ウィニコットの仲間たち 東京国際大学 妙木 浩之 個人的体験から 傷つきやすさの活用という視点から ウィニコットの母親について、多くの証言がうつ 病であったと語っている。姉たちは結婚していな い。 第一世界大戦で仲間を失い、夢を見られないと いう症状で精神分析と出会う。 最初の結婚相手が、精神障害をもっており、青 年期から成人期をその介護に費やす 第二次世界大戦における疎開活動 そこでのクレア・ブリットンとの出会いと不倫 母親の謎 仮説「母親は抑うつ的であった」 複数の母親たち- 忙しい父 67歳の手紙(義理の兄へ)-リトルの証言 1948年「母親の抑うつに対して組織さ れた防衛の観点から見た償い」 ↓ 治療における環境の位置づけ 大戦の傷 第一次世界大戦で医大生として参戦し、 多くの同僚を失う→PTSD 「夢がみられなくなる」という症状 ↓ 1.精神分析との出会い 2.外的環境の内界への影響 3.環境欠損の子どもたちのケア ある反復:発病した妻 1923年7月7日 結婚 →発病 「若い頃のウィニコ ットの精力を使い果たした」(カーン) 23-25年に起きた多くの出来事 ↓ 1.子どもを作れなかったことと不倫 2.疎開計画への熱意 3. 在宅でのケア(反社会的傾向):マネージメント 1955年「在宅で取り扱われた症例」 4.holdingと逆転移の意味の深さ メラニー・クラインとの関係 クラインが重症の鬱症状に悩んでいたこと は多くの同時代人が目撃している。 ウィニコットは彼女の息子の治療者である。 再び1948年「母親の抑うつに対して組 織された防衛の観点から見た償い」 →彼女との関係が破綻した後に書かれ た論文としての意義:独立宣言 攻撃性は天性のものではない 最初子供は無統合で、Motility(運動性)が中心 である。だから相手のことよりも、運動性が前面 にあるので、環境からは、陰性の無慈悲な状態 に見える。だがそこで母親は母性的な機能によ って、それを抱えるので環境によって、攻撃性に 見えるだけである。 陰性のものの裏側には、環境への期待があり、 環境側はそれを逆転移によって耐えることが必 要になる。 ウィニコット独自の仕事:環境論へ 1948年「母親の抑うつ」 1950年代→ マネージメント 1952年「症状の容認」 分析体験の完成 1947年「逆転移のなかの憎しみ」 クラインからの離脱と自分のあり方 1951年「移行対象論」 1954 「精神分析設定内における退行的および臨床的側面」 1963年「幼児のケア,子どものケア,分析的 設定における依存Jにつながる発想 抱える環境=分析設定:雰囲気であって、こ こには触ることなどは含まれていない。この設 定が依存への退行を生み出す素地になり、信 頼感から転移を育む素地を生み出す。 ⇒退行する元来備わっている内的組織 1.偽りの自己の発達をもたらす自我組織の失敗 2.元の失敗が修正できる可能性 依存への退行と解凍 分析設定のなかでの転移関係として生じる のは依存への退行である(依存への退行と 退行した患者とは違う)。 環境としての母親はかつて融合(子供が母 親を空気のように感じる)状態と呼んだもの であり、対象としての母親とは出自が違う。 抱えることのなかに自我組織がある。 考えない記憶には、外傷が凍結されていて 、そこには自我組織がある。 依存への退行 退行には二つある。一つは早期の失敗状況に 戻ることであり,もう一つは早期の成功した状況 に戻ること…環境の失敗状況が問題となるよう な症例でわれわれが目にするのはその個人に よって組織化された個人的な防衛の証しであり, これは分析を必要とする。より正常な,早期の成 功した状況を有している症例でわれわれがより はっきりと目にするのは依存の記憶であり,それ ゆえわれわれは個人的な防衛の組織よりはむし ろ環境の状況に出会う。 分析家の失敗の意義 この新しい環境にとって,分析家の失敗は重 要な要素である。それは転移,すなわち早期 の失敗状況の再演(re-enactment) のな かで生じなくてはならない。よって分析家の 失敗は,上演(enactment)であり,適切な タイミングで生じる必要がある。