北総線「私の苦労物語」 市役所が通勤利用を認めないほどの「北総線の高運賃」 (はじめに) 私は、千葉ニュータウン開発の初期、白井駅前では第一期の堀込団地に入居しました。以来約30年間、 北総線には高運賃だけでなく、高運賃を起因とする様々な苦労を強いられてきた利用者の一人として、 このたびの訴訟提起には万感の想いがあります。入居時は30歳になったばかりでしたが、成田開通を待 たず、今年の3月で60歳の定年退職を迎えました。この長すぎる期間の「苦労と苦痛」、これに伴う「恨 み?」を晴らす訴訟提起が、みな様方の熱意と努力、阿部弁護士らのご協力により実現し、これほど嬉し いことはありません。 すでに、北総線の高運賃にかかわる「不公正、不条理の数々とそれらを生み出した仕組みや経過」に ついては、本訴訟の訴状や証拠書類、この裁判の母体となっている「北総運賃値下げ裁判の会」や「北 総線の運賃値下げを実現する会」が公表している資料、運賃認可を審議した運輸審議会における住民ら の意見陳述等々で、多くの告発がされています。さらに、そうした理不尽な状態をつくりだしてきた仕組 みや背景についても明らかにされてきていると思います。 私は原告ではありませんが、北総線の高運賃等では多くの沿線の方々と同様に、様々な苦労を強いら れてきました。そこで、私と家族、そして我が家の暮らしにおける苦難の数々について、ここに「苦労物 語」として綴ることで、傍らからでありますがこの裁判に参加させていただきたいと思います。 1. 1) 白井駅前の堀込団地(第1期)入居から高砂乗り入れまで 新築の広い部屋、駅まで徒歩数分という夢のような生活のはずが まだ赤ん坊だった娘と家族3人で白井の堀込団地に入居してきたのは30年前のことでした。転居前 は、八千代市の狭い高津団地住まいで、京成八千代台駅に出るのもバスという不便さに泣かされていま した。それが、第一期分譲でしたので駅前、しかも変則的な間取りではありましたが従来の2世帯分を合 体させた100㎡を超える広い住居での新しい暮らしは、夢のような生活になるはずでした。確かに入居 当時は、北総線も北初富までの部分開業、駅前の商店街もプレハブで店舗数も少ないという不便さは ありました。しかし、白井駅南の東と西、現在のアーバンエクセルや中銀のマンションが建っている地区も 自然林のままで、夏には家の網戸や階段の明かりに誘われたカブトやクワガタがとれることさえありま した。こうした周辺の環境は、公害の心配も少なく、転居後に白井で生まれた息子を含めた幼い子ども たちの子育ての環境としても素晴らしいと感じたもので、「当面の不便」を上回る満足でした。 さて、私は船橋市役所に勤務していましたので、想定していた通勤経路としては、開通していた白井駅 から北初富駅までの2駅だけ北総線を利用し、そこから新京成線に乗り換えて津田沼方面に向かい、最 ~1~ 後は現在のJRか京成線に乗り継ぎ、船橋駅で下車するというものでした。これは、ジグザグしていて時 間もかかりますが、電車ですから運行時間は安定しており、乗り換えの不便さや残業時の電車の本数の 少なさ等については、親である私が「しばらく我慢すればいい」という覚悟をした上での住居選びであ りました。 ここで「しばらくの我慢」と表現したのは、すでに運行されていた東武線と交差している部分に駅が新 設されさえすれば、船橋に出る不便さは一気に解消されると考えたからです。事実、私が購入した団地 を分譲した旧住宅公団が宣伝用に配布していたパンフレットの地図には、その両線の交差部分にはっきり、 しかもかなり大きく「新駅予定」と印字されていました。線路の延伸も必要がない駅の設置ですし、この 新駅予定地の周辺はほとんどが空き地で用地買収等の困難は少なく、さらに鎌ヶ谷市役所からも近いこ とから、鎌ヶ谷市も積極的に駅前再開発に動くことが予想されるので(私の勝手読みではありましたが)、 その「新駅」はかなり早く実現するだろうと信じてのことでした。 しかし、この願いを込めた予想は見事に裏切られ、その新駅実現には20年以上もかかりました。