ポリネシア・ツバルの環境難民をめぐる覚書 ――海外 - ツバルの民族誌

ポリネシア・ツバルの"環境難民"をめぐる覚書
――海外移住に関する言説と現状の乖離――
小林
誠
要旨
本論の目的は、ポリネシア・ツバルの人々の海外移住の実態を基に、“環境難民"をめぐる
議論を批判的に検討することである。ツバルの“環境難民"という問題は地球温暖化に関す
るメディア報道などでしばしばとりあげられてきた話題である。しかし、この問題はツバ
ルの人々がこれまで行ってきた、そして現在行っている移住の状況とは無関係に議論が進
められてきた。本論ではツバル、ナヌメア環礁の人々を事例に、地球温暖化とは何ら関係
のない文脈において海外への移住が行われてきたことと、それが現在においても基本的に
変化していないことを示し、“環境難民"をめぐる言説と移住の現状との乖離を指摘する。
キーワード:地球温暖化, 海面上昇, “環境難民”, 移民, ツバル
ABSTRACT
This paper criticizes the recent arguments on "environmental refugees" by presenting the actuality
of Tuvaluan overseas migration. The topic of Tuvaluan "environmental refugees" has been
extensively covered by the media. However, it has been discussed without considering the history
and the present situation of migration. In the following discussion, I will reveal the discrepancy
between the discourse and the actuality of "environmental refugees" by showing that the Tuvaluans
have been migrating and that the migration is not linked to global warming.
KEYWORDS: Global Warming, Sea-level Rise, "Environmental Refugee", Migration, Tuvalu
1. はじめに
本論の目的は、ポリネシア・ツバルの人々の海外移住の実態を基に、"環境難民"をめぐ
る議論を批判的に検討することである。ツバルの"環境難民"という問題は地球温暖化に関
するメディア報道などでしばしばとりあげられてきた話題である。しかし、この問題はツ
バルの人々がこれまで行ってきた、そして現在行っている移住の状況とは無関係に議論が
進められてきた。本論ではツバル、ナヌメア環礁の人々を事例に、地球温暖化とは何ら関
係のない文脈において海外への移住が行われてきたことと、それが現在においても基本的
に変化していないことを示し、”環境難民”をめぐる言説と移住の現状との乖離を指摘する。
地球温暖化によって気候・生態系が変化し、世界中の多くの社会に多様な影響が及ぶと
警告されて久しい。オセアニアの小島嶼国にとっては、特に地球温暖化に起因する海面上
昇が最も深刻な問題であり、今後、浸水、高潮、浸食などにより、食糧や真水が不足し、
島社会を支えるインフラ、住宅地、各種施設の存立基盤が失われる恐れがある[IPCC 2007:
696]。
ツバルを構成するサンゴ島はいずれも平均海抜が数メートル程度と海面上昇に対する脆
弱性が高く、新聞[e.g. 朝日新聞2007 年3 月19 日朝刊一面]、テレビ[e.g. NHK総合2006
年4 月30 日放映]、書籍[e.g. 石田2007; 神保2007; 山本2008; 正木2009]などの様々な
媒体において「世界で最初に沈む国」と形容されるなど、地球温暖化の被害の象徴[Connell
