集団の中における個人 ~キャラ化する人々~ 社会学部社会学科 C105279 八田侑子 はじめに~目次 第1章:研究主題と構成 ~「妄想ツンデレキャラ」と呼ばれて~ 第2章:「キャラ」とは何か 2-1:「キャラ」と「キャラクター」 2-2:「キャラ立ち」とは 2-3:「キャラがかぶる」ことと「キャラリング」 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 3-1:「キャラ」による存在証明 3-2:「個性化」と「社会化」~「キャラになっていく」ということ~ 3-3:安全柵の中のキャラ的人間関係 はじめに~目次 第4章:メディアと「キャラ」 4-1:「キャラ」を広義的に解釈する 4-2:メディアと政治 4-3:「キャラ化」する政治 第5章:まとめ ~「キャラ」というプリズム~ 少々長い話になってしまうと思いますが よろしくお願いします。<(_ _)> 第1章:研究主題と構成 まずはじめに… 「キャラ」とは… <この世で最もリアリティのあるファンタジー> …であるという結論のもとに話を進めていきます。 第1章:研究主題と構成 研究動機 ■「あの子って○○キャラだよね」といった会話。 ・サークルの同期に「妄想ツンデレキャラ」と言われたこと ■テレビや雑誌等で「キャラ」という言葉の露出 ・「ゆるキャラ」「おバカキャラ」etc... ■政治家すら「キャラ」戦略を立てる時代 ・「私はキャラが立ちすぎている」麻生総理の発言 【「キャラ」とは何ぞや?】 第1章:研究主題と構成 以上を踏まえて疑問に思ったこと *人は集団の中でどのような「キャラ」として見られているのか *人は集団の中の自己をどのような「キャラ」として認識しているのか *人が「○○キャラ」として他者から認識されるまでにはどのような経過 があるのか ↓ なぜ人は他者を「キャラ」としてラベリングするのか? 「キャラ」という概念がなくとも意思疎通の取れた時代の存在 第1章:研究主題と構成 「キャラ」について調べる前の仮説 「キャラ付け」すること >>少しでもその人を理解するための手段? >>得体の知れない人とは関わりたくないという思い? >>「キャラ」=人を識別するための記号? 「キャラ」になるには >>「キャラは自分でなるものではない」 >>他者から「キャラ」を与えられることの必要性 第1章:研究主題と構成 メディアと「キャラ」 >>メディアによる「キャラ」の飽和現象について >>政治もキャラ戦略の時代? ↓ 人は大なり小なり「集団」に属して生きている その集団の中における「個人」というものをどのように 捉えているのか? 現代社会における他者との付き合い方を「キャラ」とい う視点で捉えるとどうなるのか? 第2章:「キャラ」とは何か 「キャラ」と「キャラクター」 「キャラクター」を辞書で引くと (1)性格。人格。持ち味。 (2)小説・漫画・映画・演劇などの登場人物。 (3)文字。記号。 …ということで、ここでは物語や漫画の主人公の人気や性格を利用 して商品の名前やデザインに用いているキャラクター商品やキャラ クターグッズは対象にしません。 (例:ハローキティ、ミッキーマウス等) 第2章:「キャラ」とは何か R.セネットの述べる「キャラクター」 『われわれが自分自身の願いに寄せ、また自分と他者との関係に寄せる倫理的 な価値」として、「われわれの感情経験のなかでも長期的な目的の追求を通 じて、そして、将来目標の達成のためには目先の満足を後回しにしてもよい とする習いによって表現される』 『「キャラクター」は「われわれが自分自身の価値をそこに見出し、他の人々 から評価してもらいたいと願う個人の持ち味に関わるものである」』 …とまぁ、なんじゃかんじゃ言ってますがよくわかりません。 簡単に言うと、 「キャラクター」を手に入れるには、何らかに一貫した自分の考えや価値観 や価値観が必要で、それらを手に入れるためには目標設定や長期的な な努力が必要だということだとしている。 これでもまだわかりにくいですね。 第2章:「キャラ」とは何か 「キャラ」を辞書で引いてみる 『キャラクター(人格・性格)の省略形。