はじめ に 私がこのテーマに取り組むようになっ たのは、ある偶然からである。 約10年前、たまたま、デーケン先生 がご出演になったNHKの番組をビデオ にコピーしておいた。 このビデオを講義において学生に見 せたのである。その感想文は私の想像 を超えてかなりの反響が見られたので ある。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 1 当時の社会的状況 当時の社会的状況は、子供たちの 引き起こす残虐非道な事件が多発し 始めた頃であり、なぜこのようなこと が起こるのか、ということを一介の小 児科医としても考えざるを得なかった のである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 2 死の場面に出会った学生の少なさ これもたまたま、学生にゼミのときに、 肉親の死の場面に出合ったことがある かと聞いてみたら非常に少ないことを知 り、現代の子供たちのおかれた現状に 気付かされたのである。 この背景には、これまで私の歩んでき た重症心身障害児施設での経験があっ たのかも知れない(多くの重症心身障害 児の死の場面に遭遇してきた経験)。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 3 その後の私の歩み その後、二人の学生からこのテーマで卒業論 文を書きたいとの申し出があった。 どのような卒論指導が出来るか? 大変当惑したのも事実である。 ここから私のこのテーマでの歩みが始まり、 現在では私のライフワークとまでなった私の新し い歩みが始まったのである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 4 総合的学習のはじまり 当時、学習指導要領の改変が取り ざたされており、私はこの教科のテー マとして、この課題が極めて重要であ ると考えたのである。 そこで何人かの学友と相談して現 在まで続いている「死を通して生を考 える教育」研究会を立ち上げたので ある(現在47回となっている)。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 5 死が遠ざかった現代の子供たち この要因として、少子・高齢化などの影響もあり、 現代の子供たちの周りから死が遠ざかっていると いう現実がある。 この死から遠ざかったことが、子供たちの多くの 事件の背景に潜んでいるのではないかという仮説 をいだかせたのである。 しかも、それだけではなく、当時から問題となっ ていた子供の問題行動(自殺、いじめ、不登校、学 級崩壊など)においても、なんらかの関連があるの ではという考えも持ったのである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 6 大学での講義の内容 基本的には1時間30分の講義を4回 単位で行なうことにしている。 1、2回目はビデオを供覧、3回目はな ぜ、このような講義を行なうかの説明と、 基本的医学的事項の解説(脳死、臓器移 植、安楽死、植物人間など)や調査結果、 これまでの事例の提示などを行なう。 4回目は自由討論に当てている。 余裕のあるときには、安楽死のビデオ を見せ、この解説をすることもある。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 7 討論の重要性 討論は初めから実施したわけでは ない。 しかし、討論を実施してみて、いく つかのことに気付いたのである。 一つは、このような討論がいかに 重要であるかということであり、二つ 目には、このような討論をいかなる雰 囲気で行うかである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 8 講義において強調する事項 講義において強調する事項もすこしづつ変 わってきている。 最初は医学的事項が中心であったが、最近 ではむしろ、生と死の一体性や、調査結果から 得られた現代の子供たちにおける死の認識の 変化が推定されるという自説を紹介する。 そして、これがもし事実であるとするならば、 極めて憂慮する事態が起こりかねないという考 えを展開するのである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 9 生と死の一体性と 死の多様性 上述のごとく、生と死の一体性を強調する と共に死の多様性についても話すのである。 死は多様である!!。 死は生物学的死(身体的死)、心理学的死、 精神的死、社会学的死、法的死など考え方 によって多様に考えられるものである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 10 DEの実際の方法論 方法はいろいろあるし、行なう方により異 なると考えられる。 私の場合は大学では、4回の講義や、 半期全体を通してのものや、1回限りの講 演会などいろいろな手法で行なっている。。 しかも、その入り口はその場所、対象と する観客により違えている。 すなわち、子育てや、障害児関係など。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 11 本テーマの目的 要は、死から遠ざかったという現実がある訳だか ら、死を子供たちと共に考える場面をいかに増やす かということが重要であろう。 特に、身近な人の死の場面は大切である。 しかし、この教材は、必ずしも人間にこだわらな い。 動物、特に小動物の死の場面は普段の生活の 中でいくらでも出会う機会が多いため、極めて貴重 な教材と言えると思われる。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 12 私の経験① 卒論をこのテーマで書き、現在幼稚園教員をしてい るある卒業生との話である。 彼女は現在「Death Education」をしてないという のである。 私は聞いた。「あなたの幼稚園は動物を飼っていな いの?」 答え:「飼っています」 「その動物は死なないの」 答え:「死にます」 「その時、子供たちと話をしないの」 答え:「する」 私は申しました。「貴方はしているじゃないの」と。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 13 私の経験② 大切なのは、自分が「Death Education」 を実行しているという意識であると考える。 さらに続く、「貴方はその時の話を記録に止 めていますか」と。 彼女:「止めていない」と。 重要なことは、このような事を意識的に行い、 しかも、まだまだ、未完成なこのテーマを充実 させたものに仕上げていくためには試行錯誤 を重ねていく必要性がある事が肝要であろう。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 14 事例1 死を正しく認識してい ない大学生の存在 ① 「実は私も先生の講義を聞くまでは『死』をよく 理解していない現代の子供達と同じでした。『一度 死んだ動物が生き返ることがあると思います か?』の問い。私の答えは『そういう場合もある。』 でした。先生が『一度死んだものは絶対に生き返 らない』とおっしゃったのを聞いて大変驚いたのと 同時にきちんと納得しました。 以前、『3度生き返った女性』というニュースを 見ました。ある女性が医師に死の診断を受けた後、 数時間して生き返ったという話でした。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 15 事例1 死を正しく認識してい ない大学生の存在 ② 私はそのニュースを見てから動物は生き返 ることもあると思うようになり、先生の講義を 聞くまでは何の疑いもなくそれを信じていまし た。しかし、先生の講義を聞いてその女性は 『生き返った』のではなく『死んでいなかったの だ』と認識しました。 先生のお蔭で『死』に関して知識が増えた ことに感謝しています。