きづくことで 変 えられる 、日 常 から未 来 まで 。 vo l . 31 2015 May May 2 015 特集:日本人の住まいはどこへいく 「動かない生活」 から 「動く生活」 へ [連載] 建築と私/北山恒 Oh!ノンシャランス/オーツノコ 今日もかっぽう着を着て、/山口明香 自然とともに生きたい/中島デコ 住まいと道具/真島俊一 あの人に会いたい/木下壽子 親子になるということ/芹沢俊介 人と機械の幸せな関係/中間真一 愉しい非電化/藤村靖之 やってみた/網戸の功罪 2015年5月1日発行(隔月・奇数月発行) 31 編集・発行 OMソーラー株式会社 〒431-1207 静岡県浜松市西区村櫛町4601 TEL.053-488-1700 FAX.053-488-1701 http://omsolar.jp 制作・印刷 有限会社ジィータ vo l . vol. 用した仮 設 的 なレストランである 。そ 店のはす 向かいラブホテル街の雑 駁 な バブルが崩 壊した直 後 、渋 谷の東 急 本 れに従った。1 9 9 2 年 、日 本の経 済 暴 走が世 界の様 相 を 変 え 、建 築 もそ る 人は街 を 見ている 。形 をつくるとい 行 く 人 がのぞ き 見 、ま た 逆に 中にい 利 用 された。中 で 行 われる 行 為 は 道 場 所 代のいらない小さなホールとして ムの運 営やアーティストに還 元 され 、 事 物 を 総 体 として 受 け 取 る 。建 築は 読 み 取 ら ない。読 み 手 は 空 間にあ る 企 画 、資 金 調 達 、業 態 開 発 、運 営 すべ 家のチームである 。 このプロジェクトの ﹁ワークショップ ※﹂という 3 人の建 築 念 = 運 動 体 をつく ろ う と し たのは 木下壽子さん 芹沢俊介 29 [ 連 載 ]O Mレポート 三加和小学校〈熊本県〉 33 [ 連 載 ]人と機 械の幸せな関係 中間真一 34 [ 連 載 ]愉しい非 電 化 藤村靖之 35 [ 連 載 ] たまごの今&パブリシティ 02 [ 連 載 ]建 築と私 北山恒 f ro m D A N C E 02 30 vol. i n d e x きづき . 2 0 1 5 . M ay from D A N CE し 、世 界 は 資 本 主 義 の 独 裁 が 始 ま 1 9 8 9 年にベルリンの 壁 が 崩 壊 ﹁ 建 築 は 農 業 用のガラス温 室 を 利 が 定 期 的 に 開 催 さ れ 、実 験 的 な 音 楽 、演 劇 、 アートパフォーマンスが展 開 こでは 時 代 精 神 を 語 るシンポジウム された。 レストランの利 益がシンポジウ 浸 ら ずして 新 しい建 築 はない﹂と 、 こ の世 界 状 況に覚 悟 を 示 す 文 章 を 書い る 。その年 、伊 東 豊 雄が﹁ 資 本の海に 年 間 、資 本の 通 りに入る角にその建 築はあった。 な 議 論 が 展 開 されていた 。伊 東 豊 雄 ている 。本 当にその後 う 建 築 家 としての 自 己 表 現 を 放 棄 史︵ 現 代 美 学 ︶、 一柳 慧︵ 現 代 音 楽 ︶、 ︵ 建 築 家 ︶、陣 内 秀 信︵ 建 築 史 ︶、塚 原 勅 使 河 原 三 郎︵ 舞 踏 ︶、な ど 。時 代の を 行った。from D A N CE という エッジを 切 り 取 ろ う と す る 人々が 参 し ながら 、あ る 状 況 を 生 成 す ること 建 築 という 領 域 を︿ 状 況 ﹀ のレベルにシ 運 動 感 覚 を 含 むこのプロジェクトは 、 加していた。 空 間の提 示だけでは完 成しない。 ・・・ する 人は建 築 家が意 図 するようには 資 本に抗 う よ うに、新 しい建 築 概 from D A N CEで使 用したガラ 元 され 、主 催 した彼 らは 若 干の赤 字 てを 行った。利 益はすべて 参 加 者に還 22 [ 連 載 ]あの人に会いたい 03 フト させる もので あ る 。空 間 を 経 験 ンス・ワ ー クショップ に 移 設 し た 。﹂ 真島俊一 きづき . 2 015. May ス温 室 は 白 州の舞 踏 家 、田 中 泯のダ 後に解 散した。 だった 。そ して 、このプロジェクト を 最 21 [ 連 載 ]住まいと道 具 ※ 横 浜 国 立 大 学の同 級 生の木 下 道 郎 、谷 内 田 章 夫 と ︵﹃ 領 域 を 超 えて﹄北 山 恒 1 9 9 3 ︶ 中島デコ 北山 恒 2015 農業用ガラス温室。床はコンクリートブロックを平置きにしてサンポットで温風を吹き込 む床暖房とした。 ( 撮影/鈴木教雄 Ⓒ商店建築社) ガラス張 りの温 室 なので 文 字 通 り 20 [ 連 載 ]自然とともに生きたい 3 人でつくった設 計 事 務 所 28 [ 連 載 ]親 子になるということ 公 開されているのだが、聴 衆はまばら 山口明香 建築と私 き たや ま こう / a r c h i t e c t u r e W O R K S H O、 P 横浜国立大学大学院教授 Ma y DANCEという名前からビナ・バウッシュ、 ウィリアム・フォーサイス、田中泯、勅使河原 三郎などを連想した。 ( 撮影/鈴木教雄 Ⓒ商店建築社) 20 だ。ラブホ帰 りのカップルが注 意 も 払 19 [ 連 載 ]今日もかっぽう着を着て、 わずに通 り 過 ぎ る なかで 、生 真 面 目 「動かない生活」 から 「動く生活」へ 1992年10月24日から1993年3月6日までの135日間、渋谷の街のなかに蜃気楼のように存在した。 (撮影/鈴木教雄 Ⓒ商店建築社) 08 [ 特 集 ]日本 人の住まいはどこへいく [連載] 31 04 [ 連 載 ]O h !ノンシャランス オーツノコ 06 [ 連 載 ]やってみた 網戸の功罪を考える [連載 ] 庭 の ま ん 真 ん 中 に あ るっていう だ け で 、 我 が 家のシンボルツリ ー と なっているヘンテコ 04 な形の梅の木が、大 胆に剪 定してしまった時の イラストレーター。OMソーラーの住まい手。雑誌を中心 に、広告、CM、TVオープニングタイトル等のイラストを手 がける。東京から家族で移住して、現在は山梨県北杜市 で"天然生活"を満喫中。Webサイト「nonchalance」にて、 ブログやハンドメイドのお店も展開中。 http://www.nonchalance.net/ 本連載のタイトルにもなっているnonshalance( ノンシャ ランス)は、 「のんきな」 「気取らない」 「平然と」といった意 味がある。 やってし まった 感 を すっかり 忘 れさせて く れ 歳 老 猫 ポン子の介 護 をしっ と す る 。五 、切った その日に大 後 悔 した 誤 算 の散 髪ショートヘア 、元のお団 子ヘアーができ る までのロン毛に戻 す 。⋮ 残 りは紙 面 も 限 ら れているのでetc ⋮ とし ま すが、というか、 ど こに﹁ 野 心 の す す め ﹂の 影 響 が? という 感 じのレベルの 低 さで す が 、まぁ私 の 場 合 上 を 見 す ぎ ず 身の丈 で 、︵って 野 心 で も 何 で も ない! ︶これから三 年 間 、働 く 母 さんを も う ひ と 踏 ん 張 り し たいで す 。そ し て 違 う 人 み たい⋮ と 悲 し ま れ て し まった 髪 型 、元 に 戻 したいで す 。 【プロフィール】オーツノコ るが如 く 、見 事にきれいな 白い花 を 咲 かせて く れて 、そ の 下 に 眠 る 白 猫 のブ ーに 今 年 も 会 うことがで き ま した 。嬉 しいよ 。ブー 。 いつ の間にか立 派に伸 びた 枝 が、ちゃんと う まい 具 合にバランスを とって 、自 分 の 不 恰 好 さ を カバーしていま す 。偉いで す 。梅の花に続いて レンギョウ 、 ユキヤナ ギ も 咲 き 始 め 、我 が家に も 春 本 番がやって 来 ました 。 心 配 していた 娘の高 校 受 験 も 、無 事 合 格 が決 まって 、新 しい季 節の始 ま りに私の心 も 少し踊 り ま す 。さっき 立 ち 読みした林 真 理 子 の ﹁ 野 心のす すめ﹂ にも 少し触 発されて﹁や ら な きゃ! ﹂な 気 持 ち が 沸 々 と 湧 き 上 がって き ま し た 。何 せ 家 族 が三 人 揃って 生 活 で き るのは、と も する と 娘が高 校へ通 う 三 年 だけ かもしれ ないので す 。 こんなこと 最 近 まで 考 え もしなかったことでした 。あ と三 年 。たった の三 年 。 ︵ 浪 人 す れ ば 伸 び ま す が ︶そ う 思っ た ら な んだか、 ﹁ や ら な きゃ! ﹂の 気 持 ちに ﹁ ぼや ぼや して もいら れ ない! ﹂が 加 わって 、 のこ と ﹂み たいに のこと ﹂な んてのを 考 え 映 画﹁ 死 ぬ ま でにし たい なってし まった 毎 朝 必 ず 作って 写 真 に 撮 る 。三 、腎 不 全 に り 、かな りプレッシャーがかかっているけれど 、 にす る 。二、これから 始 ま る 毎 朝のお 弁 当 作 小 物 作 り を 、老 後 も 安 心 な く らいの 小 商い 一、 一日一作 品 。少 し 軌 道 に 乗 り 始 め た 布 てみたりし ました 。 ﹁ 3 年 間 でしたい 10 きづき . 2 0 1 5 . M ay 05 きづき . 2 015. May 10 かりし 、 歳 まで 長 生 きさせて 死 なせない。 18 四 、ほったらかしのブログ、しゃんとしてちゃん 21 13 爽や 11 これ からは「 網 戸 」の 存 在を 気 にしてみよう! 風 速 計 は O M 工 務 店 なら お馴染みの計測器。 網 戸 越しの 風 速を計 測 。 8 今 度 は 一 枚 の 床 板を 渡して測ってみ た 。 1 STA RT!! プロ用 の 計 測 器を 技 術 部 から借りて、まず は 日 射 量と照 度を同 時 に 計 測 。 これ なら いけるでしょ。 汚れの差は小さい けど、網戸ありなしの 差は大きいね 。 か! 5 床 にタイルを置 いて測ってみる。 白いほうが「日射計」、 黒いほうが「照度計」の センサーだよ。 こうす れ ば 同 条 件で 測 れますよ。 へぇ∼。 急 いで 3ヶ所を測る。 ん∼ い い 感じ♪ 景 色もよく見 えて、 コーヒーも旨 いね! 日射計 ポカ ポカ これ なら あっという間 に 測 れます ね 。 一応、風に 当たってるんで… 3 一 台 の 計 測 器 で 各 センサ ー が 拾ったデ ータを表 示 。 「網戸なし」 「 網戸あり」 「 汚れた網戸あり」の3パターンの計測結果 俺もポロシャツに しときゃよかった。 〈 日射量の計算式 〉 日射量=出力mV/7.02μV/ Wm 2×1000[W/m 2 ] 〈 照 度 の 計 算 式 〉照 度=出力mV/0.926μV/l x×1000[l x] 網 戸なし 日射量[mV ]/[ W/m2 ] 網 戸あり 違うもんっす ね 。 汚れた網戸あり 3.770/537 2.215/316 2.165/308 60.47/65302 37.50/40497 36.00/38877 床表面温度[℃]直後 26.0 23.0 23.0 〃 5分後 31.5 27.0 26.5 〃 10分後 33.5 28.5 27.0 風速(弱)[m/s] 0.36 0.22 0.20 〃 (強)[m/s] 0.68 0.30 0.26 照度[mV ]/[l x] 10 7 ところが 3 枚 同じタイル が なかったので … 最 後 に 扇 風 機を使って 網 戸 の 風 通しを調 べる。 結構差が あります ね! 4 計測器に表示された 数字をもとに計算して 日射量と照度を出すんだよ。 次 に 床 表 面 温 度を 放 射 温 度 計で計 測 。 ・・・ まとめ ・・・ 2015年3月のある晴れた日 ◆いずれの項目も網戸の汚れ具合による差は小さく、網戸の有無の差が大変大きい。 ◆とはいえ、汚れていると確実に性能が落ちる上、見た目のダラシナサ度は性能以上 そ に印象に差が出るため、 こまめな掃除は大事。 ◆窓を開けても網戸はほとんど開けられないことが多く、網戸なしの状況を私たちは 段 取 よ そよ 「汚れた網戸あり」の3パターンで、 意外と知らない。 ◆冬は網戸を外して明るさと暖かさを、虫の少ない中間期は網戸なしの気持ちよさを 一応、 「弱」 と 「強」で 測るよ。 一度は体感すべし。 皆 様 からのミッションリク エスト、随 時 受 付 中 で す 。 きづき . 2 015. May 07 「網戸なし」 と 「網戸あり」、 あ∼ダメだ。 少しの色の濃さの 違 いで全 然 差が 出ちゃう。 それぞれの「日射量」 と 「照度」、 「床表面温度」 と 「風速」 を計測する。 検証地 実際の床だと 同条件で測るのは 難しいな∼。 きづき . 2 0 1 5 . M ay 06 静岡県・地球のたまご社屋 /コリドール南端 このコー ナ ー は 、社 内 外 から 寄 せ ら れ た 素 朴 な 疑 問 や 興 味について 、 照度計 15 O M 精 紳に基 づきとにかく 実 行 、やってみ る 、という 体 当た り 企 画レポー 今 日 、めっちゃ 天 気 い いっす ね 。 網 戸 なし、網 戸 あり、汚 れ た 網 戸 の 3 パターンを素 早く計 測 。 回 目は﹁ 網 戸の功 罪 を 検 証 する!﹂で す 。網 戸は窓 を 開 け る 2 保温中… トで す 。第 9 6 く 見かけ ま す 。というか、ほとんど 付けっ放しで す。風 を通したいものの蚊 て いうか 、 いつの 間 にか また 着 てるじゃ な いで す か! いつの間にか 上 着を脱ぐ編 集 長 季節、 つま り 暖かい時 期に使う 建 具の一つで すが、年 中 付けっ放しの窓 をよ 今 回 は 午 前 中 だけ で ミッション終 了! やハエなどの虫の侵 入 を 防 ぐというのが網 戸の役 割で すが、実は陽 射しを 12 網 戸 が な いと、冬 は 暖 か 、 夏 は 涼しい 。 遮ったり 、通 風 する 場 合にも 空 気 抵 抗になっている 可 能 性があ り ま す 。今 14 第 15 回 回は網 戸の知 られざる﹁ 罪 ﹂ について検 証してみることにしました。 網戸なしって 気 持ちイイーっ! 因みにタイルは 位 置 決めのために置 いてある [ 連載] 特 集 日本 人 の 住 まいは ど こへいく ﹁ 動かない生 活 ﹂ から ﹁ 動く生 活 ﹂ へ 日 本の伝 統 的 な 住まいには、土 間 や 縁 側 、軒 下 な ど 、生 産の場 と してだけではない、日常 的 な 生 活の場がありました。そして、 これら 屋 内と屋 外の間にある空 間は、季 節の移ろいなど毎日の些 細な変 化 を 感じることができる豊 な 空 間でもありました。