。 ※編注 ハ ノ イ な ど 北 部 で は 塩 辛 い 味、 中 部 で は 辛 い 味、 ホ ー チ ミ ン な ど 南 部 で は 甘 い 味など味付けの傾向が異なります。 No. 166 岡三マンスリー 2014- 07 岡三リビック株式会社はこの 6月、 東京都港区港南 1丁目に本社を移転致 しました。昭和 46年に港区浜松町で 創業した当社は業務の拡大とともに事 務所を代え、創業43年で6ヶ所目とな ります。 港南地区は、平成 15年に JR品川駅 が東海道新幹線の停車駅となったのと 前後して大きく変化した新都心エリア です。当社の入居する「日新ビル」が 建つ一画もソニーやコクヨなどそうそ うたる企業の本社が揃う立地。新幹線 はもちろん羽田へのアクセスなど全国 との連携にも至便な品川を新拠点に、 岡三リビックはさらなる飛躍を目指し ていきます。今後ともご愛顧のほどよ ろしくお願いいたします。 なお、これまで本社と事務所を共有 しておりました岡三工事株式会社もこ の度北品川へと移転となりましたので 併せてお知らせいたします。 日新ビル外観 品川は、東海道五十三次の最初の宿場町。つまりかつて は江戸の外でした。品川駅高輪口の眼前を通る国道15号は まさに当時の街道筋、駅から1kmほど北上したあたりに江 戸の町の南境であることを示す巨大な門「高輪大木戸」が あり、宿場は現在の京浜急行北品川駅から青物横丁駅にか けて続いていました。 品川宿は、江戸を下る人にはもっぱら送る人とのしばし の別れの宴席の場として、また上りは参勤交代の隊列が江 運河を進む屋形船 北品川商店街 戸詰め役と連絡を取り合い江戸入り準備を整える場所とし て重用されました。最盛期には公家や大名が泊まる本陣・ 脇本陣以外に 110件の旅籠、 60件の水茶屋が並ぶ大繁華 街でしたが、参勤交代は時節を定めているため諸大名の宿 泊も重なりがちで、ビーク時には旅籠は連日超満員になり、 寝床を増やす貸布団屋が専業で成り立ったほどだとか。 北品川周辺にはいまも下町風情の商店街が残っており、 屋形船や釣り船が通り向こうの運河に停泊するさまに江戸 前の海に生きた地域の伝統を感じさせます。
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