製品、アイデアの販売企画

ウィニコットとは誰か
東京国際大学
妙木 浩之
精神分析のなかでの小児医学
児童分析の先駆者たちはほとんどが教育
者、あるいはクラインがそうであるように、
小児科医ではなかった。例外ボウルビィ、
マーラーら
 もともと児童精神科の歴史が浅いこともあ
るが、小児科医は一般に忙しく、精神分析
の訓練、児童分析の訓練を受けることが
難しかった。

ウィニコットのトラウマ
母親のうつ病は、ウィニコットの人生にいろ
いろなところで深刻な影を投げかけている
。クラインとの関係でも、一度目の結婚の
対象選択でも、そして子どもがいなかった
ことでも。
 1917年に駆逐艦の医学生として順軍して
、第一次世界大戦で多くの友人を失った。
⇒夢が見られなくなり、精神分析に。

1917年 バーソロミュ病院で医学を勉強し
ていたときに、従軍。(トラウマ)
1920年 病院で働き始める。
1923年 アリス・テイラーと結婚。子どもの
病院で働き始める。ストレイチーと分析を
始める。
トラウマ、夢が見られないこと、そして
1925年に母親が心臓病で亡くなる。生涯
、ウィニコットが悩まされる病で。
ここで子どもの病棟をもたない選択をして、
外来に特化する。
1927年に精神分析協会の候補生になる。
1933年にストレイチーとの分析を終える。
1935年 協会のインスティチュートを卒業し
て、児童分析のためにクラインからスーパ
ーヴィジョンを受けるために、クラインの息
子エリックを治療していた。
1936年にジョアン・リビエールから分析を受
ける。
1941年に分析を終える。
1941年 第二次世界大戦の疎開計画
小児科医ウィニコット
1931年『児童の障害についての臨床ノート』
「落ち着きのなさ」
舞踏病の時代に、子供たちの心理的な理由から落ち着
かない子供の観察をした。
論争以前の英国、クラインの大きな影響を受けながら、分
析を行う。唯一の男性児童分析家。
1935年「躁的防衛」→クライン派の仕事
+小児科医としての仕事
1935年よりクラインの息子の分析をし、おおびクライン
からのスーパーヴィジョンを受ける(40まで)。
→独立への道
1941年「設定状況」
アンナ・フロイト






父親から二度にわたる分析を受ける
1925年ごろより分析の秘書
児童分析のセミナー25年に出版
1936年『自我と防衛』
ロンドン亡命
ハムステッドクリニックにおける研究
→発達ライン
ハムステッド孤児院における愛着研究
発達ライン
依存から成熟へのリビドー発達のライン
 絶対的依存状態から自立のライン
 対象世界における自己中心性から仲間の
獲得
 移行対象を通じて、遊びや仕事に向かうラ
イン

メラニー・クライン 1882-1960








1882年ウィーンに四人兄弟の末っ子として生まれる。
4歳時、二姉のシドニー(四歳上)が死去
18歳時、父親モーリス肺炎で死去
19歳時に婚約
20歳時、兄のエマニュエル、心臓発作で死去
22歳時、長女メリッサを出産
24歳時、第二子(長男ハンス)妊娠時に抑うつ状態
27歳時、抑うつでスイスのサナトリウムに二ヶ月静養







32歳時、次男エーリッヒを出産、母親リブッサ死
去。ハンガリーで分析家フェレンチィを尋ねる、精
神分析を受ける。
36歳、国際精神分析会議でフロイトの発表を聞
く。
37歳「誕生における家族ロマンス」を提出。
38歳、アブラハムに出会い、39歳、夫のスウェ
ーデン移住を契機にベルリンに移住。メリッタは
ベルリン大学に入学。
41歳、ベルリン精神分析研究所の会員
42歳(1924) アブラハムとの教育分析開始。メ
リッタがシュミドバーグと結婚。
43歳、アブラハムの死。妻子あるジャーナリスト
との交際、児童分析のセミナーをロンドンで開く。
クライン「子供の分析」

1921年「子供の心的発達」
フェレンチィに刺激を受けて、自分の息子
エリックを分析したもの。「なぜ子供は生ま
れてくるの」などの問いの意味
→スモールトイ技法
おもちゃは自由連想における夢や連想と
同じ役割を担う。
ロンドンへの移住によるクラインの発展
44歳(1926)、夫と正式に離婚。恋人との
破局。ロンドンに招聘移住。アンナ・フロイ
トによる早期分析批判
 おもちゃ=対象
アブラハムの指摘した対象関係
早期の不安を解釈すること
ロンドンのブルームズベリー・グループ