住まいと 暮らしは 密 接に関 係 しており 、寒 さ 暑 さ も 、縁 側 な どでの太 陽 熱の取 り 入 れ 、中 庭 を 介しての通 風 、建 具の入 れ 替 え 、軒 先に吊るされた簾 や 風 鈴 、打 ち 水 な ど 、細かな 知 恵 や工 夫 を 積み重 ね 、住 まい手が﹁ 動 く﹂ ことで凌いできました。 ︵農文協︶ の著 者であり、住 居 学 、建 築 学 、都 市 計 画 を 専 門に研 究さ 今 回の特 集では、﹃ 百の知 恵 叢 書 / 窓 を 開けな く なった日 本 人 ﹄ れてきた岐 阜 大 学 名 誉 教 授の渡 辺 光 雄さんにあらためて日本の住 まいを 振り返っていただき、住まい手が自らの住まいに関 与してきた 日 本 人の暮らしの価 値 とこ れからの日本の住まいについ て考えてみたいと思います。 窓 を 開 け な く なった 日 本 人 ﹄ ︻参考図書︼ ﹃ 百の知 恵 叢 書 / す。 たとえ上層の貴族でも、将軍様でも、 暖 房した歴 史の形 跡が見 当たらないので ﹁ 日 本にはどう も 昔から住 宅 を 全 館 下を要求されるのは、高温多湿という気 下 室をつくるのは難しいことでした。縁の 下 〟を 設けなければならない住 宅には地 た。﹁ 日 本のように木 造で、床 下に 〝 縁の 渡 辺 さんは﹁ 日 本の場 合 、塀がないと大 まいや住まい方にも 深 く 関 係しており 、 そして、内に向 けられた庭の意 味は、住 り、自分たち家族が楽しむための庭です。 して日 本の庭 は 内に向 けられ た庭であ は本 書からの出典。 ︵農文協︶★印のある図やグラフ 自 分の部 屋や屋 敷 全 体 を 暖 房 するとい 候風土が影響しており、日本特有の住ま 些細な違いに ﹁大きな背景﹂ まず 、日 米の住 宅の違いについてお馴 染 日本の住まいを 語る上で、渡 辺さんは う生 活 をしていませんでした﹂実は日 本 変 困ることになります ﹂ と日本の庭の役 みの ﹁サザエさんの家 ﹂と同 時 代︵ 昭 和 いのあり 方 なんです 。最 近は鉄 筋コンク や魚などの飼育と趣味の場﹂、﹁普段着で 人は全 館 暖 房 を 求めてこなかったのでは 年 代 ︶に新 聞で連 載 さ れていた﹁ ブロン 比べ日本は未 熟であり、電 線の地 中 埋 設 のんびりと寛いだり、庭 先で体 操 するな 割を次のように語ります。 など、都 市 景 観の問 題とも関 係している 割があり、﹁外で行う行為ではあるものの、 どプライベートな場 ﹂ という主に3つの役 リート造が普 及し、日本でも地 下 室が造 める 方 式の暖 房 装 置が普 及してきたも 話です ﹂と述べ、日 本の建 築 技 術は世 界 ないかという 疑 問です 。﹁ 日 本の気 候 風 ディの家 ﹂ の比 較 を 行っています 。どちら のの、依 然として炬 燵にも 根 強い人 気が 的にも 優 れているのだから、地 下が便 利 節 毎の家 事 作 業の場 ﹂、﹁ 植 物や園 芸 、犬 あるのはなぜでしょう﹂と﹁ 部 分と全 体 ﹂ どちらかというと近 隣や他 人からはあま 日本の庭には ﹁光と風を必要とする季 の問 題は住まいを語る上での重 要なテー であるならば、今 後 、地 下 利 用や地 下 室 り 見られたくない、 セミ・プライベートな 題だけでなく、地下利用の文化は欧米に マであると位 置 付けており 、暖 房の方 法 が日 本でも もっと一般 的になっていいので られるようになりましたが、技 術 的な問 一つとっても 背 景 を 注 意 深 く 見ていくこ 行 為の場という位 置 付けです ﹂四季の変 活している日本ならではの庭のあり 方で 化が大 きく 、自 然 と 呼 応 するように生 はないかと期待されています。 次に渡辺さんはサザエさんとブロンディ の家の ﹁地下室﹂ と ﹁塀﹂ について言 及して て利 用されているようです 。 ではなぜ、日 して、あるいはホビールームやアトリエとし してだとか、書 庫や物 置などの収 納 庫と 温 湿 度が一定なことから酒 類の貯 蔵 庫と いいます 。 ボイラー室や燃 料 庫だったり 、 一般 的に地 下 室があり 、用 途 も 様々だと サザエさんの家にはありません。欧米では 向けられた花であり、 それが街の景 観を ます 。欧 米では窓 辺の花なども全て外に から顰 蹙︵ひんしゅく︶を買うことになり れ ず 、芝が伸び放 題になっていると近 所 れたオープンな庭であり 、芝 刈りが行 わ せん。 ブロンディの家の庭は芝 生が植えら に対して、 ブロンディの家には塀がありま 一方で、 サザエさんの家には塀があるの 庭 は 開 放 的 な 日 本の住 まいとセットに いや暮らしの特 徴なんです ﹂ いわば、塀や ロンディの家や生 活にはない、日本の住ま ぐいですが、 こうした履 物や出 入口もブ ります。 サンダルやツッカケなど、草履のた くられ、庭に出るための専 用の履 物もあ 家にはそれぞれの庭へ出られる出口がつ けでなく、玄関先や勝手口にもあります。 要としたわけです 。﹁日本の庭は、南 庭だ あり 、実 生 活の場であるが故に、塀 を 必 本で地 下 室が普 及しなかったのかという 豊にする役 割 を 担っています 。それに対 います。 ブロンディの家には地下室があり、 と、主に住 まいの構 造が関 係していまし 日本の庭は ﹁塀﹂とセット とが大 事だと語ります。 土からして、全 館 暖 房は向いていないので も 当 時のそれぞれの国の庶 民の住 生 活 を 描いたものであり 、注 意 深 く 見ていく と一見 、些 細な違いの裏 側に大きな背 景 があることが見えてきます 。例えば、﹁ 煙 突 ﹂はブロンディの家にはあるものの、サ ザエさんの家には見 当たりません。当 時 の日 本の家にも 煙 突のある 家はありま したが、欧 米のそれに比べ細く、 とてもサ せんでした。 これは暖 房に対 する考え方 ンタクロースが通 れる 大 きさではありま の違いが表 れていて、大 型の煙 突と暖 炉 による ﹁全館暖房﹂ と、日本のように炬燵 方 法 を 併 用した ﹁ 部 分 暖 房 ﹂との違いで や 冬 布 団 、小 型ストーブなどいくつかの あり、渡 辺さんは ﹁ 単なる暖 房 方 法の違 いに留まらない、寒 暑に対 する空 気 調 整 の方 法 、起 居 行 為の姿 勢など、生 活の展 開 全 般に影 響してくる話なんです ﹂ と述 べられ、 それ故 単 純に ﹁全館暖房﹂ が進ん でいて ﹁部分暖房﹂ が遅れている方式だと は考えないほうがいいとも語ります。 08 きづき . 2 0 1 5 . M ay 09 きづき . 2 015. May はないか、日本でも最 近は部 屋 全 体を暖 30 特集:日本人の住まいはどこへいく「動かない生活」 から 「動く生活」 へ 意 識 する 生 活 も 日 本 とはかなり 違って 欧 米では部 屋の配 置 も 、太 陽の恵みを られている面 積が大きく、 カツオとワカメ ス戸 など 、 いわゆる﹁ 建 具 ﹂ によって仕 切 んの家は玄 関の引き違い戸 、縁 側のガラ よって仕 切られていま す 。 一方のサザエさ あるだけで、外 部との境 界の多くは壁に ブロンディの家には小さな窓がいくつか ﹁縁側﹂ へと話が及んでいきます。 支えてきた重 要な装 置として ﹁建具﹂ や なっていたわけですが、開放的な住まいを けです 。しかしながら 、日 本の住 宅の象 落 ち 着 ける 、寛 げる 空 間になり 得 たわ によって囲 ま れることによ りはじめて、 ン極まりない縁 側という空 間 も 、塀と庭 は、雨 戸 、網 戸 、 ガラス戸 、障 子といった複 縁 側はその象 徴 的な場 所です 。﹁ 縁 側で 雑に組み合 わせて使ってきたのであり 、 く 単 純です 。日 本 人は様々な 建 具 を 複 対して欧 米のものは機 能 も 種 類 も 少な しかない建 具 も 多いといいま す 。それに り 、日 本では建 具の種 類が多 く 、日 本に です 。建 具 とは空 間 を 仕 切る 道 具であ の部 屋や茶の間の窓 も 大きくて開 放 的 でした﹂ そして、 これらの空 間はいずれも 、 との関 係で成 立 する日本 独 特の住 空 間 庇の下にあったこれらの空 間 も 、塀と庭 下 屋や通 り 土 間 、勝 手口、外 流しなど 、 南 面にあることで太 陽の暖かさを 直 接 常に平 和であり、暖かで穏やかな空 間で 徴 的な住 文 化といえるものです ﹂縁 側は これ を 使い分ける生 活 習 慣は日 本の特 した。 このように何重にも建具を準備し、 侵 入 を 防ぎつつ、光や風 を 調 節してきま 数の建 具 を 併 用して、雨や埃 、虫などの が持つ、昔からの生 産 活 動が土 台になっ わる起 居 様 式の相 違には、 それぞれの国 ですが、方 位や日照 をあまり気にしない た理 由は前 述した建 具の存 在とともに、 日 本では 〝 日 当たり 〟 の重 要 性は常 識 した。﹁ 縁 側が冬でものどかな空 間であっ とイス座の様 式の違いは、持ち込まれる ているものと考えられていますが、 ユカ座 わけです ﹂ がタマのお気に入りの居 場 所になり得た それにより 床そのものが暖かだったこと 取り入れることができたということです。 には、﹁ 上 床 ﹂ の存 在 も 影 響しているよう を 意 味しま す 。前 述の暖 房 方 法の選 択 ンクリートなど ︶でつくられ た冷 たい床 間であったり、土 足 床︵レンガやタイル、 コ い装 置であり 、外 国 人にとって床とは土 間はたくさんあります 。軒 下や濡 れ 縁 、 なるのです 。﹁ 縁 側 以 外にも 失 われた空 ある〝 暮 らし〟も 姿 を 消していくことに り ま す 。そして、同 時に縁 側や 庭 、塀が の登 場によ り 姿 を 消していくことにな 徴 的な場 所であった縁 側は、 アルミサッシ 存 在があります 。 この上 床の有 無は日米 んとブロンディの家の違いにも﹁ 上 床 ﹂ の 外 観からは分かりませんが、サザエさ けです 。 住 まい手が﹁ 動 く ﹂生 活の舞 台 だったわ ンディの家には居 間にソファーセット、客 にはそれぞれ座 机があります 。 一方のブロ 間に卓 袱 台 、鏡 台 、 カツオとワカメの部 屋 家具にも違いが表れました。 ﹁上床﹂ がもたらす暮らし 本 人にとって常 識ですが、外 国では珍し いました。また、﹁ 上 床 ﹂としての床 も 日 ★ブロンディの家の平面と外観 の起 居 様 式 を 語る 上でもっとも 大 きな それぞれの寝 室にはベッドと机がありま 間とダイニングキッチンにテーブルセット、 は椅 子に腰 掛けて使う背の高い洋 家 具 意 味 を 持 ちま す 。まず 靴 を 脱 ぐかどう であり、和 家 具は軽く小さいため簡 単に す ﹂サザエさんの家の家 具は座って使 う になり 、夏 用 、冬 用 、来 客 用 、台 所 用 、 ト 移 動できるのに対し、洋 家 具は大きく重 背の低い和 家 具 、ブロンディの家の家 具 イレ用 などスリッパの種 類 も 多 く 、庭に く 、動かせない家 具といえます 。そして、 を 脱 ぐことでスリッパに履 き 替 えること 出るためのサンダルを 含め、日 本 人は実 になります 。﹁ 時 代 を 遡ると、江 戸 時 代 に多 くの履 物 を 持っている国 民といえま からの指 物 師などによる和 家 具はすべて 動かせることは部 屋の機 能 を 固 定 化し く 履 物 を 脱 ぐかどうか躊 躇 する体 質が 軽く細く、なるべく華 奢に見えることを す 。﹁ 結 界 とか境 界 といった空 間の境 を ありま す 。ところが、ほとんどの外 国 人 旨 としてデザインされてきました。それ ない ﹁ 併 用 利 用 ﹂することができ、動かせ はこのような配慮や体質はみられません。 が 〝 粋 〟だったりしたわけですが、季 節の 表 す 言 葉がありま すが、日 本 人はとく 靴 を 脱 ぐかどうかは牧 畜 文 化か稲 作 文 ない家 具は部 屋 を﹁ 専 用 利 用 ﹂すること 化かなど、生 活 風 習によるところが大き 変 化などに簡 単に畳 間 を 移 動できるた になり、部 屋 毎に機 能が固 定されること いだろうと思いますが、 ハッキリとした学 めでもあったのです﹂ わるような場 所へ立ち入るとき、何とな 説はないのです ﹂ いずれにせよ、﹁ 床 ﹂ に関 に部 屋の出 入口や床の仕 上 げ 材 料が変 かで玄 関に下 駄 箱が必 要になります 。靴 ﹁サザエさんの家では和 室に座 机 、茶の に思えます 。 いず れにしても 、 このオープ ★日本住宅の建具の構成 10 きづき . 2 0 1 5 . M ay 11 きづき . 2 015. May ★サザエさんの家の平面と外観 特集:日本人の住まいはどこへいく「動かない生活」 から 「動く生活」 へ ユカ座とイス座の二重生活 年に来 日したアメリカの生 物 治 以 降 イス座の生 活が推 奨 され 、教 育 されてきました。しかし、 一定にイス座が 定 着したものの、 ユカ座の生 活が無くなっ たかといえばそうではありません。 ﹁ 部 屋の併 用 利 用 、広げて片 付ける起 学者、 エドワード・S・モースは、初めて通 明治 された日本 座 敷で、まずそこに何 もない 居 様 式は不 衛 生で汚いことなんでしょう きた日本の住 宅と、その上で形 成してき ことに驚きました。﹁それまで室 内をモノ た 軽 く 移 動 が 便 利 な 家 具の文 化 を 、 か。そして、片 付 けられない生 活は恥 ず しかし、しばらく 黙って座っていると 、微 我々日本 人は今 後 もおそらく厳 然と続 単にいえば従 来の1 0 0 0 年 以 上の歴 で埋め尽 く すことがインテリアデザイン 妙 な 襖や 曲がった床 柱や 清 潔 な 畳の感 けてゆくだろうと語り、 この伝 統 的な生 史 を もつ和 風デザインの住 宅が、戦 後の 安 時 代から上 床という 存 在 を 保 持して 触に気 付き、日本 人が努 力してこうした 風が通る 寒 くてまだまだ 不 満が多い家 わ ずか数 十 年で全 国一斉に安 価 な 洋 風 かしいことなんでしょうか﹂渡 辺さんは平 何もない空 間をつくっていることが分かっ 活 文 化 を 本 質 的に理 解し、把 握した上 だったこと﹂、﹁ブロンディの家に憧 れ 、家 デザインに変 身してしまったといえるので だと思っていた当 時のアメリカ人にとって、 てきます 。欧 米 人にはない繊 細な美 意 識 でこれからの日本の住まいや暮らしを 考 電 製 品や家 財 、 モノを 急 激に買い始めた それは一見 貧相な部屋に見えたでしょう。 に感 動したと、 このときモースは書いてい こと﹂、 そして ﹁ 建 築 技 術が進 歩し、工法 、 す ﹂世 界には全 体の家 並み景 観 を 意 識 えていかなければならないと著 書を執 筆 材 料 、設 備などの革 新が次々に登 場し、 した素 晴 らしい地 域がたく さんあり ま された思いを述べられました。 住 宅 建 設を担う業 界も大工から工務 店 ます ﹂畳 間に何 も 置かない。必 要なもの デザインにポリシーはあるか す 。