Title Author(s) Citation Issue Date URL Publisher Rights 「栄花物語」の作中和歌(1) : 巻第六かがやく藤壺「長 保元年道長女彰子裳着・入内屏風歌」について( fulltext ) 菊地,圭子 研究紀要/東京学芸大学附属竹早中学校(51): 3-14 2013-05 http://hdl.handle.net/2309/134459 東京学芸大学附属竹早中学校 「 栄花物語」の作 中和歌 (1) 一 巻第六 かがやく藤壷 「 長保元年 道長女彰 子 裳着 ・ 入内犀風歌 」について 菊地 圭子 国語科 要約 『栄花物語』の行事 に関する記事 の多くは、和歌とともに述べ られている。慶祝行事 の作 中和歌の表現を見 ていくと、さまざまな『寿ぐ』意 味のあることばが点在することがわかる。その中には、藤原 氏 につ いての歴 史物 語である側 面をとらえた記録 的な意 味と、当時の和歌をめぐる表現の表 出、といったことが垣 間見られる。今 回 「 ひな鶴」と は、巻第六かがやく藤 壷の冒頭 にある「 藤原道長女彰子の裳着 、入 内犀風歌」の中から、「 紫の雲 」 いう表現 に注 目して、『栄花物語』に見る、和歌表現から読み取れるものについて考察していきたい。 キー ワード 栄花物語 和歌 犀風歌 紫の雲 ひな鶴 Ⅰ はじめに 藤原彰子 裳着 入内 『栄花 物語 』の慶 祝行 事 を読 み進 めていく中で、 巻 第 六かがや く藤 壷 冒頭 部 分 につ いて注 目した。 『栄花物語』の各巻 において、人物 の亡くなったと なぜ なら道 長 女彰子 の裳着 から入 内までの一連 の 記事 において、佐藤 宗子氏 は、御論 文で、2) きの記事あるいは仏事 関係 の記事 は、全巻 に広く分 大殿 の姫君 が急 に登場 し、彼 女 が十 二歳 にな ヽ ったということで、時期 を確 定 している点で、こ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ れまでとは違った方法がとられている。 ヽ ( は筆者 が付 した) 布 している。1 ) 数 量的な面だけでなく、この分布 状況 を見ても、これ らの記事 が『栄花物語』の中で重 要で あることがわかる。ところが、その反対 の趣 をもつ 、誕 生や 元服 、結婚 ・ 入 内 、御賀 などのいわゆる慶 祝行 事 と呼 ばれる記 事 につ いては、前 の仏事記事 のよう と、他 の巻 々と異なる点を、指摘 なさってお られるか に全巻 に広 く分布 しているというわけではなく、比較 らである。さらに、 的集 中して記 されている。これ らは、『栄 花物 語 』の 一 前略- ここでは和 歌 は、確 固たる資料 として 中では多 くの歌会 ・ 犀 風 歌などのいわゆる儀 式 的 ・ とりあげられているといってよい。またそれ は、 儀 礼 的歌群 を形成 してお り、資料 1にあげた表 がそ 新 しい体制 の幕 あけを示 さなけれ ばならないこ れ に当たる。 の冒頭 で、作者 が己が言葉 で語 りえなかったこ とも、一方で思わせ る。 『栄花物語 』に和歌 の記事 があるものと地わ文より 和 歌( 犀 風 歌も含 む )の存在 が認 められたものを含 と、和歌を重 要な役割を担ったものとして考えておら めて 、29例 を数 えてお り、贈 答 歌や独 詠 歌 中心 の れる。この点 に注 目して、和 歌表 現 の指 摘 によって 当時の女流 日記や『源 氏物語』などとは明らか に異 明 らか にしていきたい。ここでいう「 新 しい体 制 」と なる特徴を持っていると言える。この傾 向は『宇津保 は、まさしく彰子入 内で象徴される道長栄華 ・ 道長物 物語』に似ている。 語 の流 れ の始 まりである。それ まで、兄道 隆 に握 ら れていた政権 が、次第 に道長 の掌 中に収 められよう Ⅱ 巻第六 としていた第 一 歩 というのが、巻 第 六かがや く藤 壷 かが やく藤壷 「道 長 女 彰 子 裳 着 ・ 入 内犀風 歌 」 冒頭 の彰子 の裳着から入 内までの一連 の記 事なの である。入 内準備 の犀 風 歌 に、公 任 と花 山院 は各 1 「 紫の雲」 2 例2 )のように 々、資料 ( -3- ・ 蓋ゑ蓋 とぞ見 ゆる藤 の花 いかなる宿 のしるしなるら り入れ られるようになったと考えられる。6) む ここで岸 上慎 二氏 の『枕 草子』の『「 春 は曙」の「 紫 ・ 故意盛 を養 ひたてて松 が枝 の影 に住せ むことをし だちたる雲」についての覚え書』という御論文で7) ぞ思ふ 枕 草子 の巻頭 のこのところは紫だちたる雲で、 と詠 んで いる。その 中 にある公 任 の和 歌 につ いて 時代 風 潮 の上 に立 っ 高 貴性 の他 に枕 草 子 そ 「 紫の雲」という表現 に注 目していきたい。 のものに瑞祥あれかしといふ願 ひであらろう、そ 公 任 の和 歌 は、『拾 遺 和 歌集 』巻 第 十 六雑 春 に れ は定子後 宮 に瑞 雲あれかしといふ 心 の底 か 左 大 臣むす めの中宮のれうにてうじ侍 りけ る犀風 右衛 門督公任 らの希求が送ってゐるのであらう。 と、「 紫 の雲 」との関わ りを指 摘 されている。