2004年7月 日本経済新聞 やさしい経済学 情報通信と競争政策 京都大学大学院経済学研究科助教授 依田高典 1 I なぜ成功したのか 2 1 ブロードバンド・サービスのテークオフ 平成不況 失われた10年 最近見えるほのかな光 ブロードバンド(BB)の夜明け 2003年度末、BB加入契約者数 ADSL1,000万超、FTTH100万超、世帯普及率30% ITUの最新調査(2003年9月) 日本の100kbpsあたりの料金($0.1)は世界で最も低廉 諸外国は米国($3.5)や英国($6.4)でしかない 10年遅れの日本の情報通信産業に何が起こったのか 3 2 日本のBBの成功 政策的理由 意図せざる成功 NTTグループの温存 郵政省(現総務省)の二度にわたるNTTの分離分割答申 1996年持ち株会社方式という政治決着 NTTの光ファイバ網を全国整備するB−ISDN計画 NTTが分離分割されなかったことはBBの継続投資に貢献 意図した成功 郵政省のNTTの地域通信網の徹底した開放政策 94年に費用ベースの接続料金、 97年に接続会計制度、 2000年には仮想的なモデルに基づく長期増分費用方式 新規参入と競争促進に貢献 4 2 日本のBBの成功 競争効果 時宜を得た参入者の登場 NTTの不承不承ながら真摯な経営努力 規模の経済性とネットワーク外部性 供給と需要の収穫逓増性 完全競争は不成立 市場の規律を維持するには能力と意欲を持った新規参入が不可欠 多様な個性を持つ革新的な挑戦者 電話に京セラ系、ADSLにソフトバンク系、FTTHに関西電力系 迎え撃つNTTも不承不承ながら真摯に経営効率化 安定性と効率性を兼ね備えた競争が実現 5 II 規制から競争政策へ 6 1 ネットワーク産業の規制 大規模なネットワークが必要な電気通信のような公益事業 生産量が増えるほど平均費用が逓減するという規模の経済性 政府は事業者の行動を厳しく事前に規制 市内電気通信網のような不可欠施設の開放 ネットワーク開放政策が奏効 新規参入が促進、競争が進展 「裁量型規制・管理下の競争」との批判 「事後監視・ルール型規制」と呼ばれる新しいステージ 7 2 競争政策への移行 ブロードバンド(BB)のような新しいサービスの競争進展 2004年4月大幅な規制改革 一種・二種の区分、料金・契約約款の事前規制を原則廃止 市場支配力が行使されない公正な競争を促進 定期的な「競争評価」を実施することに (1)分析対象の決定、(2)市場の画定、(3)競争状況の分析 2003年度「インターネット接続」領域を対象 2003年度の競争評価は11月に基本方針・実施細目が確定 数回の公開カンファレンス・シンポジウム 2004年6月に競争評価結果が公表 8 3 ネットワーク産業の規制 競争評価 英国を中心に欧州で導入されている政策 米国でも支配的な事業者に対する非対称規制が実施 分析対象は旧態依然とした音声電話が中心 サービス間の需要代替性に関する分析も定性的 かっての日本の情報通信政策は欧米の10年遅れ 世界最初に離陸したBBサービスを定量的に分析する必要 需要代替性の分析が必要 9 III 需要分析 10 1 個人利用動向調査 競争評価には市場の画定が必要 サービス間の需要代替性を分析 総務省インターネット接続領域に関する調査 Webアンケートの形態 五つのサービスすべて利用可能な環境にある約1,000千人 ダイアルアップ(2%)、ISDN(5%)、 ADSL(67%)、CATV(18%)、FTTH(8%) 前二者ナローバンド(NB)、後三者ブロードバンド(BB) 実際にはまだ過半のユーザがダイアルアップを利用 Webアンケートの偏り BBユーザ内の選択比率に大きな偏りなし 11 2 サービス選択の定性分析 サービスの選択理由(複数選択可) 常時接続性(56%)、定額制(41%)、 廉価性(32%)、通信速度(26%) 利用目的(複数選択可) Web閲覧(45%)、Eメイル(31%)、 オンラインショッピング(6%)、チャット・掲示板(4%) 平均月間支出額(接続回線料金とISP料金の和) ダイヤルアップ(3946円)、ISDN(5207円)、 ADSL(4344円)、CATV(5200円)、FTTH(5929円) 12 3 ユーザグループの定性分析 ADSLとFTTHの平均月間支出額 NTTユーザの方が1,000〜1,500円程度統計学上有意に高い 