この間 に失われた時間や費用を取り戻すことは出来ませんが、仮にこのように乗り換え駅の新設開設が遅れ、 それが実現する時には50歳を超えてしまっているということがわかっていたらこの千葉ニュータウン への入居は絶対になかったと思います。 2) 転居直後から「想定外の大苦難」に遭遇 さて、転居直後から早速「北総線の高運賃」を起因とする想定外の大苦難に見舞われることになりま す。それは、先に紹介した通勤経路については、「運賃が高く認められない」という市役所人事課の判定 が下され、届け出が却下されたことです。代わって指定されてきた経路は、バスを利用し、東武電車に乗 り換えるという経路で、この経路こそが「合理的な経路」であり、この一番安い経路による通勤手当しか 支給できないというものでした。 ※ 根拠は「通 勤 手 当 の 支 給 に 関 す る 規 則 」 の ( 運 賃 等 相 当 額 の 算 出 の 基 準 ) を 定 め た 第 6 条 に、「通 勤 に要 する運 賃 等 の額 に相 当 する額 (以 下 「運 賃 等 相 当 額 」という。)」の 算 出 は、 運 賃 、時 間 、 距 離 等 の 事 情 に照 ら し 、最 も経 済 的 かつ 合 理 的 と認 めら れ る通 常 の通 勤 の経 路 及 び方 法 による運 賃 等 の額 によるものとする。」とされており、これは国 家 公 務 員 に関 して定 めた 人 事 院 規 則 も同 様 で規 程 となっています。 自宅から白井駅までは約300mですから、徒歩で5分もかからないわけですが、利用することが出来 ないという全く想定外の「悲劇」でした。指定された経路は、白井駅を横目に見ながらバスが通る約1km 先となる木下街道沿いの停留所まで10分強をかけて歩き、そこから西船橋駅行きの京成バスに乗り、停 留所数としては16箇所目となる約7km先の東武線馬込沢駅付近で降り、そこから200mほど歩いて電車 に乗り継ぎ船橋駅に向かうというものでした。この通勤経路が嫌なら、差額を自己負担して電車で通勤 するという選択肢がなかった訳ではありません。しかし、当時の収入から考えるとかなり背伸びした新居 の取得でしたので、住宅ローンの返済はかなり過重になりました。比較的低い金利が設定されていた住 ~2~ 宅金融公庫から1900万円を借りたのですが、その返済額の合計は5100万円という契約となり、35年間 の均等返済として計算すると年間150万円弱を返済しなければならず、よく妻とも「入居後の5年、10年 を乗り越えられるかどうかだね」と語りあっていたという状況にありました。さらに、白井で生まれた息 子と二人の子どもの保育料は、都内と比べると確か2倍くらい、船橋市に比べてもだいぶ高く、ローン返 済とこの保育料で毎月の家計はギリギリでしたので、実質的に選択肢はなく、私の通勤上の我慢などは 当然のことでした。 3) 慢性的な渋滞と、雨の日の思わぬ悲劇など 実は、指定されたバス通勤による苦しみは、単に最寄りの白井駅を利用できず、停留所までの徒歩に よる往復が苦痛ということにとどまるものではありませんでした。 その第一は、バスは運行時間が安定しないということです。当時も今と同じように、新京成線の鎌ヶ谷 大仏駅手前の交差点、続いて東武線の馬込沢駅手前の県道船橋取手線との交差点、この二箇所は毎朝 渋滞したのです。特に雨の日の渋滞とバスの遅延はひどく(車が多くなるのと自転車利用者もバスに切 り替えてくるため)、遅刻にならないかヒヤヒヤし通しの乗車となりました。ようやく停留所に到着すると、 直ちに停車中のバスの前を横切り、馬込沢駅までの約200mをダッシュさせられることもしばしばでした。 また、このバス路線は中山競馬場前を経由していました。今でこそ市役所も週休2日制ですが、当時の土 曜日は半日勤務で、中山競馬の開催日にあたった土曜日の渋滞ときたら、それこそ異常な遅延で、1時間 位も遅れることさえあったものです。 