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 16 一度死んだ生き物が生き返ることが あると思うか 金子ら 中村 中村 中村 調査年度 1995 2000 2002 2003 対象 小6 小4~小6 中学生小・中・高校 例数 298 372 441 1887 ① 生き返る 23.8 33.9 9.2 49.3 ② 生き返ることもある 25.9 33.9 12.7 ③ 生き返らない 31.6 31.5 33.3 32.9 ④ わからない 17.4 30.9 ⑤ その他 14.3 2015/10/1 Q 3_ 1 17 このうち、生き返る、ないし、生き返るこ とがあると答えたものになぜかを聞いた ところ ①見たことがある ②教えてもらった ③何となく ④その他 2015/10/1 中学生 2004年度 59例(17%) 87例(13.7%) 57例(17%) 127例(20.1%) 229例(66%) 308例(48.7%) 111例(17.5%) 東京純心女子大学 中村博志 18 Q7_5 誰でも死ぬことがこわいと思っているだろう 度数 有効 はい ? いいえ 合計 欠損値 システム欠損値 合計 2015/10/1 パーセント 797 286 573 1656 241 1897 42.0 15.1 30.2 87.3 12.7 100.0 有効パーセント 48.1 17.3 34.6 100.0 東京純心女子大学 中村博志 19 ビオトープ保育の有無に よる死の認識の違い Q3_1 ビオトープあり ビオトープなし ①生き返る 6 9% 16 18% ②生き返ることもある 8 12% 14 16% ③生き返らない 33 49% 29 33% ④わからない 13 19% 14 16% ⑤その他 7 10% 16 18% 合計 67 100% 89 100% 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 20 事例2 死んでも生き返る事が あると思っていた歯学部学生① この講義を受ける前まで死について考えたことは多々 あったが、自分ひとりではなく他人と一緒に考え、意見を 言い合い、ふれることは初めてだった。そして自分が死に ついてわかったつもりでいたがどれほど無知であったか を知りいちばん考えることの多い時間であった。いちばん 知って驚いたことは、私は今まで人間は生き返ることが あると思っていたがそれが間違いだったということである。 なぜ、思っていたかというと根拠はないが何億年もの歴 史が刻まれているなかであり得ないことではないと思って いた。そしてそう思わせた一番のもとはテレビである。何 かの特番で人を生きている時に冷凍すると死んでしまう が解凍すると生き返るというような番組を見たことがあっ たからである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 21 事例2 死んでも生き返る事が あると思っていた歯学部学生② 実際、私のようにそれが間違った知識だと気づか ないでいるだけで、そう思っている人は他にもいると 思う。そのためにも死について考えたこの時間はよ いものだったと思う。こういったことは、自分一人で考 えていても、あくまでも自分の知っている情報だけな ので信じて疑うことない。だが、普段このような機会 がなければ決して他人と話すことのない事を皆と考 えるということは、今まで話すことがない事なので始 めは恥ずかしかったが、死については自分だけが考 えていたことではなく、そしてそれは決して恥ずかし いことではないと学んだ。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 22 事例2 死んでも生き返る事が あると思っていた歯学部学生③ テーマを決め討論し、発表した事は、他人が「生 と死」についてどのように考えているのか、そこで初 めて知ることができ、皆それぞれに考えがちゃんと あることを知った。このテーマは医療人としてこの先 考えていかなければいけない事で、誰しもが考える、 恥ずかしいことではないと解った。生きていくことに ついて先が見えず不安になっているこの時期の私 にとってこの講義はこの時期にあってとてもよかっ たと思った。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 23 某歯学部での経験 この後の5年間の某歯学部での「生と死」 の講義において、同様に、死んでも生き返ると 思っていたという学生がなんと5名もいたという 事実である。 この事実を会場の皆様はどのように受け止 めるでしょうか? 医学部での調査を行っていないため、詳細 は不明ですが、医学部においても同様な学生 がいないと誰が保証できるでしょうか? 私はこの事実を大変に憂慮しています。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 24 死んでも生き返るという回答の解釈 この回答の解釈においても、いくつ かの仮説が考えられる。 死んでも生き返るというのは、わが 国における仏教の基盤にある輪廻転 生に基づくものであるとの解釈も成り 立つ。 しかし、私にはこれだけで説明する にしてはあまりにも頻度が多すぎると 考えるのである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 25 私が考えるこの成績に対しての仮説 私はこの成績に対しての解釈として、 輪廻転生の部分はあることはあるとして も、それにしては多すぎると考えるのであ る。 この頻度の多さには、死をほとんど考 えたことがない子供たち、あるいは、なん らかのために、死を間違って捉えてしまっ た現代の子供たちの姿を想わざるるを得 ないのである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 26 このような間違った考えを 持つに至った要因 この要因には多くの因子が考えられるが、 現在までのところ、最も大きな原因はテレビ の影響と思いたい。 なぜなら、これまで「死んでも生き返る」と 信じていたと書いてくれた学生の全員がテレ ビでそう思ったと述べているからである。 また、テレビゲームなど、いわゆるバー チャル・リアリティーの影響も無視できないが、 いまだ、この証拠を掴めていない。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 27 長崎佐世保の事件 私はこの事件を起こりえるべくして起こった事件で あるとさえ考えている。 このテーマは喫緊な課題であり、 子供たちにおけ る死の認識がかくも変わっていることを認識して欲し い。 事件後、小6の加害者が何を語ったか? 「会って謝りたい」と言っているではないか。 この対策としてなにが出来るのか? いうまでもなく、これが我々のいう「死を通して生を 考える教育:Death Education」である。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 28 ある通信学生の感想文 Ⅰ 1か月くらい前のことである。学校のピロティーにつばめが巣 を作り、卵を産みました。「もうすぐ,赤ちゃんつばめが産まれる ね」「何匹産まれるのかなぁ?」と数人の子供たちと会話をし、 新しい命の誕生を喜んでいたのもつかの間。2年生の男の子 が、わざとボールを巣に当て、つばめの巣を落としたのです。 担任はその男の子を呼び「何故こんなことをしてしまったの か?」と聞きました。しばらく2人で話をしていました。話が終わ り、担任の先生が職員室へ戻ってきたので、数人の先生方と 「どーだった?」と聞くと「TVゲームで基地を打ち落とすゲーム を毎日家でやっていて、巣がその基地に似ていたので学校でも したくなったから…」と。さらに、「それに、一度死んでしまっても、 また親つばめが卵を産めばいいと思ったから」と言ったそうです。 私たちは、その話を聞いた時「命の大切さ」を、もっとしっかり子 供たちに伝えていかなければいけないと思いました。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 29 ある通信学生の感想文 Ⅱ 生徒たちの口癖は「オレらどうせ○○やから……」とか「頭 悪いからムリやって!!」と否定的なものが多いのです。すば らしいスポーツ能力、チームワークを育める力というかけがえ のない素敵な能力を持ちながら、偏差値や点数だけで自分た ちをランクづけしてしまうのです。勉強での点数が伸びないこ とで彼らは自分自身に「自信」が持てず、つい投げやりな態度 になるのです。ある日、3年生の「避妊」の授業で「彼女のお腹 に自分の子供が宿ったら、彼女のお腹をボコボコにパンチし て(赤ちゃんを)殺す」と発言した生徒がいました。私は本当に 驚いたのですが、さらにはその意見にふつうに賛同する生徒 が多数いたのです。「命」があまりにも軽んじられている状況 を前に、私は生徒たちに受精のメカニズムのビデオを見せま した。約3億の精子たちがたった1つの卵子を目指してバトル を繰り返す実写の映像です。