第6章 自然呪力について 哲学は科学的事実を前提にしなければならない。祈りの科学(1)「100匹目の猿が1 00匹」で書いたように、世の中には到底現在の科学の理論では説明できない科学的事実 がある。事実本当に摩訶不思議なことが起っているのに、それが現在の科学では説明でき ないものがいくつかある。私は、 電子書籍「100匹目の猿が100匹」でそのいくつ かを取り上げて、宇宙は「波動の海」であるという前提に立った哲学を語った。 http://honto.jp/ebook/pd_25231954.html その後の作品「今西錦司のリーダー論と松尾稔の技術論」「怨霊と祈り」「祈りの国にっ ぽん」「天皇はん」「地域通貨」「野生の思考と政治」「平和国家のジオパーク」も、 「祈り」に焦点を当てて書いたので、そのシリーズを「祈りの科学シリーズ」とした。 http://honto.jp/ebook/pd_25231955.html http://honto.jp/ebook/pd_25231956.html http://honto.jp/ebook/pd_25231957.html http://honto.jp/ebook/pd_25231958.html http://honto.jp/ebook/pd_25231959.html http://honto.jp/ebook/pd_25231960.html http://honto.jp/ebook/pd_25231961.html そして今私は、御霊信仰との関係で「自然呪力」というものが果たしてある得るものなの かどうか、それを問題にしている。そこでその問題に少しでも肉薄するために、今までの 「祈りの科学シリーズ」をベースに新たな知見を加えて「自然呪力について」を書きたい と思う。 天変地異や疫病を日蓮などの名僧の強力な祈りによって解消する、その強力な呪力を説明 の都合上、私は「自然呪力」と呼ぶこととしている。御霊信仰に関わる哲学的課題でいち ばん難しい問題は、天変地異や疫病が怨霊によって発生したり、それが名僧といわれる人 の呪力によって治まるというようなことがはたしてあり得るのか、という問題である。 一般的に、呪力というものはさまざまであり「祈り」や「呪い」も呪力の一種である。 「祈り」については、上述のようにすでにいろいろ書いているので、この章では、第1節 においてその他の呪力について書き、第2節において「自然呪力」、つまり天変地異や疫 病を日蓮などの名僧の強力な祈りによって解消する、その強力な呪力について書くことと したい。 自然呪力とは、名僧の強い呪力が起こす神との共鳴現象であると私は考えてい るので、第2節の表題は「神との共鳴」とした。 さて、私は第5章でホワイトヘッドの哲学の核心部分を次のように述べた。すなわち、 『 量子の世界では、宇宙と人間の脳に限らず、ホワイトヘッドのいう「活動的存在」 は、すべて同じ原理で動いているのである。「活動的存在」の生成する原理を「エネルゲ イアの原理」という。(中略)・・すべて「エネルゲイアの原理」によって生じてくるの である。(中略) 何か神や霊魂のようなものを感じながら「祈祷」を行う場合、その 「祈祷」の中に神や霊魂は姿を現すのである。つまり、「祈祷」というものがいろんな形 で行われているが、それはとりもなおさず神や霊魂が私たちとともにいることの証明であ る。神や霊魂が存在するのかしないのか、そんな議論は不要である。「祈祷」が行われて いるという事実を持って「神や霊魂は存在する」と断言していいのである。』・・・と。 「祈祷」が行われているという事実を持って「神や霊魂は存在する」と断言していいので あるが、このことは同時に「祈祷」の効果もあるということを意味している。第1節で述 べるように「祈祷」以外にも呪力を発揮するいろいろなものがあるということは、神や霊 魂という「活動的存在」の活動がいろいろな形で生じうることを示しているのだが、神や 霊魂という「活動的存在」の活動のうち、「祈祷」によって引き起こされる「神の働き」 がもっとも活発であることはいうまでもない。この章では「神の働き」に焦点を当ててい ただき、第1節も読んでいただいた上で、何にもまして「祈祷」が強力であることを是非 ともご理解いただきたい。 第1節 呪力について 1、呪力雑感 平安時代、陰陽道の儀式において式神を使役するのは大陰陽師であり、下級の陰陽師はそ れほど「呪力」が強くないので、下級の陰陽師が行なうのはせいぜい「呪い(まじな い)」ぐらいであって、それも何かの儀式というのではなかった。 下級の陰陽師は、一般庶民の願いに応じてさまざまな「呪い(まじない)」を行なった。 大陰陽師の行なう式神を使役しての儀式は今では見ることができないが、下級の陰陽師の 行なった「 呪い(まじない)」はその後姿を変えて今に広く行なわれている。赤い腰巻 き、人形(ひとがた)や流し雛(ながしびな)、てるてる坊主、親指隠し、いわしの頭、 逆さ箒(ほうき)、下駄の灸、さまざまな呪符などである。 また、中国の道教には「禹歩(うほ)」という特殊な歩き方がある。これが日本の舞踏に 影響して能や狂言のあの特殊な歩きから「すり足」が生まれたかもしれない。 中国の道教における「禹歩」については、次をご覧頂きたい。 http://www.youtube.com/watch?v=9ALeMr9uVpk 神獣である龍や獅子の舞いは、長崎や神戸や横浜で中国人が行う道教の祭で見ることがで きるので、多くの方が知っているかと思う。しかし、この祭りに出て来る不思議な人形を 被った見たこともない面白い「舞」が道教の神に奉納される。不思議な人形が両手を大き く振ってゆっくり歩く、それだけのことだが、私が面白いと思うのはその歩き方である。 私は、人間の歩き方に特別の興味をもっていて、10種類ほどの歩き方をそれぞれ名前を つけている。その中で、能に見られる「舞い舞い」というのがあるが、これは自然の 「気」に合わせて足を運ぶ、神と一体になった姿である。その際の重要なポイントは、 「間」の取り方である。その微妙な間をとった歩き方が上記のYouTubeに出て来る。 不思議な人形が両手を大きく振ってゆっくり歩く、その足の運び方にご注目願いたい。誠 に微妙な「間」がある。私達は今年もこのように無事祭ができる。これもあなた様のお蔭 である。これからもあなた様と一体になって生きていくので、引き続きこれからも私達を 慈しみお守りして下さい、と言っているようだ。 また、能の「すり足」の不思議については、内田樹が自分の体験上次のように語ってい る。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/bunmya04.pdf 能や狂言のあの特殊な歩きから「すり足」については、中国道教の影響ではなく、日本古 来の伝統であるという見解を縄文文化の権威・小林達夫が示している。すなわち、小林達 夫は、『 楽器が自らの音の調べとリズムを主張するとき、人の身体、人の身振りや身の こ なし方にも干渉し、注文をつける。わが国の芸能においては、スリ足で舞い舞いし て、なかなか大地からはね跳ぼうとしないのは、楽器の発達が縄文以来、控えめに 終始 してきたことに遠い由来があるのかもしれない。』・・・と言っている。このことについ ては次をご覧頂きたい。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hohitu02b.pdf 少し能の「すり足」にこだわりすぎたかもしれないが、能や狂言の特別な足の運び方に は、呪力があるようだ。 仮に呪力を器物の持つ呪力と行為の持つ呪力に分けた時、 赤い腰巻き、 人形(ひとが た) 、「呪符」などはそういう特別な器物に呪力があるようにも思えるし、親指隠し、 いわしの頭、逆さ箒、下駄の灸、「禹歩」、能や狂言の「すり足」などは特別の行為を行 うことによって呪力が生じるように思える。しかし、よくよく考えてみれば、器物と行為 とが渾然一体となって、器物による呪力とか行為による呪力というふうに分けることにあ まり意味が無いのかもしれない。にもかかわらず、ここではどちらに重点があるかという ような観点から、便宜上、(1)を器物の持つ呪力とし、(2)を行為の持つ呪力とし た。(1)の場合にしろ(2)の場合にしろ大事なことは、それらが「神とのインター フェースになっている」ということである。 (1)器物の持つ呪力 呪力とは、デジタル大辞泉によると、まじない、またはのろいの力。呪術の基礎をなす超 自然的・非人格的な力とある。大辞林によれば、①まじない,またはのろいの力。②特定 の人・物・現象などにやどると信じられている超自然的な力。 →「マナ」 とある。この 「マナ」については学問的にもいろいろと研究されているが、私はそれらも含めて呪いの 力すなわち呪力というものは実際に存在すると考えている。 神の対極的存在として悪魔も存在するが、その悪魔に関連して「呪い」というのがある。 「丑の刻参り」というのをご存知でしょうか? わら人形を木にくくり付け,相手を強く 呪いながら金 で五寸釘を打ち付けるのである。こういう話の一つに 能にも出てくる 「鉄輪」の話 がある。京都の清水寺(きよみずでら)の谷筋は、縄文時代からの死者埋 葬の地であり、縄文人の祈りがあった。 ところで、時代が進んで、強者と弱者が出て来 ると、堪え難いひどい仕打ちを受ける人も 出て来る。そういう人の願いは相手がいなく なることであり、「呪い」という「祈り」とはまったく逆の信仰形態も発生して来る。清 水寺の谷筋では、「祈り」の他にさかんに 「呪い」も行なわれたようだ。その名残が清 水寺の地主神社に残されている地主神社には、「おかげ明神」という社(やしろ)がある が、「呪い杉」というご神木があって、 わら人形を木にくくり付け 五寸釘を打ち込 んだ 穴が今も残っている。清水寺の地主神社については次に詳しく書いたので是非ご覧頂きた い。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jishujin.pdf では、器物の持つ呪力の代表的な事例として、縄文住居に祀られた「炉と石棒」の持つ呪 力について話をしよう。 炉というものは、実用な面だけでな く、何か不思議な力を持っているようだ。「炉の聖 性」と言っても良い。縄文人も「炉の聖性」を感じていたようで、縄文住居の炉は、灯 (あ)かりとりでも、暖房用 でも、調理用でもなかったらしい。 小林達雄は、その著書 「縄文の思考」(2008年4月、筑摩書房)の中で、「火を焚くこと、火を燃やし続け ること、火を 消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったので はないか」と述べ、火の象徴的聖性を指摘している。 詳しくは小林達雄の「縄文の思考」を 読んでもらうとして、ここでは、炉の形態はさま ざまだとしても、一般的に縄文住居には聖なる炉が あって、 聖なる火が消えずにあった のだということを確認しておきたい。そして、これも当然小林達雄も指摘しているところ だが、炉と繋がって石棒などが祭られているのが一般的である・・・・、そのことを併せ て確認 しておきたい。聖なる炉と聖なる石棒、これは正し<祭りのための祭壇>であ る。 この縄文住居の祭壇において祭りが行われ、自然の贈与(神の働き)が発生するのであ る。縄文時代のそういう様子は 矢瀬遺跡を見ればよくわかる。 もう一つ、縄文時代に盛んに用いられた「土偶のも持つ呪力」について触れておきたい。 私は、電子書籍「女性礼賛」の補筆で「縄文土偶の持つ呪力」について書いたが、 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/onnahohitu01.pdf 小林達雄はその著書「縄文時代の世界」(1996年7月、朝日新聞社)の中で次のように言っ ているのである。すなわち、 『 縄文時代の土偶は、縄文人の精神世界の中で生み出されたものだ。』 『 土偶は縄文人の神さまではもちろんなく、単なる縄文人の写しでも、ましてやお遊び や 話し相手の玩具でもなかった。』 『 実は縄文人自身も、土偶の正体、つまりその人相・体格を正確にしっていたわけでは な かったのである。土偶とは縄文人を取り囲む自然物や、縄文人自らが作り出したさま ざま な物の中にも、かたちとして見いだすことのできない存在なのであった。それは、 現実の かたちを超え、いわば神にも似た力そのものであり、不可視の精霊のイメージで あった。 縄文人の頭の中のまだ見ぬイメージが、ややもすれば自己の姿に近づきがちに なるのをあ えて振り払いながら表現したのが、なんとも曖昧模糊とした最初の土偶では ないか。つま り、精霊の顔をまともに表現するなど、あまりにも畏れ多いことでもあっ たのであろう。 当初の土偶の伸張が、5 6cmから10cmどまりであるのは、掌(てのひら) の中に収 められて祈られたり、願いをかけられたりするものであったせいとも考えられ る。つま り、土偶はその姿を白日の下にさらしたり、祭壇などに安置したりするもので はなく、閉 じられた掌の中の闇の中でこそ力を発揮したと考えられる。 また土偶の容姿 はもともと縄文人の目には見えなかったのであるから、その詳細なかたち に本質的な意 味があるのではなかった。それは、あくまでも縄文人の意識の中で確信され た精霊であ り、それが仮の姿に身をやつして縄文世界に現れたものであった、と理解される。』 ・・・と。 縄文時代において、家の中の「炉と石棒」は祭壇であり「神とのインターフェース」とし ての「呪力」を発揮したのであるが、その他に面白いのは「縄文土偶の持つ呪力」であ る。