フロイト-クライン論争
E.Sharpらのロンドン
クラインとアンナの亀裂
1938年のフロイト家亡命という問題
論争の激化と収束
クライン学派の形成
1940年代の淑女協定までの間の感情
的論争(母と娘の闘争)
→独立学派の登場
論点
Ⅰ.当初の主な論点
1)児童分析における導入期の必要性
A.フロイト(以下A)=児童は自発的な決心で治療に訪れな
いし、病気に対して洞察を持たず、治療への意志を持た
ない。患者の気分に適応して、分析者を興味ある人物と
思わせて、患者にその有用性を伝え、現実的な利益を確
認させる「導入期」の必要性
M.クライン(以下M)=その必要性はない。子どもの治療は
原理的に大人と一緒である。
2)児童分析における家族の参加
A=情報の収集や状態を把握するために、そして教育的な
面でも有用
M=家族の葛藤を巻き込むためにマイナス
3)児童の感情転移
A=児童分析では治療者は鏡というよりも、積極的に働き
かけていることが多い。しかも子どもは起源的な対象関
係の神経症的な関係を発展させている途上にあるので
あって、まだそれは実際の両親との間で現在進行中で、
古い版になっていない。そのため感情転移は起こりにく
い。
M=3才までに対象関係の原型は作られているので、それ
以後においてはすべて起源の神経症を大人の神経症と
同様に形成している。感情転移、特に陰性の感情転移こ
そ治療において重要である。
4)エディプス・コンプレックス
A=3-6才の間に形成される。超自我はエディプス葛藤の
解決によって形成される(攻撃者との同一化)
M=早期エディプスコンプレックスの形成。3才までに完成
している。これ以後の子どもは処罰不安を持っている理
由はそのためである
5)児童分析での教育
A=教育的要素の必要性。児童は現在も自分のモデルを
取り入れ中で、治療者が教育的な視点から「自我理想」
であることが重要。
M=分析と教育は違う。早期から形成されている罪悪感や
対象関係を深く扱うのが精神分析である。
6)死の本能
A=死の本能よりも自我と精神装置を重視
M=死の本能を理論の根幹に据える
7)解釈
A=自我から本能へ。防衛の解釈からイド解釈へ
M=超自我を緩めるための深層解釈。象徴解釈を多用す
る。
ウィニコットの発想
メラニー・クラインの解剖語には賛同できな
い(もちろんポストクライン学派もこれには
賛同していない)
 早期不安の解釈は、ある意味では正しい
が解釈はそれ以外のものでもある→後述
 母子交流の言葉は母国語であり、専門用
語ではありえない(フロイトを読まないウィ
ニコット:精神分析家として)

分析体験:ストレイチーとリヴィエール
1923年結婚後にジョーンズに相談して、「抑制
的な若者」であった彼はストレイチィから分析を
受け始める。同時にsvもしていた。ストレイチィ
はしばしばウィニコットがお金の問題を起こすこ
とを憂慮していた。分析は1933年まで続く。
1927年に候補生、1934年に精神分析家、
1935年に児童分析家になる。ともに準会員。
 その後1933年から1938年までリヴィエールに
分析を受ける。1936年に英国精神分析協会正
会員になる。分析はクラインとの確執のなかで比
較的悲惨な終末を迎える。

フロイトをドイツ語で読まないこと



ストレイチィという分析家がしばしばウィニコットにフロイト
を読むことを進めたらしい。だが彼はあまり読まなかった。
後にクラインへの手紙(1952年)の中でクライン学派の組
織に苦言を呈して、自分の言葉で表現することを求める。
自分であることpersonalの意義を求め続ける。
母子の原初的な交流は母国語か、普遍語か
ウィニコット:母国語が臨床語である。
言語臨界期:三歳から八歳
ウィニコットの仕事(1):小児科医
1931年『小児科医の臨床ノート』「落ち着きのなさ」
舞踏病の時代に、子供たちの心理的な理由から落ち着
かない子供の観察をした。
論争以前の英国、クラインの大きな影響を受けながら、分
析を行う。唯一の男性児童分析家。
1935年「躁的防衛」→クライン派の仕事
+小児科医としての仕事
1935年よりクラインの息子の分析をし、おおびクライン
からのスーパーヴィジョンを受ける(40まで)。
→独立への道
1941年「設定状況」
個人的体験から
傷つきやすさの活用という視点から
 ウィニコットの母親について、多くの証言がうつ
病であったと語っている。姉たちは結婚していな
い。
 第一世界大戦で仲間を失い、夢を見られないと
いう症状で精神分析と出会う。
 最初の結婚相手が、精神障害をもっており、青
年期から成人期をその介護に費やす
 第二次世界大戦における疎開活動
 そこでのクレア・ブリットンとの出会いと不倫
母親の謎
仮説「母親は抑うつ的であった」
複数の母親たち- 忙しい父
67歳の手紙(義理の兄へ)-リトルの証言
1948年「母親の抑うつに対して組織さ
れた防衛の観点から見た償い」
↓
治療における環境の位置づけ
大戦の傷
第一次世界大戦で医大生として参戦し、
多くの同僚を失う→PTSD
「夢がみられなくなる」という症状
↓
1.精神分析との出会い
2.外的環境の内界への影響
3.環境欠損の子どもたちのケア
ある反復:発病した妻
1923年7月7日 結婚 →発病 「若い頃のウィニコ
ットの精力を使い果たした」(カーン)
23-25年に起きた多くの出来事
↓
1.子どもを作れなかったことと不倫
2.疎開計画への熱意
3. 在宅でのケア(反社会的傾向):マネージメント
1955年「在宅で取り扱われた症例」
4.holdingと逆転移の意味の深さ
メラニー・クラインとの関係