第二は、終バスの時間が早かったので(夜10時過ぎだったと記憶)、これに間に合わない残業の時な どは、自腹で電車での帰宅を余儀なくされたことです。加えて、遅い時間帯での北総線ダイヤは少なく、 乗り換えの北初富駅では20分以上もただ一人(遅い時間帯の津田沼方面からの乗り換え客はまずいな かった)、冬は寒さ対策として、夏は襲いかかってくる蚊と蛾を避けるためにホームの上を何度も往復し ながらひたすら待つという辛さも加わりました。また、雨の日の帰りのバス待ちも悲惨でした。馬込沢駅 前停留所は歩道部分が著しく狭いうえ、その前の車道は車のわだち部分が大きくへこんで大きな水た まりになっていました。このため、車が通るたびに、ある時は傘で、傘で間に合わないときは飛んで水ハ ネをよけながら、いつ来るとも知れないバスを待ち続けなくてはならなかったことです。多分、この辛さ と切なさ、腹立たしさなどは、実際に体験されないと、なかなか実感をもってはご理解いただけないと 思います。 こうした辛い思いをした時には、いつもそうしてきたように「白井は自然も豊かで子育てにはとても いい環境なのだから、親の自分は我慢しなくては」という自分への慰めの言葉を自身に言い聞かせまし た。しかし、それでも我慢が出来ないという時もあります。こんな時は、馬込沢駅前のタクシー乗り場に 戻り、タクシーで帰るという腹いせをするわけです。しかし、このような時は、決まって雨天渋滞がひどい 時なので、タクシーもなかなか駅に戻ってこず、30分以上待たされることもありました。さらに、こうした 時に限って悲劇は重なるもので、タクシー乗り場から見える100mくらい先の木下街道を、遅れに遅れた バスが通過していってしまうこともありました。また、このタクシー利用は、給料日が近づいて小遣いの 残額が乏しくなって財布を覗き込んでいる時に思い出し、後日になって当日の「軽率な行動」の反省を ~3~ 迫られるという、何とも情けなく、かつ悔しいおまけまでつくことになりました。 2. 1) 東京乗り入れから現在まで 高砂開通により、思いもかけず誕生した新たな通勤経路 1991年3月、12年を費やしてようやく高砂まで開通し、東京方面への利便性は一気に向上しました。高 運賃を除けば、このこと自体は我が家にとっても嬉しいことでしたが、東武線との乗り換え駅の実現が この東京乗り入れより遅れるということは全く予想していませんでした。この原因が京成と東武という 資本系列の違いによるものか、当時の鎌ヶ谷市長が保有していた土地が東武線の鎌ヶ谷駅周辺で、新鎌 ヶ谷駅周辺の開発には後ろ向きだったということなのか、その両者の真偽のほども含めて本当の理由を 私にはわかりません。しかし、公共交通機関で、その路線の敷設や許認可等において国や県などの関与 がかなり強くあると思われる中で、利用者の利便性など平気で無視する資本=会社の体質的なものに 怒りを感じたものです。船橋市における類似した事例では、新京成の新津田沼駅とJRの津田沼駅が離れ ているということなどがありますが、どれだけ多くの利用者が毎日の通勤、通学で無駄な時間や苦労を 強いられ続けていることか・・・・。 話を本題に戻します。 ところが、この東京乗り入れとその後に始まった急行の運行は思わぬ通勤方法を誕生させました。つ まり、白井駅から高砂駅経由で京成線に乗り換え船橋に向かうという経路が浮上してきたのです。現在 の新鎌ヶ谷駅で乗り換え、東武線で真っすぐ南下して船橋駅に向かう経路は14.5kmしかありませんが、 この経路は倍以上の30.2kmが乗車距離になることから、一見して不合理と思う経路です。しかし、北総 線、京成線の両方とも特急を利用すると、停車駅の少なさ(船橋駅はわずか5駅目)ということもあって 乗車時間はかなり短くてすむのです。さらに船橋市役所は、京成船橋駅からの方が東武線の駅より近い こともあり、この新たな経路の総所要時間(自宅から市役所まで)は、現在の新鎌ヶ谷駅乗り換えと比較 しても5分程度しか違わないというほど早かったのです。 