小林達夫が言うように、縄文時代の人々にとって縄文土偶も「神とのインターフェー ス」であったのであり、その呪力によって神との繋がりをつけたのである。それが時代を 経て、邪馬台国の卑弥呼の時代には銅鐸になり、次いで台与の時代には「鏡」になったの である。現在神社に祀られている「鏡」は 「神とのインターフェース」としておおいにそ の呪力を発揮している。 (2)行為の持つ呪力 「行為の持つ呪力」の一つの例として、ここでは「生贄という行為の持つ呪力」を紹介し ておきたい。 臼田乃里子の「供犠と権力」(2006年12月、白地社)という素晴らしい本がある。 「供犠」に付いてこれほど突っ込んだ考察をした論考を私は知らない。彼女は、 日本に も「いけにえ」(供犠)の文化があったということ、怨霊は「供犠」であるということ、 そして御霊(ごりょう)という「神」は怨霊が変身したものであるということを、主張し ているのである。谷川健一もその著「魔の系譜」の中で怨霊について縷々述べているけれ ど、臼田乃里子の方がより深い考察を加えている。そこで、私は、怨霊について、臼田乃 里子の「供犠と権力」から、今まで私の書いてこなかった知見を皆さんに紹介しておきた い。 まずは、臼田乃里子の「供犠と権力」の要点をまず最初に紹介しよう。 1、日本文化の深部にこびりついている存在として「供犠」がある。それを歴史・民俗学 はいろいろと語ってきた。 2、供犠に関する用語、「犠牲」「人柱」「生け贄」「はたもの」等はどういった文脈で 日本文化の諸要素と結びついているのか。 3、生け贄はそれ自体では何の価値ももたない。権力の介入を通じてのみ、その価値観が 獲得されるのである。 4、生の豊かさがあるように、死の豊かさもまたあるのだ。 5、人は供犠を行うことにより生来の動物性を破壊し、その残余としての非肉体的な真実 だけを存続させようとした。肉体をともなわない真実こそが、人を「死に向けての存在」 (ハイデガー)に、あるいは「人間的な生を生きる死」(コジェーブ)に値するものへと 昇華させる。供犠では、肉体が死にゆくものとして存在するにも関わらず「死が人間的な 生を生きる」のだ。 6、「1889年1月3日ニーチェは狂気に屈したのだった。トリノのカルロ・アルベル ト広場で、彼は啜り泣きながら、鞭打たれる馬の首にすがりつき、ついで昏倒した。目覚 めた時、彼は信じ込んでいた。自分がディオニソス、あるいは、十字架にかけられし者で あると。この出来事は悲劇として記念されなければならない。ツァラトゥストラは次のよ うに言っていたのだ。<生ある者が、自分自身にしたがって生きようとするときには、こ の生ある者は自分の権力をつぐない、自分自身の掟による裁き手、その復讐者、そして犠 牲とならねばならない。>と。」・・・とタルコフスキーは「サクリファイス」(河出書 房、1957年)で述べている。 7、ヘーゲルも歴史を神の示現、「世界精神」の顕われだと信じた。歴史の中で起こりえ ることは「世界精神」が欲したものであるのだと。ニーチェの「神の死」はこのユダヤ・ キリスト教の信仰の延長線上にあった。しかし、ニーチェのいう回帰とは同一なものの回 帰ではない。選択的な思想であり、存在に関わるものである。なぜなら同一なるものの回 帰は生成を拒むからだ。 8、モーリス・ゴドリエは、供犠とは破壊する行為であり、狩猟採集には存在しないとい うモースの考えを推し進める。 『人間による神々への贈与は、寄進行為と奉納されたモノの破壊によって実現される。人 身御供を捧げ、香の香り、生け贄の煙を神々に贈り、場合によっては生け贄の肉を食べ る。供犠するとは、供えたものを破壊することであり、その点においては、供犠は一種の ポトラッチであり、贈与の経済と精神を「至高に至らす」。これは神と霊との贈与の実績 と、供犠による契約の関連に他ならない。』 9、ここでゴドリエは、供犠が存在する社会とは恐怖と権力に基づいた社会であるとい う。 『供犠は普遍的なものではない。なぜなら、供犠を必要としない狩猟採集の宗教も存在す るからである。彼らにとって、動物と人間の優位の差はあまり存在しない。供犠の宗教と は、神々が全能で、人間を支配し、恐怖を与える宗教なのである。供犠が存在するために は、犠牲が必要であり、この犠牲はしばしば隷属する人間か、動物(特に家畜)である。 古代ギリシャでは、牛の供犠に対して論争がなされたし、ピタゴラス教団の人びとは供犠 の肉を食するのを拒否したではないか。』(モーリス・ゴドリエ「贈与の謎」法政大学出 版局、2000年 ) 10、日本に人身御供が古くから行われていたことは明らかであって、有名なスサノオが 大蛇を退治されたのも、かの地方に蛇のごとき邪神に人身御供を捧げた習慣があったの を、スサノオが打破した形跡を神話によって記している。仁徳帝の頃に、二人が河の神に 生け贄にされたことが日本書紀には記録されているし、今昔物語には、処女の人身御供が 喜ばれていることが記されている。駿河には生贄川という名の川があり、ある人が犠牲に なった可能性がある。このような事実は日本の習慣としてあったのである。 (注: 森浩一の『倭人伝の世界』によれば、 猪は、縄文時代から人間が飼育することも あったという。それはもっぱら山の神の祭の贄とするために幼い猪を捕獲して飼育したら しい。塩尻にもあるが、私の山小屋のある秩父市荒川にも贄川(にえかわ)という地名が ある。多分、山の神に猪を生け贄として捧げた風習からそういう地名となったのだと思 う。) 11、柳田国男は「掛神の信仰について」(1911年)の中で次のように述べている。 『鳥獣を神に供える神事は、肉を忌み、血を穢れとする以前よりあったもので、由緒ある 神社でも行っている。(略)古語拾遺(こごしゅうい)に、大歳神を祭るに、白馬、白 猪、白鶏を用いるなどと書かれていることと同様である。生け贄は生きたままにて奉る贄 にて、食物の新鮮を保障する誠意から出ているのである。伊勢の皇大神宮の御物にも生け 贄のあることは儀式帳に見える。』 12、加藤玄智は「仏教史学第1編8号」で次のようにいっている。 『三河のうなたり神社の風祭りにおいては、昔は女子を犠牲にしていたが、のちにこれを 猪、もしくは雀の犠牲に代えたことなどは、明らかに人身御供に代わる動物をもってした 例である。一遍上人が神託と講して、鹿の犠牲をやめさせたりしたのも明らかに仏教の慈 悲の思想が動物の供犠を否定した実例である。筑前の宗像神社などは、もとは獣や魚を供 えていたが、のちにこの神に菩薩号を授けて漁猟の祭りまでやめさせてしまった。ハーン が「神国」の中で逝っているように、七月盆の精霊祭りに茄子や生瓜で馬や牛の形をこし らえて供えているような儀礼も動物の犠牲の代用である。日本の古代宗教は儒教と仏教が 感化していった。人間の犠牲が動物にかえられ、動物が植物に代えられていったことは明 瞭なのである。』 13、高木敏雄は「人身御供論(序論)」(1913年)で、「人身御供のモチーフは日 本の民間伝説、童話においては、主たるものの一つであり、早太郎童話も邪神退治伝説の 系統に属するものである。」と言っている。 14、柳田国男は人を神に祀る風習のもっとも顕著な例が八幡信仰であったことを明らか にした(柳田国男「人を神に祀る風習」1926年)。八幡に祀られた数は戦国時代が もっとも多く、多くの勇士が殺され、憤り、祟りをなしたが故に、神として祀られたのだ という。しかし、これらの神は常に八幡と呼ばれたのではなく、天神、大明神、若宮、今 宮、御霊とも呼ばれた。(中略)宗教者の言葉は、時代に即した絶対的なものであったと いう事実。宗教者の言葉が絶対であった故に権力と結びつき、極めて政治性を含んだもの となっていった歴史が、死者を神に祀り上げる風習の背後に潜んでいたのだという。 15、1987年、ローチェスター大学で開催されたルイス・モーガン記念講演でモリ ス・ブロックは儀礼に対する一般的見解に対する再検討を促した。ブロックが自分の儀礼 理論に自信を持っていたことは疑いなく、確固とした証明をするために、西洋の人類学者 ができるだけ避けてきた日本の宗教に言及している。この記念講演の3年前にわずか数ヶ 月ではあるが来日して、現地調査を行ったからだ。ブロックが興味をもったのは、神道と 仏教が絡み合って創出される「力」の転換作用であり、日本の祭りの中に潜む若者の身体 を媒体とするエネルギーの氾濫であった。そこで、供犠のない文化と言われる日本文化に 供犠と政治権力の構造的歴史をブロックは見たのである。この研究は1992年に「生け 贄から狩猟者へ・・・宗教経験の政治学」と題され、ケンブリッジ大学出版から刊行され る。ブロック理論について、ブルース・カップラーは次のように述べている。 「ブロックはジラールに対する人類学者たちの批判を踏まえ、ジラールの暴力の解釈が如 何に現実の事例に相応しないかを論破する。供犠のもつ暴力は社会的調和などではなく、 共同体の「力」を拡大せしめる力であり、暴力は力であり供犠の力は更なる力を与えるこ とにあると主張する。ブロックにとって、儀礼における破壊は生成の暴力である。力と暴 力は一つであり、共に生成していく。このように見ると、ブロックの理論は奥深いところ でデュルケイムとモースの供犠論を確証しているように見える。「生贄から狩猟者へ」は 多様化された暴力と権力の関係において提出された問題を儀礼の転倒性を通して検討した ものであり、朝夕で立ち上げられたものではなく、理論的には、これは人類学の入門テキ ストではなく、政治、経済と幅広い学問の領域を駆使して供犠の深部に密着したものを探 り出そうという作業なのである。そして、何よりもブロックが読者に求めたことは言説へ の再考であり、この理論がさらに他学者によって推敲されることであった。」 臼田乃里子の「供犠と権力」の要点はまだ続くのであるが、「自然呪力」の話に入る前 に、今まで述べてきた「供犠という行為の持つ呪力」に関する知見を、怨霊や御霊信仰と の関係で整理しておきたい。 臼田乃里子の「供犠と権力」の要点で述べられている上記の供犠は、Aは人の生け贄であ り、Bは動植物の生け贄であり、Cは戦いで非業の死を遂げた勇士であり、祟りをなした 者である。このうちAとBは神に捧げられるいわゆる生け贄であり、Cは神として祀られる 霊魂である。怨霊とは、非業の死を遂げた人の霊魂で、これが生きている人に災いを与え るとして恐れられている存在である。したがって、臼田乃里子の「供犠と権力」の要点で 述べられている上記の供犠のうち、AとBは生きている人に災いを与える訳ではない。少 なくとも生きている人が自分らに災いが及ぶとは考えていない。したがってAタイプとB タイプの供犠は怨霊ではない。しかし、14のCタイプは、祟りをなした或いは祟りをな す恐れのある霊魂であるので怨霊である。問題ははたしてこの霊魂が供犠なのかどうかで ある。供犠とは、神に犠牲をささげ,それを媒介として人間が神に祈る儀礼のことであ る。ところで、戦いというものは戦死者を出す目的で行うものではないけれど、戦いで非 業の死を遂げた者は戦いの犠牲者であることは間違いない。その犠牲者を媒介として神に 祈る儀礼が行われれば、その儀礼の際、戦死者をもって神に犠牲をささげたので、神のご 加護をお願いしたいと祈ることになるので、戦死者は、神への供犠であると言えよう。い ちばん大事なのは宗教者の呪術であるが、宗教者の呪術によって戦死者は神の国に赴いて 神の仲間となる。いずれ述べることになるが、神にもいろいろあって、絶対神の下に多く の神が存在する。戦死者はその仲間に入るのである。Aタイプの供犠すなわち生け贄の霊 魂はすべて神の国に赴いて、神の仲間入りをする。Bタイプの霊魂はすべて神の国に赴く けれど神の仲間入りをする訳ではない。 以上、Aタイプの供犠とBタイプの供犠とCタイプの供犠の違いがご理解いただけただろう か。 ところで、以上に述べてきた供犠の話と以下に述べる怨霊と御霊信仰の話を繋ぐのは、上 記14と15である。冒頭に述べたように、 私はかって電子書籍「怨霊と祈り」を書い たが、その中で何故怨霊が守護神に変身するのか、ということはまったく触れていない。 その理由が判らなかったからである。その原因は15で臼田乃里子が重視している「モリ ス・ブロック」の理論( 生け贄から狩猟者へ転換されることについての理論)を私が まったく知らなかったからである。また、14で臼田乃里子が紹介した柳田国男の八幡神 社に関する見解も私はまったく知らなかった。私はかって八幡神社についていろいろと書 いてきたが、全国に3万社あると言われる八幡神社が御霊信仰の流れを汲むものであると はまったく知らなかった。だから、今まで書いてきたものに若干手を加える必要があるか もしれない。八幡神社に関する代表的なページを次に紹介しておこう。 http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/8tanjyou.html http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/masasoku.html 平将門の「新皇」即位という破天荒な儀式が巫女によって演出されたというだけでなく、 即位を正当化するものとして、八幡大菩薩と菅原道真が登場しているは驚きである。天神 (菅原道真)が怨霊であるというのは判るが、何故八幡大菩薩が怨霊なのか?それとも、 八幡大菩薩はすでに御霊に変身して武家の守護神になっていたのか?なぜ将門が八幡大菩 薩を持ち出したのか? その点が私が今後考えてみたい問題点だ。 