室町文化と生活

1.江戸幕府の成立
1.徳川家康の雌伏の時代
1542(天文11) 家康誕生
→織田、今川での人質生活
1562(永禄5)桶狭間の戦(1560)
で今川より独立 → 織田信長と同盟
1564(永禄7)三河平定、一向一揆平定
1566(永禄9)徳川氏と改姓
1582(天正10)本能寺の変(織田信長の暗殺)
1584(天正12)小牧・長久手の戦
(秀吉と和睦→服従)、浜松から駿府に移る
2.徳川家康の飛躍の時代
1590(天正18)北条氏滅亡後、関東に入部
・知行地250万石(直轄地100万石、家臣150万石)
VS豊臣秀吉:約220万石
・家臣団統制、江戸城拡張、城下町建設に励む
→2度の朝鮮出兵には出陣せず
1598(慶長3)秀吉の死、以後、家康は伏見城にて
政務を担当 → 五奉行(秀吉子飼の大名)と対立
秀吉の死、以後、家康は伏見城にて政務を担当
→ 四大老五奉行と対立
1600(慶長5)関ヶ原の戦 → 東軍大勝、西軍の大名
らを改易・減封 →家康の覇権確立
「人の一生は重荷を背負って遠い道を行くがごとし」。
「東照公遺訓」慶長8年1月15日
関ヶ原の戦に出陣する家康
3.徳川幕府の成立(家康の国づくり)
1603(慶長8)征夷大将軍に就任 → 江戸幕府の完成
1605(慶長10)将軍職を秀忠に譲る
1607(慶長12)駿府へ隠退、大御所と称す。
政治の実権は依然として家康が握る。
1614(慶長19)1.大坂冬の陣 ← 方広寺鐘名事件=
(「国家安康、君臣豊楽」)
1615(元和元)1.大坂夏の陣、豊臣氏(豊臣秀頼、淀殿
ら)の滅亡 → 元和偃武の到来
1616(元和2)太政大臣就任、死去(死因は、鯛の天ぷ
らによる食中毒説が有力)
辞世の句として「東照宮御実記」に以下の二首を詠んだと伝わっ
ている。
「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」
5.大名の統制①→いかに外様大名を押さえるか
1)幕府は大名を3つに分け統制した。
・親藩 徳川一族の大名
・譜代 関ヶ原の戦い以前から徳川家の家臣
・外様 関ヶ原の戦い以降家臣になった大名
親藩と譜代は関東周辺や全国要所に置き、外様を監視さ
せた。
2)法制度の整備→大名に対する命令・禁止の規範
a)「武家諸法度」(秀忠)
・勝手に城を改築すること禁止
・大名家同士が許可なしに結婚することを禁止
・末期養子の禁止
違反する大名は、親藩・譜代であっても7.改易(領地没収)、
減封(領地削減)、転封(国替え) 。
武士の種類①=大名・旗本・御家人(直臣、直参)
1.大名=直参(将軍直属の家臣)で石高1万石以上
・江戸中期以降ほぼ260~270家
・1万石(最小)~102万石→5万石未満が多数
大名同士でも厳格な格式付けあり
将軍との親疎による種類
1)親藩=徳川氏一門の大名(準ずる者を含めて幕末に約20家)
a)御三家=尾張、紀伊、水戸の3家
親藩中最高位、将軍の後継ぎを出しうる
b)御三卿=田安・清水(←吉宗)、5.一橋(←家重)の3家
大名の扱いは受けない(領地なし)が、御三家とともに将軍の
後継ぎを出しうる(将軍の血筋が絶えたとき、吉宗の血筋を