しかしながら ,患者にとっての癒しの効果を持たせるため には,分析的枠組みがいったん確立した後 においてのみ生じる 失敗による成功 限定された文脈では誤解されていることに耐 えなくてはならない…。今や患者は分析家を 失敗,元は環境の要素から生じた失敗のゆ えに憎むが,その失敗は幼児の万能的コン トロール外のものだったものが,それは今は 転移のなかで演じられる。それゆえ,最後に は私たちは失敗する一患者のやり方に失敗 する一ことによって成功するのである。これ は修正体験による治癒という単純な理論と はかなりかけ離れている。 存在することとすることの極 一方の端には存在することがあり,それは健 康や統合,存在することの能力,その結果,行 うことと関連している。もう一方の端には,原初 の苦悩があり,そこでは未熟な反応しかなく, 内側と外側の区別ができず,自分と自分でな いものの区別ができない。その場合,そこには 常に一つのチャンスがあるが,それは,存在 することに始まる転移関係のなかで,重心を 発見するために必要な退行を精神療法が促 進するチャンスである。 1.ウィニコットの臨床感覚 Harry Guntrip(1901-1975) 1944 Smith and Wrigley:The story of a Great Pastorate 1949 Psychology of Ministers and Social Worker 1951 You and Your Nerve( Your Mind and Your Health 1970) 1956 Mental Pain and the Cure of Souls 1961 Personality Structure and Human Interaction 著作 →Schizoid問題 1962 “The manic-depressive problem in the light of the schizoid process” 1964 Healing the Sick Mind. 1967 “The concept of psychodynamic science” 1968 Schizoid Phenomena, Object Relations and the Self 1971 Psychoanalytic Theory 1973 “Sigmund Freud and Bertrand Russell” 1974 “Psychoanalytic object relations theory :The FairbernGuntrip Approach” 1976 “My Experience of Analysis with Fairbain and Winnicott” 1994 Personal Relations Therapy (ed,J.Hazell) 1976 “My Experience of Analysis with Fairbain and Winnicott”(1975.1996) 親の不仲 女の子の洋服:母親の趣味 二才下の弟の誕生と16ヶ月目で死ぬ 牧師への道 1938年 37歳のとき、彼を補佐していた年下の同 僚が去ったとき、スキツォイド状態、心身消耗状 態になる。 1949‐1959年 計1000回を越える分析をフェア バーンからの分析 1962‐1968年 計150回のウィニコットの分析 H.Guntripの分析体験 クラインとフェアバーンの統合 対人関係論から自我心理学までも含め た 立場 →『対象関係論の展開』 1938年 彼の年下の同僚が去ったときに パニック、心身の不調→ フェアバーンから分析(49-59) ウィニコットから分析(62-68) ガントリップの分析内容 健忘はいずれの治療が終わってから明確に なった。 「フェアバーンは理論に比べて、臨床はよりオ ーソドックスで、ウィニコットは理論に比べて、 臨床はより革新的であった」 フェアバーン:郊外の、古道具があって、大 きな待ち合わせ室 ウィニコット :シンプルで計算された都会的 待合室 ガントリップの分析内容 弟の死と母親との葛藤 フェアバーン:エディプス・コンプレックス ウィニコット :母親との関係の欠損 治療技法 フェアバーン:内容の解釈 ウィニコット :沈黙と母子関係の転移解釈 内容は同じでも→解釈を手控えているウィニコット 2.