それでは、引き続き、臼田乃里子の「供犠と権力」の中から、怨霊や御霊信仰に関する要 点を紹介していこう。 16、御霊信仰では国家権力の内部にあって悲惨な死を遂げた生贄から狩猟者へと生き抜 く歴史を生き抜く。 17、祟りを克服し、内面化すること。ここに、天の支配の秘儀があり、御霊信仰の秘密 が隠されていた。この祟り信仰にもとづいた、新しい権力形態を繰り広げたのが仏教徒で あった。 18、大化の改新(645年)で仏教推進派の蘇我馬子が殺されたが、仏教は衰えるどこ ろか、神祇祭祀とともに天皇を頂点とする律令国家の支柱となっていった。これは、密教 僧が怨霊のもたらす一切の罪、穢れ、災害などすべてを経によって怨霊会で祓い除くこと が可能であると宣言したからだ。祟り調伏として用いられた大般若経は、その理論的要素 が剥奪され、祓いの呪法に変えられた。「僧尼令」が出された時、仏法以外の呪術、占い で病を治すことが国家によって禁止され、仏教の特権化が更に進んでいった。これは、日 本文化の根底に潜む仏教思想がいかなるものであったかを教えている。国家仏教とは天神 の祟り、国家の鎮護、道教の鎮魂儀礼を吸収した祟り体系だったのであり、犠牲者と加害 者の立場を転倒させさえするメカニズムを有していた。 19、天は全てを支配する。これはイデオロギーではなく現実問題である。旱魃が続いた 時、カトリック教会は聖人像を水の中に投げ込み、祈雨を願ったが、これは歴史上、決し て奇妙な行為ではない。聖なる死者こそが天地の媒介者としてもっともふさわしかったか らである。日本の古代国家も、ありとあらゆる手段を使って雨乞いをした。御霊会もその 歴史の残滓であり、地域によって多様化してはいるが、多くの御霊神社が名水に関わって きた。御霊会は疫神を遷却するために始められたと言われ、祭日は随時的であった。五、 六月に行われることが多かったが、疫病が流行しなかった年は行う必要がなかった。社殿 や鎮座地も本来は存在していなかったのである。しかし、国家が御霊会を正式に取り入れ ることで、その姿は政治的なものに変貌した。この変貌を明確に表しているのが、「三代 実録」に記された貞観五年(863)の記録である。疫病が流行したため、対処に悩んだ 朝廷は京都の神泉苑で六体の御霊を祀ったとある。霊座に花束が供えられ、金光明経一部 と般若心経が読まれたというが、この法会の特徴を義江彰夫はうまく描き出している。 「怨みの心を慰めながら、同時にそれをかき立て、盛り上げるかのようなものであっ た。」 そして、法会を営んだ人びとは怨霊を敬意の念を込めて御霊と呼んだ。ここで注目すべき ことは、怨霊の慰撫だけでなく、怨霊の超越的な存在が儀礼の中で転換され、疫病退治に 用いられていることである。御霊が疫病の原因とされていると同時に疫病退治に利用され ているのである。鎮めながらかき立てるという言葉は私たちに物部氏の鎮魂儀礼を思い出 させる。このとき、雅楽寮の楽人が音楽を奏で、天皇近侍の児童および稚児によって大唐 舞や高麗舞といった異国の舞が演じられた。この御霊会の二年後に、国家は一般民衆が御 霊会を催すことを禁止している。これは、祈雨や疫神を送り返すことができる御霊信仰の 転倒的な力、供犠の独占化でもあったのだが、ここに密教僧が深く関与していた。 20、菅原道真は藤原時平の陰謀により太宰権師として九州に左遷され二年後に没した。 翌年は疫病、雷電、旱魃と、都は災害に見舞われ、延喜五年(906)には、天に異変が 起こったという。月食と同時に大彗星が現れ、十日以上も空にあった。道真を九州に追い やった時平のその後の運命は惨憺たるもので、家系も絶えてしまい、930年には平安京 内裏の天皇の居所であった清涼殿に雷が落ちる。道真の死後39年を経て、京都右京区に 住む多治比文子に神託があった。道真が祀られたい場所を告げたという。それが現在の北 野天満宮の位置するところである。5年後に、近江の宮司の息子にも神託があった。そし て、道真のために松樹を植えたが、一夜にして数千本の松が北野右近馬場に現れたとい う。そこに北野社を造営したが、結局文子は除外され、天台宗が寺の職務の中心を占めて いくようになる。(中略)道真が御霊信仰の対象に選ばれていったのは、社会的影響と文 化性、及び知性が御霊信仰に必要とされたからである。政治が欲する御霊信仰の本質は善 悪論にはなく、「力」による。これは供犠なのだ。 21、藤原氏全般の絶頂であった道長の時代に、北野天満宮の信仰は国家的になってい く。すなわち藤原氏に反対した菅原道真の霊の輝きが藤原氏の盛運と平行して増していっ たという事実は、深く考えてみるべきところであり、そこに怨霊のもつ大きな歴史的意味 があったと思われる。 21、菅原道真の霊に怨霊という言葉を使い続けることには賛成できない。寛弘9年6月 25日の記録、「本朝文粋」には北野天神に御幣と種々のものを献じたことが書かれてお り、菅原道真を祀る信仰が盛んになったのは道真の霊が怨霊としてではなく、御霊と見な されていた可能性があるからだ。 22、御霊信仰に権力の媒介を見た小松和彦は、怨霊の選択が意図的であったことに注意 を促している。 『怨霊の本体は予め定まっている訳ではない。しかし、まったく恣意的に選び出されてい る訳でもない。それは人々が期待しているものを満たすべく選び出されたものなのであ る。つまり、怨霊の正体を知った人々が納得するような怨霊が出現するのである。 23、明治新政府軍は奥羽諸藩を討つための祈願として、四国讃岐の坂出にある白峰に墓 参した。天皇の勅使は墓前で天皇の宣命を読み上げ、崇徳上皇(1119∼1164)の 霊を迎え、京都の飛鳥井町に新しく作った白峰神社に祀った。崇徳上皇は保元の乱(11 54)で後白河天皇に滅ぼされた。皇室内部で起こったこの内乱は、崇徳上皇と後白河天 皇の対立から発生した。一方、摂関家でも藤原頼長と忠道との対立が悪化し、崇徳と頼長 側は源為義の軍を頼りに後白河打倒を図るが、平清盛、源義朝の軍が後白河側に付いたた め、崇徳は淡路に流され、過去最大の怨霊になったと言われている。崇徳が死後も仇敵を 呪う姿が、名著「雨月物語」に描かれている。 2、岡本太郎のいう美の呪力 私は、「平和の原理」というものに対する私なりの結論を出さねばならないという思いか ら、もう一度怨霊や妖怪の勉強をし直し始めた。その際、岡本太郎の「美の呪力」(平成 16年3月、新潮社)を読み直して、今さらながら、自分の未熟さを痛感した。 岡本太 郎の「美の呪力」 は、「呪力」というものを考える上で画期的な「驚きの書」である。 そこで、以下において、その要点を書き記し、私の思索を深めていきたいと思う。 この本については、鶴岡真弓が解説を書いていて、・・・『「芸術」と「文明」を、行為 して、思索して、世界中を駆け巡った「岡本太郎」。その眼と脳と皮膚で世界美術史を踏 破した、熱い言葉の叢(くさむら)。「美の呪力」に収められた「著述/著術」を前にし て、太郎が示した思考の鮮度にたじろがない者はいないだろう。』・・・と言っている が、確かにこの本は凄い本である。今私はこの本を勉強できる幸せを噛み締めている。 では、勉強をはじめよう! ここでの勉強は、この本の中で岡本太郎が「のろい」とか呪 術とか呪力とか呪文とか「呪」のつく言葉を使っている箇所をいくつか拾い読みしなが ら、私なりの考察を加えるというやり方で行うこととしよう。 (1)呪術の定義 『 本当の世界観は、現時点、この瞬間と根源的な出発点からと、対立的である運命の両 極限から挟み撃ちにして、問題を突き詰めていかなければならないはずだ。歴史は瞬間に 彩りを変えるだろうし、美術は、美学であることをやめて、巨大な、人間生命の全体をお おい、すくいあげる呪術となって立ち顕われるだろう。』 美の術とは何か? 美というものも、歴史的な流れに応じて変わっていく。したがって、 現在美だと思われているものも将来は美とは認識されないかもしれない。 ハイデガーの「根源学」では、人間社会に実存している現象、木にたとえれば生い茂って いる枝や葉のことであるが、枝葉を見てその根っこの部分を認識しようとするものであ る。根っこの部分とは、物事の本質を意味するが、それは目に見えない。目に見えないも のをどう認識するのか。その方法が根源学である。根源学では、「世界的内在」というと いう概念が大事であるので、まずそのことを説明したい。私たちは歴史を生きている。歴 史的人間である。鶴見和子の「つららモデル」というのがあるが、過去は現在に繋がって いる。ハイデガーは、過去という言葉は使わないで、「過在」と言っているが、その意 は、現在に繋がって今なお存在しているという意味である。私たちが身の回りのさまざま な物とのかかわり合う際にも、そこには歴史的に形成されてきた種々の意味や解釈が作用 していること、そして、私たち自身の態度や意識も歴史的に形成されている。これがハイ デガーの基本的認識であって、私たちの生とは、歴史を紡ぎつづける生、過去の人びとに よる遺産を受け継ぎながら伝統を形成する生なのであって、ハイデガーは「歴史的な生」 と呼び、そういう生を生きる「私」のことを「歴史的な私」と呼んでいる。これは「宇宙 的な私」とは対極的なものである。私たち人間が歴史的な作用の中にあることは、宇宙的 な生命の一部として自己の生を感知するのとは違って、あくまで、分析的な作業、あるい は自分の中に沈殿したさまざまな意味の層を掘り起こし、その根っこの部分(源泉)へと 突き進んでいく作業が大事で、そういう作業を通してはじめて解明されることがらであ る。つまり、歴史的な層の解体作業によって「隠蔽されている」その殻(から)を突き破 らなければならない。そうしないと根っこの部分に存在する真理に到達できない。こうい う作業をするのがハイデガーの「根源学」であるが、みなさんに注意してもらいたいの は、禅でいうところの「両頭截断」との違いである。「根源学」の方は理性的な論理展開 によって真理に到達する。一方「両頭截断」の方は直観によって一気に真理に到達するの である。西洋哲学において「直観」という言葉を使っている場合もあるが、それはあくま で理性的なものであって、私のいう「霊性的な直観」とは違う。だから、西洋哲学で「直 観」という言葉が出てきたら、「直知」とか「直感」と言い換えるべきである。「直知」 や「直感」と「直観」とは違う。ハイデガーも、最終的には、「直感」という言葉を使わ ずに、「理解」という言葉を使っている。さて、「世界的内在」という概念であるが、 「歴史的な生」とか「歴史的な私」ということをご理解いただいたところで、説明する。 この世界は「歴史的」なのである。つまり、人間はいわば荒涼として凍てついた宇宙の中 で、一人孤独な主体として生きているのではなく、歴史的に形成されたさまざまな意味関 連の中で生きている。私たち人間は、そういうことを意識しようがしまいが、意識以前の 事柄として、そういうふうに生かされているのである。これが「世界的存在」という概念 である。そういう概念のうち、ハイデガーは、特に人間に焦点を当てて「現存在」と呼ん でいる。「現存在」とは歴史的に生かされている人間のことである。すべてのものは「世 界的存在」である。そして、すべてのものは、根っこの部分にある見えない本質(ハイデ ガーが「ツハンデネス」と呼ぶもの)と、眼前に生い茂った枝葉(ハイデガーが「フォル ハンデネス」と呼ぶもの)に分かれて存在しているが、私たちが意識して「ツハンデネ ス」に注目するとき、「フォルハンデネス」が眼前に立ち現れてくる。その眼前に立ち現 れてくる「フォルハンデネス」を認識するのが、ハイデガーが「原体験」と呼ぶものであ る。すなわち、「原体験」とは、意識的な対象認識であって、理論的な対象認識とは対極 をなす。ハイデガーは、こういう「原体験」をすることを「世界する」という。「現存 在」とは、先ほどと別の言い方でいえば、「原体験」をすることができるよう生かされて いる人間のことである。私たちは、「原体験」をする、つまり「世界する」ように生かさ れているからこそ、すべてのものは「世界的存在」なのである。 美も「歴史的内在」であって歴史的に変わるものであるが、その根源的なもの、すなわち 本質的なものは変わらない。したがって、美というものを真に奥深く認識するには、岡本 太郎が言うように、原存在と根源という対立的である運命の両極限から挟み撃ちにして、 問題を突き詰めていかなければならないのである。そうすることによって、美術は、美学 であることをやめて、巨大な、人間生命の全体をおおい、すくいあげる呪術となって立ち 顕われてくる。呪術の一般的な説明としてウィキペディアではいろいろな説明がなされて いるが、私は、祈祷師の行う儀式・呪文や自然に存在する岩石や樹木、或いは岡本太郎や 今西錦司など直観の働く超人的な人、それらに秘められた「霊的な力の利用」と定義づけ たい。 すなわち、美の呪術とは、現時点で美と認識されているものや歴史的に美と考えられてき たものを踏まえながらも、それを超越してより根源的な美を認識できるようにする、すな わち真の美を認識するための「霊的な力の利用」である。 端的に言えば、「美の術」とは、真の美を認識するための「霊的な力の利用」である。 (2)岡本太郎のいう「石の呪力」 「美の呪力」(平成16年3月、新潮社) の中で岡本太郎が「のろい」とか呪術とか呪 力とか呪文とか「呪」のつく言葉を使っている箇所は次のとおりである。 『 イヌクシュクには人間像になっていないものもあるというが、これがたとえ明らさま な人形(ひとがた)ではなくても、生活の中の神聖な像であり、呪術的役割を果たしてい ることは確かである。(中略)厳しい自然の抵抗の中を常に彼らは移動していた。