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古記録にもとづく近世初期の
三陸~房総沖津波の実態分析
総合科学専攻
小山研究室
3091-6019 村山 浩平
1.研究目的
2011年東日本大震災の津波以前にも近世初期に
同規模程度と思われる津波が発生している
仙台平野に侵入した津波の文字記録や物証が知られている
○869年貞観津波…日本海溝付近を中心に発生した津波
○1611年慶長三陸津波… 岩手県三陸沖を中心に発生した津波
○1677年延宝房総沖津波…千葉県の房総半島を中心発生した津波
○1677年延宝三陸津波…東北地方の三陸沖を中心に発生した津波
これら3つの津波は、詳細や正体が明らかにされていない
記録が乏しい近世初期の津波に関する古記録を調査・整理し
た上で、内容を分析し実態や規模を把握することを目的とする
2.先行研究
東北・関東地方の歴史津波に関する研究
東北地方の開発に伴う地盤調査と日本海溝における地震学
西暦
日本年号と日時
巨大津波名称
被災地方
研究の発展に伴い、徐々に地震学的研究が積み重ねられつつある
700?
不明
(仮称)仙台沿岸津波
仙台沿岸から内陸に襲来(仙台郡山遺跡)
869
貞観11年5月26日(7/13)
貞観津波
1793
寛政5年11月7日(2/17)
寛政津波
1896
明治29年6月15日
明治三陸津波
三陸地方、石巻、塩釜、七ヶ浜、多賀城、仙台、名
取、岩沼、新地、相馬、……いわき地方
三陸地方、石巻、塩釜、七ヶ浜、多賀城、仙台、名
取、岩沼、新地、相馬、……いわき地方
陸中地方、八戸、三陸地方(特に大船橋、気仙沼、
石巻)から仙台沿岸から福島県いわき地方に及ぶ
869年貞観地震・・・繰り返し、地形や堆積物の調査などが進んでいる
1611
慶長16年10月28日(12/2)
慶長津波
1933
しかし
三陸地方~南三陸地方
仙台平野以外では、869年貞観地震(津波)
※仙台平野の巨大津波(飯沼、1986)
に比べ、歴史津波の調査が進んでいない
昭和8年3月3日
昭和三陸津波
三陸地方~南三陸地方
3.研究方法
新収日本地震史料ならびに関連文献から16~17世
紀の関連資料をピックアップし、データベースを作成し
た上で、内容分析を行う
記述の
抜き出し
西暦,和暦年月日,自然災害の種類,自然災害による
被害,被害の起きた場所について史料より抜き出す。
(その際、史料の素性を調査し、信頼性を判定する)
データベース化 Microsoft Excel2007を使用して
データベースを作成し、分析を行う。
分析
収集史料




新収日本地震史料第2巻(本編)
新収日本地震資料(補遺)
新収日本地震史料(続補遺)
「日本の歴史地震史料」拾遺シリーズ
4.「記録中の被災地名」と「現在の地名」
記録中の被災地の位置を古地図で確認し、現在の地図と照らし合わせた
出典:官板 実測日本地図
古地図上「大槌」は現在の「JR大槌駅」付近に位置する
地名とその位置に変化は無い
5.震災・津波被害記録の抜粋
○1611年慶長三陸津波
・御三代御書上
「陸奥国に地震後大津波あり、仙台領内にて溺死者男女1723人、
牛馬85頭溺死」
「南部津軽藩においては人馬3000余溺死」
「陸奥国地震後大津浪あり伊達領内にて男女千七百八十三人
牛馬八十五頭溺死す又現在の陸中山田町附近鵜住居村、大槌
町、津軽石村等にも被害多し。」
・前川家文書
「大地震で津波有、・・・市日の為大槌より鵜居にての間で溺死
者数百人有。」
・大槌古今代伝記
「明神(古今明神と云本宮之事也)の下迄塩水上り候由」
記述の一部抜粋
6.収集した史料の素性調査・信頼性の判定
