ピエール・ルイジ・ネルヴィの建築観に関する研究

ピエール・ルイジ・ネルヴィの建築観に関する研究
― 『正しく建てる』と『建築の美と技術』の言説から ―
横浜国立大学大学院 都市イノベーション学府
建築都市文化専攻
1.はじめに
木村 智
2-1 ネルヴィ略歴
ピエール・ルイジ・ネルヴィ Pier Luigi Nervi(1891-1979)
は、北イタリア・ソンドリオ Sondrio 生まれの土木技術者・
建築構造家である。1960 年に開催されたローマオリンピ
ックのために建てられた小体育館(1957)などを代表作に
持ち、その作品における洗練された造形的な特徴から、
いわゆる<構造デザイナー>の先駆者として、国際的な
建築潮流に大きな影響を与えた。また、日本におけるネ
ルヴィの位置付けや評価として、構造家・木村俊彦(19262009)は、以下のようにネルヴィを捉えている。
20 世紀の建築で構造美を作り出すタイプに 2 つの傾向があった。
一つは建築家、デザイナーの建築計画や空間構造と構造家の科学
的・力学的な知性とが融合して創り出されるもの。(中略)第二の構
造美はピエール・ルイジ・ネルヴィやフェリックス・キャンデラの
場合のごとく、造形との妥協を排して、純粋な自己主張によって建
築即構造が造られる場合である1。
木村の言う第一の構造美は、丹下健三(1913-2005)と坪
井善勝(1907-90)の様な建築家と構造家の協働によって造
り出されるものである。一方、第二の構造美は個人の直
感や模型実験などの技術を用いて、ネルヴィ単独で造り
出されている。また、ネルヴィがジオ・ポンティ Gio Ponti
(1891-1979)やカルロ・スカルパ Carlo Scarpa(1906-78)など
の建築家と同様の評価をイタリアで受けている点から2、
ネルヴィを建築家として見做すことができないだろうか。
年
出来事・建築作品・著書
1891 ソンドリオに生まれる
1913 ボローニャ大学の土木技術科卒業
SACC(建設会社)のボローニャ支店に勤務
1915 イタリア陸軍のエンジニア部隊に入隊
1918 SACC(建設会社)のフィレンツェ支店に転勤
1923 Nervi e Nebbiosi構造事務所設立(ローマ)
1924 Augusteo映画館(ナポリ)
1925 アントニオ・ネルヴィ(建築博士)出生
1926 マリオ・ネルヴィ(土木工学博士・航空工学博士)出生
1930 ヴィットリオ・ネルヴィ(建築博士)出生
1932 フィレンツェ市立スタジアム
Nervi e Bartoli構造事務所設立
1935 オルヴィエート飛行機格納庫
1947 ローマ大学建築学部構造力学専任教授就任
1949 トリノ博覧会・展示館
1950 トリノ博覧会・展示館(Cホール)
Studio Nervi設立(アントニオと協同)
1953 ガッティ毛織物工場(ローマ)
1955 正しく建てる Costruire Correttamente』
1956 ピレリ・ビル(ミラノ)
1957 ローマ小体育館
1958 ユネスコ本部(パリ)
1959 フラミニオ競技場(ローマ)
1960 ローマ大体育館
コルソ・フランチア高速道路(ローマ)
英国王立建築家協会(RIBA)ゴールド・メダル受賞
1961 Studio Nervi Architettura e Tecnica ediliziaに社名変更
(マリオ、ヴィットリオも参加)
トリノ労働会館
1962 バスターミナル(ニューヨーク)
1964 アメリカ建築家協会(AIA)ゴールドメダル受賞
1965 建築の美と技術 Aesthetics and Technology in Building』
プラス・ヴィクトリア・ビル(モントリオール、カナダ)
1968 リソルジメント橋(ヴェローナ)
1971 法王説教ホール(バチカン)
セント・メアリー教会(サンフランシスコ)
1979 死去(ローマ)
表1 ネルヴィ略歴と主要な建築作品
作成:筆者
つまり本稿では、木村の言う第二の構造美を造り出すネ
ネルヴィの略歴の中で注目するべき部分としては、建
ルヴィを単なる構造家・技術者として、技術だけを評価
設会社での実務経験があることと、意匠・構造設計、そ