獣皮で 作った橇を走らせ、小舟を操り、アザラシやセイウチ、鯨を仕留め、トナカイを狩る。猟 場を求めて、凍てつく荒漠たる天地を移動する。だからこそ、たとえささやかでも彼らの 生命の証として、運命的な場所に、動かない、孤独に佇立(ちょりつ)した、この人形 (ひとがた)を積み上げたのだ。自分たちの流動的な運命の中に、この最低限な、神聖な 標識、イヌクシュクは、彼らの生きてゆく切実な願いのしるしであり、それを受け止める 守護神でもあったのだろう。』 『 石を積み上げるという神聖な、呪術的行為。たしかに、命を積んでいるのだ。石ころ 一つ一つが命なのだ。それは取るに足らない、ささやかな、吹けば飛ぶ、蹴飛ばされれば 転がって無明に転落してしまう命。宗教儀礼の聖なるカレンダーの周期ではない。瞬間瞬 間、人間の命の周期は断絶なしにめぐっている。だから積むと崩れるとは同時なのであ る。とすれば、積むこと自体が崩れる、崩すことではないか。(中略)ただ単に石を積む という行為、それはいったい何なのだろう。蒙古、新疆(しんきょう)、チベットなどに 「オボ」という聖所がある。石を積み上げて一種の壇をつくり、その中心に木を立てる。 ここでシャーマンを中心とした祭りが行われるが、庶民日常の礼拝の対象でもある。この 種の石塚の伝統は朝鮮のタン、中国・東北のアオなど北方ユーラシアの広々とした地表を おおい、ヒマラヤ山中からペルシャにまで及ぶという。私の眼に浮かんでくる。冷たく青 く透き通った北方の空の下に、積み上げられている石積み。・・・身近なわが国の伝説、 賽の河原を連想する。幼くして死んだ子供が三途の川の河原で小石を積み上げる。すると 苛酷な鬼が出てきて、積むそばからそれを崩してしまうのである。あれは中世の地蔵信仰 に基づいた伝説だ。仏教の因果ばなし、ご詠歌調の臭さが出ていて、それなりの面白さは あるが、そのイメージのもとにははるかな古代からの、石を積む習俗があったに違いな い。』 『 石は大地のよりどころ、木は天空に向かっての標識である。天と地は無限の両極から 人間の運命をかかえ、そして引き離す。木、石はそれに対応する呪術をはらんでいるの だ。』 『 一つここに驚くべき事実がある。エール大学のマイケル・コー教授の最近の発表によ ると、このオメルカの石の頭は最初から土に埋めてあったものらしい。粘土できちんと土 台を作って据え、土をかぶせてあった。メキシコ南部サン・ロレンスで、雨のために偶然 山が崩れ、そこに石造がわずかに露呈してきたのだ。これをヒントを得て、周辺の何でも ない山肌を電波探知器で調べたら、このような石彫がまだ百あまりも埋もれていることが 判った。今まで、土地の者によって掘り出されていたものだけで、謎に包まれていたこの 巨石の顔は、いよいよ不可思議な神秘の相をあらわしてきた訳だ。顔を刻み、神格にした のち、それをことごとく地面に埋めてしまう。これは一体どういうことなのだろう。大地 に対する呪術なのか。それにしても、現象的には無になってしまうのだ。ただ無存在で 「ある」、「なる」、ということよりもさらに激しい、積極的な還元である。何たる 謎。』 『 鮮血・・・このなまなましい彩(いろど)りが、石について書いているとき、ふと 私の心の中に湧き起こってきた。血を浴びた石。(中略)人間は石とぶつかりあいなが ら、血を流しながら、生き貫いてきた。その残酷な思い出が心にうずくのだろう。血は清 らかであり聖であると同時にケガレである。この誇りと絶望の凝縮・・・。今強烈なイ メージとして、グリューネヴァルトの「磔(はりつけ)のキリスト像」、あのイーゼンハ イムの祭壇画が眼に浮かんでくる。(中略) グリュウーネヴァルトに感動しながら、人間の業、傷口のいやらしさを、このように露 (あらわ)にした絵に共感する、せずにはいられないこの状況に、腹が煮える思いがす る。血だらけのキリスト像は、人間とそれを超えた宇宙的存在との悲劇的な噛み合い、い いかえれば人間そのものの運命を浮き彫りにしている。ヨーロッパ中世を数百年のあいだ 強力に抑えていたキリスト教の運命が、時代の末期に、むきだしに傷口となり、血を噴き 出している。この「呪い」にも似たイメージはキリスト教者でないわれわれにも、不思議 になまな迫力で迫ってくるのだ。信者でない私はまったく外側から、自由に受け止めるの だが。神秘な感動は向こうからこちらに働きかけるばかりでなく、こちらから同時に対象 に押し及ぼす。その交流は強烈なものだ。 このような「血の呪文」がもしキリスト教世界の中でしか解けない、通じないとしたら 意味がない。われわれが今日の人間的感動で根源的な血として意味を解読すべきではない か。その方がはるかに率直で、ダイナミックであり得る。それにしても、この絵はあまり にもなまなましい。(中略)この血は霊であり、生命のしるしである。(中略)あの残酷 なリアリズム。凝固した血。単なる絵画表現をこえて、何か人間の絶望的な運命を予告す る不吉な影を浮かび上がらせる。その呪術は今日まで、ながながと尾を引いているよう だ。』 実は、私には岡本太郎の「微の呪力」を勉強した後書いた「霊魂の哲学と科学」という論 文があって、以上縷々述べてきたものの多くはその中から抜粋したものであるが、『イヌ クシュクの石』、『謎のオルメカ文明』、『 グリュウーネヴァルトの「磔(はりつけ) のキリスト像」』についても詳しく説明しているので、それらについては「霊魂の哲学と 科学」という論文をご覧頂きたい。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/rei.pdf 第2節 神との共鳴現象 1、密教の呪術 池口 恵観(いけぐち えかん)は、1936年生まれ、鹿児島高野山・最福寺 住職で、高野山 真言宗大僧正・伝灯大阿闍梨である。俗名・ 島 正純(さめじま まさずみ)。現総理で ある安倍晋三など多くの政治家と親交があることから永田町の怪僧の仇名があるが、必ず しも良い評判ばかりではない。しかし、百萬枚護摩成満行者であり、彼の書いた「密教の 呪術・・その実践と応用」(平成25年12月、KKロングセラーズ)という本は、なか なかの名著であると思う。なるほどと思う点が多いので、その中から「密教の呪術」に関 する部分を紹介しておきたい。池口 恵観(いけぐち えかん)はその著「密教の呪術・・ その実践と応用」の中で次のように述べている。すなわち、 『 加持とは病気平癒や所願成就など現世御利益を享受するための祈祷であり、真言密教 は加持の教えであり加持祈祷宗といえる。加持を行う対象は人だけではない。古くから行 われている雨乞いは、地球への加持といえる。』 『 密教は雑密と純密に分類され、雑密は呪術的な祈りをするが、理念や修法が体系立て られておらず断片的であるのに対し、純密は密教経典「大日経」「金剛頂経」に基づき、 諸尊の印咒(いんじゅ)、曼荼羅、灌頂法(かんじょうほう)、壇法(だんほう)などが 体系的にシステム化されている。日本に密教が請来されたのは奈良時代、遣唐使に学問僧 として随行した玄昉(げんぼう)が、はじめて雑密を日本に請来したといわれ、聖武天皇 の母藤原宮子の病気を孔雀王咒経(くじゃくおうじゅきょう)の呪法により回復させたと 伝えられる。また、東大寺では8世紀後半から国家祈祷のための壇が設けられ、大規模な 祈祷が行われたという。それは、それまでの祈りの手法と違い、経典や真言などの高度な 知識と複雑な作法による新しい呪術で、僧や修験者は祈りのプロフェッショナルとして鎮 護国家から病気平癒の祈祷まで、宮中に限らず広く民衆にも期待された。』 『 最澄が唐から帰国するのを今か今かと待ち望んでいた桓武天皇が、最澄帰国後、特に 期待したのが新しくて強い呪術、密教であった。最澄は当初、法華経を根本経典とする天 台教学を広めたいと考えていたが、桓武天皇は「法華経」には関心を示さず、最澄が密教 の灌頂(かんじょう)を受けたことを頼もしく思いながら、唐から携えてきた密教の経典 に強く興味を示した。そして怨霊の憑依(ひょうい)と宮中の政治的な混迷を打開した い、最澄に密教の祈祷を懇請したのである。桓武天皇は「真言の秘法はいまだ日本に伝 わっていない、しかし、最澄はこの道を修めた「天子の師である」とたたえた。この時、 最澄は日本において密教の第一人者となっていた。』 『 不空の弟子、恵果は金剛界系密教を相伝するとともに東アジアのさまざまな地域から 弟子が集まり、千人の弟子が伝えられるが、六大弟子といわれる六人に密教の奥義である 法を授けた。そのうちの一人が日本から来た空海である。長安に入った空海は恵果を訪ね ると、恵果は「われ先に汝の来るのを知る、あい待つこと久し」と空海を迎え入れ、その 逝去の直前に金剛界・胎蔵界両部の灌頂を授け、密教の奥義を伝授したのである。空海が 日本に将来した密教の強みは、その実践的な呪力にあった。』 密教のことについては、第4章に書いたが、密教の呪術については第4章に書かなかった ので、この第6章第2節に書いておきたい。密教ということになると、どうしても最澄よ り空海の存在が目立ってしまう。密教の呪術を最澄が行使したということはほとんど表面 に出てこない。しかし、最澄も、桓武天皇存命のときは、天皇並びに朝廷において、密教 呪術の第一人者と認識されていたのである。そのことは、 池口 恵観(いけぐち えかん) のいう通りだ。 最澄は空海より一年ほど先に帰国したが、帰国当時、桓武天皇は病床にあり、最澄は宮中 で天皇の病気平癒を祈っている。一方、空海は、大同元年(806年)10月に帰国、早々に 朝廷に『請来目録』を提出。唐から空海が持ち帰ったものは『請来目録』によれば、多数 の経典類(新訳の経論など216部461巻)、両部大曼荼羅、祖師図、密教法具、阿闍梨付属 物など膨大なものである。当然、この目録に載っていない私的なものも別に数多くあった と考えられている。「未だ学ばざるを学び、∼聞かざるを聞く」(『請来目録』)、空海 が請来したのは密教を含めた最新の文化体系であった。 空海は、20年の留学期間を2年で切り上げ帰国したため、当時の規定ではそれは闕期(け つご)の罪にあたるとされた。そのためかどうかは定かではないが、大同元年(806年) 10月の帰国後は、入京の許しを待って数年間大宰府に滞在することを余儀なくされた。大 同2年より2年ほどは大宰府・観世音寺に止住している。この時期空海は、個人の法要を引 き受け、その法要のために密教図像を制作するなどをしていた。 大同4年(809年)、平城天皇が退位し、嵯峨天皇が即位した。空海は、まず和泉国槇尾山 寺に滞在し、7月の太政官符を待って入京、和気氏の私寺であった高雄山寺(後の神護 寺)に入った。 この空海の入京には、最澄の尽力や支援があった、といわれている。その後、2人は10年 程交流関係を持った。密教の分野に限っては、最澄が空海に対して弟子としての礼を取っ ていた。しかし、法華一乗を掲げる最澄と密厳一乗を標榜する空海とは徐々に対立するよ うになり、弘仁7年(816年)初頭頃には訣別するに至る。 第1章で述べたように、 空海は神泉苑で密教の心髄である「雨乞い」のための呪術を行 使する。 嵯峨天皇の823年(弘仁14年)、東寺は空海に、西寺は守敏(しゅびん)に下賜され、ぞ れぞれ管主に就く。その以前から空海と守敏とは何事にも対立していたと言われる。824 年(天長元年)、即位して間もなくの淳和天皇は、喫緊(きっきん)の政治課題の解決に素 早く動いた。7年連続で長引く干ばつに対して、東寺の空海と西寺の守敏に対して祈雨の 修法を命じたのである。守敏が1週間にわたって修法を行うも効果少なく、次に空海が当 時大内裏に南接していた神泉苑にて修法を行うが1滴の降雨もない。調べると空海の名声 を妬む守敏により国中の「龍神」が瓶に閉じ込められていた。しかしただ1体、「善女龍 王」だけは守敏の手から逃れていたので天竺の無熱池(むねつち)から呼び寄せて国中に 大雨を降らせたという。 この「神泉苑での雨乞い伝説」については、次を参照されたい。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/amagoisin.pdf この後、天台密教は、円仁や円珍などの入唐求法によって、天台密教の呪術を磨いて行 く。その辺の事情については、第4章に次のように書いた。すなわち、 『 最澄門下の俊英であった円仁(794∼864年)は、44歳で入唐、約10年間滞 在して密教を学んだ。空海の真言密教に対抗すべく、天台密教の大成に腐心したが、その 最大の成果は、空海が唐で密教を学んだ青龍寺(しょうりゅうじ)で、当時の高僧・義真 (ぎしん)から「蘇悉地法(そしつじほう)」を伝授されたことである。台蜜(たいみ つ)では、「蘇悉地法(そしつじほう)」がきわめて重要とされているが、それは円仁が 金胎両部(こんたいりょうぶ)を統合するものとして、この「蘇悉地法(そしつじほ う)」を位置づけたためである。 円仁とならび称される台蜜の巨頭・円珍(814∼891年)は、37歳のとき、しばし ば夢に比叡山の鎮守神である山王明神が現れ、入唐求法を強く勧められ、その旨を文徳天 皇に上表したところ、入唐を勅許された。入唐後、開元寺で梵字などを習得した後、天台 山の諸寺を巡礼、さらに青龍寺(しょうりゅうじ)で、当時の中国密教の第一人者・法全 (はっせん)から金胎両部(こんたいりょうぶ)と阿闍梨位(あじゃりい)の灌頂(かん じょう)を受け、真言密教を詳しく伝授された。特に、法全(はっせん)は、「金剛頂経 (こんごうちょうじょうきょう)」に基づく曼荼羅・五部心観(ごぶしんかん)を、円珍 に授けた。