2003]とされてきた。そうした中で、ツバルの"環境難民"という問題は地球温暖化が人々
の生活に及ぼす被害を測る上で注目を集めてきた。
以下、2 章でツバルの"環境難民"をめぐる議論を人の移動という観点から整理し、その
議論の問題点を指摘する。3 章では、まず調査地であるツバル、ナヌメア社会を概観した
上で、海外移住の歴史と現状の双方から、かれらの移住の理由を検証する。最後の4 章で
はツバルの”環境難民”をめぐる議論を移住の実態をもとに再検討する。
2. 避難民か耐難民か
社会学者の市野川は難民(sufferer)を生活上の大きな困難に直面・遭遇する人という広
義の意味にとり、それを、現在居住する場所から他の場所へと移ることで困難を逃れた避
難民(refugee)、今いる場所から他の場所へ移動せざるを得ないこと自体に困難がある流
難民(exile)、今いる場所で困難な生活を強いられる耐難民(resistant)の三つに分類する
[市野川2007:112-114]。
"環境難民"とは国際法などによって定義された用語ではないが、地球温暖化をはじめと
する環境的な要因によって住んでいた場所から移動を余儀なくされた人々を指す用語とし
て一般的に使われており、市野川の分類における避難民もしくは流難民に該当する。本論
では両者を区別せずに避難民と記述する。ツバルの'環境難民"をめぐる議論は、海面上昇
の影響を避けるために海外へ移住するという避難民型の言説と、"環境難民"になるという
事態を否定し、人々は島に住み続けるつもりであるが、そこでの生活は海面上昇によって
困難になるという耐難民型の言説との二つに大きくわけることができる。もちろん、例え
ば同じメディア報道においても海面上昇を恐れて海外へ移住する者がいると指摘する一方
で、島に残ることを希望する者がいることにも言及するなど両者が組み合わされることも
多く、こうした分類は一種の理念型であることはいうまでもない。
避難民型の言説はマスメディアや環境保護活動家の発言などによくみられる。例えば、
NHK・BS ドキュメンタリー「ツバルの選択高まる移住熱」(2007 年6 月9 目放送)の冒
頭では、家屋への浸水や作物の塩害というかたちで人々の生活に支障が出てきているとし、
将来的には海面上昇によって全国民が"環境難民"になるというツバル政府高官の発言が伝
えられる。同番組によると、それを裏付けるかのように、多くの人々が海面上昇の被害を
恐れてニュージーランドヘ移住し始めたという。また、地球温暖化の被害を訴える環境保
護団体NPO Tuvalu Overview の遠藤秀一氏が出演するTBS・夢の扉「『TUVALU』のこと
を世界中の人に伝えて行きたい」(2007 年4 月1 日放送)でも、"環境難民"という言葉は用
いられないものの、ニュージーランドヘの移住者の「なんで行くかって、海面上昇が怖い
からね。ツバルは海に沈むよ」という発言がとりあげられ、海面上昇によって海外へ移住
せざるを得ない状況においやられたことが示される。
気候や天候といった自然環境の変化や環境問題が,広く人の移動の要因の一つであるこ
とに異論はないだろう[McLeman and Smit 2006]。地球温暖化に関しても最も権威のある
報告書である[気候変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate
Change)]の報告においても,海面上昇に対する適応としての移住について検討されてい
る[IPCC 2007: 708]。しかし、確かにツバル付近の海面はここ100 年間で年間2mmの割
合で上昇してきたことが明らかになっているが[Hunter 2004](1)、現在のツバルでは
未だに海面上昇の被害が明確なかたちで現れておらず、ツバルの人々が"環境難民"である
かどうかに関して慎重に議論する必要がある。例えば、しばしば海面上昇の証拠として取
り上げられる首都フナフチ環礁で起きる海水の氾濫は、海面上昇というグローバルな要因
に加えて、島の地形の人為的な変化というローカルな要因に起因するものである[Yamano
