20150526 文京遺跡出土の朝鮮系無文土器について 愛媛大学埋蔵文化財調査室 愛媛大学城北キャンパスには、紀元前 1 世紀~紀元後 2 世紀前半に当たる弥生時代中期後葉~後期中 葉の西日本屈指の大規模集落である文京遺跡が所在しています。現在、埋蔵文化財調査室では、集落中 心部の 12・14・16 次調査報告書の刊行に向けた整理作業を進めています。その過程で、朝鮮系無文土 ねんどたい ど き 器の一つである粘土帯土器が確認できました。 【出土した粘土帯土器】 さんかん 粘土帯土器は朝鮮半島南部の紀元前 5 世紀~紀元後1 世紀に当たる初期鉄器時代~三韓時代前半期を 代表する土器です。その特徴は、口縁部に円形や楕円形、三角形の粘土帯を貼り付けていることです。 文京遺跡では、大ぶりで縦長の楕円形の粘土帯を貼り付けた鉢(資料 1-2・3)と、 「く」字形に折り曲 げた口縁部の外側に薄での細長い楕円形の粘土帯を貼り付けた甕(資料 1-1)が確認できました。同じ うるさん けいしゅう 特徴をもつ粘土帯土器は、三韓時代前半期に朝鮮半島南東端地域の蔚山や慶 州 の地域で出土していま タルチョン す。蔚山の達 川 遺跡 3 次調査 22 号住居跡の資料が良好な比較資料で、大ぶりの長円形(資料 2-1)や 縦長の楕円形(資料 2-2) 、細長い楕円形(資料 2-3)の粘土帯を口縁部に貼り付けたものがあります。 【時代的位置づけ】 文京遺跡では、12 次調査 31 号住居跡(資料 1-1) 、16 次調査 A 区 33 号住居跡(資料 1-2) 、99 号住 居跡、544 号住居跡(資料 1-3)で、4 点の粘土帯土器が出土しています。いずれも弥生時代中期後葉~ 後期初頭の土器とともに出土しています。12 次調査では、弥生時代中期後葉~後期初頭の炭化米の年代 測定では紀元前 1 世紀末~紀元後 1 世紀中頃の年代測定結果が得られています。朝鮮半島南部では初期 鉄器時代末~三韓時代前期に当たり、年代的にも整合しています。 【意義について】 ①文京遺跡は、大規模な集落遺跡というだけでなく、鹿児島・宮崎・大分・福岡・高知・広島・香川・ 岡山の土器が出土し、人・モノ・情報が行き交う拠点であったことがわかっていました。今回、粘土 帯土器が確認されたことから、文京遺跡を中心とした交流圏が朝鮮半島南部地域にまで及んでいたこ とが明らかになりました。 ②とくに、12 次調査 31 号住居跡から出土した粘土帯土器(資料 1-1)は焼成失敗品の可能性が高い資 料です。朝鮮半島南部の人々が、直接、文京遺跡に訪れたことが考えられます。 ③では、どのようなルートで文京遺跡に住む人々は朝鮮半島南部地域と交流していたのでしょうか。朝 鮮半島に近い福岡や佐賀では、文京遺跡で出土している大ぶりの楕円形の粘土帯土器は出土していま え な み じょう もんぜんいけ せん。むしろ、大阪市榎並 城 伝承地遺跡や岡山県赤磐市門前池遺跡を含めた瀬戸内地域で出土し、 さとがたほんごう 山陰地域の出雲市里方本郷遺跡には大ぶりの長円形の粘土帯を貼り付けた資料があります。こうした 分布状況から考えれば、後の魏志倭人伝ルート(韓国南東海岸部→対馬→壱岐→唐津→糸島→福岡→ 〈関門海峡〉→瀬戸内)に加えて、韓国東南端(蔚山周辺)→出雲→〈中国山地越え〉→岡山(吉備) 南部→瀬戸内→文京遺跡のもう一つのルートを推定できます(資料 3) 。新たな交流ルートの発見です。 【公開について】 平成 27 年 6 月 3 日(水)から 7 月 27 日(月)まで、発掘報告書に向けた整理作業の中間報告をかねて、 愛媛大学ミュージアムのエントランスで粘土帯土器を展示中です。 資料2 1 2 3 大韓民国・蔚山広域市・達川遺跡 22号住居跡出土の粘土帯土器 ( 蔚山文化財研究院調査・保管,田崎作図・撮影) 三韓 資料3 500km 浦項 慶州 蔚山 泗川 金海 山 吉備系 安芸系 文京遺跡 東北部九州系 500km 讃岐系 東九州別府湾沿岸 下城式 中溝式 山ノ口式 西南四国型土器 倭 ランベルト正角円錐図法 ※MAPIO/Royalty Free Digital Maps ©NijiXを原図に改変
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