その後、円珍は、大興禅寺(たいこうぜんじ)で、インド僧の大学者・知恵輪 三蔵(ちえりんさんぞう)からも密教の奥義を伝授された。在唐6年を経て、円珍は約1 000巻もの経典を携えて帰朝した。円珍については、日本に居ながら唐の青龍寺(しょ うりゅうじ)の火災を霊視、比叡山から香水(こうずい)をまいて加持すると、さしもの 火災も鎮火したという話など、円珍の法力を示す話が数多く伝えられている。 さらに、比叡山には、安然(あんねん)という比類なき大学匠がでて、天台宗の密教化は 完成の域に達していく。安念は、空海の即身成仏義を深く勉強して、当時としては、空海 の弟子と言えども安念にかなう者はいなかったようだ。当時、安念は密教の第一人者で あったのである。したがって、天台宗の密教は、安念のお陰で,完成の域に達したと考え られている。』・・・と。 このような天台密教の興隆を背景に御霊信仰が育って行くのである。御霊信仰というもの は、天台密教の呪術とそれにもとづく「天皇の権威の文化化」である。御霊信仰について は詳しく第1章に述べた。 もう一つ、「天台密教の呪術」といえば何と言っても「浄蔵」である。天台密教の僧侶・ 浄蔵は偉大な人物であり、朝廷にとってなくてはならな い人であった。特に将門の乱の とき天皇を中心とする朝廷は歴史上最大に危機に陥るのだが、それを救ったのが「浄蔵の 呪術」である。「浄蔵」については、是非、次をご覧頂きたい。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyouzou.pdf 2、自然呪力の科学的説明は可能か? (1)私の基本的認識 今西錦司は、「 ほとんどの科学者はヒィジクスに囚われているが、ヒィジクスで説明で きない科学的事実がある。」と言っているが、もちろんヒィジクスで説明できるものはそ れでいい。しかし、ヒィジクスで説明できない場合には、科学的知見をフルに生かして、 哲学的に思考を重ねるしかない。思考停止は世の中の発展に役立たない。ヒィジクスで説 明できない不思議な科学的事実については、私の電子書籍「女性礼賛」で詳しく述べた。 http://honto.jp/ebook/pd_25249962.html ここでは、それも参考にしながら、私の基本的な考えを整理しておきたい。 ① 霊魂 哲学は科学と矛盾してはならない。科学的事実を科学的に説明できない場合、哲学的な思 考を重ねて、人間のあり方なり国家のあり方なりを考える必要がある。私は今、靖国問題 を念頭に今後の日本のあり方をいろいろと考えている。国家論というほどのものではない が、哲学の問題として、今後の日本のあり方をいろいろと考えているという訳だ。哲学者 で国家論を展開したのは、プラトンである。その他には寡聞にして私は知らない。 そしてまた、哲学者で霊魂論を展開したのは、プラトンである。その他には寡聞にして私 は知らない。プラトンの国家論は霊魂論がその前提にあると私は思う。 霊魂については、第5章において、プラトンの霊魂論のほか私の霊魂論も含めていろいろ 書いた。私の霊魂論とプラトンの霊魂論と違うところは、科学的知見の違いによる。 ② 祈りや呪術 宇宙は波動の海。波動が乱れると天変地異が起こり疫病が発生する。 地球のあらゆるところに宇宙からの波動が届いているが、地域的に波動の乱れのあるとこ ろは、天変地異や疫病が発生しやすい。波動の乱れを整えるには、地上から祈りというか 呪力の波動を発っする必要がある。 現在の科学的知見によれば、宇宙はすべて波動の海である。そこで私はいろいろと考えた 結果、「私たち人間の発する祈りというか呪力の波動は、私たちの霊魂の持つ波動特性と 共鳴現象を起こして、宇宙的な存在となる。」・・・と考えている。これをこれから「祈 りのプロトウェーブ」と呼ぼう。「祈りのプロトウェーブ」は、霊魂の存在を前提として いる。 「祈り」というものは、通常、神や仏に祈るのであるが、人形や七夕飾りなどの飾り物を 飾ることによって祈る場合もあるし、言の葉や音の葉によって祈る場合もある。また、歌 舞伎の睨みや相撲の四股、或いは道教の禹歩(うほ)などの仕草によって祈る場合もあ る。しかし、根幹的なものは、やはり通常の祈り、すなわち神や仏に対する祈りであろ う。したがって、以下において、説明上、「祈りのプロトウェーブ」は、神や仏に対する 祈りとお考えいただきたい。 さて、冒頭に述べたように、宇宙は波動の海である。そこで、私は、「波動が乱れると天 変地異が起こり疫病が発生する。」・・・と考えている。 地球のあらゆるところに宇宙からの波動が届いているが、地域的に波動の乱れのあるとこ ろは、天変地異や疫病が発生しやすい。波動の乱れを整えるには、地上から祈りというか 呪力の波動を発っする必要がある。 ここで私が問題にしているのは、宇宙的な現象であるから、地上から発する祈りというか 呪力の波動は、よほど強烈なものでなければならない。プロトタイプが数多く糾合されな ければならない。そのためには、最澄とか空海とか日蓮などの名僧の祈りというか「呪 力」が必要である。この名僧の強烈な祈りを「リーディングウェーブ」と呼ぼう。これに よって数多くのプロトタイプの波動が糾合されて非常にビッグな波動が発生する、そのよ うにお考えいただきたい。 その最終的な非常にビッグな波動を私は「ファイナルウェーブ」と呼んでいる。名僧に よって最終的に形成される波動という意味である。これらはすべて宇宙に存在する霊魂を 前提としており、宇宙的な現象である。名僧のリーディングタイプの呪力によって、数多 くのプロトタイプの祈りが糾合されて、最終的に形成されるビッグな波動、つまりファイ ナルウェーブによって、宇宙の「波動の海」は穏やかになり、天変地異や疫病が解消する のである。 ③ 「自然呪術」 天変地異や疫病を最澄や空海、或いは日蓮などの名僧の「リーディングタイプ」の祈りに よって解消する、その強力な呪術を説明の都合上「自然呪術」と呼ぶこととする。 果たして自然呪術によって自然の猛威は治まるのか? 多分、ほとんどの方はそんなことは起こるはずがない、そんなのは迷信だと思うに違いな い。しかし、迷信だと片付けてしまうにはあまりにも安易すぎると思う。科学的事実とし て認める訳にはいかないが、実際にそういう起こったと語られてきたのは歴史的事実であ る。私は、天変地異や疫病が最澄や空海、或いは日蓮などの名僧の祈りによって解消され たというようなことが実際にあったと思っている。しかし、それを科学的事実だとは言い 難い。 したがって、自然呪術が歴史的に起った科学的事実であるという仮定を置くことにしよ う。その上で、祈りというか呪力に関わる波動現象の原理をこれから科学的に説明しよう という訳だ。 (2)宇宙は波動の海である・・・シェルドレイクの「形態形成場」 母親のおなかの中、それは、ホンダのアシモ君を作り出した研究室の工房と比べて、比 較にならぬほど高度な工房(形成の場)だが、その母親のおなかの中で私という人間が作 り 出された。みなさん方に考えてほしいのはその「形成の秘密」ということだ。特に、何 故、胎児が「系統発生」をくり返すことができるのか、それに想いを馳せてほしい。何故 できるのか? 私は、「祈りの科学」シリーズ(1)「<百匹目の猿>が100匹」の第4章で、脳に はいろんな ニューロンネットワークがあり、それぞれ独特の律動をしている。すなわち、 脳には脳 波(アルファー波,ベーター波,デルター波,シーター波)があるということを 述べ、第5章で は, 宇宙には、いろんな波動があり,磁場,電場,重力場などの「場」 をとおして,物質にある 作用を及ぼしているが,私たちの脳もその作用を受けているとい うことを述べた。 また、「祈りの科学」シリーズ(1)「<百匹目の猿>が100匹」の第11章でも述 べたが、皆 さんはあらゆる物質はエネルギー(波動)であるということはご存知であろう か? 1924年 フランスの物理学者ド・ブロイは、電子に波としての性質を見出し、 「すべての物質は波 動である」と考えて、物質波と名づけた。物質波の提唱当時はそのあ まりにも常識はず れの説ゆえに無視されていたが、その後シュレディンガーによる波動方 程式として結実す る。波動方程式の性質、つまり波動の性質についてはいろいろ疑問点が あって未だ定説 というものがないが、物質が波動であることは今や量子物理学の常識と考 えてよく,非科 学的な話ではない。あらゆる物質は「波動」なのである。だから、私たち 人間もその波 動を感じてあらゆる物を見えるままに認識しているのである。人間みんなが 見ているリ ンゴは貴方の見ているリンゴとまったく同じリンゴである。しかし,他の動物 がリンゴを どのように見ているか,それはその動物になってみなければ判らない。違う形 や色に見え ているかもしれない。「波動」とはそういうものである。 脳ばかりでなく身体自体もそもそも波動の固まりであるが、特に脳には外からの刺激に よる波動も加わって、特別の働きをしているのである。上述のように宇宙にはいろんな波 動があり、私たちの脳もその作用を受けている。だとすれば、脳の中では,内からの波動 と外からの波動が共振を起こすだろうということは容易に想像できることだが、脳と直結 している身体の特殊な部分(例えば母親の腹の中の胎児)においても波動の共振が起りう る と私は考えている。もちろん、それが科学的事実かどうかは,まだ分からない。しか し、 それに関連してシェルドレイクの「形態形成場」の仮説というものがある。それは誠 に画 期的な科学的仮説であり、「祈りの科学」シリーズ(1)ではその説明をした。 シェルドレイクの「形態形成場」というものは、まったく新しい概念であるが、そもそ も量子物理学でいうところの「場」とは,空間において、ある性質を持った特定の物質が 存在する場合に、その物質に作用し,何らかの力が発生させるという空間的な性質であ る。 シェルドレイクの「形態形成場」というものは、あらゆる物質、それは波動の固まりで あるが、それに作用し,何らかの力によって何らかの効果を及ぼすのであろう。問題は, ど んな力が作用してどんな効果を及ぼすのかということである。答えを先に行ってしまえ ば、波動の共振によってその物質の形が決まるということだ。胎児の形も波動の共振に よって形が決まる。そんな摩訶不思議なことが起るのは、「形態形成場」という「場」の 性質による。あらゆる物質に形がある以上,おのおの特定の形態形成場がある筈である。 つまり、陽子にも,窒素原子にも、水の分子にも,塩化ナトリュームの結晶にも,ミミズ の 筋肉細胞にも,ヒツジの腎臓にも、ゾウにも,ブナの木にも、みなそれぞれ固有の形態 形成 場があると考えられる。胎児にも・・・だ。 えっ、そんな摩訶不思議なこと が・・・・。 その摩訶不思議な「形態形成場」について、「祈りの科学」シリーズ(1)では「祈り」に 焦点を当てた説明であったので、ここでは「系統発生」に焦点を当てて説明し直しておこ う。 固有の形態形成場があるということは、その物質の形をきめるある特定の固有振動数を 持った波動が、その形態形成場で大きく振動する。 母親の腹の中には父親の精子と母親の卵子が存在する。精子や卵子にはそれぞれ自分の 遺伝子を含んでいるので、母親の腹の中には父親の遺伝子と母親の遺伝子が存在するとい うことだ。それらの遺伝子には、「系統樹に繋がるすべての遺伝子」を含んでいるので、 形態形成場に「系統樹に繋がるすべての遺伝子」がいる。脳の中と宇宙の中にいるという ことだが・・・。宇宙というか人間の外に存在している波動は、もちろん膨大な数の波動 からなっているのだが、「系統樹に繋がるすべての遺伝子」と共振をしていて, 「系統樹 に繋がるすべての遺伝子」に特徴的な固有振動数を持っている。宇宙にも「系統樹に繋が るすべての遺伝子」が波動的に存在しているということだ。 したがって、母親の腹の中で命を授かった時,成長が始まるのだが,母親の腹のなかに い る実際の遺伝子に起因する波動(内なる波動)と宇宙に存在する波動的な遺伝子の持つ 波動 (外なる波動)とが、それぞれ共振しあう。その共振によって形態が形成されるので ある が、最初に起る共振は最初に存在する形態固有の振動数で起り、逐次それに近い固有振動 で共振が起っていく。シェルドレイクがいうように、形態形成というのは過去の同様 の 形態からの因果的影響を強く受ける。最初に母親の腹の中にあるのは精子を受け入れた 原始状態の細胞である。まずそれが最初の共振を起こす。その因果的影響を受けて、その 形態にもっとも近い形態が形成される。このようにして、母親の腹の中の胎芽の形態形成 は、順次古いものから新しいものに移動していく訳だ。恐竜型脳を持っていた最後の形態 が形成されてからは、原始哺乳類型の形態が形成され、最終的には現在の人の脳と身体が 形成される。 これらは私の勝手な想像を説明したもので、単なる想像以上の大した意味はない。「系 統発生」はシェルドレイクの「形態形成」の仮説をもとに、波動で説明できるかもしれな いと、感じてもらえば本望である。私の想像をさらに簡単にいうとすれば、「物質は波動 の固まりである。遺伝子も波動の固まりである。だから<系統発生>は波動的現象として 説明できるかもしれない。」ということになる。 形態形成場の仮説の真髄を理解するのは、シェルドレイクの「生命のニューサイエン ス」(日本版、1986年、工作舎)を熟読する必要があるが、これがなかなか大変なのであ る。そこで、シェルドレイクが形態形成場の仮説の真髄を言い表しているのではない かと 思われる部分を次ぎに転記するが、これを理解するのも結構難しいかと思われるの で、 是非、上記における私の想像を参考にしていただければと思う。 