精神病と退行 赤ん坊というものはない 「赤ん坊」という存在はない。赤ん坊と母親 (養育者)は対であり、乳母車があれば、 そこには母親がいる。 精神病は、無統合な時期の環境欠損病で ある。 早期の失敗を補うには、母性的な機能の 必要な段階への退行が必要になることが ある(精神病性の転移:リトル) 母親的な没頭 maternal preoccuaption 母親的機能 Holding Handling Object-presenting 母親や養育者に備わっている本能の 解除によって生み出される。→精神 病的なものに対する治療技法 ウィニコットの理論的発展 1. ストレイチーの分析(1923-33) 古典的なフロイト的解釈 2. クライン派の時代(1935-46) 「躁的防衛」(35)「設定状況」(41) 3. 母性的環境仮説の着想(41-46) 定型的な治療構造から疎開計画の体験 4. 理論的な進歩(46-51) 環境としての母親、クラインから離脱 5. ウィニコットの臨床的な貢献(52-71) 治療的な技法の定式化 →リトル(49-)、カーン(51-66) M.Littleの分析体験 M.I.Little(1901-1994) 「逆転移と患者の反応」論文(51) 転移性精神病、妄想性転移 →『原初なる一』 ウィニコットとの分析体験(49-55) 混乱期とその治療体験 『精神病水準の不安と庇護』 Margaret Isabel Little(1901-1994) 1907年 病気で不登校 1909-19年 女子高校 1919-26年 ロンドン大学-ベッドフォード大学 ‐聖マリア医学校 1927年 医師になる 1929年 G.P.を始める 1939年 開業場面を売り、精神科医を目ざす 1941年 シャープとの分析 1945年 英国精神分析学会準会員 1946年 会員としての資格を得る 1947年 シャープ死去。ウィニコットが空くまで の間、ミルナーとの分析 1971年 英国精神医学大学協会の会員 1971年 引退 1981年 論文集『原初なる一』 1990年 ウィニコットの治療体験の本 1994年 11月27日ケントの自宅で死去 『ウィニコットの治療記録』 センセーショナルな扱いを受けた論文 第3章 Dr.X.との精神療法 1936~ 1938年 第4章 Ella Freeman Sharpeとの,精神療 法 1940~ 1947年 第5草 D.W.Wとの精神療法 1949~ 1955 年,そして1957年 第6章 その後のこと 1957~ 1984年まで 精神病と子供のケア(1952) 精神病は環境欠損病 である 環境の侵襲 impingement 抱えることと移行領域 リトルの臨床報告 パラノイドの「さまよう人」の分析(194446,46(3/w)46-48(1/w)、1954末(1M) 患者のニーズに対する分析者の総反応 重症の患者では転移解釈が意味をもつように なるのは、治療者の現実的な反応のほうであ る。→「解釈は妄想に何の影響も与えません 。夢から目覚めさせること、それは真実だと信 じられたことが真実ではないと気付くことです 。解釈の背後に一人の人間がいることです」。 臨床的問題(リトル) 1. 何も言わずに面接室を出て行く 2. 何も言わずにつぼを代える。 3. クライアントの手を握り続ける(現実に抱 きかかえる) 4. 状態に合わせて面接を延長する 5. 入院中に訪ねて行く(外でも抱きかかえ る) →枠組みからの逸脱=フェレンチィ的伝統 Littleの臨床理論と逆転移 身振りとしてや相手に触れようとして、です。それは妄 想を分析する時です。…患者がひどい頭痛を訴えたと きに、私は患者の額に手を置きます。…「いつ患者に触 れるのですか」と、そお時わたくしは言いました。「これ 以上触れないでは、いられなくなたっときです」。(分析 者が率直に感情を示すのは)「自由に活用できることが 、重要」だという。 