クラインが重症の鬱症状に悩んでいたこと
は多くの同時代人が目撃している。
ウィニコットは彼女の息子の治療者である。
再び1948年「母親の抑うつに対して組
織された防衛の観点から見た償い」
→彼女との関係が破綻した後に書かれ
た論文としての意義:独立宣言
分析体験:ストレイチーとリヴィエール
1923年結婚後にジョーンズに相談して、「抑制
的な若者」であった彼はストレイチィから分析を
受け始める。同時にsvもしていた。ストレイチィ
はしばしばウィニコットがお金の問題を起こすこ
とを憂慮していた。分析は1933年まで続く。19
27年に候補生、1934年に精神分析家、1935
年に児童分析家になる。ともに準会員。
 1933年から1938年までリヴィエールに分析を
受ける。1936年に英国精神分析協会正会員に
なる。分析はクラインとの確執のなかで比較的
悲惨な終末を迎える。

ウィニコットの仕事(2)発達の理論
1945年「原初の情緒発達」
1) integration
2) personalization
3) realization
最初は病気ではない。
無統合unintegration
↓
陰性のものがすべてではない。
無慈悲な段階(思いやり以前)
→現実適応
攻撃性は天性のものではない
最初子供は無統合で、Motility(運動性)が中心
である。だから相手のことよりも、運動性が前面
にあるので、環境からは、陰性の無慈悲な状態
に見える。だがそこで母親は母性的な機能によ
って、それを抱えるので環境によって、攻撃性に
見えるだけである。
 陰性のものの裏側には、環境への期待があり、
環境側はそれを逆転移によって耐えることが必
要になる。

ウィニコットの仕事:環境論へ
1948年「母親の抑うつ」
1950年代→ マネージメント
1952年「症状の容認」
分析体験の完成
1947年「逆転移のなかの憎しみ」
クラインからの離脱と自分のあり方
1951年「移行対象論」
母親的な没頭
maternal preoccuaption
母親的機能
 Holding
 Handling
 Object-presenting
母親や養育者に備わっている本能の
解除によって生み出される。→精神
病的なものに対する治療技法
赤ん坊というものはない
「赤ん坊」という存在はない。赤ん坊と母親
(養育者)は対であり、乳母車があれば、そ
こには母親がいる。
 精神病は、無統合な時期の環境欠損病で
ある。
 早期の失敗を補うには、母性的な機能の
必要な段階への退行が必要になることが
ある(精神病性の転移:リトル)

ウィニコットの理論的発展
1.
ストレイチーの分析(1923-33)
古典的なフロイト的解釈
2. クライン派の時代(1935-46)
「躁的防衛」(35)「設定状況」(41)
3. 母性的環境仮説の着想(41-46)
定型的な治療構造から疎開計画の体験
4. 理論的な進歩(46-51)
環境としての母親、クラインから離脱
5. ウィニコットの臨床的な貢献(52-71)
治療的な技法の定式化
→リトル(49-)、カーン(51-66)
クラインとウィニコットとの亀裂
フロイト-クライン論争後
 中間学派を選択した人たちの意思
 ウィニコットの臨床実践と理論がクラインの
それと異なっていた
↓(46年~51年)
1951年「移行対象」論文
攻撃性の直接解釈を二次的なものにし
た
ウィニコットとクラインとの相違
分裂妄想ポジションは存在しない。
病的な表現は原初の母子関係を正確に記述し
ていない。無慈悲な時期は存在するが、それは
環境がほど良ければ自然に統合される。
 死の本能はない。
子ども時代にあるのは運動性であり、それが対
象を見出せないときに、攻撃的、破壊的なものと
して表現される。
 乳幼児期は健康な環境のなかでは、不安に満ち
ていない。発狂や精神病は環境欠損病である。

