AECがもたらすASEANヘルスケア産業の未来

BEYOND MAINSTREAM
ASIAN NEWS LETTER
8
AEC がもたらす ASEAN ヘルスケア産業の未来
MAY 2015
THINK ACT
AECがもたらすASEANヘルスケア産業の未来
THE BIG 3
1
「民間病院グループ」がASEANヘルスケアの未来を創る
> 都市に集中して医療が発展しているのが ASEANのモデル
> 都市への集中を牽引しているのが国際競争力のある民間病院による投資
> 経済発展に伴い、自己負担を払ってでも民間病院を好む患者はますます
増える
2
民間病院は「とにかくやることが多すぎる」
> ネットワークの地域的拡大、ターゲット所得層の拡大
> スペシャルティの強化
> 病院周辺事業の取り込みによる競争力強化と収益機会の模索
3
民間病院にフォーカスして市場を捉えると事業機会が見えてくる
> コア領域での競争力強化への貢献
> 非コア領域での効率化、アウトソーシングニーズの模索
2
ROLAND BERGER STRATEGY CONSULTANTS
THINK ACT
AECがもたらすASEANヘルスケア産業の未来
1. ASEAN ヘルスケアの特質とは
1
もたらすであろう変化と、そこで生まれる事業機会について触れ
たい。
AECがヘルスケア産業にもたらすインパクトを論じるには、まず、
AEC (ASEAN経済共同体) の発足は、ASEANでの事業環境をどう
ASEANのヘルスケア産業が持つ特質、例えば EUと比較して、ど
変えるか。
現地企業/外資系企業を問わず、ASEANで事業を展開する
のような違いがあるのか、について理解しなければならない。 筆
あらゆる企業にとって、昨今最もホットなトピックの 1 つではないだ
者の実感として、ASEANのヘルスケアには、以下に挙げる 3 つ
ろうか。 果たして AECは、EUがもたらしたような単一経済圏の誕
の特質があるように思う。
生を意味するのか、それとも同床異夢の加入国の意向が折り合
わず、これまでと変わらない事業環境が続くのか。 AECはどのよ
1-1 . 都市型医療モデルとメディカルツーリズム
うな事業機会を生み、どのような競争環境の変化をもたらすのか。
ASEAN は、国家間で医療水準の差が大きい、というのは、ヘ
AECが産業界に幅広くもたらすインパクトについては、弊社ニュー
ルスケア従事者ならずとも想像がつく話ではないだろうか。 A の
ズレター 「飛躍」 7号に譲り、本稿では、特にヘルスケア産業に
とおり、 病院、 病床数に代表される医療の 「ハコ」 に関してはず
A
主要医療指標の国家間比較
病床数地域比較
B
カネ
ヒト
一人当たり医療費 1
1万人当たり医療人材数 2
1万人当たりの数
医者
病院 3
[米ドル ]
モノ
看護婦
薬剤師
放射線
治療機器 4
病床 3
シンガポール全国
19 . 2
2 ,144
シンガポール
3.9
ブルネイ
15 . 0
917
384
12 . 0
4.3
214
タイ
3.9
1.3
フィリピン
インドネシア
ベトナム
ラオス
ミャンマー
カンボジア
105
99
-
32 . 8
1.8
マレーシア全国平均
19
1.0
0.2
21
40
Kedah
14
タイ全国全国平均
5
21
Bankok
0.4
0 .1
9
38
Upcountry in Thailand
18
20
0.4
-
インドネシア全国平均
9
0.6
0 .1
Greater Jakarta
7
18
West Sulawasei
2
1.8
8.8
1.2
-
19
8.9
6 .1
10 . 0
20
28
-
1.4
1.8
2.3
7. 9
1.0
19
20
WPKL
20 . 8
11 . 6
11 . 4
3 .1
49
35
0.5
2.0
13 . 8
1.0
93
3.5
1.4
77. 3
1.2
マレーシア
0.5
63 . 9
2.2 0.0
15
ベトナム全国平均
20
0.6
0 .1
6
Ho Chi Minh City
38
1) 2011年 2) 2006 ~ 2013 年 3) 2013 年 4 ) 2006 ~ 2012 年 出所 : World Health Statistics 2014
ROLAND BERGER STRATEGY CONSULTANTS
3
THINK ACT
AECがもたらすASEANヘルスケア産業の未来
いぶんと差が小さくなっているものの、そこで必要となる 「ヒト」 と 「カ
当競争気味、というのが実情だ。 このように、極めて都市に集中
ネ」 の面では依然として大きな差がある、というのが ASEANの現
して医療インフラの開発が進んでいるのが ASEANの特徴だ。
状だ。 同一経済圏にあっても医療水準に差がある、というのは、
程度の差こそあれ EU でも似たような状況にある。 しかし、国家