後継ぎとし、御三家から出させないために設定)
c)御家門=御三家・御三卿以外の分家大名20家
越前松平家、会津松平家、久松松平家、越智松平家など
2.譜代=関ヶ原の戦以前から徳川氏に使えた家臣
→大名(旧来からの徳川氏の家臣)幕末で145家
・中小規模の大名が多い(最大:井伊氏35万石(彦根)、
酒井家14万石以外は1~5万石ですが、老中な
ど要職に就いています
=もともとから徳川氏の家臣(身内)のため
3.外様=関ヶ原の戦の以後に徳川氏に従った大名
(新しく家臣に組み入れた戦国大名)幕末で98家
・大規模な大名が多い(最大:前田氏 100万石(加賀)、
加賀前田家102万石、薩摩島津家73万石、筑
前黒田家43万石、萩毛利家37万石、仙台伊達
家56万石などの大大名。江戸から離れた地に配
置され、幕政には参画できず。
=もとは徳川氏のライバルの戦国大名
武家諸法度
全13条
政治道徳上の訓戒
文武奨励(1条)遊楽禁止(2条)倹約奨励(12条)家老らの
人選(13条)
治安維持規定
犯罪者隠匿の禁止(3条)謀叛人・殺害人の追放(4条)
他国人の追放(5条)居城の修理・新造の禁止(6条)
隣国の徒党上訴(隣国の不穏な動きについて幕府に申し
出ること)(7条)
儀礼規定
無断婚姻禁止(8条)参勤の作法(9条)衣装の統制(10条)、
乗輿の制限(11条)
武家諸法度の沿革
西暦
1615
1635
1663
1683
1710
1717
名称
発令
特 長
元和令 秀忠 ・戦国の終焉家康の指示
8.金地院崇伝起草漢文体
寛永令 家光 ・大名の統制・私闘の禁止
・全国交通制・大船禁止
寛文令 家綱 ・荷船500石制限撤廃
・耶蘇教禁止
・不孝者処罰
天和令 綱吉 ・文治移行
・旗本統制の法度を合併
・死の禁止
・9.末期養子の許可
正徳令 家宣 ・新井白石起草による和文体
享保令 吉宗 ・天和令に戻す
条項
13条
19条
21条
15条
17条
15条
「武家諸法度ー元和令」 『徳川禁令考』
一、文武弓馬の道、専ら相嗜むべき事。
文を左にし武を右にするは、古の法也。兼備せざるべからず、弓馬
は是れ 武家の要枢也。兵を号んで凶器となす、已むを得ずして之を
用ふ。治に乱 を忘れず、何ぞ修錬を励まざらんや。
一、諸国の居城、修補をなすと雖、必ず言上すべし。況んや新儀の
構営堅く 停止せしむる事。
一、隣国の於て新儀を企て徒党を結ぶ者之ば、早速に言上致すべ
き事。
一、私に婚姻を締ぶべからざる事。
一、夫れ婚合は陰陽和同の道也。容易にすべからず。…縁を以て党
を成すは 是れ姦謀の本也。
一、諸大名参勤作法の事。
続日本紀制して日く、公事に預らず、恣に己が族を集むるを得ず。京
裡二 十騎以上集行するを得ず云々。然れば則ち多勢を引率すべか
らず。百万石 以下二拾万石以上二十騎を過ぐべからず。十万石以
下は其れ相応たるべし、 蓋し公役の時の其分限に随ふべし。
元和元年七月七日」
4.江戸幕府の整備(秀忠~家光)
1615 豊臣家の滅亡、一国一城令=大名の居城は一
つに限定→武家諸法度(元和令)
1617 大名らに領知の確認文書発給
=全国の土地領有者としての地位明示
1619 福島正則、武家諸法度違反(城修築)で改易