第一段階
驚きから「ためらい」の段階
第二段階
欲望を受け入れて、口で噛む、空想する
遊べる段階
第三段階
捨てられる。放っておいても大丈夫な段階
生後5ヵ月から13ヵ月(13ヵ月過ぎると幅が
広がる)に典型的なやりとり。
移行対象
1951年「移行対象と移行現象」
生後4、6、8、12ヶ月に発見される
最初の所有物
1952年「精神病と子どものケア」
中間領域と移行対象の理論、そして精神病
↓
1. 枠組みと治療空間、間の体験
2. スクウィッグルと相互作用
3. 内と外、パラドックスの発見と理解
間の体験とパラドックス
錯覚の瞬間 illusionment
二つの線が出会うことで空想と創造が
行われる中間領域が出来る。
↑
↓
 脱錯覚の領域 disillusionment
徐々に失敗することで間が作られる。

交流することと交流しないこと
一人でいられる能力 capacity to be
alone
無慈悲から思いやりの段階への発達
 偽りの自己の形成
環境からの侵襲に対して組織される自己
 交流する領域と一人の領域
交流と内省

治療相談therapeutic
consultation
精神療法面接とは異なる技法
二三回あえば治る症例に対するもので
転移と抵抗を扱うよりも
間の体験のなかでクライアントのニードに合わ
せた体験を提供する。
 スクィグル技法
 オンディマンド法
 在宅などの環境の活用
スクィグルの特徴
1.
2.
3.
治療者のほうが子供たちよりもなぐりが
きが上手で、子供のほうがたいてい絵を
描くのが上手である
スクィグルには衝動的な動きが含まれて
いる
スクィグルは、正気の者が描いたのでな
い場合には狂気じみている。そのためス
クィグルが怖いと思う子供もいる
スクィッグルの特徴2
4. スクィグルは制約をつけることはできるが、それ
自体は制約のないものである。だからそれが
いたずら描きだと思う子供もいる。これは形式
と内容という主題に関係している。用紙の大き
さと形がひとつの決め手となる。
5.それぞれのスクイグルにはある統合が見られる
が、それは「私」の側にある統合から生じるも
のである。これはよくある強迫的統合ではない。
よくある強迫的統合には混沌の否認が含まれ
ていると思われるからである。
スクィグルの特徴3
6.ひとつのスクィグルのできばえは、それ自
体が満足のいくものであることが多い。そ
ういうのは例えば、彫刻家が石や古い木
片をひとつ見つけて、手を加えずに一種の
表現としてそれを置いたような「見出された
オブジェ」のようなものとなる。
ウィニコットの理論的発展
1.
ストレイチーの分析(1923-33)
古典的なフロイト的解釈
2. クライン派の時代(1935-46)
「躁的防衛」(35)「設定状況」(41)
3. 母性的環境仮説の着想(41-46)
定型的な治療構造から疎開計画の体験
4. 理論的な進歩(46-51)
環境としての母親、クラインから離脱
5. ウィニコットの臨床的な貢献(52-71)
治療的な技法の定式化
→リトル(49-)、カーン(51-66)
ウィニコットの移行対象(1951)
4ヶ月、6ヶ月、8ヶ月、12ヶ月までにあら
われ始める、私でない所有物。
 乳房、内的対象との関係がある。
 現実検討の確立に先行する。
 全能的、魔術的操作から巧みな操作統制
へ
 フェテシズムに発展することがある。

錯覚と脱錯覚
母親ははじめ100パーセント、母性的没頭によ
って、適応して、幻想を生み出す機会を幼児に
与える
 一次的創造性と現実検討に基づく客観的知識の
間に領域が存在し、程よい母親はそれをかかえ
る。自分の創造能力に対応する外的現実がある
のだという錯覚を与える。ここで対象が内的か外
的か問わない。共有体験。
 次第に外的現実が母親の徐々に失敗することを
通して、体験される。

母親的な没頭
maternal preoccuaption
母親的機能
 Holding
 Handling
 Object-presenting
→精神病的なものに対する治療技法
原初的発達の段階理論
1945年「原初の情緒発達」
1) integration
2) personalization
3) realization
無統合unintegration
↓
運動性motility
無慈悲な段階(思いやり以前)
思いやり→現実適応
発達
絶対的依存
 相対的依存
 自立に向けて

抑うつポジション→思いやりの段階
攻撃性はない。あるのは運動性である。
Winnicottの
gradual failure of disillusionment
転移関係のなかでの治療者の失敗の意義
(ウィニコットの知恵)
 抱える環境とその失敗によって生まれるズレの
意識が生まれるということではなく、むしろ「徐々
に」という点が重要であると思う。
 これをめんどくさいと感じたり、焦ったりしない態
度を維持する治療者(母親)
 Durable therapist(mother)
Winnicottの発達モデル
Illusion
→母性的没頭
absolute dependence
Holding
-- integration
Handling
-- personalization
Object-presenting -- object-relating
統合が達成される
(realization)
Disillusionment →ほど良い母親
gradual failure
-- relative dependence
toward independence
心‐その精神身体との関係(1949)
最初の「落ち着きのなさ」や小児医学の論
文の中に見られる精神身体と心の発想
 心は精神身体に住み込むという発想が心
と身体との関係を示唆している。
 Mindがpsycho-somaとの関係を、出生
から偽りの自己の形成を含めて、その関
係が取り扱われる。
 Mindには心配という意味がある。