小説や映画、アニ メやゲームなどの登場人物を指すほか、実在の人物を性格づ ける分類にも使われるようになった』(2005年5月7日『日本 経済新聞』) 『「キャラ」は「キャラクター」の略で、自分の個性、性格、 人格などを意味する。そのキャラクターが出来上がっている 状態をさす。他人に自分の個性や人格などをはっきり示すこ とができ、他人もそれを認めている状態である。もともとは オタク用語として登場してきたもので、アニメやゲームなど のヒーローの性格付けなどがはっきりしているという意味合 いで使われていたが、次第に広がりを持つようになり、一般 人の間でも日常語として使われるようになっている。』 (Yahoo!辞書より) 第2章:「キャラ」とは何か 「キャラクター」と「キャラ」の相違点 瀬沼文彰『キャラ論』によれば ①「キャラ」は遊びの延長であると言えそうだということ ②「キャラ」は自らが望むものでもなく、努力して手に入れるものでも ないということ ③自分で自分の「キャラ」をあまり意識できないという面から、基本的 に他者が決めることが多いと考えることができること (中高生や大学生、成人に達する前後の段階) これを見る限り、「キャラ」とは遊びの延長であり、軽いノリで楽しま れているもののようです。 第2章:「キャラ」とは何か 「キャラ」とは本当に「遊び」なのか? 相原博之『キャラ化するニッポン』によれば 『半ば、遊びや冗談に近い形で決められるキャラが、その人 間の社会的な拠り所となり、そして、その喪失は居場所、す なわち社会的なアイデンティティの喪失にさえなるという現 実が若者たちの前に存在する。』 ↓ 「遊びの延長」が「社会的な拠り所」となる現実 *「キャラ」=完成された人格や性格を表すもの *個性が重要視される時代→個性にとらわれてしまいがち 自分が何者なのかを把握するのに一番手っ取り早い「キャラ」 第2章:「キャラ」とは何か 「キャラ立ち」とは ①自らの個性を際立たせ、ひとつの独立したキャラクターとし て他者に認識させること。 ②キャラクターの確立。印象の強化。 「キャラ立ち」の語が定着が認識された機会 安倍晋三の内閣総理大臣・自由民主党総裁辞任表明にとも なう自由民主党総裁選挙に際し、麻生太郎が福田康夫に対し て「私はキャラが立ちすぎている」と発言した。 この件に関してはまた後ほど。 第2章:「キャラ」とは何か 「キャラが立つ」ということ もともとはテレビの制作者たちが使った業界用語 演技ではない素のパーソナリティを評するための表現 大切にされるのは「素のままの存在感」 演技性が少しでも透けて見えると白けてしまう ↓ 切望されるのは「持って生まれてきた個性」 言い換えれば、 ありのままの自分が印象的であると認められたいということ。 逆に言えば、 他者に与える印象が薄いと「キャラがない」とされる。 第2章:「キャラ」とは何か 「キャラがかぶる」とは 比較的少数の社会集団の中で、ある個人の社会的役割または 性格類型である「キャラ」が別の個人と重複している状態を 指す口語的表現のこと。 同じ集団内に同じ「キャラ」の人が2人以上いる状態のこと *「キャラ」がかぶることで居場所がなくなる恐れがある *「キャラ」がかぶると誰かがその「キャラ」を降りるかその集団 を去ることになる ↓ かぶらないことを前提に「キャラ付け」されるのでは? 第2章:「キャラ」とは何か 「キャラリング」とは 同一人物が複数の「キャラ」を使い分け、場面次第で顔を変 えること。 第2章:「キャラ」とは何か 「キャラリング」と「素の存在感」との矛盾 *切望されるのは「素のままの存在感」 *場に応じて「キャラ」を使い分ける「キャラリング」 ↓ 集団の中において少しでも演技性が透けて見えてしまうと白 けるとあるならば、場に応じて「キャラ」を使い分けるとい うことは矛盾しているのではないか? 空気を読むための演技と白けることは表裏一体 *「素のキャラ」のまま「空気を読む」ということの重要性 *「素」であることの難しさ:現代社会を生きること? 第2章:「キャラ」とは何か 「キャラ」とは何か? *他者から自分がどう見られているかを簡単に判別できる。 *自分がどのような性格でどのような個性を持っているのか を他者にアピールする際に有効なもの。 *他者ありきで始めて存在するもの。 *他者からのまなざしによって決定される。 *他者との違いを明確に判別することが可能で、グループ内 に居場所があることの証明にもなる。 『子供たちが、「一番いい」というのは自分のまわりの大部分の人 間たちから承認を得た商品であり、あるいは自分の仲間からなんら かの承認を受けている品物のことなのだ。』 D.リースマン『孤独な群衆』より 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 「キャラ」と存在証明 人は存在証明に躍起になる生き物 集団の中における役割が細かく定められている ↓ 「自分はどのようにあるべきか」「自分とは何か」 「私は他ならぬ○○である」 これをはっきりさせるのに必要なものが 「他者からのまなざし」であり「他者からの承認」 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 貼られるラベルに価値を感じるということ 「キャラ付け」=「自らに対する意味付け」 *自らに対する意味付けは「他者からのまなざし」に基盤 を持つことが多い *自らを価値づけてくれる「まなざし」を持つ他者を積極 的に受け入れようとし、その逆の「まなざし」を持つ他 者は排除しようとする 意味付けは存在意義ということに密接に関わっている 他者からのまなざしによって与えられる「キャラ」 ↓ 自分がその集団に所属する意味であり、自分自身の価値 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 嫌われるのがなぜそんなに怖いのか? *人がもっとも恐れているのは「孤立と追放」(フロム) *集団は個人にとっては本質的な重要性を持っている 人との関わり合い:避けては通れないもの 小グループ内に属していればなおその関わりは密接になる ↓ 「孤立と追放」を恐れて本当の自分を隠し、偽りの自分で他者と関 わり合いを持った中で形成された「キャラ」が存在してもおかしくな かしくない 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 「個性化」と「社会化」 個性化 *「自分らしさ」を発揮すること *自分の持ち味を生かして他者とは異なる 独自な存在として自己実現を目指すこと 社会化 *他者と共通の規範意識を身につけること *周囲の人びとと強調的な生活を送るために 社会の一員として適切な価値観を身につけること 「個性的であるべきである」とする社会現象 ↓ 「個性化」することが「社会化」に繋がっている? 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 「ナンバーワンよりもオンリーワン」 ただひとりの自分に価値を求める 代替不可能で個性的であることにこそ価値を求める but. 個性的でありたいと願う一方 周りの仲間たちと歩幅を合わせ、そのまなざしを気にしている (※「俺はお前らと歩幅を合わせるなんて言った覚えはないぜ!」などとは言えない時代!) 自分の主観的な思いだけでは「個性」の重さに耐えきれず、 他者からの承認や肯定的な評価によってその重さを支えても らわなければ安心できなくなっている。 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 「個性」とやさしさ 「個性」というものをわかりやすく表す「キャラ」 ↓ 集団の中における存在を認識されていると感じる 「個性」を肯定的にとらえられていると思えるようになる *「キャラ」=集団内の居場所の証明 *相手を傷つけない優しさと同時に 「個性化」と「社会化」の両方を行っている 生まれた時から「キャラ」を持っているのではなく、何らか の集団に所属して初めて「キャラ」を得ることができる。 