その 中 1 068 嵐 a蓋 とぞ見 ゆる藤 の花 いかなるや どのしるし で、「 紫 の雲」に関する「 后」 の用例 に関しては、詳 細 なるらむ な研 究成 果 を既 に挙 げてお られ 、( 資料 5⑪ )『後拾 とあり、また『拾遺抄』『金葉和 歌集 三奏本』第-春 、 遺和歌集』第七 賀 『玄々集 』『新撰朗詠集』『公任集』『和歌初 学抄』『古 陽明門院 はじめてきさきに立たせ給 ける 来風 体 抄』『今 昔物語集 』『古本説 話集 』にも所収 さ をききて 江侍従 46 0曳ら よさ忠 霊 のよそなる身、なれ どもたっ ときくこ れている。『金葉和歌集』に、 犀風 の絵 に人 の家 に藤 の花 さきたる 2 0 ) そうれ しかりけれ ( 『今鏡 』 ところをみてよめる この和 歌を最初の例 とされている。8 ) 9 ) この和 歌 は陽 明 門院 と称 され た後 朱 雀帝 皇 后 、 大納言公任 禎 子 内親 王 の立 后 の際詠 まれ たものと思 われ る。 『公任集 』に 1 037)「二月十余 日 『栄花 物語』本 文 にも長 元十年 ( 人の家 に松 のかかれるふぢを見る とあり、犀 風絵 の様 子 をも伝 えている。『栄花 物語 』 に一 品宮后たたせ給 。」( 巻第三十 四暮れまつほし) を初 めとして、諸歌集 の詞書より、藤花を題 に詠まれ 8 8)とある。 ( 三2 たことがわかるが、この和 歌 はさらにその藤 の花 を そして、岸 上氏 はこの 「 江侍 従 」の和歌 以前 の用 「 紫 の雲 」に見 立てている。この 「 紫 の雲」とは、古代 例 となる、公任 詠 をはじめとす る『栄花物語』全 八例 中国では 「 紫雲」といって、読んで字の如 く紫色 の雲 のうち、四例 につ いてふ れ てお られ ( 公 任 詠 は『拾 を表 していた。紫という色が高貴な意 味を持つため、 遺 和歌集 』の用例)そのうち、( 例4 )( 例8 )の二例 の 紫色 の雲 はや がて瑞 雲 -お めでたい雲 、お めでた 「 紫 の雲 」を、「 后」の異称 としてお られる。しかし、今 い時にたなびく雲として用いられ 、これが転 じて君子 回私 は、「 皇后 ・中宮 の異称 」として 「 紫 の雲 」をとら のいる所 にたなびく、とされるようになった。3)4) えた『栄花 物語』の用例 は、全 八例 のうち、前 の ( 例 ( 李 白・ 古風詩) 2 )「道 長 女 彰 子 裳 着 ・入 内犀 風 歌」も含 めて正 ・続 東海況碧水 、西闘乗紫雲 . ( 南史 ・ 宋 文帝紀) 編 合 わせ て五例 を「 后 」の異称 を含 む表 現であると 考えた。資料 3 景 平初 .黒龍 見西方 .五 色雲 随 之 .二年 江 陵 以 下 、岸 上 氏 の指 摘 に漏 れ た く 例6 )( 例 7)の二 城 上有墓室 .望気者 .皆 以岳 帝王 之符 .常在 )も含 めて 面 につ いてみ ていく。そして公 任 詠 ( 例2 西方 . 『栄 花 物 語 』の用 例 は和 歌 六 例 、地 の文 二 例 であ 『南史 ( -)』列侍 ( 上)汲古書院 る。数 量 的 に見てもかなり多いといえる点も指摘 して また、仏 教 において念 仏修 行 をす る者 の臨終 に おきたい。10) 弼陀三尊 が極 楽から乗 って来迎するという紫色の雲 岸 上氏の指摘 に漏れた二例 は、続編 の例であり、 5) す べて巻 第六かがや く藤 壷 の冒頭部分「 皇后 ・中宮 雲」という言葉 が 日本 に伝 わった時、訓読語 として取 の異称」と同じ意味を持 つと思 われる。最初 は ( 例6 ) という意 味もある。「 紫の雲」という言葉 は中国の 「 紫 -4- 巻第 三十二語合 にある『藤 壷 の藤 の花 の宴』の例で となる。正編 はさまざまな意 味で「 紫 の雲 」を用 いて ある。当時藤 壷 ( 飛香合 )に居 られた中宮威 子 のもと いるため「 皇后 ・中宮の異称」としての例 は五例 中二 での宴 に女房 の詠 んだ和歌 の中の二首 が記 されて 例 と少 ないが、その対象 はきわめて明確 である。少 いる。 ない二例から結論 を出すことは無理 であるが、傾 向 女房 、殿 上人など、多かれどとどめつ。 としては道長 の娘 、特 に倫子所 生の女子 に用いられ (三 237) ているということがいえるので はないか。また ( 例 2) 藤 の花 の宴 の和歌で 「 紫 の雲 」が用 いられ七いる例 は犀風 歌という性格から犀風 の絵 に和歌が規 定され は『源 氏物語』宿木 、『拾遺和 歌集』などにもあるが、 るということがいえる。それ 故 藤 の花 の絵 に対 して この 「 紫 の雲 」は藤 壷 中宮である威 子 を表 していると 「 紫 の雲 」 を視 覚 的 、色彩 的 に詠 み込 んでいくという 思われる。 ことは 当然 の流 れだ ともいえよう。さらに続 編 の「皇 后 ・中宮の異称」 の対象者 は 次 の例 は ( 例 7)巻 第 三十 六根 合 はせ である。一 品宮京極殿 で立后 冊命 という場 面である。一 品宮と ( 例 6) 道長女威子 は章子 内親 王のことで、東 宮であった後 冷泉帝 のも ( 例 7) 章子 内親 王 とにすでに入 内している。 ( 例 8) 基子 一 品宮 、その年 の十 二月の十 三 日に、御 裳奉 である。全 用例 「 皇 后 ・中宮 の異称 」 であるが、人 物 りて、や がてその夜東 宮 に参 らせ 給べ し〔 と〕急 の統 一性 がない。正編 で述 べた和 歌 に対する規 定 . ぎたたせ給 にけり。 藤 壷 の藤 花 の宴」 があげ という点では ( 例 6)威 子の「 ( 三 294) その章子 内親 王 に今度 は、立后冊命 となった。記事 られる。