増加する疾病による経済的負担への対策

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増加する疾病による経済的負担への対策
現状
上は日本経済の成長を維持していく上で極めて重要になって
性疾患(NCD)の増加に伴い、世界各国で疾病による経済
人口減少という避けがたい問題に直面しているからである。
がん、糖尿病、アルツハイマー病、循環器疾患などの非感染
負担の増加や生産性の低下がこれまでより増して深刻な問
題となっており、その対策の必要性と緊急性が叫ばれてい
る。2010年に発表された世界保健機構(WHO)の「世界の
NCDに関する報告書」では、NCDがそれぞれ10%上昇する
と世界経済の成長を年率0.5%低下させると予測している。1
世界経済フォーラムはNCDを世界経済にとって脅威となる上
位3事象のうちのひとつとし、NCD有病率の上昇により、今
後20年間で合計47兆ドルの世界経済への負担を与えると試
算している。2さらに、米国ミリケン研究所は、慢性疼痛や精
神疾患など慢性疾患による経済的負担は年間1.3兆ドルに上
くる。なぜならば、日本は豊富な資本や技術を有するものの、
また、日本はいくつかの大きな課題を抱えている: a)日本の
労働生産性は依然として米国の60%を下回る b)サービス分
野での労働生産性はこれよりさらに低く、成長も鈍化してい
る。また一方で、サービス業は日本のGDPの8割を占めており、
その割合は今もって増え続けている。従って労働生産性、特
にサービス業での労働生産性は、日本経済の成長にとって極
めて重要になってくる。労働者の健康を増進すること、そして
それにより労働生産性を高めることは日本経済の成長と国際
競争力を高めるために重要である。
りそのうち欠勤や生産性低下によるものが1.1兆ドル、医療費
健康が経済生産性に与える効果
は、本人や家族の健康問題が雇用者に与える経済的負担は
に良好な状態にあること」と定義している。また、2014年2
が2,770億ドルと試算している。 同様に、米国生産性調査で
3
年間2,258億ドル(従業員一人につき毎年1,685ドル)であり、
その7割が職場における生産性の低下によるものであったと
のデータが得られている。 様々な疫学データや研究結果が
4
示すように、人口の高齢化が進んだ社会では疾病の発症件数
は急増し、増え続ける医療コストと経済生産性の低下により、
財政的に社会維持が困難になるというリスクを負うことにな
る。
一方、WHOの報告書では平均寿命が1年延びると、GDPが
4.3%上昇するとの結果を示している。経済的に健全な社会
であるためには、生産性を維持し高齢者も活動的であり続け
る社会を実現し、可能な限り健康な期間を延伸させ、医療費
コストの削減だけでなく、生産性や消費の向上へつなげるこ
とが重要である。
日本における疾病による経済負担
世界的に最高水準といえる国民皆保険を実現した日本では、
公衆衛生環境の向上とともにその寿命は男女とも世界一を達
成しているが、疾病が経済に与える負担の状況についてはほ
かの先進諸国と同様の傾向が認められる。2011年11月に実
WHOでは、
「健康」を「肉体的、精神的及び社会的に、完全
月に行った厚生労働省の委託調査の日本人の「健康」に対す
る意識調査によると、健康状況を判断する際に重視する事項
は、
「病気がないこと」をあげた人が63.8%と最も多く、次
いで「おいしく飲食できること」が40.6%、
「身体が丈夫な
こと」が40.3%となっていた。6国民が健康になることで、経
済産出や生産性など多くの局面において、効果が期待でき
る。健康な生活を送ることができれば労働者は職場を離れ
る期間が少なくなり、また退職時期を先延ばしにすることも
可能となる。その結果、経済産出と生産性、さらには社会へ
の参画意識や消費活動の向上さえも期待される。また、病気
なのに無理をして働くということが少なくなり、労働中最大
限の能力を発揮することができるほか、家族による看護もな
くなり、ヘルスケアコストの負担増も抑制されることで、さら
に間接的に経済産出と生産性を上げることができる。米国
の生産性・健康管理研究所(IHPM)が発表したデータでは、
プレゼンティーイズム(アレルギー疾患、関節炎、喘息、首や
背中の痛み、うつ、糖尿病、片頭痛などの病気で体調が悪く
ても出勤すること)による経済的コストは、時に労働者のア
ブセンティーイズム(病気による欠勤)による医療費のコス
トの2倍以上になるという。7多くの研究結果では、健康維持
施されたACCJのヘルスケア委員会の国民意識調査では、健
と予防に支出(投資)される1ドルあたり、3ドル相当の健康
れ、その負担は病気欠勤や病気による転職や退職あるいは
る。8, 9, 10このように、国民の健康を維持することへの取組み
康問題に伴う日本全体の経済的負担は年間3.3兆円と試算さ
生産性低下によることが明らかになった。5このうち、2兆円
は労働者本人の健康問題に起因する経済的負担であり、1.3
兆円は家族の健康問題が原因の損失額である。超高齢者社
会を目前にした日本において労働人口の拡大、生産性の向
10 | 健康寿命の延長による日本経済活性化
改善と医療費節約の投資効果をもたらすとも報告されてい
が健全な生産性実現のために重要であることは明らかであ
る。そのため、疾病や身体機能異常をきたした場合、
できる限
り早期に有効な治療を開始する、適切に治療を継続し症状
の重症化および再発を予防することが、健康を維持するため
に「疾病にかからないための対策」と同様に重要となる。事
で診療所や医療施設に通院しないですむようになったか否