都市型医療モデルから得られる示唆は 2つある。1つは、メディ
レベルでの比較では ASEANの医療環境の特質は掴みきれな
カルツーリズムがますます発展する、ということだ。 都市部中心
い。 というのも、ASEAN は、極めて都市型の医療インフラ開発
の医療インフラの発展と各国の地理的近接性、LCCのような移
が進められており、 国家間以上に都市間の格差が顕著だから
動手段の発展に後押しされ、国境を越えたメディカルツーリズム
だ。
は今後も ASEANのヘルスケア産業を考える上で重要な視点の
A で提示した指標の 1 つである 「10 , 000人あたり病床数」 に
1 つになるだろう。 メディカルツーリズムの成長が、マレーシアのペ
ついて、ASEAN 各国の主要都市と農村地 域レベルで比較
ナン島やジョホールのような、さらなる医療都市を育てようとしてい
した B をご覧頂きたい。 国家レベルでは、インドネシアとシンガ
る、というのも見逃せない。 もう 1 つの示唆は、国家間、都市間
ポールには 2 倍以上の差があるものの、ジャカルタ特別州に限
のギャップは、各国の医療財源が限られている以上、「当面は解
れば、 既にシンガポールに匹敵する病床数があることが見て取
消できない」 ということだ。 したがって、AEC 統合後も、都市型医
れる。 さらに、 国家レベルではシンガポールと同程度であった
療モデルとメディカルツーリズムによる国境を越えた患者の移動
マレーシア、タイ、ベトナムに関しては、その首都クアラルンプール、
がますます加速していくだろう。
バンコク、ホーチミンでは、既にシンガポールの 2倍近い病床数
が揃っている。 「インドネシアやベトナムの医療はまさにこれから
1- 2 . 国際競争力を持つ民間病院グループ、国際競争力に劣る
なので、まずはジャカルタ、ホーチミン (またはハノイ)に参入しよう」
製薬メーカー
というような論調は昨今よく聞かれる。 国全体としてはまさにその
国家レベルでは、 医療の地域格差解消を目指して財源を分
とおりなのだが、実はジャカルタやホーチミンに関しては、既に過
配しているにも関わらず、こうした都市型医療モデルが生まれた
C
民間病院グループ、製薬メーカーの時価総額比較 [USD bn] 2015 年 4月 6日時点
民間病院グループ
世界トップ 3
31 . 5
HCA Holdings Inc.
11 . 6
Universal Health Service
Ramsay Healthcare
10 . 3
世界
IHH Healthcare
Bangkok Dusit Medical Service
Bumrungrad Hospigal
Raffles Medical Group
KPJ Healthcare
ASEAN トップ 5
世界トップ 3
13.1
3
位
9.8
3.5
1.6
1.2
Johnson & Jonson
277.1
製薬メーカー
Novartis
258 . 5
229 .7
Roche
Kalbe Farma
6.8
The United Laboratories
6.3
Haw Par Brothers Internaitoanl 1 . 4
Tempo Scan Pacific 0 . 9
Kimia Farma 0 . 6
ASEAN トップ 5
30
出所 : Bloomberg
4
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倍
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AECがもたらすASEANヘルスケア産業の未来
のは、民間投資、すなわち民間病院が主要都市に集中して投資
の強化に大きく貢献するだろう。 したがって、AEC 統合では、民
をしたからだ。 C は、ASEANを代表する民間病院グループ、お
間病院グループが統合に向けた主役となって、医師免許の相互
よび製薬メーカーの時価総額を世界の同業トップ 3 と比較したも
認証など、自らの競争力強化に直結する分野から統合を進める
のである。 競争力の源泉である研究開発力に劣る ASEANの製
よう働きかけていく、というのが AEC 統合後の医療環境を考える
薬メーカーは、トップの Kalbe Farma や United Laboratories とい
上で極めて重要な視点になるのではないだろうか。
えども、世界トップのノバルティスやロシュとは時価総額で 30 倍以
上の開きがある。 一方で、ASEAN 最大の民間病院グループで
1- 3 . 「Out-of-pocket」 マーケット
あるマレーシアの IHH Healthcare は、米国最大の病院グループ
都市型の医療モデルを支えているのが民間病院グループな
である HCA Holdingsに次いで、既に時価総額で世界第二位に
ら、民間病院グループを支えているのが 「自己負担」 で治療を受
