現代の環境問題年表と日本の経験 The Chronology of Contemporary Environmental Problems and Japanese Experience 学習目標 「温故知新」: Look for new applications of old knowledge ( or Look to the past to inform the future)(あるいは過去の光を通し て、現在そして未来を投射) 環境問題の広域化傾向の確認: To understand the trend of environmental problems that have widened in terms of both scope and domain. 「地球環境問題」といっても他人事ではない! “Environmental problems” are not someone else’s affairs. 環境保護とはわれわれの人間性の維持でもある。: Environmental protection also means maintaining our humanity. 私たちは日本の公害の経験から何を学ぶべきか。: What should we learn from Japanese experience of “Kogai”? 青山学院大学国際政治経済学部 ©太田 宏 日本の公害 /環境問題年表 (1) 17~19世紀半ば:出羽国(現在の山形・秋田県)の銀 山や銅山で、廃水や煙害などの鉱害に対する村人の 訴え。From 17th to the mid-19th century: “Dewa no kuni” (Yamagata & Akita prefectures) The problems of waste water and smoke pollution from silver and copper mines (2) 明治から第二次世界大戦:銅の採掘・製錬や硫酸製造 に付随して鉱害が発生。足尾、別子、日立、小坂な どの鉱山や製錬所で被害住民の反対運動や訴訟。From the Meiji era to World War II: Environmental disruption caused by mining accompanied the extraction and smelting of copper and the production of sulfuric acid. e.g. Victims brought an action against mines and smelting works at Ashio, Besshi, Hitachi and Kosaka. 1904年、瀬戸内海 (the Inland Sea) の四阪島(しさかじま:愛媛 県: Ehime)の、住友銅山製錬所による大気汚染に対する農民 の反対運動。Anti-air-pollution campaign by farmers against the smelting plant of Sumitomo copper mine. 1914年には日立鉱山(茨城県)(the Hitachi copper mine in Ibaraki)の煙害による周辺の町村に被害の拡大→村民の抗議 行動→鉱山側は高さ156mの高層煙突を建設して、汚染の拡 散 を は か っ た 。 Smoke pollution Villagers protest the construction of the 156-meter-high chimney the diffusion of air pollution 日本の公害 /環境問題年表-2 「公害」とは、環境の保全上の支障のう ち、事業活動その他の人の活動に伴って 生ずる相当範囲にわたる大気の汚染、水 質の汚濁(水質以外の水の状態または水底の低質が 悪化することを含む。…)、土壌の汚染、騒音、 振動、地盤沈下(鉱物の掘採のための土地利用の 掘削によるものを除く。)及び悪臭によって、 人の健康又は生活環境(人の生活に密接な関係 のある財産並びに人の生活に密接な関係のある動植物及 びその生育環境を含む。…)に係わる被害が生ず ることをいう。(環境基本法、第二条第三項) 日本の公害 /環境問題年表-3 (3) 第二次世界大戦後、朝鮮戦争を経て経済復興から高度 経済成長期へと発展する時期:公害の多様化、広域化、 深刻化: After WW II and the special procurements for the Korean War (朝鮮 特需) helped Japan’s economic recovery and paved the way for Japan’s rapid economic growth. Diversification, widening and worsening of kogai or environmental degradation 1949-51年:東京都、川崎市、横浜市における大気汚染問題→ 住民の要求→一連の公害防止条例の制定 Air pollution in Tokyo, Kawasaki and Yokohama the residents demanded regulation a series of pollution prevention ordinances 1954年3月1日、米国、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環 礁 で 水 爆 ( 「 ブ ラ ボ ー 」 ) の 実 験 [a thermonuclear (an hydrogen-bomb9 test at the Bikini atolls in the Marshall Islands]→日本のマグロ延縄(はえなわ: long-line fishing for tuna)漁船第五福竜丸(Lucky Dragon:99総トン)の乗組員 16人(母港、静岡県港焼津)が「死の灰」によって被爆。