et al. 2007]。また、同じくよく取り上げられる浸食に関しても、フナフチ全体の面積がこ
こ50 年の間にほとんど変化がみられないことから[Webb 2006]、海面上昇に起因して浸
食が激しくなっているとはいえない。さらに、こうした海水の氾濫や浸食でさえも、人々
の生活を直ちに脅かすほど深刻化しておらず、ツバルの人々の間で海面が上昇したのかど
うかに関して一致した認識を持っているわけではない[小林2008]。また、ツバルの人々
は海面上昇という問題をリスクとして認識し、それに対して何らかの行動を起こしている
とはいえない。首都フナフチでの調査に依拠してMortreux とBarnett は、地球温暖化は海
外へ移住する理由とはなっていないと論じる[Mortreux and Barnett 2009]。
一方で、耐難民型の言説は、近年のオセアニア島嶼国の政治的指導者の発言に顕著に現
れ始めている[cf. Macnamara and Gibson 2009]。ツバルでもかつて1990 年代半ばにおい
ては当時首相であったタラケが「全国民の海外移住」という構想を発表し、"環境難民"と
なってしまうことへの危惧を積極的に表明していた[神保2009: 220-227]。しかし、現在
ではツバル政府は"環境難民"への危惧ではなく、「島に住み続ける権利」の主張へと論点
をシフトさせているようだ。例えば、2008 年に行われた気候変動枠組み条約第14 回締約
国会議(COP: Conference of the Parties to the FCCC)での演説で、現首相のイエレミアは、
ツバルの文化とアイデンティティを維持していくことが重要であり、ツバルの人々は移住
を考えていないと主張する。この主張は、他国への移住によって問題が解決してしまうと
いう避難民的なニュアンスを避け、今いる場所での生活が困難になること自体が問題であ
ると定義するものである。
こうした耐難民型の言説は学術的研究にもみられる。前述のMortreux らは海面上昇が海
外移住へと結びつかないことを述べた後に、人々はフナフチに住み続けたいと考えている
と論じる。ツバルの人々は、フナフチやツバルという「故郷(home)」に愛着を感じてお
り、そこで培ってきたアイデンティティや帰属意識、ライフスタイル、家族との関係や文
化などが重要であり、他の場所への移動よりも、そこに住み続けて海面上昇の被害を受け
ることを選ぶという。さらに、「何が起きようとも一生涯ここを離れない」というツバル
人女性の発言をとりあげ、ツバルの人々はフナフチやツバルに今後も住み続けたいと考え
ていることの証拠とする[Mortreux and Barnett 2009]。
こうした避難民型の言説と耐難民型の言説の両者は、ツバルの人々が一生涯同じ場所に
居住し続けてきたという前提にたっており、実際、多くの人々がニュージーランドをはじ
めとする故郷の島の外へ移住してきたという点が捨象されている。ツバルの人々は海面上
昇を恐れて海外へ移住し始めたという避難民型の言説は、これまでの海外移住の歴史の延
長線上に位置づけて考察する必要がある。また、ツバルの人々は島に住み続けたいと考え
ているという耐難民型の言説は、これまで行われてきた海外移住の歴史を考えると、ツバ
ルの人々の生活とは乖離した議論である。特に、Mortreux らが調査を行ったフナフチの居
住者の大半は離島出身者であり、かれらは比較的最近である1970 年代以降に故郷の島から
フナフチに移り住んできた人々である。
それでは、調査地であるツバル、ナヌメア社会を概観した上で、海外への移住を中心に、
かれらの移住の実態を詳しくみていこう。
3. 海外移住の歴史と現在
3・1 調査地概観
ツバルは、南太平洋ポリネシアに位置し、9 つのサンゴ島からなる面積26 ㎢の極小国家
である。人口は2002 年のセンサスで9,561 人であり、その内の9 割はロンドン伝道協会
(London Missionary Society)の流れを汲むプロテスタント系のツバル・キリスト教会