=年功の外様大名も処分
1623 秀忠、将軍職を家光(3代)に譲る
(以後、大御所として実権を握る)
1627 紫衣事件 幕府が紫衣の授与を規制。後水尾天皇は慣例通り、
幕府に諮らず十数人の僧侶に紫衣着用の勅許を与えた。
1632 秀忠の死、 家光、肥後の加藤氏(外様)を処分
1634 家光、30万の軍勢を率いて上洛
お家騒動
←大名は領知石高に応じ軍役賦課
1635 武家諸法度(寛永令)=参勤交代の義務化
1639 鎖国の完成 → 幕藩体制の確立
大名の統制②
江戸幕府の職制の完成期(1635頃家光期)
1632年1月に秀忠が死去 → 二元政治の解消
「生まれながらの将軍」→王権を全て掌握するものとして
親政を始める。旗本中心の直轄軍再編に着手、同年5月
には外様系大名を招集し、肥後熊本藩主加藤忠広の改易
を命じている。
現職将軍を最高権力者とする幕府機構を確立した。
1.老中・若年寄・奉行・大目付の制を定めた。
2.旗本を中心とする直轄軍の再編に着手。
3.長崎貿易の利益独占目的から、貿易統制及びキリ
シタン弾圧を強化し、島原の乱を経て、鎖国体制
を完成させた。
4.農民統制では慶安御触書、田畑永代売買禁止令を
発布した。
参勤交代
(1635)
武家諸法度は 家光(3代将軍)寛永令で制度化
内容・大名は江戸と国許を10.1年ごとに交替
ただし水戸藩・役付きの大名は江戸常住、関
八州の大名は半年交替
・大名の妻子は人質として江戸に居住
目的と影響
・大名の財政負担の増大=莫大な道中費用、江戸
と国許との二重生活(二重出費)
・江戸、宿駅の繁栄
吉宗(8代将軍)の上米の制で一時緩和
上米の制(吉宗)での緩和=江戸在府1年半、国許半年
→ 幕末まで存続(慶喜(15代将軍)が一部緩和)
慶喜による緩和→3年に一度の参勤交代
幕府の政治機構
将軍年寄と大御所年寄の合議による二元政治家
康・秀忠期=戦国的側近政治の継続
・三河以来の門閥譜代の「出頭人」(側近)
家康期=本田正信・正純父子、秀忠期=大久保忠隣、
酒井忠世、土井利勝ら)=天下を取ったのは自分たちがい
たから…→二元政治
・天海(天台僧)・崇伝(臨済僧)、林羅山(儒学者)、茶
秀忠は1605年に将軍職を継承。秀忠が家光に政権移譲
した後も、大御所として軍事指揮権等の政治的実権は掌
握し続け、幕政は本丸(将軍)年寄と西の丸(大御所)年寄
の合議による二元政治のもとに置かれた。
→江戸幕府の職制は家光期に完成
4.大名の役職=大老・老中
大老=将軍の補佐役、臨時の最高位。譜代10万石以上
で、土井、堀田、酒井、井伊の四家に限定。
老中(幕政総括)=老中は政務全般。初めは年寄といった。定
員4~5人。10万石以下2万5千石以上の譜代大名から任じられる。
老中首座が総括して月番制だった。
若年寄(老中補佐)=若年寄は老中を補佐することと旗本、
御家人の統率が仕事。定員は5~6人。
寺社奉行=寺社奉行は寺社の行政、訴訟、関東以外の
私領からの訴訟を受けた。定員は3~5人。
京都所司代・大坂城代=地方での大名役職(朝廷、西国
大名の監視)
① 月番制・合議制(権力集中排除)
② 13.評定所=重要事項→老中・三奉行・大目付の評議