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 「キャラ」が決まっていく過程 「キャラ」が決まるための大きな要素 ①集団内におけるパフォーマンス ②また、それにおけるインパクト ex)独創的な絵を描く人に対する「画伯キャラ」 お酒が好きな人に対する「酒豪キャラ」etc... 1回のインパクトや特徴のある言動がクローズアップされるとそれ が「キャラ」として定着する 「他者からのまなざし」で与えられた「キャラ」を演じる ↓ 集団の和を乱さないことであり、安心を手にすること 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 「キャラ」の更新と消去 単一の集団の中において、ずっと同じ「キャラ」であり続け ることはあり得るのか? *予想だにしない行動による「キャラ」に対する“裏切り” ①白い目で見られる ②新たな「キャラ」として迎え入れられる ↓ 「僕は本当はこんなキャラじゃない」 「キャラ」の「更新」と「消去」 「キャラ」で得られる<インスタント・アイデンティティ> 同じ集団内で2つは守ることが出来ない 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 「キャラ」による自分探しの果てに 「自分探し」で重要視されるもの >>「本当の自分らしさ」「個性」 集団において「キャラかぶり」は許されない ↓ 代替不可能な「自分」であることが最重要課題 「キャラ」は更新・消去が可能なもの 上書き保存をすれば以前の「キャラ」は完全に消える 私たちは服を着替えるように「キャラ」を消費している 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 安全柵の中のキャラ的人間関係 【集団に属することで見えてくること】 *表面上は楽しそう⇔実際は心の深い部分への侵入を許さない *集団に属することの煩わしさ⇔孤独になることも出来ない グループに所属することで安心感を得たい 【キャラ的人間関係】 *集団内に同じ「キャラ」が2人以上いることは許されない (「キャラかぶり」が生じると上下関係が生まれたり、競争が起こったりするため。) 集団≒牧場の柵に囲われた羊の群れ:安全でなければならない 「キャラ」がかぶらないように配置されるのも、誰も牧場から排除されない ようにするための優しさが生み出した現象。 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 みんなをオンリーワンにするために 能力の違いを隠してみんなが対等であると思える関係 ↓ 【キャラ的人間関係】 縦ではなく「横」での違いで結びつくことによって楽しい時 間を過ごそうとする 場の空気を読んで、スムーズな会話や「ノリ」が実現できる 技術が必要となり、逆に言えばそれがないと集団がバラバラ になる恐れがある。 ↓ 楽しく時間をすごすことで、はじめてお互いが友人・仲間で あることを確認し、仲間集団が維持できる。 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 多元化と一元化 「キャラ」:集団の中での役割を決めるもの その人のある一面しか見えなくなる現象が起きる 「キャラ」は必ずしもひとつではない →「本当の自分とは何だろうか?」 所属する集団が増え、同時に各々が持つ「キャラ」も増える →ひとつの集団で複数の「キャラ」を出すことはタブー? *与えられた役割を裏切ること *集団の「和」を乱すこと(空気を読めていない) (※「二重人格キャラ」「裏表激しいキャラ」にでもならない限り難しい) 第3章:「キャラ」による存在の証明と自己実現 多元化と一元化② キャラリング:同一人物が複数の「キャラ」を使い分け、場面次第で顔を変えること。 >>「自己の多元化」と呼べる(瀬沼文彰) 敢えてここで異論をば… 複数の「キャラ」を使い分けることによる「自己の多元化」 ↓ 本来多元化しているはずの自己であるにも関わらず、集団の 中では決まった「キャラ」であることしか出来ない 多元化どころか一元化なのではないか? 多元化の裏に潜む一元化がもたらすもの →平面的なキャラ的人間関係? 