治療相談の臨床
子どもは前もって、医師に合うことを期待してくる。
しばしば医師の夢を見ている。⇒主観的な対象と
しての医師
 治療の中で、お互いをすり合わせるtuning inのプ
ロセスがある。
 カオスが示されて、そのなかに「何か」がある。
 夢を語る場としてコンサルテーション
 良い夢ではなく最悪のバージョン(悪夢は語ること
で悪夢ではなくなる)

中間領域の臨床



中間領域を間に置けるようになることで、一人
でいられる能力を持つ
外傷が乖離によって精神身体からはみ出して
しまうときに、中間領域のなかで、心が場所を
もてるようにすること。
ズレと一致の間に、その人の心が場をもてる
ようにすることで、交流する領域(偽りの自己
)と交流しない領域(本当の自己)が生み出さ
れる。
Marion Milner(1900-1999)
11歳のとき、ナチュラリストを目指す。
18歳で、自然から人間性に関心が移り、子どもと
の仕事のための訓練を始め、ロンドン大学で心
理学と生理学の学士を取る (1921-23)。
卒業後、産業心理学の仕事を
1927年 結婚。米国でロックフェラーのフェローと
して二年過ごした(1927-29)。
1934年 A Life of One’s Ownを出版
1937年 An Experiment in Leisure.
続編は50年後にEternity‘s Sunriseとして出版さ
れる。
1934-39年 少女パブリックスクール財団から教育
研究。
1938年 The Human Problem in school.
シルビア・ペインから分析を受けはじめ、
ウィニコットを知る。ウィニコットが夫の分析を
行なう。
1940年 訓練を開始する。離婚。
1942年 ‘The child’s capacity for doubt’
1943年 精神分析家の資格を得る
1950年 On not Being Able to Paint.
Hands of Living God(1969)

1943年の秋:X氏から電話。調査分析の以来。ス
ーザン、23歳、機能的な神経障害で、病院から退
院してきたばかり。妻がそこを訪れて、この女の子
に関心を持ち、彼女にうちに来て、暮らさないかと誘
った経緯。病院を退院することになりそうだったのに、
彼女の女性の精神療法家であるF博士は以前から
彼女はE.C.T(電気ショック療法)を受けるべきだと
言っていて、スーザンは二度E.C.T。X氏といっしょ
に暮らすようになった。主な治療は家庭を提供する
ことであるとX氏。分析のためにお金を出す。
ウィニコットの臨床
リトルとガントリップから
彼の臨床を見る
M.Littleの分析体験
M.I.Little(1901-1994)
「逆転移と患者の反応」論文(51)
転移性精神病、妄想性転移
→『原初なる一』
 ウィニコットとの分析体験(49-55)
混乱期とその治療体験
『精神病水準の不安と庇護』

Margaret Isabel Little(1901-1994)
1907年 病気で不登校
1909-19年 女子高校
1919-26年 ロンドン大学-ベッドフォード大学
‐聖マリア医学校
1927年 医師になる
1929年 G.P.を始める
1939年 開業場面を売り、精神科医を目ざす
1941年 シャープとの分析
1945年 英国精神分析学会準会員
1946年 会員としての資格を得る
1947年 シャープ死去。ウィニコットが空くまで
の間、ミルナーとの分析
1971年 英国精神医学大学協会の会員
1971年 引退
1981年 論文集『原初なる一』
1990年 ウィニコットの治療体験の本
1994年 11月27日ケントの自宅で死去
臨床的問題(リトル)
1. 何も言わずに面接室を出て行く
2. 何も言わずにつぼを代える。
3. クライアントの手を握り続ける(現実に抱
きかかえる)
4. 状態に合わせて面接を延長する
5. 入院中に訪ねて行く(外でも抱きかかえ
る)
→枠組みからの逸脱=フェレンチィ的伝統
Harry Guntrip(1901-1975)
1944 Smith and Wrigley:The story of a Great Pastorate
1949 Psychology of Ministers and Social Worker
1951 You and Your Nerve( Your Mind and Your Health 1970)
1956 Mental Pain and the Cure of Souls
1961 Personality Structure and Human Interaction 著作
→Schizoid問題
1962 “The manic-depressive problem in the light of the
schizoid process”
1964 Healing the Sick Mind.
1967 “The concept of psychodynamic science”
1968 Schizoid Phenomena, Object Relations and the Self
1971 Psychoanalytic Theory
1973 “Sigmund Freud and Bertrand Russell”
1974 “Psychoanalytic object relations theory :The FairbernGuntrip Approach”
1976 “My Experience of Analysis with Fairbain and Winnicott”
1994 Personal Relations Therapy (ed,J.Hazell)
1976 “My Experience of Analysis
with Fairbain and
Winnicott”(1975.1996)
親の不仲
 女の子の洋服:母親の趣味
 二才下の弟の誕生と16ヶ月目で死ぬ
牧師への道
1938年 37歳のとき、彼を補佐していた年下の同
僚が去ったとき、スキツォイド状態、心身消耗状
態になる。
1949‐1959年 計1000回を越える分析をフェア
バーンからの分析
1962‐1968年 計150回のウィニコットの分析

