おいしさを科学する 「塩味」 料理の決め手となる塩は、人が生きていく上でも 欠かせない重要なものです。塩にはどのような性質・ 働きがあり、私たちの食生活に関係しているのか、 改めて探ってみました。 細胞外液は体内の中の海 ●図表1 K+ 生命は原始の海から発生したと考えられています。ナトリ ウム、塩素、マグネシウム、カルシウム、カリウムなどのイオン Mg 2+ 海水 こうして誕生したヒトの身体は、約60%が水分です。この 呼ばれます。この細胞外液には、ナトリウムや塩素など海水 にとても似た構成比の成分が含まれています(図表1)。60兆 個あるといわれる人間の細胞は、いわば細胞外液という海に 浮かんでいるのです。 Ca2+ + Mg2+ K 血清 ミネラルはナトリウムと塩素です。これらのミネラルが常に バランスをとりながら細胞内外の浸透圧を調節し、浸透圧の 作用で栄養が細胞内に取り込まれ、また反対に細胞内の老廃物 。細胞膜を通したこのよう を細胞外に排出しています(図表2) な物質の循環によって身体は機能し、生命活動が維持されて います。 細胞外液の水分量と浸透圧を一定に保つため、体内には常 に200g近くのナトリウムと塩素、つまり食塩が保持されてい 炭酸水素塩 Cl− 炭酸水素イオン 300 400 有機酸 Na+ たんぱく質 600 炭酸水素イオン 炭酸水素塩 2− リン酸水素イオン Mg2+ Ca2+ SO4 Na + K + 間質液 500 非電解質 Cl− 非電解質 Cl− たんぱく質 有機酸 SO42− リン酸水素イオン 0 50 100 炭酸水素イオン 炭酸水素塩 150 200 ミネラル濃度(mEq/L) 細胞外液と同じく、細胞内液にもミネラルが含まれていま すが、細胞内液の主なミネラルはカリウムで、細胞外液の主な Na+ リン酸水素イオン 200 100 0 やがてヒトが出現しました。 は血液と細胞間を満たしている体液で合わせて細胞外液と Ca 2+ SO42− に満たされた海で誕生した原始生命体は、進化の道をたどり、 うち3分の2は細胞内に存在し細胞内液と呼ばれ、残り3分の1 海水と体液(細胞外液)の比較 伊東敬一「食塩と健康の科学」講談社 2001より ●図表2 細胞膜の浸透圧の仕組み 細胞内液 主に カリウムイオン リン酸水素イオン 栄養 細 胞 膜 老廃物 細胞外液 主に ナトリウムイオン 塩素イオン 伊東敬一「食塩と健康の科学」講談社 2001ほかより作成 ます。 浸透圧以外にナトリウムは、体液のpHを一定に保ち、神経の 伝達、筋肉の収縮などにも関与しています。また、塩素は胃液 中の塩酸の成分として重要な役割も担っています(図表3) 。 塩と食塩 酸とアルカリが反応すると、水とともに化合物が生じます。これを塩(えん) または塩類(えんるい)といいます。 塩(えん)には、硝酸塩、硫酸塩、ホウ酸塩、炭酸塩、ケイ酸塩などさまざま な種類がありますが、そのなかで特に塩化ナトリウムを食塩とよび、他の塩類と 区別しています。 ●図表3 塩の生理作用 ●浸透圧の調整/細胞の状態を一定に保つ ●酸・アルカリの平衡/体液のpHを7.4の弱アルカリに保つ ●栄養の吸収/浸透圧で栄養素を細胞内に送り込む ●筋肉の収縮/筋肉細胞の活動電位の発生に関与して筋肉を収縮させる ●神経の刺激伝達/ナトリウムイオンが活性電位の発生に関与して 神経に刺激を伝達する ●胃液の塩酸/塩素イオンが胃液の成分として食べ物を殺菌し酵素と ともに食物を分解する 杉田静雄「塩の科学」海游舎 2001より作成 おいしさを科学する 「塩味」 ●図表4 原料 岩塩 輸 入 製 品 海水 湖塩 塩の違い 塩の原料は主に海水と岩塩です。岩塩は大古の海水が蒸発 して堆積したもので、もとをただせばやはり海水です。 塩の製造方法は大きく分ければ、1)海水を太陽熱で蒸発 させ、その塩の結晶を得る方法、2)海水などを濃縮し、それ を釜に入れて煮詰める方法、3)岩塩の採掘、になります。 日本では塩の専売制のもと、1972年以来、ほぼイオン交換 膜法という日本独自の方法で海水から作った高純度の食塩の みが生産・流通していましたが、1997年に塩の専売制度が 廃止され、現在は自由な塩の製造販売が可能となり、輸入塩 を含めてさまざまな塩が販売されています(図表4) 。 塩はミネラルのかたまり 海水中のミネラル成分は3.5%程度。