第4章:メディアと「キャラ」 「キャラ」を広義的に解釈する 「キャラ化」は決して現代に始まったものではなく、昔から 同じような現象が起きていた? *マーケティング *自己啓発 *就職活動 「なりたい自分」をイメージし、「やりたいこと」をみつけ、オリジナルな 自己を構築すべき、とする風潮 …とまあ、いろいろありますが。 ダニエル・J・ブーアスティン『幻影の時代』第5章を用い、 これでもかというほど強引に「イメジ」を「キャラ」という ものに置き換えて解釈していく、の巻。 「“イメジ”って何?」という方には本当に申し訳ありませんが、 今日は時間がないので後で各自勉強してください。(´・ω・) 第4章:メディアと「キャラ」 「イメジ」と「キャラ」 (1)イメジは人工的に創られるものである。 (2)イメジは本当らしく見えるものである。 (3)イメジは受動的である。 (4)イメジは具体的でいきいきとしている。 (5)イメジは単純化されている。 (6)イメジはあいまいである。 細かいことは省略しますが…(気になる人は私の論文か『幻影の時代』を読んでください) 「イメジ」と「キャラ」は少なからず合致する部分がある 第4章:メディアと「キャラ」 「イメジ」と「キャラ」② 「キャラ」を介した人間関係 >>記号化された、誰にでも当てはまり得る性格や個性でしか 自分を表現することが出来ない 私たちの身体=「メディア」:「キャラ」=「情報」 ↓ メディアを通して他者に伝える情報に間違いがあってはならない 旅行に行く際、カメラのファインダーに収めようとするもの >>ガイドブックに掲載されている写真と同じ風景(であることが多い) ↓ 私たちは「キャラ」に対しても同じ期待を抱いてしまっている。 >>目の前に示されているものと同じでないと安心できない 第4章:メディアと「キャラ」 あの曲がBGMに欲しくなる話。 近年で最もテレビ映りがよく最もテレビ受けのいい政策を掲 げた政治家は? 間違いなくこの人だと言われています。 【テレビを操る小泉手法】 「自民党をぶっ壊す」「三位一体の…」 *一見わかりやすいメッセージ 「ぶらさがりインタビュー」 *あたかも偶発的で公開性のあるように“見せかける” 第4章:メディアと「キャラ」 アメリカ大統領選の有名な話。 1960年アメリカ大統領選:メディアが政治に大きく影響 *テレビとラジオの戦い「テレビがラジオに勝利した」 *メディアに対し高参加のケネディと低参加のニクソン ケネディ *有権者に対し世論調査等を行い対話式の政治に転換 *テレビ映りを気にした ↓ *有権者に対して強くイメージづけることが可能。 *政治に関するメッセージが低精細度であっても、テレビ政 治においてはわかりやすいメッセージとなる (※マクルーハンの話を勉強すると理解度が高まるはずです) 第4章:メディアと「キャラ」 「キャラ化」する政治 「キャラ化」の流れをはっきりさせた政治家→ *電撃訪朝 *電撃解散 *郵政解散に伴う刺客 >>「小泉劇場」と呼ばれる一見わかりやすい政治 >>「サプライズ」に代表されるエンターテイメント性 キャラの立たない政治家、サプライズのない政策 その他キャラ立ちした政治家 *エンターテイメント性 *タレント性 *メディアからの注目度 などなど… 第4章:メディアと「キャラ」 政治の世界でも大きい役割を果たす「キャラ」 *「私はキャラ立ちしすぎている」という麻生総理の発言 *「キャラがないのがキャラ」と言われた福田前総理 *一見キャラ立ちしているかのように見えた安倍元総理 ↓ *「で、あなた結局どんなキャラが立ってるの?」 *「あなたとは違うんです」での遅すぎたブレイク *小泉という強力な後ろ盾をなくした悲しき優等生 「キャラ」という視点を取り入れると3人の総理大臣はこのような 見方ができる。「元来持ち合わせたキャラ」と「メディア戦法」、 この二つが揃ってはじめてキャラ立ちした政治家になれる。 第4章:メディアと「キャラ」 ミゾウユウの事態に迫られるもの 2008年、世界は大きく動いた。 