H.Guntripの分析体験
クラインとフェアバーンの統合
対人関係論から自我心理学までも含め
た
立場 →『対象関係論の展開』
 1938年 彼の年下の同僚が去ったときに
パニック、心身の不調→
フェアバーンから分析(49-59)
ウィニコットから分析(62-68)

ガントリップの分析内容
健忘はいずれの治療が終わってから明確に
なった。
「フェアバーンは理論に比べて、臨床はよりオ
ーソドックスで、ウィニコットは理論に比べて、
臨床はより革新的であった」

フェアバーン:郊外の、古道具があって、大
きな待ち合わせ室
ウィニコット :シンプルで計算された都会的
待合室
ガントリップの分析内容
弟の死と母親との葛藤
フェアバーン:エディプス・コンプレックス
ウィニコット :母親との関係の欠損
 治療技法
フェアバーン:内容の解釈
ウィニコット :沈黙と母子関係の転移解
釈

彼の晩年の理論
クレアとカーン
ウィニコットの第二次世界大戦
Clare Brittonとの出会い(1944)と結婚
(1951)
 疎開計画のなかで発見された愛情剥奪と
「反社会的傾向」
 クレアとの出会いによってソーシャルワー
カーや多くの抱える環境を重視するように
なる。BBCなどでの講演会ほか。

ウィニコットの概念:反社会的傾向

盗みで始まって、反社会的傾向によって、
行為障害などにいたる臨床群
:原因は愛情剥奪にあり、彼らの中核に
愛情剥奪コンプレックスがある。
→施設をはじめとして、マネージメントの問
題がもっとも深刻な事例である。
Clare Britton Winnicottの仕事
ウィニコットの概念を流布
 子供たちの内的体験を理解する
 子供とコミュニケーションする技術
 クライエントの人生のなかでの「移行的参
与者transitional participant」としての
ソーシャルワーカー
 治療プロセスで重要な他者を投入する
 援助関係における逆転移反応

精神分析家として働くとき
1.狂気恐怖が情景を支配しているとき
2.偽りの自己が成功をおさめていて、分析を
していけばある時期にはこれまでにつくりあげら
れていた見せかけの成功や才気闊達さなどが壊
れてしまいそうなとき、
3.患者の中に反社会的性向、攻撃的なかた
ちをとるもの、いずれにしても母性愛剥奪の遺産
であるとき、
4.文化的生活が認められないとき、つまり内
的な心的現実と外界の外的現実に対する関係、
その二つの結びつきがうすいとき
5.病んだ両親像が情景を支配しているとき
偽りの自己
環境の侵襲的な要素に対して、心が組織
する自己の一側面、表面的に見れば過剰
適応であり、内面的に見れば人格のゆが
みでもある。
 本当の自己はつねに表面化しない。

自我と自己と主観性

ウィニコッとにおいて、自我と自己は異なる。
自己は主観的な広がりであり、内なる世界
である。この出発点は思いやりの段階にあ
る。自我は経験の総和、「自己は休息の体
験、自発的な運動と感覚、活動から休止
への回帰などの総和である」(原初の母親
的没頭)。そこでは穏やかさと興奮、性的
なものと攻撃的なものが統合されていく。
イド欲求に対応する自我ニード
自我で関係することを通して、イド欲求を
自我のニードに組み込んでいくことで自己
が形成されていく。
1. realization
2. personalization
3. integration
これらは適切なマネージメントによって起
きる。

偽りの自己と本当の自己
偽りの自己(患者によっては世話役の自己)
はうその患者の分析作業開始の最初の二
三年は取り扱わなければならない。
 それは健康から病理まであるが、本当の
自己を防衛するために存在する構造であ
る。
 偽りの自己が知性を利用すると、簡単に
人を欺くことができる。迎合と妥協の場に
なる。
Masud Kahn(1924-1998)
78歳の父親(地元の名士)と19歳の
母親(高級娼婦)の子供
隠遁生活に近い
→母親へのこだわり
16歳のとき妹と父親がなくなる
抑うつ:治療を受けて、さらに英国へ
二人の分析者が治療の間になくなっているこ
と
シャープ(47年)
リックマン(51年)
 ウィニコットとの長い分析(51-66年)
その間でウィニコットの理論家になっていく
 Privateであること、隠されていることが主題
「累積的外傷」理論

