2.甲10662 今橋 真弓 主論文の要旨.pdf

【背景】
ヒト APOBEC3(A3)ファミリーはレトロウイルスに対する細胞防御因子であり、ヒト
では 7 種(A から H)がコードされている。そのうち A3B では、全翻訳領域を欠失した遺
伝子型(D 型)が南方系古モンゴロイドを中心としたアジア人種に多く認められる。一
方欧米人種・アフリカ人種ではほぼすべて野生型 (I 型)である。日本では 25%の対立
遺伝子が D 型であることが知られている。
これまで、 in vitro における A3B の強制発現系では抗 HIV-1 活性が示されてきて
いるが、実験条件により得られる結果はさまざまである。A3B は HIV-1 アクセサリー
蛋白質である Vif によって分解されないため、 in vivo において HIV-1 増殖に対する
A3B の抑制効果の有無は特に重要である可能性が指摘されていた。 in vivo では、A3B
遺伝子型と HIV-1 の感染病態あるいは感染伝播との関連性について米国と日本より相
反する報告がなされており、D 型が分布するアジアにおける適切な疫学的解析が求め
られていた。そこで、我々は A3B の遺伝子型と HIV-1 の感染伝播・病勢との相関を明
らかにするため、本邦の疫学調査を行った。
【方法と結果】
名古屋医療センターおよび大阪医療センター通院中の日本人 MSM(Men who have Sex
with Men) で HIV-1 感染者 (感染群)、およびハイリスク集団である MSM で HIV-1 陰性
ボランティア(コントロール群)の協力をもとに、 A3B の遺伝子型を解析した。感染群
(248 例)は血液より、コントロール群(207 例)は頬粘膜よりゲノム DNA を回収・抽
出し、PCR 法により遺伝子型を判定した。その結果、感染群(D/D 7.7%, D/I 44.0%,
I/I 48.4%)とコントロール群(D/D 8.7%, D/I 39.6%,I/I 51.7%)との間で遺伝子型
の頻度に有意な差は認められなかった(P=0.66)。このことから、 A3B の遺伝子型は
HIV-1 感染伝播に有為な影響を与えないことが示唆された。さらに、治療開始前 CD4 +
細胞数および血中 HIV-1 ウイルス量(VL)の推移についても有意差は認められず(CD4 +:
P=0.054; VL: P=0.96)(Figure 1)、遺伝子型による病態への影響がない可能性が高
いことが分かった。
D/D 型あるいは I/I 型である健常者ドナーより末梢血 CD4 陽性(CD4 + )T リンパ球を分
離し、 in vitro における HIV-1 感染増殖実験を行った結果、 A3B 遺伝子型による差は
認められなかった(P=0.86)(Figure 2)。また A3B 遺伝子欠損によって近傍の A3 ファミ
リーの遺伝子発現が異なっているかを検証した。その結果、他の A3 mRNA の発現量に
関しては両群間(I/I 型群,D/D 型群)で同等であった(Figure 3)。最後に、健常者ドナ
ーの D/D 型あるいは I/I 型由来の単球由来マクロファージ様細胞(CD14 陽性細胞)を
IFN-αで刺激し、定量 PCR 法により発現誘導される A3A/G mRNA 量の変化を測定した結
果、 A3B 遺伝子型による誘導変化の差は認められなかった(A3A:P=0.4 ; A3G:
P=0.4)(Figure 3)。
以上の結果から、A3B は in vivo における HIV-1 の感染伝播・病態進行に影響を
与えず、その遺伝子欠損の有無は重要なファクターではないことが明らかになった。
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【考察】
in vitro で抗 HIV 作用をもつ A3B が in vivo で HIV 感染伝播・病態進行に影響
を与えない原因として以下の3つが考えられる。1)生理的な条件では A3B タンパク
はウイルス粒子に取り込まれることができず抗ウイルス作用を発揮できない可能性が
ある。A3 ファミリータンパク質が HIV-1 感染を抑制するためにはウイルス粒子のコア
内に取り込まれなくてはならない。抗 HIV-1 活性が高い A3F/G タンパク質は細胞質に
局在し、ウイルスの出芽時に細胞膜上で積極的に取込まれることが知られている。一
方、A3B タンパク質は核に局在し出芽の場に存在しないため、生理的な発現量ではウ
イルス粒子中に取り込まれないと考えられる。2)HIV が増殖する CD4 +T 細胞では HIV-1
の感染阻止に必要十分な A3B 量が発現していない可能性がある。A3B は B リンパ球や
ガン細胞に多く発現し、CD4 +T 細胞では mRNA 発現量が低いことが報告されている。
これらのデータより in vitro における A3B の発現は過剰発現された実験系によるもの
で誇張された結果だと考えられる。3)D/D 型あるいは I/I 型における IFN-α刺激後
の A3A および A3G の mRNA 発現量が両遺伝子型間で同等であったことから、A3B 欠損は
近傍の A3 ファミリー遺伝子の発現量に明らかな影響を与えないことがわかった。その
ため、 A3B 遺伝子欠損個体において HIV-1 の感染感受性に関与することが知られてい
る A3A と A3G といった A3B 近傍の遺伝子の補償的な発現によって A3B の遺伝子型が
HIV-1 の感染伝播・病態進行に影響を与えるとは考えにくい。
以上のことから、A3B の抗ウイルス機構は in vivo において HIV-1 排除および感染
伝播には有意な影響を与えないことが明らかになった。このことは、HIV-1 はウイル
スの進化の過程で Vif により A3B を分解する機序を獲得しなかったという根拠にも裏
付けられると考えられる。
最近、乳がんや悪性リンパ腫において A3B mRNA の発現が増加しているとの報告が
なされ、ゲノム DNA の変異・不安定性に A3B が寄与することが示唆されている。我々
の短期間のコホート研究では HIV 関連悪性腫瘍の診断例は見られなかったが、今後長
期に前方視的コホート研究として追跡調査が必要かもしれない。一方で A3B 遺伝子欠
損型では HTLV-1 やマラリアに対して感受性が高くなるという報告もあることから、他
の病原体と A3B 遺伝子型の関連について解析することにより、人類進化における A3B
遺伝子欠損型の拡散の選択圧、あるいは A3B の本質的な役割が明らかになるのではな
いかと考えられる。
【結論】
A3B 遺伝子型と HIV-1 の感染病態あるいは感染伝播との関連性について相反する報
告がなされてきた。 A3B 遺伝子欠損型が少ない欧米を中心としたコホート研究であっ