もはや政治に「キャラ化」だの言える時代ではないのでは? ↓ 「キャラ化」の起きる原因 *わかりやすさを求める風潮 *楽しい方に目を向ける傾向 「キャラ」=見る角度で見え方が全く異なる 光が強ければその分影も色濃くなるもの 政治に関するわかりやすいメッセージは大切だが、過剰な 「キャラ化」は逆に国民を惑わせ、物事の本質を見失わせる 原因になるのではないだろうか。 第5章:まとめ ~「キャラ」というプリズム~ 改めて自分が「何キャラ」なのか聞いてみた 毒舌キャラ、時々イタいキャラ、ツンデレキャラ、酒豪キャラ etc… (同族集団なのに何故か一致しない「はっち像」。) 「キャラ」=集団の中での役割 「キャラ」≒目の前にいる相手に対しての役割? 「キャラ」のもたらす作用 *友人同士の競争を回避させ、楽しい時間を共有出来る *自分ではわかりにくい個性を説明しやすくしてくれる *「キャラ立ち」や「キャラかぶり」にとらわれ、人間関係を 逆に構築し辛くすることもある 第5章:まとめ ~「キャラ」というプリズム~ 「キャラ」とは何ぞや? 「キャラ」とは *人によって見方が違うもの *いかにも本当らしく見える *他者からのまなざしによって可視化、可聴化されている <キャラとは、最もリアリティのあるファンタジー> *実際は目に見えないものを追い続ける *日々のロールプレイングの中で「キャラ」を消費する *それが「本当の自分」を探すことに繋がると思い込む 第5章:まとめ ~「キャラ」というプリズム~ 「キャラ」とは何ぞや? 「キャラ」を突き詰める自分探しをし続ける限り、 「本当の自分」というものは見つかることはない *「キャラ」:更新・消去可能 *「キャラ」:誰にでも当てはまり得るもの *「人間」=複製不可能:「キャラ」=複製可能 目に見えるもの、耳から聞こえてきたことしか信じられなくなると、 キャラにしがみつくことしか出来なくなる 「キャラ」としての死を迎えたとしても、 「自己」が死を迎えることはない。 参考文献 相原博之(2007)『キャラ化するニッポン』講談社 瀬沼文彰(2007)『キャラ論』STUDIO CELLO 土井隆義(2004)『「個性」を煽られる子どもたち ~親密圏の変容を考える~』岩波書店 石川准(1992)『アイデンティティ・ゲーム 梶田叡一(1998)『意識としての自己 存在証明の社会学』新評論 自己意識研究序説』金子書房 根本橘夫(2007)『なぜ自信が持てないのか』PHP研究所 有馬哲夫(2007)『世界のしくみが見える「メディア論」』宝島社 D.リースマン(1964)『孤独な群衆』みすず書房 ダニエル・J.ブーアスティン(1964)『幻影の時代』東京創元社 ジグムント・バウマン(2008)『個人化社会』青弓社 森真一(2008)『ほんとはこわい「やさしさ社会」』筑摩書房 森真一(2005)『日本はなぜ諍いの多い国になったのか』中央公論新社 井上俊・船津衛[編](2005)『自己と他者の社会学』有斐閣 上田紀行(2008)『かけがえのない人間』講談社 【参考Webサイト】 kihamu(2008) 現代日本社会研究のための覚え書き――スピリチュアル/アイデンティティ(第3版) http://d.hatena.ne.jp/kihamu/2008/1016/p1 終。 ご静聴ありがとうございました。 (こんなピ●レットを描いても「画伯」とは呼ばれないんだぜ) おまけという名の⑧卒論奮闘記。 反省とか後悔とか発見とか *「毎日少しずつ それがなかなかできねんだなあ みつを」 *3年の時の財産でやってるようなモンだからな… >>資料などは早いうちに集めておくのが吉。時間が迫ると適当になる。 *独断と偏見に満ち溢れたエッセイ化 *もうちょっとメディア論の勉強しとけばよかった…orz >>一見古い話が新しいテーマにも結びつく意外性。文献もっと欲しかった。 *会話や授業、常にアンテナを張ること >>一見関係なさそうなところにヒントが転がってます。(TMPに多謝) *誤字脱字はプリントアウトされるまで気付かない >>提出する前は読みたくない論文。でもしっかり読んで確認しましょ。 それでは、後悔のない卒論ライフを!
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