またこの場 面では前 の倫子 と威 子 の贈答 歌 は 日時表 記 が詳 しく儀 式 の次 第も細 か く記 してい も同じ場 面であることが、本 文 の 日時記 載 より推 測 る。和歌 は祝 の宴のものではなくおそらくその後 のも 三月つごもり方 に」( 三 23 できる。「 三月升 目がたに」「 のだと思われる。「 八月十七 日内-人 らせ給。( 三3 5 7)この贈答 歌も藤 花 を添 えたものであり、藤 壷藤 花 3)」の後 に、「 伊 予の守範 国」が女房 の局 に詠んだと の宴 同様 、藤 の花 に寄った和 歌である。正編 と続 編 いう形で和歌の詠まれた事情が記されている。 の例 とともに、詠歌場 面での藤 の花 による規 定が、こ ・ かねてより空のけしきぞしるかりしふるあとに立っ濃 の「 紫 の雲 」の和 歌 に働 いたことが一 つ の特徴 であ の害 . I : i : る。しかしこれ は決 して「 紫 の雲 」を引き出すため に 「 ふるあとに立っ紫の雲」とは以前この京極殿 で立后 藤 の花 が用 いられたので はなく、あくまで和 歌 を詠 冊命 のあった三后 ( 彰子 ・ 研子 ・ 威子 )と同様 に立后 む ときの題 として、積 極 的 に提 示 させ たということに する章子 内親 王という意 味である。ここでも「 紫 の雲」 ほかならない。「 藤 の花 に寄せ て」 という心が、和歌を は「 皇后 ・中宮の異称」 として用いられている。 詠 むきっかけとなったのである。 『栄花物語 』において 「 紫 の雲」を分析 し表 にして また前 にあげた『後拾遺 和 歌集 』の例 を見てみる みた。資料 4 ことにす る。この時の対象者 は、道長 の女 研子 の娘 八例 中五例 が「 皇后 ・中宮の異称」として「 紫の雲」 で三 条 院 皇女禎 子 内親 王である。( 例 7)章子 内親 が用 いられている。他 の用 例 にも「宮 中」から皇 后 ・ 王 、さらには『後 拾遺 和 歌集 』の例 、禎 子 内親 王 の 中宮 に発 展 す る可能 性 のある表 現 例 はあったが、 二人 はともに、威 子 ・ 研 子 各 所 生 の皇 女 である。道 皇后 ・中宮 の異称」と ( 例 2)を筆頭 に『栄花物語』に「 長 の孫 の例 まで数 えると、実 に『栄花 物語 』の五 例 しての例が集 中しているということはいえる。また、皇 が道長子孫 の女性 に「 紫 の雲」が使 われて和歌の 中 后 ・中宮として用 いた人物 、対象者 は正編 では で表現 されているといえる。『後 拾遺和歌集 』の資料 ( 例 2) 道長女彰子 からではあるけれ ども、「 紫 の雲 」は「 皇后 ・中宮 の異 ( 例 4) 倫子所 生の道長女 称 」として、用 いられていることで裏付 けとなるように ( 彰子 ・ 研子 ・ 威子 ・ 嬉 子) 皇后 ・ 思われる。( 例 8)の基子 につ いては、実 際 に「 -5- 中宮 の異称 」として用 いられたのではなく、想像 ・ 夢 に見立てて、その姿を見るにつ け、自分 、この場合 、 といった虚構 の部分で用いられたという点が、明らか ははぎみも悲 しくなると詠 んでいる。ここでは、慶 祝 に他 と異なるところである。そして「 紫 の雲 」といえば 行事 と言うよりは、悲嘆の描写を表現するのに、用 い 「 皇后 ・中宮 の異称 」であると想 像 した、ということは られ た 「 ひな鶴 」の例 である。又 、「 ひな鶴 」という和 当時 、それだ け定着 した概 念 だったことが伺 える。 歌を見てみると、次の例 は、『公任集』 おきなのつるかひたる所 以 上 のように『栄 花 物語 』以 前 に 「 紫 の雲 」を「 皇 后 ・中宮 の異称」と明確 に表す 和歌 、散 文 の例 は見 303訟盗 孟急をすだてし程 に老いにけり雲ゐのほど 当たらなかった。そしておそらく巻 第六かがやく藤 壷 をおもひこそやれ の道長 女彰子入 内準備 の犀 風 歌で、公任 が、藤 の となる。この例 は、「 ひな鶴 」が巣 立っていくという表 花 から紫 色 の雲 を連想 し「 紫 雲 」の漢 籍 の故事 をも 現で、その 「 おきな」の長 寿 さを、表 している。『栄 花 踏 まえて「 紫 の雲」を「 皇后 ・中宮 の異称」として和歌 ヽ ヽ に詠 み込んだのだろう。また、この藤 の花 は藤原 氏 物語』巻第十二たまのむらぎく( 資料 6)にもある、『新 千載和歌集』巻第廿 慶賀歌 の例 は、 の藤 がかけられていることも否 定できない。さらには 小野皇太后宮むまれ給うける七夜 に衣箱 道長 娘 は入 内した後 、藤 壷 に居 を構 えることが多い にそ-てつかはしける 枇杷皇太后宮 ということも「 藤 の花」 と関連 がある理 由の一つであろ 皇后 ・中宮」 う。ll)公任 の和歌を契機 に道長 子孫の「 2279盆 急迫 の 白妙衣 けふより定千とせの秋 に立ちや に対 して「 紫の雲」 を用いること、そこから一般 的な表 かさねん 現 として定着 す るようになった。『栄 花 物 語 』のこの とあり、七夜 を祝 った和 歌である。この、七夜 を詠 ん 公任 の和 歌 は、『栄花 物 語』の一 つ の表 現 としての だ和 歌 は、「 つるのこ」など、類 歌 に大変 多く見 られ みではなく和 歌を中心とした 「 紫 の雲 」という表 現 の る。『元真集』 ひとの子うみたる七夜 中でも、貴重な第一歩であったのである。 