2) 再び北総線利用の通勤経路が認められませんでしたが 早速、この「最も便利=短時間の経路」による通勤届を提出しました。しかし、運賃の高い北総線をフル に使うこの経路を市の人事課は再び認めず、また「悪夢のバス経路」を指定してきました。ただし、この 時は、入居当初と違ってバス通勤の苦労はもうこりごりという気持ちでいっぱいでしたから、簡単には引 き下がりませんでした。 「通勤時間と運行の安定性の差は歴然としており、一般的に『通勤時間の短い経路が合理的』とすべき ではないか」 「千葉県の職員で、船橋が勤務地の職員(県税事務所や保健所などは市役所に隣接)には高砂駅経由 の通勤が認められているのに、なぜ船橋市は認めないのか」 「合理的というのであれば、多くの通勤・通学者が選んで利用する経路こそが合理的と判断すべきで、 ~4~ 現実にバスで通っている同地域の住民はほとんどおらず、現地の状況を確認・調査してから判定すべき だ」等々の申立てです。 なお、この時は直ちに高砂駅経由の定期券を購入しました。支給額との差額は自己負担をしなくては なりませんでしたが、通勤時間が短く、バス通勤の苦難から解放されるのですから、もう迷いはありませ んでした。そこで、通勤届けには6ケ月の定期券のコピーを添付し、一歩も引かない強い姿勢で人事課の 担当者と折衝を繰り返しました。こうして人事課は、北総線の利用をようやく認めました。この時期には ニュータウン地区在住の船橋市職員も増えてきていましたが、沿線在住職員の多くの方から感謝の言葉 をかけられたものです。 しかし、6ケ月の定期代は確か20万円を超えるような異常な高さでした。ですから船橋市自身も原告 の一人としてこの値下げ裁判に加わってもおかしくない程の損害を受けてきていることになります。な お、現在の新鎌ヶ谷駅で東武線に乗り継いでの船橋駅までの経路実現には20年もの長い歳月がかかり ましたが、その運賃(往復)と定期代(月)は以下の通りとなっています。 区 間 距 離 往復運賃(片道) 1か月通勤定期券(6か月) (北総線) 白井駅∼新鎌ヶ谷駅(2駅、5.1km) 700円(350 円) 15,370円(83,000 円) (東武線) 新鎌ヶ谷駅∼船橋駅(5駅、9.4km) 380円(190 円) 7,920円(42,770円) 合 計 3) 1,080 円(540 円) 23,290 円(125,770 円) 子どもの授業料とのダブルパンチ こうして、私は悪夢のバス通勤の日々から解放されたものの、その後二人の子どもは高校・大学と私立 に通うことになり、今度は異常に高い通学定期代に泣かされることになりました。現在の通学定期代で も他の鉄道路線に比べて約3倍といわれる異常な高さですが、それでもこの7月から25%程度の引き下 げがなされてのことです。しかし、私の子どもたちが通学していた時は、当然この値下げも白井市からの 定期代助成もなかった時期ですから、他の鉄道に比べた通学定期代の約4倍という凄まじいとさえ感じ る額で、授業料とあわせてきついダブルパンチでした。したがって、家計の年間における支出計画の中 では、授業料とともに年2回の定期代の購入時期を予定しておくことが必須でした。 高校や大学授業料もヨーロッパにおいては公共的かつ将来の国を支える重要な施策として無料など の特別な配慮がなされているようです。当時は、通勤・通学という公共的な交通機関の運賃と授業料、 この二つの家計負担のあまりもの多さに、「この日本という国の政治の異常さを象徴している」と強く感 じたものです。 (注) 新幹線利用などの遠距離通学ということでなく、長女の大学は都区内で通学距離は41.8km、 長男の高校までは14.6kmという状態でしたが、通学の定期代だけで年額40万を超えました。なお、 この時期の私たち夫婦の通勤定期代も年額60万円を超えており、家族4人の通勤・通学定期代だけ で、年額100万円を超えていたことになります。 ~5~ 4) 家族と北総線 妻は船橋市の保育園に勤務しています。配属5年前後で市内各地の保育園への異動が繰り返されて きていますが、この通勤経路でも常に「北総線の高運賃」による制約を受けてきました。