2491:「嬉しいニュース:八田英二氏に高野連会長就任を正式要請」(6/3)

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嬉しいニュース:八田英二氏に高野連会長就任を正式要請
同志社タイムス、次回掲載予定の久楽迎古
Interview with 同志社人:感性が作り上げる豊かな世界
同志社大学前学長八田英二氏、同志社大学学長に就任された時も嬉しかった。
と言うのも同じ ESS(英語クラブ)約 1500 人からのクラブ。15 のグループに分かれていた。
同じ E グループ、6年違うが、OB 会では、顔をあわせる。
2013 年、関西 ESS・OB 会にて、当時、学長であった八田英二氏につづいて
特別ゲストとして、京都御所横の平安ホテルで講演させていただいた。
八田氏のご活躍は、現時点、私自身が市井の中での活動、嬉しく、この上ない励み。
学生時代、京都大学政治学猪木正道教授講演後、全京都 ESS 連盟主催の模擬国連だった。
国際会議場、アメリカ文化が激流のように日本へ。
同志社大学だけでも ESS メンバーは 1500 名。ケネディ大統領時代、
ロシアのフルシチョフ大統領がキューバに核を持ち込む行動を牽制。
実行すれば断固とした措置をとると米国国連大使が演説、
そのお役目を私が冒頭に演説。翌日の英字新聞に報道された発言中の私のシーンだった。
今回、同志社タイムスに報道されるのも、何かのご縁。
Interview with 同志社人:感性が作り上げる豊かな世界
どこかへ行きたい、まだ知らない場所を見て回りたい ―そんな気持ちを、
ただ文字を眺めているだけで呼び起こす「旅」。
今回は、「知性より感性」をモットーに世界を旅し、
純 日 本 風 フ ォ ト ア ー ト ・「 夢 絵 」 の 制 作 に 取 り 組 ん で い ら っ し ゃ る
久 楽 迎 古 ( く ら ー く ・ げ ー ぶ る ) さ ん ( 法 学 部 法 律 学 科 : 1965 年 3 月 卒 業 ) に
お話を伺いました。で始まる同志社タイムス。
本学在学中は、「自分のほとんどすべてをESS(英語クラブ)に投入した」
とおっしゃる久楽さん。当時の日本では、
東京オリンピック(1964 年)の影響もあり、海外や英語に対する関心が
高まっていました。それを反映して、本学のESSも非常に盛ん。
最初は「ついていくのに精一杯だった」という久楽さんも、
「日本語の使用が一切禁止」という超「スパルタ式」のランチタイムの練習で
鍛えられます。その甲斐あって、3回生の時には選抜された
全京都ESS連盟の模擬国連にアメリカ国連大使役で参加。
これと並行して、ボランティアで来日観光客のガイドもするなど、学生時代から
「海外」や「旅」とは縁のある活動をされていました。とつづく。
八田英二氏も、ESS で、厳しい体験をされたのだと推察。
今となっては、厳しかったが、私自身頑張って良かった。人生にはいろいろな節目がある。
当時、アメリカ文化センター、木曜ミーティングの司会を1年間。
そして、ケネディ大統領の暗殺。当時、マークピティ館長さんから、次期大統領、
ジョンソン氏の教書をいただいたが、暗殺というショック。
人生が変わってしまった想い出がある。まさか、芸術家になるとは思いもよらなかった。
今の肩書きは?
の質問に対して
純日本風フォトアート・和紙夢絵、「 夢 絵 作 家 」、同時に、「 冒 険 家 ・ 旅 行 家 」
当時の演説文、憶えるのに大変だった。しかし、今は心の財産。
若い時しか出来ないことがある。この下書き演説原稿、4 ページ目である。
後期高齢、人生第 4 ステージに突入。力は衰えているが、時間をかけて、心は青年。
便利で楽なことばかりに慣れていると恐ろしいという潜在意識がある。
いささか変人?
私自身は個性だと思っている。もう、失うものは何も無い。
現役で、どこまでやれるか知れないが、倒れるなら前に。
ホームページ、心模様の流れからは逸脱するが、書かせていただいた。元気発信。
正式の広報される記事は後日この心模様に。