次は「生命のニュー サイエンス」第5章「過去の形態の影響」からの引用である。すなわ ち、 『 (形態形成場の考え方は,形態形成場は不変であるという考えとは)根本的にことな る。 化学的形態や生物の形態がくり返し現れるのは,不変の法則や永遠の形態によって決 定さ れるからではなく、過去の同様の形態からの因果的影響のためだと考えるのだ。この 影 響は,既知のどんな物理学的作用とも異なり,空間と時間を超えて作用するものでなけ れば ならない。この考えによると,システムの形態はそれが最初に現れる以前に物理学的に決 定される のではない。にもかかわらず形態が反復されるのは,最初に現れたシステムの形 態自体が,その後に現れる同様の形態を決定するからだ。』・・・と。 この文章で、作用とあるのは「波動の共振」と考えてもらって良い。形態形成場におい て「波動の共振」の作用によって形というもの(形態)が作られていくのである。以上のよ うに、シェルドレイクの「形態形成場」は、人間も含めてすべての動物、そしてさらには 宇宙そのものが「波動の海」であることを示している。 (3)「こころ」とは何か?・・・記憶、学習について ① はじめに 「記憶」、「学習」、「体験」という言葉は、量子脳力学では同じものだと考えていた だきたい。私はこれから「脳と心の量子論・・場の量子論が解き明かす心の姿」(治部眞 理、保江邦夫、1998年5月、講談社)にもとづいて心の実態を求めて必要な勉強を進 めていくのだが、適宜「記憶」という言葉を使ったり「学習」という言葉を使ったりする であろう。そのときの文脈で「記憶」といったり「学習」といったりするというわけだ。 拙著「祈りの科学」シリーズ(1)で、『「 100匹目の猿(以下において頑固猿と 呼ぼう。)の脳の波動はどうして起こるのかを考えてほしい。子供の猿が海水で芋を洗う 状況は(以下において芋洗い状況と呼ぼう。)何度も見ている。その「記憶」は頑固猿の 脳 に 保 存 さ れて い る 。 芋 洗 い 状 況 に 応 じ た 波 動 特 性 が 保 存 さ れて い る と い う こ と だ。』・・・と申し上げたが、例えばこの文章では「学習」というより「記憶」といった 方が良いと思って「記憶」という言葉を使った。 私たちの「こころ」は記憶があってはじめて存在するものでしかない。「こころ」は新 たなる記憶に絶え間なく変わりつづける変化でしかない。したがって、「こころ」の実態 というか本当の姿を理解するにはまず「記憶」とか「学習」というものの理解が必要であ る。以下において、量子脳力学では「記憶」というものをどう説明するのか、その勉強 から始めよう。「記憶」とはどういう現象なのか? ② 水の電気双極子とは? 記憶のメカニズムを知るには、まず水の電気双極子というものを知らねばならない。量 子脳力学では、外界からの刺激やそれに対する意識の印象も含めた内的な刺激も、最終的 に細胞骨格や細胞膜のなかに作られる大きな電気双極子の形にまで変形された後、その近 くの水の電気双極子の凝集体として安定に維持されると考えているからである。 そういわれてもさっぱり判らないと思う。水の電気双極子というもののイメージがつか めないからだ。まずはその辺の説明をしよう。 双極子とは、物理学の専門用語であるが、磁石を頭に描いていただけば理解しやすい。 磁石はどんな小さなものでも片側がN極、反対側がS極になっていますね。それと同じよ うに、細胞のなかでは、水の分子の片側がプラス、反対側がマイナスになっている、その ようなものを電気双極子と呼ぶのです。水の分子の真ん中には原子核があって、その周り に2個の電子がぐるぐる回っていますが、単なる水の場合はただそれだけのことで何の不 思議も起こりません。しかし、細胞のなかの水の場合は、細胞膜の影響で、電子の動きに 変化が起こります。その電子の動きがくせ者で、マクロの世界では不思議な現象が起こっ てきます。その不思議な現象で水の電気双極子ができるのです。その辺の詳しいことは教 科書のp53あたりを読んでください。不思議は水の電気双極子ができるということだけ ではありません。その凝集体ができるのです。凝集体とは読んで字のごとく水の電気双極 子がたくさん集まったものです。水の電気双極子どうしがくっつき合うのです。何故水の 電気双極子がくっつき合って凝集体ができるか?そのメカニズムはやはり教科書(上記の 本。以下に同じ。)を読んで勉強してください。ここでは省略します。 ここで大事なのは水の電気双極子が互いにくっつき合う場合、くっつく相手がめまぐる しく変わっているということです。実は、水の電気双極子の形は、大きな耳を付けたミッ キーマウスのような形をしているので、水の電気双極子をミッキーマウスの顔と呼ぶとこ れからの説明が判りよいかもしれません。凝集体では水の電気双極子がめまぐるしく変化 しているということは、例えていえば、凝集体のなかの多くのミッキーマウスが絶えず あっちこっち向きを変えているのです。物理学の最前線では、水はむしろめまぐるしく変 化する電気双極子が、ある範囲の空間の隅々まで満ちている場というものだと考えるよう です。すなわち電気双極子の凝集場と呼ぶらしい。教科書ではミッキー場と呼んでいま す。 ところで、先ほど「 細胞のなかの水の場合は、細胞膜の影響で、電子の動きに変化が 起こります。その電子の動きがくせ者で、マクロの世界では不思議な現象が起こってきま す。その不思議な現象で水の電気双極子ができるのです。その辺の詳しいことは教科書の p53あたりを読んでください。」といいましたが、実は、ほかにも不思議な現象が起 こっている。細胞膜はリン脂質からできていますが、その分子も電気双極子になってい て、水の電気双極子に電気的な影響を与えているらしいのです。この辺の事情につても、 p53∼p58あたりを読んでください。 なお、先ほど「 量子脳力学では、外界からの刺激やそれに対する意識の印象も含めた 内的な刺激も、最終的に細胞骨格や細胞膜のなかに作られる大きな電気双極子の形にまで 変形された後、その近くの水の電気双極子の凝集体として安定に維持されると考える。」 と申しましたが、これも判りにくいですね。今、「 細胞膜はリン脂質からできています が、その分子も電気双極子になっていて、水の電気双極子に電気的な影響を与えているら しいのです。」と言いましたが、細胞骨格も細胞膜と同じ働きをしていて、外部からの刺 激は、ここで大きな電気双極子の形に変形されるらしい。そして、その影響で水の電気双 極子の凝集体ができるらしい。 さあ、ここで、今まで勉強したことの整理をしておくと、『細胞内の水の本当の姿は ミッキー場、ある範囲の空間の隅々にまで目に見えないほど小さな電気双極子が並べられ たものである。』ということです。 ところで、脳細胞の外側にはもちろん別の脳細胞があるのですが、細胞膜と細胞膜がじ かに接触しているのではなく、細胞間隙と呼ばれるわずかな隙間に細胞間液、つまり水が 満たされているのです。この細胞間の水は、大きな電気双極子を持つ細胞膜や細胞外マト リックスと呼ばれるマイクロフィラメントの網目構造がすぐそばに分布しているため、水 の電気双極子場がダイナミカルな秩序を形成しやすくなっています。 しかも、細胞間隙の水の総量はわずかではあっても、膨大な数の脳細胞の間を縫うよう にして大脳全体にわたってひとつのつながりになっているため、広範囲での脳細胞の活動 と強く関連していると考えられます。 さあ、先に申し上げたことをもう一度申し上げる。量子脳力学では、外界からの刺激や それに対する意識の印象も含めた内的な刺激も、最終骨格や細胞膜のなかに作られる大き な電気双極子の形にまで変形された後、その近くの水の電気双極子の凝集体として安定に 維持されると考える。 ③ ミッキーたちのシンクロナイズスイミング それでは、外界からの刺激や内的な刺激によって、どれがどのようにして電気双極子の 形にまで変形されるのか、問題の核心部分に入っていこう。 教科書によれば、水の電気 凝集体はいちどできると安定的に維持されるという。外部の刺激や内的な刺激は常に変化 していますが、その変化に応じた水の電気凝集体が安定的に維持されるとはどういうこと か。教科書では、「ミッキーたち(膨大な数の水の電気凝集体)は、シンクロナイズスイ ミングのように、華麗な集団演技をしており、それが調和のとれたまとまった動きの中の 秩序なのです。」と言っているが、「外部の刺激や内的な刺激は常に変化していますが、 その変化に応じた水の電気凝集体が安定的に維持される」とはどうもこのことらしい。外 部の刺激や内的な刺激に応じて、ミッキーたちはシンクロナイズスイミングのような華麗 な集団演技をやっているらしい。 ミッキーたちが何故そのような動きをするのか?それはどうもミッキーたちの存在する 場所が量子力学でいうひとつの「場」になっているかららしい。上述のように、外界から の刺激や内的な刺激は、細胞骨格や細胞膜のなかに作られる大きな電気双極子の形にまで 変形されるが、その電気的な力がミッキー場に作用し、ミッキー場に「場の力」が発生す るらしい。ミッキーたちのシンクロナイズスイミングのような華麗な集団演技は、その 「場の力」によるようだ。つまり、水の電気凝集体は量子力学的な「場」であり、教科書 では、「ミッキー場」とか「凝集場」という言葉が使われている。 ④ 生命の実体 驚くべきことに、このようなミッキーたちの動きというものは、脳の中だけではなく て、お尻の細胞であろうと、あるいは他の動植物や単細胞生物の細胞であろうとも、一般 的に行われているという。そして、そういう生物が死んだ場合、ミッキーたちの動きがだ んだんとバラバラになっていき、だんだんとダイナミカルな秩序が消えていってしまうら しい。このことから、次のような極めて重要な結論が導き出される。すなわち、 『生命とは、細胞のミクロな世界に広がるミッキー場が隅々まで張り巡らしたダイナミカ ルな秩序、小さなミッキーたちが集団で演技する、調和のとれた華麗なシンクロナイズス イミングそのものである。』 私の教科書「脳と心の量子論」(治部真理、保江邦夫、1998年5月、講談社)では 以上のような考えについて次のように言っている。すなわち、 『もちろん、これは場の量子論によって理論的に考え出された一つの理論にすぎず、実験 によって実証されたものではありません。それでも、本質に迫る理論だという確証がある のです。 いったい、なぜでしょうか? 実は、生命のない物質の性質を調べるために用いられた範囲では、場の量子論の理論的 考察はすべて正しい結果を導いてくれたのです。いまでは、場と量子という概念によって ミクロのスケールでの物質のなりたちを説明することに、全く疑問をはさむ余地はありま せん。 だからこそ、生命のある物質の場合にも、きっと正しい結論を与えてくれるはずです。 それに、万が一最終的な答えになっていなくとも、少なくとも、そこから何か生命の本質 に迫るきっかけがつかめるのではないでしょうか。 世界で最初にこう考えた理論物理学者が、梅沢博臣と高橋康なのです。時に1960年 代から70年にかけてのことでした。 しかも、アメリカやカナダ、ヨーロッパで多くの優秀な物理学者の弟子たちを育てた二 人だけあって、そのあとにつづく研究も盛んになっています。(中略)キーポイントは、 細胞の中の水、ミクロの量子の世界でのミッキー場の秩序ある運動でした。それまでだれ ひとりとして顧みることのなかった、場の量子論でしか理解することのできない細胞内外 の秩序運動に目を付けたのは、場の量子論の大家としての「勘所」にちがいありませ ん。』・・・と。 理論物理学者・梅沢博臣と高橋康によれば、「生命とは量子論的な秩序」なのである。 ⑤ 電磁場の「光の音楽」 以上は、脳だけでなく、お尻の細胞であろうと、あるいは他の動植物や単細胞生物の細 胞であろうとも、一般的にいえる現象でしたが、これからはいよいよ脳の中の話に移りま す。 私は、上記③の中で、『教科書では、「ミッキーたち(膨大な数の水の電気凝集体) は、シンクロナイズスイミングのように、華麗な集団演技をしており、それが調和のとれ たまとまった動きの中の秩序なのです。」と言っているが、「外部の刺激や内的な刺激は 常に変化していますが、その変化に応じた水の電気凝集体が安定的に維持される」とはど うもこのことらしい。』・・・と申し上げましたが、実は、そう単純ではないらしい。 ミッキー場(凝集場)におけるミッキーたちの動きだけでなく、ミッキー場の近くにある 電磁場の中でもミッキーたちの動きを引き起こすもともとの動きがあり、ミッキー場の波 動と電磁場の波動が共振を起こしているらしい。ここでいう秩序とは、どうもその波動の 共振が形成する秩序のことらしい。 私は、上記②の中で、『量子脳力学では、外的な刺激や内的な刺激が細胞骨格や細胞膜 のなかに作られる大きな電気双極子の形にまで変形された後、その近くの水の電気双極子 の凝集体として安定に維持されると考える。』・・・という趣旨のことを申し上げました が、実は、 外的な刺激や内的な刺激が電気双極子の形に変形されるのは、最終骨格や細 胞膜のなかに存在する電磁場でのことらしい。 教科書では、次のように説明している。すなわち、 『ミクロの世界にも電磁場が存在する。そしてそこでは電磁波が発生している。』 『小さなミッキーたちのまわりには、量子電磁場があり、その電磁場の波がたえず大自然 の調和を奏でているのです。量子の世界での調和のとれた美しい波動は、とても繊細で霊 妙な光となって、小さなミッキーたちを照らしています。そして電気双極子は量子電磁場 の波で簡単にゆさぶられるのです。