シメオン ・ ポロッキイの青貝文詩篇 「ー43」

シメオン・ポロッキイの韻文詩篇「143」
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シメオン・ポロッキイの韻文詩篇「143」
-16世紀散文詩篇との比較において-
中 揮 朋 子
はじめに
本稿では、シメオン・ポロッキイによる「詩篇143」を文体論の観点から分析する。
ロシアにおけ
る新しい詩形式をめぐる論争が18世紀に起こったとき、三名の詩人たちが「詩篇143」をそれぞれ
でさまざまな韻律形式のテクストに翻訳し競った有名なエピソードがある(1)本稿ではまさしくこ
の「詩篇143」を題材として選んだのであるが、ここであつかうのはこれら三名の詩人たちのもので
はなく、その少し前の時代、すなわちいわゆるロシア・バロック(2)の黍明期としての17世紀のそれ
18世紀の詩人たちの「文学」テクストに寄せた言語観をさぐるためにも、少しだけ時代を
である。
さかのぼることにした。
シメオン・ポロッキイの「詩篇143」(5)
1.
BjiarocjiOB牀HT> rocnoflb 6orも, PォaもHav^aAM
主なる神は幸いなる哉 わが手を
Mom Ha 6oiを, m nepcTbi Ha SpaHb HacTaBJiAA員・
戦へと 争いへと教え導くところの神
oHt Moe npM6もⅩH甲G, MMJIOCTb, M36aBMT牀JIb,
神はわれが依るもの 慈悲であり 救済者
o肌MOM 3aCTynHKK B 6paH叫M CKOp 3aipMTMT牀JIb.
神は戦でのわが盾 わが守護者
HaHero a3t oynoBaxi: oh mm noKoplAsrh eon,
神はわが民をわれに従わせ給ふ
JIIOflM MOA, M BOXfla MMT> MA COTBOpMJIl eCTfa.
われを彼等にとりての指導者とせむ
Boace, ito ecTb qejiOBもKT>, f&KW TbI OHOMV
神よ 人とはなにか 汝が人にたいし
flajn> ecu Te6e 3HaTM, c'J ipl^ MepTBCHHOMV;
そが死すべきものとしらしめんならば
HJIM HTO CbIHT> H牀JIOBもm,, fjucw ero mtmui叫
あるいは汝がそれを敬うのならば 人の子は
qeJiOBもKもecTb no只06em cvgtも, CaMT> 3PHIIIM:
人とは虚であるとしる
脚ie erw, kikw cもHb CKOpW npeTEKaiOTl,
その日々の闇はすぐに消えさらむ
ji%Ta,飽KO2C6 w6jiaKl, MIイmw npe∬もTaiOTも.
年月は雲がすぐに流れてゆくかの如く
Focn0月M CKJIOHM H6DO, ChUIE月蝣b ropaMもKOCHKCA
主よ 天をたれてくだれ
Aa BO3flfaIMATCA, CTpaiUGH B MOJIHIMXもKIBMCA.
山は煙を吐き 雷のなかをいでよ
DJiecHIA, a HGHeCTMBfclX13 nojiKM pa3xeHeniM,
閃光を放ち 敵をちらし
216
nocj川CTpもubi octdwa, a Bpara CMATeuH.
鋭い矢を射 敵を狼狽させよ
nocjiw p"tフKlフTH CBblUie, M3MM MA, M36aBM
上より手をさしのべわれを救い 解放し給へ
w BO只mhcof, M3 pVKt nWac只mx, CBoSoflHa nocTaBM.
大水から 異人の手から 自由を与え給へ
Mxxe A3faiKt cVerV MHorv rjiarojiauue.
かれらの舌は多くの空言をかたり
M CHJia IイXも, Aecmma HenpaBOCTM OAine.
かれらの力は正しくなく 偽りの右手なり
60:ace, nもCHB HOBg TC6もMMaiVTb BOCIlもBaTM,
神よ 新しき歌を汝のために歌わん
flecATOCTpVimy中anTwpもnepcTti npeSwBaTM,
十弦の琴に指をふれて
cnacaioip V tm uap叫M MEH6 M36aB皿uIg
汝は王たちに救いをあたえ われを解き放ち
u> Mena jiioTa, cmjiV bt> no6軸V naBLug.
M36aBM MA, M3MM MA M3 pVICb JI耶en CTpaHHbix,
tv xy皿em'A MHora, oycTもHC",6V3flaHHbIXも,
残忍なる剣からの勝利を与え給へ
われを救いたまえ 異人たちの手から
多くの非難から 勝手気ままな口から
MXT> 60 Å3wkt> cVetV mhofV niarojiaiue,
かれらの舌は多くの空言をかたり
m cwjia mxi, ^ecmma HerlpaBOCTM 6Aue.
かれらの力は正しくなく 偽りの右手なり
MXl。 ace
われらの男子らは新しく植えられし草木の如し
chhobc, aKW HOBOCaXflCHl A,
BもIOHOCTM CBOGK nOJIHM BCC*!プKpanieHi A.
Mxxe叩epM OJIMCTaiOTもSも∬w oy-floSpeHHbi,
若い折には完全なる華美に充ち
女子らは施肥され たいそうけうら塩く
tztKiv xpaM KpacHOi;BもTHbl萌jrbnw oyKpaineHHH.
美しき色に飾られた神殿の如く
xpaHMJiMipa Mxt nojiHa,只axe wptiraioTt:
蔵は一杯に満ちたりん われんばかりに
OBIIbl MXTj MHOFOnjI0月Hfai Ha nojiAxt MrpaioT,
子どもの産まれた羊たちは平原を駆け
MHCOKa甲ecA b thcA甲bl, BO C130】HXI MCXO油x,
しまいには ちよろずの子が産まれん
Becejii'e TBopAipe只epacaipbiMt, w njioJlもXI.