微量な元素まで含めると 100種類以上の物質が含まれています。 そのなかで塩化ナトリウム は約8割弱、次に多いのが塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、 硫酸カルシウム、塩化カリウムで、これらでミネラル成分の 99.6%以上を占めます。 塩化ナトリウム以外のミネラル成分は苦汁(にがり)といい、 豆腐の凝固剤として知られています。 苦汁が多く含まれる塩を「ミネラルの多い塩」という言い 方をしますが、そもそも塩はミネラルのかたまりです。 塩化ナトリウムは舌を刺すような塩辛さですが、マグネシウム は苦味、カルシウムは甘味、カリウムは酸味があり、塩の味に それらの成分が影響します。にがりはその名の通り苦味があ り、含有率が多すぎると味が悪くなりますが、適度にふくま れていればむしろ塩をおいしく感じさせるのです。 海水 国 産 製 品 天日塩 塩の種類 分類 岩塩 製造方法 岩塩を粉砕したもの 岩塩を溶解したかん水を結晶缶によりせん ごうしたもの 岩塩を溶解したかん水を天日濃縮して結晶 岩塩かん水天日 化させたもの 天日塩 海水を天日濃縮して結晶化させたもの 天日塩を溶解したかん水または海水濃縮か 天日かん水せんごう ん水を結晶缶でせんごうしたもの 湖塩 湖塩を粉砕したもの 湖塩を溶かしたかん水を結晶缶でせんごう 湖塩かん水せんごう したもの 海水をイオン交換膜電気解析法で濃縮した イオン交換膜かん水 かん水をせんごうして製造した塩、または、 せんごう その塩を原料としたもの 海水を天日で濃縮したかん水から作られ、 そのまま天日濃縮して結晶化させたもの 海水蒸発かん水濃縮※ 、または濃縮かん水を平釜など (天日塩) で加熱して結晶化させたものなど 輸入したオーストラリアまたはメキシコ産 の天日塩を原料としたもので、溶解したか 輸入天日塩加工 ん水を加熱して結晶化させたもの、または、 天日塩を粉砕したものなど 岩塩かん水せんごう ※海水直接噴霧乾燥品、逆浸透濃縮かん水使用も含む。 『日本調理学会誌』 、Vol.36 No.3 2003 (財)塩事業センター海水総合研究所「市販食品の品質Ⅱ」 「かん水」と「せんごう」 海水に含まれる3.5%程度の塩分を取り出す製塩法は、世界的には天日製塩が 主流です。太陽エネルギーを利用して海水から水分を蒸発させ、塩の結晶を得ま す。メキシコ、中国、オーストラリアが主要な産地です。 日本では、雨が多く高温多湿のため、天日製塩は適していないため、太陽と 風の自然の力や蒸気熱、逆浸透圧装置などを利用して、まず塩分濃度が凝縮さ れた「かん水」と呼ばれる濃い塩水にして、この「かん水」を煮つめて塩を作っ ています。「かん水」を煮つめて塩を作る作業を「せんごう」と呼びます。2つ の行程を経るのは、大量の海水を直接加熱して蒸発させるには、大量の燃料を 消費してしまい効率が悪いからです。 イオン交換膜法 日本で開発・実用化された方法で、海水を20%濃度のかん水にまで濃縮する ことができます。これによって得たかん水の水分を真空蒸発缶で蒸発させ、 最後に脱水器で苦汁を含んだ水を取り除いて塩の結晶を採取します。 塩とにがり成分 にがりを含む塩類はゆっくりと水を蒸発させ続けると濃縮されてやがて結晶と なって成長します。析出する順番は決まっていて、塩化ナトリウムが先に結晶 し、その後にがりの成分が結晶となります。塩がある程度でてきたところでそれ 以上濃縮をやめてしまえば、すでに固体の結晶になっている塩の成分とまだ液体 に溶けたままのにがりの成分とを分けることができます。 塩の結晶は濃縮されるスピードが速いと細かく、ゆっくりだと大きくなります。 1個1個の結晶を大きく成長させると表面積が少ないので、付着しているにがりの 成分は少なく、大きく結晶させたほうが純度は上がることになります。 塩が析出したあともさらに濃縮を続けると、後に続く各種にがり成分も結晶し、 にがりを含んだ塩になります。 おいしさを科学する 「塩味」 塩と味の関係 塩味をおいしいと感じられる許容範囲は他の調味料にくら べるとたいへん狭く、薄すぎると美味しくなく、濃すぎると 食べられないほどに感じます。 一般に、体液の塩分濃度0.9%と同じ程度の塩分濃度が調理 の基本とされており、お吸い物や汁物はこの濃度よりやや 薄目の味付けします。