③ 平時職制はそのまま軍事編成(老中指揮下)
5.旗本と職制=旗本は老中支配の職制についた。
1.大番頭は、重要な番方(軍事部門)の頭領。
江戸城・江戸市中の警固。
2.大目付は、大名に目を付ける(監視)。
初代が柳生宗矩。
3.町奉行は、南町奉行・北町奉行が、1ヶ月交替の
月番制で、江戸の町を行政・司法・警察を掌り。
4.12.勘定奉行は、幕府領(天領)の租税を勘定する
奉行で、郡代・代官を支配。
5.城代は、将軍が頻繁に使用する城(駿府・伏見・
二条)を、将軍に代わり守護。
6.遠国奉行は、遠い国の重要な幕府直轄地に設置。
京都・大阪・駿府は町奉行といい、長崎・佐渡・
山田・日光・奈良・堺・下田を諸奉行という。
知行取り蔵米取りの
旗本の違い
知行取りは土地の支配
権を任され、大勢の村
人、村役人、庄屋の上
に立って支配。
蔵
米取りは個人的部下は
少数で、三百俵取りなら
屋敷内の数人のみ。
元禄の頃には、旗本の
五百石以下の知行取り
は蔵米支給に変えられ、
その土地は天領として
代官支配になった。
旗本寄合席(はたもとよりあいせき)
江戸幕府の3,000石以上の上級旗本無役者・布衣以上
の退職者(役寄合)の家格。正しくは、寄合という。旗本の
家格にはほかに高家・小普請組がある。若年寄支配。交
代寄合は旗本寄合席に含まれ、寄合御役金を支払うが、
老中支配である。幕末期には交代寄合を含め180家存在
した。寄合の基準は以下のとおり。
家禄3,000石以上
1.家禄3,000石以下であっても留守居・大番頭・書
院番頭・小姓組番頭の次代は寄合に入る
2.家禄3,000石以下でも交代寄合は寄合に入る
3.家禄3,000石以下布衣以上の役職を勤め、無役と
なった者は役寄合として寄合に入る
陪臣=家臣の家臣
大名・旗本・御家人の家臣=陪臣(御目見得以下)
1.大名の家老は、御三家の付家老や、御三卿付きの
家老を除き、将軍の陪臣であるから、将軍に謁見の
資格がないのが大原則である。中には知行地が1万
石を超えるが、陪臣のため低い地位にあった。
2.武家奉公人(仲間、足軽、小者など)=大名・旗本・
御家人とその陪臣たちの従僕
3.天下の三陪臣『名将言行録』
「陪臣にして、直江山城、小早川左衛門、堀監物杯は天下の仕置をす
るとも仕兼間敷(しかねまじき)ものなり」
豊臣秀吉が主君で、その直臣である、上杉景勝の家臣直江兼続、毛
利輝元の家臣小早川隆景、堀秀政の家臣堀直政はそれぞれ陪臣に
あたり、陪臣であるが天下の仕置も務まると評価したものである。
江戸幕府の職制
中央(老中以下は月番)
①[1
](幕府最高職)10万石以上の譜代より選任
②[2
](幕府の政務総括の職)町奉行・勘定奉行・大
目付を支配
③[3
](老中補佐の職)目付を支配し旗本を監察
④[4
](幕政監察の職)-特に大名を監察
⑤[5
](若年寄の配下)-旗本・御家人の監察
⑥[6
](奉行の三職の総称)
a[7
]奉行(譜代大名より選任。将軍直属) -寺社と
関八州以外の地
b[8
]奉行(旗本より選任)天領の財政・民政管理
c[9
]奉行(旗本より選任)江戸府内の管轄。町名主
を監督
⑦ 重要案件-[10
](最高司法機関)
軍役=石高に応
じて兵馬を常備