われらは産まれし羊たちを慶ぶ
BOJIOBE MXl cVTb TOJICTM, CTもhh Henaflaicm,,
牛たちはよく肥え われらの巷には攻め入られぬ
npoxofla HMKOMyxe oysoSHa noflaiorもI
誰にも都合よき道はあらびず
B CTOFHaXl. HXT> Dbl只ame m bomb hc OHBaeTも1
大通りには働巽や悲鳴のなきように
BCAKもCMqe xmbV甲HA SjiaXEHHW BもuiaeTも.
須らくかのように生き 幸いの詞をいう
ho bo npaBfly SjiaxeHMM Jirofli'e SbiBaiOTb,
正しき神を真の神として知るところの諸人は
hxc oora npaBaro 3a 6ora cm 3HaK>TT>.
真実のなかにあらん
このテクストは全部で42行から成っており、一行の音節数は13で統一されているいわゆる13音
節詩TpwHa,榊aTMCJIOXHMKである(4) 。 なかにはnoc.w
cm BAbl OCm
a epaza CMAmauu.
といったよ
うに子音反復的な効果ももちあわせている一節も見つけることができる。
音韻論的には、 w eo∂ MHCOr, U3 p^KT, 。 g∬dux, ceo60∂na nocmaeu. や、 uxTiOKE CblHOSe, f&KUJ
HoeocajK∂cuiA, Hx- ou dAucmammMbAW oydo6peHHu,やまたMHO∬a甲ecA e mucA甲w, eo ceouxも
シメオン・ポロッキイの韻文詩篇「143」
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ucxodbx,などといったように、CJiaBHHM3Mのかたちで用いられているものが多くある。
テクストのなかで用いられているそれぞれの単語の品詞を判別し、どのような品詞でテクストが
構成されているのかをまず調べた。
そのうち主な品詞として動詞・名詞・形容詞を例にとりその数
を数えてみると、動詞57・名詞79・形容詞26である。
ここで注目すべきは、名詞の数に対し形容
詞が少なめで、なにかを形容するさいに形容詞を用いるのではなく、 oht>Moe n
IIOt. Ml lI
e, MUAOcmb
u36aeumeAb,l oht> mou 3acmynnuK e 6panu, u ckop 3aipumumeAb. 、 U CUAO UX-b, ∂ecHU. ua Henpaeocmu
6/Mue. 、 XpaHUAU甲a uxt> noAna, ∂aotce w
uzawmt:といったように他のあらゆる品詞を用いてその内容
を形容し、描写していることである。
文の構成はきわめて複雑で、たとえばEAazocAoeemzocno∂b6oz-b,pS}u,inaV。
nepcmuna6paHbnacmaeAAAu.
aAulMouHa6ou,u
といった具合に、名詞とそれに係る形容詞が群れているが、これは
韻文をつくるさいのMMBepcMaの結果であるといえる。
また、詩行のまとまりは偶数で構成されてい
これはおそらく、二行詩に似た形式で文が構成されるようにつくり、韻律の規則性の高さを狙
る。
った結果であろう。 そのさい、たとえばdHieezco,ftiKCOcimcheopconpemexawtm,/Aima,Wikodkc
(06acikもmumconpeAbmatomi.
や、またはMxxed甲epu6Aucmawmも∫bJl伽Oyd06p牀HHU,l飴kcoxpaM
Kpac〃Oue孟niHuuAbnαoyKpaiue〃HU.といった、対となる二行の詩行において、その文の構成要素でさ
えもが一致するものも認められるほどである。
また、全体数42の詩行のうち、83%にもあたる35
行が動詞で終わっている。 動詞で詩行を終えるさい、往々にして文法的成分の一致rpaMMaTMHecKan
pncJ)Maが見られるのも興味深い。 じつは、これは17世紀の詩ジャンルについて考察するさいに最も
重要なある現象と深く結びついている。
パンチェンコによれば、17世紀の詩の形式など全体的に
「文学」としての「詩」そのものが変化(あるいは進化)していったのには、音節詩や言語の
nOJIOHM3Mのみならずロシアにもとから存在していたフォークロアや民衆の文化が、とくに道化師
CKOMOpOXが大きな役割の一端を担った(5)○そうしたなかで、いわゆる当時のロシアの香具師であっ
つまり、文章の最後
た、のぞきからくりのよびこみ口述paeniHMKの影響がここにも関係してくる。
を動詞で終わらせるのがかれらの押韻のおもな方法であり特徴である(6)。
語嚢を見たときにもっとも特徴的なのは、ひとつの対象をさすのにさまざまな単語が用いられ、
言い換えられている点である。 たとえば6021-npu6boK岬e-MUAOcmb-u36aeumeAb-3acmynnu㌃一一一
3叩umumeAb、6ou-6pa.
Hb^。g∬du. ㌃-AH)∂eucmpaHHUxなど。
最後に、このテクストで用いられている語嚢のなかでももっとも特徴的なのはその語形成法であ
この詩篇のなかでは、見事なまでに接頭辞を用いた単語が多く用いられている。
る。
たとえば現代
ロシア語におけるHe-という否定を意味する接頭辞は18世紀によりいっそうの拡大をみせたとされ
ているが、この詩篇においてもILC。 ecmueuxt、壁npaeocmu、H牀(06V3daHHHXb、nenadcuormといった
ものを見つけられる。 ほかには旦pusaionn、旦些nbeamu、旦匹meicaiorm、npeAimamrrnなど。
特な語形成を見せている単語もいくつか用いられており、HO60CO.