それは、1時間に 1∼2本しかないバス利用の経路でも、その経路が「経済的=安い」であるかぎり、船橋市はその経路を 指定してきたからです。 長女は現在、地下鉄東西線の沿線にある医療系の専門学校に通っていますが、2度の乗り換えですむ 北総線の東松戸駅と東西線の西船橋駅経由ではなく、3度の乗り換えになる船橋駅経由(新鎌ヶ谷駅、 船橋駅、西船橋駅で乗り換え)を利用しています。月に千円程度の差しかないのですが、「運賃は少しで も安く、経路は北総線乗車をなるべく少なく」という、我が家族を含む沿線住民の脳に刷り込まれた大 原則に基づく選択をするとこうなるからです。 また、中学生以上になった子どもたちから、映画を見るなら「画面の小さな船橋ららぽーとではなく、 有楽町の映画館で」というリクエストに応えて家族4人で行くと、軽い食事を含めて約2万円もかかりまし た(運賃で約9千円、映画代金で約6千円、ポップコーンや昼食等で5千円)。 こうして、私だけでなく、家族を含めて、北総線の高運賃に起因する苦労には、この30年間常につき まとわれてきたと言っても過言ではありませんでした。 5) 東京に続き、成田にもつながりましたが 東京への乗り入れ、東武との乗り換え実現に続き、ようやく成田への延伸がこの7月が完成し、運行さ れはじめています。しかし、これには何と30年以上も要したことから、ついにこの3月で定年退職になっ てしまいました。定年になって、ゆっくり東京の美術館や博物館等を巡りたいと思っていましたが、すで に半年以上が経過したものの、病院への通院など別の用事があったりした時に立ち寄ってくるぐらいに とどまっています。先の9月20日には、私が好きな唐津の若手陶芸作家が上京し、銀座で2回目となる個 展の案内があり、買い物を兼ねて妻と二人で観に行きました。この日の経路は、東京に出かけるときは必 ず行うネットの「乗り換え案内」等のチェックで東松戸駅付近には上限500円の駐車場があることがわか り、車で東松戸駅へ、続いて武蔵野線で西船橋駅に、そして営団地下鉄を利用して銀座に向かうという 経路を選択しました。 北総線利用の場合の所要運賃(大人2人の往復) 2人の往復 (1人の片道) 北総線 1)白井駅∼東松戸駅 (10.3km) 1,920円 (480円) JR 2)東松戸∼西船橋 (7.8km) 640円 (160円) 営団 3)西船橋∼銀座 (20.7km) 1,080円 (270円) 合 ※ 計 東松戸の駐車場利用の場合 3,640円 (910 円) 500円+ガソリン代(約250円)で、約1,170円(32%)の節約。地 球温暖化には良くないとは自覚しているのですが・・・。 こうした、東京に出かける際の「経路選択」は、回数券利用の場合との比較を含めて、その都度チェッ ~6~ クすることが我が家においては「必須の習慣」になってしまっています。しかし、冷静に考えてみると、鉄 道は一本しか通っていないのに、時刻表や乗り換えの確認のためではなく、多少の時間的なロスや乗り 換えの不便等があっても、その日の予定にとってどの経路が一番経済的かつ合理的かということを「毎 回パソコンで検索し、チェックして選択する」という地域が他にあるのでしょうか。こうした検索時間の無 駄を含めた「奇妙な習慣」は、長年のことなので当たり前のようになってはいるものの、これまた北総線 の高運賃が主要な原因です。なお、北総線は乗り換えなしで日本橋や銀座、新橋などに直結しています ので、仮に北総線の運賃が他社並みであれば、都内の各地に出かける場合でも、その路線からの効率的 な乗り換えという経路を選択します。しかし、北総線の運賃が異常に高いことが大前提ですから、白井駅 から東京方面に出るには、以下のように多くの経路の中で、その時々の行先等に応じて使い分けること になります。 1.乗り換えなしの行先(北総線フル乗車で、そのまま都内の日本橋や東銀座などへ) (北総線で京成高砂、京成線押上線で押上、都営浅草線で泉岳寺、京浜急行で羽田空港方面) 2.