・1649年の制:
1万石の大名=
人235人、鉄砲20、
弓10、旗3、槍30、
馬10
1000石の旗本=人
21人、鉄砲1、弓1、
槍2
藩制の成立
(1) 「藩」=大名の領地とその支配機構
(2) 藩の支配=領内一円支配(←地方知行制)
(3) 藩の職制=藩によって異なる、基本的には幕府の
職制の縮小版 俸禄制度(蔵米として支給)
A.家老以下、諸役人を配置
B.国元と江戸詰の二重構造
→ 支出も二重苦(とくに江戸の負担が重い) (4)
藩の経済基盤
A.年貢米=普通は四公六民 (のちに五公五民)
B.さまざまな方法で収入増をはかる ←支出増大
による財政困難の打開のため
(a) 特産品の奨励、専売制の実施
(b) 新田開発
(c) 鉱山開発
朝廷の統制
(1) 天皇・公家の領地
=皇室の領地(約10万石)+公家の領地(約4万石余)
(2)朝廷の統制→京都所司代の設置(二条城)=朝廷監視
a)摂家(関白・三公)に朝廷統制の主導権を持たせる
b)武家伝奏の設置=朝廷に幕府の指示を伝える
c)17.禁中並公家諸法度(17条)の制定(1615)
朝廷の権限を儀礼的機能に限定
・天皇の学問専念(1条)
・摂関・三公(太政大臣、左大臣、右大臣)などの任
・武家の官位は公家の官位制の枠外(7条)
・改元の基準(8条)
・紫衣勅許・上人号勅許の制限(16条)
→紫衣事件に発展(1627)
・武家諸法度違反による処罰
福島正則(外様、広島50万石、減封)
本多正純(譜代、宇都宮15万石、改易)
大久保忠隣(譜代、小田原6万石、改易)
・その他の理由 松平忠輝(家康6男、改易)
親藩 松平忠直(秀忠の甥、改易)
b)17.禁中並公家諸法度(天皇公家が政治に係らない)
徳川家康が金地院崇伝に命じ起草。以後一切不改訂
第1条 天皇の主務
一 天子諸芸能ノ事、第一御学問也。
C)寺社諸法度(幕府による寺院統制を確立)
寺領を安堵。伽藍の整備を推進、僧侶の統制。
d)参勤交代制度(家光)
・大名達を1年毎に所領と江戸を往復させる。
寺社の統制
(1) 寺社の領地=計約40万石
A.18.朱印地(将軍家の寄進地),
B.黒印地(大名・旗本の寄進地)
(2) 神社の統制=寺社奉行の下、吉田・白川家が支配
19.諸社禰宜神主法度(1665)
(3) 寺院の統制=諸宗寺院法度(1665)
a)本山・末寺の制=宗派毎本山を中心に、寺院を末
寺として階層的に組織化
b)檀家制度(寺請制度)=キリスト教、日蓮宗不受布
施派の禁教のため→すべての人々が寺院に帰属さ
せ、檀徒(檀家、檀那)であることを証明させる
c)宗門改めの実施 → 宗門改帳(宗門人別帳、宗
旨人別帳)の作成
d)檀那寺の役割=檀那寺が役場の戸籍係的役割を負う
・出生・死亡の届出、旅行・移住・結婚の報告、墓・法要・
位牌・過去帳の管理など
e)宗教活動の中心→葬式・供養(法事)へ=仏教の堕落
個人の信仰としての役割の喪失→
①収入源の保証(領地の寄進、檀家制度ほか)
②社会的地位の保証(本山・末寺の制、檀家制度他)
③新しい宗派の設立の禁止(諸宗寺院法度)
封建的身分の制度の確立
①身分制度の概念 「士農工商」← 儒教での社会構成上