位置する巨大グループだ。IHHに次ぐ規模を持つBGH(Bangkok
ける患者の存在である。 ASEAN ヘルスケアの特質の 3 つ目とし
Dusit Medical) も、時価総額約 90 億ドルで世界有数の地位に
て挙げられるのは、医療費に占める民間支出の高さと、(民間医
ある。 IHHや BGHに代表される ASEANの民間病院グループは、
療保険市場の未成熟に起因する) 患者の自己負担比率の高さ
国際競争力の観点でも既に世界トップクラスに位置している。
である。 D に、各国の医療費支出における民間支出の割合を
図示する。 主要国と比較して、ASEAN 各国の民間支出比率が
この第 2 の特徴は、AECが医療産業にもたらすインパクトを考
突出して高いことが見て取れるのではないだろうか。 もちろんそ
える上で極めて重要な視点である。 というのも、EU 統合とその後
の背景には、経済が発展途上にあり公的負担が限られているこ
の医療産業の規制緩和は、ノバルティスやロシュ、サノフィなど国
ともある。 しかし、今後公的支出が増えたとしても、 民間支出は
際競争力を持つ域内製薬メーカーの (特に米系製薬メーカーに
対する) 競争力強化を主眼に進められてきた。 医薬品申請コス
D
各国の医療費支出における民間支出の割合
52 . 2%
トの削減という製薬メーカー側のメリットと、各国規制当局が個別
に行っていた承認プロセスコストの削減という行政側のメリットが
29 . 6%
一致した結果、EU 各国の医薬品承認プロセスの一本化に向け
23 . 2%
た動きが進んだ、というのが EUにおける規制緩和の背景だ。 し
23 . 5%
かし、ASEAN ではこうした力学は働かないだろう。 域内の製薬
メーカーは、その多くが国内市場を主戦場にしており、グローバル
15 . 9%
での競争力どころか、ASEAN 域内での競争力もこれからの段階
84 .1%
だ。 今の状況で規制緩和をすれば、域外から参入してくるグロー
77. 4%
バルプレイヤーに市場を奪われてしまうことは火を見るより明らか
である。 また、ASEAN 各国の規制当局も、FDAや EMAでの承
おり、EU各国の規制当局ほど承認プロセスコスト削減にメリットを
感じないだろう。 域内企業の競争力強化に繋がらない規制緩和
に AEC が積極的に取り組むインセンティブは乏しく、AEC 統合
66 .7%
ASEAN
認をベンチマークにすることで医薬品承認プロセスを簡略化して
63 .1%
62 .1%
54 . 8%
において、「製薬メーカー主導」 で規制緩和が進む可能性は極
50 . 6%
めて低い。
44 . 8%
その一方で、ASEAN 域内の民間病院グループは極めて高い
22 . 3%
国際競争力を持ち、IHHにせよ BGHにせよ、 既に域内複数国
8 . 4%
にまたがって事業を展開している。 AEC 統合による規制緩和や
基準の統一は、 民間病院グループの域内、および国際競争力
出所 : World Health Statistics 2014
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5
THINK ACT
AECがもたらすASEANヘルスケア産業の未来
E
それ以上のペースで増え続け、ASEANの医療支出の主役であ
タイ公的病院の病床稼働率の推移
り続けるだろう。
国民皆保険達成
97%
2014 年の拙稿 「国民皆保険へと動き出したインドネシアヘル
90%
71%
70%
スケア産業の魅力と落とし穴」 (飛躍 3号) でも紹介したが、今
後、ASEANの医療は、「社会保障としての公的支出、よりよい医
77%
76%
70%
87%
療サービスを求める患者のための民間支出」 という棲み分けが
ますます鮮明になっていくと考えている。 既に ASEANの医療優
等生に属するタイを例にとっても、この傾向は顕著だ。
E は、タイの公的病院の病床稼働率の推移である。 2001年
に国民皆保険を導入したタイは、2007年頃までにほぼ 100%の
医療保険加入率を達成している。 国民の 75%が加入している
皆保険加入者が保険償還を受けられる病院のほとんどは公的
病院である。 そのため、保険加入者の増加によって、公的病院
の病床稼働率は 2008 年以降ほぼ「フル稼働」状態で、多くの「空
きベッド待ち」 が生じている。 ようは、国は 「底上げ」 で精一杯な
のだ。
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
出所 : Standard Chartered B ank
経済的に余裕のある患者は、公的病院の長い行列と待ち時
間を嫌い、自己負担を払ってでも民間病院を選ぶようになる。
経済成長に伴い、自己負担を払ってでも民間病院を選ぶ患者
タイ民間病院チェーン BGH の
支払形態別患者数推移
F
が増えるため、2001年には 15%に過ぎなかったタイの民間支出