原初的一体性があるという原理がある→「二人は実際 に、長期間にわたって人生の部分であり、共通の、そし て相互に関心を抱いている事柄の分析に深くかかわっ ているのですから。 リトルの見たウィニコット ①その人の個人としての大切さと同時に,その 人の極早期の環境の大切さ,に注目している: ②共感し相互性を体験する(ノン・バーバルなコ ミュニケーションとボディ・ラングージとを理解す る。これは単に,無意識に行う動作や姿勢に気 がつくということ以上の意味です):③ 固さのな い確かさ:④ 「依存状態への退行」の許容:⑤「 抱え」と遊ぶこと 主客未分化の世界の中で わたくしは「徐々に」,これまでの万能感的な偽 りの「管理する」自分を放棄して,彼の holdingに身をゆだね,傷つきに満ちた幼児 期と小児期を,もう一度生きたのです。必然的 に,わたくしはイメージ界で彼を破壊し,に破壊 され(どちらでも同じ),そしてしばらくして,二人 とも生き残っているのに気づき,彼を役立て,に 役立つことができるようになったのです。 クラインとウィニコットとの亀裂 フロイト-クライン論争後 中間学派を選択した人たちの意思 ウィニコットの臨床実践と理論がクラインの それと異なっていた ↓(46年~51年) 1951年「移行対象」論文 攻撃性の直接解釈を二次的なものにし た ウィニコットとクラインとの相違 分裂妄想ポジションは存在しない。 病的な表現は原初の母子関係を正確に記述し ていない。無慈悲な時期は存在するが、それは 環境がほど良ければ自然に統合される。 死の本能はない。 子ども時代にあるのは運動性であり、それが対 象を見出せないときに、攻撃的、破壊的なものと して表現される。 乳幼児期は健康な環境のなかでは、不安に満ち ていない。発狂や精神病は環境欠損病である。 錯覚と芸術 創造を錯覚の体験とみなす場合: Milnerの立場:世界との融合の官能的体 験 Rycroftの立場:一時的万能感→万能感 や過剰な理想化の放棄によって生じる脱 錯覚 Winnicottの立場:移行対象の発現と 徐々に脱錯覚すること 描画を用いること 自由に連想できない、連想の乏しい患者のために 導入する(精神病的な要素が大きい)。 絵を患者が自らの体験を捕捉し、伝えるために持 ってくる。それを受け取る。 頻度の低い治療つまりオンディマンドでは効力を 発揮する。 一緒にそれを見ることで、より深い主題を取り扱え るし、その容器になる。 治療の場で自分の気持ちや思いを伝えるために、 交流することの一部として活用する。 3.マネージメント ウィニコットの第二次世界大戦 Clare Brittonとの出会い(1944)と結婚 (1951) 疎開計画のなかで発見された愛情剥奪と 「反社会的傾向」 クレアとの出会いによってソーシャルワー カーや多くの抱える環境を重視するように なる。BBCなどでの講演会ほか。 クレアとの出会い ウィニコットは1943年時点で、心理治療的な 仕事においてチームワークは悪いと述べてい たが、しだいにその意見を変えていくことにな る。 1946年10月 ウィニコットはクレアに次のよう な手紙を書いている。「私の仕事はまったくの ところ貴方と関連しています。私に対する私 の影響は私を鋭く、生産的にしますし、これは 実に恐ろしいほどなのです。貴方と離れ離れ になると、私はあらゆる行動、独創性が麻痺 してしまう感じなのです」。 クレアがウィニコットに与えた影響 1945年 遊べない子供という論文 →『遊ぶことと現実』 1946年 里子に出す子供にとって移行のために所有 物が重要であると発見した。 →移行対象論 1954年 子供ケアサーヴィスにおけるケースワーク 技法という論文でholdingの重視 →ウィニコットに取り入れられる ウィニコットはManegementという言葉とソー シャルワークをしばしば結びつけて語ってい る。 ウィニコットの概念:反社会的傾向 盗みで始まって、反社会的傾向によって、 行為障害などにいたる臨床群 :原因は愛情剥奪にあり、彼らの中核に 愛情剥奪コンプレックスがある。 →施設をはじめとして、マネージメントの問 題がもっとも深刻な事例である。 