また独
DICd」HlA、旦旦∈VKpaiueuiA、
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KpacHOu,e占mHuiiといった形容詞と名詞の組み合わせから成り立つ単語が18世紀よりも前に用いられ
ていたことは興味深い。
acHocnaB只HM3Mである(7)。
シメオン. ポロッキイの詩の言語の特徴はIIOJIOHM3Mとl。
このロシア・
数にすると200以上も
バロックの時代に「もっとも多作の宣教師はシメオン・ポロッキイであった。
あった修辞学の規則によって書かれた説教のテクストのなかで、シメオン・ポロッキイは人々を感
動させるようなテーマに、人生の意味をもつようなテーマに着手していたのだ」とカムチヤトノフ
は述べているのである(8)。
16世紀の散文詩篇143
2.
詩篇はこれまでにも多くの詩人たちによって改作が行われてきた。
ロシアにおける詩篇の歴史は
古く、コンスタンチノス-キュリロスとメトデイオスが古代教会スラヴ語を考案したさいにその言
語に訳されたテクストのひとつで、スラヴ人たちのあいだに広く普及した。
中世のロシアでは詩篇
は教会の勤行のためのみならず、読み書きの教科書として用いられもし、また多くの「文学」作品
に引用されるテクストでもあった(9)改作はおおむね17世紀以降から盛んに行われるようになり、
n.スマロコ7、r.p.デルジャーヴインな
18世紀のM.B.ロモノソ7、B.K.トレジアコフスキィ、A.
どによるものがしばしば話題にのぼるが、なかでもやはり17世紀のシメオン・ポロッキイの改作は
きわめて重要であろう(10)。
本稿の題材として選んだシメオン・ポロッキイの「詩篇143」は、1680年に発表された『韻文詩
篇』(ォIIcajITMpbPMCpMOTBOpHaHサ)に収められている詩篇の改作である。
その元となるテクストはこ
れまでJanKochanowskiのそれであったという説が主流なものであったが、諸星和夫はこれを再考
しなおし、底本は「17世紀前半、グダインスクのビューネフェルトによって出版され、カルヴァン
派を中心に、当時共和国全土で採用されていた統一的な讃美歌集」(ll)である可能性を示している。
しかし、ここでは「文学」のための言葉としてシメオン・ポロッキイはどのような意図をもってい
たのかについて考えたいので、彼が著作を著す前のロシアでおそらく広く普及していたであろう
ここに「143」の全文をそのまま提示する。
1581年の詩篇テクストを少し見てみる(12)。
BjiarocjioBCHもrocnoflhmom,Haoynaa蕗ptP赫momHaonjiもHCHie,npもCTfelMOaHaSpaHb.
MHJIOCTbMOAM
IIOKMH^a崩
npn6もXHipeMoe,3acTynHMKtmommi36aBMTe皿蝣bMOM,3anipMTMTejlbMO員mHaHfeoynoBaxも.
rocno岬,MTOeCTbqjIOBもKt,&koCKa3ajicaccmeuV,jimcmmMJIOBもtb,f&KO
JIK>脚moAnoflT>ma.
BMもHJh崩;qnoBもKもCVcTもoynofloSMcA只Hieero&kocもHbnpex0月ATb.
rocnoflMnpeK皿ohHeSeca,m
BjieCHMMOJIIHIA,Mpa32CfleHeniMMX.
nOCJIMCTptjIblTBOa,M
cI川月M,KOCH班caropaMT3MBl胡bIMATCA.
IIOCJIMp"tフK"t?
TBOK)CBfalUie,M3MMMAMi36aBMMA可BOAMHOFb,Wp^KICblHOBT)H'cJacMXも.
CMVTMLUMMX.
HXもaceoycTarjiarojiauiAcWeT^?
BoxenもCHbHOBl*?
BもcnoioTe6も,Bも
,MfleCHMIiaMXもflecHimaHenpaBflti.
シメオン・ポロッキイの韻文詩篇「143」
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中CaJITbipMfleCATOCTp^HHもminoioTe6もAaI叩cm'QcnacemeLiapeint,M36aB皿Ax,甲CM9月aB耶a
M36aBMMAMi3MMMAM3p'o'KHCtlHOBも-XMXもMxxeoycTa
pasacKoero可op'o'jKiA皿K>Ta.
MxもXCCblHOBEKXT>filKOHOBOCa>KfleHa,B-っ
rjiarojiaiuAcVeTy,mflecH岬aMX只CCI川qaHenpaBflbi.
XpaHMJi叩A
flpwaceHabt>iohoctmcbog臥岬epAmxio押oSpeHH,npeoyicpanieHbiKlkonoflooi'eijpbKiBe.
OBpAMXMHOrOILJI0月Hbl,MHOXaipaCABIMCX0月MipblXもCBOMXもI
MXHCnOJIHb,玩pwraK叩AwceAKもOHy.
B-bJIOBeMXTOJICTM,HもCTbnafleHi'ArpaflexV,hmnpoxofla,hmBonjiAbiCToraaxi.
mx. oyjiaxnmAjik>且i'e
SjiaxeHMjironi'ekmxerocnoflbSonmxt>.
HMもxeci'AcyTb.
ここに示したテクストの意味内容はシメオン・ポロッキイによるそれとほぼ等しいのだが、まず
「詩行」として一行一行にわけられて記されておらず、むろん韻文でつくられてはいないので音節の
数や押韻が整えられたリズミカルなものには仕上がってないない(13)。
また誇張した比喰表現なども目立ったものは用いられておらず、一見ほとんどが同じ語嚢で構成
されているようにみえるが、つぶさに見てゆくとそれぞれのテクストを個別に眺めたときとは異な
そこで、それらの違いを少しでも明確にするために、このテクストとシメオ
る印象を受け得る。
ン・ポロッキイのテクストとを便宜的にCTpCゆaに分け、それぞれ対応する箇所を探し、あてはめな
がら対置してみると次のようなものができあがる(14)
3.
韻文テクストと散文テクストの対置比較
CMMeoH IIojiolikmm(1680)
I.