﹁ 1 0 0 0 年を超える技 術に支えら は 押 入 れから もってきて 広 げ 、不 要 に なったら仕 舞 う ︱ 。これがユカ座の起 居 様 式の基 本であり 、様 々なハコが用いら れた統一した景 観に勝る景 観 を 考えるの は正直たいへんなことですが、果たして新 と﹂といいます 。そして、 これにより日 本 戦 後の日 本の住 宅の歴 史は﹁ 商 品 化 の住 宅の外 観は著しく 変 化し、当 然 、そ やハウスメーカーなどへ急 激に変 化したこ 箱 、篋 、函 、笥など、 それぞれの用 途 毎に の歴 史 ﹂といって過 言ではありません。そ 建 材の採 用が、従 来の和 風デザインに打 れたのもそのためだといいます 。﹁ 匣 、筥 、 ハコがあり 、例 えば書 を 書 くときには硯 の集 合 体 としての家 並みなど 景 観にも の採 用だったのだろうか考えさせられま して、この変 化 を 激しく 、しかも 強 力に ﹁ 屋 根は和 瓦から石 綿セメント、波 型 す ﹂と、あまりにも 急 激な変 化に対し疑 箱 を 持ってきて広げ 、用が済めば片 付け スレート、陶 器 瓦などへ、壁は漆 喰 壁から 問を投げ掛けます。 ち勝つデザインポリシーを 準 備した上で もはっきりと存 在し、次の3 点 を 挙げて モルタル塗 り 、プリント 鉄 板 、各 種 サイ さらに渡 辺 さんは 、急 激 な 外 観の変 大きな変化が起こりました。 ることを日常 的にやっています ﹂ イス座の います 。﹁サザエさんの家もそうでしたが、 ディングなどへと変わりました。 それは簡 るようになり、日本の家 並み景 観だけで 推し進めたのは主に外 部からでしたが、 ほうが合 理 的で上 下の移 動がない分 、身 当 時の住 宅が蚊やハエが入り 込み、隙 間 て、 このような生 活の場は同 時に庭の花 な く 、日 本 人の住 まい方 までも 変 えて 人々の内 部にも 変 化 を 求めていた要 因 体にとっても 優しく 健 康 的であると 明 刻なのは、外 観や家 並み以 上に、その家 を 見たり、季 節の風 を 感じたり、月 を 仰 茶 器 箱などを 持ってきては広げ 、片 付け 化は材 料だけでなく、むしろ形の変 化の での 〝 暮らし〟 が変 化してしまったことだ いったのです 。 る。実は今でも 薬 箱や化 粧 箱 、道 具 箱 、 ほうが大 きいと語 りま す 。﹁ 壁の仕 上 げ いだり、鳥のさえずりに気付いたりする、 狭 く なり 、敷 地いっぱいに家 を 建て、床 けです ﹂と くに都 市 部 などでは 敷 地が いっぱいに住 宅 を 建てることができるわ 済 み 、安 価 に 仕 上 げ ら れ る 上 に 、敷 地 はとても 便 利でしたし、下 屋や外 流しは ノを 干 すとか水に漬けるといった行 為に ろいろな家 事 仕 事 をしてきたんです 。 モ の日 、太 陽が照 りつける日は庇の下でい 吊ったりして収 納してきました。雨や雪 こに日本 人はいろいろなモノを積んだり、 空 間がとかく軽 視されるようになり、 そ まいは、 このような価 値︵ 使 用 価 値 ︶ある ど居 住 者 を 特 定しないで計 画される住 います ﹂ ところが、建 売 住 宅やアパートな 真に豊な住まいの指 標といえるのだと思 屋外と屋内を繋ぐ中間領域の量と質は、 あったのです。﹁このような半屋外の場所、 1 9 5 7 年 頃からアルミが規 格 化・量 産 ズ 、ステンレス な ど が あ り ま し た が 、 金 属 製の建 具 も 当 初はスチール、ブロン められた 〝 木 製ガラス戸 〟 が主 流でした。 さんの時 代にはまだ木の枠にガラスが嵌 に拍 車 を 掛 ける 出 来 事でした。﹁サザエ アルミサッシの登 場はまさにこの傾 向 季 節の変 化 を 最 初に発 見 する場 所でも と渡 辺さんは語ります 。 面 積 を 増やしたいという 要 望が強 まり 台 所での下ごしらえ、薪 割りなどの荒 仕 商 品 的 な 価 値︵ 交 換 価 値 ︶が重 視 さ れ れより も 部 屋 数や価 格といった、 いわば ﹁ 広い軒 下 、半 屋 外の外 壁に沿って、 そ 材が雨に強 く なり 、深い軒が要 らな く ました。それとともに、水 道やガス、電 気 事 、魚 を 焼 くなど 煙が出 たり 埃が出る な り ました 。浅い軒 は 部 材 も 少 な くて などのライフラインが整 備 され 、安 全に ような 荒い仕 事に向いていました﹂そし アルミサッシ軍団の登場 関 す る 技 術が向 上したことで、庭が狭 12 きづき . 2 0 1 5 . M ay 渡辺光雄さん。 「 動かなくていい生活からは、喜びも楽しみも失われて いく。生きている実感は、日々の暮らしから生まれるものであり、動く生 活こそ日本の文化なんです」 と、何気ない暮らしの大切さを語ります。 ★戦後70年の住宅の外観の変化。昭和30年代はAのような平屋建てが多かっ た。次第にBのような部分2階建てが出現し、現代ではCのような総2階、 あるいは 3階建ての住宅も珍しくなくなった。 くても 済むようになりました。そして深 ★近世武士のユカ座生活。かつての日本住宅では広げて片付ける住生活が営 まれていた。 13 きづき . 2 015. May 10 特集:日本人の住まいはどこへいく「動かない生活」 から 「動く生活」 へ も木 造の壁の厚さで収まり、雨や風はも 建 具を席 巻 することになります 。どこで けられる設 計 上の工夫が、日本の住 宅の す﹂ そして木 造の型 枠に合わせて取り付 の木 造 住 宅にも 取 り 入 れられていきま 化 され 、次 第にコストダウンが進み庶 民 換 気は きます。 スイッチ一つで温度は一定に保たれ、 部 分 暖 房から全 体 暖 房へと 変 貌してい 石 燃 料や電 気への熱 源の変 化とともに、 法にも 影 響 を 与 え 、薪や 炭 などから化 して、 アルミサッシの高い気 密 性は暖 房 方 ワーによるところが大きかったのです 。そ 時 間 換 気によって補 われるよ ちろん、網 戸がセットされることで虫の 侵 入 も 効 果 的に防 ぐことができました。 ﹁それまでの日 本の住まいの開口部は多 うになりました。 こうして一日中 窓が閉め られたままの、﹁ 窓 を 開けない暮らし﹂ が してきました。ところが断 熱 雨 戸やカー 合 わせにより日本の複 雑な気 候 を 制 御 間を挟んで障 子があるなど、様々な組み 家財の著しい増加、 つまりモノが増えたこ 〝住まい手側〟 からの変化の大きな要因は 手側〟 からの変 化であると するならば、 アルミサッシの普 及が住まいの 〝つくり 広がっていったのです。 テンを 加えたアルミサッシ軍 団は、たった とにあると渡 辺さんは述べています 。﹁こ 種の建 具や場 合によっては廊 下という空 ㎝の幅の中で、従 来の日 本 家 屋が備え てきたもろもろの装 置 を 簡 単に凌 駕し 家の暮らしへの憧 れ 、豊かさへの憧 れだっ れはモノに囲まれたいという、 ブロンディの たわけです﹂ そして、次々に増えていったモ てしまったわけです ﹂ アルミサッシがなかった時 代は布 団 を 屋建てから部分二階建てが終了した頃の ほうが激しく 、1 9 7 5 年になってよう ノの量は床面積の増加を帳消しにするほ 時期で、 三種の神器に限らず、整理タンス 新 規に購 入された家 具の多 くは大き 上 げたらす ぐに埃や虫 を 掃き出 すこと 下 、その先にはある程 度の庭が必 要だっ や 食 器 棚 、扇 風 機やベッド、 ステレオ 、 ソ どの勢いだったといいます。﹁モノが増え始 たのです 。 アルミサッシの登 場で日本の住 ファーや応 接セット、 ピアノやオルガンなど やく 居 室 面 積の増 加が上 回 り ました﹂ めたのは、 サザエさんの家の頃 、 つまり、平 宅の伝 統 的な開口部の構 成は大きく 変 な 洋 家 具で、住 宅の床 面 積 も 徐々に増 欧 米からウサギ 小 屋 と 揶 揄 されてきた は箒が必 要で、住 宅には掃き出し窓と廊 貌し、庭が徐々に縮 小してきたのも 、洋 様々です ﹂最 初は居 間に置かれるものか えていたものの、家 具の増 加により 実 質 日本の住まいですが、 モノの増 加によりい が毎 朝の主 婦の日 課でした。そのために 風の壁に変 身してきたのも 、軒が徐々に ら購入され、次第に台所などで使われる 的 な 生 活 面 積の増 加はほとんどないと 電 製 品 だけでな く 、 ﹁ 小モノ﹂の氾 濫 に りま す 。そして、 この狭 小 感は家 具や家 つまでも﹁ 狭 小 感 ﹂ はつきまとうことにな ねられるようになり、 いわゆる﹁ 死 蔵 品 ﹂ らを 収 納 するケースやダンボール箱が重 どの増 加 も 見 逃せません﹂そして、これ ﹁ 洗 面 用 品に限らず 、服や靴 、 カバンな 深刻な相互関係を構築しているのです﹂ ブリやダニの格好の棲みかにもなっており、 を 充 満 させているわけです 。そこはゴキ 体 暖 房 を 続けながら家 具の隙 間には埃 ていて未 分 離の状 態にあることを 示して これは台 所 と 洗 面 、脱 衣 空 間が連 続し 燥 機 、脱 衣カゴなどが混 入していました。 じって、洗 面 台 、 タオル入 れ 、洗 濯 機 、乾 に増 え 、そ れに合 わせて洗 面 所や 風 呂 がゾロゾロとあります ﹂洗 顔 用 品が次 第 ン、化 粧 品 など 、家 族 それぞれの小モノ タクトレンズの溶 液 、 シェービングローショ 浄 剤 、石鹸 、洗 顔フォーム、毛 染め液 、 コン き 、歯 磨 き 粉 、 コップ、糸 ようじ、口腔 洗 ﹁ 洗 面 所はその象 徴 的な場 所です 。歯 磨 置くほど隙 間が発 生し、 このことが狭 小 パート1 0 0 戸の平 均 ︶。家 具 を 置けば 分の面 積にも なったといいま す︵ 県 営ア 計は1・3 9㎡にもなり 、洋ダンス三 竿 調 査によると 、家 具 と 家 具の隙 間の合 と家 具の隙 間 も 埋めていき、渡 辺さんの が充 満しはじめます 。溢 れたモノは家 具 安 価 だし、建 具 も 障 子や 襖 より 、 フラッ 竿 縁 天 井 より 合 板 天 井のほうがずっと ﹁ 畳よりカーペット、塗り壁よりクロス壁 、 なった理 由 もコストが影 響していました。 た﹂和 室 より も 洋 室が選 ばれるように を 残して洋 室に変 わっていった時 期でし 本 中のほとんどの住 宅が和 室 1 、2 室 及んでいきます 。﹁ 戦 後の数 十 年 間は日 住まいの洋 風 化は部 屋の仕 上 げにも 具が非 常に多 く 持 ち 込 まれており 、廊 とを 示しているのです 。寝 室には収 納 家 コーナーが併 設されてもおかしくないこ コーナーや 化 粧コーナー、あるいは 裁 縫 婦が働 く 中 心 的 な 場 所に、主 婦の記 帳 そうです 。そしてこれは 、台 所 という 主 鏡 台やミシンが混 入している家 もあった 同じように、台 所に電 話があったり 、 下には机や衣 類 箱 、収 納 家 具や鏡 台 、 ミ 感 を 増 加させ、 しまいには開口部まで塞 シュ戸︵ 骨 組みの両 面に合 板を貼った戸 ︶ シンなど、各 部 屋からあふれた家 具が雑 ぎはじめます 。﹁アルミサッシで密 閉し、全 のほうが安く、敷 居や鴨 居などの表に表 然と置かれていたりして、廊 下は各 部 屋 格 好の置 き 場になっており 、これらの家 に連 結 する 場 所 としてあふれた家 具の には新 建 材が使 用され、若い未 熟 練工で 具たちは新たな部 屋や空 間 を 要 求して 要はなくなりました﹂ ほとんどの仕 上げ も 簡 単に仕 上 げられるようになり 、建 いる結果と考えることができるわけです。 れを 大きく 進めていったのです 。﹁ 確かに かなりの重 さと四 本 足 を 持つ洋 家 具は 畳には馴 染みませんし、維 持や管 理も洋 今 後の住 空 間の構 成 を 考える大きなヒ ントを 暗 示しているんです 。急 激な家 具 ﹁一見 無 秩 序に見 える 家 具の混 入は、 由はやはり、大 量に持ち込まれた家 具の の増 加は家の機 能 を 変えつつあり 、その 室のほうが楽でしょう。 しかし、 これほど 影響が大きいと私はみています﹂例えば、 変 化の過 程として現 在の現 象があり、新 急 速に洋 風 化へと移 行した根 本 的な理 近隣から人影が消えた 材 と工 法の開 発が和 室から洋 室への流 れる木 部の仕 上げや品 質に気 を 使う必 場も大きくなり、小モノの氾 濫が住 空 間 いるといいます。 よっても もたらされるようになりま す 。 ら1 9 6 7 年までは家 具 面 積の増 加の 学 会で報 告しています 。﹁ 1 9 5 9 年か いう調 査 結 果 を 渡 辺さんご自 身が建 築 浅くなり、住 宅 全 体がスレンダーになって ものにシフトしていったといいます。 新たな空間を 要求するモノたち きたのも 、 このアルミサッシ軍 団の強 力パ ★左のグラフは 「公営住宅における昭和30年からの家具所有量の増大」 (日本建築学会論文報告集no.371、 1987年1月) を示しており、右のグラフは「居室面積、家具占有面積、実質生活面積の増加分」 (日本建築学会 論文報告集no.352、1985年6月) を示している。 台 所 には 台 所 本 来の必 要 な 家 具 に 混 14 24 の変化を促すという現象が起こります。 ★よくある洗面所の様子 きづき . 2 0 1 5 . M ay 15 きづき . 2 015. May 10 特集:日本人の住まいはどこへいく「動かない生活」 から 「動く生活」 へ 化を促 進しているように思えてなりませ しい部 屋の機 能が定まらないことが洋 室 辺さんは ﹁戦後 年は日本 人がこうした 人の生 活 習 慣も失われつつあります 。渡 あり、 それにも増して、家の中での楽しみ が減ったことも人 影が消えた理 由の一つで りとめのない大 人との会 話ほど、必 要 不 長にとって少 年 期の自 由で気 軽な一見と いった空 間は減 少し、同 時にその空 間 を ん﹂ いず れにせよ 、和 室や畳の続 き 間と して諦め始めた 年だったのではないか 和 室のもつ価 値 を もはや贅 沢 なことと 大きな理 由であると述べています 。﹁テレ が増 えたことが近 隣から 人 影が消 えた 的な体 験がまったくないと、その要 求 意 可 欠な体 験はないのです ﹂幼 少での基 礎 必 要に応じて巧に ﹁しつらえ﹂ てきた日本 設は住 宅の中で行 われてきた看 病が外 ビやインターネット、 エアコンなど、娯 楽や 識・欲 求 行 動 も 発 生しないことがある が、卓 球の名 選 手 を 育てることになるか と考えさせられる﹂ と述べています。 ﹁ 誰 もが顔 見 知 りの安 心できる 世 界 もしれません。 サッカー王 国のブラジルで といいま す 。そして、﹁ もしかしたら夕 涼 を〝 狭 域の生 活 圏 〟といいますが、 この生 はほとんどのプロのサッカー選 手 はスト 快 適さは室 内に確 保されていますから、 ﹁ 夕 涼みは象 徴 的なことであって、 その背 活 圏がなくなってきました。