たため、 A3B 遺伝子欠損型が分布するアジアにおける疫学研究が求められてきた。そ
こで、本研究では A3B 欠損遺伝子型が分布し感染者の病歴が管理されている本邦にお
いて詳細な疫学調査を行った。その結果、 A3B の遺伝子型は HIV-1 の感染伝播・病態
進行に影響を与える重要なファクターでないことが示された。
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Figure 1. Analysis of effects of genotype on parameters of HIV disease progression in
the HIV-1-infected cohort. A) Changes in CD4+ T cell counts (cells/μl/day) (n=202). B)
Changes in HIV-1 RNA levels (log10 copies/ml/day) in plasma (n=202). The box plots show
data between the 25th and 75th percentiles with central horizontal lines representing the
median, and with whiskers showing the 10th and 90th percentiles. The open circles represent
outliers with data >1.5-fold of the interquartile range. All the p values were determined using
the Kruskal-Wallis test.
Figure 2. The kinetics and infectivity of HIV-1 depending on APOBEC3B genotype. A)
The kinetics of HIV-1 replication in PBMCs isolated from I/I (black dot) or D/D (gray dot)
subjects (n = 5 each). B) The infectivity values of virus-containing supernatants derived from
I/I (black bar) and D/D (gray bar) PBMCs six days post-infection are provided relative to the
values normalized with equal amounts of p24. The assay was performed using samples from
three donors, and a representative result is shown. The p values were calculated using
Welch’s t-test. The error bars represent the SEM.
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Figure 3. APOBEC3 mRNA expression levels depending on APOBEC3B genotype.
A) Comparison of mRNA expression levels of APOBEC3 in CD4+ cells isolated from
intact (I/I), hemizygous (I/D) and deletion (D/D) individuals of healthy donors. The relative
mRNA expression levels of APOBEC3A (I/I, n = 8; I/D, n = 4; D/D, n = 4), APOBEC3B (I/I,
n = 11; I/D, n = 7; D/D, n = 5), APOBEC3C (I/I, n = 12; I/D, n = 7; D/D, n = 5),
APOBEC3DE (I/I, n = 11; I/D, n = 9; D/D, n = 5), APOBEC3F (I/I, n = 12; I/D, n = 7; D/D, n
= 5), APOBEC3G (I/I, n = 12; I/D, n = 7; D/D, n = 5), and APOBEC3H (I/I, n = 6; I/D, n = 7;
D/D, n = 4) were determined using quantitative RT-PCR and were normalized to GAPDH.
The red (I/I) or gray (D/D) dots represent the expression levels of donors whose PBMCs were
used for the in vitro kinetics of HIV-1 replication and infectivity in Figure 2. The p values
were calculated using Welch’s t-test. The error bar represents the standard error of the mean
(SEM). B) APOBEC3A (A3A) and APOBEC3G (A3G) mRNA expression levels under basal
conditions (Ctrl) and after stimulation with 100 U/ml (+IFN-α) of interferon (IFN)-α in
CD14+ MDMs isolated from healthy control subjects. The black and white bars indicate D/D
(n = 3) and I/I (n = 4) individuals, respectively. The p values were calculated with the
Mann-Whitney U-test. The error bars represent the standard deviation. n.d., not detected. Ct,
cycle threshold. n.s., not significant (p = 0.4 for both cases).
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