(Ekalesia Kelisiano Tuvalu)の信徒である[Secretariat of the Pacific Community 2005: 15]。
本論が対象とするナヌメアは、首都フナフチの北西約450km に位置する離島で、面積は3.9
㎢、筆者が行った世帯調査によると、2008 年10 月末で人口591 人、120 世帯であった。
ナヌメアでの生活は一見、自給自足的なもののようにみえる。確かに、ココナツ、タロ
イモ、スワンプタロ、パンノキなどの栽培や、漁撈や豚の飼養などといった生業活動は日々
の糧を得る上で重要である。しかし、現在では、伝統的な生業活動の一部は衰退し、食糧
の自給率は著しく低下してしまっている。代わって、米、小麦粉、砂糖、缶詰類などの輸
入食品が人々の生活に欠かせないものとなってきた。
貨幣経済の浸透は比較的最近であり、少なくとも1980 年代以前には島の生業経済を衰退
させるまでには至っていなかった[Chambers 1983]。現在では生業経済から貨幣経済へと
急速に転換しつつあり、食糧品や生活必需品の購入、電気料金の支払い、子供の学校教育、
教会への寄付など目常生活を送る上でも現金が必要である。こうした日々の生活を支えて
いるのが、出稼ぎ移民からの送金である。ツバルの離島平均で、全世帯の約半分がなんら
かの送金を受けており、その内の8 割が一ヶ月に一度以上送金を受給している[Secretariat
of the Pacific Community 2005: 57]。
貨幣経済の浸透は、1978 年のツバル独立以降、援助金の増加や官僚制の肥大化と相まっ
て急速に進行しているとはいえ、出稼ぎ移民自体はイギリスによる植民地支配下にあった
20 世紀初頭にはすでに成立していた。歴史的にみていくと、人々が海外へ移住する目的は
この出稼ぎにあったといえる。次節では海外移住の歴史を植民地支配以降に絞って紹介し
ていく。
3・2 海外移住小史
ツバル(当時エリス諸島)は1892 年にイギリスの保護領となり、1916 年には北に接す
るキリバス(当時ギルバート諸島)とともに植民地となる。保護領化されてから8 年後の
1900 年には、英保護領ギルバート諸島内に位置するバナバ島でリン鉱石が発見され、リン
鉱石採掘にかかわる労働力として早くも翌年の1901 年からツバルの人々はバナバ島で働
き始めている。かれらの大半は成年男子であり、当初は通常2 年間ほど働いた後、ツバル
に帰還するという循環移民であった。バナバ島にいるツバル人居住者は、1907 年には190
人、1912 年に50 人、1917 年に12 人、1926 年に160 人、1931 年には52 人など、年によ
って変動するもののツバルからの出稼ぎ移民が戦間期を通して継続していることがわかる
[Shlomowitz and Munro 1992: 108]。また、1921年以降は同じくリン鉱石が取れるナウル
島への出稼ぎも始まる[Munro 1990: 36]。
第二次世界大戦後になると、ツバルからの移住者数が一挙に増大する。これまでの出稼
ぎ先であるバナバ島とナウル島で働く者が増加する一方で,戦後に植民地行政府が置かれ
たギルバート諸島タラワ環礁が新たな移住先に加わる。また、1960 年代以降には,そうし
た場所に定住する者も出始めた。その結果、1973 年にはツバルの人口は5,887 人に対し、
バナバ島には632 人、ナウル島には619 人、タラワ環礁には1,064 人など多くのツバル人
が故郷の島を離れる状況にあった[Munro and Bedford 1980: 11-12; Macrae 1980: 15]。
ところが、ツバルが独立する1978 年前後から、こうした場所への移住が漸次、終了する。
まず、1975 年にギルバート諸島とエリス諸島が分離し、1979 年にバナバ島のリン鉱石が
枯渇すると、タラワ環礁やバナバ島にいたツバル人が大量に帰還することになる(3)。
それよりかなり後になるが、ナウル島のリン鉱石も2000 年にはほぼ枯渇し、ツバル人出稼
ぎ移民は2006 年に政府が派遣した貨客船によって帰還している。