東松戸乗り換え(JR武蔵野線や営団地下鉄東西線利用し、直接東京駅や大手町などへ) (北総線で東松戸、JR武蔵野線で直接東京か、西船橋から東西線で大手町、中野方面) 3.新鎌ヶ谷乗り換えで東武線利用(船橋から東京方面へ) (北総線で新鎌ヶ谷、東武野田線で船橋、船橋から総武線で東京や中野方面) 4.京成高砂乗り換え(京成本線利用で、日暮里、上野へ) (北総線で京成高砂、京成本線で日暮里=山手線乗り換えや上野へ) 5.新鎌ヶ谷乗り換えで新京成線利用(松戸から常磐線で日暮里、上野へ) (北総線で新鎌ヶ谷、新京成線で松戸、常磐線で日暮里や上野へ) 以上が、東京に入る基本ルートになりますが、ここからの派生的な経路として、例えば都庁に行く場合 は蔵前で一旦改札口を出て、少し外を歩いて都営大江戸線に乗り継いでいくのが一番安いとか、行先に 応じて効率的な乗換駅や経路が複数あり、営団沿線で何度か下車する予定の場合は、西船橋で営団の 一日乗車券(710円)を利用するとか、本当に複雑な比較検討となります。ここまでくると、便利なのか、 不便なのかさえわからなくなり、パソコン検索して迷っているうちに、一本電車を行き過ごしてしまうこ とも少なくありません。 6) 北総線の高運賃、その他の原因 また、北総線はそれ自体が高運賃ということですが、先に列記した経路でおわかりいただける通り、 乗り換えなしで羽田行く場合や、都内で営団線に1回乗り換えるだけでも、結構かさんだ運賃になってし まっています。というのは、たとえ羽田空港まで一本で行けた場合でも、乗車する会社は「北総線、京成 線、都営線、京急線」と4社の路線利用となり、多少乗り継ぎ割引が効いたにしても割高になってしまう からです(51.8kmで1,440円)。また、営団地下鉄に1回乗り継ぐだけでも4社を使いますので、総乗車距 離ではたとえ30km程度でも、運賃は1,090円にもなってしまいます。他方、これを西船橋経由の3社利 用(北総線、JR、営団線)にすれば910円で180円安くなりますし、東松戸から武蔵野線で東京駅に出れ ば2社の路線で930円と160円安くなります。 ~7~ 北総線には、上記の通り乗り継ぎ会社数が多いことによる一層の高運賃が加算されています。 今一つ、この北総線は、短距離ほど運賃が高いという著しい傾向をもった運賃体系になっています。 先に、白井から新鎌ヶ谷までのわずか2駅、5.1kmで 350 円と紹介しましたが、京成上野∼白井∼成田空 港間の距離と運賃をJRの場合と比較するとその特徴がより鮮明になります。 京成上野から成田空港までは、64.1kmで 1200 円。同距離のJR運賃は 1110 円比で8%だけ割高。 白井から成田空港までは、33.6kmで 850 円。同距離のJR運賃は 570 円比で50%も割高。 反対に白井から京成上野駅までは30.5kmで 900 円。同距離のJR運賃は 480 円で87%も割高。 特に、京成上野から成田空港まで通しで乗れば 1200 円と、JR運賃ともそう変わりはないですが、仮に 白井駅で途中下車してから成田空港に行くとそれだけで 1750 円と 550 円(46%)も高くなってしまうの です。仮にこの路線がJRであった場合は通しが 1110 円、白井駅で途中下車した場合でも 1150 円と 40 円(5%弱)しか高くなりません。この例で明白なように、JRなどとの競争関係にある京成上野から成田 空港の運賃は、相対的に抑制的に設定されているものの、私の居住する白井からの乗車では上りの上野 方面でも、下りの成田空港方面でも、相当に割高の運賃が強いられる体系になっているのです。 本来鉄道運賃は、その乗車距離に応じた受益を受けていると考えられ、乗車距離と運賃は比例させる のが基本だと思いますが、北総線の場合はそれが著しく歪められていると言えます。 7) 運行ダイヤでのわがもの顔の京成と、不便さの増大 ところで、成田空港への乗り入れ開通後は、高運賃だけでなくその特急待ちを含めた「ダイヤの異 常」にも強いストレスを感じています。