II.
El.
IV.
OcTpoxcKaa 6m6jimh(158 1)
Bjiaroc皿OBem. rocnoflfa 6ort, pVijもHaVtiaA炭
Ejiaroc皿OBeH-brocnoflbmo員,HaoyiaafipV姉
Mom Ha 6OS, m nepcThi Ha 6paHb HacTaBJiAAi左・
momHaonjimeHie,npiCTMMoai壬aopaHfe.
oht. Moe npw6も2CMipe, MMJIOCTb, M3DaBMTejIb,
MMJiocTbmoamnpn6もⅩ叩eMoe^ac--nHMKi
OHt MO員3acTynHKK b Spami,班CKOp 3a甲MTMTejIB.
MOMMi36aBMTejIT,Mo員,3a甲班TMTEJIbMo員,H
HaI子ero a3もoynol】axi: oh mm noKopMJiT) ecTb
HaHboyncmaxt. IIokMHgaii岬叩MOA
JIIOflM MO人, M BOXfla MM! , MA COTBOpHJIt GCTb.
noniっMA.
Boace, hto ecTb qejioBもKも, f&KW TbI OHOMg
rocnoflM,htocctbhjiobもKT>,f&KOCKa3ajl
jiajn> ecM Te6e 3HaTM, c";プ甲S? MepTBGHHOMV;
caeciイeuSJ,JIMCblHlqjIOBもMb,ftlKO
MJIM HTO CW肌mejiobもm>, Sikw ero mtmuim;
BMもHSIAiiimm;
もki ecTb no只oSeHt cVeTも, caMi, 3pMinn:
ffHie erca, fziicw cもHb ckodw npeTeKaioTt,
・JIOBもKT>C'tフcTもoynofloS班CAAHi'eero
&KOCもHbnpexoJa;ATb.
JIもTa, f&KOxe w6naKもMMmw npe∬hTaiOTも・
V.
TocnoAM CKJIOHM He60, Cl,inefli ropawra. kochmca
rocnoflK npeKJioH Heoeca, nォ川ォM,
220
Ⅵ.
VH.
fla B03JHblM/kTCA, cTpaUIGH B MOJIHl班X,t KLBMCA.
kochmcaropaMtmb′b3月HMATCA.
6皿echm, a He^ecTMBtixもnojiKM pa32ceHeinn,
Bjigci川MOJITjHIA,班pa33KfleHemi…X.
nOcJIM CTDもjifci ocTpwA, a Bpara cmatgium.
nOCJIMCTpも皿HTBOa,MCMVTMIIIMMX.
noCJIM PVKV TM CBblHie, H3MK MA, M30aBM
IIOCJIMp¥JK^TBOK)CBblUIE,班3MMMAM
可BO月MHwr, M3 dVki> qVac月mx, cBo6oflHa nocTaBH.
i36aBMMAwBO月MHOrb,印pyK,ら
cblHOBもWJK珂XI.
LHxxeA3bIKT>C¥フeraMHOrVrnarojiauie,
・xtxeoycTar皿arojianiAcSフcrt?
,mAecmma
MCMJiaMXlっ,月ecHMqaHerlpaBOCTM6Ame.
MXT>AecmmaHenpaBflbi.
フTe6もMMaMlっBocirbBaTM, BoxenもCHbHOBVBl,cnoK)Te6も,Bt
K. 6oxe,nもCHbHOBl!
fleCATOCTpVHHV中ajiTMptnepcranpeSuBaTM,
¥│/cajITbipHfleCATOCTpVHHもMもnoioTe6も.
X.叩yTMU(apM,MMGH6M36aBJIUiy
flaioipeMVcnacemeijapeMも,M36aBJIAroipein't?
wMenanioTa,cmjiVbt>n06もiivnaBin's?
flaB叫napaSacKoerowopVaci'AjiroTa.
.
XLM36aBMmA,M3MMMAM3pVldJIK)flC員CTpaHHHX, M36aBMMAMi3MMMAM3D*! JKH
wxyjiemAMHora,oyCTbHewS^sflaHHHXも,
CblHOBlqVxHXも.
MxxeoycTarjiarojiaiuA
MXT>60Å3bIKtCVcT^JMHort?rjiarojiaiKe,
cweTw,mflecHMqamx月commaHenpaB恥T.
MCMJiaMXT>,月ecmmaHenpaBOCTM6Aue.
XLMxtacecbmoBe,akwHOBOcaxflemA,
Mxtxe CHHOBe mxt> 1&ko hobo caxA6Ha,
bt>kdhoctmCBoe炭nojiH班BceVKpaineHi'A.
Bt flpyxCHaBt HDHOCTM CBOG員.
Mxxe岬epwDJiMCTaiOTもSもJMO押OSpGHHbl,
月甲epA mxt> oyfloopeHH,
KnewxpaMKpacHoijBもTHbl貞jiinwoyKpaineHHw. npe
oy-KpameHbi ratco n0月ooi'e qpbKもBe・
M.xpaHMJiMipaMxtnojiHa,ォaxewpuraioTT,:
XpaHMJIMip A MX MCnOJIHb,可puraioiii A
OBqbikxt>MHororlJIO月hmHanojiAxもwrpaioT,
wceAK-3 OHV. OBIJA班x MHoro njio月Htl,
MHoacaqiecAbTbicAipu,bocbomxもMCXO赫x,
MHOXa甲aCA BT> MCXOflM甲bIXT> CBOMXも.
BecejiieTBopA甲e耶PXa甲bIMt,WnjIO,油XI.
XIV.
BOJIOBEMXtCWTbTOJICTK,CTもhhHenanaiOTb,
BtJIOBE I寸X TOJICTM, HもCTb nafletfiA rpaflexw,
npox0月aHHKOM^フaceoysosHano^aioTi.
hm npox0月a, hm BonjiA bもCTorHaxt mx.
bcToraaxもMxt>ptiflamemBonutHeObiBaeTも,
BCAKtCMIieaCMB^プ甲blA6jiaXeHHHBもiiiaeTt.