これに代わって、独立以降は、フィジー、ニュージーランド、オーストラリアヘの移住
者が増加している(4)。特にニュージーランドヘの移住者が多く、同国に住むツバル人
は1991 年には432人、1996 年には879 人、2001 年には1,968 人、2006 年には2,625 人な
ど急速に増加している[Statistics New Zealand 2002, 2007](5)。かれらの中には一時的
な滞在許可によって入国し、婚姻、永住権の申請、さらには不法滞在などさまざまな手段
によってそのまま住み続ける者も多かった。さらに、1987 年のニュージーランドの移民法
で認められていた定住者による家族呼び寄せにより、連鎖的にツバルからの移住が行われ
はじめた[Bedford and Hugo 2008]。2002 年以降には、ニュージーランド政府が認めた年
間75 人のツバル人の移住枠を利用する者もいる。
3-3 海外移住の現状
歴史的にツバルの人々の移住の目的はまず出稼ぎにあった。島での産業が発達していな
いナヌメアでは、島政府(kaupule)関係や生協の店舗での雇用以外には、島内で現金を獲
得する手段はほとんどない。そのため、多くの人々は出稼ぎを通じて貨幣経済に参与して
きた。では、具体的な例をあげて海外移住の現状を描写していこう(6)。海外への移住
者を多く抱える家族はナヌメアでは決して珍しいことではなく、次にあげるフェヌア(7)
家とヨアネ家もその一例である。
事例1 フェヌア家
2008 年にフェヌアの家を訪ねた時、彼女は彼女の娘と2 人で暮らしていた。フェヌアは
1930年生まれで現在78 歳、夫は10 数年前に亡くなっている。フェヌアには子供が9 人お
り、同居している娘を除くとあとはみな男性である。8 人の息子のうち、3 人がニュージ
ーランドに、2 人がオーストラリアに移住しており、2 人がフナフチで政府系の職場で、
残りの1 人が外国船乗組員として海外で働いている。この外国船で働く息子は、契約が終
了するとナヌメアに帰郷するのが常である。2007 年にはこの息子が用意した資金を基に家
の新築を果たしている。フェヌア家の生計はこの船乗りをはじめとする息子たちからの送
金によって成り立っている。
事例2 ヨアネ家
ヨアネ家は村から少し離れたブッシュにある。ヨアネは1953 年生まれの55 歳で、妻も
同じ年齢である。長らく島政府で働いたが、5 年ほど前に定年を迎え、現在は漁でとった
魚を販売するほかは、豚の世話などをして過ごす。夫婦には、男3 人と女1 人の計4 人子
供がいるが、子供たちは現在、ナヌメアにはいない。長男は2000 年にニュージーランドへ
移住し、トマト農園で働き始めた。彼らの働きが認められると、それを頼って2004 年に次
男夫妻が、2008 年には長女夫妻もニュージーランドヘ移住した。ツバルに残るのは三男夫
妻であるが、彼は船乗りで現在、海外に出てしまっている。彼の妻はフナフチにある彼女
の親族の家におり、子供たち2 人は祖父であるヨアネの家で暮らしている。ヨアネは、三
男が帰国次第、
家族全員でニュージーランドに移住する計画だという。三男夫妻を除けば、
もうこちらに子供はおらず、老後に面倒をみてくれる人もいないため、移住した息子たち
から強く勧められたのが決め手になったという。
事例1 のフェヌアの子供たちはニュージーランド、オーストラリア、フナフチ、ナヌメ
アに分散している。普段は娘と二人暮らしであり、たまに休暇のために帰還した外国船乗
組員の息子やその家族も滞在することがあるが、残りの7 人の息子が帰郷することはまれ
である。フェヌアは、子供たちのうちの何人かは島に残って家の仕事をし、何人かは外に
出て金を稼ぐことが望ましいという。こうした発言は彼女のみならず、ナヌメアにおいて
何度も耳にした。このように、世帯の維持を担う者を残す一方で、島外に出てお金を稼ぐ
者を確保することで、ナヌメアの人々は日々の生活を維持しているのである。
フェヌア家の例にもみられるが、出稼ぎの重要性は外国船乗組員として働く者の多さに