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 30 「死を通して生を考える教育」 (Death Education)を行った成果 すでに3500例以上の感想文を読んだ上での演者 の考える成果は次の二つである。 ①死を考えることにより多くの学生は、何かを考え、 自分を見つめ、その結果として自分の「生き甲斐」を 考えるようである。 ②その結果として、周りの人との関係性に気付くの である。 いのである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 31 「死を通して生を考える教育」を行う場 少なくとも最も望ましい場は、家庭であるこ とは言うに及ばない。 しかし、死から遠ざかった現在の子供たち においては、これに加えて、近年の家庭崩壊 などの影響により、残念ながらこのような機会 がかなり少なくなっているという事実は認めざ るを得ないであろう。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 32 学校教育で行なう 必要性の到来 残念ながら、現代社会においては、 家庭におけるこの機能がほとんど期待 できないくらいに家庭崩壊が進んでいる。 そのため、学校においても、補完的 にこれを行なっていただく必要がある。 本来家庭で行うべき事柄を、学校教 育の中で行わなければいけないほど現 代の社会や家庭は歪んでいるのである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 33 年齢による方法論の違い 中村は年齢による違いについて 次のように考えている。 ①幼稚園年齢 ②小学校低学年 ③小学校高学年〜中学生 ④高校生〜成人 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 34 DEATH EDUCATION は難しいことか? いや、決して難しいものではないのである。 私の講義を聴いてくれたある母親が、その 日、自宅に帰る途中、みそ汁の身にアサリを 用意した。このアサリをその家の幼児が触角 に触って遊んでいた。 しかも、その日の夜には、そのアサリを味 噌汁として食べるのである。 食べてから、子供と話をした。「私たちはこ のアサリを食べて生きているのですと。」 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 35 抽象論ではなく 出来るだけ具体論で 対象が子供であるから、例えば「命 は大切なのです」と100回教えても、 身に付かないのではないか? いかに、具体的なことを通じて子供 たちに考えてもらう機会を提供するか が重要となろう。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 36 カブトムシの話 私が授業で必ずお話をする話にカブト ムシの話がある。 飼っていたカブトムシが死んでしまった ときに、お母さんがなんと言うか。 「明日デパートで買ってきてあげる」とい うお母さんがいるというではないか。 私は学生たちにこのような母親には絶 対にならないでほしいとお願いをしている。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 37 「頂きます」の意味 受け売りではあるが、仏教では「他の生物の命を 頂きます」というのが「頂きます」の意味であると聞 いたことがある。 普段、家庭における食事の折に、アサリの味噌 汁の例で既に述べたようなことを話すことは決して 難しいことではないのである。 また、「頂きます」を子供に教育するときに、ちょっ とこのような話をすればいいのである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 38 死の認識における人称性 の重要性 いうまでもなく人称性とは、一人称、二 人称、三人称である。 死における人称性とは、自分の死、身 近な人の死、他人の死であり、これらの違 いにより、考え方、受け止め方が大幅に 異なることに注目する必要性がある。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 39 人称性の意味するところ 特に重要と思われるのは、最近の子供たち にとっての死は、マスコミなど報道を通じての 死(第3人称の死:別な言い方をすれば、情緒 を伴わない死)であって、少子化の影響もあっ て、第2人称の死(悲しい想いを伴った死)を 実感する機会は極めて少ないのが現状であろ う。 子供たちにとって、この第二人称の死が少 なくなった現代の世の中で、どのように、この 想いを実感させていくかが大切になろう。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 40 死のタブー化について このような試みを続けているうちに、 わが国においては「死」がいかにタブー であるかという現実の壁の前に立たさ れることとなったのである。 多くの日本人においては、死を穢さ れたもの、あるいは汚らわしいものとし て、触れてはいけないものであるという 考え方が強い。この壁をいかに乗り越 えるかが今後の課題であろう。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 41 引き出しの重要性 私は講演などの折に引き出しの重要性を 指摘している。 言うまでもなく、このテーマはある意味で は暗い側面を有しているため、いつどのよう な場面でも行ってよいとはいえないからであ る。 であるから、なんらかの「きっかけ」があっ たときに実施できるよう普段から心がけてお く必要性が大切なのである。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 42 自主制作ビデオのご紹介 (小・中学生用の教材) 第一作: 「僕は生きたい~ある筋ジス患者の思い~」 筋ジス患者さんに自分の死生観を語って頂いた ビデオ。 第二作:「生き甲斐を求めて~ある難病患者の歩んだ 道~」 ALSの患者さんの歩んだ道。 ビデオご希望の方はお申し出で下さい。 ご覧になりたい方はいずれも中村博志のホーム ページに入りご覧ください。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 43 必要事項(まと め) ①最初に、このテーマの必要性、重要性が現代の社会 で極めて喫緊な課題となっているという認識を持って いただくこと。 ②次に、いつ・いかなる場面においても、DEを行えるよ うな心構えを持っておく事(引き出しの重要性) ③対象により、実施する方法は分かれてくること(年齢 別違い)。 ④日常生活の中で、出来るだけ対象に近い人が行うほ うがベターであること(本来家庭での実施が望ましい こと)。 ⑤しかし、近年の社会情勢は、家庭崩壊等の影響もあ り、実施しにくくなっていること。 ⑥従って、学校教育においてもこのテーマが実施される ことが不可欠な時代となっていること。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 44 DEの光と影 光の部分① ① 子供たちと共に「死を考える」ことにより、 彼らに自分の「生き甲斐」を考えさせる。 ② その結果として、この社会は一人では 生きていけないことを理解し、周わりの人 との関係を見出すことが可能となる。 ③ 以上の結果、自己肯定感、共感性等が 高められる。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 45 DEの光と影 光の部分② ④ 今後のより複雑化する社会の変化に伴う 家庭崩壊等もあり、より重要な課題となる。 ⑤ 家庭内におけるコミュニケーションを増加 させる。 ⑥ バーチャルな世界と非バーチャルな世界 には、明らかな断絶があることを理解させ る課題として、極めて明快な課題であるこ と。 ⑦ 今後の子供たちの未来のためには、この テーマを掲げることが、社会を変えていく一 2015/10/1 つの重要なテーマであること。 東京純心女子大学 中村博志 46 DEの光と影 影の部分① ① わが国においてはまだまだ、死は賤しむべきこと、避けなけれ ばいけないことなどの考え方が強く、死のタブー化が我々の運 動の妨げとなっていること。 ② 特にこのタブー化を助長しているのが、親や教員であること。 ③ このテーマを実施するときに、多くの障壁があること。 特に学校教育における障壁として、校長・同僚教師・親などの 問題は大きく、本運動を進めるにあたって妨げとなっていること。 