文献から抜き出した記述63件について
それぞれ国書総目録を用いて素性調査・信頼性の判定を行った
主に、史料の書かれた年代が分かるものについて
1)地震・津波発生当時のものであるかどうか。
2)著者の名前、身元は明確か。
という点に注目し素性調査・信頼性の判定を行った
※国書総目録・・・古代から慶応3年(1867年)までの間に日本人により著述・ 編纂・翻訳
された書籍の所蔵先をまとめた岩波書店発行の目録
判定基準
津波の名前
慶長三陸津波 延宝三陸津波 延宝房総沖津波
A:体験者により当時書かれたもの
0件
0件
0件
B:体験者からの伝聞
1件
1件
0件
C:江戸後期以降に再編されたもの
9件
6件
5件
D:明治以降に再編されたもの
5件
4件
4件
不明:編纂時期、著者が不明のもの
9件
11件
8件
24件
22件
17件
合計
素性が明確で、信頼性の高いA~C判定までのものを津波の実態、規模把握の材料とした。
7.作成したデータベースの抜粋
津波
1611年慶長三陸津波、1677年延宝三陸津波、1677年延宝房
総沖津波の3つの津波について地名が示されているものを中心
にまとめる
地震
8.津波到達地と被害① 1611年慶長三陸津波
岩手県、宮城県に関する被害記録が残っている
①津軽石
10km
②山田
③大槌
④岩沼
7km
④
出典:官板 実測日本地図
10km
8.津波到達地と被害② 1677年延宝三陸津波
③銚ヶ崎
②宮古
⑤高浜
⑥津軽石
④金浜
10km
100m
・青森県、岩手県、宮城県に関する被害記録が残っている。
・宮古湾(岩手県)に関する被害記録が最も多く、他2つの津波
(1611年慶長三陸津 波、1677年延宝房総沖津波)と比較する
①大槌
と被害件数、規模が小さい。
10km
出典:官板 実測日本地図
宮古湾
8.津波到達地と被害③ 1677年延宝房総沖津波
④御宿
・岩手県、福島県、茨城県千葉県、八丈島(東京都)での
①笠上新田
被害記録が残っている。
・東北地方太平洋沖地震時の津波における千葉県最南の被災
地である「いすみ市」に隣接する一宮町での被害記録がある。
10km
5km
②磯浜
一宮町
10km
2km
③一宮
⑤青ヶ島
出典:官板 実測日本地図
いすみ市
9.遡上高の推定
遡上高の推定には、Google Earthを用いた。
史料に地名が記されていたものに関して、古地図と現在の地図を
照らし合わせ現在の位置を推定した。
その地点と周辺の平均標高を遡上高として推定を行った
※海岸から内陸へ津波がかけ上がる高さ(標高)を「遡上高」と呼ぶ(気象庁)
1611年慶長三陸津波
史料記載地
名
推定遡上高
1677年延宝三陸津波
史料記載地
名
推定遡上高
金浜
37m
鍬ヶ崎
17m
山田附近鵜
住居
10m
大槌
14m
大槌
14m
津軽石
7m
宮古
9m
岩沼附近
8m
津軽石
7m
1677年延宝房総沖津波
史料記載地名 推定遡上高
御宿
16m
磯浜
13m
市宮
7m
青ヶ島
不明
※1611年慶長三陸津波、1677年延宝三陸津波の被災地域である
高濱
7m
記録上「津軽石」(現「JR津軽石駅周辺」)の標高
10.遡上高の推定・既存研究結果との比較
1611年慶長三陸津波
波高の大きな地域は岩手県南部
~宮城県に伸びている(羽鳥2009)
1611年慶長三陸津波
史料記載地
名
推定遡上高
山田附近鵜
住居
10m
大槌
14m
津軽石
7m
○宮古市津軽石、宮城県岩沼市の推定遡上高は既存の研究結果との差は1m以内
○下閉郡山田町、岩手県大槌では8~13mの差があった
岩沼附近
8m
1677年延宝房総沖津波