The crew of the Lucky Dragon were exposed to radiation of the fallout from the explosion of the H-bomb. →東京都杉並区の読書サークルの女性たち→「水爆実験禁 止」を求める署名運動→全国的な原水爆禁止運動へと発展 日本の公害 /環境問題年表-4 (4) 50年代後半から70年代前半:高度経済成長そして「公害 先進国」日本: 1956年:熊本県水俣湾を中心に水俣病が発生。 1959年:沿岸の漁民約3000人が対策や賠償を要求。 富山県神通川周辺で発生していたイタイイタイ病の原 因判明←三井金属鉱業所の廃液中のカドミウム。 1960年:四日市の石油コンビナートが本格的に操業を開 始=>喘息患者多発(四日市喘息)。 東京や大阪などの大都市では、大気汚染、水質汚濁、騒音、振動、 悪臭、地盤沈下などの多様な鉱害が表面化→住民の生活を破壊。 1967~69年:新潟の水俣病とともに、四つの公害訴訟が 起こされた。 日本の公害 /環境問題年表-5 1960年代:各地で薬害や食品汚染事故が多発した。 サリドマイド事件、森永砒素ミルク事件、クロロ キンによる眼障害、スモン病、カネミ油症事件 (1968年発生、被害者15府県で1万数千人) 公害反対運動と同時に、消費者の保護運動も活発 化。 高度経済成長→農村から工業地帯や都市への人口移動 →農村の空洞化→農薬、化学肥料、機械への依存高ま る。 1950年代前半に頻発のパラチオン中毒、1960年代 顕在化したBHC(benzene hexachloride)汚染、農薬 抵抗性病害虫種の出現、地力の低下 深刻化する公害は、日本ではじめて本格的な環境に対 する住民運動が育っていく過程: 日本各地で「公害対策協議会」、「公害に反対す る会」、「××を守る会」などの名称で運動組織 が誕生じていった。 1963年には、静岡県三島・沼津地区に計画された 石油コンビナートに対し、地元民が多様な反対運 動を展開→計画中止 日本の公害 /環境問題年表-5 The 1960s:Various cases of harmful effects of medicines and pollution of food products Thalidomide incident, Morinaga arsenic-poisoned-milk incident, eye troubles caused by chloroquine, Smon disease caused by quinoform, Kanemi-cooking-oil symptom incident, and so on. Consumer movements also became active. 高度経済成長→農村から工業地帯や都市への人口移動 →農村の空洞化→農薬、化学肥料、機械への依存高ま る。 1950年代前半に頻発のパラチオン中毒、1960年代 顕在化したBHC(benzene hexachloride)汚染、農薬 抵抗性病害虫種の出現、地力の低下 深刻化する公害は、日本ではじめて本格的な環境に対 する住民運動が育っていく過程: The proliferation of “anti-pollution associations,” “association against Kogai,” and “association to protect the environment” in Japan. In 1963 the residents of Mishima-Numazu areas in Shizuoka succeeded in rejecting the plan to construct a “special industrial development zone.” 日本の公害 /環境問題年表-6 1970年代に入って公害の被害はさらに拡大。 70年には東京・新宿区の柳町交差点の鉛中毒 問題 東京・杉並区の東京立正高校で生徒がつぎつ ぎに昏倒する(fell unconscious)光化学スモッ グ(photochemical smog)事件が発生、自動車 が主因の大気汚染が悪化 「産業公害」から、大プロジェクトによる 「開発公害」へ 大阪空港公害問題、成田空港建設問題、名古屋新 幹線公害問題、横浜貨物線建設問題などに対する 反対運動の組織化や訴訟 日本の公害 /環境問題年表-7 (4)-a 自然保護運動 60~70年代には各地で観光道路による自然破壊が問 題となる: 富士スバルライン建設反対運動 1970年、日光国立公園内の群馬県の尾瀬における観 光道路の反対運動→建設が途中で中止 1971年、大分県日比浦海岸埋立に反対した漁民が初 の公害予防裁判で勝訴 日本の公害 /環境問題年表-8 (4)-b 政府の対応 1965年の公害審議会設置や公害防止事業団の設立、 1968年の大気汚染防止法、騒音防止法の施行、1969 年の公害健康被害救済特別措置法などの対策を取る 1970年末の公害国会(第64臨時国会)における公害関 連諸法律の改正 ・制定→1971年7月の環境庁発足 →1972年にストックホルムで開催された国連人間環 境会議 ←国際的な環境政治・政策にとっての第一の波 1973年の第一次石油ショック:公害対策よりも不況対策、 環境問題よりもエネルギー問題 →環境行政は後退:1974年日本版マスキー法施行の延期、1978 年窒素酸化物の環境基準の緩和 ・石油ショック後の戦略産業として期待された電子工業も、内 陸に分散立地された工場から化学物質を流出し、「ハイテク 汚染」の元凶となった。 