も現れている。外国船乗組員は、成人男子に限られ,船上で働き、通常1 年弱の契約終了後
はほぼ全員が帰国するという特殊な形態の出稼ぎ移民である。かれらは、船上という厳し
い条件下で働かざるを得ないのにもかかわらず、ツバル国内での賃金労働と比較して、決
して給与面で恵まれているとはいえない。しかし、現金の獲得手段が限られているツバル
においては貴重な就労先である。さらに、勤務中は衣食住が保証され、港に立ち寄った時
以外には金銭を使用する機会も限られるため、一人あたり月500 から700 豪ドルほどの送
金が可能になるなど実入りがよい職種である[ADB 2007: 14; APNL 社およびTMS 社(8)
の社内資料を基に筆者概算]。2000 年以降、常時400 から500 人ほどが船上で働いており
[ADB 2007: 14; Boland and Dollery 2005]、これはツバルの人口が1 万人程度であること
を考えるとかなりの割合に上るといえる。このように現状においても人々が海外へ赴く理
由の一つに出稼ぎがあるといえる。しかし、ニュージーランドヘの移住が始まってから数
十年経過しており、単純な出稼ぎ移民のみならず、親族関係を通しての連鎖的な移住も行
われ始めている。このことはヨアネ家の事例から読み解くことができる。ヨアネ家では、
はじめに長男がニュージーランドヘ出稼ぎ移民として移住する。やがて、彼を頼って二男
夫婦と長女夫婦もまたニュージーランドへの移住を果たし、さらに、今度は子供たちが老
親であるヨアネらの呼び寄せを計画している。
現在では、親子をはじめとする親族関係を利用して、出稼ぎ以外にも、医療、教育、家
族の介護、親族訪問などさまざまな目的で移住が行われている。移住期間も親族訪問など
の短期的な滞在から、教育や老後を暮らすための長期間の滞在や半永久的な居住まで多様
であり、ツバルとニュージーランドとを行き来することもまれではない。移住者の増加に
伴い、移住先でのコミュニティも形成され始めた。その中でも特に教会が果たす役割は大
きく、ニュージーランドのオークランドにはツバル人のための教会が二つ設立され、移住
者のアイデンティティを維持するための重要な場であるとみなされている。
ここで紹介したニュージーランド以外にも、首都のフナフチやフィジーなどに多くの離
島出身者が居住しており、フナフチでは離島ごとのコミュニティが、フィジーではツバル
人コミュニティが形成されている。こうしたことを考えると、現在のナヌメアの人々の生
活は故郷の島のみに限られるわけではなく、かれらの生活拠点は多極化しているといえる。
こうした移住先と故郷の島とのつながりは、親族ネットワークやコミュニティによって媒
介されており、人々はその時々の社会的・経済的な状況に合わせて、時に国境を越えて柔
軟に居住地を選択することが可能になっている[cf. 須藤2009: 44]。
4. おわりに
ツバルの人々は地球温暖化が問題になる以前である20 世紀初頭から海外へ移住してき
た。受け入れ先の状況によって歴史的に移住先は変化してきたが、よりよき生活を目指す
ための移住という点では、現在に至るまで継続している。ツバルの人々は"環境難民"やさ
らには政治的、経済的な難民ですらなく、受け入れ先の法的、経済的状況を背景に主体的
に移住を選択してきたのである。
もちろん、移住を望まない者も多い。ニュージーランドなどの移住先は気候や経済的な
状況が異なり、そこでの生活は「白人の生活(olaga palagi)」として否定的にとらえられ
ることもある。さらに、移住者は低賃金の非熟練労働に従事せざるを得ず、物価の高さと
相まって、経済的に困窮する例も多いことから、海外での生活よりもツバルでの生活の方
が豊かであるととらえる者もいる。しかし、そうした否定的な意見がある一方で、海外へ
の移住は「成功を探す(halahalamanuia)(9)」行為として肯定的にとらえられることも
ある。ニュージーランドヘの移住は、故郷の島では実現できないような収入を得て、近代