というのは北総線の線路なのに、その運行ダイヤは明らかに京成 優先で、私の通勤では逆に「不便」になってしまっています。特に、通常の帰宅時間となる18時台の新鎌 ヶ谷駅では、1時間に8本が運行されていますので、平均すると8分弱の間隔になるはずです。ところが、 このうち2本は特急で白井駅にはとまりません。停車するのは、03、21、25、35、49、55分の計6本ですが、 問題はその運行間隔で、ご覧のように3分のあとは21分で、何と18分の待ち時間で、逆にその後はわず か4分で、そして10分、14分、6分と著しいバラつきがあります。特に18分という異常に長い間隔は、京成 が乗り込んでくる前にもなかったもので、線路使用料も払わない親会社、ただ乗りの京成が優先された 我がもの顔の運行ダイヤと、またまたその犠牲にされていることへの怒りは更に増幅されています。 ようやく成田まで延伸されましたが、妻との年1回程度の短期の海外旅行は今まで通り、USAパーキン グの利用になるような気がしています。メタボ型運賃体系のため、日暮里∼成田空港間は62kmで1200 円、白井∼成田空港間は33.6kmで850円。距離は約半分の54%なのに、運賃はその71%にもなってい ます。所要時間でも京成が大宣伝しているのは都心から成田に36分というものですが、わが白井駅から は、千葉ニュータウン中央駅で特急に乗り換えても36分を下回る所要時間のダイヤはありません。 成田空港を利用する場合、当然総合的な経費や時間、荷物の扱いを含めた利便性等の比較検討をす ることになると思いますが、30年余の苦労と、上記のような新たな「理不尽」が明らかになっているこ とから、仮にパーキング利用と金額が同程度であるならば、北総線を支配しつつ、線路ただ乗りの京成 には乗りたくないというのが正直な気持ちなのです。 このように、北総線への怒りと恨みは非常に深いものです。電車は北総線一本しか走っていない言わ ~8~ ば「独占」的な交通機関であるわけですが、「なるべく北総線は使わない、使いたくない」という思いは、 この30年間に刷り込みのように染みついてしまいました。 8) 北総鉄道㈱の非常識極まる「ふるまい」も絶対許せない 最後に、「高運賃やこれに伴う苦労」ということではありませんが、どうしても許せないことに、この 間の北総鉄道㈱の「ふるまい方」があります。ぜひ、添付の文書(6月11日付け)を読んでいただきたいと 思います。北総鉄道㈱が自らの立場を全くわきまえない傲慢な姿勢と見識のなさ等々、非常識極まる内 容で、ここに問題の根源の一つが凝縮されていると直感しました。 それにしても、こうした内容の文案の起案を指示し、それを決裁して代表者印を押し、恥ずかしげもな く送達してくる北総鉄道㈱の経営陣の姿勢、見識のなさには慄然とします。私企業とはいってもその社 会的な責任は当然ありますし、とりわけ公共性の著しく高い旅客運送業を営んでいる上、白井市を含む 関係自治体の出資や補助を受け、株主にもなってもらっており、施設改善などでも補助金の交付を受け るなどをしてきた会社が出せるような文案では絶対ない、恫喝ともとれる非常識極まる内容と表現だ と私は感じましたがどうでしょうか。私は、一般の私企業以上に高い見識と公共性を強く認識した経営を しているものと信じていましたが、本当にビックリし、初めて読んだときは我が目を疑い、慄然とさえしま した。これは、北総鉄道㈱が出したというより、50%の株式を所有し、実質的に自らの支配下においてい る京成電鉄及びそのグループの指示なのでしょう。京成グループの本質が見事に集約しているように も感じた次第です。 こうなると、単に北総線や京成にはなるべく乗りたくないという気持ちから、駅前駐輪場(この成田開 通の7月から有料化)の費用は、北総線利用者=顧客のための施設と費用なので本来は鉄道事業者に負 担させるべきではないかとか考えたり、以前は「かわいくないパンダだな」程度で、特別な感想を持つ ことのなかった京成のマスコットキャラクターのパンダの細長い切れ長の目が、「陰険で利用者をにらみ つける表情」に見えてきたりするから不思議です。