戦前から戦後へ:御三家の経済学 1.民主革命期の経済学者の政治参加 2.御三家(有沢広巳・中山伊知郎・東畑精一)の1960 年代まで持続する影響 3.有沢広巳 4.中山伊知郎 5.東畑精一 6.1960年代初頭の経済新体制 7.退場する開発主義者? 民主革命期の経済学者 外務省「戦後問題研究会」 第一次吉田内閣から片山内閣へ 石橋蔵相就任・山田の農地改革への参画 吉田首相を囲む昼食会(教授グループ)→ 傾斜生産構想「石炭小委員会」 経済安定本部(和田博雄・都留重人) 民主主義科学者協会、共産党調査部 社会党左派 「逆コース」以降 ・1948年2月片山内閣倒壊、芦田内閣へ 経済安定本部の後退(都留辞職) ・1948年10月第二次吉田内閣 ドッジ・ライン実施、安定化政策 傾斜生産・復金融資廃止・超均衡予算 ・1949-50 レッドパージ ・1951 朝鮮動乱 (反共陣営への編入の体制化/官僚閥の復権) 御三家の持続する影響力 有沢広巳(1896-1988) 産業構造審議会、エネルギー委員会 「二重構造」→1957『経済白書』 中山伊知郎(1898-1981) 中央労働委員会、「日本生産性本部」1955年 東畑精一(1899-1983) 農業総合研究所、農業基本法 生産性(生産力)への関心 共通のルーツ:ワイマール期ドイツへの留学 戦時期の経済構造の変化への注目 有沢広巳(1896-1988) 社会化の挫折 1926-28年ドイツで在外研究、社会化の挫折について 研究。「すべては混乱と誤謬のうちに終わった。」 →1947年の日本でも同じ事が起こった! ・1938年労農派検挙以前の産業研究 生産性の高い大企業と非効率な中小企業の並存、そ の背後にある低賃金労働者のプール →「二重構造」論の源泉 昭和研究会のゴーストライター(1939) 秋丸機関の戦時経済力調査 戦後:・傾斜生産、安定化を予見 ・石炭委員会→エネルギー革命を推進 中山伊知郎(1898-1981) 福田徳三の「生存権闘争としての社会政策」 1927-29ドイツ留学、ボンでシュンペーターに師 事 1933『純粋経済学』、but「経済理論と経済社会 学」の構想ももつ 1946 中央労働委員会に公益委員として入り、 1950年会長 生産性推進運動、労使協議制、『経済民主主義』 <民主化と能率の両立の追求> 東畑精一(1899-1983) 1928-29ボンでシュンペーターに師事 1936『日本農業の展開過程』 企業者精神をもたない農民、加工業者や国家 の能動性 ・戦時経済のもとで肥大する重工業による農業労 働力の吸収→機械・家畜の導入による労働生産 性向上の必要→農業近代化 ・農地改革の問題点→選択的拡大 (1961農業基 本法) 1960年代初頭の「新産業体制」 貿易/為替の自由化に備えた体制整備、「特定産 業振興臨時措置法」法案作成作業 1961年通産省「産業構造調査会」設置 中山総括委員会委員長、 有沢産業体制小委員会委員長 官僚主導の統制から官民強調へ 挫折した社会化(ヒルファーデイング)とシュン ペーター 機能的な自由主義 退場する開発主義者? 「老兵は死なず、消えていくのみ」? 法制化ならず → 行政指導の洗練化 大型合併に対する見解の分裂 新古典派経済学者の登場 基本法農政の挫折(農民の資産保有利害) 開発主義か自由主義か 機能的自由主義/ナショナルな自由主義 経済民主化/<経済新体制>
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