また、社会的には、一般人においても、このテーマが難しい、 避けなければいけないものであることを認識していると理解し、 これを乗り越えていくには、かなりの抵抗を排除していく必要が あること。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 47 DEの光と影 影の部分② ④ しかし、本テーマは拙書でも述べたように、決して難しい 課題ではなく、教材はいくらでも身の回りに転がっているこ とを理解し、実施していくことが大切であること。 ⑤ これを取り除くためには、これまで集積された一人一人の ノウハウを自分だけのものとせず、共通な課題としてこの テーマに取り組むすべての方々の共有財産としていくこと が必要不可欠であること。 ⑥ 本来このテーマには正解はなく、一人一人個人の考え方 はそれぞれの価値観に基づいて十分に尊重することが肝 要であること。このため、学校教育などで行う場合には、よ り慎重な対応が必要となること。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 48 DEの今後の方向性 ① ① このテーマに取り組む方々と共に、全員が心を 一にして、このテーマを広く社会に広めていくた めには、全国規模の何らかの組織が必要となろ う。 ② 上述のごとく、まだまだこのテーマにはタブー が多い。このタブーをいかに乗り越えていくかが 今後の課題であること。 ③ タブーを乗り越えていくには、なぜタブーが存 在するかの分析が必要なこと。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 49 DEの今後の方向性 ② ④ 宗教など信仰を持つ人々が少ないわが国においては、 今後、どのように宗教心とこの課題とを結び付けていくか の検討が必要であること。 ⑤ 年齢的要因が強い本課題において、いかに年齢別な対 応をしていくかの実証と研究が今後の課題となる。 ⑥ 出来るだけ多くの国民の方々にこのテーマの重要性を 認識していただくかがまず大切である。 このための運動をどのような対象に、どのような方法で、 そのような場において実施していくかをこのテーマに関心 がある方々と共に検証していきたい。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 50 中村博志のWEB_SITE のご案内 今回、白百合女子大学における中村博志 のWEB_SITEを改変しつつあります。 このWEB_SITEにはこれまでの数多くの資 料を挿入する予定で現在構築中であります。 これが出来上がれば、学生たちの感想文 や、小・中学校における生徒の資料などもご 覧いただけるのでぜひ一度お寄りいただきた い。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 51 2015/10/1 52 死の教育を行なう上 での手法をめぐって DEATH EDUCATIONは教えるものな のか ? いや、教える部分はあるとしても、大部 分は単に教えることではなく、ともに考え ることが重要ではないのか? この部分が従来の教科教育と基本的 に異なると認識しているし、そのため、原 則として、評価はしないのである。 2015/10/1 53 東京純心女子大学 中村博志 2015/10/1 54 生物学的視点の重要性 アポトーシス テロミア 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 55 アポトーシスとは 細胞死には ①Necrosis(壊死) ②Apoptosis(自死)がある。 ApoptosisはDNAレベルで情報が組み込ま れた、いわば、「プログラムされた細胞死」 (Programmed Cell Death)と考えられる。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 56 テロミアとは テロミアとは二重螺旋構造をしている DNAの両端に存在している。 そして、細胞の分裂に伴ってその数は 減少する。 老化に関係していると現在考えられて いて、いわば、「命の回数券」の役割をし ている。 2015/10/1 57 東京純心女子大学 中村博志 2015/10/1 58 某大学の「死を通して生を考える」 講義後レポートより① 私は「デス エデュケイション」のビデオは見ていないので、 ちゃんとした事は言えないのですが(キュブラ・ロスは読んだ事 がありますが)思った事を述べたいと思います。私は基本的に 自殺をする自由(権利)というのはあると思います。いいとか悪 いとかでなく。それは自殺未遂をする前もした後(今でも)も同じ 気持ちです。私はすごく生きていることが苦痛だったし、小学校 の頃から世界そのものが怖かったし、中学に入ってからはいじ めを受けたり、高校ではついに神経症にまでなり(でもよくそれ までに発症しなかったと思う)うつ状態で辛すぎてとうとう二階 (普通の3階相当5mくらい)から飛び降りたのですが、なぜか 助かってしまい、2度とする気もなくなって今に至るのでした。 2015/10/1 59 某大学の「死を通して生を考える」講義 後レポートより② 飛び降りた時から地面に激突するまでがすごく長かった事 を覚えています。そして大きくて堅いものにぶつかるすごく嫌 な種類の痛みも。そして、2度と自殺をしない(これからもしな いであろう)理由は、死を覚悟した瞬間(地面に落ちてからそ の後自分が助かったことに気付くまでの間)の、すごい、今ま で体験したことのない程の(いうなればEXTRAORDINARY」)安 らぎです。何者かに(あえて神とは言わない)「生かされている 意識なのかもしれません。あえて表現すれば。今まで自殺した ことを口言(広言?)したことはありません。どうしても陳腐に なってしまうんですよね。ただ、退院後交通事故にあってもま だ生きているんで、まだ生きろってことか...と思っています。だ から私は自殺もある種の寿命(絶対的のものではなくとも)な のではないでしょうかと思います。 2015/10/1 60 某大学の「死を通して生を考える」講義 後レポートより③ 身体障害者の人や重病の人や「生きたくて生きられない人」 がいるのだから、と言う人がよくいますが、私はそれは違うと思 います。自殺をする人は(少なくとも当時の私は)心が死にかけ ているからです。前者は目に見える形でやんでいて、後者は目 に見えない、それだけのちがいだと思います。ただ、自殺をする 人に一言言いたいのは、「もったいないことするな」ということで す。今、まがりなりに大学に通っていて完治していないものの、 精神的に安定してきたからこそ、高見の立場で言えるのかもし れませんが、1,2年先どころか、人間には1時間先も見えない のですから。本当に自分の未来まで捨ててしまう行為なんだ よっと(当たり前のことかもしれないけど)言いたい。 2015/10/1 61 某大学の「死を通して生を考える」講義 後レポートより④ 自殺ってすごく発作的なもので、勢いでやってしまう (きっかけは逆に勢いがないとできない)のですが、する 前によく考えてほしいもんです。自分でもすごく偏った考 え方だと思うし、先生は多分①怒る②受け入れられない ③授業で反論する④その他などなどだと思いますが、こ れは私の中でかなり根強いものなので、どうしようもない です。まあ、そう考える人もいるんだなという程度に思っ て下さい。 あまり良い話ではないので 匿名希望 2015/10/1 62 事例4 死んでも生き返る事が あると思っていた歯学部学生① 今回講義を聞いて、死というものについて考えることの重 要性を感じた。現在、子供たちの死の認識の遅れが問題となっ ている。「一度死んだ人間は生き返ることがある」と言う講義の 中でのアンケート結果のように、死を認めてない子どもが多い と言うことである。実際私自身も「一度死んだ人間は生き返るこ ともある」と考えており、先生の講義を聞いて、それは誤った知 識であることを再認識させられた。私は以前に、奇跡体験のよ うな番組で生き返ったという話を聞いた覚えがあったのである。 しかし、それは死亡していなかったことが考えられ、死んだ人 間は生き返ることはないということを改めて再認識させられた。 2015/10/1 63 事例4 死んでも生き返る事が あると思っていた歯学部学生② このように、テレビ番組やテレビゲームなど、テレビが私たち に与える影響は非常に大きく、奇跡のような事件を実際に自分 で見たような気分になって誤った知識を得ることが多くなってい るように思われる。