1 88雲 ゐにもいまはまつ らむあしべなる声ふ りたっ る 2 ・' , ≡ , i / ) ' 、 1 ; I :I : I j 「ひな鶴 」 『栄花物語』以前 の例 には、極 めて少ない 「 ひな鶴 」 という表現 は、『公任集』の例 に「 巣 立つ」、また、『新 公任 の和 歌 の次 に、花 山院 の和 歌 がある。犀 風 千載 和 歌 集 』の例 に 「 七 夜 」という場 で詠 まれ てい の絵 について、 る。類 歌の中には、「 七夜 」の和歌の中で、「 巣立つ」 人の家 に小さき鶴 共多く書きたる所 に といった表 現を用 いる例も多かった。『拾遺 和歌集 』 (二 299) 巻第十八 と、『栄 花 物語 』の本 文より、記 録 がある。和 歌 の 中 雑賀 では、この 「 小 さき鶴 共」は 「 ひな鶴 」という表 現で詠 ある人の産して侍 りける七夜 まれている。これ は、入 内の近 い彰子 を指示 してい もとす け るのである。「 ひ な鶴 」の、他 の和 歌 の表 現 につ い 11 66松 がえのかよ-る枝 をとぐらにてすだてらるべき て、見てみることにする。尚、「 ひな鶴 」の和 歌 の他 ・) ; . : , L j) ( ' J : 1 な: 巨● L t つるのひな」又類 義 に、同義語 として、「 つるのこ」「 又 、松 に、あるいは、千代 に、つるの長寿を並べて詠 表現として 「 つるのかひこ」にあたって参考 歌とした む例も、類 歌 に見 られた。『拾遺 和 歌集』もとす け、 。 の和歌 に続 いて 『多武 峯少 将 物 語 』 12)に、「 ひ な鶴 」の例 が見 え る。ははぎみの詠 、 大弐国章、むまごのいかにわりごてうじ 64逢ふ事 の難 きもしらす 内になく艶麗 みるぞ悲 しか て、うたをゑにかかせ ける りける 11 67まつの苔ちとせ をかねておひしげれ之象 実 追曳 と、父君がいないことを嘆き、涙する姫君を「 ひな鶴 」 芸のすとも見るべく -6- しかし、『栄花物語』巻第六かがやく藤壷 、の花 山院 女子を建春 門院-たてまつりて、次のつ の例 は、「 ひな鶴 」は 「 巣 立っ」のではなく、「 養 いた とめて、女房の御もと- 住ませ む」のである。又 、「 ひな鶴 」とはいえ、 てて」「 520いとせ ばきはね のうちにてはぐくめることの訟忽 彰子 は入 内の年であり、当時の成 人 と考えてよい。 這迫 のすだっうれしさ それ故 、「 七夜 」の例 は似 ているとはいえない。次 に 女房御返し 『栄花物語』の他の例を見てみることにする。 521くものう- にすだっはじめの裏 法 塩 はちとせを あきとまかせたらなん 巻第十二、たまのむらぎく、教通宝 の出産女児誕 生の場 面。前 にも述べたが「 七夜」についてである。 と出仕 した娘 に対して用いられる例も出てくるのであ 教通は道長 男で、倫子腹である。それ故か、同母姉 る。 妹 の彰子 、研子 、威 子より、お祝 いの 「 御衣 」が贈 ら このように、入 内を祝う、又、成人した人物 に「 ひな れ、その中の研子よりの和歌となっている。「 ひな鶴」 ヽ ヽヽ は、当然女児をさすが、「 千年 の秋 にたちや重ねん」 ヽ とあり、秋 に、秋 の宮 -皇后を掛 けて、立后を暗示し 鶴」を用いる例 は、『栄花物語 』の中の二例のみであ ているといった解釈もできる。また、この教通 室 は、 いられている。また、「 七夜」または、赤児 に対して、 公任 女であり、里邸 ( 四条首)で出産 したこともあっ 詠まれていた「 ひな鶴」を犀風絵 の制約はあるにして て、公任 一族 13)のエピソードといった一面もあると思 も、用いた巻第六かがやく藤 壷 の例 は、特徴 的であ ( 例4 )巻第廿 われ る。次の例 は、資料 3 る、といっても過言ではないだろう。 子六十賀 る。和歌の多くの例 は、「 巣立つ」と言った表現、「 千 代」といった表現がともに詠まれ 、未 来を思って、用 御 賀 、倫 御賀和歌である。 Ⅲ 小野宮右大臣鮮資 おわりに ・ 教義 のおらゐ晶 を見つるかなこれや 千歳のためし なるらん 道長 女彰子 の入 内における準備 の犀風歌の中の 「 ひな鶴」は、前 にも述べた例 、頼宗の和歌 「 紫 の雲 」という公任 の和 歌と、「 ひな鶴 」という花 山 ・ 蓋忠霊 の中よりさし出づる月の光ぞのどけかりける 院の和 歌についてみてきた。これらの和歌は犀風絵 と同様 に、倫子所 生 の女たちをさしている。さらに、 _ の制約 はあっても前 に明らかにしたように、特徴的な 「 紫の雲」とは異なり、男、頼通 、教通 ら( 倫子所生の 表現を詠み込んだことで、彰子入 内を「 寿ぐ」 気持ち 男子 は、二人であるが、明子所 生の長 家を養子 とし を表 していると思 われる。公 任 の和 歌「しるしなるら ていること、などからか)も含 めて、倫子の子たちとい む」 花 山院の和歌「 住ませむことをしぞ思」とあり、推 った誓 えとなっている。「 おりゐる山」とは、倫子を愉 量したり思い遣っている様子も見られる。これは大殿 えており、多くの子たちを産み育てた倫子の素晴らし 道長の気持ち、彰子 の未来- のものである。この犀 さ、偉 大さ、賛美 のことばを、責資はおくっているの 風歌において、史料では、 である。この例 は、「 ひな鶴」を成人 した子たちに誓 ( 小右記)14) えるという点で、巻第 六、かがや く藤 壷 に近い用例と 一 略一 是入 内女御料犀風 歌、華 山法皇 ・ 右衛 して考えられる。