浴 衣で夕 涼 リートサッカーの体 験 者 といいま す ﹂と 〝 窓 開け〟、〝しつらえ〟とともに失った 景には、そもそも 近 隣から人そのものが みする 人 、縁 台で将 棋 を 打つおじさん、 みの中から将 棋の天 才 少 年が出てくる 見当たらなくなってしまったことがありま かっぽう 着やエプロンをしたままお 喋 り 語 り 、狭 域の生 活 圏の弱 体 化は単に情 用 も ないのに外に出て近 所の人 と 話 を す。 かつては主 婦たちが三々五々と集ま 緒 的 な 意 味での喪 失 感 だけでな く 、具 日本人独特の生活習慣として、渡辺さん りお喋りし、その周りで子どもたちが遊 す る 主 婦 を 見かけることはな く なり 、 体 的に失 う ものがあまりにも 大 きいの 近 隣に成 立していた商 店 街は郊 外の りつける 暮らしが狭 域の生 活 圏 を 弱 体 が立 ちはだかり 、ドアからドアへ直 接 乗 期 待されています 。 を 家づくりや街づくりに携 わる 人々に 活 を 望み、新しい形の出 会いの場の創 造 普 段 着で隣 人たちと出 会える環 境の復 台で幼 馴 染 と 夢 中になって遊 んだ 体 験 んでいる姿 をよく見かけました。 しかし、 履 物 も 着 物 も 普 段 着の着 用という生 活 です 。渡 辺さんは、歩 くスピードの環 境 、 かもしれません。近 所の庭にあった卓 球 最近は主婦もパートなど働きに出ていて、 も〝 よそ 行 き 〟で、道 路 と 家の間には 車 は失 われました。家の外はどこもかしこ する物好きはいないわけです﹂ 多くが車 通 勤 、買い物 も 仕 事 帰りにマー は〝 夕 涼み〟 についても 言 及していま す 。 ケットで済ませるようになりました﹂ 大 型スーパーに吸 収され、主 婦たち自 身 化させたのです ﹂そしてより 深 刻なこと んでした。歴 史 的に見 れば、最 初は住 宅 何かを限 定してするところではありませ 表 記がありますが、もともと住 宅とは、 ○ L D Kなど、住 宅の間 取り を 表 す として、渡 辺 さんは 狭 域の生 活 圏が子 どもたちに与 えてきた影 響 を 次のよう 広がり 、忙しく 外に出かけていることが 多くなりました。子どもたちも学 校から に述べています 。 も 習い事 など を 始めたりして行 動 圏が 帰ったら塾や習い事に忙しく 、お年 寄り 気 な 人でもカルチャーセンターに通 うな も 外に出 ないかデイサービスに通い、元 じていろいろな部 分が住 宅の外 、 つまり、 の中で全てのことが行 われて、必 要に応 ﹁ 子ども 世 代にとって親 以 外の大 人た 社 会 化 、共 有 化されてきました。医 療 施 変わらなかった部屋メニュー 前 述したような理 由で庭が小さくなった ちとの会 話 はとても 貴 重で、人 間の成 になるほどモノを 買い込み、家 具の谷 間 ど、近 隣から姿 を 消しています 。そして、 り 、無 くなったことで庭 先でのやり 取 り もあるのです 。ところが、 サザエさんの時 こともあります。 屋の呼 び名はあまりにも 変 化が見られ 持っている 機 能 を 9つにまとめていま す 渡 辺さんは、著 書の中で現 代の住 宅が で生活しているのです﹂ ません。玄 関 、寝 室 、客 間 、居 間 、台 所 、 ︵ 前 頁 図 参 照 ︶。 ﹁ 例 え ば 単 身 者のワン 年 、住 宅の機 能 を 示 す 部 浴 室 、便 所 、納 戸など、部 屋メニューに新 ルームマンションには﹃ 接 客 行 事 機 能 ﹄や 代からこの 母さんが装 置 を 買い込んでくるなど、家 さんや 急に燻 製 料 理にこりはじめたお たな機 能 空 間がほとんど加 わっていない ﹃ 家 族 団 欒 機 能 ﹄は必 要 ありませんし、 ﹁ 庭でゴルフの素 振 り をはじめたお父 族のメンバーが社 会から何らかの機 能 を 年 前 より も 庭や軒 下 、縁 側 に出たものであり 、教 育 施 設や政 治 、生 家の中に持ち込み、家の中に機 能として のです 。﹁ 産 行 為の多 くは住 宅の中から最 初の行 が増 え 、家の外で︵ あるいは中で他 者に 定 着 す ることはよ く ありま す ﹂住 宅 と 食 事や宅 配サービスなど 様々な 代 行 業 為が萌 芽 、発 生したものです 。現 在では より ︶行 わ れることが増 えてきました。 70 映でもあり 、逆に社 会 生 活の一部が個 人 本 的な空 間でありながら、常にマルチパー は寝 食といった生 活を営むための最も基 た。 にも関わらず 、住 宅の中は家 具で一杯 ポーションはやけにスレンダーになりまし な どの空 間 を 削 り 落 とし 、住 宅のプロ すが、最 近は ﹃接客行事機能﹄ は社 会 化 どの機 能が要 求 されることも 出てきま 逆に三 世 代など多 人 数 家 族ではほとん 70 16 70 70 パスな 機 能が要 求 される 特 殊 な 空 間で ★炬燵とソファが併用されている様子。 日本人はどういうわけかソファーが大好きであり、畳の部屋 にソファーが持ち込まれたのは早かったが、図のように炬燵とソファーの併用利用もよく見かける 光景。炬燵のルーツは火鉢であり、火鉢に櫓を組み、布団を掛けたのが炬燵のはじまり。時を越え て炬燵がこれだけ普及したのは庶民の合理精神、つまり 「ケチ」 とか「もったいない」 という日本人 特有の精神があったからこそ。渡辺さんは、 こういった姿を単にだらしない姿だとして目を背けない で、 「 新しい住まいのデザイン」の芽として見つめ直してほしいと願っている。 またその一方で、住 宅の機 能は社 会の反 的 、小 規 模に住 宅の中に取 り 込 まれる ★夕食後の炬燵の周り。 夕食の後、めいめいの姿勢で寛いでおり、炬燵の周りにはいろいろなモノ が広げられている。炬燵を中心に「床」に依存してモノを広げる生活であり、 日本特有の起居様式、 その典型を示している図。 きづき . 2 0 1 5 . M ay 17 きづき . 2 015. May ★住居の空間機能(『AVANCE』理論編、ニチブン出版) [連載] 特集:日本人の住まいはどこへいく「動かない生活」 から 「動く生活」 へ 原 点での保 障が国 民の様々な活 力 を 引 て語っていま す 。それは住 宅という 生 活 遺 産として認められているのと同じよう もできる わけです 。和 食や 和 紙が世 界 18 に、和 室や日 本の伝 統 的 な 住 まい、そし きづき . 2 0 1 5 . M ay てそこで営まれていた暮らしも 世 界に誇 19 き出 す 大きな基 盤にあるという考え方 きづき . 2 015. May からです 。﹁この生 活の原 点の安 心と 安 うと、今、都会と呼ばれる場所がいかに特殊で不自然な 渡 辺 光 雄(わたなべ・みつお) 1942年静岡県清水市生れ。専門は住居学、建築学、都市計画。岐阜 大学名誉教授。工学博士。東北大学建築学科卒業。東京工業大学 大学院博士課程終了。主な著書に 『暮らしのための住居学』 『 住まい 十五章』 ( 学術図書出版)、 『 住み方を創る』 ( 連合出版)、 『 新・住居 学』 (ミネルヴァ書房)、 『 住領域から考えるサザエさんの家庭科教育 論』 『サザエさんの家庭科教育論2・ 「生活」 を語り合おう』 ( 教育図書)、 『百の知恵叢書/窓を開けなくなった日本人』 ( 農文協) など。 れる ものがあるはずです 。﹁ 動 く ﹂生 活 て自然の声を聞きながら人々は暮らしていたことを思 【プロフィール】 定こそが、社 会 力や経 済 力 、文 化 力の発 大自然とまではいかなくても、ひと昔前までこうし かっぽう着作家。1977年京都生まれ。京都市立芸術大学彫刻専攻卒業 後、オランダのアーネム芸術アカデミーでファッションデザインを学ぶ。 2009年日々譚(ひびたん)の名で古シャツのリメイクかっぽう着を発表。 以来、日々の暮らしを衣服を通じて支えたいという想いで、各地で展示 やワークショップなどを行なう。2010年ほぼ日作品大賞 大橋歩賞受賞。 2011年より3年間、写真家の夫と共に大阪の自宅のある長屋に「暮らし を持ち寄る集会所 傍房」を開き、持ち寄りの晩ごはん会やみそづくりな ど様々な集いを行なう。2014年より新潟県佐渡市在住。 文 化 をもう一度 見 直 すべき時 期にきてい しは心にも窮屈だったようです。 山 口 明 香( やまぐち・あすか) るのではないでしょうか。 ました。気がつかなかったけれど、これまでの都会ぐら 【プロフィール】 祥の原点だと信じています﹂ 為は厳 然として守っており 、和 洋 折 衷の のを感じました。そして、心ものびのびと広がってゆき これ まで述べてきたとおり 、戦 後 、日 高齢者夫婦二人だけのコンパクトな住宅、 ﹁二重 生 活 ﹂ が続いています 。 一方で、 モー 発信されるたくさんの情報を、全身で受け取っている 本の住 宅は欧 米の暮らしに憧れ、様々な あるいはお年 寄りの一人 住まい、障がいを スに限らず 、日本の住 文 化の素 晴らしさ 舎の生活を想像するだけでは分からなかった自然から モノやコトを 受 け 入 れてきました。ある されてきているし、逆に ﹃サニタリー機 能 ﹄ もった方が自 立して生 活できる最 小 限の ることもしばしばです 。 また、 テレビコマー は外 国 人から逆 輸 入される形で認 識 す 知り、音にも季節の移り変わりがあるのを感じ、ただ田 意 味 、借り 物の文 化の上に、現 在の日本 や﹃ 趣 味 仕 事 機 能 ﹄ は充 実が求められて 住 宅 な ど 、集 まって 住 むこと を 含 め 、 の住まいが置かれている状況といえます。 きています ﹂戦 後 、日 本の住 宅は代々続 様々な住 宅が必 要とされてきます 。 そし ★最近見かけなくなった普段履きの履物たち。 この履物たちは まさに「動く生活」の象徴といえる。 洋 家 具 を 受 け 入 れつつも 、靴 を 脱 ぐ 行 ある程 度 開 放された一方 、﹁ 商 品 化 ﹂とい シャルで未だに縁 側の風 景 を 頻 繁に目に いてきた ﹁家﹂ としての住 宅の考え方から て、機 能としても 社 会 化されるものがあ 写真:3.5GH=みしまひろゆき たたえている海を眺め、夜の明るさで月の満ち欠けを う流 れのなかでほとんどの住 宅が画一的 たされた空気を吸って、見る度にいつも違った表情を するのも 、単なる郷 愁ではなく 、私たち まだ何も始まっていないけれど、土や緑の匂いに満 る一方 、その家 族らしさが反 映 された全 たり、 ノビルやフキを夕飯のおかずに摘んだり。 な 機 能の住 宅 を 甘んじて受 け 入 れてき どかな風景の中を散歩。道々、野イチゴをつまみ食いし 自 身 もかつての日 本の住 まいの中に、生 うな生活。庭にタライを出して、洗濯をしたり、水浴び をしたり。その合間には、まだ旅先としか思えない、の 活の知 恵や 文 化 、真の豊かさ を 潜 在 的 きながら、暮らしが整うまでしばらくはキャンプのよ く 新しい機 能が登 場してくる 予 感がし と新しい生活をスタートしました。少しずつ荷物を解 ま す ﹂と語 り 、著 書の中では9つの具 体 越し準備と長距離の移動の疲れを癒すべく、のんびり 宅が求められる 時 代になるだろうと 渡 気持ちいい季節です。 翌日からは、とくに何の予定もないので、連日の引っ た面があり ました。今 後 は 個 性 的 な 住 外の空気を 吸いながらのごはんが に感じ取っているからにほかなりません。 阪の長屋暮らしから大きく変わりました。 的 な 提 案 を 示していま す 。そして、これ れからも忘れないでいたいなぁと思います。 やテレビの音、台所の音が生活の一部となっていた大 辺さんは予 想しています。 て、民家がぽつぽつと点在する集落です。隣の家の会話 電 製 品や 自 動 車 を 悪 者にしようとも 、 るからこそ感じることができたこの新鮮な感覚を、こ モノが片 付けられないことを 戒めたいわ 持ちのいいことかということ、都会からの移住者であ 近い高台の一軒家。周りは田んぼやりんご畑に囲まれ 切った空 調 機 頼りの生 活 、家 具の谷 間の を感じながら深呼吸するように暮らすことがいかに気 我が家が縁あって住むことになったのは、海岸線に かれていま す 。﹁ も うそろそろ 戸 を 閉め に思います。本来、人も自然の一部だということ、それ けでも ありません。それは、社 会の急 激 いるうちに心もどこかきゅうきゅうとしてしまうよう 静かで、 なんだか怖く感じたのを思い出します。 底でじっと〝 閉じこもった生 活 〟をやめよ れた情報に囲まれながら、それをシャットアウトして ど1年前のこの季節でした。初めての夜はあまりにも な変 化に日本の住まいとしての 〝設計〟 が 私たち家族が大阪から佐渡へやってきたのは、ちょう うではありませんか﹂渡 辺さんは著 書の ます。日々たくさんの人の気配と経済活動に組み込ま 対 応できていなかったと言い換 えること 環境になってしまっているかということに気づかされ も、のびやかな歌声をあちらこちらに響かせています。 中で、 一貫して些 細な生 活 行 為にこだわっ 2月の終わり頃、たどたどしく鳴き始めたウグイス 新 建 材やアルミサッシ、家 具や小モノ、家 深 呼 吸 するように 暮 らせ る 幸 せ らの提 案の背 景として ﹁ 動く生 活 ﹂ が貫 山口明香 ﹃日本の暮らし﹄を 遺産にしない 3 ﹁ 家 族 構 成 人 員が減り続けており、単 今 日もかっぽう着 を 着 て 、 身 世 帯がとても 多くなっています 。また、 Vol. Asuka Yamaguchi 中島デコ TEM 研 究 所 道 具 と 住まい 第 [連載] 自 然とともに 生 きた い 回 真 島 俊一 や ぎ の出 産 か しいと 思いま せ ん か?このま ま だ と 、人 間 です か 。 一昔 前は、望 ま ない妊 娠 を し ないよ う 治 療の医 者 が 大 儲 け しているって話 じゃない 寄り添った 、 ストレスや電磁波 等の少ない生活 コ生 ま れていま す 。食べ物 だ けでな く 、自 然に 知り合いたちの間では今ベビーラッシュ。 ポコポ に、ブラウンズフィールドの卒業生、 この地域の を選ぶのも大事だなぁと、楽しそうに子育てし に 目一杯 気 をつけ な きゃいけ な かったのに 。お は自然淘汰、絶滅危惧種ですよ。 ほんとに。 ている若いお母さんたちを見な がら思いま す。 つい先日、や ぎのユキ ちゃんが 赤 ちゃんを 産 みました。も う、何回目になるかしら?春と 秋 コンビニ弁 当の廃 棄 を 豚に食べさ せたら、数 いて、ちょうど 今 、ウエイティング 状 態 。今日か に2頭 ずつ出産して、貰い手 を 見つけるのが大 明日か と ド キ ド キし な が ら 皆で待っている 状 長女の3人目の出産が、予定日から3日過ぎて を 聞 き ま し た 。やっぱ り 、人 間の今 食べている 況です 。