の主要な身分の上下関係(官吏・百姓・職人・商人)
②農業(財源)衰退を危惧→兵農分離=階級秩序の固定
化→厳密な百姓・町人身分に束縛=家の筆頭者だけ
③百姓・町人の間での身分移動は比較的容易であり、武
士の下層(徒士)や足軽との身分移動も多くあった④士農
工商以外の身分=公家・僧侶・神主・検校・役者、穢多な
ども
1)武士=将軍を頂点に階層構造=全人口の6~10%
→武士の中上層には身分移動はほとんどなかった。
江戸時代には文官に相当する武士を「役方」、武官に相
当する武士を「番方」と呼び、幕藩体制維持の中心的役割
を果たしたんだ。→①四民の鑑としての行動の要求②武
門の象徴として名字帯刀
2)百姓
(1) 初期本百姓=(1)田畑と(2)家屋敷地を所持し(検地帳
名請人)、(3)年貢と(4)諸役の両方を負担する者を百姓(本
百姓・役家)とした。
(2)大前百姓・小前百姓=江戸時代中後期、百姓内部で
の貧富の差が拡大(「農民層分解」)。 高持から転落→水
呑百姓・借家。で富を蓄積した百姓→村方地主→豪農に
成長。①村役人を勤める百姓を大前百姓、②そのような
役職に就かない百姓を小前百姓と呼ぶようになった。③
百姓=農民というイメージが古くからあるが、実際には現
代の「兼業農家」よりも広い生業を含んでいる。諸職人=
大工・鍛冶は、職人身分に属する者が営む場合、水呑・借
家あるいは百姓が営む場合、があった。木挽・屋根屋・左
官・髪結い・畳屋は、水呑・借家あるいは百姓が営んだ。
貢租の収納
租率の決定
年貢率
検見法→定免法
収穫高の40~50%(四公六民、五公五民)
村請制
米(一部貨幣)で納入
賦課
責任は名主
2.本途物成(本年貢)=本田畑と屋敷
付加税=交通設備、倉庫・人足の費用 銭納
小物成=山野、河海等の収益や副業 現物納or銭納
国役=河川の土木工事、日光の法会、朝
鮮使の接待の費用に対する臨時税
3.伝馬役(助郷役)=労役=役はほとんどない(高掛物、国
役が夫役に相当)・街道沿いの村々(助郷)から宿駅に応援
の人馬を出す
百姓の統制
1.4.田畑永代売買の禁令(1643)→ 1872(明治5)解禁
(a) 内容=田畑の永代売買の禁止
→ 売った側も買った側も罰則は重い
(b) 目的=百姓の階層分化の防止(本百姓の維持)
2.分地制限令(1673、1713ほか)
(a) 内容=①名主は20石、一般百姓は10石以上の田畑
でないと分地できない(1673)②分割後の保有田畑が
石高で10石以上、反別(面積)で1町以上でないとで
きない(1713)→幕府は本百姓の最低規模を石高で
10石、面積1町以上と考えていた
(b) 目的=零細農民の出現を防止、年貢納入の確保
3.田畑勝手作の禁→5.1871(明治4)解禁
(a) 本田畑(検地帳に記載された田畑)で五穀(米・麦・
黍・粟・豆)以外の作物の栽培禁止
(b) 新田畑(検地帳に未記載の田畑)で商品作物を栽培す
るのは黙認←米を作っても年貢として多くは取ら
れてしまうので、百姓は商品作物を栽培して現金
収入を得ることに熱心であった。
4.慶安の触書(32箇条、1649)
当時の原本が未発見→最近は幕法に関して疑問視
(a) 性格=幕府が農民統制に発令した幕法?