するのでは不十分であるとし、一種の建築家と捉え、ネ
して施工までを一貫して行える建設会社を家族で設立し、
ルヴィの考えや思想である「建築観」を明らかにしたい。
多数の建築作品を残したことである。
2.略歴、時代・思想背景
2-2 建築運動・時代背景
ネルヴィの土木技術者、建築構造家、そして、建築家
3
としての略歴と主要な建築作品を表 1 に示す 。
ネルヴィの建築観に影響を与えたものとして、以下の
建築運動と時代背景を挙げることができる。
Astudy of Architectural view of Pier Luigi Nervi
Satoru KIMURA
(Supervisor : Prof. Koichi YOSHIDA)
Keywards: Pier Luigi Nervi, Italy, Costruire Correttamente, Aesthetics, Technology
①ラツィオナリスタ(合理主義者):第一次世界大戦以降
の間にある関係、つまり建設 costruire の美 estetica、安定性
のイタリアでは、合理主義者達の活動が盛んであり、ネ
statica、技術 tecnica の間の関係をよりよく検討するために
ルヴィの作品もその活動に含まれると言われている 4。し
は、建築家の根本的で決定的な性質 caratteristica を明確にす
かし、合理性だけを求めて考えられた作品とは思えない、
ること、同様に、その他全ての技能から建築家の技能を根
流線的で美的表現に優れた作品を数多く残している。
本的に分けることが適当だと思います。
②第二次世界大戦:第二次世界大戦によって壊滅状況に
この言説からわかるように、ネルヴィは建設における
あるイタリアで、ネルヴィは建築を建てる機会を得た。
「美」
、
「安定性」
、
「技術」の間の関係を検討するためには、
その時代がネルヴィに求めたことは、短期間で優れた建
建築家の性質を明らかにするべきであると述べている。
物を実際に建てる事だったのではないかと思われる。
そして、建築家の技能とそれ以外の技術者の技能をはっ
3.研究の対象と方法
きり区別する必要があるという考えが示されている。
本稿では、ネルヴィの著書と建築作品を対象に考察を
-芸術としての建築-
行う。以下に、8 冊ある著書の中で実際に入手出来た著書
作者が紙の上に自分の考えや思いを書いた瞬間に本や詩が生まれ、
を示す。(雑誌の論稿を除く、
『挑戦としての建築』参照)
それらは生き生きとし永続的なものです。そして音楽や絵画、彫刻
(1)“El lenguaje arquitectonico”, Est.Graf.Platt SAC, 1951
もそうです。しかし建築家の設計図は、予想やある種の約束ではな
(2)“Costruire correttamente”, Hoepli, 1955
く、建築物になるために本物の実用に適した作品という難局を超え
(3)“New Structures.”, TheArchitectural Press, 1963
なければならないのです。
ここでは、建築家の性質について述べられている。建築
(4)“Aesthetics and Technology in Building”,
5
Harvard University Press, 1965(翻訳本有 )
家は設計図を書いただけでは不十分で、「安定性」を持つ
4 冊の著書の中で、(1)、(2)はネルヴィが発見した技術
建築物を建てなければならない。建築も一種の芸術かも
や考えを他の技術者に普及するために書かれた書籍であ
しれないが、他の芸術と決定的に違うのは、「安定性」が
る。また、(3)は作品集、(4)は 1961-62 年にハーバード大
必要であることであり、それが建築の持つ宿命、また建
学で行われた講義のテキストを出版したものである。本
築家の性質であると示されている。
稿では、ネルヴィの代表作が多い 1960 年頃を主に取り上
-実現不可能な設計図の価値-
げるため、(2)と(4)の著書を研究対象とした。まず、(2)の
もしその作品が出来の悪い、または生理学的 fisiologicamente に実