このことから、現代の子供たちには死という ものを理解する機会を作る必要があると思った。また、現代の 子供たちは死というものに直面すること機会が非常に少なく、命 の大切さと言うものを感じる機会がないように感じられた。先生 の話の中で、ある小学校のベランダにつばめの巣ができ、子供 たちがつばめの子供が大きくなるのを楽しみにしていたところ、 一人の少年がゲームの影響で、巣にボールを当てて壊してし まったと言う話を聞き、私はその少年の将来が非常に恐ろしく感 じた。戦闘ゲームなどの普及と共に現代の子供にはゲームと現 実の世界との境界がなくなってきていて、死の重みを理解できな い環境へとなってきているのではないだろうか。 2015/10/1 64 事例4 死んでも生き返る事が あると思っていた歯学部学生③ このことから、動物を飼ったり、近親者の死の場面 にできるだけ連れて行き、死の重みをしっかりと自分 の目で見て、体験させる必要性があると思った。そし て、これから時間をかけて、死を通じて「生きるとはな にか」、「自分はどう生きるか」ということを考えていく ことが求められているのである。 私は今回の講義から、死について改めて考えさせ られたのと同時に、生きるとはなにかということにつ いても深く考えさせられた。そして、いのちの大切さと 言うものを強く感じた。 2015/10/1 65 事例5 死んでも生き返る事があ ると思っていた歯学部学生① 今回の講義で「一度死んだものは絶対に生き返らない」と 言うことを聞いていなければ、私はこの先ずっと「一度死んでも 生き返ることはある」と信じていただろうと思う。そもそも私がそ ういう考えを抱いていたのは奇跡的に生き返った人の特集をテ レビでやっていたのを見たときであると思う。現代の子ども達が 死に対する認識が遅く、私が思っていたことと同じようなことを 思っている子どもが多いのには、こういったテレビ番組が大きく 影響をしているだろう。特に現代の子どもは昔よりずっとテレビ を見ているのだから、子ども達にとってテレビは大切な情報源 であり、生活の中で占める割合が多いため、テレビが与える影 響はとても大きいのだろうと思う。 2015/10/1 66 事例5 死んでも生き返る事が あると思っていた歯学部学生② そういう考えを子どもの頃に植えつけられてしまったら成長し ていっても、死に対する考えは未熟なままになってしまうだろう。 そういう育ち方をした中高生が今、いじめ、自殺、殺人事件など を起こし、人や自分が死ぬということにあまり動じなくなっていた り、、関心を持てなくなっているのではないか。最近頻繁に起き ている青少年による犯罪はこういう死の認識不足にある部分が あるといっても良いのだと思う。高齢化社会が進んでいることも また、子どもの頃に死に立ち会う場面を少なくさせ、死に対する 現実味を子ども達が知ることがなくなっている。こういった社会 の中で、今回のような講義を聞くことによって自分の意識を見直 したり、家庭の中でそうゆう教育をすることが大変重要になって くることを私達は考えるべきだ。 2015/10/1 67 死の教育に対しての具 体的提案 出来るだけ、死と遭遇する機会 を多くする。これは、単に、人の死の みではなく、動物の死との出会いも 重要である。 特に、身近な人の死の場面は大 切である。 勿論、例えば障害児施設の訪問 なども有効であろう。 結局、死について考える機会をい かに増やすかが鍵となる。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志68 はじめに なぜ、このテーマが重要なのか 最近の子供たちが引き起こす残虐非道 な事件の多発や自殺、いじめ、不登校、 学級崩壊などの子供たちの問題行動の 増加。 しかも、我々には、まったく了解できな い事件があまりにも多すぎる。 2015/10/1 東京純心女子大学中村博志 69 子供たちの周りから、死が 遠ざかっている現実がある。 その原因は? 少子・高齢化の影響 核家族化の影響 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 70 課題 Ⅰ 生と死は元来一体であり、い わば鏡の裏表であることを認 識することが重要である。 しかも、死は生物学的にはワンポイント で訪れるものではなく、時間的経過と共 に訪れるものである。 2015/10/1 71 東京純心女子大学 中村博志 課題 Ⅲ 医学的に見た死ですら多様である。 すなわち、脳死、心臓死、細胞死など 2015/10/1 72 東京純心女子大学 中村博志 「死を通して生を考える教育 研究会」を始めるにあたって 2002年からの総合的学習が開始 させることが既に決定されていたし、 私どもとしては、このテーマがこの学 習のテーマとして、極めて適切で、し かも現在の社会に必要な喫緊の課 題であると確信していた。 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志73 デーケン教授の行なう DEATH EDUCATION ①死の準備教育 ②悲嘆教育 ③自殺予防 ④末期患者に対しての教育 ⑤その他 2015/10/1 東京純心女子大学 中村博志 74 デーケン教授との違い 中村はデーケン教授が考える「死 の準備教育」や「悲嘆教育」などの DEATH EDUCATIONを行なっていな い。 中村の考える「死を通して生を考え る教育」とは健常な子供たちに対して 行なう、いわば、「児童健全育成運 動」と位置づけている。 2015/10/1 75 死に遭遇することの重要性 死は知識として知っていてもほとんど意味 がない。 大切なのは、如何に体験するかである。 しかも、体験したときの状況が重要である。 すなわち、親子の対話がどの様に行われ るかなのである。 2015/10/1 76 きっかけとしての死 私が考えるDeath Educationにお いては死は単なる“きっかけ”を与える 役割を担うに過ぎない。 要は死を目の前に提示することによ り、己自身が何かを考えてくれることを 期待しているのである。 2015/10/1 77 あるところでお話をしている時に、 「死を捉えるとは?」と質問されました。 私の答えは次のごとくでした。死を感じると言うこ とはあくまでも情緒的なレベルも含めて感じるもの でしょう。この為には、一度、「心を通る」と言う過程 を経なければならないと思います。ところが現実の 死はどうでしょう。最近の死はあまりにも3人称の死 が多すぎるのです。3人称の死はただ単に「出会う だけ」であり、感じるものではないはずです。心を通 ると言う過程が欠如しているのです。本来は最も大 切であるべき2人称の死が少なくなってしまい、反 面、3人称の死が非常に増えていると言う現実社会 の問題が大きいのです。 2015/10/1 78 事例2 死んでも生き返ると 思うようになった大学生① (前略)私は今まで一度死んだ人間が生き返ることは 絶対ないと思っていましたが、最近よくテレビの特番で 生き返った人の事例を見て、そうゆう事もあるのか~と ごく稀に起こり得るのだなと考えるようになってきてい ました。だから、先生の話を聞き、はっとしました。よく 考えれば、誤診だということを見落としていたなんて。 ただ、最近よく思うことは、どの時点で死なのかが分か り難いということです(脳死問題、安楽死問題など)。だ から、余計に死と言うものが見え難いのではないかと 思います。 2015/10/1 79 事例2 死んでも生き返ると思う ようになった大学生② 今回、私の中のどこからを死とするかという問題は 完全に解けてはいませんが、改めて、死んだものは 生き返ることなどないということをつきつけられ、死= 生きていないと認識し直すことが出来ました。死という ものが理解できていない状態で、命の大切さを教える よりも先生のように最初に死を提示しておく方がより 深く鮮明に印象づけられるのではないかと感じました (後略)。 2015/10/1 80 東京純心女子大学 中村博志 ある学部学生の感想文 私は最初,中村先生が女性の「産まない権利」について反対 意見を言われた時、正直にいって、私は“産まない権利”もある はずだ、と思いました。今日のビデオを見て、先生の思うつぼと いった感じです。ビデオを見て、私がまず感じたことは,女性であ る以上、そして人である以上、子供は産めるものなら絶対に産む べきだということです。私は20年近く生きてきましたが、赤ちゃん に触れたこともなく、自分自身も子供を産む気すらまったくなかっ たのですが、ビデオを見て、まさにカルチャーショックといった感じ でしょうか。涙が止まらないといった感じでした。