は、2013 年時点で倍の 30%に達している。 同様の現象は、まさ
77%
77%
71%
69%
70%
に国民皆保険にむけて動き出しているインドネシアでも起こるだ
ろうし、ベトナム、カンボジア、ミャンマーなどで進むだろう。 結果と
して、ASEANではこれまで以上に民間支出の割合が増える可能
性が高い。
Self pay
「民間支出」 のなかでも 「自己負担比率」 が高い、ということも
ASEANの特徴ではないだろうか。タイを代表する民間病院チェー
ンである BGHの患者構成を F でご覧頂きたい。 徐々に減少傾
向にあるものの、2013 年でも多くの患者が "Self Pay" であること
が見て取れる (注 : BGHの "Self Pay"は、一旦自身で支払った上
16%
13%
17%
16%
14%
8%
8%
2%
2009
1%
2010
Insurance
7%
7%
6%
7%
2011
2012
7%
Contract
7%
Others
2013
で、後から保険会社に請求する患者を含むため、 必ずしも 7 割
全てが 「自己負担」 というわけではない)。 民間医療保険会社は
ASEANを重点地域として開拓を進めているため、中長期的には
自己負担比率は下がっていくと思われるが、当面は中間層の拡
大による 「自己負担」 が民間医療支出を支える構造が続く、とい
うことも頭に留めておいて頂きたい。
出所 : BGH website
6
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AECがもたらすASEANヘルスケア産業の未来
G
ASEAN 主要民間病院チェーンの戦略的方向性
1
ネットワークの
拡大
> 地理的な拡大
> 顧客セグメント
(所得層) の拡大
マレーシア > Gleaneagles Medini (Johor)
> Gleneagles Kota Kinabaru
インド
> Continental Hospital (買収)
UAE
> Danat Al Emarat Hospital
(アブダビ) (コンサルティング契約)
香港
> Gleneagles Hong Kong
タイ
> Sanamchan group
> Phuket International
Hospital
カンボジア > Royal Hospital
> 15 病院を新設
ミャンマー > 15 病院を新設
> 画像診断
(RadLink、2015 年 3月に買収断念)
> National Healthcare Systems
(検体検査、他シェアードサービス)
> ANB Laboratories (製薬)
> Greenline Synergy (ヘルスケア IT)
病院周辺事業
の取り込み
> IMU (International Medical University)
の強化
(科目数拡大、海外大学との提携)
> 介護老人福祉施設買収
(日本 37 ヶ所)
> Bangkok Health Insurance (保険)
> Bangkok Premier Life Insurance
Broker (保険)
> Sodexo (レストラン)
> Bangkok Helicopter Service
(患者輸送)
> Save Drug Center (薬局)
2. 民間病院の存在感の高まりが引き起こす
業界の構造変化
2
ベトナム
フィリピン > 30 病院を新設
スペシャルティ
の強化
出所 : 各社のウェブサイトを基にローランド ・ ベルガー作成
> 2017年までに
29 病院を新設
ミャンマー、ラオス、ベトナム…?
トルコ
> Atahesir
(Acibadem) > Kartal
> Altunizade
2
3
インドネ
シア
ンドネシアの Siloam Hospitalを題材に、民間病院が目指す方向
性と今後直面する経営課題を理解し、ヘルスケア産業にどのよう
な構造変化をもたらすか、について論じてみたい。
以上見てきた、都市型の医療モデル、その推進役としての国際
競争力のある民間病院、それを支える民間支出(特に患者の 「自
己負担支出」) の 3 つが ASEANのヘルスケアが持つ特質であ
大手病院グループが重点的に取り組んでいる分野は、大きく
3 つあるように見受けられる。 G
ると筆者は考える。 重要なのは、ASEANヘルスケアのこうした特
質は、「当面は変わらない」、どころか、むしろ 「ますます強まって
言わずもがなではあるが、3 病院ともに最も注力しているのは
いく」 という点にあるように思う。 膨大な人口を抱える ASEANで、
「ネットワークの拡大」 である。 どの病院も、 既存病院の病床数
国が医療の底上げで手一杯である以上、5年後の ASEAN ヘル
の拡大、 新たな地域での病院の新設、 既存病院の買収などに
スケア市場では、民間病院の存在感は間違いなく高まっている