悲惨な結果=枠の問題
 仕事と私的な世界の混同
 クレアとの三角関係
 ウィニコットの病気を心配する
 抑うつ、アルコール依存症
 人格の病
カーンの仕事
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カーンの自己論は、自己を内的な環境の表象として考
えて行く。
フェアバーンやボウルビイの理論をメタ心理学的に整
理しながら、自己の構造論を構築する。
彼のスキツォイド人格理論は、フロイトの自己論と、フ
ェアバーンの構造論を、ウィニコットの促進環境論とを
纏め上げたものである。
累積的外傷理論が登場する。
人格障害、恐怖症的なスタンス、さらにヒステリー(境
界例人格)が環境の失敗として定式化される。
倒錯におけるcollated objectの考え方を導入する。
臨床的な夢解釈における夢空間の考え方を利用する。
臨床的な潜在空間論と抱えることを強調する。
逆転移を保つと待つ。
つぎはぎの内的世界と偽りの自己





倒錯は、母親の溺愛や虐待、いずれにおいても
自己の否定に基づいている。
偶像化された自己として修復される
偶像化された対象としてフェティッシュが形成さ
れる。
内的対象関係は「つぎはぎされた内的対象」と
して形成される。ペニスを持った女性、ヴァギナを
もつ男性、両性をもつ男女など。
倒錯者がパートナーを求めるのは自己ナルシ
シズムのためであり、愛情は本当に親密さという
よりも演技的、偽りのものになる。
カーンの業績
累積的外傷論
累積的外傷は、子どもが保護膜としての母親
(あるいはその代理)を必要として、使用する発
達段階に起源をもっている。一時的で不可避な
失敗は、成長のなかで修正されたり、回復する
だけでなく、成長に於ける新しい機能の栄養にな
ったり、刺激になったりする。病的な反応の核が
生じるのは、その失敗がきわめて頻繁で、ある
パターンのリズムをもち、心身的な統合に、消去
できなほどの侵襲になる場合のみである。
→ スキツォイド人格の問題
ウィニコットの偽りの自己
環境の侵襲的な要素に対して、心が組織
する自己の一側面、表面的に見れば過剰
適応であり、内面的に見れば人格のゆが
みでもある。
 本当の自己はつねに表面化しない。
→カーンの洗練化

ウィニコットにとってのカーンとクレア
カーンとはウィニコットの息子であり、鏡で
あり、歪みである。
 クレアはウィニコットの妻であり、母であり、
環境であり、生き残った対象でもある。
→人はつねに自分のなかの他人と他人
のなかの自分との相互交流の中で生きて
いる。

抱えることと解釈
 Doing
と Being
(Slochower)
 対象の使用
生き残ることの失敗
 否定的、攻撃的要素を見直すこと
それぞれのウィニコット
クラインに彼が言い続けたこと:偶像破壊
のために、学派的な言葉をつかわないこと
⇒自分が作り出したそれぞれのウィニコット
がいるはずだろう。
 自分の領域は、偽りと本当が乖離しない程
度に、good-enoughなスタンスを維持して
、良くも悪くもある程度でい続けることが重
要だろう。

母親と家族の鏡としての役割(1968)
主観的対象の段階では、二人は融合しているので
赤ん坊は母親の顔に自分の顔を見ることになる。
 移行対象の段階では、ほど良い母親によって養育
されていれば、母親の顔は自分の顔であると同時
に母親の顔である。
 ほど良くないと、早期の脱錯覚が起き、母親の顔
は母親の顔にしか見えない。まなざしは自分の見
てくれないので自分の姿を見いだせない。想像力
でそれを補う。

想像力による練り上げが自己愛として環
境から閉じこもって、自分の世界に孤立す
る。ウィニコットにとっては、これが二次的
な自己愛である。
 客観的対象の段階では、普通に発達した
子ども赤ん坊にとっては、母親の顔は母親
の顔であり、自分の顔は自分の顔として鏡
に映ったものと見ることができる。
⇒一次的自己愛は、万能感との関連で融合
している状態のことである。

イド欲求に対応する自我ニード
自我で関係することを通して、イド欲求を
自我のニードに組み込んでいくことで自己
が形成されていく。
1. realization
2. personalization
3. integration
これらは適切なマネージメントによって起
きる。

