LVMHグループの中で ルイ・ヴィトン ジャパンが

LVMHグループの中で
ルイ・ヴィトン ジャパンが
日本で成功したのはなぜか
塚田ゼミナール Bチーム
・新井洋太
・池田明弘
・中村大輔
・洪起淑
第1章 LVMH~モエヘネシー・ルイヴィトン~
(1) ベルナール・アルノーによる買収の原点
アルノーは、初めてニューヨー
クを訪れた時「フランスの何を
知っているか?」とタクシーの
運転手に尋ね「大統領は知ら
ない。でもクリスチャン・ディ
オールなら知っている」との答
えからディオールというブラン
ドの潜在力を確信し、今日の
ブランド複合体LVMHへと歩
み始める。
(2) モエヘネシーとルイ・ヴィトン
の合併
モエヘネシー
• モエ・エ・シャンドン
• ヘネシー
• パルファン・クリスチャン・ディオール
ルイ・ヴィトン
LVMH ~モエヘネシー・ルイヴィトン~
•ルイ・ヴィトン マルティエ
(3)フィナンシエール・アガッシュ
によるLVMHの買収
LVMH
~モエヘネシー・ルイヴィトン~
フィナンシエール
アガッシュ
(4)現在のLVMHグループの構成と
企業体の実体
第2章 ルイ・ヴィトンの歴史と現状
(1) ルイ・ヴィトンの歴史
1821
スイスとの国境に近いジュラ山脈アンシェイ村で12人兄弟の真ん中の子
として初代ルイ・ヴィトン誕生。
1835
ルイ・ヴィトンは、わずかなお金を持ってパリに向け400キロの道のりを
歩き始める。ここから、ヴィトンの歴史の栄光が始まる。
1852
ナポレオン三世皇妃ユージェニーの専属荷作り職の命を受ける。
1854
パリ・キャプシーヌ通り四番地に旅行鞄の店を構える。船舶旅行鞄として、
防水性のあるグレー地のグリ・トリアノン・キャンバスを発表。
1867
パリ万国博覧会にて銅メダルを受賞。
1885
世界進出の第一歩となるロンドン店がオープン。
1888
世界で初めての商標登録「ダミエ・キャンバス」を発表
1892
全製品が掲載されたカタログを初めて出版。
1896
2代目ジョルジュは、初代の名前のイニシャルであるLとV、星と花をモ
チーフにした複雑な幾何学模様である「モノグラム・キャンバス」を開発、
発表。
(2) 製品ラインナップの拡張
本稿 P8~10に掲載
(3) プレタポルテへの進出
第3章 LVMHの資金源としての
ルイ・ヴィトン ジャパン
(1) ルイ・ヴィトンの日本進出
ファミリービジネスの限界
専門家による確立された経営組織が
必要
1981年 日本法人ルイ・ヴィトン
ジャパンの誕生
(2)ルイ・ヴィトン ジャパンの成長
1) 秦氏によるマネジメント
①
②
③
④
流通改革
ブランド・マネジメント
オピニオン・リーダーの獲得
ルイ・ヴィトン ジャパンを支えるバック
ヤード
① 流通改革
・ 総合商社を通さない直営店販
売でチャネルのコントロール
・ ライセンスが必要ない
・ 適正価格により直営店で購入し
たほうが安い
・ 適正で正当なビジネスの展開
② ブランド・マネジメント
秦氏によるマネジメント
・ 青山にリペアセンターを設立
・ 日本国内での修理が可能
・ 無料サービスではなく、高額なサー
ビス料
・ 修理自体もビジネスの一環
③ オピニオン・リーダーの獲得
70年代
ファッションリーダー=女子大学生
学習院大学などの女子大学生
④ ルイ・ヴィトン ジャパンを支える
バックヤード
百貨店の中に出店する際の問題点
1.在庫を百貨店の館外倉庫に保管
2.商品搬入時、はんこが必要で手続き
が多い
3.緊急に商品が必要な時、販売員が館
外倉庫まで走ってゆき梱包を解く
④ ルイ・ヴィトン ジャパンを支える
バックヤード
特殊な店舗の選定
・ 金庫にヴィトン商
品の在庫を保管
・ 地下から2階につ
ながる現金用小型
エレベーターで、鞄
を運搬
2000年9月開店の松屋銀座店
以前は都銀の支店
(3)ルイ・ヴィトン ジャパンの市場拡大
近年ルイ・ヴィトンの側に同グループ・ブ
ランド店を頻繁に出店
他ブランドに顧客を集客する戦略
第2のブランドをルイ・ヴィトンの集客力を
もって育てることで総合力のアップを計る
日本市場の重要性
(4)LVMHの日本市場での売上
02年度 出所ブランド帝国の素顔
おわりに
LVMHグループの多くのブランドが
日本市場においてルイ・ヴィトン
ジャパンのように成長できなかった
要因は?
強力なライバルの存在
おわりに
なぜルイ・ヴィトン ジャパンは日本
で成功したのか?
秦氏によって誰も成し得ることの
できなかったマネジメントをした
からだ!