しかし、「 ひな鶴 」を前途洋 々とした 門督公任 ・ 左兵衛督高遠 ・ 宰相 中将膏信 ・ 源宰 「 七夜」の緑児 に例 えるなら、行 く末も期待が大きい 相俊 賢皆有和歌。一 中略一 又有主人和歌云々。 といえるが、この巻第甘 御賀の和歌の例のように、 とある。又『栄花物語』の本文 にも「 さるべき人 々、や 成人 に対する例えは、少 々意 味的 に異なると思われ むごとなき所 どころに歌は詠 ませたまふ。( -299)」 る。このことは、巻第六かがやく藤壷も同様 で、道長 とあり、複数 の和歌 の 中からこの二首のみ書き残 さ 子女を誓えた表現 、として注 目した。ここで、和歌の れたことがわかる。本来彰子入 内をもっとも喜んでい 例 に戻る。また、「 栄花物語」の成立以降、『重家集』 たのは、おそらく道長であろう。その彼 の和歌 は『栄 に、 花物語』本文 には「 大殿やがて詠みたまふ」( -299) -7- と作者 の眼前 に、存 在 は確 認 され ている。しか し敢 とから作者 の編 纂 上 の一 つ の視 点 として、この犀 風 えて花 山院 ・ 公 任 の二 首 を載 せ 道 長 のものは除 か 歌を見ることができると思うのである。 れている。資料 が正確 に完全 にそろっていなかった という想 像 はあるが、作者 がこの表 現 、あるいは詠 み *本稿 にお ける和 歌 は、新編 国歌大観 ぶ りの素 晴 らしい二 首 に着 目して残 したという事 実 による。 がある。また、『今 昔物語集 』に、この『栄花 物語 』の *本 稿 にお ける『栄花 物 語 』本 文 の引用 は、す べ て 慶 祝 行 事 の和 歌 を伴 う記 事 が伝 えられ る。15)このこ 山 中裕 氏他 校 注 ・ 訳 『新 編 日本 古典 文 学全集 花物語 -∼三 』 ( 小学館 角川 書 店 栄 1 995-98)による。 匿垂』 N C p N I . ■ N ⊂n i g b亡J 〟 'N i n 暮 N 一 一 .S S . 当. 空 .唇 ′ 一 ヽ 年 ′ 五 、 牢 ( I a N く く J n A 〟 尋 年 匹 鐙 ( ′■ -■ ヽ 梶 A E) 岩 ' 一 ) 一 CL ● 一 の ・ . 一 ト. ■ く ● 七 一 一 〟 ' 暮 〟 % . 葦 年 冗 ′ヽ 一 ■ ■ ヽ, 令 取 〟 七 御= 歌 一 打ミ 貴 夕 琴 令 敬 .令 寛. 千 9? 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M m 7m 5 : i I, ..i:; .. , ;::.lf : Z.;.:::tr ..;.州 ,.1:I: .: ,,II;・::.I : '朋 .I-I:I; I,I:;'t: JJZ ''; .: :_ 鼓 庚風歌。 ・ l ' E l 、 圧 はぬたびの悲しさ ( 2)( 巻 六かかやく藤壷) など、あまたあれど、いみじき御事のみおぼえし 彰子入 内の準備 、人々の犀風歌 か ば、みな誰かはお ぼゆる人のあらん、さて帰 大殿 の姫 君十 二 にならせたま- ば、年 の内に らせたまひぬ。御 忌のほどの事ども、いみじうあ 御 裳着ありて、や がて内に参 らせ たまはむとい はれなりき。さべき殿 ばら龍 りさぶ らひたまふ。 そがせたまふ。よろづしっくさせたま- り。女房 そのころ桜 のをかしき枝 を人 にや るとて、実 の有様 ども、かの初 雪の物語の女御殿 に参 りこ 方の中将、 みし人 々よりも、これ はめでたし。犀風 よりはじ 墨染のころもうき世の花盛 りをり忘れても折 め、なべてならぬさまにし具せさせたまひて、さ りてけるかな るべき人 々、や むごとなき所 どころに歌 は詠ま これもをかしう聞えき。世 の中諒 闇にて、ものの せたまふ。和 歌 は主からなむをかしさは勝ると 栄 えなきことども多かり。 ( - いふ らむや うに、大殿 や がて詠 みたまふ。また *『後拾遺和歌集』にもある。以下、詞書参照 花 山院詠ませたまふ。また四条の公任宰相など ( 『後拾遺和歌集』巻第十 哀傷 1 81 ) 541 ) 円融院 の法皇うせたまひて紫野 に御 葬送侍 り 詠みたま-る、藤 の咲きたる所 に、 蓋忠霊 とぞ見ゆる藤 の花いかなる宿のしる けるに、- とせこの所 にて、子 目せ させ給 ひし しなるらむ 事など思ひ出でてよみ侍 りける 。 また、人の家 に小さき鶴 ども多くかいたる所 に、 左 大将朝光 花 山院、 ( 3)( 巻 九いはかげ) 盗 な盛 を養 ひたてて松 が枝 の蔭 に住 ませ むことをしぞ思ふ 左衛 門督の北の方の長歌 とぞある。多かれど片端をとて、書かずなりぬ。 ( - 299) 左衛 門督の北の方、内大 臣殿 の女御 に、 数ならぬ 道芝とのみ 嘆きつつ *『公任集』にもある。以下、詞書参照 はかなく露の 起き伏 しに あけくれ竹 の ( 『公任集 』307) 生 ひ行 かん この世 の末 に 左大臣のむすめの中宮の寮にてうじ侍 りける犀 うれしきふしや 見ゆるとて 風に いつしかとこそ 松 山の なりてだ に 高き梢 に 巣ごもれる まだ木づたはぬ 鴬を ・ ■ ′ 汗い 梅 のにほひ に 東 風早 く く 1 )( 巻 四みはてぬゆめ) 吹きぬれば 谷の氷も うちとけて かす みの表 円融院の葬送 さそはせて 立ちゐつつ うちなびき 岸の藤波 かくてこの円融院の御葬送 、紫野 にてせ させ 下枝 までにも 浅からぬ たまふ。そのほどの御有様思ひやるべし。