福島県二本松市木幡 木幡の幡祭り (国指定重要無形民俗文化財) 幡祭りの由来 前九年の役の戦いで、一夜にして全山が雪で白くなった様を敵軍が源氏の白旗と 見違い戦わずして敗走した故事により現在「幡祭り」として伝承されている。 前九年の役、天喜3年(西暦1055年)、源頼義とその子義家率いる軍勢は、戦いに敗れ、 わずか数騎で付近の農家で宿をとっていた。するとその夜、天女が夢枕に現われ「弁財天宮 で祈願すれば願いが叶うだろう。」と告げられた。頼義父子は夢に従い神社にて戦勝を祈願 した。するとその夜、折からの雪で山上の木はすべて源氏の「白旗」のように見え、攻め寄 せてきた安倍貞任らは、これを源氏の大軍と思い込み戦わずして退散してしまった。 これが陸奥鎮定の原因となり、朝廷に奏したところ、天皇はこの山を“木幡山”、山すその 別当寺院を“治陸寺(陸奥を治める寺)”と名付けられ、後冷泉天皇より宸筆の額を賜った。 その後、神仏の加護を深く信ずる郷土民により950年にわたり引き継がれ、源氏の白旗に 見立てた旗を木幡山、そして別峯羽山に奉納する祭礼として今に至っている。 木幡の幡祭り日程 8:30 幡集合(旧木幡第一小学校グラウンド) 9:00 出立式 ・修祓、総大将挨拶、宮司挨拶等 9:30 イベント ・木幡音頭踊り、幡競走、餅つき、 万歳三唱、堂社餅まき 10:00 出 立 (幡行列出発) 11:00 治家公園(木幡山参宿所) 着 ~ 昼食 ・ イベント ~ 12:30 幡行列出発 (治家公園発) 14:30 羽山神社 ※これ以降の時間は全て予定 ・胎内くぐり、権立よばり、羽山神社参拝 15:30 隠津島神社 ・隠津島神社参拝、万歳三唱 解 散 「胎内くぐり」 と「権立よばり」 権立(ごんだち) 木幡の幡祭りは、幡祭りとも権立よばりともいわれる。 初参加の若者を権立といい、幡祭りの中で重要な位置を占める。 胎内くぐり 羽山神社の下に「くぐり岩」がある。 権立は、太刀と袈裟(けさ)を岩の前に納めると、「胎内くぐり」といって、一人ずつ 順に小銭をくわえて岩の割れ目を上から下に、体をよじらせながらくぐり抜ける。 抜けると小銭を何気なく地に落とし、そっと手で拾う。このお金は羽山神社を参拝 する前に「乳」といっている粥(かゆ)をいただくときに差し出す。 権立よばり 全員が岩をくぐり抜けると、「権立よばり」といわれる儀式が行われる。 (※詳細は次頁参照) 羽山神社催事(食い初めと参拝) 権立は粥小屋で、小銭を出して乳(粥)をいただく。食い初めである。 羽山神社参拝、かつては1年目は後ろ向きで「背拝み」、2年目は横向きで「横拝み」、3年目にようやく正 面を向いて拝むことがゆるされた。現在は1年目に3種の拝み方を続けて行っている。 権立よばり 「胎内くぐり」が終わると、岩の上と下にいた先達が問答を行う。 以下に主な口上を記す。 ※問答はかつて堂社ごとに行っていたため、言葉や口上の順番が違う場合がある。 先達上「 当年の当年のおいた御前、権立の名をなんと申す 」 先達下「 向いの山の、木の根っこと申す 」 先達上「 いやいや、そうではないそうではない、当年の当年のおいた御前、権立の 名をなんと申す 」 これを 繰り返し、最後に「 八幡太郎義家と申す 」というと、「 」といって祝福す 生まれた る。 問答が終わると祝福の法螺貝を吹き鳴らす。 ※八幡太郎というのはこの祭りの縁起からで、そう古いことではなく、若者の実名 を告げるのが古例であると言われている。 ○「胎内くぐり」「権立よばり」は、東北では例をみない成人儀礼で、一見の価値がある。 幡行列順路 (午前の部) 11:00治家公園着 10:00 出 立 旧木幡第一小学校 発 昼食・イベント 木幡山参宿所 治家公園 一の鳥居と大松 木幡郵便局 幡行列順路 (午後の部) 15:30(予定) 隠津島神社 着 参拝後、 解散 三重塔 12:30 治家公園 出発 胎内くぐり、権立よばり 羽山神社参拝 隠津島神社 本殿
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