煮物は塩分比率が高くなりますが、これ はご飯と一緒に食べることを前提に調理するからで、実際、 ご飯と一緒に食べると塩味は薄められてちょうどよい味付け になります(図表5) 。 また、塩は味付けだけでなく、他の味とのバランスでさま ざまな効果を発揮します。たとえば、おしるこに少量の塩を ●図表5 料理の塩分濃度 加えると却って甘さが引き立っておいしくなる、コンブや 塩分(%) かつお節で出汁をとるとき塩を少量加えると旨みが増す、 などです。このように旨みや風味などを強調させる作用を 「対比効果」といいます。 さらに。寿司酢には塩を加えますが、これは塩によって酢 の酸味が抑えられるからです。 「塩梅(あんばい)がよい」とい う言葉がありますが、これも塩によって梅干しの酸味がちょう どよくなったことをあらわしています。このように塩によって 酸味が抑えられることを「抑制効果」といいます。 0 1 サラダ・ごはん物・スープ・オムレツ 0.5 にんじんグラッセ 0.5 吸い物・茶碗蒸し・シチュー みそ汁・けんちん汁 ソテー・ハンバーグ・ビーフシチュー 卵焼き お浸し・煮浸し 2 3 4 5 0.6 0.6∼0.8 0.6∼0.8 1 炒め物・おでん さやえんどうの卵とじ 1∼1.2 1.2 酢豚 1.2∼1.5 里芋の煮付け・いりどり 1.2∼1.5 豚肉生姜焼き 白身魚の煮付け 1.5∼2 1.5∼2 即席漬け 2 サバのみそ煮・青い魚の煮付け 2 しいたけ・かんぴょうの煮付け つくだ煮 「五訂増補食品成分表2007」女子栄養大学出版局2007より 2∼3 5 おいしさを科学する 「塩味」 ●図表6 食塩と砂糖の浸透速度 5 ジャガイモ (食塩) 4 浸 3 透 量 ︵ 2 % ︶ 調理と塩 ジャガイモ (砂糖) ダイコン (食塩) 1 ダイコン (砂糖) 調理の順序は「サシスセソ」とよく言われます。サは砂糖、 シは塩で、これは塩のほうが砂糖よりも浸透速度が早いため、 0 90 60 加熱時間(分) 。 味のしみこみにくい砂糖が先、という意味です(図表6) 炒め物などでは、塩には野菜などの水分を吸い出す脱水作用 があるので、水っぽくならないように最後に塩を加えます。 杉田浩一『新装版「こつ」の科学』柴田書店 2006より ●図表7 食塩濃度と水分活性/微生物の成育水分活性 カビ 塩は味付けだけでなく、細菌の繁殖を抑え保存性を向上さ せる働き(図表7)をはじめ、多彩な働きがあります(図表8) 。 食品の物性を変化させる働きもあり、たとえばカリフラワー やジャガイモを茹でる際に塩を入れると、野菜類の細胞膜を 強固にしているペクチン酸カルシウムのカルシウムが塩の ナトリウムと置換され、細胞が柔軟になるので、柔らかくゆで るこことができます。 かまぼこなどの練り製品では、塩のタンパク質溶解作用が 利用され、アシと呼ばれる歯ごたえを生み出しています。 粘りのあるパン生地やうどんづくりにも塩が活躍しています。 魚や肉に塩をかけて焼くとたんぱく質の凝固を早め、旨み 成分が外に流れ出てしまうのを防ぎます。里芋の皮をむいた ら塩もみして煮ると粘りが出にくくなるのも凝固作用の一つ 酵母 (%) 25 20 細菌 食塩量による 水分活性の変化 食 塩 濃 15 度 10 5 0 1.0 塩辛 塩シャケ サバ開き カマボコ 0.9 0.8 水分活性 田島眞「食品加工における塩の役割」日本海水学会誌 第57巻第1号 2003より作成 ●図表8 塩の多様な効果 です。 これらのさまざまな働きによって、塩は調理や食品加工に 120 作用 防腐作用 欠かせない存在となっています。 微生物の繁殖を抑え腐敗を防ぐ 各種の塩蔵品、塩辛 凝固を早める 卵・肉・魚一般 たんぱく質への すり身の粘着力を増す 作用 組織への作用 酵素への作用 その他の作用 調理、加工の例 練り製品・すり身料理・ ハンバーグ 小麦粉のグルテンの粘性と弾力 を高める パン・麺類 水分を外へ引き出す 振り塩・塩もみ・和え物 細胞膜の活動を止める 漬け物 酸化酵素を抑える 野菜・果物の褐変防止 アスコルビナーゼを抑える 果実のビタミンCの保持 クロロフィルの緑色を保持する 青菜の茹で物 ポリフェノール系物質の褐変を防ぐ リンゴなどの褐変防止 ぬめり・粘りを取り除く 魚類・里芋などの洗浄 