私も単純すぎだ と思うのですが、今では、子供を産まない権利なんて、女性であ る以上「ない」と言いたいです。先生の講義をより多くの人が受け れば、子供の数が増えていくのではないでしょうか 2015/10/1 81 日本女子大学 中村博志 2015/10/1 82 包丁を見つめている自分① まず、私は先生にお礼を言いたいです。有難うございました。 私は今まで死というものをあまりにも単純に考えていたように思 います。でも、この「死を通して生を考える」を受講していくにつれ て、その考えもどんどん変わっていきました。 『死は自分ひとりの問題であって、他の人には関係がない。 死はあまり話してはいけないことだ。』ということを考えていた私に とって先生の講義は衝撃的であり、もし、デス・エデュケイションを 受けていなかったらこれから先もずっと死に対してこんな考えを 持ち続けていたのだろうかと思うと怖くなりました。死は自分一人 だけのことではなく、もし自分が死んだら必ず悲しんだり、苦しん だりする人がいるということが本当に良く分かりました。 2015/10/1 83 包丁を見つめている自分② 4月からの3ヶ月で家族に死について尋ねることが多くなりました。 最初はひかえめに聞いていましたが、最近では積極的に聞くように なりました。6月11日の夜、私が「授業でお父さんを自殺でなくされ た方が講演してくださった」と言ったら母は「あしなが育英会の方じゃ ない?」と言ったので私は驚いて、「どうしてそんなこと言っていない のに知っているの?」と聞いたら、実は母は以前あしなが育英会の 方のお話を聞いたことがあるとのことでした。その時は言わなかっ たのですが『どうして大人の人は死について話そうとしないんだろ う』と言う疑問と重なりました。その答えとして、私が前々から考えて いたことがあります。正しくはないかもしれませんが、このことも一つ の影響を与えているように感じます。それは、「大人は子どもよりも 多くの死に接してきた。だから、死について話そうとすると、どうして もその悲しみがよみがえってきてつらくなる。そのため、話そうとは しないんだ」という答えです。 2015/10/1 84 包丁を見つめている自分③ 私はこれから先、もっと多くの死に直面することになりま す。その時の悲しみは絶対に忘れないと思います。です が、悲しみをもちながら死というものを子どもたちに教えて いかなければ子どもは死というものを感じてはくれないの ではと思います。私自身、死を伝えていかなければならな いと思います。先生には本当に申し訳ございませんが、実 は私には死にたいと思うことが今だにあります。自暴自棄 になってどうやったら死ねるか、などということを考えてし まいます。時々包丁をずっと見つめている自分に気付くこ ともあります。こんな状態で、制御しているネジがふとした 拍子にはずれてしまったら、自分のことだけしか考えず、 自殺してしまうかもしれないと思っています。先生の講義 2015/10/1 85 がなかったら、どうなっていたかわかりません。 包丁を見つめている自分④ 最近死にたいと思っても、自分のことだけでなく、家族のこと を考えるようになりました。そのおかげでネジがもとのようにし まっていくように感じます。まだ、この不安定なネジがいつか きっちりしまって、意識しなくてもゆるまなくなるようにしていきた いです。 本当はこのことを書くかどうか迷いました。ですが、書いたこと で甘ったれてるかもしれませんが、心がスッと軽くなった気がし ます。 本当にありがとうございました。 2015/10/1 86 ジジ、ババがお孫さんへ行う Death Educationでの注意事項 Ⅰ、父親、母親との前もっての相談 Ⅱ、基本的事項についての了解 Ⅲ、実際の方法論について Ⅳ、自己体験の重要性 Ⅴ、フォローアップの重要性 2015/10/1 87 自主制作ビデオの第二作 第二作として、脊髄性側索硬化症 (ALS)の患者さんに自分の生き甲斐 を語って頂いたビデオを自主製作し た。ぜひご覧ください。 2015/10/1 88 中村博志の連絡先 メイルアドレス:nakamurh@sage.ocn.ne.jp 2015/10/1 89 2015/10/1 90 神経性食欲不振症を患う ある大学生の講義の感想① (試験の時の感想文より) 先生は自分の意見をしっかりとお持ちになっていて「私はこう 思う」とか「私はこう考える」と力強い語り口調で講義をして下さり、 大変好感が持てました。そして、広範囲に及ぶビデオを見せて下 さったり、お話をして下さったので、本当に心底生きる糧となり ました。アンケートや感想文にも書きましたが、私はもう10年 程心身症である摂食障害を患い、苦しめられていて、大変辛く悩 んでいます。もちろん治療中ですが、なかなか暗黒のトンネルか ら抜けられません。でも、今回の講義を通して、自分よりもっと 苦しんでいる、あるいは同じように悩んでいる方々が多勢いらっ しゃる事に気づき、少し未来が開けた気持ちです。また、人生観 や価値観も大きく変わり、これからは精神的に大きく成長でき、 少し大人になって今までよりより良く生きてゆけそうです。 2015/10/1 91 神経性食欲不振症を患う ある大学生の講義の感想② (試験の時の感想文より) 先生の知人の方のお話や学級崩壊、安楽死を願ってい るのに死ねない方のビデオは特に印象的で考えることが 多かったです。友人とのディスカッションも本気で真剣 に取り組めて(今までそんな風に人と話した経験はあり ませんでした)。私の書いたレポートも発表されました。 今日は非常に体調が悪く、学校に来るので精一杯でとて もテストどころではない状態で、テストはほとんどでき ていませんが、せっかく毎回授業に参加したのですから と力を振り絞ってここまで書きました。どうかご理解い ただけたら幸いです。 2015/10/1 92 講義のビデオ紹介 日本女子大学生涯学習セン ターにおける講義の映像が視聴で きますので、ご興味のおありの方 はご覧ください。 また、3回の講義ビデオもご希 望の方にはお分けできます。 詳細は直接、お尋ねください。 2015/10/1 日本女子大学 中村博志 93 アピール 我々が現在生活をしているこの社 会を良くしていくために、この運動を 広げていきたい。 ご共感を頂いた方、また、今後ご 協力いただける方は、是非下記にご 連絡ください。 [email protected] 2015/10/1 94 日本女子大学 中村博志 2015/10/1 95 いのちと言う言葉の意味 わが国の元総理福田毅夫首相 と、かっての英首相ウィンストン・ チャーチル との命に対しての考 え方の違い 2015/10/1 96 日本女子大学 中村博志 福田赳夫首相の考える命 福田赳夫首相の「いのち は地球よりも重い」と云う 日本赤軍のハイジャック事 件の際の発言の外国にお ける受け止め方。 2015/10/1 97 日本女子大学 中村博志 英首相ウィンストン・ チャーチルの考える命 ① コヴェントリー市に対するドイツ空軍の大空襲計画を暗号 解読により事前に掴んだ英首相ウィンストン・チャーチル は、予め対抗措置をとればドイツ側がイギリスによる暗号 解読の事実を知る事を恐れ、イギリス政府としてはコヴェ ントリー市民にはいかなる警報も出さず、結局、数万の生 命を犠牲に供したことは、今日ではよく知られた事実であ る。そしてこのことは今日に至るもイギリス人の大多数に よって倫理的に正しい決断だった(正義)と容認されている。 それほど暗号や秘密情報活動は、国家の生存や歴史の進路 に決定的重要性をもつことが広く認識されているわけであ り、それはまた戦時、平時の区別なく広く受け入れられて いる国際関係の常識ともなっているのである。 2015/10/1 98 日本女子大学 中村博志 英首相ウィンストン・ チャーチルの考える命 ② このこと一つをとっても、「情報」が国の存立に決定的 に関わることを西欧人は骨の髄まで知り尽くしていること がよくわかる。そして、その上に立つ外交や安全保障の営 みこそが国家としての主要な関心であるべきで、さらにそ の上に立って初めて持続的な経済繁栄が可能となる。九〇 年代のバブル破綻の背景などを知ることにより、本来経済 活動などとは比較にならないこうした情報・戦略・安保・ 外交のネクサスがもつ重要性に、日本人はもう一度、深く 思いを馳せるべきなのではないか。それにしても、一九四 〇年の秋にチャーチルやルーズベルトが「この戦争は勝て る」という見通しとその確実な手段をはっきり意識し始め たまさにそのとき、彼ら共通の敵ドイツとわざわざ同盟関 係に入るという選択をした日本は何と「哀れな存在」で あったことか。 