Clare Britton Winnicottの仕事 ウィニコットの概念を流布 子供たちの内的体験を理解する 子供とコミュニケーションする技術 クライエントの人生のなかでの「移行的参 与者transitional participant」としての ソーシャルワーカー 治療プロセスで重要な他者を投入する 援助関係における逆転移反応 小児医学から精神分析へ 「児童部門のコンサルテーション」(1942) 「小児医学と精神医学」(1948) 小児医学に精神分析は必要だが、現実に は全部の子どもに行うことができない。 「小児医学における症状の容認:ある病歴」( 1953) 「在宅で取り扱われた症例」(1955) 別の方法を考える⇒マネージメント 精神分析家として働くとき 1.狂気恐怖が情景を支配しているとき 2.偽りの自己が成功をおさめていて、分析を していけばある時期にはこれまでにつくりあげら れていた見せかけの成功や才気闊達さなどが壊 れてしまいそうなとき、 3.患者の中に反社会的性向、攻撃的なかた ちをとるもの、いずれにしても母性愛剥奪の遺産 であるとき、 4.文化的生活が認められないとき、つまり内 的な心的現実と外界の外的現実に対する関係、 その二つの結びつきがうすいとき 5.病んだ両親像が情景を支配しているとき 4.移行領域の臨床 小児医学から精神分析へ 1941年「設定状況における幼児の観察」 舌圧子 医師 母親と子ども 第一段階 驚きから「ためらい」の段階 第二段階 欲望を受け入れて、口で噛む、空想する 遊べる段階 第三段階 捨てられる。放っておいても大丈夫な段階 生後5ヵ月から13ヵ月(13ヵ月過ぎると幅が 広がる)に典型的なやりとり。 移行対象 1951年「移行対象と移行現象」 生後4、6、8、12ヶ月に発見される 最初の所有物 1952年「精神病と子どものケア」 中間領域と移行対象の理論、そして精神病 ↓ 1. 枠組みと治療空間、間の体験 2. スクウィッグルと相互作用 3. 内と外、パラドックスの発見と理解 間の体験とパラドックス 錯覚の瞬間 illusionment 二つの線が出会うことで空想と創造が 行われる中間領域が出来る。 ↑ ↓ 脱錯覚の領域 disillusionment 徐々に失敗することで間が作られる。 交流することと交流しないこと 一人でいられる能力 capacity to be alone 無慈悲から思いやりの段階への発達 偽りの自己の形成 環境からの侵襲に対して組織される自己 交流する領域と一人の領域 交流と内省 治療相談therapeutic consultation 精神療法面接とは異なる技法 二三回あえば治る症例に対するもので 転移と抵抗を扱うよりも 間の体験のなかでクライアントのニードに合わ せた体験を提供する。 スクィグル技法 オンディマンド法 在宅などの環境の活用 スクィグルの特徴 1. 2. 3. 治療者のほうが子供たちよりもなぐりが きが上手で、子供のほうがたいてい絵を 描くのが上手である スクィグルには衝動的な動きが含まれて いる スクィグルは、正気の者が描いたのでな い場合には狂気じみている。そのためス クィグルが怖いと思う子供もいる スクィッグルの特徴2 4. スクィグルは制約をつけることはできるが、それ 自体は制約のないものである。だからそれが いたずら描きだと思う子供もいる。これは形式 と内容という主題に関係している。用紙の大き さと形がひとつの決め手となる。 5.それぞれのスクイグルにはある統合が見られる が、それは「私」の側にある統合から生じるも のである。これはよくある強迫的統合ではない。 よくある強迫的統合には混沌の否認が含まれ ていると思われるからである。 スクィグルの特徴3 6.ひとつのスクィグルのできばえは、それ自 体が満足のいくものであることが多い。そ ういうのは例えば、彫刻家が石や古い木 片をひとつ見つけて、手を加えずに一種の 表現としてそれを置いたような「見出された オブジェ」のようなものとなる。 ウィニコットの移行対象(1951) 4ヶ月、6ヶ月、8ヶ月、12ヶ月までにあら われ始める、私でない所有物。 乳房、内的対象との関係がある。 現実検討の確立に先行する。 全能的、魔術的操作から巧みな操作統制 へ フェテシズムに発展することがある。 