氷に加え低温をつくる 氷・家庭用のアイスクリ ームの冷却 杉田浩一『新装版「こつ」の科学』柴田書店 2006、杉田浩一『調理のコツの科学』講談社1989より 作成 おいしさを科学する 「塩味」 ●図表9 集団の食塩摂取量と血圧 バハマ諸島 イギリス 収 秋田 (南ウェールズ) 西インド諸島 群馬 縮 150 期 長野 アメリカ(フラミンガム) トンガ 血 高知 大阪 ニューギニア(高地) 圧 インド (アグラ) ︵ mm プカプカ島 (ロー) ソロモン諸島 Hg ソロモン諸島(ナゴビシ) ︶ ブラジル(ヤノマノ) ※ ソロモン諸島(アイタ) 100 ブラジル(北方部落民) 0 5 15 10 20 25 食塩摂取量(g/日) ※50代男性の収縮期血圧の平均値 食塩感受性のある人とない人 世界には食物に自然に含まれる以外の食塩を全く摂取して いない人々がいます。これらの人々の間には高血圧の人が ほとんど見られず、加齢とともに血圧が上昇することもない ことが明らかになっています。 池田正男:第4回日本高血圧学会,1981/伊東敬一「食塩と健康の科学」講談社 2001より ●図表10 各国の食生活指針による食塩摂取目標量 アメリカ 4.5∼5g WHO 5g イギリス 9g(現在値)−3g 世界各地で食塩摂取量と血圧を測定したところ、食塩摂取 スウェーデン 7∼8g 量が多い地域ほど平均血圧が高いという正の相関関係が見ら アイルランド 9g未満 れます(図表9) 。 日本 10g未満 オーストリア 11g以下 私たちの身体は、生理的には1日に1g程度の食塩があれば 生きていけるといわれています。しかし、先進国の多くでは 実際の摂取量はその10倍以上。塩分を取りすぎると高血圧に なるおそれがあると、日本はもちろん世界各国で1日の塩分 伊東敬一「食塩と健康の科学」講談社 2001より ●図表11 食塩嗜好を変化させる要因 食塩欠乏 ↑亢進 高食塩食 ↑亢進 カルシウム欠乏 ↑亢進 血清カリウム上昇 ↑亢進 低たんぱく食 ↑亢進 妊娠、授乳 ↑亢進 ストレス ↑亢進 わけではありません。食塩は喉頭がんや胃がんに関係あると 利尿薬 ↑亢進 考えられており、がん予防のためにも食塩の摂取制限が勧告 アンジオテンシン変換酵素阻害薬 ↑亢進 されています。 低食塩食 ↓低下 発情期 ↓低下 摂取の目標値を設定し減塩を指導しています(図表10) 。 しかし、すべての人が食塩をとると血圧が上がり、減塩する と血圧が下がるというわけではありません。食塩の摂取量に よって血圧が変動する、食塩感受性のある人と食塩感受性の ない人がいることが分かっています。 ただし、食塩非感受性だからといって食塩を多くとっていい ストレスは食塩に対する欲求を高めるため、現代社会の ストレスの多さも塩分摂取増の要因と考えられます (図表11) 。 極端な減塩はそれ自体がストレスになってしまいます。新鮮 な旬の食材を使う、酸味やだしをきかせる、味付けにメリハリ 伊東敬一「食塩と健康の科学」講談社 2001より ●図表12 減塩を維持するコツ のある減塩を行うなど、おいしく減塩を続けることが大切で ●無理のないペースで減塩する 。 す(図表12) ●新鮮な旬の食材を利用する 人よって適塩は異なります。QOL(Quality of Life /生活の 質)を高めるためにも、その人にあった塩の取り方で、豊か な食生活を送りたいものです。 参考資料:橋本壽夫・村上正祥「塩の科学」朝倉書店2003、杉田静雄「塩の科学」海游舎 2001、 伊東敬一「食塩と健康の科学」講談社2001、太田静行「減塩調味の知識」幸書房1993、玉井恵「塩 とにがりがよくわかる本」東京書籍2004、杉田浩一『新装版「こつ」の科学』柴田書店 2006、 「食の科学」265/2000.3、「食の科学」323/2005.1、「食品工業」2004.10.15、「日本海水学会誌」 第57巻第1号 2003 ●酸味やだしをきかせる ●香りを活用する(わさび、からし、しそ、しょうが、ゴマ等) ●麺類の汁は飲まない ●まんべんなくするのではなく、メリハリをつけた減塩を行う 伊東ちぐさ「食塩の適正な摂り方」『からだの科学』249 2006.3より作成
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