・寛永年間の生活制限令の集大成
・年貢負担者としての本百姓の生活の維持
(b) 内容=百姓の衣食住の細部にまで規制
・百姓の日常生活のあり方=領主・代官、村役人への服
従、勤勉・倹約
・衣類・食生活の規制…衣類は木綿に限定、酒・茶・
煙草の禁止、食料の節約
・家族関係への干渉……百姓の妻のあり方まで規定
(共稼ぎ、遊興好きの妻との離別を命じる)
5.五人組制度(→連帯責任)
(a) 年貢納入の連帯責任
(b) キリシタン(切支丹)、犯罪人などの相互監察
(c) 隣保共助
6. 百姓の生活=相互協力
(a) 「結」・「もやい」の慣行=田植、稲刈、屋根葺き、婚礼、
葬儀、井戸がえ(井戸掃除)など
(b) 用水、入会地の利用(c) 宮座の結成(d) 講の結成
(e) 若者組、娘組などの結成
相互規制=(a) 村掟・村極の制定→違反者は「村八分」
3)町人=江戸時代に都市に居住した職人・商人のこと。
士農工商の工商の部分にあたり、職業的に農業と分離さ
れ、より専門性が高まった。優れた技術力と豊富な資金量
は武士を圧倒する面もみせ、独自の都市文化(町人文化)
の形成発展に寄与。しかし単なる商工身分の者全般を町
人と呼べる訳ではなく、家屋敷を所有する者を言う。また
町政や公事にも参加し、町年寄を選ぶ選挙権や被選挙権
を持つなど、社会的身分や公的権利・義務を持つ者である。
また町人としての社会的役割のひとつに賃貸しの長屋を
持ちわずかな店賃で店子に貸す慣習があった。そして大
家を雇い店子からの家賃の取立てや諸事の面倒など長屋
の管理運営を任せ、その対価として店賃の免除などの優
遇をした。ちなみに落語などに出てくる八公・熊公などは借
家人であるため厳密に言えば町人にはあたらない。
町人の統制
(1) 城下町=戦国時代の防衛都市→江戸時代は交易都
市の色彩を強める。
(a) 中心は城郭、その周辺に家臣の武家屋敷
(b) 武家地、寺社地、町人地の区別、身分ごとに居住す
る地域が異なる
・武家地=城郭の周辺、政治・軍事施設、家臣や足
軽の屋敷、町の大部分を占める
※江戸の面積比:町人地20%、武家地(幕府関連施
設+藩邸)60%、寺社地20%
・寺社地=寺院や神社が集中→例:尼崎の寺町地区
・町人地(町方)=狭い地域に多くの町人が住む、職業
別で集住
町の運営
1)名主・町年寄・月行事らによる自治
(a)町法(町掟)に基づきもとづいて行う
町政に参与出来る=「町人」(町内に待ち屋敷を
持つ家持ちの住人=町人(あくまで少数)
・年貢負担はない(田畑がないから)
・町人足役(夫役として)、金銭の負担=上下水道の
整備、防火・防災などの都市機能維持の費用
(b) 町政に参加できないレベル
・地借=宅地を借りて家屋を自分で建てる(地代や
店銭を地主に払う、それ以外は負担なし)
・借家・店借=家屋ごとやその一部を借りて住む
(地代や店銭を地主に払う、それ以外は負担なし)
・奉公人=奉公先の商家に住む
2)江戸の町政(→他の都市でも同様)
治安組織の発達
(a) 各町には木戸があり、木戸番を配置
(b) 町人による自身番を設置
(c) 武士による辻番を配置
3) 貢祖=A.冥加・運上 (営業税=商工業の営業税)問屋
運上・市場運上・酒屋冥加・質屋冥加などB.地子銭(宅地
税=土地・屋敷に賦課)C.御用金(借入金=幕府の借金)
都市の御用商人に割り当てD.町会費(町の自治運営費)
都市機能維持の費用負担
町人の生活
1)城下町における商人町、職人町
身分、職業で居住地域限定(例:町人地、寺社地、武家
地など)
(a) 商人町の例=米町、呉服町、魚町、塩町、紺屋町、
材木町など → 地名として残る
(b) 職人町の例=桶屋町、鍛冶町、大工町、瓦町など
→ 地名として残る
2)棟割長屋
(a) 江戸の町人住居の典型、切妻の棟を割って両側に
部屋を設ける、便所は共同
(b) 江戸の高人口密度の要因
3.商人・職人一人立ちへの道
=年季奉公からスタート(無休、無収入が基本)
(a) 商人の例=丁稚(10歳頃~) → 手代 → 番頭
(使用人の頂点) → 暖簾分け(独立)
(b) 職人の例=徒弟 → 親方
4.生活格差
(a) 豪商=巨富を蓄え、遊楽にふける
(b) 貧民=人口比的には多数、日雇い・行商で日銭を
稼ぐ、棟割長屋に居住、その日暮らし