ひとと にほひ にかよふ せ の御 子 の 日に、このわたりのいみじうめでた 朝 夕に いまも緑の かりしはや と、思し出づるも、あはれ に悲 しけれ 心をかけて ば、閑院の左大将、 聞ゆなる 山ほととぎす 蓋盟′ 、 へ嘉 のたなびく 松 にのみ 過 ぐす 間 に 夏 来 ぬべ Lと さ夜深く 蓋ゑ農 のかけても思 ひきや 春 の霞 になし 語らひわたる 声聞けば て見んとは 思ふとも いひやらぬまの 菖蒲草 行成 の兵衛佐 いと若 けれど、これを聞きて、 長きためしに 屋端 にかかる 一 条 の摂 政 の御 孫 の成房 の少 将 の御もとに、 ものとのみ ひきなして 蓬の宿を うちはらひ 玉の台と 思ひつつ おくれ じと常のみゆきはいそぎLを煙 にそ -91 何の心を うつせ みの世の はかなさも 忘れ はてては 君 の蔭を 祈りてぞ 千歳経 む かひなき方 は かきながしやる まさるとも 苅る藻かきや り 求むとも みるめなぎさに うつ波の 川瀬 にも かた-涼 しき 風の前 に 跡だに見えず 消えなんと お どろかれても 思ひのほかに 津 の国の いろいろの ゆかしさを 秋深くのみ 紅葉の錦 霧たたず 花 の裸 の たのまれて ながら- ば 夜を長月と しばしばかりも なにはの事も 今 はただ あまたかきつむ 藻塩 草 潮 の誰 をか いひおける ひさしき言を 菊の花 たのむ べき 煙 絶 えせ ぬ 匂 ひをそむる 時雨 にも 雨のしたふるか このかたみなる 思ひあらば ひゃあると はかなく過ぐす ひとり残 さず 月 日にも 心もとなく 思ふまに 頭 の霜の 置 けるをも うち払 ひつつ 思 はず に かきくらす 心 に闇に 衣の裾 に 惜 しまれず ぬ涙なりけり まどはれて 堰 きかねて まどひ入 りては 日数 ばかりをかぞふ とて ほのかに君が 森過 ぎて 山城 の て遊 びたまふ。昼 の楽よりも、これ はおもしろき 尋 ぬれど ことかぎりなし。月も疾く出でて、はるかに見や ら たるなどいみじう明きに、また殿 ばらの御 かはら なきわたるめる けもあまたたび になりて、杯 の光もさやかに見ゆ るほどに、 嘆くなる の松の声をあはせて 住 の江 の 尽 きもせ ぬ たよりだに 雁 の群 れゐし 跡 見れ ば 起き伏 しも 枕の下に 鑑憩 のおりゐる山を見つるかなこれや千 歳のためしなるらん 思 ひイ 宅び ひとりとこよに 生けらじと 憂き身を嘆く をしどりの つ がひ離れて おどろきて なく声 は 数ふればまだ行 く末ぞはるかなる千代を 夢かとのみぞ こがれ つつ かざれる君が齢 は 中宮大夫 消えか- りぬる 魂 は 行 方も知 らず く今 日こそは見れ 内大 臣 閉ぢられて 来 しかた知らず 関 白左 大 臣 君がため千代八重かさね菊の花行く末遠 夜もすがら 上毛の霜を 払ひ俺 び 氷るつららに ありなれし契も絶えて今 さらに心 かけじに 小野宮右 大 臣 心ぼそさぞ むなしき空を 殿 の御前 千代とい ふ らん 軒 にかかれる ささがにの 糸弱み 四条大納言 よろづ世と今 日ぞ聞えんかたがたにみ 山 鳥羽 に磐瀬 の 生 ひや しげらん と 思ふ にも 結 ばざりけん るるに、所 どころの柱 松 明 、また手ごとにともし 名 残 には われ ばか りのみ みながら絶えぬ 倫子六十御賀 の夜 、和歌の興あり 滝 の声だ に まづ ゆきがたも 波かくる 岸 のまにまに わす れ 草 485) や うや う夜 に入るほどに、上達部南 の章子 に いきて見るべ き かたもなし あはれ 忘れ ぬ 声 ばかりにて ( - ( 4)( 巻 二十御賀) 尽 きせ ぬものと 死 出の 山なる別 れ 路 は 呼子鳥 水茎 におもふ 心をなにごともえも書きあ- 恋しき影も とどまらず 袖 のしがらみ 頼むめるかな 消 えにLよりは あくべきかたも 涙 のみ 流れつつ はぐくめと 身 の程知 らず 塵も据 ゑじと み がきつる 玉 の光 の うちはぶき 衣 のすそに あり経 んと 思ひむなしく なさじとぞ はぐくみて 薫きものの 釣 に年 経 る 枝 しげみかたがた祈る千代なれ ば常盤 の 松もいとどのどけく 海 人も 船ながしたる 年月も -10- ( 7 )( 巻 三十六根あわせ) 侍従大納言 章子 内親 王立后 めづらしき今 日のまとゐは君がため千代 に八千代 にただかくしこそ 八 月十 七 日内裏 -人 らせたまふ。伊 予 の守 東宮大夫 範 国が、女房 の局 にいひたる、 蓋忠 霊 のなかよりさし出づる月の光ぞのど かねてより空のけしきぞしるかりしふるあと けかりける に立っ蓋忠霊 中宮権大夫 これならね どかようのことは多か り。( 三 353) 今 日こそは残 り久しきよろづ世の数知 りそ ( 8 )( 巻 三十八松 のしづえ) むる始めなりけれ これより下は、夜 更けぬればとどめつ 源基子 、後三条邸 の寵愛を受 け、懐妊 。 ( 二 372) 一 品宮 に参 らせ たまひ し侍 従 宰相 の御 女 、 内思 しめす といふこと世 に聞えて、ただそなた ( 5 )( 巻二十二とりのまひ) になん、おはしますなどいふほどに、ただならず 薬師堂の供養 、遷座 の仏像 ならせたま-り。おほかたも宮仕 - ざまにもあら 仏 の渡 らせたまふその 日になりて、春 の霞み ず 、もてかしづききこえさせ たまひて、ただ宮の も立ちけり、藍思量 笈を断たずたなびきたり。日 御 同じことにて、御 台などまゐらす ることも、姫 4 うららか に照 りたる曇 りなき辰 の時 ばかりに渡 し 君 の御 台とて、女房 取 りてまゐらするに、まして たてまつらせたまふ。