偽りの自己と本当の自己
偽りの自己(患者によっては世話役の自己)
はうその患者の分析作業開始の最初の二
三年は取り扱わなければならない。
 それは健康から病理まであるが、本当の
自己を防衛するために存在する構造であ
る。
 偽りの自己が知性を利用すると、簡単に
人を欺くことができる。迎合と妥協の場に
なる。
大人の分析におけるウィニコット
IPAの最近の特集「大人の分析におけるウィニコッ
トの創意」
Michel Eigen, Jan Abram, Vincenzo
Bonaminio
‘‘On Winnicott’s clinical innovations in the
analysis of adults’’(introduction by Blass)
 アイゲン「破壊性が創造的、孤立が発達の重要な
要素、早期の外傷的な状況への回帰が臨床的転
機である」
 エイブラム「分析の三段階から、非分析的関係の
必要な場合について」
 ボナミノ「非分析的な関係の中の現実的な要素」

ウィニコットの臨床理論
患者に対して主観的対象であることが臨
床家の仕事である:期待と希望
 夢は語ることで、無意識の外傷的体験の
入り口になる:聞き手がそれを抱える
 夢で語ることの前に示されること、そしてそ
れを受け止めることが優先される:表現そ
のものの直接性
 早期の外傷へ到達することができる

描画が優れている点





Milnerの言う媒介物(Winnicottの舌圧子やス
クウィグル)として機能する。
連想の場の代替物になる。
寝椅子の孤独と面接の圧力を減じる
交流することと交流しないことの象徴的な実現の
要素が、画面を媒介として可能になる。
多くは迎合(偽りの自己)だとして、夢の代替物と
して治療者が本当の部分を垣間見れる
抱えることと解釈
 Doing
と Being (Slochower)
 存在は枠と治療者とで確保できる。
 対象の使用
生き残ることの失敗
 否定的、攻撃的要素を見直すこと
存在と行為のインターフェイス
→時間的要素
中間学派の臨床
精神分析の治療目標(1962)
Keeping Alive
 Keeping Well
 Keeping Awake

精神分析することと精神分析家とし
て働くことは異なる。
解釈とは
治療上重要なのは、私の才気ばしった解釈の瞬間では
なく、子どもが自分自身を突然発見する瞬間なのです。
『遊ぶこと』
 一方には…患者にされる素材は理解され解釈されるべ
きものとなる。他方には以上の内部で遂行される設定が
ある。「メタサイコロジカル」
 今話されている患者の材料の中にある流れが、言語化
を必要としているのだと分析家は感じるのである。分析
家が言葉をどう用いるかが重要であり、それゆえ解釈の
背後にある分析家の態度が重要なのだ。。。。解釈の内容
とともに言語化の裏に潜む態度も重要であって、こうした
態度がニュアンス、タイミング、さらに詩の多様性に比し
うるほどのさまざまな形で現れている..『あかちゃん』






私はいつも解釈の重要な機能とは、分析家の理解に限
界があることが明示されることにあると感じている。「交
流すること」
創造的な広がりが生じてくるような休息状態にいたること
ができるようにすること
患者の遊び能力、つまり分析作業において創造的であ
る能力を許容してほしいという懇願である。患者の創造
性は、知りすぎる治療者によっていとも簡単に奪われ得
るのである。『遊ぶこと』
舌圧子に似たものとして解釈
精神分析の設定全体が一つの大いなる保証である、特
に分析家の信頼にたる客観性と行動、そして瞬間の情
熱を無駄に食い物にするのではなく、建設的に使用する
転移解釈がそうだ。
精神分析的であるとき
その個人固有の同一性を失わずに、患者に同
一化する能力をもっていること
 患者の葛藤を受け入れるcontainする能力を持っ
ていること、言い換えると、患者の葛藤を受け容
れ、治療法を必死に外に探し求めるかわりに、
患者の中で、それらの葛藤が解決されるのを待
ってあげられる能力をもっていること
 患者の挑発に乗って、仕返しをする傾向のない
ことなど

精神分析家として働くとき
1.狂気恐怖が情景を支配しているとき
2.偽りの自己が成功をおさめていて、分析を
していけばある時期にはこれまでにつくりあげら
れていた見せかけの成功や才気闊達さなどが壊
れてしまいそうなとき、
3.患者の中に反社会的性向、攻撃的なかた
ちをとるもの、いずれにしても母性愛剥奪の遺産
であるとき、
4.文化的生活が認められないとき、つまり内
的な心的現実と外界の外的現実に対する関係、
その二つの結びつきがうすいとき
5.病んだ両親像が情景を支配しているとき
対象の使用
1.
2.
3.
4.
5.
主体は対象に関係する
対象は主体によって世の中に位置づけ
られるのではなく、発見されるプロセスに
ある
主体は対象を破壊する
対象は破壊を生き残る
主体は対象を使うことができ
独立学派の精神
 自発性や主観性の重視
 沈黙、非言語の重視
 程よい間の体験の質
 解釈や洞察よりも関係の重視
 日常語、患者の体験や理解の重視
 Good-enough:良くも悪くも
 一致だけではないズレの効果