そう言えば、船橋市の前市長時代に賄賂としての違法 献金で逮捕され、有罪になったのも京成グループの建設会社の専務だったなどと思い出してしまった り・・・。きりがないので駄文をこの辺で打ち切ります。 本訴訟において、沿線住民がこうむってきた苦難の数々を押しつけてきた一連の不正義、不合理に司 法のメスが入り、不公正、不公平、理不尽、正義にもとる幾多の事態がその公正な判決によって是正され、 運賃の適正化(抜本的な大幅値下げ)がはかられることを心から願うものです。 注1)北総線の路線名は開通当時と現在では正式名称は変更になっていますが、全て北総線という簡 略名で統一しました。 注2)運賃については成田空港まで開通になった本年7月から、「関係自治体からの税金投入を前提 (?)にした5%弱の値下げが暫定的(?)」になされています(これ自身大きな問題を沢山内包して いると思いますが)。としますと、「本来の運賃」は同開通前の運賃(上記5%弱の値下げがされてい ない状態)ということになり、その方が高運賃を印象づけることに有用だとは思いましたが、ここ ではお読みいただいた方々に煩わしさを生じさせないために、値下げ後の運賃で記述しました。 ~9~ 例えば、本文中では白井から新鎌ヶ谷のわずか2駅、5.1kmで350円とありますが、これは370円、 往復で740円ですからこの分だけで営団線地下鉄の1日乗り放題より高くなります。同じく東松戸ま での5駅で480円とありますが、これも500円でした。したがって、夫婦二人で往復するとなると「北 総線分だけで2千円」と瞬時に計算する習慣ができていますので、1日上限500円の駅前駐車場が あることが新たにわかると「10km程度運転すれば1500円節約!」と反射的にピーンと来てしまっ たわけです。 S.T (白井市在住) ~ 10 ~ (参考資料) 北総総22発第50号 平成22年6月11日 白井市長 横山 久雅子 様 千葉県鎌ケ谷市新鎌ヶ谷四丁目2番3号 北総鉄道株式会社 取締役社長 笠井 孝悦 自治体支援の確実な実施について 拝啓 時下ますますご盛栄のこととお慶び申し上げます。 弊社業務につきましては、平素から格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。 さて、北総線の運賃値下げにつきましては、弊社としては依然として債務超過状態にあること及び今 後の事業環境を考えますと本来運賃値下げを実施する状況にはないものと認識いたしておりましたが、 千葉県他関係自治体からご要望をいただき、かつ国土交通省の調整により昨年11月30日付けで合意を みたところでございます。 しかしながら、合意書1.に規定されている自治体の補助金について、貴市のみ未だ議会の同意が得ら れておりません。 この間、千葉県をはじめとする関係者におかれましては、諸般の努力をしておられることと承知いた しておりますが、このままでは合意の実施に支障をきたしかねないものと懸念いたしております。 一方、合意書2.(1)∼(3)に規定されている運賃値下げに係る届出はもとより、事業者側で実施すべき 諸準備は全て終了し、7月17日のスカイアクセス開業もいよいよ間近なものとなっております。 そういった中で、仮りに合意に反して貴市の補助金が欠けることとなった場合、弊社といたしましては、 補填のない減収発生といった事態を回避するため、可及的速やかに実施運賃を認可運賃レベルまで値 上げせざるを得ず、又値上げまでの間の損害分についての支払いを求めざるを得ないものと考えてお ります。 従いまして、その種の事態を避けるために、遅くとも開業までには北総線の運賃値下げに係る補助金 の支出について、合意書を踏まえて対処していただくことを改めてお願いいたします。 敬具 ~ 11 ~
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