丈六の七仏薬師みな金色 かくさ-ものせ させ たま- ば、いと心ことにもて にお はします。日光 、月光 、み な立ちたま-る なさせたまふ。もとより帝 の御 母 になりたまふべ 御 姿 どもなり。六観 音 同 じく丈 六 にてお はしま き宿 曜ものしたまふ 、御 夢 にも、 す。仏 を見たてまつれ ば、獅子 の御座 より御 衣 なん見 えたまひ けるなど聞 ゆるを、「 なはさこそ のこぼれいでたま-るほど、いみ じくなまめかし まことにただ今 人 はものはい - 」と言 ひ しを、「 401 ) にてはかなひ ぬべきにや 」と、人 々は思ひいふ く見えさせ たまふ。 ( 二 嵐巴芸 立ちて めり。 ( 6 )( 巻 三十二語合) 藤壷で、藤 の花の宴 三月つごもり方 に、藤 壷 の藤 の花 、えもいは ず おもしろく塀 に咲 きかか りて、御 溝 水 を遣 水 に掘 りわけて流 させたま-るに咲きかかりたる、 いとをかし。この花 の宴せ させたまふ。上達 部 、 殿 上人参 りて御 遊 びあり。資通 の弁琵琶 、左 右 衛 門佐 経季 和琴など弾き合 わせたまふ。大夫 、 権大夫などもの請 じ、歌うたひなど遊 びたまふ。 女房 、 濃忠霊 立ち紛ふ藤 の花いかに折らまし色 も分かれず 夏 にだに契をかけぬ花ならばいかにかせ まし春 の暮るるを 女房 、殿 上人など、多かれどとどめつ。 ( 三 237) Ill - ( 三 425) 松二 の ム一 十 し八 根 二 冒 せ ( 後 冷 泉 帝 女 源 基ヽ 平 女 基 子 壁 あ手 は六 1※ i 四 6 5 4 3 2 1 例 歌 二 合 r 7十 - と一 り手 の二 御 一 賀 手 い九 は か か六 が や み四 は て 巻 げ 壁 宝 く 互 ひ ま 徳 徳 (∫ 冷 条 泉院 帝皇 中女 後 ノ ー\条 朱院 雀皇 帝女 皇禎 藤 姦原 一道 条長 帝女 中威 宮千 ) 章 竪子 ) 宮子 ○ 仏 像 藤 高原 子道 所長 生女 \ J 条 院 一 ぬ め ゆ 藤 原 条道 帝長 中女 宮彰 二 円 融 院 ○ ○ ○ 地 文 の ○ ○ 長 歌 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 雲 ○ 藤 花 宮 中 ○ ○ ○ ○ _ ○ ○ t3 1 公 集 任 隻 敬 和 遺 袷 ※ 0 0 3 ● 6 7 9 4 隻 和 遺 徳 拾 歌 6 0 賀 歌 和 棉 ○ ○ 負 者 ) 千 ○ ○ 対 典 仏 蘇 里 5 2 集 方 後 和 過 塗 莱 歌 ※ 4 2 ● 5 1 隻 歌 伊 江 女 頼 隆 公 戟 詠 範 守 予 国 の 侍 従 戻 宗 姫 任 光 者 賀 賀 蛋 釈 蛋 哀 蛋 哀 部 立 ∃ = ヒ 互 藤 藤 花 成 法 p 寺 千 倫 莱 十 千 早 五 二 内 親 12 六 チ 彰 入 内 備 考 : ..; I ;・ T 7 紫 の雲 」 及 び ﹃栄花 物 語﹄ 周 辺 の歌集 「 紫 の雲 」 の分 析 一覧 ﹃栄花物 語﹄ に おけ る 「 ※ 1=時代 の明確な も のは歌集 の例 でも そ の時 代 にあわ せ て記 した。 世 継 物 語 66 玄 々集 51 新 撰朗 詠 集133 和 歌初 学 抄 83 古 来 風体 抄382 今 昔 物 語集 73 古 本 説 話 集 3 ※2=実 方 集 異 本 也 148 今 昔 物 語集 118 宝 物集 543 ※ 3=拾遺 抄 400 金 菓 和歌集 84 8 ・ ● 川・ . ) 御返し ①( 『拾遺和歌集 』巻第十 六雑春 ) 1 756 なぶ ≡ 意忠 霊 にかよ- る花 なれ ばしつ くの色 は 延 喜御 時 、藤壷 の藤 花宴せ させ 給 ひけるに、殿 わかしとそ思 上のをのこどもうたっかうまつ りけるに ( 『円融 院御集 』) 皇太后官権 大夫 国章 近 江命 婦 のふみ に、う- の仰 ことありと有 りけれ ば、宰相 の君といひ し人 1 068ふぢの花 宮 の内には蓋忽 迫 か とのみぞあや ま 1 6む らさき たれ ける しられ けんあめのしたなる 菊 のしつくは ②( 『新 千載 和歌集 』巻第 二春 下) 上 の御 覧して、お ほんか- し ∃にかよ- る花 なれ ばしつ くの色 はわ 17む らさきの匡 延 書の御 時飛香舎 の藤 宴 によめる かしとそ思 藤 原敏行朝 臣 1 79藤 の花 風 をさまれ ば濫忽真意 ちさらぬところとぞ ⑧( 『新 古今 和歌集』巻第十 六雑 上 ・ 『円融 院御 集 』 4 みる 8・ 49) 『夫木 ③( 『兼 盛集 』・ 『三条左 大 臣殿 前 栽 歌合 』20・ 東 三 条 院 女御 にお はしける時 、円融 院 つ ね に 和歌抄 』41 7 8・ 『和歌一字抄 』11 63) わたり給 ひ けるをきき侍 りて、ゆげひ の命 婦 がも とにつかはしける A みつのほとりの花 東 三条入 道前摂政太政 大 臣 78 蓋忠霊 とそ見 ゆる月影 に水 のおも照す きしの秋 は ぎ 1 446春 がす みたなびきわたるをりにこそかかる山辺 はかひもありけれ 御返し ④( 『兼盛集 』・ 『新続 古今 和歌集 』巻第 七賀 763) 松 に藤 かかれる家 円融院御 歌 1 447 蓋忠霊 にもあらで春 霞たなびく山のかひ はなに ぞも 1 76な皇道 皇忠霊 うちなびく藤 の花 ちとせ の松 にかけ てこそ見れ ⑨( 『増 基法 師集 』・ 『夫木和歌抄』巻 第 六春 六21 41 ) みや ち山のふぢのはなを 5) ⑤( 『拾遺 和歌集 』巻 第 二十雑賀 ・ 『元輔集 