的な生活を送ることを可能にしてくれる機会ともなりうる。こうした経済的な成功を達成
するために子供に対する教育も熱を帯び、フィジーやニュージーランドヘ子どもを送りこ
むことを望む親も多い。
このように海外移住に対するツバルの人々の態度は両義的であるが、いずれにせよ、多
くの人々が主体的に移住を選択してきたことは明らかである。冒頭での"環境難民"をめぐ
る議論に立ち返ってみるならば、ツバルの人々は海面上昇によって海外へ移住するという
避難民型の言説はこうした実際の移住の状況に照らし合わせて再考されるべきである。つ
まり、ツバルの人々は地球温暖化とは別の文脈で海外へ移住しており、海外移住が行われ
ているからといってそれを"環境難民"としてとらえることはできない。また仮に海面上昇
という要因が影響を与えていたとしても、現状では、ツバルの人々の海外移住はこれまで
の移住実践の枠内にとどまるものである。一方、島に住み続けたいのにそこでの生活が困
難になる恐れがあるという耐難民型の言説はこれまで行われてきた移住実践を等閑視する
ことで成立しているといえる。移住先でコミュニティを形成するなど生活拠点が多極化し
ているツバルの人々の現状を考えるならば、アイデンティティの喪失を恐れて移住しない
というMortreuxらの議論を支持することはできない。
最後にそもそもなぜ"環境難民"という問題がここまで注目されることになったのかにつ
いて触れて、本論の結びとしたい。その理由の一つに、日本や西洋世界における「ある地
域には悠久の昔からある人々が住んでいてある独特な文化がある」という固定的で生態的
な民族=文化論[山下1996: 16]がある。これは、ある人々の集団は常にある土地に根ざ
しているという伝統社会のロマン化である。ツバルの"環境難民"という問題は、人々の存
在の前提である土地そのものが失われ、他の土地に移住せざるを得なくなるという二重の
意味で悲劇性を帯び、人々の感情に訴えてきた。
そして、ツバルの人々もまたこの表象に積極的に関わってきた。政治家は、外部世界と
の交渉において地球温暖化の犠牲者である「かわいそう(fakaalofa)」なツバルの人々と
いう自己表象を積極的に活用し、それまでほとんど注目を集めてこなかったツバルという
国を国際社会で認知させることに成功した。また、これまでの研究やマスメディアでの報
道などは、政治的指導者をはじめ首都のフナフチにいる人々のみを対象にしてきており、
かれらはこうした表象のもつ政治性をうまく活用することに長けていることも"環境難民"
をめぐる議論が広く流通した背景にある[cf. Besnier 2009]。
このようにツバルの"環境難民"をめぐる議論は多くの問題を抱えているが、このことは
ツバルの人々が地球温暖化や海面上昇によって被害を受ける危険性を否定するものではな
い。問われるべき問題は、これまで移住したことがない人々が移住せざるをえない状況に
追いやられてしまうことではなく、これまでも移住してきたし、現在も移住し続けている
人々が将来的に市野川のいう広義の難民になってしまう恐れがあり、それに対してどのよ
うな対応をしていくかである。
謝辞
本論のもとになったツバルでの調査では、ミラ(Mila)氏一家やマタウ(Matau)氏一家
をはじめとして、多くの人々のお世話になった。現地調査は、独立行政法人国際交流基金
「アジア次世代フェローシップ・プログラム」(平成17 年度)、公益信託澁澤民族学振興
基金「大学院生等への研究活動助成」(平成20 年度)、環境省地球環境研究総合推進費「環
礁上に成立する小島喚国の地形変化と水資源変化に対する適応策に関する研究」(研究代
表者山野博哉主任研究員国立環境研究所)(平成20 年度)によって可能になった。ここに
記して深く感謝申し上げたい。
注
(1)ツバル付近の海面が上がっているのかといった点に関しては科学者間で論争がある
ことも付け加えておく[cf. Eschenbach 2004]。
(2) ツバルをはじめとするポリネシアの小島嶼国は、MIRAB 社会と形容されてきた。