XV.
oySjiaxnuiA Jirofl'ie hmixc ci'A cVTfe.
hobonpaBflV6jiaxeHMMjiio月ieShiBaioTt,
ojiaxemM沿月Ie MMace rocno恥6on> mxt..
MaceooranpaBaro3a6oracm3HaioTB.
さらに具体的な相違点を明確にするため、とくに次のように範噂分けをおこない、もっとも顕著
な異なる部分を取り上げまとめると、次のようになる。
比較のさいには、シメオン・ポロッキイの
シメオン・ポロッキイの韻文詩篇「143」
221
テクストを基盤とし、二つの単語を対置してあるものは、左側をシメオン・ポロッキイのテクスト
から、右側を1581年のテクストからのものとする(15)。
a)双方のテクストに同じ品詞で用いられているが、文法的な形が異なるもの
nanezo-uanb(n:、nwed-bCHUdu(V)、mu-(vn)、uMaMTjeocnheamu-etcnoio(K)、
]decAmocmpS^HHiMT)(K)、daeiu'J-∂aK'甲」*tf(X)、u,apu-u,apeM-b(X)、
decAmocmp'^HH'J-e%[...
6AaDK」HHuebiuaem-ーoy6Aa∬UUl/K(XV)
6)同語根が別の単語(あるいは別の品詞)で用いられているもの
CKAOHUnpCKAOH(V)、nenpaeocmu-nenpaedu(m、ⅩI)、noeocaxdeui'A-Hoeoca∬dena(HI)、
noAHd-(XI)、MHOZOUJIO∂HUMHOZOHJIOJ(M)、6Aa3K牀HHUetiuaerm-oyffAaoKuiuA
XV
B)同じ内容を別の語嚢で表現しているもの
ua6ou-naonAweme(I)、Eooice-zocnodu(m)、caM b3puiuu-oyno∂06uc/¥(IV)、A3UKT,OfCTa
(Ⅷ、ⅩI)、wMeua-vjopQoiciA(X)、cua^e-bnofftdg-∂aeu∂apaSacKoezo(X)、,W∂cii
cmpaHHu--CblHOe-・JoKUXT,(XI)、see^KpaiueHiA-e-bd^p^DKEHae^(XII)、Jun伽oyicpaiueHHH
npeoyicpauteHU(HI)、cmbnunenadawm-rHtcmbna∂em/Kzpadc∬蝣tfCSV)
r)シメオン・ポロッキイのテクストにのみ用いられているもの
](II)、bookda-[otc. 】n、Abma-【OTC](IV)、^hfCONC
uacmaeAAAu-[otc](I)、CL3-b[OTC.
(06AaK-bmumconpcAtmatonrb-c](IV)、da-[otc](V)、cmpaiueH-[otc](V)、theucA-[otc]
(V)、H牀Hecmueux-b-[otc](VI)、nOAKU[OTC. ](VI)、ocmpuA-[OTC](VI)、epaza-[otc](VI)、
ceosoduanocmaeu-[otc](W)、6Aiue-[otc](W、ⅩI)、6AucmaK>m-b-[otc](XII)、siaw
[otc](xn)、∂a∬e-[otc](an)、emucA甲ォー[OTC](Xffi)、c'Jmb-[otc](那)、HUKOM^DKe
[OTC](XIV)、pbLdante-[otc](XIV)、neffueaenn,-[otc](XIV)、6ueawnn-[otc](XV)、80
npaedtf-[OTC](XV)、npaeazo-[otc](XV)
絶対的な分量が増えていることもあるが、シメオン・ポロッキイのテクストにおいて初出の語嚢
なかでもJuuやmuといった代名詞からS占ACOやJl孟na)といった副詞にいたるまで、あらゆる
は多い。
品詞の単語にスラヴ語の要素を持つ単語の使用が多く認められる。
なかには、音韻論的にみた場合、
1581年のテクストにおいてはH^DKUXtであるのにたいし、ポロッキイのテクストにおいてiS^DKdux
これは子音にかかわる現象である
といったように、よりC皿aBHHM3Mで用いられているものもある。
ので、詩の形式とはまた別の観点からみた場合のひとつの「文体」の特徴としてきわめて貴重な事
またシメオン・ポロッキイのテクストにおいては、6Auieが二度も用いられている。
この
実である。
HMnep<J>eKTの形は、1581年のテクストにはひとつも見つからず、1581年のテクストと比較すると、
222
ポロッキイは複合形の過去形・未来形も含め、より頻繁にいわゆるSblTM動詞を用いているので
また、綴り字に関していえば1581年のテクストの方がnepcmbi-np-bcmu(Iといったような、入
れ替えnepecTaHOBKaが生じる前の綴り字で、すなわち多くの場合、古い形で用いられている。
また
803duMAmc/K8-b3∂MMAmcA(VII)、eocn孟eam抄-(K)からは、o<-という音韻の歴史的な
<Jx∂uxという綴られ方は、
変化の結果がみてとれるが、そうであるならば前述のポロッキイによる。
よりいっそうポロッキイのテクストでも目立つひとつの特徴ということができるかと思う。
詩篇の構造・構成のもっとも顕著な特徴は「繰り返し同じフレーズが用いられる」(16)ことや
句法」だとされる(17)が、双方のテクストにおいてもやはりそれは当てはまるOシメオン・ポロ
イは、「詩篇」としてのテクストをまったく無視してしまうのではなく、神や信仰にたいする
規律のようなものをおそらく保ちつつ、それを「書かれたテクスト」としての「規範」を解体
く、「韻文」テクストへと改作したのであろう。
4.