接続回線事業者の選択理由(複数選択可) 廉価性(44%)、ブランド力(23%)、 通信速度・機能性(23%)、安定性・信頼性(18%) 廉価性を求めるユーザとブランド力を求めるユーザの二極化 定性分析だけでは競争評価のための市場画定には不十分 価格や速度のような財の特性が、 多段階構造になっている選択肢の選択確率にどう影響するか 「入れ子ロジット」を用いて定量分析 13 IV 市場画定 14 1 SSNIPテスト 欧米の反トラスト市場画定 SSNIPテスト 仮想的な独占者が1年間5%程度 「小幅であるが有意かつ一時的でない価格引き上げ」(SSNIP) 利益を上げることができるかどうか 需要価格自己弾力性と価格費用マージンの情報が必要 欧米でも定量的に分析された事例は少ない 依田・黒田の計量経済モデル分析 需要価格自己弾力性は定量的に把握可能 価格費用マージンは入手困難 市場画定の一次と二次の近似を提案 15 2 市場画定の近似 市場画定の一次近似 多段階の選択構造を決定 第一段階でナローバンド(NB)か ブロードバンド(BB)を選択 第二段階で各カテゴリの中の特定のサービスを選択 カテゴリの異なるNBとBBは異なる市場 市場画定の二次近似 需要価格自己弾力性 価格が一%上がったときに需要が何%下がるか 弾力性が小さいほど市場支配力を行使しやすい ADSL(0.3)<CATV(0.9)<FTTH(1.1) 市場が独立と画定できるボーダーラインは1〜2の範囲 ADSLは確実に市場画定 CATVとFTTHもおおよそ独立した市場 16 3 その他の分析 ネットワーク設備の供給代替性 CATVとFTTHも独立の市場 ダイアルアップ、ISDN、ADSL、CATV、FTTH 五つの市場として画定 画定された市場毎に市場規模・市場集中度・料金などを分析 ADSL 圧倒的に大きな市場 ADSLを低速度・中速度・高速度に分けてさらに分析 低速度と高速度では非常に弾力性が大きい ADSLの周辺部では近接サービスと競合 17 V 競争評価 18 1 競争評価 ネットワーク産業 規模の経済性・ネットワーク外部性 自然に独占に向かう傾向 市場支配力の行使が懸念 接続ルールなど競争促進政策の結果 新規参入が活発化、市場規律が回復 競争評価 競争政策が所期の成果を収め、 市場支配力の行使が抑制されているかどうかを評価 市場の規模、市場集中度、参入事業者数、事業者シェア、 シェアの変化、料金などを定量的・定性的に分析 総務省はインターネット接続を2003年度競争評価の対象 2004年6月に評価結果を公表 19 2 ADSL市場 市場規模は現在1,000万契約超 世帯普及率も20%超 普及率には地方格差が存在 東京都では30%超、鹿児島県では10%以下 事業者シェア NTT東西が37%、ソフトバンクと拮抗 都市部ではNTT東西の市場シェアの方が低い 現在ADSL市場では有効競争が機能 上位三社占有率は86%と高度に寡占的 2001年にソフトバンクが価格破壊で参入 顧客獲得競争は激しく、実質料金水準は世界で最も低廉 20 3 FTTH市場 市場規模は現在100万契約超 世帯普及率はようやく2%、現在急増中 地域格差が非常に大きい 特徴的なのは「西高東低」 ケイオプティコムがNTT西と激しく競争 事業者シェアでは、NTT東西が58% 戸建て市場では非常に高く、集合住宅市場ではさほど高くない 上位三社占有率は81%超 地方ではそもそも市場が立ち上がっていない。 ADSL市場は巨大で、FTTH市場は小さい 今後の利用意向調査では、後者選択者が前者選択者を逆転 FTTHへの乗換が徐々に顕在化 21 VI 潜在的需要 22 1 コンジョイント分析 ブロードバンド(BB) 技術革新が早く、普及の途上であるサービス 現実の選択データを用いた需要分析には限界 今はまだ利用していないが将来利用したい 利用したくてもサービス提供が開始されていない コンジョイント分析 普及途上のサービスの潜在的需要を分析する手法 サービスを様々な属性のプロファイル(集合体)と見なす 通信速度、価格、IP電話の有無、TV番組配信の有無、 事業者のタイプなど アンケート上の仮想的な選択質問に対する回答から 「表明された選好」を明らかに 2つの結論 FTTHの利用可能性 顕示選好と表明選好の相違 23 2 FTTHの利用可能性 FTTHが利用可能なユーザと不可能なユーザを比較検討 