1677年延宝房総沖津波
千葉県長生郡一宮町東浪見では海岸から
史料記載地名 推定遡上高
2km内陸、現在のJR 東浪見駅付近まで
御宿
16m
津波が遡上1611年慶長三陸津波以外の津波に関して、具体的な地名
したとある。付近の集落の標高
磯浜
13m
は約6mであり、潰流家が多く出たことから、
をもとに遡上高を推定しているデータは見つからなかった
市宮
7m
津波高は8m と推定された(都司1994)
青ヶ島
不明
11.波源域の推定①1611年慶長三陸津波
波到達地から、過去に発生した詳細が明らかに
なっている津波との比較を行い、波源域の推定を行った
○岩手県、宮城県に関する被害記録が残っていた
○1611年慶長三陸地震の震源域は、北海道の東方沖の可能性がある、
という分析結果をまとめた(産業技術総合研究所)
慶長三陸津波の
波源域と考えられている箇所
(産業技術総合研究所)
本研究で津波被害
を確認した場所
(1611年慶長三陸津波)
太平洋三陸沖を中心とした
3.11津波の波源域 波源域であった可能性がある
(地震調査委員会)
貞観津波の波源域と
考えられている箇所
(島崎2011)
11.波源域の推定②1677年延宝三陸津波
1677年延宝三陸津波の被害
○青森県、岩手県、宮城県に関する被害記録が残っている
○特に宮古湾(岩手県)での被災記録が他の津波に比べ多く残っている
○ 1611年慶長三陸地震の震源域は、北海道の東方沖の可能性がある、
という分析結果をまとめた(産業技術総合研究所)
慶長三陸津波の
波源域と考えられている箇所
(産業技術総合研究所)
本研究で津波被害を確認した
場所(1677年延宝三陸津波)
1896年明治三陸津
波の波源域と考えら
れている箇所(国立
天文台理科年表)
3.11津波の波源域
(地震調査委員会)
869年貞観津波の波
源域と考えられている箇所
(島崎2011)
1611年慶長三陸津波よ
り北方に波源域が位置し
ていた可能性がある
11.波源域の推定③1677年延宝房総沖津波
1677年延宝房総沖津波の被害
○3.11の津波における千葉県最南の被災地である「いすみ市
(九十九里浜より南方約12km)」に隣接する「長生郡一宮町」で確認された
○岩手、福島での津波被害記録が残っている
○1703年元禄関東地震は震源断層が房総半島南沖~南東沖まで
広がっていると想定されている
3.11津波の波源域
(地震調査委員会)
本研究で津波被害を
確認した場所
(1677年延宝房総沖津波)
房総半島南端周辺を含む太平
洋三陸沖であった可能性がある
1703年元禄関東地震
の波源域と考えられている箇所
(文部科学省・地震調査研究推進本部)
房総沖津波の波源域と
考えられている箇所
(産業技術総合研究所)
12.まとめ







文献から抜き出した史料記述は全63件で、そのうち素性調査・信頼性
の判定が行えたものは22件であった。
1611年慶長三陸津波の被害記録は岩手県、宮城県に関するものの
み見つかった。
1611年慶長三陸津波は太平洋三陸沖を中心とした波源域であった
可能性がある。
1677年延宝三陸津波の被害記録は全6件の記述中、4件が宮古湾
(岩手県)におけるものであった。
1677年延宝三陸津波は慶長三陸津波より北方に波源域が位置して
いた可能性がある。
1677年延宝房総沖津波の被害記録は、東北地方太平洋沖地震時の
津波における千葉県最南の被災地である「いすみ市(九十九里浜より
南方約12km)」に隣接する「長生郡一宮町」(古記録上では「長柄郡
市宮」)で確認された。
1677年延宝房総沖津波は房総半島南端周辺を含む太平洋三陸沖が
波源域であった可能性がある。