第6回 朝鮮戦争とアジアの冷戦

第7講
中ソ対立とアジア
07年12月7日
下斗米 伸夫
1・ 中国での毛路線
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1956年・20回党大会
フルシチョフと毛澤東
第8回党大会規約で「毛澤東思想」削除
ハンガリー事件での中国側とソ連の協力
百花斉放と反右派闘争
人民公社と大躍進(独自路線?)
独自路線と同盟の葛藤
参考・毛里和子「ソ連と中国」岩波新書など
2 東アジア冷戦と核
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第一、国連の関与の仕方
熱戦ー中国の国際社会からの自主的孤立ー
社会主義陣営の分裂
核への誘惑、核開発(毛・54年から)
56年ソ連同盟国に平和利用は可能
57年から軍事提供
大躍進は核開発のためーそのコスト
1958-61年 飢餓ー虹影『飢餓の娘』、集英社
社会主義と飢餓ーセン理論の検証)
3 大躍進・千里馬とソ連
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大躍進・人民公社と核戦争(ソ連も分散化)
核へのシフト
中ソ合同艦隊
58年フルシチョフと毛沢東
台湾海峡問題
世界の半分が死んでも社会主義は可能(毛)
59年、中国の核完成に脅威
中ソ関係破棄、ソ連技術者引き上げ。
4 中ソ対立
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60-62年は、イタリアとアルバニアの(平和、平和
共存は可能か)
63年対立(アジアの共産党は中国支持へ)
63年部分的核拡散防止条約への賛否(社会主義
国の核はちがうか?)
62年、キューバ危機(米ソの比率は1対17)
64年、中国核実験
フルシチョフ失脚
66年以降ー文化大革命
5 中ソ対立
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中ソ同盟は10年しか持たず。
50年代末、核を巡る対立。
60-62年は、理論をめぐる(平和共存は可能か)
中中対立?
63年対立(アジアの共産党は中国支持へ)
63年部分的核拡散防止条約への賛否(社会主義国の核は
ちがうか?)
62年、キューバ危機(米ソの比率は1対17)
64年、中国核実験
フルシチョフ失脚
つかの間の和解
6 文化大革命から米中和解
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ブレジネフ政権との毛沢東の対立激化
中国共産党内の毛と、官僚層の対立
文化大革命ー人民戦争ー紅衛兵
外交混乱
日本・ベトナム・北朝鮮の党、中国離れ
1968年、ソ連、チェコ(人間の顔をした社会主義)
介入
中国ー武闘
68年学生革命
69年、人民解放軍(林彪)介入
71年、米中接近へ
7 米中接近
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ニクソン・キッシンジャー外交
ベトナム戦争への圧力?
ニクソン・ショック
日中正常化(田中派ー二等辺3角形と福田派)
日ソ接近(日本の全方位外交)
ベトナム戦争
ベトナム統一
3(多)極時代へ