錯覚と脱錯覚 母親ははじめ100パーセント、母性的没頭によ って、適応して、幻想を生み出す機会を幼児に 与える 一次的創造性と現実検討に基づく客観的知識の 間に領域が存在し、程よい母親はそれをかかえ る。自分の創造能力に対応する外的現実がある のだという錯覚を与える。ここで対象が内的か外 的か問わない。共有体験。 次第に外的現実が母親の徐々に失敗することを 通して、体験される。 発達 絶対的依存 相対的依存 自立に向けて 抑うつポジション→思いやりの段階 攻撃性はない。あるのは運動性である。 Winnicottの gradual failure of disillusionment 転移関係のなかでの治療者の失敗の意義 (ウィニコットの知恵) 抱える環境とその失敗によって生まれるズレの 意識が生まれるということではなく、むしろ「徐々 に」という点が重要であると思う。 これをめんどくさいと感じたり、焦ったりしない態 度を維持する治療者(母親) Durable therapist(mother) Winnicottの発達モデル Illusion →母性的没頭 absolute dependence Holding -- integration Handling -- personalization Object-presenting -- object-relating 統合が達成される (realization) Disillusionment →ほど良い母親 gradual failure -- relative dependence toward independence 母親と家族の鏡としての役割(1968) 主観的対象の段階では、二人は融合しているので 赤ん坊は母親の顔に自分の顔を見ることになる。 移行対象の段階では、ほど良い母親によって養育 されていれば、母親の顔は自分の顔であると同時 に母親の顔である。 ほど良くないと、早期の脱錯覚が起き、母親の顔 は母親の顔にしか見えない。まなざしは自分の見 てくれないので自分の姿を見いだせない。想像力 でそれを補う。 治療相談の臨床 子どもは前もって、医師に合うことを期待してくる。 しばしば医師の夢を見ている。⇒主観的な対象と しての医師 治療の中で、お互いをすり合わせるtuning inのプ ロセスがある。 カオスが示されて、そのなかに「何か」がある。 夢を語る場としてコンサルテーション 良い夢ではなく最悪のバージョン(悪夢は語ること で悪夢ではなくなる) 中間領域の臨床 中間領域を間に置けるようになることで、一人 でいられる能力を持つ 外傷が乖離によって精神身体からはみ出して しまうときに、中間領域のなかで、心が場所を もてるようにすること。 ズレと一致の間に、その人の心が場をもてる ようにすることで、交流する領域(偽りの自己 )と交流しない領域(本当の自己)が生み出さ れる。 スクウィッグルの活用 舌圧子と同様に媒介物なので、治療者は 観察能力を維持できる。 相互に交流する領域で、治療者の解釈を 子どもに与えて、それに対する反応を(象 徴的)対象としてみる。 夢(本当の自己)への入り口として活用さ れる 私はいつも解釈の重要な機能とは、分析家の理解に限 界があることが明示されることにあると感じている。「交 流すること」 創造的な広がりが生じてくるような休息状態にいたること ができるようにすること 患者の遊び能力、つまり分析作業において創造的であ る能力を許容してほしいという懇願である。患者の創造 性は、知りすぎる治療者によっていとも簡単に奪われ得 るのである。『遊ぶこと』 舌圧子に似たものとして解釈 精神分析の設定全体が一つの大いなる保証である、特 に分析家の信頼にたる客観性と行動、そして瞬間の情 熱を無駄に食い物にするのではなく、建設的に使用する 転移解釈がそうだ。 Marion Milner(1900-1998) 11歳のとき、ナチュラリストを目指す。 18歳で、自然から人間性に関心が移り、子どもと の仕事のための訓練を始め、ロンドン大学で心 理学と生理学の学士を取る (1921-23)。 卒業後、産業心理学の仕事を 1927年 結婚。