17世紀における詩篇改作の意義
ポロッキイの「詩篇143」のテクストをこうしてつぶさに見てみるといくつかの疑問が生じる。
神
-の侮蔑なく、つまり宗教的なテクストの主題を変えることなくいわゆる「文学」テクストたら
用いられている語嚢や語形に共
めんとして構成しなおすことにはどのような意味があるのだろう。
通点も多く見られるのに、なぜこれをあえて「韻文」に「翻訳」する必要があったのだろうか
ポロッキイは詩篇の改作テクストの文法体系や語糞にもCJiaBHHM3Mの要素を多くのこしている
じつはそれは、完全なる古めかしいものなのではなく新しい言語体系や「テクスト」へと向か
17世紀に普及していたMejieTM貞
期的な「教会スラヴ語」の存在をわれわれに提示している。
Cmotp叩K班員の≪CjiaBeHCKaarpaMMaTMKaサ(1648)のなかでは、文法的なあらゆるカテゴリーの
そしてこの書物
ゆる形は、当時の教会スラヴ語の高尚な文体における「標準性」を有していた(18)。
に書かれていた事項のほとんどが、ヴイノグラードフによれば、当時のモスクワにおける「書
たテクスト」の「文体」の新しい流れであり、まさしくそこがヘレニズムースラヴ語の文体の
者たちとラテン文化や南西の教育を庇護していた聖職者階級の高位にあったモスクワ「西欧主
キエフ-モギラ・アカデミーで学んでいたシメオン・ポ
とが近づいていった場所なのだという(19)。
ロッキイはモスクワに出てきてから自分自身の「言語」を洗練しようと模索していたとされ、
事実はポロッキイ自身が『リフモロギオン』≪Pj14)MOJIOrMOH》(1679)の前書きでも韻文形式
しており(20)、すなわちポロッキイのテクストにおけるcjiaB兄HM3Mはじつはモスクワで当時生
殊に「詩
た教会スラヴ語的な要素が多く織り込まれた新しいの文法・語桑体系のそれなのである。
人」でもあった彼は、こうした新しい「文体」の流れをまさしく積極的に促進していた人物の
であったにちがいない。
後者の疑問を解くための鍵は二つ存在している。
一つ目はシメオン・ポロッキイ自身の言葉のな
シメオン・ポロッキイの韻文詩篇「143」
223
かに隠されている。
いくつかの形式で書かれている『韻文詩篇』の前書きのうちのひとつである、
散文によって書かれている箇所に、詩篇を改作することにした理由を三つ挙げている。
そのうちの
第二と第三の理由をふまえると「理解できる言葉で詩篇を歌えるように」というコンセプトが見
よく知られているように、詩篇はそもそも「歌」であった。
てくるのである(21)。
それゆえに、たと
えばその特徴とされる対句法は音楽の「リフレイン」を想起させるようなものが、本稿で見てき
「詩篇143」のテクストにも認められるのも、こうした理由からではないかとまず考える。
ポロッキ
イは歌われるための詩篇を考えたのであり、それはただやみくもに宗教的なテクストを暗記した
するものとしてではなく、詩篇をあくまでも「心を歓ばせる」ための「歌」であると考えていた
そして、二つ目の鍵は、「詩人」という概念にある。
ではないかということである。
たとえば詩篇を
「詩」であることを強調し、それがすなわち「文学」であると主張するルイスは、「詩篇を詩と
いっさいの詩的自由と、いっさいの形式性、誇張法、および論理よりも情念による連結とは、拝
詩固有のものだから、そういうものを含んだ拝情詩として読むべきだ」(22)と述べている。
シメオ
ン・ポロッキイもじつは詩篇という宗教的なテクストをたんなる「題材」として捉えたにすぎな
素材はそのままとし、それを「詩人」としていかに調理すべきかという
ったのではないだろうか。
ことを提示したのである。
上述の『韻文詩篇』のポロッキイ自身による前書きの第一の理由は、「東
や西のひとびとによって書かれたもののなかに、詩篇はそもそもユダヤの言語では文学的な韻文
で書かれていたのだという記述を私は見出したからである」(23)としている。
そして、改作という作
業はいうなれば「翻訳」である。
たとえば、言語学が「翻訳」という概念を考えるさい、それは
「文体」と深くかかわってくるものとなる(24)。
そのさい、言語学的な翻訳の問題が浮かび上がり、
往々にして、「翻訳」という概念と錯綜するとされるまた別のいくつかの概念が障害として指摘
それは「作詩法、韻律学ないしは音律学、音調論、文学ジャンル、美の伝統などが起点言語
る。
Iangue-source(翻訳の出発点となる言語)と目標言語Iangue-cible(翻訳の到達点となる言語)と
間では違っていることから生ずる」(25)ものだが、こうした「障害」を逆手にとり、テクストそ
のを異化することができるのがたとえば「文学」だとするのならば、詩人たちはそのために「翻
とくに詩篇は周知のとおり、文字どおり旋律と
をおこなってゆくのだと考えるのはどうだろうか。
深い結びつきがある。
ロシアにおいてはバロックの揺藍期とされている18世紀に「詩」それじたい
が音楽と深く結びついていたという考察もあわせて考慮に入れれば(26)、その黍明期であった1
にこうした詩を、なんらかの機能を果たす効果をねらった「翻訳」の概念をより浮き彫りにし、
してより強化させていったことには一定の意味がある(27)
むすび
本稿では「詩篇143」のテクスト全文を分析対象とし、文体論的観点からのできるだけ詳細な解
を試みた。
さまざまな書き手による詩篇の改作を総括的分析する論考は多く存在するが、-単語ず
224
つを拾いながら分析されているものはそう多くはない(28)。
本稿の目的はシメオン・ポロッキイによ
る改作詩篇の底本を探ることではないのだが、オーソドクスな詩篇のテクストと比較したさ
詩篇143においてキーワー
たとえば第10連のdaeudapa6acKoe20という表現は完全に消失している。
ドともいえるべきこうした語嚢を省いたことからは、ポロッキイが宗教的なテクストから切
