甲府空襲について • 我が県都=甲府はどのような状況下で空襲を受 けることになったのだろうか? • 甲府空襲の被害はどんな様子だったのか? • 甲府以外にも県内への空襲はあったのか? • 甲府空襲は全国的にはどんな位置を占めている のだろうか? 次へ 太平洋戦争~甲府空襲までの経過 柳条湖 独 盧溝橋 伊 真珠湾 ミッドウェー サイパン ●1931(昭和6)年:柳条湖事件→満州事変(軍事行動により満州国を建国) →1933年:満州国不承認で国際連盟を脱退 ●1937( 〃12)年:盧溝橋事件→日中全面戦争へ突入→同年:南京虐殺事件 →1940年日独伊三国軍事同盟を締結 ●1941( 〃16)年:真珠湾奇襲攻撃→太平洋戦争へ→侵攻地域の拡大 ●1942( 〃17)年:ミッドウェー海戦で敗北→日本の戦況が不利となる ●1944( 〃19)年:サイパン島の玉砕→マリアナ諸島を基地に日本への空襲 次へ 甲府空襲以前の被爆地 甲府空襲以前の被爆地 =死者500名以上 =死者 50名以上 山梨県を含めて 北海道・東北・ 北陸・山陰は まだ皆無であった 空襲は日本の主要地域の 太平洋沿岸や瀬戸内海沿岸 米軍基地に近い沖縄九州の 主要都市や軍事施設に 限定されていた。 次へ 甲府以前の 主な空襲等被害地 名古屋 3/12~54回 死者8、625名 神戸 3/17~16回 死者6、235名 東京 3/10・5/24等 死者95、374名 呉 7/1~6回 死者2700名 浜松 4/30~27回 死者2、947名 鹿児島 4/8・8/6 死者3、329名 大阪 3/14~28回 死者10、388名 横浜 4/25~25回 死者4、616名 沖縄戦 4/1~米軍上陸~6/23 戦死者計188、136名 (住民の死者38、754名) 次へ この地図は、国土地理院の承認を得て、同院発行の数値地図25000 (地図画像)を複製したものである。(承認番号 平16総複、第589号) 甲府空襲のはじまり 昭和20年7月6日 むし暑い夜11時過ぎ マリアナ基地を発進し いつも富士山を目標に 富士川沿いに侵入し 山梨上空で東北へ向かう B29爆撃機 夜11時40分頃 愛宕山に照明弾 真昼のように明るくなる その後の空襲で 焼失した甲府北部 次へ 甲府空襲による焼失地 空襲は市東部から市内全域に 及ぶ、B29の爆音、焼夷弾の 落下音と破裂音、すさまじく燃 え上がる火災と黒煙 この地図は、国土地理院の承認を得て、同院発行の数値地図25000 (地図画像)を複製したものである。(承認番号 平16総複、第589号) ・午後11時40分 B29の空襲開始 ・ 〃 11時54分 空襲警報発令 ・午前 0時 市役所炎上 ・ 〃 1時 県病院炎上 ・ 〃 1時45分 B29の攻撃止む →しかし火の勢いはますます猛烈に 次へ 甲府空襲の概要① 主要都市の焼失率 ・東京・横浜→56% ・大阪・神戸→57% ・名 古 屋 →52% ●市街地の焼失率74% 福井市の96%に次ぎ、 浜松市と並び全国第2位 悲惨な結果であった。 ●B29爆撃機計131機 による空襲 ●死 者740名 →最終的に1127名 ●重傷者345名 軽傷者894名(7/7発表) ●全焼家屋17、920戸 半焼 〃 160戸 次へ この地図は、国土地理院の承認を得て、同院発行の数値地図25000 (地図画像)を複製したものである。(承認番号 平16総複、第589号) ★被害戸数=1万8千戸 (全戸数の75、3%) →うち98、7%が全焼 ★被害人口=12万3千 (全人口の62、4%) 甲府空襲の概要② 隣接地の焼夷弾投下地 玉諸・甲運・ 石和・富士見 岡部・春日居 玉幡・竜王 昭和 この地図は、国土地理院の承認を得て、同院発行の数値地図25000 (地図画像)を複製したものである。(承認番号 平16総複、第589号) 住吉・山城 中道(柏)・境川 次へ 山梨県下の空襲状況 7/6・甲府空襲 隣接地の焼夷弾投下地 7/30小型爆弾投下 ●死者=4名 8/13・大月空襲 春日居 竜王 百田 鏡中条 玉幡 落合 五明 増穂 甲府 昭和 大月 石和 上野原 禾生 猿橋 富士見 中道・柏 芦川 【被害状況】 ● 死 者 = 826名 ● 傷 者 = 1244名 ●被災者数=78925名 ●家屋被害=17920戸 (焼失率=72%) 8/1 双方へ 小型焼夷弾投下 (人的被害なし) 下吉田 【被害状況】 ● 死 者 = 54名 ● 傷 者 = 48名 ●被災者数=110名 ●家屋被害= 35戸 7/30軍事工場 への銃爆撃 ●死者=12名 次へ 甲府空襲以前の被爆地 =死者500人以上 =死者 50人以上 太平洋・瀬戸内 九州・沖縄の 主要部が中心 甲府空襲以後の被爆地 ●=死者500人以上 ▲=死者 50人以上 全国各地へ さらに拡大 原爆投下も 戦争の人的被害 1945年統計 軍人・軍属(死者)1、555、308名 8/6広島へ原爆投下 ・死 者 118、661名 ・負傷者 79、130名 (当時の人口320、081名) ↓ 5年以内に約20万人の死者 8/9長崎へ原爆投下 ・死者 73、884名 ・負傷者76、796名 ↓ 5年以内に約14万人の死者 一般国民 (死者) 299、485名 【広島・長崎だけで 192、545名】 総 計 (死者) 1、854、793名 【沖縄戦だけで1割の188、136名】 東京 3/10・5/24等 死者95、374名 ★7/6 甲府→死者826名 ★8/13大月→ 〃 54名 沖縄戦 4/1~米軍上陸~6/23 戦死者計188、136名 (住民の死者38、754名) 次へ 戦後60年!豊かな繁栄の前には 大きな犠牲があったことを忘れません。 平和の大切さを胸にきざみながら! 参考文献 『甲府空襲の記録』 甲府市戦災誌編さん委員会 掲載の地図は、国土地理院の承認を得て、同院発行の数値地図25000 (地図画像)を複製したものである。 (承認番号 平16総複、第589号) 終了
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