や ぎのユキ ちゃんみたいにスルッと 産 そして、高知県から里帰り出産をしに来ている ﹃エサ﹄がいけないんじゃないでしょうか?よっ めますように。 日々精進。あとは祈るのみです。 ぐに餌 を 元に戻し た 養 豚 業 者 がいるという話 妊娠していて。 でも 、 いつも 苦し む 様子も な く、 ぽ ど 、気 をつけて ないと 、 いつの まに や ら 、外 年 も 待 た ずに 豚 が 妊 娠 し な く なったので、す お医者さんを 呼ぶ必要も な く、 スルッと 自分で 食 産 業に 何 を 食べさ せ ら れているか わか ら な 変 なので、な るべく 雄のポ ールから 離して繋い 産んでしま うので、凄いな ∼。と 見守るのみ。今 キちゃんのおっぱいを飲んで成長しています。 ませんでした が、も う1頭はとっても 元気にユ でも 、皆さんに﹁マクロビオティックのお食事を すし 、お 食 事も 本 当に美 味し くて大 好 きです 。 私は、 マクロビ オティックの考 え方 も 好 きで ミ 、トチなど 木の実 を 採 集し 、ま は植 物 を主としていて、 クリ、 クル 〇 〇 年 あ ま り 前 、縄 文 人の主 食 とするため、民 家の土 間や板 間の これを 冬に向け長 期 貯 蔵し食 料 ら 北へ急 速に普 及 するのですが、 へとサツマイモが入ってきて、南か とするものです 。考 古 学では地 面 かけ食べ物にしていました。 このた 道 具やアク 抜 きの道 具で 手 間 を 地 方が増えて行きます 。 これを長 を 生かし 桑や 種の貯 蔵 庫 とする ルを 掘 り 、 この内が冷 涼 となるの が盛んになるのですが、崖にトンネ 普及し米や穀物を貯蔵穴に入れ、 弥 生 時 代に入 ると 、水 稲 栽 培 が 蔵とも云ってます。 によっては、岩ムロ、 ムロ、または穴 この風 穴は岩 場に掘ったので地 方 積み小 屋 風のものまであります 。 る竪 穴 住 居 内の貯 蔵 穴は小 さめ 2m 弱と大 小 様々です 。地 炉のあ 理になり、 やがて高 倉に変わってい られている村 もあり ます 。 これを 穴 蔵 があ り 、村の戸 数 以 上 も 掘 き ま す 。屋 外の貯 蔵 穴 は 集 落 管 佐 渡の小 木 岬の村々の崖には 入れや食料庫として活用していて、 民 家の床には芋 穴が備えられてい ました 。次 回から 様々な 倉 、蔵の 姿を追ってみます。 20 でいるのです が 、油断してると あっと 言 う間に 回の1 頭 目は 、残 念 な が ら 、とても 小 さ くて、 人 間はもっと 動 物に学 ば な けれ ばいけ ませ 食べるべきです﹂と 、言うつもりは全く ありませ いからね。 んよ ね 。 ユキ ちゃんは 、ブラ ウン ズフィールド ん。合う、 合わないも あるだろうし、趣味も嗜好 出てき た時から虫の息だったので、朝 までも ち の草 と ウチの台 所のお 野 菜の残 りのみ を 食べ も 思考も 違うでしょうからね。好き な ものを 食 べたらいいよ。 でも 、少な くても 、添加物や合成 頭 近 く 楽 々と 妊 娠 し て、今 まで赤 ちゃん を て産んで母 乳︵ や ぎ 乳?︶1 0 0%で子 育てを 化学物質、放射能、農薬、精製した白砂糖、遺伝 子 組み換 えし た 食 品 、薬で抽 出し た 油 、ホルモ していま す。 草の種 類 を 選 ぶ 事 は あっても 、嗜 好 品 は 欲 人間が普通に生きるための ﹃あたりまえに自 や卵等を極力減らす必要はあると思います。 然な 食事﹄を 有り難く感謝して必要以上に食べ ン剤 や 薬 物 を たっぷり 投 与 さ れ た 肉 や 乳 製 品 い。えらいな ∼ 。人 間はど うなんだ?知 恵 がつ 過ぎ ない。 これだけで充分だと思うのです。 し が ら ない。肉 が 食べたいと か 、ケー キ やコー いて、知 識 が あって、文 明 が 発 達してき たけ れ ち な みに 、世 間の不 妊 治 療 流 行 り と は 裏 腹 ヒ ー や タバコ や お 酒 が 飲 み たい と も 言 わ な 間 が増えている。しかも 、妊娠さ えでき ず 不妊 ど 、巷では、まと もに出産子育てができ ない人 たクズ、 ワラビ、ヤマノイモなどの 下に保 温 用の大きな芋 穴を掘って 貯 蔵の原 形 納 屋や 蔵 は 道 具や 米 、食 料 な 半 栽 培 物 も食 料としていました。 穴蔵 どを 収 蔵 するための建 物ですが、 人口急増にも対応していくのです。 いま す 。 この芋 を 救 荒 作 物 とし 、 江 戸の町 屋で も 穴 蔵 が 多 数 、発 越 冬 用 食 料は木の実であったらし したのでしょう 。水 晒しでアクを 掘されるので、江 戸でも芋や食 料 く、 これらを 多 数 、貯 蔵 穴に保 存 原 形を探してみました。古くは穴 抜かなくては食べられないのは、ト 場 所が、どんな 姿で 始 まったのか 蔵がこれに当たるようです。 を穴で保存していたのでしょう。 に掘った穴のことを貯 蔵 穴と呼び 人口も上向いていくのです。 め水 場 近くの丘に集 落が発 達し、 ラビもそ うでしたので 、粉にする 江 戸 時 代 後 期から全 国で養 蚕 穴の中から木の実などが、小 枝や 住 居ではカマドが発 達し食べ方 も 野 県では風 穴と呼び、穴に続く石 穴の形は丸や方 形に似ていて寸 穀 物 中 心になって人口も 増えてい ですが、屋 外のものは大 きめで定 きました。住 居の貯 蔵 穴は、以 後 まだ確かな記録を目にしてません。 は年間を通して低温であることを は穴蔵的使い方になるようですが、 漁 具 入 れや納 屋 代わりに、あるい こともあるのです。 法 は 縦 、横 、深 さ と も ㎝ か ら 枯 葉に包 まれた 状 態で出 土する 今から二〇 〇 〇 年 あ まり 前の ますが、 これ も 穴 蔵の一種で、 この こを 道 具や 食 料 などの貯 蔵 場 所 穴 蔵は地 面や崖に穴を掘り、 こ チ、 コナラなどの木の実 、クズやワ この建 物の祖 先 、 つまり 貯 蔵 する 中 島 デコ( なかじま・でこ) 生かし、主 屋 近 くの穴 蔵はビール 長野県飯田市K家。入口幅1m弱、奥行5.3m、幅2.5m 余。 このムロは多湿だが機能は大型の保存庫並。 かつ ては桑、 サツマイモ、食料などを保存していた。 【プロフィール】 住 期 間や集 落 規 模によって数 十 、 のです。 土 器 などが各 種 普 及 する四〇 江戸時代の始めごろ沖 縄、九州 【プロフィール】 真 島 俊 一( まじま・しゅん いち ) きづき . 2 015. May 21 きづき . 2 015 . M ay マクロビオティック料理研究家。東京生まれ。 1986年から自宅にて料理教室を開き、2男3 女、5人の子どもを育てあげた経験に基づ く料理指導が、多くの母親たちの支持と共 感を得る。1999年フォトジャーナリストの夫と ともに千葉県いすみ市に田畑付き古民家 スペース 「ブラウンズフィールド」 を設け、世 界各地から集まる若者とともに、持続可能 な自給的生活をめざす。2006年にマクロビ オティックカフェ 「ライステラス」 を2012年に 宿「慈慈の邸」 をオープンさせる。現在、 ビ オクラスタイルクッキングスクールをはじめ、 国内外で講演会や料理講師として活躍中。 Brown’ s Field http: //www.brownsfield-jp.com ユキちゃんが生んだ子やぎ。 1947年栃木県生まれ。1970年武蔵野美術大学建築学 科卒業。1974年(株)TEM研究所代表に就任。現在に 至る。 日本生活学会前副会長、道具学会理事、 トヨタ財 団研究助成団体審査委員など歴任。主な著書と論文は、 『南佐渡の漁村と漁業』 (共著、小木町/第一回日本生 活学会賞受賞)、 『 世界の建築術』 ( 共著、彰国社/日 刊工業新聞社第三回技術図書文化賞受賞)、 『台所の 百年(生活学23)』 (共編著、 ドメス出版、2000年神戸賞 受賞)、 『棚田の謎』 (共編著、農文協、2005年棚田学会 賞受賞)、 『生活空間論(講座生活学6)』 (共編著、光生 舘)、 『生活学事典』 (共編著、TBSブリタニカ) ほか。 9 20 処によっては百あまりも出 土する 30 [連載] 木 下 壽 子 さん 管 理 運 営まで横 断 的に住 宅や建 築の提 案 を 行っている木 下 壽 子さんです 。世 界 中 方について検 討 を 進めました。しかし残 に活 動に加 わっていただき 、継 承のあり の保 存・継 承に共 感してくださる皆さん の3 軒をテーマとした展 覧 会を企 画して 軒 、継 承 者を探しているということで、 こ 表 する建 築 家 3 人が設 計した住 宅が3 日から1ヶ月 間に としての横 顔 も 持つ木 下 さんは、2 0 1 2 年 より日 本の貴 重 な 住 宅 建 築 を 残 す 2 0 1 2 年の9 月 わたり、﹁ 昭 和の名 作 住 宅に暮らす ︱ 次 ﹁ 音 楽と建 築の響き合う集い﹂を 通して 継 承 者 を 見つけることはできませんでし 世 代に引き継 ぐためにできること﹂とい ベントから一歩 踏み込み、﹁ 継 承 者 を 探し た。 こうしたイベントの他に、何か打つ手 ている ﹂ということも 表 明しつつ、1ヶ月 う展 覧 会 を 私が運 営しているギャラリー ﹁ 旧 倉田邸 ﹂ の継 承の相 談が持ち込まれ 間に渡ってパネルや 模 型の展 示 を 行い、 で開 催しました。 これまでの文 化 的なイ ました。また、私の事 務 所では、 その4 年 期 間 中には建 物 見 学 会やサロントーク、 め 頃 、私のところに 吉 田 五 十 八 設 計の 邸﹂ の管 理 を 引き受けつつ継 承 者 を 探し ほど 前から 前 川 國 男の自 邸﹁ 新・前 川 映写会などを実施しました。 はないかと考えていた2 0 1 2 年のはじ 2 0 0 8 年に ﹁ 園 田 高 弘 邸の継 承と活 ま ち づ く りハウ ス ﹂が 中 心 と な り 、 ていました。時 を 同じくして、昭 和 を 代 お 借 りして﹁ 音 楽 と 建 築の響 き 合 う 集 用 を 考 える 会 ﹂を 立 ち 上 げ 、園 田 邸 を ︱ ま ずはこの活 動が 生 ま れたきっかけ りから適 切 な 継 承 者 を 見つけるための くの方に実 感していただきつつ、 その繋が い﹂を 開 催 するなど、 この家の価 値 を 多 だった園 田 高 弘 氏のご自 宅の継 承につい 活動を行ってきました。 ﹁ 玉川まちづくりハウス﹂ に相 談に来られ ということで、地 元のまちづくりNPO き すぎ、 でも 壊してしまうのは忍 びない 繋がりということですね。 田 邸 を 設 計 した 吉 村 順 三 、 つまり 藝 大 ラストの代 表 理 事 を 務めているのは、園 ︱ 建 築 家の野 沢 正 光さんが住 宅 遺 産ト き、活 動に加 わっていただきました。野 沢 そうです 。考 える 会 を 立 ち 上 げ たと さんをはじめ 、建 築 家や 不 動 産の専 門 1 9 5 5 年に建てられた吉 村 順三設 計 増 築 部 分も含め、 一目 見て 〝これは壊して 家 、地 元の商 店 街の方々など、 この住 宅 の家の保 存 状 態は極めて良く、その後の ま し た 。早 速 ご 自 宅 に 伺って み る と くなった後 、奥 様がお一人で住まうには大 て相 談 を 受けたことでした。高 弘 氏が亡 きっかけは世 界 的に有 名 なピアニスト や経 緯について伺いたいのですが。 残すとは、 継 承者を探すこと 活 動の背 景や経 緯 、取り組みや課 題についてお話 を 伺いました。 迎 えており、残せるかどうかは時 間との戦いでもあります 。今 回は木 下さんに、 この が人 知 れ ず 姿 を 消 していま す 。戦 後 建てられた 貴 重 な 住 宅の多 くが継 承 時 期 を 個 人の所 有 物である住 宅の継 承は極めて難しい問 題です 。それ故 、貴 重 な 住 宅 運 動 として﹁ 住 宅 遺 産トラスト﹂という 活 動にも 参 加しています 。 の名 建 築 を 見て歩いた 経 歴の持 ち 主でも あり、建 築 史 家 、あるいは建 築 ライター 回 目は、 コミュニティー・ハウジング代 表として、企 画から 48 は ど う か と 提 案 し ま し た 。そ し て 貴重な住宅を失うことは、 住まうことの文化を失うこと。 21 2012年3月、求道会館にて開催されたシンポジウムの様子。聴竹居倶楽 部の松隈章氏、東京R不動産の馬場正尊氏の顔も。 ( 写真:齊藤さだむ) 22 きづき . 2 0 1 5 . M ay あ の 人 に 会 い た い vol. KINOSHITA Toshiko 念 ながら 、約4 年 間にわ たり 実 施した ﹁あの人に会いたい﹂第 48 はいけない〟と思いました。そこで、﹁ 玉 川 継承前、園田邸で開催された 「建築と音楽の響き合う集い」の様子。2008 年から4年半に渡って開催され、多くの方がこの活動を知ることになった。 (写真:齊藤さだむ) 23 きづき . 2 015. May [連載] [連載] 承者が現れたということですね。 ︱ そしてめでたく 、﹁ 園 田 高 弘 邸 ﹂の継 要性を認識したということですね。 いた保 存 活 動 を 継 続 的に行 う 組 織の重 な 指 標 は 築 年 数です 。価 値があるのは 建 物であっても 、 その価 値 を 評 価 する主 家 ﹂も 、古 家 付きの土 地として売り 出さ 土 地であって、建 物が建っているとマイナ 動 産 会 社や 銀 行に相 談しても 、古い家 れていました。﹁ 代 田の町 家 ﹂は、所 有 者 その通りです 。社 会 的な関心があるに りました。 この方は、吉 村 順三の大ファン は取 り 壊して土 地 を 売 却した方がよい 氏から相 談 を 受けたケースでした。坂 本 ではなく設 計 者である建 築 家の坂 本一成 そうです 。日本 経 済 新 聞に掲 載してい 継 続的な活動が ﹁ 受け皿﹂ に で、また私たちの活 動にも 深い理 解と賛 す 。また、1 軒 1 軒 保 存 活 動 を 展 開 す といったアドバイスを 受けるのが一般 的で 氏にとって重 要な位 置づけのこの住 宅 を トを 通して継 承に成 功した﹁ 代 田の町 同をいただき、建物を残し必要な改修を 壊 すことなく継 承できないかと、坂 本 氏 ス評 価になりかねない。住 宅 遺 産トラス 行うのみならず、引き続き文化的な活動 るのではな く 、継 続 的に活 動し、ネット 本 人から相 談を受けました。すでに売り 組 織は見 当たりませんでした。既 存の不 のために使わせていただけることになり、 ワークやノウハウを 蓄 積 することが重 要 に出ていたため、 いつ取り壊されてもおか も 関 わらず 、そうした活 動 を 行っている 初はまったくの手 探りで不 安もありまし 私たちにとってはまさに理 想 的な継 承を なく 住 宅 遺 産の保 存・継 承に関 するご だと考えました。