近代産業遺産の 地域づくり 小坂町

2015/6/8
近代産業遺産の
近代産業遺産
地域づくり
小坂町
・小坂鉱山は,1816年,南部藩が金
銀鉱山として開発
・明治維新で官営に。1884,藤田組
(後の同和鉱業)に払い下げ。
・釜石製鉄を開いた大島高任も技
術開発に当たる。
・20世紀初め,多種鉱物を含む黒鉱の精錬法を開発し大発展。
日本一の銅をはじめ,各種の鉱物で国内上位を占める。
・開発の中心となったのが,後に日立の礎を築く久原房之助。
・最盛期の人口は3万人で,県内では秋田市に次ぐ規模に。
・1905 (明38)年,洋風3階建ての壮麗な鉱山事務所建築
・1910年、社員厚生施設として,本格舞台装置を備えた演劇場
「康楽館」が開設される。
小坂鉱山事務所
・資源はやがて減少し,人口も激減。
・1960年,康楽館閉鎖され,廃屋状態に。
・1981年,小坂を訪れた国鉄観光課長・坂下氏が荒れ果てた
木造建築を目にして,劇場だったと知り,町に保存を進言。
・建築学者,評論家も価値を評価し有名俳優も復活を期待。
・町は俄然盛り上がり,坂下氏を顧問に迎えて復興に着手。
・1983年,復活。稀有の本格的
芝居場として全国から注目。
・中央の歌舞伎俳優の定期講
演,常設劇団も誕生。
・1986,県文化財
・1991,明治百年通りの
整備着手
・1998,同和鉱業,小坂
鉱山事務所を町に寄贈。
・明治百年通りへの移
築整備を決定
・2001,鉱山事務所の整
備完工
・2002,康楽館,国重文
に指定
・現在の小坂町は,黒鉱精錬の技術を活かして,家電製品のIC基
盤類から希少金属を分離する「都市鉱山」のリサイクル基地と
なっている。
・日本の近代鉱山を支えた技術は,「遺産」ではなく,新たな時代
の中で役割を見出し,地域に継承されている。
2015/6/8
近代化遺産
近代化産業遺産
・文化庁はそれまで歴史遺産として評価されて
こなかった近代化期の建造物の評価を求める
声を受けて,1993年,幕末〜大戦期の建造物を
国重文に指定。これが「近代化遺産」。
・全国60数件のうち,東北は以下の3件:
藤倉水源地水道施設(秋田市)
旧阿仁鉱山外国人官舎(北秋田市)
旧小坂鉱山事務所(小坂町)
十和田ホテル関連遺産
八甲田丸
小坂鉱山、尾去沢鉱山
細倉鉱山
十六橋
・経済産業省が認定している文化遺産。
・2007年11月,33件の近代化産業遺産群
と,575件の認定遺産,
・2009年2月にそれぞれ33件,540件の遺産
が公表された。
山形の擬洋風建築
・明治10年代,県令三島通庸の号令で、国内でも珍しい洋風
建築の官庁街が出現。 市中心部の七日町通のつきあたり
に県庁,付近に郡役所,警察,師範学校,少し離れて病院の擬
洋風建築が並んだ。 どれも,白亜の外壁,尖塔,バルコニー
を持つ。当時山形を訪れたイザベラ・バードは,『日本奥地紀
行』で,「日本の都会には珍しく重量感がある」と書いている。
釜石製鉄関連遺産
松山人車軌
道車両
喜多方赤煉瓦
製造関連遺産
常磐炭田
釜石製鉄関連遺産
旧山形県病院「済生館」
(現山形市郷土館)
1966国重文
山形県旧庁舎
現山形県郷土館「文翔館」
1984国重文