目標の中には、これまでの1次、2次および3次予防推進をさ
要がある。救急医療による高額な医療費を支出しなくてもい
実、2012年6月に改定された「健康日本21」(第2期)の重点
らに拡充する形で、糖尿病等の慢性疾患の重症化予防にも注
力することが組み込まれている。 たとえ疾病に罹っても、適
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切な治療を継続すれば、健常な人々と同じ生活を営むことが
でき、結果、疾病に伴う経済的負担を軽減することができる。
米国研究製薬工業協会(Pharmaceutical Research and
Manufacturers of America: PhRMA)は、過去5年間に
上市された176の医薬品により、国民の生活の質(QOL)が
著しく向上したことを示し、これらの医薬品が、より効率的な
医療資源の活用とコスト削減、ならびに常習的欠勤および障
害の減少による労働者の生産性の向上をとおして大きな財政
的・経済的ベネフィットを生み出したと報告している。12さら
に、既存の日本人データを用いた調査では、5疾患に対する
ベスト・イン・クラスの薬剤(画期的医薬品)には、治療費の
抑制や生産性向上による1.3〜1.4兆円の経済的価値があり、
当該疾患領域の総医療費の16%に相当することが示されて
いる。12
現行政策
かのアウトカムの度合いに応じて報われる方式に転換する必
いように、患者の疾病予防や早期発見、治療が必要な患者へ
の指導やフォローアップに寄与した医療機関には、インセン
ティブが与えられるべきである。このようなビジョンを実現す
るためには、予防医療や先進的な治療へのアクセスを阻害し
かねない短期的な医療費支出削減に重点を置くのではなく、
医療政策を経済性や労働生産性、その費用対効果などに基
づく中・長期的効果を見据えた先行投資として捕らえること
が重要であり、疾病の予防に加えて疾病の重症化予防、再発
予防にむけた治療への取組みに対して積極的な資源の分配
と支援策を講じるべきである。すべての国民の健康と健全な
社会の実現に重点を置いた新たな総合的国家戦略の実施に
より、治療の成果が現れ、患者の生活の質の向上を可能にす
ることができ、結果的に、長期的な医療の費用効率と労働生
産性の向上が推進できる。
政策提言
•• 戦略的医療政策においては、死亡率や医療費の低下にだ
けでなく、労働力の生産性の向上(病気による欠勤およ
び労働不能の低下等)につながる分野にも重点を置くべ
2012年6月に改定された「健康日本21」(第2期)にのほか
に、健康寿命の延長を目指した政策が取り入れられている。
2013年6月に閣議決定した「日本再興戦略」では、戦略市場
創造プランのテーマとして「国民の「健康寿命」の延伸を取り
上げ、2030年までに「より質の高い医療・介護を提供するこ
とにより国民の健康寿命が延伸する社会を目指す」としとし
ている。13さらに、
「日本再興戦略」と一体的に推進すること
とされた「健康・医療戦略」は、
「世界に先駆けて超高齢化
社会を迎えつつある我が国にあって、政府は、世界最先端の
医療技術・サービスを実現し、健康寿命世界一を達成すると
••
••
きである。
より多くの人々が検診あるいは適正な治療を受け、疾病
によるアウトカムのリスクを積極的に軽減するよう、明確
なインセンティブを日本の制度に組み込む必要がある。
労働力および生産性を維持するために、疾病の予防(一
次、二次予防)に加えて、疾病の重症化予防、再発予防に
むけた治療(三次予防)への取組みに対して積極的な資
源の分配と支援策を講じるべきである。
同時に、健康・医療分野に係る産業を戦略産業として育成し、
我が国の経済の成長に寄与することにより、我が国を課題
解決先進国として、超高齢化社会を乗り越えるモデルを世界
に拡げなければならない」としている。14 現行では予防接種、
健診などへの啓発、経済的支援を実施しているものの、生活
の質、労働生産性、費用対効果の面からの取組みにはまだ余
地を残している。国は公的医療保険制度を維持し、健全な社
会を実現するために、より多くの人々が予防接種や健診を受
け、病気にかかる前に健康なライフスタイルと生活行動を適
用して罹病のリスクを軽減するよう、明確なインセンティブを
組み込む必要があり、診療報酬モデルを、患者にどのような
治療を施したかに基づくものにするのではなく、患者が、健康
健康寿命の延長による日本経済活性化 | 11
参考文献
1. WHO, “Global Status Report on Noncommunicable Disease” (2010). www.who.int/nmh/publications/ncd_report2010/
en/ WHO report cites “Population Causes and Consequences of Leading Chronic Diseases: A Comparative Analysis of
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School of Public Health, September 2011. http://www3.weforum.org/docs/WEF_Harvard_HE_GlobalEconomicBurdenNon
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4. “Lost Productive Work Time Costs From Health Conditions in the United States: Results from the American Productivity