』11 人のかうぶ りし侍 りLによみて侍 りし 91 故地 のさけるなりけり もとす け 比 11 70 主 迫 とみつるはみや ちや まなたかきふ ち 嘉 を導 にて位 の山の峯をたづ ねん ⑲( 『大斎院前の御集』( 選子 内親 王)) 二 月十 三 日、む らさき野 にて、朱雀 院の御 子 目 ⑥( 『能 宣集 』) ひ ろか ず が蔵 人 になり侍 るに、をぢの修 理 大 せ させ 給 に、院 の人 々みせ させ 給 ふ 、野 にくる 夫 、下襲 、表袴 おこせ侍 りとて まどもたてなめたるに、このくるまをとどめて、実 方 の少将 みおこするほどにいひ にや る 445線より朱蓋忠霊 の上 にこは年 経たるみなれ衣 4 4 虫昆 至 急ゑ嘉 のお りゐるけふ さ-や こまったなびく かすみたっ らむ ⑦( 『新続 古今 和 歌集 』巻 第十 七雑 上 ・ ( 読 人 しらず) 少 将 、返 し 6・ 1 7) として載る・ 『円融 院御集 』1 円融院御 時、おはせ 事 にてたてまつ りける 45 な裏 法 ゑ嘉 のたなび くまつなれ ばみ どりのいろも 1755な らよき忠霊 井 まてや はしられ けんあめの した ことにみえけり なる菊 のしつくは -1 3 - ⑲45と同じく 『実方集』) 3)吉井巌 : 『紫雲 の源 流』 万葉集 -の視 角 ほりかはの院の子 日つかまつ りし( ゑむいう院の 御子 日に) 書院 和泉 1 9 9 0. 4)森 田直美 : 『歌語 「 紫 の雲 」考一 常套 化 - のプロ 7 2 虫ゑ麗し ゑ芸 のたなひく松 なれ ばみ どり色もことに セスー 』 平 安 朝 文 学 にお ける色彩 表 現 の研 究 みえけり 風 間書房 2 01 1 . 3)4)各御 論 文 ともに、「 紫 の雲 」「 紫雲 」につ いて詳 2 0 ) ⑪( 『後拾遺 和歌集 』巻第七賀 ・ 『今鏡 』 細な考察が述 べられている。 陽 明門院 はじめてきさきに立たせ 給 ける をききて 江侍従 460むら さき 1 96 0.の 「 紫 雲 」の 5)『大漢 和辞典』: 大修 館 書店 項 目より 身 なれ どもたっ ときくこそ 6)森 田直美 : 『「 紫 の雲 」考- それ は何 時 「 聖衆 来迎 うれ しかりけれ の雲 」となったのか- 』 平安 朝 文学 にお ける色 彩 表 現 の研 究 廿伸う 風 間書 房 2011 . にす で に詳 細 な考察 がある。 ( 例)巻第十二 教通室 たまのむらぎく 7)岸 上慎 二 : 『古典 の視 点 ・ 枕 草子 』 リポー ト 笠 女児 出産 間 第1 7号 1 97 8. かや うにて過 ぎもていくに、左 衛 門督 殿 の上 、 、 8)中島和 歌子 : 『『枕 草子 』初 段 「 春 は曙 」の段 をめ 月ごろただにもあらずものせ させ たまひ けるを、 ぐって一 和漢 の融合 と、紫 の雲 の象徴性- 』 む 七八 月 にあたらせ たまひたりけれ ば、四条宮 に らさき 紫式部 学 会編 て凶しかるべ Lとて、殿 人 の三 条 に家 持 たるが 同様 のご指摘 が見られる。 もとにぞ渡 らせたまひ ける。さて八 月十余 日、い 第 41 号 20 0 4. 1 2. にも、 9)橋本 不美男 : 『藤 壷 の女御 』 日本古典文学会会 第4 5 号 1 97 7 . 1 2. にも と平 らかにいみ じううつ くしき女君 生れたま- り。 報 大殿 よりも宮 よりも、喜 び の御 消 息 あまりなるま 藤 壷 と藤 の花 、藤 花 宴 、藤 原 氏 との縁 など、詳 細 でしきりに聞こえさせたまふ。大納 言殿 、尼上な である。 どの御 気 色 思 ひや りて知 りきこえっ べ し。御 産 1 0)伊 原 昭 : 『日本 文 学 屋 のほどの有様 、さらなれ ば書 きつ づ けず。三 日の夜 は本家 にせ させたまふ。五 日夜 は大殿 、 日本 古典 文学会編 色 彩 用語集 成一 中古- 』 1 97 7 . 4. 笠 間書院 ll)松 村 博 司 : 『栄花 物 語 の和 歌 に関す る諸 問題 』 七 日夜 は大 宮 よりとぞ。中宮 、督 の殿 よりは児 栄花物語 の研 究第三 桜風社 の御 衣 などぞありける。中宮よりぞ 、「 御 衣 に添 に御 指摘 がある。 1 2)『多武 峯少 将物 語 』「 群 書類従 -て」と書き来し、 輯 」所収 銑鼓 の 白妙衣今 日よりは千年 の秋 にたち や重ねん などぞほの聞きはべ りし。 1 9 6 7.3 45頁ですで 雑 43 8-4 40頁 1 3 ) 加 納重文 :「 『栄花物語』の性格 」( 前掲)もご指 ( 二48) 摘 がある。 1 4)『小右記』: 『大 日本 古記録 ・ 小右記』二 引用 ・ 参考文献 店 第 45巻第 9号、京都 大学文学部 国語 学 国文学研 1 9 7 6 . 書刊行会 1 9 61.( 1 9 9 3 復 刊)6 7頁 和 歌語 第 三十 三 学館 2)佐藤 宗子 : 『( 巻)を考える一巻 六 「 かがや く藤 壷 」 の場合』 『栄花物語研 究第一集 』山中裕編 岩 波書 1 5) 『今 昔物語集 』巻 第 二十 四 公任 大納 言読犀風 1)加 納重文 :「 『栄花物語』の性格 」 国語 国文 究室 : 京都 第 二十 七 国 1 9 8 5. -14- 新 編 日本 古典 文 学 全 集 1 971.に記事 が見える。 小
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