ですから、でたらめな波がくれば、電気双極子もでた らめにふりまわされますし、きれいに整った波がくれば、電子双極子のほうも整然とした 動きになるのです。量子の世界のミッキーたちは、量子電磁場の調和のとれた美しい波 動、華麗な光の「音楽」にあわせて、素晴らしいシンクロナイズスイミングの集団演技を 披露してくれるのです。電磁場の調和のとれた美しい波動、華麗な光の音楽にあわせてシ ンクロナイズスイミングをするミッキーたちは、その秩序あるそろった動きにより、逆に 量子電磁場の中に秩序ある波を生み、霊妙な光を放つことになるのです。そして、このよ うにして生まれた電磁場の波は、もともとの電磁場の波動と重ね合わされ、より調和のと れた美しい波となります。このように、細胞の中のミクロのスケールの量子の世界で、量 子電磁場と水のミッキー場とが、場の量子論の法則にしたがって互いにくり返し影響をお よぼしあい、しだいに調和し協力していくことにより生まれる、秩序ある波動、これこそ が、ダイナミカルな秩序なのです。』・・・と。 私は、この説明の中の「電気双極子は量子電磁場の波で簡単にゆさぶられる。でたらめ な波がくれば、電気双極子もでたらめにふりまわされるし、きれいに整った波がくれば、 電子双極子のほうも整然とした動きになる。』という部分に注目しており、最初の外的な 刺激や内的な刺激というものは、美的なものが望ましく、醜悪なものはできるだけ避けた 方が良い、と思っています。自然の奏でるリズムは美しいものです。だから、私たちは自 然と一体になるとき、自然のリズムは、ミッキー場と量子電磁場の中に秩序ある波を生 み、霊妙な光を放つことになる。これは「生命」そのものが、霊妙な光を放ち、イキイキ としてくることを意味している。 すなわち、「生きる」とは自然と一体になって、生命の本体がイキイキすることではな いかと思うのです。民話に「見るなのタブー」というのがありますが、見てはならないも のは極力見ない方が良い。醜悪なものはできるだけ見ない方が良い。かたちはリズムです から、美しい絵画や彫刻はできるだけ頻繁に見た方が良いし、美しい写真もできるだけ多 く見た方が良い。音楽や自然の奏でる音楽はリズムそのものですから、良い音楽を聴き、 自然とはできるだけなじんだ方が良い。相手が人間の場合も、心に響くような人とできる だけ接し、醜悪な人とはできるだけ付き合わない方が良い。リズムの共振、リズムの協 和、響き合いが人生をイキイキと生きるコツではないでしょうか。 ⑥ 記憶とは? 記憶の特質として、「記憶の安定性」、「記憶の大容量性」「記憶想起の容易性」、 「記憶の連想性」の4つの特性が考えられています。 今までもっとも有力視された記憶の理論は、ニューロンと呼ばれる脳細胞が細胞膜の一 部を放射状にのばしていって他のニューロンの細胞膜に接している神経回路の網目構造 が、細胞膜の内外でのいろいろなイオン濃度差による電位変動を伝搬させる電気回路に記 憶されるというものでした。 しかし、神経回路のシナプスの可塑性で記憶が与えられているとすると、記憶の容量は たかだか脳のすべてのシナプスの数ぐらいのものにしかならず、とても実際の人間の記憶 容量の膨大さには及ばないと考えられています。上記の考え方には「記憶の安定性」とい う観点からも致命的な欠点があるようです。かといって、大脳生理学や分子生物学の範囲 の中では、いまのところこれといった新しい記憶の理論はないようで、そこで唯一新たな 地平を切り開いているのが、量子場脳理論ということらしい。これは、1960年から7 0年代にかけて、二人の日本の物理学者・梅沢博臣と高橋康が場の量子論における「自発 的対称性の破れ」という斬新な記憶の理論を提唱し、現在の研究に引き継がれているもの です。その素人向けの解説書が私の教科書「「脳と心の量子論」で、今そのご紹介をして いるという訳です。内容はなかなか複雑で難しいので、みなさんにわかりやすく説明する のも容易ではありませんが、まず梅沢博臣と高橋康が得た結論を先のように述べ、追々必 要な解説をしていきます。二人の結論は、教科書のp236に書かれているように、 『脳細胞のミクロの世界に存在するコーティコン場とスチュアートン場という量子場があ り、コーティコン場の量子であるコーティコンの凝集体が記憶を形づくる。』・・・とい うものである。 ここで、二人のいうコーティコン場とは、先の説明したミッキー場(水の電気双極子の 凝集場)であり、スチュアートン場は先に説明した量子電磁場のことであろう。 私は、上記5の中で、『ミッキー場(凝集場)におけるミッキーたちの動きだけでな く、ミッキー場の近くにある電磁場の中でもミッキーたちの動きを引き起こすもともとの 動きがあり、ミッキー場の波動と電磁場の波動が共振を起こしているらしい。』・・・と 申し上げましたが、ミッキー場の波動は電磁場の波動と共振を起こして、その共振の結 果、ミッキー場の波動は安定的に維持される。安定的に維持されるとは、波動は量子であ るから、ミッキー場でコーティコン量子として保存されるということなのであろう。これ が記憶である。ミッキー場に保存されている。では、その保存されている記憶が人間にど うやって意識されるのか。すなわち、記憶の想起はどのように行われるのか。そういう疑 問が次に湧いてくる。 ⑦ 記憶の想起(意識の発生) 記憶の想起ということは、そこに意識が発生するということであるから、記憶の想起と 意識の発生ということは同じである。この記憶の想起(意識の発生)がどのようになされ るのかを簡単にわかりやすく説明することは非常にむつかしい。「自発的対称性の破れ」 という量子脳力学の理論ばかりでなく、ヒッグス・メカイズムという量子脳力学の理論も 説明しなければならないので、ちょっと私の手には負えない。是非、私が教科書にしてい る「脳と心の量子論」を勉強していただきたい。ここでは、極めて重要な南部・ゴールド ストーン量子(俗称:ポラリトン)とか隠れ光子(以下単に光子という。)の説明も省略 して、結論的な部分のみ紹介させていただく。 上記6で触れたスチュアートン場(量子電磁場)にポラリトンと俗称される南部・ゴー ルドストーン量子が発生するらしい。その量子電磁場におけるポラリトン量子とミッキー 場におけるコーティコンとが共振を起こして、記憶の想起(意識の発生)が生じるらし い。次に、記憶の想起について、教科書では次のように述べている。すなわち、 『ある記憶を形づくったときの刺激とは異なる刺激に対しても、その記憶を保持している 水の電気双極子の凝集体のある部位の細胞骨格や細胞膜の生体分子にわずかながらの電気 双極子が生じることがあり、それによってその記憶の凝集体に固有な南部・ゴールドス トーン量子が生み出されるのが連想なのです。(p241∼p242) もちろん、記憶に強く関連した刺激であれば、それにより発生する生体分子の電気双極 子も大きなものになり、多くの南部ゴールドストーン量子が生み出されます。したがっ て、記憶は明確に思い出されることになります。』 『脳細胞のミクロの世界で記憶の実態の役割を果たしている水の電気双極子の凝集体は、 理想的には最大50マイクロメートルというマイクロのスケールにまで拡がったものにな ることもできました。この拡がりであれば、脳細胞よりも大きくなり、いくつかの脳細胞 にまたがったものになります。ということは、脳の組織の中には、形態としては複数の脳 細胞の集団なのですが、機能的には一塊の水の電気双極子の凝集体の中に有機的に取り込 まれていると考えられる組織で、50マイクロメートル程度の空間的な拡がりを持つもの があり、記憶を含めた高度な脳の機能を生み出していると考えられます。(p242)』 『いったん記憶が凝集体の形で持続しているようなときには、新たな刺激のよりその凝集 体のある部位の細胞骨格や細胞膜の生体分子が電気双極子を持つようになった場合に、凝 集体の中に南部・ゴールドストーン量子であるポラリトンが発生するのです。これが記憶 の想起の物理的な素過程である云々(p244)(中略)記憶を担っている水の電気双極 子の凝集体から南部・ゴールドストーン量子が生み出されることにより記憶が想起される というのですが、ではその記憶を想起する主体とは、一体何なのでしょうか。もちろん、 思い出し他を意識する主体は「こころ」に決まっていますが、ここで問題視しているのは そのような単なる言葉のお遊びではなく、「こころ」の物理的な実態とはいったいどんな ものなのかということです。(p244)』・・・と。 では、記憶に関する説明がここまで進んだこの段階で、「こころ」の物理的な実態に 迫っていきましょう。 ⑧ 「こころ」とは?・・・物理的な実態 私の教科書「脳と心の量子論」では、「こころ」の物理的な実態を次のように説明して いる。すなわち、 『それぞれの凝集体が記憶の基本的な要素となり、どの凝集体からも固有の南部・ゴール ドストーン量子であるポラリトンがたえず生み出されているために、記憶の要素が存在す ることを意識することができる。そして、このポラリトンの生成を意識する主体こそが 「こころ」と呼ばれるものの実態なのです。(p245)』 『「こころ」のほんとうの姿は脳の中に拡がる無限個の光子のそのものであり、「ここ ろ」が記憶を意識するということは、記憶の要素である水の電気双極子の凝集体からたえ ず生み出される無限個のボーズ凝集体に参入し、その運動状態が変わるということとして 理解できる。(p252)』 『膨大な数の電子と核子が集まってできた物質としての脳組織そのものの中にははじめか らなかったもの、物質とはちがう存在として考えられてきた電磁場の量子、光子が無限に 集まってできた凝集体だったのです。だからこそ、私たちにとって心は自分自身の身体を 形づくる物質から遊離して存在する一塊のものであるかのように意識できるのです。 まるで、1リットル程度の拡がりの脳の中に、無限の光子を蓄えた無限の宇宙が重なっ ているかのようではありませんか。(p254)』・・・と。 ⑨ 脳の中の小宇宙 私は6の中で、『梅沢博臣と高橋康の結論は、教科書のp236に書かれているよう に、 『脳細胞のミクロの世界に存在するコーティコン場とスチュアートン場という量子場があ り、コーティコン場の量子であるコーティコンの凝集体が記憶を形づくる。』・・・とい うものである。 ここで、私は、二人のいうコーティコン場とは、先の説明したミッキー場(水の電気双 極子の凝集場)であり、スチュアートン場は先に説明した量子電磁場のことだと理解して いる。』・・・と述べた。そういう理解にしたがって、「1リットルの宇宙論・・量子脳 力学への誘い」(治部眞里、保江邦夫、1991年3月、海鳴社)の中から関連部分を ピックアップして、今紹介している私の教科書「脳と心の量子論・・場の量子論が解き明 かす心の姿」の補足説明にしたい。「1リットルの宇宙論」は 「脳と心の量子論」の7 年前に書かれたものである。 「1リットルの宇宙論」では梅沢博臣と高橋康がスチュアートン場と呼ぶ電磁場につい て、次のように述べている。すなわち、 『細胞膜を貫通するように存在する膜タンパク質の中には、内側の部分で細胞質の細胞骨 格とつながり、また外部の部分では細胞外マトリックスとつながっているものがある。』 『細胞骨格や細胞外マトリックスと呼ばれるタンパク質フィラメントは、大脳皮質の中に 織りなす網目状の立体構造をしており、これが梅沢先生のいう「大脳皮質自由自在」であ る。その中を伝搬する何らかの波動運動の存在が考えられます。』 『ミクロの世界における波動運動は、場の量子論によって正しく記述できる。そこでは、 一般的にいえることだが、一定の振動数を持った電磁場の波動運動によって、光子という エネルギー量子が飛び回っている。大脳皮質自由度の中の波動運動についても全く同じこ とがいえる。場の量子論の教えるところによれば、大脳皮質自由度の波動運動も何らかの エネルギー量子の運動と考えられる。』・・・と。 これがスチュアートン量子、つまり南部・ゴールドストーン量子であるポラリトンにほ かならない。「1リットルの宇宙論」での説明によると、ポラリトンは、ニューロン内部 だけでなく外部にも存在し、大脳皮質全体にあまねく拡がっているらしい。このことにつ いて、「1リットルの宇宙論」では次のように言っている。すなわち、 『このポラリトンガ、宇宙における光子のように直接に見ることができるならば、脳の表 層を覆う大脳皮質はポラリトンの集団が飛び交う、まばゆいばかりの宇宙として写るので はないでしょうか。ポラリトンは1リットルの宇宙、脳の中に輝く満点の星に譬(たと) えられるのです。』・・・と。 実に良い譬(たと)ですね。美しい。この満天の星に譬えられるポラリトンが引き起こ す物理現象が、どうも記憶や意識のもとになっているらしい。このことを「1リットルの 宇宙論」では次のように言っている。すなわち 『大宇宙の中で電子が引き起こす現象といえば、超伝導、オーロラ、ファイヤーボールの 生成など、どれをとってみても光子が重要な役割を果たしています。実は、光子と電子は 互いに密接に関連していて、ことに電子は光子をやり取りすることによって互いに作用し 合うという性質を持っています。』・・・と。 「1リットルの宇宙論」では、光子が脳の中でも重要な役割を果たしていると言ってい るのだが、この点については次のように説明している。すなわち、 『わが国の現代物理学の父と謳われている仁科芳雄の研究や、ノーベル物理学賞をとられ て朝永振一郎の研究は、電子と光子についての不思議な性質を解き明かす研究だったので す。光子があってはじめて、電子は多様な物理現象を生み出し大宇宙を美しく飾ってくれ るのです。