たいわゆる「文学」テクストとしての詩篇を考慮に入れていたという結論を導くことはでき
ろうか(29)。
Il. セルマンは、ポロッキイによる改作詩篇と18世紀のさまざまな詩人たちによるそ
らとの関連性を探る試みのなかで、「ポロッキイは詩人としての自分自身への課題に歩み寄
それは彼が詩篇を表現のための単なる題材として捉えていた詩人であったということを意
ある。
している。
詩篇は新しく個人を反映した内容を宗教的に形象する、慣れ親しまれたものである。
ポ
ロッキイは、のちにトレジアコフスキイやロモノソフやすべてのロシア詩人が行ったような
すなわち、詩篇にとりかかりながら、そのテクストには欠けている個人の思考や他のイメー
彼はしばしば、表現力を豊か
デアを表すようななにか新しいニュアンスをそこに持ち込んだのだ。
なものにするような、詩篇作者の思惟を強調するような、他の情緒を改作テクストに付与す
な詩行を、挿入しているのである」(30)と述べている。
ポロッキイの名は、18世紀に行われた詩形式
の改革の歴史的な流れが語られるさいに、より多く聞こえるが、「文学」テクストそのもの
17世紀のシメオン・ポロッキイの
歴史においてもじつはポロッキイの果たした役割は大きかった。
「翻訳」詩人としての姿勢は、詩篇の改作という行為をとおして眺めてみても、その後の18
詩人たちにも受け継がれるところとなったのである。
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シメオン・ポロッキイの韻文詩篇「143」
225
注
(1)TpeduaKoecKuuB.
K.M36paHHbienpoioBe月eH打只.
M. -JI.,1963.
C.489-492.
(2)諸星和夫「ロシア・バロック文学の概念または統一への意志について」『早稲田大学文学部ヨーロッ
学研究』第34号1986年117-135頁、EpeMUHM. fl.
Il03TMqeCKM滋CTMJIbCHMeOHaIIO岬Koro〟Tpy恥l
oT月ejiaapeBHepyccKOMji班TepaTypbiIV.
M. -JI.,1948.
C.125-153.
(3)symeonPolockij.
Psaltir.
StichotvorilS;那eonPolockij.
(494)/Moscow.
1680iolio.
v//SlavicPalaeographyon
nなお書体についてはそのまま印字できなかったものもあるので、THTJIOはすべてひらいたO
microfirm.
nymcTyauMSの使用については(とくにflBOeTOHMeやtomkoc3an班TO崩など)そのまま残した。
(4)ただし1箇所だけ12音節の詩行がある。
しかしながらこの詩行u/MeuaAioma,cua'J墜n。
6idgdasui'J.
は、
前置詞ebのイエルを母音と換算することで13音節に等しいリズムになると考えることもできる(以下、テ
クスト本文を引用するさいにはイタリックで示すこととし、下線部はとくに引用者が注目したい点を示
いる。 上に記したように斜線は詩行の終わりを意味する)。
(5)Ila肌eHKOA.
M. PyccicaaCTMXOTBopHasKVJibTypaMBeKa.
JL,1973.
C.3.
(6)TaMxe. C.8,9。
ここでパンチェンコは≪Mo∬eHMeJX&間打皿a3aTOHHMKa》を具体例としてとり、そこで
尾辞や語形変化による押韻のみならず、語根を等しくしているものの押韻も見つけられると述べている
(7)KaMuam〃oeA.
M.McTopM只pyccKoro皿MTepaTypHoro見3HKa.
XI-nepBa只nO∬OBMHaXKBexa.
M.,2005.
C.247.
(8)TaMace.C.246.
(9)FjiadKoeaO.
B.
Ilca刀OM//JInTepaTypHaa3hijmk皿oneOT只TepMMHOBanoH兄で以崩.
と『詩篇
M.,2001.
C.829-830.
を考える(c. s.
ルイス宗教著作集)』西村徹訳新教出版社2000年7頁.
(10)17世紀後半から18世紀半ばの詩篇テクストを「書かれた言葉」の例としてとり、統語論的観点から
詞構文ないし副動詞構文を抽出し詳細に分析している秀逸な論文がある。
向山珠代「17世紀後半∼18世紀
前半のロシア語における形動詞・副動詞構文」『スラヴ研究』No.
482001年167-187見
(ll)諸星和夫「シメオン.
ポーロツキイと『韻文詩篇』-序文に指摘されたいわゆるポーランド語韻文訳詩篇
について-」『ロシア語ロシア文学研究』第16号1984年14-25頁.
(12)Em6jimgCMpexkhm
BeTxaromHOBaro3aBeTano兄3bIKyC皿OBeHCKy.
◎OTOTMnimecKoenepen3flaHneTeKCTac
M3Aamia1581roflaocymecTBJieHOno月Ha6jiK>fleHneMM.
B.^epra^eBO員no3K3eMnjiapaMHayHHOM6打6皿MOTeKM
M. -JI.,1988.
なお、本稿に引用するにあた
mm. A.M.FopbKoroMockobckoforocy月apcTBeHHoroyHMBepcMTexa.
また、訳は省いた。
ところで、本稿でシメオン・
っての注記は、ポロッキイのテクストとほぼ同様とする。
ポロッキイの詩篇を取りあげるにあたりJanKochanowskiの『ダヴイデの詩篇』にも念のため目をとおし
たとえば彼の詩篇143(実際は144)のテクストは全部で40行から成り、詩行の音節数は統一的ではないが
平行韻で書かれている04行の詩行のまとまりがひとつのcTpo(J)aを形成し、全部で10のCTpocfiaが存在
いることになるoKochanowski,Jan・PsalterzDawidow/przekladaniaJanaKochanowskiego.