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6. 平成26年厚生労働白書, 厚生労働省, http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/14/
7. 2009年11月ACCJでのSean Sullivan氏(President and CEO, Institute for Health and Productivity Management)講演
8. American Institute for Preventive Medicine website section on corporate wellness programs. (www.healthylife.com).
Documented cases of ROI of as high as 15 times investment have been seen.
9. 例えば、米国ジョンソン・エンド・ジョンソンの健康増進プログラム評価では、同業他社と比較し医療費と薬剤費の平均増加率が3.7%低い。
また、1ドルあたりのROI(投資収益率)が3.71ドルである(Thomson Reuters ROI Modeling tool を用いて計算)。 Leonard L. Berry,
Ann M. Mirabito, William B. Baun. “The Pillars of an Effective Workplace Wellness Program.” Harvard Business Review.
December 1, 2010.
10. “Workplace Wellness Programs Can Generate Savings,” Katherine Baicker, David Cutler, & Zirui Song, Health Affairs,
February 2010, volume 29, no. 2, pp 304-311. http://content.healthaffairs.org/content/29/2/304.abstract.
11. 健康日本21(第2次)、厚生労働省
12. 日本における革新的新薬の価値、米国研究製薬工業協会(PhRMA)、2013年4月:http://www.phrma-jp.org/archives/data/
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13. 日本再興戦略, 2013年6月閣議決定, http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/saikou_ jpn.pdf
14. 健康・医療戦略、平成26年7月22日閣議決定http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/suisin/ketteisiryou/dai2/siryou1.pdf
12 | 健康寿命の延長による日本経済活性化
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• Stuckler D. Population causes & consequences of leading chronic diseases: a comparative analysis of
prevailing explanations. Milbank Quarterly, 2008, 86:273–326. Reported in WHO “Global Status Report on
Noncommunicable Diseases 2010,”
• The Global Economic Burden of Non-communicable Diseases, A report by the World Economic Forum and
the Harvard School of Public Health, September 2011.
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健康寿命の延長による日本経済活性化 | 13
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Stuckler D. Population causes & consequences of leading chronic diseases: a comparative analysis of
prevailing explanations. Milbank Quarterly, 2008, 86:273–326. Reported in “Global Status Report on
Noncommunicable Diseases 2010,” WHO, http://www.who.int/nmh/publications/ncd_report2010/en/
Harvard-led analysis: Katherine Baicker, David Cutler, & Zirui Song, Health Affairs February 2010 vol. 29
no. 2 304-311, http://content.healthaffairs.org/content/29/2/304.abstract
14 | 健康寿命の延長による日本経済活性化