読解を行い、それから、(2)と(4)を分析することによって、
現できないなら、その設計図は、芸術的な着想であり、天才的です
ネルヴィの建築観を明らかにする。
らあったとしても、建築的価値は全くないのです。
一方、建築作品においては、建築観と建築作品のつな
ネルヴィは、結果として出来が悪いもの、また建設が不
がりを考察することが重要であるため、(2)と(4)が出版さ
可能な作品の設計図に何の価値もないと述べている。そ
れた間に竣工したトリノ労働会館を研究対象とした。そ
れらの設計図には、「安定性」に対する考えが抜けており、
の理由としては、1955 年から 1965 年に建てられた建物の
建築として成立していないから価値が無いということを
中で、1960 年に 3 人の息子達と Studio NerviArchitettura e
読み取る事が出来る。また、そこにはネルヴィの建築を
Tecnica edilizia を設立した後の作品であること。また、他
建てることに対する熱意を感じることが出来る。
の建築家との協働ではなく 6、息子で建築家のアントニオ
-建築家の技能や役割の変化-
とネルヴィ自身が設計に携わった建築であり、ネルヴィ
科学の進歩や数学の発展、研究者や学者の才能によって、それまで
の建築観がよく反映されている作品だからである。
経験的認知 constatazioni empiriche や非凡な人物の直感 intuizioni に
4.著書・建築作品の概要
頼っていた安定性の問題を、より精密な、しかし非個人的な、客観
4-1 『正しく建てる Costruire Correttamente』(1955)
的な手段に向けたのです。つまり、数式と計算という手段です。
9 章に渡り、「正しく建てる costruire correttamente」につい
ネルヴィは、
「19 世紀の中頃から、
建造物の唯一の創造者、
て書かれている。その中で特徴的な言説を取り上げる。
技術者、美学者でもあった建築家は、突然で根本的な変
-建築家、エンジニア、建設業者の関係性
化を被っていました。」とも述べ、建築設計において直感
建築家 Architetti、エンジニア Ingegneri、建設業者 ostruttori
などに頼っていた過去のやり方が、より客観的な実験な
どの方法が取り入れられ、建築家の技能や役割に変化が
起きているとネルヴィが考えていることが読み取れる。
以上をまとめると、ネルヴィは「正しく建てる」ために
は、建築家、エンジニア、建設業者の融合が必要である
する役割と美的表現としての効果を持っている。
以上をまとめると、この建築では鉄筋コンクリートの柱
と鉄骨梁による構造の独立化と、フェロセメントによる
経済的効率を図り、
「正しく建てる」ことを実現している。
と考えていることが読み取れた。
4-2 トリノ労働会館(1960-61)
この節では、トリノ労働会館の設計過程などから読み
取れるネルヴィの建築観の分析を行う。1960-61 年に竣工
した労働会館は、1959 年に行われた指名競技入札で入選
して実現したものである。また、この建築はイタリア労
働組合 100 年記念式典のためのパビリオンであった。建
築条件としては、1 年未満の工期で、45000 ㎡の展示空間
を確保し、後に職業訓練のための国立センターとして利
図3 労働会館柱頂部
撮影:筆者
図4 労働会館エントランス天井
撮影:筆者
4-3『建築の美と技術 Aesthetics and Technology in Building』(1965)
4 章にわたり、建築における美と技術の関係について書
用可能なことが挙げられた。ネルヴィは 1 辺 40m の正方
かれている。その中で特徴的な言説を取り上げる。
形で16 個の傘状の四角い屋根を独立して建てる計画を提
-建築について-
案した。また、高さが 20m の鉄筋コンクリート造の柱を、
ネルヴィは以下の2 つの要素から建築が成立するとした。
10 日で 1 本打設できる方法を見つけ出し、施主の要求に
(1)客観的要件を満足させる物理的な「構造」
対応出来る唯一の案と判断され、建設が実現した。
(2)主観的な感動をつくりだす「外観」
そして、その建築を「建てる」ことと、