その後 も 途 切れること 阪在住の方が継承してくださることにな た。 しかし、展 覧 会の実 行 委 員の人 脈の 実現することができました。 また、多くの しくない状 況 だったので、急 きょ見 学 会 ただいた展 覧 会の記 事 をご覧になった大 おかげで、新 聞や雑 誌などにとりあげて メディアに取り 上 げられると共に、実 際 相 談 をいただき 、 こうした相 談 窓口、組 を 実 施したところ、非 常に多くの方々が ︱ 大 変 貴 重で贅 沢なイベントですね。 いただき、結 果 的には大 勢の方々にご覧 に多 くの方が展 覧 会にいらしたことで、 織の存在意義を改めて感じています。 展 覧 会は初めてだったこともあり 、最 いただくことができました。 建 築 関 係 者のみならず 、 このテーマに対 有 者からのご相 談が寄せられ、社 会 的に わせや、逆に継 承 者 を 探したいという所 の高い住 宅に対 す る 評 価が成 熟してい はまだ、 こうした歴 史 的・文 化 的に価 値 なからずいらっしゃるのですが、日本 社 会 このような 活 動に理 解のある 方 も 少 住まいに対する 価 値 観の成 熟 多いでしょうね。 すでに事 務 所が無 く なっている場 合 も 救 われるための一歩かも しれませんが、 た 建 築 家に相 談に行 く 、ということが ︱ 不 動 産 会 社ではな く 、ま ずは設 計 し 方が見つかりました。 来てくださるとともに、幸 運にも 、先の 必要とされている活動なのだと確信する ない状 況 だと 思いま す 。住 宅 を 手 放 す も 、相 談 さ れ ないま ま 売 買 さ れている 設 計した事 務 所が存 在していたとして れていれば別ですが、世 代が代わっていた トルをつけましたが、時 代 を 限 定してい 覧 会では﹁ 昭 和の名 作 住 宅 ﹂というタイ ︱これまで 1 軒 1 軒 、単 発で 行 われて るようです。吉田五十八設計の ﹁旧・倉田 を認 識されていなかったりする住 宅もあ たり 、所 有 者が変 わって誰が設 計したか てしまいます 。日 本ではどんなに貴 重な で ﹁ 取 り 壊しましょう ﹂ということになっ ているのかは様々で、 ひとつひとつ丁 寧に を抱えていらっしゃるのか、何を希 望され ご相 談に来られる 方がどのような 問 題 でのところ、本当にケースバイケースです。 決まった手 順は特にありません。今ま と施 主の良い関 係が非 常に密に継 続 さ ケースがほとんどだと思います 。建 築 家 のような住 宅が他にないかという問い合 りして関係が薄れてしまっていることが多 るわけではありません。 この点は、 この活 邸 ﹂も研 究 者の間で長らく現 存しないと 展 覧 会のつながりから継 承してくださる に至りました。 そして、 こうした活動を継 ときの相 談 窓口として最 初に思いつくの する一般の方々の関 心の高さを 実 感しま 続的に行うために、展覧会の実行委員が は不 動 産 会 社ですが、築 年 数が古いだけ した。そして、展 覧 会 終 了 後にも 新 聞や 理事となり ﹁一般社団法人 住宅遺産トラ 雑 誌に掲 載された記 事 をきっかけに、 こ スト﹂を設立することになりました。 いのだと思います。建築家にとっても施主 思 われていました。相 続された方 も 、吉 誠 実に、自 分たちに何ができるかを 考え 動を始めるにあたって理 事で議 論した点 田 五 十 八設 計の建 築であると両 親から ながら対 応しています 。最 初の相 談 窓口 なのですが、結 論 としては、あえて現 時 点では厳 密 な 基 準は設 けず 、ご相 談 毎 は聞いているのですが⋮ 、 という感じでし う意味でも重要なのだと思いますが⋮。 に誠 意 を もって対 応していくことにして と長くお付き合いするというのは、 そうい ︱ どんなに丈 夫で性 能が高い家 を 建て 顧 問には 様 々な 専 門 家がおり 、また住 務 局ですが、住 宅 遺 産トラストの理 事や 制 度 を 変えていかないと、根 本 的にこの 宅 遺 産トラストの外 部の専 門 家の方々の となるのは私たち3 人が担 当している事 問題の解決にはならないと思うのですが、 お力も借りて活動を進めています。 続です 。そういう意 味で、税 制 を 含めた わる人たちが心から ﹁ 残したい﹂ と思える 現 実にはスクラップ&ビルドを 助 長 する た。住宅が壊される一つの大きな要因が相 世 界のモダンハウスを 見て歩いた経 験 かどうか、 それが一番 重 要な指 標だと思っ 新築優遇の政策がいまだに幅を利かして 断と偏 見 〟 かもしれませんが、活 動に関 からいうと 、建 築が残 るためには 、物 理 はないと判 断した場 合は、他に専 門 家を ています 。結 果 的に私たちの活 動 対 象で ︱ その中には不 動 産 屋さんなども 含ま います 。そういう意 味では、私たちの 〝独 的 な 強 度だけでなくデザイン的 な 強 度 いて、建築文化の保護を支援する仕組み れているわけですか。 値は半減してしまうわけですね。 も あ わせ持っていなければ、時の試 練に ご紹 介したり、可 能な限りお力になれる は見当たりません。文化財の制度も近代 て も デザイン的にま ず けれ ば 、残 す 価 耐 えられない。そして、所 有 者 だけでは よう努めています。 立たないというのが正直なところです。寄 の住 宅 を 保 存 するためにはあまり 役に のか、その点は簡単ではない気がします。 とそ うでない住 宅 をど う 区 分けできる す 。ただ その一方 で 、残 さ れるべき 住 宅 ︱ とても 意 義 深い取り組みだと 思いま の価値について認識しやすいのだと思いま 書や雑 誌に載っているような建 物ならそ す!﹂ みたいなこともあったり︵ 笑 ︶。教 科 だけで、﹁住宅遺産に間違いないと思いま られたりします 。設 計 者の名 前を聞いた 分かりませんが⋮﹂ と、恐縮して相談に来 ﹁この家が住 宅 遺 産と言えるのかどうか 著名な建築家が設計した家であっても、 ︱ 相 談 を 受けたとき 、対 応の手 順 な ど と協力しながら活動を進めています。 士、不動産の専門家など、多様な専門家 で、志を共有してくださる弁護士や税理 専 門 家だけで解 決できることではないの 多過ぎるのです。 こうした問題は、建築の 住宅を継承していく上で不都合なことが ることが多いようです 。現 行の制 度では、 付したいといっても 地 方 自 治 体に断られ 宅 の 年 代 も 、江 戸 時 代 から 現 代 ま で おっしゃる通りです 。相 談 を 受ける住 すが、なかには有 名 建 築 家の作 品であっ はあるのですか。 ともあるでしょう。 ︱ 施 主 自 身が価 値 を 認 識していないこ なく 、﹁この住 宅 を 残したい﹂と思ってく 力、あるいは仕 組みが必要です。 れるファンをできるだけ多く獲 得 する魅 ﹁ 評価の基準﹂ は設けない 様 々ですし、設 計 者が分かっている もの ても 、様々な理 由で作 品 集から漏れてい 24 きづき . 2 0 1 5 . M ay 25 きづき . 2 015. May 2012年9月に開催された展覧会「昭和の名作住宅に暮らす」の様子。吉村順三、吉田五十八、 前川國男の3つの住宅の継承者を探すことが目的。新・前川邸を除く2つの建物は見学もできた。 残念ながら吉田五十八の「旧・倉田邸」はこの後取り壊されてしまった。 「 新・前川邸」は引き続き、 継承者を探している。 ( 写真:齊藤さだむ) もあれば分からないものもあります 。展 旧園田高弘邸(伊藤邸)。2012年の展覧会をきっかけに継承が実 現された。現オーナーの協力により、活動の主旨に理解の上、演奏会 などに利用することができる。 ( 写真:齊藤さだむ) K I N O S H I T A To s h i k o vol. 48 会 い た い あ の 人 に [連載] 状況を作りたいですよね。 値 を ある程 度 見ることができるという ︱ 本 当は町の不 動 産 屋さんが建 物の価 力も借りつつ継 承 者 探しをしています。 いので、志 を 同じくする宅 建 業 者さんの 住 宅 遺 産トラストは宅 建 業 者ではな るための仕 組みが必 要で、建 築に精 通し 手 を 探 すだけではなく 、建 物 を 保 存 す なってしまうケースも 多いので、単に買い 結 果 的 に 土 地 だ けで も 非 常 に 高 額 に と思いますが現 在は地 価が非 常に高く、 た当 時は一般 的な土 地の広さだったのだ な評 価 も 求められます 。また、建てられ で、物 理 的 な 評 価 だけでなく 建 築 史 的 歴 史 的・文 化 的 な 価 値が高いものなの と なった 建 築の姿にこそ 多 くの人が価 のは本 意ではないですが、暮 らしと一体 まい手 を 選ぶという 方 向に捉 えられる ま す 。そ れが 暮 ら し 方 を 縛 る と か 、住 値の裏 付 けと なるのではないかと 思い にこ そ 見 出 すことができ 、その姿が 価 住 まいの価 値は住 まい手 と 応 答 する姿 とか、ライフスタイルにも 価 値がある 。 暮 ら しの美 し さ という か 、暮 ら しぶり ま す 。また、文 化 財 的 な 保 護が必 要 な た専 門 家のコンサルティングが求 められ 思います 。 値 を 感 じるよ うになるのではないかと ﹁リストから漏れている 建物﹂ から救う 重 要だと 仰っていました。誰 もが住みこ 誰が住んでも 住みこなせる癖のな さが 所にいらした建 築 家の永 田 昌 民さんも が住みこなしている姿ですね。吉 村 事 務 いて対 応しているのが現 状です 。 DOCO ところ 、相 談が持 ち 込 まれるケースにつ 相 談に乗 りたいところなのですが、今の ストをつくり 、所 有 者の方が困る前にご 余 裕があれば、 ぜひ残したい住 宅のリ れ!とお願いするのではなく 、所 有 者の ことは、所 有 者の方に単に壊さないでく にも 良 く 分かりません ︵ 笑 ︶。唯一言える かれたり も するのですが、正 直 、私 たち す 。なぜそんなに打 率が高いのか?と聞 のところ残せている打 率は高いと思いま とうございました。 熟が進むことを願います 。今日はありが く 認 知 され 、住 宅に対 する価 値 感の成 に思います 。 この活 動の存 在がもっと 広 も 救 えているという 時 点で奇 跡のよ う ︱ 個 人の所 有 物である住 宅が、半 分で ﹁ 昭 和の名 作 住 宅に暮らす ﹂展のご縁が 救っているわけではないのですが。住 宅の 意 図してリストから漏 れているものを は、個 人の力で何 世 代にも わたって所 有 思っていても、現 在の日本の制 度のなかで ら言えることです 。所 有 者が残したいと 神戸市生れ。 日本女子大住居学科卒業。芝浦工業大 学、 ロンドン大学大学院修士課程修了。1996年∼97 年、 ロータリー財団国際親善奨学生としてグラスゴー 大学マッキントッシュ建築学校修士課程在籍。非常勤 講師、 フリー建築ライターを経て、2006年、有限会社コ ミュニティー・ハウジングを設立。2012年、一般社団法 人住宅遺産トラスト理事就任。建築雑誌『a+u(建築と 都市)』2000年臨時増刊号『Visions of the Real: Modern Houses of the Twentieth Century − 20世紀のモダンハウス:理想の実現』I&IIをケン・タダ シ・オオシマと共同監修。 木 下 壽 子(きのした・としこ) 26 住みこなすことの価値 こうした価 値 ある 住 宅が、築 年 数に のを 受け継 ぐというよりは、その家が紡 でしたが、ご夫 妻が亡 くなられた後 、親 いとして貸し出 されてきました。私が管 いできたストーリーに魅 力 を 感じ、それ ﹁ 新・前川邸 ﹂ は、前川夫 妻の終の棲 家 理 を 引き継いだあと、 アメリカ人のご家 ものから 、現 代のニーズを 満 たしたリノ す 。先ほどお話しした ﹁ 代 田の町 家 ﹂は、 族と現 在のオーストラリア人の弁 護 士さ ベーションを 施し、住まいとして使 われ続 代 を 中 心に、既 存の不 動 産マーケットに たな 施 主の要 望に応じてリノベーション オリジナルを 設 計した建 築 家 自らが新 を 引き継いでいくということなのではな かかわらず きちんと 評 価 を 受 けていく 疑 問 を 抱 き 、新しい価 値 観で住 まいを んがお住まいになっていますが、共に、空 いでしょうか。﹁ 園 田 高 弘 邸 ﹂ の場 合 も 、 マーケットを 形 成していくことも 私 たち 探したりつくったりしている 人 たちが出 するという 、非 常に興 味 深い、そして幸 間に触 発 されつつ、自 分らしい住 まい方 新しい住 まい手が、建 物だけでなくピア 族が継 承し、ずっと外 国 人の方々の住ま てきているのではないでしょうか。不 動 産 運な継 承のケースでしたが、多くの場 合 、 を 楽しまれています 。 このように、住まい けていくことが望ましいものまで様々で 業 者の中にも 、 そういったニーズに応えよ すでに建 築 家は亡 くなっていま すから、 の役 割 だと 思っていま す 。すでに若い世 うとしている人 も 出てきているようです 。 んでいる歴 史 的・文 化 的 価 値の高い住 宅 くださいました。私たちが住 宅 遺 産とよ に限らず 、所 有 者が変 わっても 愛され引 ノや書 籍なども 継 承したいとおっしゃって き継がれる住 宅には、物 理 的 強 度のみな 手らしさが発 揮できる家こそ、優れた器 のお手伝いをしてきた住宅のほとんどは、 らず 、様々なライフスタイルを 受 け 入 れ としての住 宅であると 前 川 國 男 さんは い手が前の住 まい手や建 築 家の設 計 意 ﹁ 新・前 川 邸 ﹂と同じように、新しい住ま どのようなリノベーションを 施 すかという ︱ 建 物やオリジナルの設 計が継 承され るデザイン的な器の大きさが必 要なので ことは、 つねに議 論になるところだろう るこ と と 共 に 、そこで ど ういう 暮 ら し 図 を 尊 重しつつ、自らの暮らしを 楽しん はないかと思います。 空き家の問 題なども 社 会 問 題として認 が営 まれてきたのかということにも 興 でいるように思いま す 。暮らし方そのも け止めつつ、貴 重な住 宅 遺 産を次 世 代に 識されつつありますが、日本の不 動 産 市 味 が あ り ま す 。建 物 の 美 し さ と 共 に 、 クアップし、手 遅 れになる 前に所 有 者の 引 き 継 ぐ ための仕 組みを 考 えていくこ 考えておられたようです 。私たちが継 承 熟であることへの違 和 感というか弊 害が あり、その姿に価 値 を 感じるのではない 方とともに継 承の道 筋をたてるというこ となのです。 と思います 。 よ うや く 認 識 さ れ 始 めたのではないで でしょうか。