いくら場の量子論をもってきたとしても、もし電子なら電子だけ、あるいは光 子なら光子だけしか存在しないのであれば、そこには何も起こらないといってよいでしょ う。これもまた場の量子論からの帰結なのです。朝永振一郎やアメリカのファインマン、 それにスイスのスチュッケルなどにより、電子と光子の間の素過程を記述するための量子 論である量子電磁力学が完成したのは20世紀の中頃のことでした。その時点から、われ われは電子の運動の背後には必ず光子が存在し、宇宙の中を駆け巡る電子たちは光子に よって互いに強く結びつけられることを知っています。このような電子と光子のつながり があってはじめて、一つの電子は他の電子と関わった運動を見せることができるのです。 これと同じことが1リットルの小宇宙、脳の中を駆け巡るポラリトンたちの運動について もいえるのです。』・・・と。 場の量子論というのは、宇宙全体に適用される一般的かつ普遍的な理論体系だが、脳の 中のミクロの世界にも適用できる統一的な物理法則であり、脳に関する物理的な学問は量 子脳力学と呼ばれている。今まで縷々説明してきた私の説明では、私の説明不足もあっ て、すんなり理解できなったかと思う。しかし、ともかく量子脳力学という学問があり、 量子脳力学では、生命というもの、記憶や意識というもの、そして心の実態というもの が、物理的に理解されるようになってきているということだけはご理解いただけたのでは ないかと思う。私のつたない説明をきっかけとして「脳と心の量子論」や「1リトルの宇 宙論」を読んでいただければ、私としては大変ありがたいと思う。 ⑩ おわりに 記憶とは、自分でいろんな人の話を聞いたり自分なりにいろいろ考えることもそうであ るが、その他に体験による記憶がある。すなわち、記憶とは、体験のことである。 記憶 や意識というもの、そして心というものは、物理現象以外の何ものでもない。ということ は、体験というものがすべての始まりであるということだ。胎芽時代の体験、胎児時代の 体験、幼児時代の体験、子供時代の体験、青年時代の体験、壮年時代の体験、老年時代の 体験それぞれが大事である。それぞれの体験によって「心」というものが形成されて育っ ていく。はじめから「心」というものがある訳ではない。私のいちばん言いたいことはそ のことだ。 いろいろな体験のうち、「野生の感性」とか「野生の精神」というものとの関連からい えば、野性的な体験が非常に大事である。ニーチェのいう「力への意思」によって「高 み」に近づくためには直観がはたらくようになるまで野性的な体験を積むことが必要だ。 そのことは、量子脳力学を勉強し、「こころ」の物理的な実態をしっかり認識してはじめ て明言できる。 今までの説明で、私が誤解をしている部分もあるだろうが、それは私の勉強不足の故で ある。また、今までの説明の中に間違いもあるかもしれないので、その点についてはお許 しいただきたい。 (4)共鳴現象について 食べ物の水は共鳴によって激しく振動し熱くなるのであるが、この場合大事なことは、水 が共鳴を起こす前からもともと波動として存在しているということである。二つの振動体 の固有振動がほぼ同じである場合に共鳴が起こるのだが、共鳴が起こる場合、エネルギー の移動が起こっている。つまり、発信された波動の持つエネルギーが受信側の波動に移動 する。そこで不思議なことが起こっていて、受信側の波動の抵抗係数が極めて小さい場 合、発信側から移動してくるエネルギー、つまり外力とはほとんど関係なく、受信側が共 鳴する波動の振幅は非常に大きくなる。今ここで、私は、発信側の波動を名僧の発する呪 力、受信側が共鳴する波動というのが神が名僧と響き合って発する波動と考えている。名 僧の発する波動と共鳴して発する神の波動は実に振幅の大きい強力な波動であり、「宇宙 の海」において大きな影響を与え、天変地異を和らげたり疫病の蔓延を防いだりするので ある。自然呪力とは、名僧の強い呪力が起こす神との共鳴現象である。 物質にはその物質固有の振動数というものがある。振動数は周期の逆数なので、物質には 固有の周期というものがあるといっても良いのだが、普通は振動数のという言葉を使う。 その物質が振動を起こしたときに、ある一定時間内に何回振動するか? ゆっくり振動す るのか、ものすごい早さで振動するのか? それは振動を起こす外力に関係なく、その物 質に固有のものである。 振動を起こすための外力が関係してくるのは、振幅である。激しい振動というのは振幅が 大きい。もともと振動を起こしていないものを振動させるにはエネルギーが必要である。 ブランコの場合、人が乗ったばかりでまだ揺れていない状態から揺れを起こさせるには、 乗っている人がブランコを揺らす運動をするか、後ろから押してやるという運動が必要で ある。運動はエネルギーのことであるから、ブランコを揺らすためにはエネルギーが作用 している。したがって、揺れているブランコについては、その揺れ(振幅)に応じたエネ ルギーを持っていることになる。 波動の場合も同じであって、ある波動が存在しているとき、その波動は固有の振動数を 持っていると同時にそれなりのエネルギーを持っている。宇宙は「波動の海」というが、 すべて波動で成り立っている。すべての物質も波動だし、すべての自然現象も波動現象で ある。宇宙には、どのような波動かは判らないが、いろんな波動が存在していることは現 代科学の常識である。それらの波動がどのようなエネルギーで生じたのかは判らないが、 とにかくそれなりのエネルギーを持った波動が、私たち人間があらたに加えるエネルギー がなくても、この宇宙にもともと無数に存在している。もちろん、私たち人間は、エネル ギーを使ってこの地球から宇宙に向かって、新たな波動を送っている。テレビの電波や都 会の光や騒音もそうだ。それらは別としても、 この宇宙にそれなりのエネルギーを持っ た波動がもともと無数に存在しているのだ。そのことはしっかり頭に入れておいてほし い。 さて、共鳴という現象だが、私たちは、小さい頃から学校で教えられて、「振動数の等し い二つの音 (おんさ)の一方を鳴らせば、他方も激しく鳴りはじめる」ことを知ってい る。これが共鳴だが、今後「自然呪力」の科学的説明を行うときに、初歩的ではあるが大 事な知識が基礎知識として必要であるで、これから少しだけ共鳴の説明をしたい。 まず電子レンジの仕組みの説明をしよう。電子レンジの場合、電磁波が外力として、食べ 物に作用する。電子レンジの中には、食べ物のほかそれを包むビニールとか食べ物をのせ たお皿があるが、もちろん電磁波はそれらにも作用する。しかし、食べ物は熱くなるが、 ビニールやお皿は熱くならない。それは何故か? 食べ物の中には水が含まれている。水 は、2450メガヘルツという固有の振動数を持っているが、電子レンジというものは、 2450メガヘルツの電磁波が発せられるようにできている。すべての電子レンジがそう だ。電子レンジのなかに食べ物を入れてスウィッチをいれると電磁波が発せられて、食べ 物の水に作用する。食べ物の水は、それに作用する外力としての電磁波の振動数と同じで あるために、振動を起こす。それが共鳴である。ビニールやお皿の固有振動数は電磁波の それとは異なる値であるので共鳴はしないのである。食べ物の水は共鳴によって激しく振 動し熱くなるのであるが、この場合大事なことは、水が共鳴を起こす前からもともと波動 として存在しているということである。この点は常識として覚えておいて欲しい。 ブランコの場合は、ブランコの固有振動数に合わせて力を加えているが、その外力は波動 ではない。しかし、電子レンジの場合は、波動が外力として作用している。波動が外力と して他の波動に作用して共鳴がおこるという点が大事な点であるので、しっかり頭に入れ ておいてほしい。二つの波動があってその一方が他の一方に作用して共鳴が起こるのであ る。 ところで、ブランコの場合、大きく揺れた後、外力を加えないと次第次第に揺れが小さく なって、最後には止まってしまう。それを減衰振動というが、もし途中で適度な外力を加 え続ければいつまでも揺れ続く。これを強制振動という。外力はネルギーであるから、エ ネルギーという言葉を使ってこれら減衰振動と強制振動を説明しよう。減衰振動はその振 動体が持つエネルギーが減衰していく。強制振動の場合、その振動体が以外の外からエネ ルギーが付加されて、その振動体が持つネネルギーは減衰していかない。共鳴の場合、エ ネルギーの移動が起こっている、この点も常識として覚えておいて欲しい。 しかし、この世の中には常識では考えられないような不思議な現象もあるようだ。共鳴に ついても、ちょっと常識では考えられない不思議な現象が起こりうる。まだ科学的な観測 で確かめられた訳ではないが、理論的には起こりうる。 波動に関する大学生向けの教科書で『裳華房テキストシリーズ、物理学「振動・波動」』 (小形正雄、1999年10月、裳華房)という本がある。その教科書で、共鳴した波動 の振幅が外力に比例し、固有振動数と抵抗係数に反比例することが示されている。電子レ ンジの場合もそうだが、私たちが認識しうる共鳴現象では、固有振動数と抵抗係数はそれ なりの大きな値を持っている。電子レンジの場合は、電磁波から水に移動したエネルギー は、水の持つ抵抗係数に応じて熱を発生するのである。抵抗係数とは波動の振動を抑制し ようとする性質をあらわした数値である。この抵抗係数というものがくせ者で、波動の抵 抗係数が極めて小さい場合、他の波動から移動してくるエネルギー、つまり外力とはほと んど関係なく、振幅は非常に大きくなる。問題は、そのような抵抗係数の極めて小さいも のがはたして宇宙には存在するのかどうかである。その存在は現在の科学で確認できては いないが、私は、ひとつの仮説として、宇宙には極めて小さい抵抗係数しかない波動が存 在するのではないかと考えている。 先に申し上げたように、名僧の発する波動と共鳴して発する神の波動は実に振幅の大きい 強力な波動であり、「宇宙における波動の海」において大きな影響を与え、天変地異を和 らげたり疫病の蔓延を防いだりするのである。自然呪力とは、名僧の強い呪力が起こす神 との共鳴現象である。 (5) 名僧の強い呪力が起こす神との共鳴現象 私は「 自然呪力とは、名僧の強い呪力が起こす神との共鳴現象である 」考えており、日 蓮の立正安国論を「宇宙は波動の海」であるという認識で理解すると、日蓮の立正安国論 はまさに宇宙の原理の基づいた教えであると思うのである。では、第4章にも書いたが、 もう一度日蓮の立正安国論ならびに日蓮の行った自然呪力を振り返っておこう。 日蓮の立正安国論については、北川前肇(きたがわぜんちょう)編の「原文対訳立正安国 論」(平成11年3月、大東出版社)があるが、それには次のように述べられている。す なわち、 『 「立正安国論は、旅客と主人との間に取り交わされた10の問答という形式で論述さ れている。まず第一の問いのところで、旅客が主人のもとに来て大いなる嘆きとして次の ように語るところから始まる。近年より近日に至るまで、天変地異、飢饉や流行病によっ て、牛馬等の家畜はもちろんの事、多くの人たちが死に至っている。その悲しみは表現す る事ができないほどのものである。幕府は神社仏閣に種々の祈祷を行わせているが、少し も効験(こうけん)もない。また、政治の方面では、徳政を行っているが、それも単なる 慰めにすぎない。これはいかなる理由によるものか、というのである。これに対し主人 は、私もこの事を非常に愁(うれ)いていたのであって、胸中に憤りを感じている。そこ で、あなた(旅客)としばらく談話を致しましょうと、語りだすのである。そして、それ らの災難が興起(こうき)する原因は、人々が正しい教えに背き、悪法に染まることに よって、この国を守護する善神(ぜんじん)が国を捨て、聖人が所を辞した事によるもの であると応(こた)える。つまり、国に正しい思想信仰が喪失して、邪(よこしま)な思 想が充(み)ちているからだ、とその災難興起の根源を示すのである。』・・・と。 以上のように、日蓮には、「天変地異や疫病の原因は国に正しい思想信仰が喪失した事で ある」という基本的な哲学思想があるのである。この点に私は重大な哲学思想を見いだす のであって、天変地異や疫病という自然現象が国の思想信仰と関係があるという事が果た してあり得る事なのかどうか、その事をじっくり深く考えてみなければならないと思う。 このたびの東日本大災害の根源的な原因が国の思想信仰の乱れによるものかどうか? 現 在、東南海地震や富士山などの火山噴火が心配されているが、それをなくすには日蓮が実 際に行ったように、「自然呪力」のための儀式を行なう必要があるのではないか? 日蓮は、実際に「自然呪力」のための儀式を行なった。天変地異や疫病を日蓮などの名僧 の強力な祈りによって解消する、その強力な呪術を説明の都合上、私はすでに述べたよう に「自然呪術」と呼ぶこととしている。 日蓮は、実際に「自然呪力」のための儀式を行 なったのである。日蓮が鎌倉での布教を開始された当時、毎年のように、異常気象や大地 震等の天変地異が相次ぎ、大飢饉・火災・疫病(伝染病)などが続発していた。特に、1 257年8月に鎌倉地方を襲った大地震は、鎌倉中の主な建物をことごとく倒壊させる大 被害をもたらした。 日蓮は、この地震を機に、世の不幸の根本原因を明らかにし、それ を根絶する道を世に示すため、駿河国(現在の静岡県中央部)にある岩本実相寺で一切経 を読まれたのである。
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