第6回 朝鮮戦争とアジアの冷戦

第5回
朝鮮戦争以降のアジア冷戦
07年11月16日
下斗米 伸夫
はじめに アジア冷戦から熱戦へ
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アジア冷戦の特質
革命ー国家の弱さ
49年10月中国革命、
中ソ同盟と、中国の指導的役割
核をめぐる激化
日本共産党(野坂の平和革命批判)
国連の無力化
スターリンと金日成会談(50年4月、毛と会談5月)
1・朝鮮戦争ー経過
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内戦か?米中戦争か?国際内戦?
第一段階 五〇年六月二五日北側の侵攻
第二段階 国連軍形成ー仁川上陸ー平壌陥落
第三段階 一〇月末中国人民志願軍関与
第四段階 51年1月中国38度線越え、膠着
第五段階 ー金ースターリンへの和平模索ースター
リン拒否
第六段階ー五二年八月周恩来ースターリン会談
2 朝鮮戦争の今日的論点
未完の戦争(まだ休戦協定ー国連軍)
 アジアで熱戦となったこと
 国際内戦(中ソ同盟・対・国連軍)
 同盟内の亀裂(南北朝鮮での影響、日本の
講話問題)
 中ソ・北朝鮮の自立と核志向
 アジアでのスターリン批判(「個人崇拝」は後
退)
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3 サンフランシスコ条約と日本
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45年2月ヤルタ極東条項
45年8ー9月日本降伏、46年米ソ対立
48年G・ケナン訪日、冷戦下の日本
50年朝鮮戦争
51年1月、ダレス訪日、
崩壊と領土問題、千島・竹島・沖縄・台湾
51年9月発効
英米ソの対立と戦後の日本、
講話を巡る二人のシゲル(吉田と南原)
4・スターリン後と朝鮮戦争後
ポスト・スターリンー集団指導体制
 「雪解け」「戦争不可避から平和共存へ」
 ー金日成、戦争体制を維持(他派の責任)
 スターリン批判とアジアー個人崇拝
 ー金日成追い落としー中国派八月事件
 ソ連と中国協調介入、金ゲリラ派の権力独
占ー主体思想ー
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東アジアと核
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ウランー東アジアにある
北朝鮮からソ連へウラン配送、
中国共産党と核
キューリー進言、
五四年10月、フルシチョフと毛のアジア再定義
鳩山政権との対日交渉へ-吉田派)
五六年平和利用の拡大
独自核ー五七年、毛は世界の半分が死んでもー五
八/九年 独自核か、共同利用化?金門馬祖事
件ー中ソ同盟の終わり
5 北朝鮮・金日成独裁への道
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党内での対立激化(50-56年)
金日成の権力独占と戦時体制維持
社会主義基地論55年
ー国内派・朴憲永の追い落とし
ー最大派閥・中国派(朴一禹内相、金枓奉、最高人
民委員会)
ソ連派許ガイは53年7月死去、
ソ連・ソ連派と金日成=個人崇拝批判
1955年12月、金日成は主体強調
6 スターリン批判と八月事件
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五六年二月、ソ連二〇回共産大会に崔庸健派遣
個人崇拝は北朝鮮に関係ない(三月)
三大会(五月)で中国派は批判
八月事件、ソ連派、中国派はソ連大使館がらみで
攻勢へ、中国派閣僚四名亡命
九月、ミコヤン、彭徳懐派遣、しかし金は回避、
一〇月、ハンガリー事件、党への圧力は弱まる
一九五八年3月金日成の独裁
五八年、中国志願軍撤兵
7 東アジア冷戦
第一、国連の関与の仕方
 熱戦ー中国の国際社会からの自主的孤立ー
 社会主義陣営の分裂
 核への誘惑
 脱冷戦の筋道の独自性ーソ連支配・直接占
領、間接支配から撤退へ
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