現代の経営」 第2回 イノベーション

2015年春学期
「経営学入門」
第6回 産業集積
樋口徹
1
特定の業種が集まっている地域は?
地域
業種
効果
2
産業集積
説明;
特定の業種および関連する業種の企業が比較的狭い 地域
に集中して立地すること。
事例;
工業地帯、工業団地、企業城下町、神田の古本屋など
主な効果;
(企業側)取引相手近接、情報収集、インフラ整備、 宣伝効果
(顧客側)品揃えやサービスが豊富、情報収集、関連産業
※例えば、オリジナルの指輪を制作したい場合
宝飾品関係の産業が集まっているのは
御徒町
駅周辺
宝石の選択⇒宝石のカット⇒指輪のデザイン⇒ケースの選択(各専門店)
3
産業集積のメカニズム
地域活性化や
イノベーション
歴史的経緯
(積み重ね:人材や政策)
地域資源
産業基盤
地域特性
(地理的特性や気候など)
•
•
•
•
•
当該産業に適した地域かどうか(人材、材料、輸送条件など)?
中核となる人あるいは企業が存在したか?
当該産業の発展に不可欠な人材が集まったか?
関連産業の人材が集まったか?
地域の知名度が向上したか?
4
シリコンバレーの発展経緯
SNS・医薬品・宇宙産業など
ソフトウェア産業
PC・周辺機器産業
Stanford
大学
半導体産業
開設
Stanford Industrial Park
• 関連産業が密集しているので、情報交換や取引が楽
• 顧客側もそのエリアで必要なものが全て揃う(ベンチャーキャピタル)
• 地域のブランドイメージ向上
※シリコンバレーに情報網を持っていないと、流れに乗り遅れる危険性
5
アメリカの主なIT企業
2000年代にジェフ・ベゾスがITをベースに流通を変革
インターネット上のビジネス発展
Netscape(ブラウザー)、Yahoo(ポータルサイト) 、
google (検索)、Facebook(SNS)
1990年代にマイケル・デルがPCの流通を変革
1990年代にビル・ゲイツがOSと事務用
ソフトの業界標準設定に成功
1980年代にスティーブ・ジョブスがG
UIを組み込んだPCの市場化に成功
シリコンバレー【土台】
(HP社:1939年設立:IT産業の集積の始まり)
(インテル社:1968年設立半導体のリーディング企業)
(ゼロックス社:1970年アロパルト研究所:ダイナブック発案)
6
静岡新産業集積クラスターのフォトンバレー
※性能は無限
に伸びない
光・電子技術関連産業の集まり(図は静岡県のホームページより抜粋)
7
浜松市(政令指定都市)
第二次産業の発展に不可欠な諸条件
• 立地(江戸時代の宿場町:首都圏と関西圏の中間)
• 温暖な気候、
• 豊富な工業用水、
• 良質な労働力など
将来: 光電子技術関連
現在まで: 繊維/楽器
(ヤマハ・河合楽器・
ローランド)/輸送機
器(スズキ・ホンダ)
高柳健次郎(浜松高等工業高校:静岡大学工学部)
江戸時代:綿織物/製材業
土台: 立地特性/地理的条件/労働力
8
本田宗一郎の年表
西暦 事項
1906 11月17日静岡県磐田郡(現在の浜松市)生まれ
1922 湯島の「アート商会」に丁稚奉公(掃除や子守)、自動車修理工の修行
1928 浜松に「アート商会浜松支店」を設立し、独立(暖簾分け)
1936 全日本自動車大会に出場(時速120キロの新記録樹立)/ピストンリング製
造の東海精機重工業設立(修理から製造業へ:不良品の山)
1937 浜松高等工業学校(静岡大学工学部)の聴講生となり、ピストンリングの製
造の品質を向上(1939年にトヨタと取り引き開始)
1945 トヨタに東海精機重工業を売渡『人間休業宣言』 ※補助エンジン付き自転車
1946 浜松に本田技術研究所を設立
1948 浜松に本田技研工業株式会社を設立
1949 「ドリームD型(バイク)」を開発に成功し、量産
1952 本社を東京に移転
1954 バイクレースの最高峰「マン島TT(ツーリスト・トロフィー)レース」(イギリス)
への出場を宣言し、優勝を目指す ※先に目標を設定し、やる気を鼓舞
1958 「スーパーカブ」を発売
9
本田宗一郎の年表(続き)
西暦 事項
1959 マン島TTレースに出場/アメリカン・ホンダを設立
1961 ヨーロッパ・ホンダを設立/マン島TTレースで1位から5位を独占
1962 鈴鹿サーキット完成
1964 F1に参戦
1965 F1メキシコGPで初優勝
1967 軽自動車「ホンダN360」を発売し、大ヒット
1970 4人の専務による集団指導体制へ移行(世代交代)
1971 「CVCC」(低公害型エンジン)を発表 ※先に目標を設定し、やる気を鼓舞
1972 「CVCC」がアメリカのマスキー法に合格/「シビック」(小型乗用車)を発
売 ※排気ガス中の有害物質を10分の1以下に削減することを義務づけた法案
1973 本田技研工業の社長を退任(取締役最高顧問就任)「よく言ってくれた。何
66歳 なら今日にでも辞めていいぞ。」(空冷にこだわる本田と水冷にこだわる技術者)
1989 日本人初の「自動車殿堂」入り
1991 肝不全のため逝去(勲一等旭日大綬章を受章)
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本田宗一郎のこだわり
• 3つの喜び:「創る喜び」、「売る喜び」、「買う喜び」
• レース狂⇒最先端技術⇒技術者育成とブランド育成
• オリジナルにこだわる⇒独自路線⇒海外大手と提携しなかった
⇒日本の伝統の造形美(建築や仏像)
• 失敗を恐れない⇒「やってみもせんで」と一喝⇒チャレンジ
⇒失敗の理由を学んだ時に成長(「なぜ」を繰り返す)
⇒成功は99%の失敗に支えられた1%
• 「120%の製品を」⇐人間の作業にはミスがつき物だから
⇒拳骨やスパナ(期待の現れ)
⇒叱る側との知識、技術、経験の違いを気づかせる
⇒叱る理由は試行錯誤を通して人間としての成長を期待
⇒ノミニケーションでフォロー
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本田宗一郎
補助エンジン付き自転車
スーパーカブ
シビック(初期)
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