アジアの歴史第11回 金日成・スターリン:

アジアの歴史第10回
劉少奇・周恩来・林彪・「四人組」:
冷戦下のアジアと
中国の一連の政治運動
アジアをめぐる社会主義諸国(地域)と
資本主義諸国(地域)の二大陣営の対立
ソ連(ソビエト連邦共和国)
アメリカ
中国(中華人民共和国)
日本
朝鮮民主主義人民共和国
(北朝鮮)
台湾(中華民国)
ベトナム民主共和国(北越)
モンゴル人民共和国
ラオス
カンボジア
大韓民国(韓国)
ベトナム共和国(南越)
フィリピン共和国
孤立環境下の中国の経済建設
国家副主席(のち主席)劉少奇
政務院(のち国務院)総理周恩来
 1950、土地改革運動開始
 1953-1957、第一次五カ年計画実施開始
 1956、社会主義経済システムの確立
「大躍進」とその挫折
 1958-61年、毛沢東の提倡で展開された大衆
運動による経済建設運動。現実から遊離し、自
然災害・ソ連の援助引上げなどもあり失敗。文
化大革命に至る党内対立の出発点となった。
(『広辞苑』より)
 「十五年でイギリスを追いつき、追い越そう!」
というスローガン
中ソの対立
ーイデオロギーから国家関係へー




1956年、ソ連の非スターリン化
1960年、中ソ論争の公然化
1969年春、珍宝島=ダマンスキー島での軍事衝突
「修正主義(revisionism)」マルクス主義を修正し,議会
を通じての改良政策によって社会主義を実現できると主
張する立場。ドイツ社会主義民主党のベルンシュタイン
を中心とする右派の主張に始まる。のちマルクス主義右
派を批判していうと語としても用いられる。修正社会主義。
(電子版『大辞林』より)
エスカレートされた中国の政治運動








1957年、「反右派闘争」
1963ー66年、「社会主義教育運動」(「四清運動」)
1963ー66年、「毛沢東思想学習運動」
1966年、紅衛兵造反運動(文化大革命の開始)
1973-74年、「林彪批判・孔子批判運動」
1975年、『水滸伝』批判運動
1976年4月、第一次「天安門事件」
1976年10月、「四人組」の逮捕(文化大革命の終焉)
巨大な実験・巨大な失敗:文化大革命(一)
 毛沢東への個人崇拝
【東方紅】 〔革命歌曲〕の代表的なもの,陜北地方の
古い民謡に延安の農民李有源が識字運動のおか
げで覚えた文字による毛沢東頌歌の歌詞を付した
もの (『中日大辞典』電子版より)
東方は紅い、太陽が昇った、
中国には毛沢東が現れた。
彼は人民の幸福を謀った。
彼は人民の大いなる救いの星!
巨大な実験・巨大な失敗:文化大革命(二)
 熾烈な権力闘争
劉少奇・鄧小平および全国各地にいる「走資派」た
ちの失脚
ナンバー2人物だった林彪のソ連亡命と墜落死
江青を初めとする「四人組」の周恩来打倒キャン
ペーン
毛沢東の死去と文化大革命の終焉
文化大革命とアジア諸国
 東大闘争と日大闘争
 1964年(昭和39年)の慶応大学費闘争、1965年
(昭和40年)の早大学費・学館闘争、1966年(昭和4
1年)の中央大学費闘争を前駆とした大学闘争の波
は急速にひとつの統一的な高まりを見せ始め、196
8・9年(昭和43・44年)には「大学解体」をスローガン
にした全国全共闘運動へと発達していった。1968年
(昭和43年)のピーク時には全国の大学の約8割に
当たる165校が紛争状態に入り、その約半数の70
校でバリケード封鎖が行われた。東大闘争と並んでそ
の一方の極をなした日大闘争はそうした闘争の頂点
であった。(「事件index 無限回廊」HPより)
文化大革命をめぐる歴史的評価
 1981年6月、中国共産党11期6中全会は、
「建国以来若干の歴史問題に関する決議」を
採択し、文化大革命は「全局的な、長期間に
わたる『左』傾の重大な誤り」であり、「毛沢東
同志に主な責任がある」とした。
 現在の中国では文化大革命を「十年の災禍」
とも呼ばれ、全面否定している。
 「文化大革命」は避けられなかったか?
期末テストについて
 実施日時:2010年7月27日(火)授業中(教室
は未定)
 制限時間:1時間(一人分ずつ空けて座る)
 設問パターン:問一、事件名・人物名・歴史事象
などの簡単なまとめ、5問、各100字以内、各
10点。
問二、小論文、2問から1つを選んで300-500
字の小論文をまとめる。
 持ち込み可のもの:配布プリント、自筆ノート(コ
ピー不可)、サポートHPの資料、筆記用具