1Mbpsあたり支払意思額 利用可能なユーザは30円 利用不可能なユーザは70円 前者は主に都市部に住む人たち 街頭宣伝・電話勧誘で価格や機能の違いに敏感 後者は地方部に住む人たち 少々高くてもアクセス確保が重要 地方の潜在的需要は決して小さくない 事業者にとって地方は投資インセンティブに乏しく、 供給単価が高くつくこと デジタルデバイドは需要側ではなくむしろ供給側の問題 24 3 顕示選好と表明選好の相違 同一ユーザの「表明選好」と「顕示選好」を比較検討 1Mbpsあたり支払意思額 表明選好は30円 顕示選好は22円 表明選好は顕示選好よりも長期的需要動向を表し、 予算制約が緩やかに見積もられる傾向 表明選好の方が顕示選好よりも1.5倍高い BBユーザの多くが現在ADSLを選択しながら、 近い将来FTTHを選択したい意向を持つ 短期(現実的)と長期(潜在的)の需要が乖離 25 VII スイッチング費用 26 1 スイッチング費用 スイッチング費用 既に契約しているサービスや事業者を 新しく変更する際に利用者が負担する費用 インターネット接続サービスに対する満足度 非常に満足(6%)、やや満足(60%)、 やや不満(28%)、非常に不満(4%) 過半のユーザが満足 やや不満・非常に不満と答えた回答者 事業者を変更したいか すぐに変更したい(8%)、いずれ変更したい(58%)、 できれば変更したくない(28%)、変更したいと思わない(6% ) 不満を持っているユーザでも、変更したくない サービスに満足していないのに、なぜ変更をしたくないのか Eメイル・アドレスの変更が嫌(31%)、 料金が安い(15%)、変更手続きが面倒(13%) 27 2 スイッチング費用の計測 スイッチング費用 金銭的理由と並んで心理的理由が重要 実際の測定が難しい SHYモデルの拡張 契約者数と料金を用いてスイッチング費用を測定 事業者間のスイッチング費用 サービス間のスイッチング費用 スイッチング費用は非常に高い ADSL事業者はライバル事業者の料金から 66%低い料金を付けないと、顧客を奪えない。 FTTH事業者はADSL事業者の料金から 95%低い料金を付けないと、顧客を奪えない。 28 3 割引キャンペーン スイッチング費用が高いからといって 競争が成立しないわけではない 日本のBBの普及 期間限定の割引キャンペーン 事業者が消費者のスイッチング費用を肩代わり 懸念 NTTはADSLとFTTHを両方提供 NTT内のスイッチング費用は小さい NCCはサービス特化型、スイッチング費用は大きい 「ロックイン」の発生 ADSLからFTTHへ移行したくても移行できない 29 VIII 未来の課題 30 1 総務省の課題 旧郵政省時代は時に二流と揶揄 通信自由化二〇年を経て情報通信政策に関しては 他省庁の追随を許さない 懸念 競争政策の時代になったからといって、 ユニバーサルサービス政策や通信・放送の融合化など 産業政策上の課題はむしろますます大きくなる スーパー官庁といえども 競争政策と産業政策という重い課題を 両方とも支えることは難しい。 31 2 事業者の課題 日本のBBが全国規模で立ち上がったのは NTTが全国均一にサービスを提供してきたから 大口需要家を中心にIP電話へシフト NTT東西の電話収入は激減し、公衆交換電話網を維持不可能 いたずらに地方電話網に拘泥し赤字を垂れ流すのではなく、 計画的に地方電話網を高速IP網に置き替えること NTTにその覚悟はあるか。 日本のBBが成功したのは多様な新規参入があったから 現在その収益性は非常に低い 折角参入しても結局退出するのでは、市場規律の芽も消える ソフトバンクの電撃的参入がなければ、 日本のBBの開花ははるかに遅れた ソフトバンクの今後に注目 32 3 消費者の課題 光ファイバを通じて100Mbpsで情報が流せるようになっても、 実際に流れるものがなくては意味がない 残念ながら今のBBは娯楽性の高い既存サービスの代替、 新しい社会的価値の創造に結びついていない より高次な社会的価値を創造することが重要 映像を含む患者情報の伝送に基づき 遠隔地から診断・医療を行う遠隔医療 遠隔地にいる講師と教室をテレビ会議システムで 直結し講義を行う遠隔教育 など 33
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