Warszawie.
1985. と『詩篇を考える(c.
s.ルイス宗教著作集)』西村徹訳新教出版社2000年と、ロジャーソンJ.
W.,
マッケイJ.W.『ケンブリッジ旧約聖書注解⑭(詩篇n73-150)』村上達夫訳新教出版社1984年.
(13)詩篇のそもそもの発生時期は紀元前にまで遡るとされているが、周知のとおり、それは「歌」であ
されている。
FjiadKoeaO.
B.IIcajioM//JIMTepaTypHa兄つHUMKjione,月usTepMMHOBano朋TH臥M.,2001.
C.829-830.
(14)Jluxa。
JJ.
C
TeKCTOJio-只HaMaTepMa∬epyccKO員∬MTepaTypuX-XIBeKOB.
を参照しながら対
CII6.,2001.
紺.
置をおこなったoなお、ここで対置しているのはCTpocjjaのみであり、cTpOKaではないことを注記してお
たい。詩篇のCTpocJjaは現代のロシアで刊行されている詩篇を参照した。
詩篇143は全部で15のcTpocJ>aに分
けられていることが多い。
Hobh員3aBeTnncajiTMpt.
TheGideonsInternational,(n.
d.,n.p.)とIIcajiTHpt
I<i.
M.,1988.
cjiaBeflOBaHHaa.
(15)なお、全く同じ単語が全く同じ語形で双方に用いられているものは省いた。
それぞれ抽出した単語の後ろ
に()内に示したローマ数字はcTpocbaを意味する。
(16)rjiaJKoeaO.
B.
Ilca∬OM//JIMTepaTypHaashljmk∬oneflM見TepMMHOBMnOH只TLl臥M.,2001.
C.829-830.
(17)『詩篇を考える(c.
ルイス宗教著作集)』西村徹訳新教出版社2000年8頁.
s.
226
(18)BunozpadoeB.
B.OnepKMnomctopmhpyccKorojihTepaTvpHoroa3bisca-XKbckob.
M.,1982.
C.13-23.
(19)TaMace.
C.20,21.
(20)TaMace.
C.21.
(21)第二の理由は「なぜならば、ギリシア語やラテン語に訳された詩的な詩篇をたまたま目にした
出版されたポーランド語方言のみごとな書物も目にした。
それは詩的に改作された詩篇であったのだが、な
ツァーリの都モスクワにもひろめようではないか。
にもポーランド国のみにとどめることはない。
それゆえ
せめてわれわれの国ロシアには存在するように」とし、第三の理由
われわれのスラヴ語に配慮したのだ。
「小、白、黒、赤ロシア、なによりも大ロシアにおいて、ツァーリの都であり神に守られし都であ
ワにおいて、多くのひとびとは、韻文に改作されたポーランド詩篇のよくそろった歌声を愛してい
内容は少ししか、もしくは全くわからない言葉で以て書かれているのだが、だのに確実に快き歌で
Psaltir.
StichotvorilSymeon
れでいてひとびとの心を陽気にするものである」としているSymeonPolockij.
Polockij.
(494〕/Moscow.
1680.
folio,vIISlavicPalaeographyonmicrofirm.
n.
(22)『詩篇を考える(c.
ルイス宗教著作集)』西村徹訳新教出版社2000年7-8頁.
s.
(23)symem乙Polockij.
StichotvorilSymeonPolockij.
(494)/Moscow.
1680.
Psaltir.
folio,v//SlavicPalaeography
なお引用部分の下線は引用者による。
n.
onmicrofirm.
『言語学事典』三宅徳嘉監訳大修館書店1972年385頁.
(24)マルティネA.
(25)同書388頁.
(26)拙論「B.
K.トレジアコフスキイによる作詩法の改革と18世紀の音楽」『ロシア文化研究』2006年
頁.
(27)もちろん18世紀の「文学」の文体のために17世紀のアヴァクームの果たした役割は無視できな
たとえばヴイノグラードフは「古い聖職者の言
のは周知のとおりであるが、今回は特にとりあげなかった。
葉に起源をもち伝統的なイデオロギーや語桑、中世の言葉使いなどを基とした、高い文語体の加工
いた」とき「『スラヴ語』の伝統の保護とともに、同一の文体において共存しながら書き言葉のな
的な口語が深く広まっており、民衆語が、すなわち、民衆の広い層にわたる書き言葉と話し言葉が
これと同時に分離派教徒の著作すなわちアヴァクーム
権利を求めた闘争を繰り広げていた」と述べている。
の存在などがそれぞれの境界をぼやかせ、「自然なロシア語」の方へと混ぜ合わさっていった。
BuHoepadoe
B. B.OnepKMnoMCTopi川pyccKorojiMTepaTvpHoroサ3biKa】BeKOB.
M.,1982.
C.42-49.
(28)本稿のテーマに沿うような文献としてはたとえば、脱稿後に入手したJlyneeuHJl.
¢IIcajiTbipbbpyccKoii
などが挙げられる。
ens.,2002.
nO33p仙i.
(29)18世紀のトレジアコフスキィ、ロモノソ7、スマロコフによる詩篇143のテクストにおいてこの
用は三人三様である。
Tpe∂uaKoecKuiiB.
K.M36paHHbienpoM3BefleHK只.
M. -JL,1963.
C.141-144BとC.
489-492.
(30)cepManM.
3.ォIlcajITbipbpKCbMOTBODHa只》CwMeoHaIIojicmKoronpyccKo只nO33MflXIb.
//Tpy恥ioT^ejia
M. -JI.,1962.
C.217.
月peBHepyccKoiijiMTepaTypu.