ところで 、すでに残 すべき とを 今 後はやっていきたいと 考 えていま 場 はあまりにも 新 築に偏 り 、欧 米 など しょうか。住 宅 遺 産トラストに相 談が持 名 作 住 宅がリスト化されているといった す 。ただ、時 間が限られている割には、今 に比べて中 古 住 宅の市 場がき わめて未 ち 込 まれる 住 宅は、中 古 住 宅の中でも ことはないのでしょうか。 なせる住まい、住まい手の感 性を拡 張し MOMOなどが貴 重 な 近 代 建 築の遺 産 ︱ 価 値があるのは、それぞれの住まい手 てくれるよう な 住まいこそ 名 作 住 宅で 方とともに、 どうすれば残せるかを既 存 さる 方々が本 当にたくさんいらっしゃる をリスト化していま すが、私 たちのとこ ということです 。5 月に2 回 目の展 覧 会 うことと、私たちの活 動に賛 同してくだ す 。どちらかというと、保 存 すべくリスト を 開 く 遠 藤 新 設 計の ﹁加地邸﹂ は、地 元 の仕 組みの中で一生 懸 命 考 えているとい 化されている建 築 、 つまり多くの専 門 家 の方々もその行く末に注 目し、残して欲 ろに相 談がある住 宅は、正 直 、そうした すべき建築が多いかもしれません。 がマークしている建 築ではない、 しかし残 ︱マークさ れている 建 物はある 意 味 多 産トラストにご相 談がありました。所 有 きっかけとなり 、所 有 者の方から住 宅 遺 しいと要 望していた建 物だったのですが、 くの目に晒 されているわけで比 較 的 安 者の方に残して欲しいと要 望 するだけで 心 な わ けで す ね 。漏 れている も のから 救っている、ということにとても 意 味 を 継 承で重 要なのは時 間です 。時 間をかけ し続けることは非 常に難しいことなので は残らない、 というのがこれまでの経 験か れば、救える可 能 性が高まります 。 です す 。私たちの仕 事は、 こうした状 況 を 受 感じます。 ので、 できれば残 すべき 住 宅 遺 産 をピッ 【プロフィール】 きづき . 2 0 1 5 . M ay 27 きづき . 2 015. May 新・前川國男邸。東京都品川区。敷地面積は495.3㎡、延床面積は456.8㎡。 1974年竣工のRC造地下1階、地上2階建の家。 ( 写真:齊藤さだむ) リストから漏 れている場 合がほとんどで 一般社団法人「住宅遺産トラスト」の事務局を取り仕切る3名の 女性。写真左から木下壽子氏、吉見千晶氏、横田幸子氏。5月 開催のイベントの準備で忙しい中、取材に応じていただいた。 4/25∼5/17にかけての土、 日、祝日に開 催されている加 地邸でのイベント案内。 K I N O S H I T A To s h i k o vol. 48 会 い た い あ の 人 に [連載] 最 初 に 子 ど も を 抱いた と き だ という 性が夢の中で、あるいは 想 像のうちに、 第一回 目で、子どものはじ ま りは 、女 えるのである 。 な 体 験がいちじるしく 乏しいよ うに思 の受 胎・出 産に先 行 するこうした 内 的 内 的 体 験の 途 絶 え か ら 子 ど もへと 継 承 さ れて き た 、この 歌 わ れ な く なった ということは 、母 親 験しているのであ る 。童 謡 や 子 守 唄が 芹沢 俊介 回 3 歩 踏 み 出し 、 こうした 想 像 上の出 来 事 考 え 方 を 紹 介した 。そこから 、さ らに一 どろくほど知らない︵*2︶ 。知らないとい 一例 を あ げると、童 謡 や 子 守 唄 を 、 お 若い 母 親 が 少 な く ないとい う 現 状 を 方 、あ やし 方 などわからない、といった ということを 意 味 す る 。子ど もの抱 き よ う な 母 性の作 り 方の一つが 途 絶 え た 考 えると 、その背 景に母 性の作 り 方の うことは、彼 女らのために母 親が歌って 消 失 を 思 わざるを 得 ないのだ 。 いなかったのだ 。母親の歌う童謡や子守 唄 を 聞かずに育った 世 代が登 場してき 童 謡 や 子 守 唄のことを 書 き たかった を もって、母 親にな る ための、言い換 え たのである 。ふところ や 背 中で、あ やさ のでは ない。若い女 性 た ちはいま 、母に いるという 視 点 を 提 起したのだった 。 は すでに、 この時 点においてはじ まって の子ど もでも 、心の中にはおさ な ご を さむ 。 口ずさむとき 、わ ずか4 歳 、5 歳 子であ ろ うと 男の子であ ろ うと 、 口ず 身の怖れを 言 葉にしたかったのである 。 ているのではないだ ろ うかという 、私 自 な る 準 備が ないま ま 、妊 娠 し 、出 産 し 位 置づけた 。 夢の中で乳 幼 児 を 抱いた り 、あ やし 聞いていれ ば 、成 長した 子どもは 、女の れ な がら 母 親が 歌 う 童 謡 や 子 守 唄 を その 先に 問いが 生 ま れ る 。 いまの 女 *1 想 像 す るに当 た る 英 語 歳 前 後の女 性 た ちのほとんどは 、 シューベルト 、ブ には 、妊 娠 す ると conceive あやす自分が登場しているのである。 *2 いう 意 味 も ある 。 ラームス、 モーツァルトの作った 子 守 唄は む ろんのこと 、日 耳 にし た 童 謡 や 子 守 唄 を 歌 う と 、 母 性が自 然に喚 起 さ れる 。 このとき 子 本の 子 守 唄 も﹁ 七つの 子 ﹂ ﹁ 月の 砂 漠 ﹂といった 童 謡 さ え 実 証でき る あてのない推 測 を 述べれ はたして訪れているのだ ろ うか?︵*1 ︶ 性 た ちに、 このよ う な 身 ご も りの夢が そだて 最初の我が子との出会いとみなし、養育 た り 、遊 び 相 手になった りした 経 験 を れ ば﹁ 親 子に な る ﹂た めの 準 備 として 第 知 ら ない。 30 地 域 材を使った職 人の技が、 心 地よさに満ちた か わ 三加 和 小 学 校 み 魅 力 的な木 造 校 舎をつくりだす。 なごみ 熊本県和水町 28 ということ 全国に広がるOMソーラーの 施設建築を紹介 ど も は 、抱 き 方 も あ やし 方 も一緒に 経 24 ば 、と り わ け 若い女 性 た ち ほど 、実 際 1942年、東京生まれ。社会評論家。上智大学経済学部卒業。文芸・教育・家族など幅広い分野の評論で 活躍。現代の家族や子どもたちの問題を独自の視点で捉え、教育のあり方、犯罪に対する根本的な問題 点などを積極的に発信している。主な著書に 『引きこもるという情熱』 『 経験としての死』 ( 以上、雲母書房)、 『「新しい家族」のつくり方』 『 死のありか』 ( 以上、晶文社)、 『「孤独」から考える秋葉原無差別殺傷事件』 (批評社)、 『家族という意思』 (岩波書店)、 『子どものための親子論』 『養育事典』 (以上、明石書店) など。 3 校が統 合した新しい小 学 校 。 芹 沢 俊 介( せりざわ・しゅんすけ) 親子になる vol. きづき . 2 0 1 5 . M ay 29 きづき . 2 015. May 【プロフィール】 連載 OM report 近隣の3校を統合し、 校 舎に入って感じるのが、木の柱や梁の 存 在 感です 。地 域 材であるアヤスギの無 近 年の児 童 数の減 少により 、この地 域 れた 熊 本 県 北 部に和 水 町はあります 。 福 岡 との県 境に位 置 する 、緑に囲 ま と、香りもいいですね﹂ と校 長の中 村 祐二 な木の印 象で気 持ちが落ち着きます。 あ つくり、校 舎の骨 格としました。﹁ 柔らか ています。 これで柱 、方 杖 、梁のフレームを 中学校の敷地内に小学校を新設。 の3つの小 学 校 を 統 合 し 、新 たな 小 学 先生はにこやかに語ります。 垢 材を圧 着した、〝 束 ね重 ね材 〟を使っ 校 建 設が計 画されました。2 0 1 1 年 木 造フレームが整 然と並び、構 造 体の美 屋 内 運 動 場は、束 ね重 ね材の巨 大な に対し、三 加 和 小 学 校は児 童にとってよ 30 プロポーザルが実 施され 、小 中 学 校の規 O Mソーラーの効 果は、教 室に設 置さ より校 区が広がった生 徒たちの通 学のた いとのこと 。 ミニバスケットやバレーなど 部 めにスクールバスを 導 入 。広い廊 下やオー 斜で設 置しています。﹁ O Mソーラーの効 た、昇 降口正 面のモニターにはC O 2削 減 プンな図 書スペースはバスを待つ生 徒たち りよい学 習 環 境 を 整 えるための、ひとつ 量などが表 示されるため、社 会 科の環 境 の居 場 所にもなります 。標 準 服の採 用 れたディスプレイの温 度 表 示を 見ること また、その他の省 資 源 化への取り組み 教 育にも 活 用 されていま す 。校 長 先 生 も 、3 校 の 児 童 がひとつになる 象 徴 と 活で屋 内 運 動 場を 使 う 児 童 たちにも 、 として、屋 内 運 動 場の屋 根に降った雨 水 は、﹁ 自 分たちの校 舎が環 境 保 全に貢 献 なっています。 果はとても高いです。冬 場にストーブを入 をトイレの洗 浄 水に再 利 用するシステムも 近に感じることができると思います。 この していることがわかると 、環 境 問 題 も 身 のモデルを 示しています 。例えば、統 合に いるそうですが、そこまで下がることはほ 備えています。﹁おもに災 害 時の使 用を考 で、生 徒たちはいつでも実 感できます。ま ぼないとのこと 。 ﹁ 児 童 たちにも 好 評で えた設 備ですが、 日常 的に水 資 源の有 効 新しい時 代に向けたさまざまな課 題に 暖かいから体を 動かしやすいと 評 判がい す。以前の小 学 校ではよくしもやけになっ 校 舎で育った生 徒たちに、環 境を大 切に れたのは、試 運 転を除けば1 回だけでし ていた子が、 この校 舎ではしもやけになら 活 用を意 識できることはとてもいいこと 向き合いながら、三 加 和 小 学 校はこの土 ℃以 下でストーブをつけることになって なかったと 喜んでいました﹂と 、うれしそ する人 間になってほしいと 思います ﹂と 、 地 域の新しい学 校としてしっかりと根を だと思います﹂ と校長先生は話します。 屋 内 運 動 場 も 大 き な 空 間 な がら 想いを込めて語りました。 うに話します。 張りつつあります。 屋内運動場入口の屋根に集熱パネルが載る。 に ﹁くまもとアートポリス﹂ による公 募 型 しさに目を奪 われます 。屋 根には緩やか レームはすべて 微 妙にサイズが異 なりま 模 適 正 化 を 前 提 としながら 地 場 産 材 とを 盛り込んだ 、野 沢 正 光 建 築 工 房を す。地 元の大 工さんがミリ 単 位の精 度で な 傾 斜 をつけているため、1 本 1 本のフ 中 心とするチームのプランが採 択されま 加 工し、片 側 ずつ組み立て、 クレーンで吊 や自 然エネルギーを積 極 的に活 用するこ した。 本のフレームを組んでいき ました。﹁フレームで反 響 するせいか、 ここ り上げながら 内 運 動 場は、柱や梁に地 元のアヤスギが ど 卒 業 式の練 習で、生 徒 たちが歌 う 校 は音 響がいいんです﹂と校 長 先 生 。ちょう 新 たに建てられた小 学 校の校 舎や 屋 建 築 となりました。 さらに、快 適な温 熱 OMソーラーによる温熱効果で、 歌がきれいに響き渡っていました。 ています。 こうして完 成した三 加 和 小 学 冬はほぼストーブいらずに。 動 場に導 入されました。集 熱パネルは冬 始めました。 職 人の技によって 実 現した 、 場の集 熱 効 率を高めるため、約 度の傾 地 域 材による木 造 空 間 。 O Mソーラーシステムは、校 舎と屋 内 運 校は、2 0 1 4 年 春 、新たな歴 史を刻み 雨 水を再 利 用した循 環システムも導 入し 環 境を実 現するO Mソーラーシステムや、 ふんだんに使 われ、個 性 的な構 造の木 造 23 いそうです。 木造平屋建ての三加和小学校の校舎。屋根には約60度の傾斜をつけた集熱パネルが並ぶ。 た﹂。校 長 先 生の話によれば、通 常 、室 温 60 きづき . 2 0 1 5 . M ay 31 きづき . 2 015. May さらに、 これら 環 境への配 慮 と 同 様 、 低学年教室と中学年教室の間に 次の時 代 を 見 据 え た 、 ある中庭。休み時間は生徒たちの 格好の遊び場にもなる。 既 存 校 舎を改 修した高 学 年 教 室。木材を多用し、統一感を図っ ている。 出 生 率の減 少 という日本が抱える課 題 低学年教室のダクト。集熱した空 気はダクトを通り教室へ。 O Mソーラーの効 果は良 好で、冬の学 校 低学年教室と中学年教室をつなぐ廊下。約1.2mの高低差を緩やかな階 段がつなぐ。 小学校のあり方 を 模 索して 。 豊かな自然に囲まれた和水町。国の史跡である江田船山古墳をはじめ、 多くの歴史遺産も点在する。 集 会でも 寒さで体 調を 崩 す 児 童はいな 高低差を利用したひな壇構造の 音楽室。 10 低学年教室の温度グラフを見ると、 日中の太陽熱利用と蓄熱により、外気温 が0度以下となる時期でも室温は10度以上を保つことが解る。 300mトラック 雨水タンク 変 化し始 め ています 。グーグルやアマゾン 人 と 機 械 の 関 係が、も の す ごい勢いで れ ていた 、分 析 や 判 断 を 伴 う 分 野に、﹁ 失 人 間 な ら で はの 知 的 労 働 と 位 置 づ け ら これまで 、﹁ホワイトカラー﹂と 呼ばれ 、 雨水タンク 東屋 合うような相方になっていくはずです。 の 僕︵ し もべ︶で は な く 、互いに 働 き か け そのた めの機 械は、これまでのよう な 人 働 き 方 、暮 らし方 を 興していきましょう 。 す の で は な く 、より 人 間 らしい 世 紀の いま す 。 世 紀 の ラッダ イト 運 動 を 起 こ のか、私 た ちは今 、未 来への岐 路に立って 化の波 頭 を と ら え て 新 た な 幸せを 創る 変 化 に 抗って 機 械 に 対 峙 す るのか 、変 のだからです。 高 め 合って き た 人 間の知 恵の歴 史 そのも 低学年用グラウンド 㻝㻞㻦㻜㻜 といった 巨 大ドットコム企 業まで もが、自 業﹂ の危機が迫ってきたというのです。 と 高 を く く る 人 もいま す 。し かし 、私 は 技 術 の 進 化 を 甘 く 見 て はいけ ないと 感 じています 。 子 カメラ の 試 作 機 を 発 表しまし た 。不 安 ム会 社 に 就 職 を 決 め た 直 後 、 ソニーが電 昔の話しになりますが、私が写真フイル オックスフォード大学の人工知能学者が し 、まった く 取 り 合っていません で し た 。 進化スピードなのです。 る人は、ほとんどいません。