米国でロックフェラーのフェローと して二年過ごした(1927-29)。 1934年 A Life of One’s Ownを出版 1937年 An Experiment in Leisure. 続編は50年後にEternity‘s Sunriseとして出版さ れる。 1934-39年 少女パブリックスクール財団から教育 研究。 1938年 The Human Problem in school. シルビア・ペインから分析を受けはじめ、 ウィニコットを知る。ウィニコットが夫の分析を 行なう。 1940年 訓練を開始する。離婚。 1942年 ‘The child’s capacity for doubt’ 1943年 精神分析家の資格を得る 1950年 On not Being Able to Paint. Hands of Living God(1969) 1943年の秋:X氏から電話。調査分析の以来。ス ーザン、23歳、機能的な神経障害で、病院から退 院してきたばかり。妻がそこを訪れて、この女の子 に関心を持ち、彼女にうちに来て、暮らさないかと誘 った経緯。病院を退院することになりそうだったのに、 彼女の女性の精神療法家であるF博士は以前から 彼女はE.C.T(電気ショック療法)を受けるべきだと 言っていて、スーザンは二度E.C.T。X氏といっしょ に暮らすようになった。主な治療は家庭を提供する ことであるとX氏。分析のためにお金を出す。 4.ウィニコットへの批判的検討 偽りの自己 環境の侵襲的な要素に対して、心が組織 する自己の一側面、表面的に見れば過剰 適応であり、内面的に見れば人格のゆが みでもある。 本当の自己はつねに表面化しない。 自我と自己と主観性 ウィニコッとにおいて、自我と自己は異なる。 自己は主観的な広がりであり、内なる世界 である。この出発点は思いやりの段階にあ る。自我は経験の総和、「自己は休息の体 験、自発的な運動と感覚、活動から休止 への回帰などの総和である」(原初の母親 的没頭)。そこでは穏やかさと興奮、性的 なものと攻撃的なものが統合されていく。 イド欲求に対応する自我ニード 自我で関係することを通して、イド欲求を 自我のニードに組み込んでいくことで自己 が形成されていく。 1. realization 2. personalization 3. integration これらは適切なマネージメントによって起 きる。 偽りの自己と本当の自己 偽りの自己(患者によっては世話役の自己) はうその患者の分析作業開始の最初の二 三年は取り扱わなければならない。 それは健康から病理まであるが、本当の 自己を防衛するために存在する構造であ る。 偽りの自己が知性を利用すると、簡単に 人を欺くことができる。迎合と妥協の場に なる。 Masud Kahn(1924-1998) 78歳の父親(地元の名士)と19歳の 母親(高級娼婦)の子供 隠遁生活に近い →母親へのこだわり 16歳のとき妹と父親がなくなる 抑うつ:治療を受けて、さらに英国へ 二人の分析者が治療の間になくなっているこ と シャープ(47年) リックマン(51年) ウィニコットとの長い分析(51-66年) その間でウィニコットの理論家になっていく Privateであること、隠されていることが主題 「累積的外傷」理論 悲惨な結果=枠の問題 仕事と私的な世界の混同 クレアとの三角関係 ウィニコットの病気を心配する 抑うつ、アルコール依存症 人格の病 カーンの仕事 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 8. 9. カーンの自己論は、自己を内的な環境の表象として考 えて行く。 フェアバーンやボウルビイの理論をメタ心理学的に整 理しながら、自己の構造論を構築する。 彼のスキツォイド人格理論は、フロイトの自己論と、フ ェアバーンの構造論を、ウィニコットの促進環境論とを 纏め上げたものである。 累積的外傷理論が登場する。 人格障害、恐怖症的なスタンス、さらにヒステリー(境 界例人格)が環境の失敗として定式化される。 倒錯におけるcollated objectの考え方を導入する。 臨床的な夢解釈における夢空間の考え方を利用する。 