協働とは?

良い社会起業家・事業家の卵の要件
(= 社会起業塾イニシアティブに選ばれる条件)
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自分に足りないこと・ものを率直に把握し、補う。
場合によっては、時計を巻き戻す
「いつまでに、何が、どこまで変わればよいのか」
「そのため自分はどんな役割を、どう担うのか」
によって、すべきことは全く違う
インパクトを最大化するために、顧客群を絞る
他社・行政は何を「実現してきたか」を調べ、役割分担
を明確にする
インパクトを実現するために、誰を巻き込めばよいか
を、最初から設計しておく
村田早耶香さんに聞きたいこと(from 事務局)
・当事者のことを知り抜く・支え抜くために
心がけたことは?
・当時、モデルとしては革新的だった
IT事業を、より本質的な課題解決に
向けて、捨てる判断ができた理由は?
・課題解決を進めるために、
自らの専門性を高めるべきところと、
他と連携すべきところを、どう見極めた?
(たとえば「警察支援」を始めた理由?)
村田さん(かものはし・プロジェクト)のお話から
・「だまされて売られる子どもを守りたい」
・1万円で売られる子ども200万人/年
→カンボジアで売らせない・買わせない
→手工業品生産+孤児院支援+警察訓練支援(費用効果最大)
→加害者逮捕01年82件→10年720件
・03年起業塾参加:被害者にIT+英語→ウェブ制作
タイで中学生向け→調査→カンボジアの方が深刻
事業モデルを切り替えずIT継続→使命か事業か?→説明!
現場と本社、リーダー適性、分裂?→全員で現場+日本へ
被害者の状況+リスク→みんなで行けば遠くまで行ける
農村で入手できる材料の雑貨
効果最大の手法:警察+裁判支援→ネットワーク活用:ユニセフ
・3人の創業者:調査・戦略、事業、広報
牧大介さんに聞きたいこと(from 事務局)
・当事者のことを知り抜く・支え抜くために
心がけたことは?
・地域の人に動いてもらわないと
成り立たない事業で、実績のないよそ者
として、どのように動き仕掛け始めたか?
・力のある人材を、未知の領域に巻き込む
ために、プロデューサーとして心がけた
ことは?
牧さん(西粟倉・森の学校)のお話から
・100年の森構想(~2058年)←雇用対策協(森の人事部)
・04年合併協離脱→06年工房→07年雇用協→08年構想→09年
組合から村が森林10年間預り、ファンド(重機)、森の学校(営業)
→10年ニシアワー製造所→12年原木市場出荷ゼロ
・村のファン:投資+移住(仕事を生み出せる「挑戦者」に)
ビジター→リピーター→サポーター→メンバー
・1年先まで注文がある家具工房(ようび)
発信→エンドユーザーへの影響力→工務店への営業支援
・相手を理解する姿勢:おひとりを1日がかりでヒアリング
+小さな頼まれごとにもしっかり応える
・雇用対策協:国の10割補助←お墨付き!
・「何とか進めよう」前向きな役場
・価格競争→工場まで持たないと戦えない→無謀で元気な若者+同業者
速水林業(04年~)塾修了生から
・進捗報告は、まだ不十分
石川治江さんに聞きたいこと(from 事務局)
・目の前の対象者に全力を尽くすだけで
なく、しくみ化・標準化を進めた理由は?
・介護がサービスとして認められなかった
時代に、コーディネーターの確立と、
フォーマット化を発想・判断できた理由?
・行政や企業の御用聞きになることなく、
提案し巻き込んでいく上で、
大切にされてきたことは?
石川さん(ケア・センターやわらぎ)のお話から
・79年 障碍者との出会い→エレベータ設置運動(要求運動)
授産施設で和文タイプ、電車には2日前申請→16年後立川駅に
・地域生活援助(機能運動):どんなにバリアフリーでも人の手・介助必要
ボランティアで8年半→当事者が精神を病む
・やわらぎ 87年設立:24時間・365日在宅ケア→13拠点・670人
・1つに対応できなければ すべてできない+
当事者の人生すべては引き受けられない→
システム:基本は共通、見えないから可視化
・コーディネーター(訪問介護の調整)書式化する力+書きこなす力
「どの情報がないと仕事が進まないか」 わからないと組み立てできない
・自分たちの切り札:データ+要望書を行政に示す
・会社の事業は点、NPOは面(逃げられない!)→融合
牧:大きな社会構造の理解なく、
個別の事業だけしか見ていないと難しい
現象から理論を引き出す
石川:ヤな奴は頭から入る:虚業か実業か
大局観:「人がどう生きる社会をつくるか」
村田:社会問題を解決したい>社会起業家になりたい
人の巻き込み、成功指標設定の難しさ
共通点:現状分析、書式+標準化、運動、人材の確保