補償要求のみならず環境を基本的権利として争う環境権裁 判が増加→その多くは原告の敗訴 日本の公害 /環境問題年表-9 (5) 1980年代:公害対策の進展と「環境」問題の広がり 大量生産・大量輸送・大量消費・大量廃棄→「生活公害」 琵琶湖の富栄養化問題: 身近な自然環境保護運動 和歌山県田辺市の天神崎を買い取るナショナル・トラスト運動や北海 道斜里町の知床半島の原生林復元運動 ライフスタイル見直し運動 滋賀県の主婦による合成洗剤の反対運動→県富栄養化防止条例の制定 リサイクル運動や省資源・省エネの活動などの広がり 80年代半ば、 南極上空の成層圏のオゾン層の破壊の実態が明らかに→フロン規制の 世論 地球の気候変動(温暖化)問題→二酸化炭素の排出削減問題 *「公害」と呼ばれた局地的な汚染が、広域の「環境汚染」となり、さ らに多くの問題を巻き込んで「環境問題」となり、オゾン層破壊や温 暖化は「地球環境問題」といわれるようになった。 日本の公害 /環境問題年表-10 (6) 1990年代:ごみの処理問題と廃棄物投棄や 焼却にともなう環境汚染 不法投棄、処理場建設、有害物質をふくんだ廃液の流 出問題 ごみ焼却場から出るダイオキシン汚染の人体への影響 →母乳汚染問題 「環境ホルモン」に対する不安の高まり 個人の生活様式(ライフスタイル)と地球環境問題と の関わりについての認識の深まり→1992年にリオデ ジャネイロで「国連環境開発会議」(地球サミット) ←日本からも350人のNGO代表が参加。 ←1997年、気候変動枠組み条約の第3回締約国会議 (COP3)、京都で開催。日本の環境保護団体の海 外のNGOと連携したり、政策提言などの動きも。 参考 第一期:1945年(第二次世界大戦終了)までの時期。 第二期:1945-61年の国際的な機関や団体が環境保護に動き出した黎明期。 第三期:1962-70年、世界的に環境問題に対する意識が高揚した時期←レイ チェル・カーソン『沈黙の春』(Silent Spring)の出版 第四期:1970-86年、ストックホルム会議→スリーマイル・アイランド→ チェルノブイリ原発事故 第五期:1987年以後、「地球環境問題」という認識が始まった時期 参考文献 Julian Gresser, Koichiro Fujikura, and Akio Morishima, Environmental Law in Japan (Cambridge, Massachusetts: The MIT Press, ) 石弘之「解説」J.マコーミック『地球環境運動全史』(岩波書店、1998年)pp. 253260 飯島伸子『公害・労災・職業病年表』(公害対策技術同友会、1977年) ―『環境社会学のすすめ』[丸善ライブラリー、1995(平成7)年] Nobuko Iijima ed., Pollution Japan: Historical Chronology (Asahi Evening News, 1979) 環境庁『環境庁20年史』[ぎょうせい、1991(平成3)年] 宮本憲一監修『日本の公害 写真絵画集成』(全6巻)(日本図書センター,1996 年) 日本の経験 高度経済成長期から70年代初頭までの日本は, 「 公害列 島 」あ るいは 「環境 汚染の 陳列場 」 (“the showcase of environmental pollution”) 1977年に発表された経済協力機構(OECD)の 報告書: 「日本は多くの汚染緩和の戦いに勝利を治めたが,環 境の質を求める戦いには未だ勝利していない」と,日 本が産業公害型の環境問題の軽減に向けて一定の成果 を上げたことを評価 日本の経験-2 日本の高度経済成長と公害 1950年代後半の5年間の平均経済成長率は実質8.8%, 60年代前半の平均は同じく9.3%,60年代後半の平均 は12.4%: 主な公害(四大公害訴訟): 重化学工業を中核とした重厚長大型の産業が戦後復興後間も ない日本の「奇跡的な」経済成長を牽引 重化学工業は,生産額1単位当たりの汚染物質発生量が他の産 業より大きく,汚染物質の発生・排出量がGNPの成長率を超 える高率で増大 企業の設備投資に占める公害対策投資の割合は低く,汚染物 質の環境中への放出が急増し、人体への被害もとなった公害 が深刻化 四日市喘息(Yokkaichi asthma)、水俣病(Minamata diseases)(熊本県と新潟県)、イタイイタイ病(ouch-ouch diseases) 公害問題は重大な社会・政治問題へと発展 1970年のいわゆる「公害国会」で数多くの公害対策法が成立, その翌年に環境庁の設置→本格的な公害対策 日本の経験-3 公害防止対策と経済成長の両立 「公害対策は必ずしも経済成長を阻害するも のではない。」(日本の公害経験) 厳しい環境規制導入→民間企業の公害防止設備投 資増大(1965年から75年までの10年間に累計5.3兆 円) 公害対策投資はマクロ経済にほとんど影響を与え なかった。