2015/10/1 99 日本女子大学 中村博志 2015/10/1 100 DEATH EDUCATIONを行なった 事により得られる結果 現在、二つの成果が得られるとかんがえている。 ①死を目の前に示すことにより、何かを考え、これから、 自分を見つめ、その結果として、自分の生き甲斐を考 えるようになる。 ②周囲の人との関係性に気付く。 場合によっては、親孝行をしたいと考えるようになる ものもでてくる。 2015/10/1 101 DEATH EDUCATIONを行なっ た結果として得られる成果 現在、二つの成果が得られると考えている。 ①死を目の前に示すことにより、何かを考え、自分 を見 つめ、その結果として、自分の生き甲斐を考 えるように なる。 ②周囲の人との関係性に気付く。 ③場合によっては、親孝行をしたいと考えるように なる ものもでてくる。 2015/10/1 102 現代の子供たちの死の 認識に対しての仮説 (家庭崩壊) ↓ 家族におけるコミュニケーションの低下 (文化伝承の低下) ↓ 死を考えない思考 ↓ 「生き返る」と「生まれ代わる」の違いの認識の間違い ↓ 死の認識の低下 ↓ 多くの問題行動の発生(不登校、学級崩壊、いじめ、自殺等) 2015/10/1 103 現代の子供たちの死の 認識に対しての仮説 (家庭崩壊) ↓ 家族におけるコミュニケーションの低下(文化伝承の低下) ↓ 死を考 えない思考 ↓ 生き返ると生まれ代わるの違いの認識の間違い ↓ 死の認識の低下 ↓ 多くの問題行動の発生(不登校、学級崩壊、いじめ、自殺等) 2015/10/1 104 図書の紹介 中村博志他:「死を通して生を 考える教育~子供たちの健やかな 未来をめざして~」 川島書店刊 定価2200円 2015/10/1 105 最後にあたって 今後の学校教育に 2015/10/1 106 日本女子大学 中村博志 ご協力依頼 特に「死の認識」に関する今年 度の研究調査のための対象校とし ての学校募集中。 ご協力ください。 2015/10/1 107 一度死んだ生き物が生き返ることがあ ると思うか 2015/10/1 108 一度死んだ生き物が生き返 ることがあると思うか (金子のデータ) ①そういうこともある 23.8% ②生き返るときと生き返らないと き がある 25.9% ③そういうことはない 2015/10/1 31.6% 昭和女子大学短期大学部の金子政雄ら 109 小学生の調査から 一度死んだ人が生きかえることがあると思 うかとの問いに対して ①ある ②ない ③分からない 126例(33.9%) 126例(33.9%) 117例(31.5%) (小学校生4年~6年のアンケート調 査より) 2015/10/1 110 日本女子大学 中村博志 中学生の調査から ①生き返るないし生き返ることがある 211(47.8%) ②生き返らない 145(32.9%) ③分からない 2015/10/1 76(17.2%) 日本女子大学 中村博志 111 このうち、生き返るないし生き返ることがあ ると答えたものになぜかを聞いたところ 中学生 2004年度 ①見たことがある 59例(17%) 87例(13.7%) ②教えてもらった 57例(17%) 127例(20.1%) ③何となく 229例(66%) 308例(48.7%) ④その他 111例(17.5%) 2015/10/1 112 このうち、生き返るないし生き返る ことがあると答えたものになぜか を聞いたところ ①見たことがある 59例(17%) ②教えてもらった 57例(17%) ③何となく 229例(66%) 2015/10/1 113 日本女子大学 中村博志 母親を亡くされた学生 の感想文① 中村先生の講義を受けるのは、これで3回目になりますが、と ても有難く思っております。というのも、先生が推進されている “DEATH EDUCATION”によって、私はすごく元気づけられてい るからです。言い換えるなら、生きる希望を与えてくださる授業と いってよいです。というのも、昨年の12月に最愛の母が突然なく なってしまってから、私は“生きる”ことに嫌気ばかりがさしていて、 どうして私は“生かされなければならない”のだろう・・・と“生”に 対して疑問さえ生まれていた。私の生活パターンは、まるで、天 から地にズドンと落ちるように変わってしまった。それは残された 父を哀れに思う気持ちと、父にはまだまだ私たちにはなくてはな らない存在で、大学を卒業するまでは元気でいさせなくては!な んて、父をすごく気遣う気持ちがあって、私はまるで主婦になった ように、父にご飯を食べさせ、着ていく洋服にはアイロンをかけて 用意して、お風呂やトイレ、部屋の掃除をし、洗濯して干す。 2015/10/1 114 母親を亡くされた学生 の感想文② 朝は4時半に起床し、ご飯を食べさせてから、2時間かけて学 校に登校する。お昼は昨日の夜に用意しておいたお弁当を渡し て、夜は寄り道をせずに帰って一緒にご飯を食べる。 こんな生活をまさか、大学3年生で味わうなんて思わなかったし、 親戚の伯母や伯父は「お父さんが落ち着くまではしばらく綾ちゃ んには頑張ってもらわないとね。お父さんもすごく助かっているっ て思っているわ」とか、「いいお嫁さんになるわ。頑張ってね」な どと私を誉めてはまかせようとする親戚たち。「お父さんも少しは 自分でやらないと。綾ちゃんにはこれから人生長いのだから、自 分の生活も大切にね」なんていってくれる人は一人もいなくて・・・。 2015/10/1 115 母親を亡くされた学生 の感想文③ 父の世話は苦ではないし、父には元気でいてほしい気持ちも すごくあるのに、誉められていやな気分にしかならない、この何 とも言いようのない複雑な気分が“生きる”ことに疑問が生じてし まった理由のうち、ほんの一部かもしれないがあるようでならな い。 大半は母の存在がないことで生き甲斐を失ったような、穴が ぽっかり開いてしまったような気持ちが大きいのだが・・・・ 自分で書いていてもグチにしか聞こえない内容で先生には本 当に申し訳ない思いです。どうかお許しください。 こうして私は母を失ったことで、変わってしまった自分の心境 と生活サイクル、他にも数え切れないさまざまな変化から、“生” への疑問が生まれてきたのです。 2015/10/1 116 母親を亡くされた学生 の感想文④ “ 生” とは 、 3 年 もの 間 、 母 とと も に 、 中村 先 生のお っ し ゃ る “DEATH EDUCATION”について理解してきて、最近の結論とし て、私たちは“生”=“生かされた人生”それは生きようと思うので はなく、辛い、苦しい、悲しいそんな暗い時間は人生のほとんど で、でも、その中にもほんのちょっとでも楽しいことや喜び、うれ しいことがある。だから何がこの先起こっても動じず精一杯生き ることにこそ“生”=“生かされた人生”なんだ・・・という考えにお さまっていた。母は祖父母を失ってからは私といつもいつもこの 話に結局移っていって、二人で“生きよう、生きよう”と自分たち に“活”を入れていたのだ。自分の生き甲斐、落ち込んでいる母 をなぐさめること、母を少しでも楽しませることで、私は満足して いた。ところが、“生”あるものには必ず“死”があるように、この 人間の短い人生を母とともに生きよう、そう心に決めた矢先の突 然の母の死でした。 2015/10/1 117 母親を亡くされた学生 の感想文⑤ こんなにも母と接する時間が短かったなんて全く思わ なかったから、母の辛さが自分の辛さと思っていた私 が、始めて、自分が辛い、悲しい思いをし、その立場に 立ってしまったのだと感じました。生き甲斐を失くすって これか。10を人生とすると1が楽、喜びなら9は哀なんだ と悟ったことの重さがすごく身にしみて分かった思いで した。 最初は「この結論当たってたわ」って思っていたが」、 時間がたって、いま、この生活をしている状態にいる私 には、そんな結論も、支えてくれる人、理解してくれる人 がいるからこそ、存在するもので今の私には、精一杯 生きなければならない意味さえ生まれては来なかった。 2015/10/1 118 母親を亡くされた学生 の感想文⑥ 言葉では“死”ははかないもので“死”んでも何も残 らないから“生”きる価値は大きいものだなどと言え るけれど、“死”んだら母に会える気がするなどと思う 気持ちさえ生まれてくる程、私の心は病んでしまって いたと思う。 しかし、そんな時でも毎週、先生の授業を受ける たびに、“死”と“生”の話題が挙げられ、私はそれら について考える。また、先生の体験談の中には、筋 ジストロフィーを患った方や、重症心身障害者の 方々の“生き方”に触れられ、度々私は彼らの生きる 意志の強いことに感嘆させられます。