「正しく建てる」こ
とについて、以下のようにネルヴィは定義している。
建てる to build:特定の機能に適した空間をつくるため、また外的要
素からその空間を守るために固定材料を利用すること。
正しく建てる building correctly:安定性・耐久性・機能性及び最小の
図1 労働会館内観
撮影:筆者
図 2 労働会館外観
撮影:筆者
構造体の独立化:労働会館の構造体は、独立した 16 本の
手段で最大の結果を得ること。また、現代の言葉でいえば経済的
効率を考えながら建てること。
柱である。柱頭は円形で、最下部は十字形となるよう
以上のように定義をしたネルヴィは、更に過去の建築に
に変化する断面を持つ柱は鉄筋コンクリート造を用い
あった直感と人間性と「正しく建てる」ことを結びつける。
ている。屋根を構成する梁を最終的に鉄骨にしたため、
正しく建てるということは、人間味のない技術的解決法が多分に要
柱を現場で打設している間に、他の工場で鉄骨梁を制
求される中にあって、過去の建築を特色づけている直観や感受性が
作することが可能になり、大幅な工期短縮が出来た。
豊かで暖かな人間性を取りもどすことだ。
フェロセメント:何層にも重ねた鉄筋メッシュにモルタ
ネルヴィは、正しさの根拠としてギリシャ神殿、ローマ
ルを手で塗り付けるという方法で形成される。構造体
の浴場建築やゴシックの聖堂を取り上げ、その時代、そ
として利用され、また、複雑な形に成型出来る利点を
の地域で用いられていた技術手法と過去にあった人間性
活用し、型枠としても利用できる建築材料である。ネ
を建築の正しさとした。また、ネルヴィはゴシック建築
ルヴィが初めて建築に利用したとされており 7、ネルヴ
について特に評価しており、以下のように述べている。
ィ建築の特徴と言える。また、木の型枠とは異なり、
-ゴシックへの評価-
フェロセメントの型枠は、何度も再利用できるので、
美と技術の結びつきが、ゴシック時代におけるように明白であった
木の型枠と比べ、経済的であると言える。また、労働
時代はない。(中略)技術と美の融合は完全であって、建築から構造
会館では、中二階の床、エントランスの天井に利用さ
を切り離して考えることはできないのである。
れている。フェロセメントで製作した主応力の流れを
ネルヴィはゴシック建築における美と技術の結びつきが
示すようなリブを持つスラブは、構造的に建物を補強
一番強いと述べている。また、建築と構造との関係にも
言及し、ゴシック建築が「正しく建てる」ことの理想形で
と言える。(1)については、ネルヴィの施工者としての立
あると、ネルヴィが考えていると言えるだろう。
場が影響している。ネルヴィは「美と技術の結びつきが
-「美と技術の関係性」について-
明白な時代」と呼ぶなど、ゴシック時代を特に評価してい
建築は技術であり芸術であるというよりもむしろ技術と芸術の総
た。また、ネルヴィは中世の建設システムが理想形であ
合でなければならない。
ると考えているため、前時代的な設計施工システムを採
ネルヴィは、技術と芸術の関係についての考察を述べ、
用している。実際、ネルヴィは建築を総合的に考えるた
技術と芸術が融合する必要があると主張する。そして、
めに、家族で施工会社をつくり、息子を建築家にし、ネ
技術的に完全な作品で美的表現に乏しいものはあるかもしれない、
ルヴィはエンジニアとして、意匠・構造・施工・経済を
しかし、美的見地から優秀なものとして認められている建築作品で
一貫して受注するシステムを実現させた。このシステム
あって、技術的にすぐれていないものは存在しないという結論に達
は、日本における分業された設計・施工のシステムとは
した。すなわち、すぐれた技術はすぐれた建築に対する十分条件で
明らかに異なっている。ネルヴィは、前時代的なシステ
ないとしても必要条件であると思える。
ムを正しいものと捉え、過去に回帰することで、「正しく
とネルヴィは述べ、美的に優れているものは技術的にも
優れているとし、建設技術の重要性を主張している。
-建築における「典型的な形 form type」-
建てる costruire correttamente」を実現していたと言える。
