50周年連載記事②現地で培った思いを形に(国際開発ジャーナル2015年

青 年 海 外 協 力 隊 OB・ O G の 軌 跡
農業/食品流通
2回
第
現地で培った思いを形に
に関心を向ける地元の住民は誰も
4月、ようやく山梨県で見つけた
いなかったが、たった一人で水や
土地で再びハウスの設営を始めた。
子どもが火だるまになりながら
りや雑草取りを続ける井上さんを
震災の後、農場の計画に対して
逃げ回る、悲惨な光景が目に焼き
見て、一人、二人と「野菜づくり
は、周囲から「できるわけがな
ついた。「小学6年生の時にベト
を学びたい」という人が出てくる
い」と強い反対を受けた。そうし
ナム戦争のドキュメンタリーを見
ようになった。「こうした経験を
た中、協力隊で培った二つのこと
て以来、自分が世界の現実にどう
通して、粘り強く取り組む大切さ
が井上さんの原動力となった。一
向き合うべきか、悩み続けまし
を学びました」と井上さんは語る。 つは粘り強さであり、もう一つは
た」。
帰国後は、種苗会社を経て、
次のような思いだ。「マレーシア
新潟県の農村出身の井上昌夫さ
2007年にわらべや日洋
(株)に転
の熱帯雨林で働いた経験を通じ、
んは、大学卒業後、合板工場で管
職した。コンビニ弁当などの製
人は自然との共生によってこそ生
理業務に携わっていた。しかし、
造・流通に携わる同社では、農業
きることができると実感しました。
ある日、青年海外協力隊の募集を
分野への事業拡大を検討しており、 多様な社会課題を抱える今日の日
見て、「人の生存に不可欠な食物
井上さんは農業の知識を生かして
本では、人と自然との関係を見つ
をつくる農業でなら、世界の問題
新しいグループ会社、(株)フレ
め直すことが求められています。
とより深く関われるのではない
ボファームを立ち上げ、ホウレン
食品会社として農業に取り組む中
か」と考え、退職して1978∼80
ソウをハウス栽培する農場を福島
で、社内外にそうした働き掛けを
年、マレーシアで園芸作物に関す
県に設立した。そして11年3月、
していきたいと考えています」。
る指導をした。
本格的に栽培を始めようとした折
井上さんは、農場運営のために
現地では、熱帯雨林を開墾した
に東日本大震災が発生。放射能汚
協力隊OB二人を新たに採用し、
土地で、換金作物としてキャベツ
染の影響を受け事業は頓挫した。
現在、共に事業に取り組んでいる。
などの野菜栽培に携わった。初め
しかし、井上さんは諦めなかっ
彼らの“協力隊魂”がどう生かさ
のうちは、手間がかかる野菜栽培
た。新たな農地を探し続け、この
れるのか、今後の展開が楽しみだ。
粘り強さで道開く
(株)
フレボファーム 農産事業部 部長付
井上 昌夫さん(62歳)
25歳
青年海外協力隊としてマレーシアへ
(職種:園芸作物)
28歳
種苗会社に就職。飲食店などから出る食
べ残しを活用したたい肥の開発を行う
53歳
わらべや日洋
(株)
に転職
58歳
(株)
フレボファーム設立に参画
山梨県南アルプス市の農場での作業
発足から50周年を迎えた青年海外協力隊。この連載では、協力隊の経験を生かして挑戦を続けるOB・OGを紹介します。
人が生きていく上で、
“食”は欠かすことができない。一方で、食は、人の心を楽しませ、豊かにする糧
にもなる。今回は、青年海外協力隊時代に抱いた志を胸に、現在、農業と食品流通分野で活躍する
OB二人を紹介したい。
Vanilla House 代表
小瀬 一徳さん(42歳)
21歳
現地の生産現場に定期的に通う
継続は力なり
実家の林業手伝いを経て、青年海外協
力隊としてパプアニューギニアへ
(職種:製材)
24歳
農業大学に入学
28歳
木材の専門商社に就職
32歳
Vanilla Houseを設立
その後、現地で活動する中で、
経営にあたり、小瀬さんが心掛
「ボランティアでは援助する側も
けているモットーは「継続は力な
ケーキやアイスクリームから甘
される側も継続性に難しさがある。 り」だ。「どんなに良い取り組み
く漂うバニラの香り。小瀬一徳さ
彼らの貧困問題を解決するには、
であっても、長く続かなければ現
んは、その原料であるバニラビー
ビジネスベースでの取り組みが必
地の人々の根本的な貧困改善には
ンズをパプアニューギニアから輸
要」だと感じ、帰国後は大学進学
つながりません」。洋菓子店やレ
入し、洋菓子店などに卸している。 を経て商社に就職。自ら提案し、
ストランなど100件に営業をかけ
小瀬さんは奈良県出身。高校卒
パプアニューギニアへの木材・加
ても、通常は2∼3件しか契約に
業後は家業の林業を手伝っていた
工機械などの輸出入を手掛けた。
結び付かないが、「協力隊時代に
が、「海外に行きたい」という憧
しかし、次第に現地の木材がア
ジャングルの奥地まで分け入って
れから青年海外協力隊に応募。
ジア系商社によって管理され、地
泥臭い作業をしたり、活動が軌道
1993∼96年、パプアニューギニ
元の人に十分な利益が還元されて
に乗らず思い悩んだりしたことに
アで木材加工や植林などの技術を
いないことが分かってきた。「現
比べれば、大した苦労ではありま
指導した。
地の人と直接やり取りできる商材
せん」と笑う。地道にパプアニュ
同国では第二次世界大戦中、日
を扱わなければ、彼らの生活の改
ーギニア産バニラビーンズの良さ
本軍が激しい戦いを繰り広げ、多
善につながらないと気付きまし
を説いて回った結果、現在は全国
くの犠牲者が出た。それにも関わ
た」と小瀬さんは振り返る。試行
各地の問屋やレストラン、洋菓子
らず温かく歓待してくれた現地の
錯誤の末に見つけたのがバニラビ
店などと取引を行うまでになった。
人々の優しさに小瀬さんは深く感
ーンズだ。手間を掛けずに栽培で
この6月には、取引先のシェフ
動した。それまで自分の将来につ
き、単価も高く利益を上げやすい
たちを現地に案内する予定だ。協
いて漠然としか考えていなかった
点が魅力だった。2005年、小瀬
力隊で芽生えた思いは、20年の
が、次第に「今後も彼らと一緒に
さんはバニラビーンズを扱う専門
時を経て、今、大きく花開こうと
何かしたい」と思うようになった。 商社、Vanilla Houseを立ち上げた。 している。