これが技 術の しかし今、 フイルムを使って写真を撮影す がよ ぎ り ま し たが 、先 輩 た ち は一笑 に 付 年 の 間 にアメリカの 総 雇 発 表し た﹃ 雇 用の未 来 ﹄という 論 文が、世 ∼ %の仕 事は自 動 化 さ れ て 、機 械 プロジェクト も 、既 に 全 国 8 割 の 私 立 大 目 標 と する、人工知 能﹁ 東ロボ君 ﹂の開 発 ﹁ 2 0 2 1 年 度 に 東 大 入 試 を 突 破 ﹂を 医 療 事 務 、法 律 事 務 な ど 、事 務 処 理 や 営 学で %以上の合格可能性を得る水準ま で到達しているそうです。 この 勢いで 、機 械 は 人 の 仕 事 を 次々に でいます。 業 、サービス分 野 の 職 種がず ら り と 並 ん 能 性が 最 も 高い職 業 に は 、保 険 の 営 業 、 私 も 論 文 を 読んでみました 。消 える可 に奪われてしまうというのです。 用 者の と 、今 後 界中で話題となっていますが、 これによる を奪う﹂という不安が増しています。 まれ 始 め ています 。特に﹁ 機 械が人の仕 事 急 激 な 変 化の中 では、新 た な 不 安 も 生 迎えています。 わった、人と機械の関係は、新たな局面を 動 運 転 車 やドローンと 呼ばれる無 人 飛 行 デッキテラス 比 較 的 高いスキルを 要 すると さ れ てい 中庭 㻝㻞㻦㻜㻜 㻞 㻜 奪い、人 を 不 幸 に 陥 れ ていく の で しょう 特別支援教室 㻞㻜㻝㻡㻛㻜㻞㻛㻞㻜 㻜 㻙㻝㻜 た、法律事務や市場アナリスト、新聞記者 倉庫 㻝㻞㻦㻜㻜 㻝㻜 ﹁ そ ん な 極 端 な こ と に な る は ず が ない﹂ 中学校校舎 㻞㻜㻝㻡㻛㻜㻞㻛㻝㻥 㻝㻞㻦㻜㻜 㻞㻜㻝㻡㻛㻜㻞㻛㻝㻤 㻝㻞㻦㻜㻜 㻞㻜㻝㻡㻛㻜㻞㻛㻝㻣 㻢 一方 、機 械 に は 不 可 能 な 点 を 挙 げ て 、 高学年用グラウンド と 人 の 仕 事 の 進 化 は 、こ れ ま で も 互いに 音楽室 教室 㻝㻞㻦㻜㻜 㻠 㻞㻜 か?私 は そ う は 思いません 。技 術 の 進 化 屋内運動場 屋根あり通路(キャノピー) 㻞㻜㻝㻡㻛㻜㻞㻛㻝㻢 㻤 㻟㻜 な ど 、情 報の分 析 や 編 集に関 する職 種が 32 㻝㻞㻦㻜㻜 㻝㻞 機 な ど 、ロボット 開 発 の 最 先 端 で しの ぎ 職員室 㻞㻜㻝㻡㻛㻜㻞㻛㻝㻡 㻝㻞㻦㻜㻜 㻢㻜 を 削り合 う 中 、 ﹁ 情 報 ﹂という 要 素 が 加 校 の 校 舎 には O Mソーラーは 含まれているのも特徴です。 ■ OMソーラーの施設建築情報はこちら http://omsolar.jp/ OMソーラーサイト 理科・図工室 教室 教室 㻞㻜㻝㻡㻛㻜㻞㻛㻝㻠 㻠㻜 機械は人の敵なのか? 木の壁にあしらわれた学校名。 㻹㻶㻛㻝㻡㼙㼕㼚 㻝㻠 Ჷ ᗘ ᐊෆ ᗘ እẼ ᗘ 㞟⇕㔞䠄ᬮᡣ䠅 䉝 㻤㻜 然と感じます。 自然エネルギーを 教室 小学校入口 中学校入口 教室 教室 きづき . 2 0 1 5 . M ay 33 きづき . 2 015. May OM対象範囲 21 名称/和水町立三加和小学校 所在地/熊本県玉名郡和水町 設計・監修/NNSH設計共同体(野沢正光建築工房+一宇一級建築士事務所+UL設計室+東大森裕子時空間設計室) 施工/本山建設(木造校舎)、三和建設(屋内運動場) OMソーラー工事/株式会社ユーホーム 建物概要/木造平屋建て 敷地面積/38,179.50㎡ 建築面積/2,145.80㎡ 延床面積/1,965.17㎡ 竣工/2013年7月 写真/本多元 80 駐輪場 中 間 真 一( なかま・しん いち ) 期間:2015/02/13∼2015/02/20 入っていないので、その差は歴 㻝㻜 20 駐車場 株式会社ヒューマンルネッサンス研究所取締役研 究部長主席研究員。1959年東京都生まれ。慶應義 塾大学工学部管理工学科卒業。富士フイルムを経 て、 オムロンの未来研究所であるヒューマンルネッサ ンス研究所に設立メンバーとして参画。人間・生活 者視点に立ち、人と機械の関係の未来研究や、未 来創造へのイノベーションを手がける。共著書には 『スウェーデン─自律社会を生きる人々』 ( 早稲田大 学出版部)、 『 男たちのワーク・ライフ・バランス』 (幻 冬舎ルネッサンス) など。 低学年教室の南側に設置されたデッキ。 ここから直接グラウンドに出ることができる。 かいのがとてもいいです。中 学 㻡㻜 県の木材利用大型施設コンクールでグラ ンプリを獲得。 長してもらいたいと思います。 㻣㻜 で、環境問題に敏感な人間に成 10 21 【プロフィール】 㻞㻜㻝㻡㻛㻜㻞㻛㻝㻟 校長 中村祐二氏 小 学 校 入 口のホールにディスプレイを設 置。OMソーラーの働きをリアルタイムで確 認できる。 05 H R I(株式会社ヒューマンルネッサンス研究所) 中間 真一 取り入れた生活を体験すること 47 [連載] 人と機 械 の 幸 せ な 関 係 冬の朝、学校に入るとすでに暖 窓 際 にガ ラス瓶 際に花を飾るの?﹂と。全 員が同じ答えを 藤村靖之 られて、それが・・・と思うと心が温まる。 聞かせてくれた 。﹁ その方が 美しいからだ 回 [ 最終回 ] 写真を見ていただきたい。僕の家の南側 人から 学んだ 。 フランスの家 庭では 、みん このやり方は、 三十 年ほど前にフランス 第 の窓 だ 。ガラス瓶 を 並べてある 。ガラス瓶 よ!﹂と。 年ほど前のことだ。 の 中に は 水 が 充 填 さ れている 。冬に 陽 光 夜には 、水に 蓄 えられ た 熱 が 室 内に 伝 達 が差し込むと、瓶の中の水が温かくなる。 ガラス瓶 と 入 れ 替 える 。そ ういう 入 れ 替 は 、祖 母の代から 続 けているそうだ 。美し な普 通にやっている。僕が訪れた家の主 婦 来 を 知 ら ない。虫 は 花 を 求 めて く るのだ た 理 由 だ 。ご く 限 ら れ た 人 し か 、その 由 を 防 ぐのが 、窓 際に 花 を 飾 る よ うに なっ 実 は 、虫 が 家の 中に 飛 び 込 んでく るの 中までは入ってこない。虫にとって、部 屋の から、窓 際に花があれば、わざわざ部 屋の いガラス瓶が手に入る度に、そうではない えを、3 代にわたって続けてきただけのこ されて、暖房効果があるというわけだ。 と は あって 、感 動 す る ほ どの 美 しい風 景 但し、人 間の血を求めてくる蚊は、花を よい。あの 不 愉 快 なエアコンも 止 め た 方 あの 不 愉 快 な 網 戸 は 外 し た 方 が 気 持 ち 今 回が最 終 回 だ 。もとより 電 気 を 否 定 す 日に開催された実証実験PJのセミナー 徴がよくわかり、 また、人が快適と感じる温熱環境 いた。低断熱・低気密の家、高断熱・高気密の家の特 も 、体の一部だけが炙られる暖 房 器 具では快 適では についてもまた、よくわかる話だった。暖 房について 物であるヒトとっては快 適 な 環 境だということは、 な く 、体 全 体から緩やかに放 熱 することが恒 温 動 おそらく 誰しもが身に覚えのあることだろうと思 い、また私 も 深 く うなずける話だった。ところで、 フ 温にも一日のリズムがあって上がったり下がったり ﹁ゆ ルフラットの室 温というのが快 適なのだろうか?体 らぐ ﹂ものであるし、照 明 もフラットな ものよりも 落ち着 く 。 と、小難しく考えなくても、要するに、 フ キャンドルの光のような﹁ゆらぎ﹂ があることで心が ルフラットとは同じ唐揚げを毎日食べ続ける事では 熱フル活用実験の今後が楽しみだ。︵M.G︶ ないか?いくら好物でもそれは美味しくない。太陽 34 暖 房 代がいくら 節 約できるのかと 言 う まらない。しかし 、昼 間の太 陽の熱が 蓄 え 飛 び 越 えて 部 屋の 中に 入って く る 。蝿 も 中は恐 怖に満ちているのだから。 ﹁ こ の 瓶 は 祖 母 の 瓶 で 、こ れ は 母 の 入ってくる 。だ か ら 、蚊 や 蝿 が 入ってくる だった。 年しか だった 。僕の家では 、入れ 替 えを よ!﹂と説 明してくれた主 婦は、誇らしげ 時 期 に は 、網 戸 や 蚊 取 り 線 香 な どの 手 の 床 に 光 の 模 様 を 映 し 出 す 。瓶 の 色 が 昼 間 、瓶 を 通 り 抜 け た 太 陽 光 が 、出 窓 喜 ばれ た 。 がいい。そ う 教 えて あ げ た ら ド イツ 人に 段 を 講 じ れ ばいい 。そ うで ない 時 期 は 、 様々だ か ら 、模 様の 色 も 様々だ 。本 当 に 代に期 待したい。 やっていないので、大して美しくない。孫の 美 しい。﹁ 生 活 は アート ﹂とフ ランス人 が の話 も 、 さて 、 回に わ た る﹁ 非 電 化 ﹂ さについて、読 者 との共 感 を得 たかっただ ギーとお 金 を 使 わないでも 得 られる 豊か け だ 。と も あ れ 、2 年 間の お 付 き 合いに る 話 を し た かった わ けで は ない 。 エネル と、どこの家も窓 際に花を飾っていること 度 は ドイツの 話 。ドイツの 住 宅 街 を 歩 く に気 付く。だから通りを歩くと美しい。ド 感 謝したい。 号 を 迎 える﹃ きづき ﹄ですが、次 号からは隔 月 ■ 4月 づき﹄をよろしくお願いいたします。︵K.M︶ に 〝濃い目〟 でいきたいと思っています。引き続き﹃き ました。発行回数は減りますが内容はこれまで以上 刊から季 刊︵ 年 4 回 発 行 ︶ へと変 更 することになり で 支える一つの装 置でありたいと思います 。さて、今 号 な暮らし︱。OMソーラーはそんな〝動く暮らし〟を でもあるのです 。窓が大きな住まい、窓を開ける豊 は、 ある意味、暮らしと住まいの不一致が表出した姿 住まいの知 恵は失われ、洋 室にモノが溢れている姿 んできたわけです 。巧にビルトインしてきた日本の 道 具の種 類は多 く 、それらが豊かな 生 活 文 化 を 育 れは衣 も 食 も 同じで、欧 米に比べ暮らしを 支 える わせて使うことでその変化に対応してきました。 こ しい日本は、建具に見るように様々な装置を組み合 になっているわけです 。欧 米に比べ四季の変 化が激 らしを残しつつ、住まいは機能を限定した専用利用 す 。﹁ 広げて使い、終わったら仕 舞 う ﹂併 用 利 用の暮 暮らしを 堅 持しているのは特 集で述べたとおりで け、外 観はブロンディの家に近づきつつも 靴 を 脱 ぐ ■ 日 本の住 まいは戦 後 、西 洋 化 、工 業 化の波 を 受 イツ 人に尋ねたことがある。﹁どうして窓 ﹁ 生 活はアート ﹂という 話 をも う一つ。今 感 する 。 よ く口に す るのは 、こ ういうこ と か と 実 12 きづき . 2 0 1 5 . M ay 30 と、実は微々たるものだ。だから身 体は温 2030年の標準仕様を学ぶ 住まいの公開セミナー開催! 加者で賑わいました。 ションでは、本 事 業におけるO M たN E D O 太 陽 熱フル活 用モデ 基 調 講 演 と パネルディスカッ 本 誌でも 何 度かご紹 介してき ル実証実験事業・浜松モデルハウ な どが 解 説 さ れたほか 、今 後 の ス ﹁VOLKS HAUS 1 .5﹂ ソーラーのパワーアップポイント の見 学および本 事 業の関 係 者を 家づくりのあり方、 またその中で 朝日新 聞 購 読 者に送 付されている月刊の広 報 誌 。特 集 「わが家をもっと心地よく」の2章「“風通し” と “断熱” をよく する」、3章「夜の照明の選び方」についてOMソーラー情 報企画部が解説。 環境共生建築、パッシブデザインといった分野で活躍され ている建築家・小泉雅生氏の書籍。第8章の3「自然エネ ルギーを活かしたアクティブ環境制御」の一例としてOM ソーラーシステムが紹介されている。 の地 域工務 店に求められること 30 *スタイルアサヒ *住宅設計と環境デザイン 招いての講 演 、パネルディスカッ 発 行:朝日新聞社 掲載号:2015年5月号/通巻第68号 発行日:2015年5月1日 発 行:オーム社 著 者:小泉雅生 発行日:2015年1月20日 ション を 行 う 公 開 セ ミ ナ ーが 加 者は技 術 面 と 共に顧 客ニーズ 新潟県で活躍されている建築家・大橋秀三氏の「武士の 家」 (もののふのいえ)が掲載されている。民家に通じる田 の字型のプラン+町家に通じる目の字型プランをミックス した将来の変化を見据えたOMソーラーの家。 「奥村まことさんの半畳キッチン繁盛記」 と題して、設計事 務所の小さな台所の様子が掲載されている。 コックピット のように高密度の空間の使い勝手ほか、食事を共にする 大切さなどが綴られている。 などについて議 論が展 開され、参 にどう応えるかについて考える良 *新建築 住宅特集 *チルチンびと 4/ ︵木︶ に開催されました。 ﹁ 地 球のたまご﹂ の敷 地 内にある 午 前 中にO Mソーラー本 社 屋 発 行:新建築社 掲載号:2015年4月号/第348号 発行日:2015年3月19日 発 行:風土社 掲載号:83号(2015.春) 発行日:2015年4月1日 31 の中で、東 大 准 教 授である前 先 生の基 調 講 演 を 聞 16 い機会となったようでした。 ●第三回森のたまご 35 きづき . 2 015. May 12 モデルハウスを見 学し、昼 食を挟 日 時:6月7日 (日) 会 場:地球のたまご カフェテリア 参加費:大人一人500円 子供一人500円 定 員:10組 んでセミナーの会 場である浜 松 駅 近 く の ホ テ ルへ 移 動 。定 員 1 0 0 名 を 予 定 し ていた 中 、 ●地球のたまごでカメラワークショップ 広報誌 P8 書籍 P156 130名という予想を上回る参 日 時:5月23日 (土) 参加費および定員は未定 お問い合わせ:OMソーラー株式会社 (053-488-1700) 雑誌 P144∼151 雑誌 P74∼81 最近OMソーラーの家やOMソーラーに関して取り上げられた雑誌・新聞・書籍などをご紹介します。 O M PUBL ICIT Y 29 回 第 を設立。専門は非電化による環境技術の開発。栃木県那須町 で非電化工房、地方で仕事を創る塾などを主宰し、科学技術 庁長官賞、発明功労賞などを受賞。 『 愉しい非電化』 ( 洋泉社)、 『非電化思考のすすめ』 (WAVE出版)など著書多数。 たまごの 今 加 者が集 まり 、会 場は多 くの参 今後の「地球のたまご」 でのイベント http : // o mso lar. jp / tamago / たまごの取り組みは、地球のたまごサイトで公開中! [連載] 非電化 工房代表。日本大学工学部 教授(工学 博士)。発明家。 194 4年、福岡県生まれ。大阪大学大学院基礎工学科修了。大 学院修了後、メーカーの研究者を経て、1984年に「カンキョー」 16 [連載] 【プロフィール】 藤 村 靖 之( ふじむら・や すゆき) O Mソーラー(株)の社 屋「地球のたまご」の取り組みをご紹 介。
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