企業の公害防止投資→生産コスト増大 =製品価格上昇→設備投資を減少(価格効果)→ 供給力の低下 ←→公害防止設備投資→公害防止産業の需要を増 加+関連産業の投資を増大→供給力の要因(所得 効果) ∴実質GNPを減少させる第1の価格効果は、第2の所 得効果によって相殺された。 日本の経験-4 公害防止対策の相乗効果:新市場開拓と新技術開発 公害防止産業は新たな市場を開拓 1975年頃には,日本での公害防止機器の市場規模は1兆円を超 えた。 公害規制は技術改良を導き,新たな国際競争力を生み出 した。 例:アメリカの排出規制マスキー法導入を意識した 日本国内での自動車排気ガス規制の導入→ホンダの CVCCエンジンなどの燃費が良くて低公害エンジン の研究開発と市場化を促進→日本の自動車が世界市 場を席巻! その他,排煙脱硫・脱硝装置や窒素酸化物が少ない NSPキルンなど。 ∴公害対策が経済的にも優れた技術開発そして公害 防止技術産業の育成を促した。 日本の経験-5 日本の公害経験で最も重要な教訓 事前あるいは早期の対策が事後の処理 に勝る,ということ。 「公害や環境破壊に伴う被害を事前に予防 するコストの方が、事後的に対策を講じる コストより、結局は安上がりになる。」 日本の経験-6 日本の公害経験からの遺産 過去の深刻な産業公害問題をある程度克服し た結果,日本には公害対策技術、技能、人材 (技術者や政策専門家)が蓄積された。 →日本には大気、水質、騒音などの公害問題を測 定・調査する専門的な技術と人材、そうした作業 に必要な精密測定機器や公害処理技術や装置、な らびに公害対策のための法整備や行政的仕組みな ど,官民の公害対策技術,技能,人材が日本社会 の「資産」として蓄積。 →こうした「資産」の有効利用としての日本の環 境外交 ODA大綱と日本の環境協力構想 ODA大綱の4原則 (1) 環境と開発を両立させる。 (2) 軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する。 (3) 国際平和と安定を維持・強化するとともに、(中略)開発 途上国の軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武 器の輸出入等の動向に十分注意を払う。 (4) 開発途上国における民主化の促進、市場指向型経済導入の 努力並びに基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う。 リオサミット以後の5年間:環境ODA 1兆4,400億円の実 績を達成 「21世紀に向けた環境開発支援構想(ISD構想) 」 [Initiatives for Sustainable Development (ISD) toward the 21st Century ] (1997年6月) ODAを中心とした環境協力の包括的中長期構想として, 具体的な行動計画:(1) 大気汚染・水質汚濁・廃棄物対策, (2) 地球温暖化対策,(3) 自然環境保全,森林・植林,(4) 「水」問題への取り組み,そして (5) 環境意識向上・戦略研究 環境ODA 分野別実績 3000 2500 居住環境 2000 森林保全 1500 公害対策 1000 防災 その他 500 0 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 居住環境 森林保全 公害対策 防災 その他 1633 1373 1128 180 169 87 302 391 362 546 136 58 37 48 52 1296 2803 252 372 183 609 453 429 176 266 993 223 345 384 341 538 1303 82 89 2353 2090 226 656 676 1083 1999年度JICA環境協力実績(地域別) アフリカ 18% 東欧 その他 6% 1% アジア 42% 中東 7% 中南米 23% 太平洋 3% OECD環境保全成果レビュー:対日審査報告書(2002年) 日本と他のOECD諸国の環境関連主要データ比較 日本 米国 ドイツ 英国 韓国 OECD 保護地域面積 [対全面積比率 (%)] 6.8 21.2 26.9 20.4 6.9 12.4 熱帯材の輸入額(米ドル/人) 10.7 2.2 1.8 2.7 6.1 4.0 下水処理率 [対人口比率 (%)] 62 71 89 84 53 59 漁獲量 [対世界比率(%)] 5.6 5.1 0.3 0.9 2.3 28.5 SOx 排出量(kg/人) 6.9 68.9 15.8 34.5 32.9 39.2 NOx 排出量(kg/人) 15.8 79.8 21.7 35.0 27.6 41.2 CO2排出量(t/人) 9.1 20.5 10.0 9.0 8.8 11.0 一般廃棄物排出量(Kg/人) 410 720 460 500 400 500 注:OECDの数値は加盟国全体の平均値。ただし、漁獲量のみ合計値。 出所:「OECDレポート No. 9」『日経エコロジー 環境開発サミット特別編集版』日経BP社、2002年11月 号、p.108. OECD環境保全成果レビュー:対日審査報告書(2002年)-2 対日審査報告書(2002年)の勧告の要点 環境政策における経済的手法活用勧告 廃棄物分野での汚染者負担原則(PPP) 活用勧告 生態系全体を視野に入れた環境政策の展 開勧告
© Copyright 2024 ExpyDoc