また、(2)の「美」については設計者の立場、また「技術」
についてはエンジニア・施工者としての立場が影響して
自然の法則にできるだけ忠実であろうとし、同様にそれが美しい表
いる。ネルヴィは『建築の美と技術』の中で、美と技術
現である(中略)。もはや変わることのない形、すなわち典型的な形
の関係について、「美的見地から優秀なものとして認めら
(form type)(中略)を否定することはできないであろう。
れている建築作品であって、技術的にすぐれていないも
ネルヴィは美と技術の関係性を述べる中で、新しい形を
のは存在しないという結論に達した。
」と考察している。
発見するための方法、つまり、実験的研究について述べ
つまり、ネルヴィは、美的見地から優秀なものを建てる
ている。ここで述べる新しい形とは、ナイフ、飛行船や
ために技術の追求をしていると言える。そして、ネルヴ
自動車に関しての事であり、それらは物理的法則という
ィは美と技術を追い求めた結果として「典型的な形 form
絶対的な法則との関係性を持っている。実験によって
type」を見つけたのではないだろうか。
徐々に改善され形が完成する、その一連の過程を経て完
成した製品や機械をネルヴィは美しいと捉えている。
以上をまとめると、ネルヴィには、敷地、施主、機能、
規模や工期などの様々な条件により、直感や美的感覚か
以上をまとめると、ネルヴィは建築における美と技術
ら建てるべき正しい建築を先に決めていると言える。ま
の関係を考察した結果、建築においても「典型的な形 form
た、それをよりよい建築にするために実験などを行い、
type」があるという結論に達したと言える。また、ネルヴ
建築を作り上げているのではないかと思われる。そして、
ィは設計過程において、実験的研究を行いながら、典型
ネルヴィは実験などにより「典型的な形 form type」を発見
的な形を探していたのではないかと思われる。
すると、フェロセメントや構造のプレファブ化など自身
5.結論
で研究した技術を用いて、安全で機能的であり、経済的
『正しく建てる』では、ネルヴィの「正しく建てる」に
関する基本的な概念を読み取り、次にトリノ労働会館で
は、実際に「正しく建てる」ための技術を確認した。最後
に『建築の美と技術』では、「正しく建てる」ことの定義
など、
『正しく建てる』よりも具体的なネルヴィの建築観
を読み取ることが出来た。以上の分析により、ネルヴィ
の建築観を次の 2 つにまとめることができる。すなわち、
(1)過去への回帰による「正しく建てる」ことの実現
(2)建築における「美」と「技術」の追求による「典型的な
形 form type」の発見
効率を満たした建設、つまり「正しく建てる costruire
correttamente」ことに人生を費やしたと言えるだろう。
※本文中のピエール・ルイジ・ネルヴィの言説は筆者の日本語訳である。
1
『建築 20 世紀 part1』新建築社, 1991, p255
2
1979 年 3 月に雑誌「ドムス」とミラノ市主催で行われた「イタリア現代・
建築 50 年.1928-1978 年」展に、ネルヴィ、ジオ・ポンティ、カルロ・
スカルパを含めイタリア建築界を代表する 7 巨匠が出展している。
3
Carlo Olmo and Cristiana Chiorino(ed.) ’PIER LUIGI NERVI:Architecture as
Challenge’,Silvana Editoriale , 2010 (以下、
『挑戦としての建築』)
4
加藤晃規(編集)「PROCESS:Architecture-ピエール・ルイジ・ネルヴィ」
プロセスアーキテクチュア, 1990, p13
5
ネルヴィ,横尾義貫(訳監修)『建築の美と技術』コロナ社, 1967
6
ローマ小体育館ではAnnibaleVitellozzi とユネスコ本部ではMarcel Breuer、
Bernard Henri Zerfuss とピレリビルでは Gio Ponti との協働設計を行う。
7
横山太郎「構造家列伝連載第5 回 ピエール・ルイジ・ネルビィ-直感的
構造空間の建築化-」『建築文化』彰国社, 1990, pp.131-136