臨床的な潜在空間論と抱えることを強調する。 逆転移を保つと待つ。 つぎはぎの内的世界と偽りの自己 倒錯は、母親の溺愛や虐待、いずれにおいても 自己の否定に基づいている。 偶像化された自己として修復される 偶像化された対象としてフェティッシュが形成さ れる。 内的対象関係は「つぎはぎされた内的対象」と して形成される。ペニスを持った女性、ヴァギナを もつ男性、両性をもつ男女など。 倒錯者がパートナーを求めるのは自己ナルシ シズムのためであり、愛情は本当に親密さという よりも演技的、偽りのものになる。 カーンの業績 累積的外傷論 累積的外傷は、子どもが保護膜としての母親 (あるいはその代理)を必要として、使用する発 達段階に起源をもっている。一時的で不可避な 失敗は、成長のなかで修正されたり、回復する だけでなく、成長に於ける新しい機能の栄養にな ったり、刺激になったりする。病的な反応の核が 生じるのは、その失敗がきわめて頻繁で、ある パターンのリズムをもち、心身的な統合に、消去 できなほどの侵襲になる場合のみである。 → スキツォイド人格の問題 ウィニコットの偽りの自己 環境の侵襲的な要素に対して、心が組織 する自己の一側面、表面的に見れば過剰 適応であり、内面的に見れば人格のゆが みでもある。 本当の自己はつねに表面化しない。 →カーンの洗練化 ウィニコットにとってのカーンとクレア カーンとはウィニコットの息子であり、鏡で あり、歪みである。 クレアはウィニコットの妻であり、母であり、 環境であり、生き残った対象でもある。 →人はつねに自分のなかの他人と他人 のなかの自分との相互交流の中で生きて いる。 抱えることと解釈 Doing と Being (Slochower) 対象の使用 生き残ることの失敗 否定的、攻撃的要素を見直すこと それぞれのウィニコット クラインに彼が言い続けたこと:偶像破壊 のために、学派的な言葉をつかわないこと ⇒自分が作り出したそれぞれのウィニコット がいるはずだろう。 自分の領域は、偽りと本当が乖離しない程 度に、good-enoughなスタンスを維持して 、良くも悪くもある程度でい続けることが重 要だろう。 母親と家族の鏡としての役割(1968) 主観的対象の段階では、二人は融合しているので 赤ん坊は母親の顔に自分の顔を見ることになる。 移行対象の段階では、ほど良い母親によって養育 されていれば、母親の顔は自分の顔であると同時 に母親の顔である。 ほど良くないと、早期の脱錯覚が起き、母親の顔 は母親の顔にしか見えない。まなざしは自分の見 てくれないので自分の姿を見いだせない。想像力 でそれを補う。 想像力による練り上げが自己愛として環 境から閉じこもって、自分の世界に孤立す る。ウィニコットにとっては、これが二次的 な自己愛である。 客観的対象の段階では、普通に発達した 子ども赤ん坊にとっては、母親の顔は母親 の顔であり、自分の顔は自分の顔として鏡 に映ったものと見ることができる。 ⇒一次的自己愛は、万能感との関連で融合 している状態のことである。 イド欲求に対応する自我ニード 自我で関係することを通して、イド欲求を 自我のニードに組み込んでいくことで自己 が形成されていく。 1. realization 2. personalization 3. integration これらは適切なマネージメントによって起 きる。 大人の分析におけるウィニコット IPAの最近の特集「大人の分析におけるウィニコッ トの創意」 Michel Eigen, Jan Abram, Vincenzo Bonaminio ‘‘On Winnicott’s clinical innovations in the analysis of adults’’(introduction by Blass) アイゲン「破壊性が創造的、孤立が発達の重要な 要素、早期の外傷的な状況への回帰が臨床的転 機である」 エイブラム「分析の三段階から、非分析的関係の 必要な場合について」 ボナミノ「非分析的な関係の中の現実的な要素」
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