MIRAB とは、移民(Migration)、送金(Remittance)、援助(Aid)、官僚制(Bureaucracy)
の頭文字からとったもので、旧宗主国を始めとする先進諸国へ多数の移民を送り
出し、移民からの送金が本国の人々の生活を支え、また、先進諸国からの経済援
助が国家財政を支え、肥大化した官僚制度が援助の公式・非公式の分配装置とし
て機能する社会である、とされる[Bertram and Watters 1985]。
(3) 帰還者数は1974 年から1979 年にかけて1200 人ほどと推計されており、その多く
が新たに首都と定められたフナフチヘ移ることになる[Wit 1980: 59]。
(4) また、独立によって新たにフナフチが首都として整備されると海外や離島からの人
口集中が進んだことも併せて記述しておく。
(5) 報告者が聞き知っている範囲では、フィジー在住のツバル人は教育や医療を受ける
ためや官僚の出張など短期間の滞在が多く、オーストラリア在住者はニュージー
ランドから移動してきた者が大半でその数は比較的少数である。
(6) 本節は著者が2006 年4 月から2007 年3 月、2008 年10 月から2009 年2 月にかけ
てツバルで行ったフィールドワークに基づく。
(7) 仮名。以下同様。
(8) APLN 社(Alpha Pacific Navigation limited)とTMS 社(Tuvalu Marine Service)は
フナフチにあるドイツ系の海運会社の代理店である。
(9) Manuia はここでは「成功」と訳したが、たぶんにキリスト教的な「祝福」という
コノテーションをもあわせもち、また「幸運」とも訳せる概念であることをここ
に補足しておく。
引用文献
ADB. 2007. Tuvalu 2006 Economic Report: From Plan to Action. Asian Development Bank.
Bedford, R. and G. Hugo. 2008. International Migration in a Sea of Islands: Challenges
and Opportunities for Insular Pacific Spaces. Population Studies Centre. The University
of Waikato.
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石田進2007. 『ツバルよ浮沈島を築け! -地球温暖化で「沈む国」へのエール』芙蓉書房
出版.
市野川容孝2007. 「難民とは何か」 市野川容孝・小森陽一(共著)『難民』岩波書店.
小林誠2008. 「「科学的」な言説の受容の多様性―ツバルにおける海面上昇の語りを事例
に」『日本オセアニア学会NEWSLETTER』90:1-11.
神保哲生2007. 『ツバル―地球温暖化に沈む国』(増補版)春秋社.
須藤健一2008. 『オセアニアの人類学―海外移住・民主化・伝統の政治』風響社.
正木明2009 『ツバルの夕暮れ―沈みゆく島国の子供たちからのメッセージ』青幻舎.
山下晋司1996. 「序南へ! 北へ! ―移動の民族誌」『移動の民族誌』岩波書店.
山本敏春2008. 『地球温暖化、しずみゆく楽園ツバル―あなたのたいせつなものはなんで
すか?』小学館.
その他
朝日新聞「温暖化の波沈むツバル」(2007 年3 月19 日朝刊一面).
NHK 総合NHK スペシャル「同時三点ドキュメント第四回『煙と金と沈む島』」(2006 年
4 月30 日初回放映).
NHK・BS1 BS ドキュメンタリー「ツバルの選択高まる移住熱」(2007 年6 月9 日初回放
映).
TBS 夢の扉 「遠藤秀一『TUVALU』のことを世界中の人に伝えて行きたい」
(2007 年4 月
1 日初回放映).
初出:小林
誠
2010 「ポリネシア・ツバルの“環境難民”をめぐる覚書――海外移住に関
する言説と現状の乖離」
、『環境創造』、大東文化大学、13 巻、pp. 73-84。