もし、今の自分 に命の期限が宣告されたら、私は“生きる”価値など ないと、簡単に死を受け止められるでしょうか・・・。 119 2015/10/1 母親を亡くされた学生 の感想文⑦ 死ぬのは怖くないと言ってはいるものの、そんな状況 におかれたら、やはり死を恐いと感じてしまうかもしれ ない。そう思うと、生かされている自分を有難いと思っ てしまう。このようにして、私は“DEATH EDUCATION” から、“死”を感じ、“生”を見つめ直すことで、今、こうし て生かされていると思うのです。そして、母が私に“生き る”意味を問いかけ答えが返ってくることで安心する気 持ちが、今、このように書いていることで重なって見え るのです。その気持ちが糧なのかもしれない。 そう思うと、先生の授業は大変貴重で、私は聞くたび に、また、“生”を考え直したいとなぜか意欲がわくので す。 2015/10/1 120 母親を亡くされた学生 の感想文⑧ “DEATH EDUCATION”の力に、私はいつも感心し ます。この力の存在をもっと沢山の人々が耳にされる ことを祈っています。そして、また、一人、救われる人 が存在されるのです。 私は今、とても心が落ちついています。書いていくこ とで頭の中が整理されてきました。不思議な力です。 私は20年という短い間の中にも、母と過ごした時間 は、その倍も倍もあることに気付きました。母は今は形 すらありませんが、思い出は心の中で生きているので す。そして母から学んだことは沢山あります。母は50年 間精一杯生きてきました。人生の途中で何度か命の 危険にさらされたこともあったそうです。それは子宮ガ ンで、私がまだ小学生の頃に患った大きな病気でした。 2015/10/1 121 母親を亡くされた学生 の感想文⑨ それでも子供には内緒でそんな素振り一つ見せず私たちをこ こまで元気に育てあげてくれました。友達も多く、いつも元気な イメージで、何か新しいことを見つけようと人生を楽しんでいた ように感じられます。おそらく母はいつ病気が再発してしまうん じゃないかと怖かったのじゃないかと思います。これこそ、死と 隣合わせの人生を味わっていたのではないでしょうか。 しかし、そんな母も先に述べた筋ジストロフィーなどの方々と 同じように、残された人生を悔いのないように頑張ってきたと思 うのです。 私は母を思うと自分を情けなく思います。そして、私はこんな 人生はいいなあと思えるようになりました。よく言う、まるで、線 香花火のように、はかないがパアーッと輝くときに輝いて、燃え 尽きるーそんな人生こそ、“生かされた命”をまっとうできたと思 うのです。 2015/10/1 122 母親を亡くされた学生 の感想文⑨ また、母はくも膜下出血で亡くなりましたが、くも膜下出血は 生まれつきそのキズが脳にあっていつか切れてしまう可能性 があるそうです。血管が破裂しないようにふさぐ脳の手術もあ るそうですが、何かの障害を来たしてしまう確率は高いそうで す。それでも脳の検査をするのでしょうか。祖父、母、が同じ死 因、この病気は遺伝するらしい。この状況で私は考えるまもな く答えが出ました。私は母と同じように、“生”かされた人生を悔 いの残らないように全うする方を選びます。いつ死んでもいい ように、今を生きて生きたいです。それでも手術を受ける方も いると思います。結局、人は“生きたい、生きよう”と本心は 願っている気がしてなりません。自殺をしようとする人だって、 辛さにぶち当たってきっと必死で“生”きる意味を考えているハ ズです。それも、“生かされている”のです。生きようと思う気持 ちが強いから行動で周りに自分の意思を伝えようと思ったから、 自殺が生まれてきたと思えてなりません。 2015/10/1 123 母親を亡くされた学生 の感想文⑩ ですが、自殺は命を宣告されたわけでも何でもない。 自 殺 は “ 死 ” を 軽 く 受 け 止 め す ぎ だ と 思 う 。 “ DEATH EDUCATION”を一回でも受ければ“自殺”なんて絶対に 出来ないはずです。なぜなら、自分だけでなく他人の生 き方を知る機会があるからです。“自分だけじゃない”と 思えたら、きっと自殺なんてしないと思うのです。同じ不 幸を背負っている人が生一杯分を生きていたら、自分も 見習いたいと思う。自分は小さいなあと思うから。そうし て生きる意味を学んでいく、くり返し、くり返し。 私はこの先もDEATH EDUCATIONは学んで生きた いと思っている。生きる意味、、生きるヒントを考え、得 ることが活力だから。 2015/10/1 124 母親を亡くされた学生 の感想文⑪ 子供を持ったらDEATH EDUCATIONをしよう。死を知り、 “生”を分かってもらおう。 そこから、人を思いやる気持ち、感謝の気持ち、愛情、優し さを知ってもらおう。私の母の話をしよう。先生のお話を聞か せてあげよう。 幸福にも私は先生と出会え、こうして知ることが出来て大変 有難い思いです。先生にはこれからも人々に生きる希望を伝 えていただきたい思いで一杯です。そして、私も恐縮ですが 少なからず分かってもらえる人々であふれたらいいなと思う ばかりです。私は精一杯生かされた人生を歩んで生きたいと 思います。長くなりましたが、ズラズラとした文章で大変読み づらかったことお詫び申し上げます。読んでいただいて大変 感謝しています。有難うございました。 2015/10/1 125 事例2 死を正しく認識して いない大学生の存在 ① 私は1年ほど前まで「人は死んでも生き返る場合も ある」と思っていました。小2の時に祖父が死んだにも かかわらず、そう思っていたのです。祖父は早朝死ん だのですが、お通夜はその日の夜ではありませんでし た。母に、「一度死んだと思われていた人が、7、8時 間くらいしてふと生き返ることがあるからだ」と言われ ました。実際、そういった話をTVのびっくりニュースの ような番組で見かけます。それは、そういった話がい かに稀であるかと共に、確かに起こり得る事実だと言 う証明のように思われるのです。 2015/10/1 126 事例2 死を正しく認識していな い大学生の存在 ② 私の親は私と弟に命の大切さを教えてくれることが 多かったと思います。弟は生まれてからしばらく、産声 を上げませんでした。酸素を取り入れさせるため、皆で たたいたり、水をかけたりしたそうです。決して大きいと は言えない病院だったので、救急車で救急病院に運ば れ、体内の血を取り替えました。我家で唯一AB型だっ たため、父の会社の千葉支店の人、近所の人などなど から血を集めたのです。母は命の話をする時にはいつ も、弟の命を助けてくれた人々の話をしました。「この命 は、一人だけの命ではないのだ」と。こういった話で、人 の生への執念を感じていた私は、「人は生き返りもす る」と信じたのでした。 2015/10/1 127 日本女子大学 中村博志 事例2 死を正しく認識してい ない大学生の存在 ③ でも、その確信を崩したのも弟でした。1年ちょっと前、 頭から熱した油をかぶったのです。その連絡を聞いた時、 もう弟には会えないのかと思い、「人は生き返らない」のだ と感じました。結局、命は守られ、彼は3週間あまりの春休 みを病院のICUベットの上で過ごしました。顔面にガーゼ をはった帽子をかぶって通院・通学し、夏休みは皮膚移植 のために、やはり病院で過ごしました。今では、腕の火傷 痕はすっかり消え、瞼やおでこに赤みやつっぱりが残るの みとなりました。生命の神秘を実感した彼は、医者になり たいらしいです。昨日の夜、その弟に授業の話の一部を 話したところ「人はいつか死ぬからおもしろい」と言いまし た。たしかに、限られた命だからこそ、大切なのだと思いま す。 2015/10/1 128 事例2 死を正しく認識してい ない大学生の存在 ④ 今はもう、人は死んだら生き返らないとわかっている し、天国や地獄もないとわかっています。でも生き返ると 信じることは別に悪いことではないと思います。ミッキー は永遠に死なないけれど、たとえ死んでも、だれもそん なことはないと信じないことでしょう。夢を守るために、 ミッキーは永遠に死なない。それと同じように、だれかが 死んでも、死んでいないような気がすることがあるので す。その人が好きだったものを食べるとその人を思い出 したり似ている後ろ姿を見つけると、思わず顔を見たくな ります。死んだ人を思い出すことはよくあります。先生は 「黄泉がえり」という映画を見ましたか?100%フィクショ ンなのですが、死んだ人への強い思いが切ないです。 2015/10/1 129
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