より、ネットワーク規模を拡大することに極めて意欲的だ。 しかし、
だろう。 国境を越えて事業を拡大する民間病院が、AEC 統合後
細かく見ると、各グループの戦略的方向性に多少の違いがある
の医療水準の向上 ・ 平準化を牽引し、さらには、ASEANの医療
ことがわかる。 例えば、IHHの拡大は、ASEAN 域内より、中国、
モデル、 規制の方向性を決定づけていく。 筆者は、ASEANの
トルコ、インドなど、むしろ域外の成長国に向けられている。 IHH
ヘルスケア市場は極めて複雑で、一言で語るのは難しい、とい
は、主要ターゲットである富裕層を域内では (メディカルツーリズ
う印象を持っている。 一方で、この市場をシンプルに捉えるとす
ムも含め) ある程度獲得できていることから、域外へのネットワー
るなら、とにかく主要民間病院グループに焦点をあてて、市場を
クを広げ、より幅広い国の富裕層獲得に取り組もう、という考えが
理解する、というのが重要な切り口ではないかと思う。 そこで、第
あるのではないだろうか。 こうした新興国の富裕層の獲得を最
2 章以降では、代表的な民間病院グループであるマレーシアの
優先に置く一方で、既に高シェアを誇るマレーシアでは、ジョホー
IHH Healthcare とタイの BGH (Bangkok Dusit Group)、およびイ
ルやコタキナバルなど、地域的なカバレッジを広げることで、徐々
ROLAND BERGER STRATEGY CONSULTANTS
7
THINK ACT
AECがもたらすASEANヘルスケア産業の未来
に上位中間層もターゲットに取り込みさらなる拡大を図る、という
事項だ。 Lippo グループの後押しもありインドネシア国内では「軽
のが IHHの目指す 「ネットワークの拡大」 である。
い資産」 で展開できることもこうした戦略を後押ししていると見ら
れる。 一方で、AEC 統合を睨み、徐々に海外展開を計画してい
一方の BGHは、これまでタイ国内におけるネットワークの拡大
るが、その目線に 「インドネシアへのメディカルツーリズム」 はない。
に重きをおいてきたようだ。 過去数年に亘り、BGH は、 タイ国
どちらかといえば、ベトナムやミャンマー、フィリピンなど、医療イン
内の複数の病院グループを買収し、 病院ブランドを使い分け
フラがインドネシアと同等もしくは劣るものの大きなポテンシャル
ながら、 所得層のカバレッジを広げてきた。 Bangkok Hospital
のある国に今のうちに参入し、「現地に根づく」 という戦略をとろう
や Samitivej Hospital が富裕層をターゲットとする一方で、BNH
としているのではないだろうか。 こうしてみると、同じ動きをしてい
Hospital は 上 位 中 間 層、Phyathai Hospital 、Paolo Hospital、
るように見える大手民間病院でも、少しずつ見ている未来像が違
Royal Hospitalなどは民間保険のみならず公的保険の対象患者
う、という点が理解できるのではないだろうか。
H 最近になって力を入れ始
層まで幅広くターゲットとしている 。
めているのが、BGHへのメディカルツーリズム元となっている周辺
民間病院の第 2 の方向性は、「スペシャルティの強化」 である。
国への参入だ。 既にカンボジアにはネットワークを持っており、
現在、IHH のフラッグシップである Mount Elizabeth 病院には
今後はミャンマーやラオス、ベトナムにもネットワークを拡大してい
29 の専門外来があり、タイが誇る最高級民間病院 Bumrungrad
くことが予測されている。 フラッグシップの Bangkok Hospitalを中
病院には 37 の専門外来がある。 専門外来を増やすことは、当
心としつつも、傘下の病院と連携することで、 タイ国内に幅広い
該疾患におけるブランドイメージを高め、リファーラルの獲得や患
所得層を受け入れられる体制ができている、というのが強みでは
者へのアプローチなど、 病院の差別化にきわめて重要である。
ないだろうか。 IHHが富裕層に軸足を置いて地域を跨いだネット
日本の慶応大学病院には 43 の専門外来があることを考えると、
ワークを作っていこうとしているのに対し、BGHは ASEAN 域内で
ASEANの大手民間病院グループは専門外来の強化にますます
幅広い層がアクセスできるネットワークを目指している、という違い
力を入れるだろう。 しかし、この点では医療の担い手となる 「ヒト」
がありそうだ。
の不足が大きく立ちはだかる。
Siloam Hospital は、前述 2 病院ともまた少し異なる拡大を志向
「一般的」 には、IHHや BGH、Siloam のようなトップクラスの病
している。 ASEAN最大の市場であるインドネシアで圧倒的なネッ
院は、担い手不足に悩むことはない。 A でみたとおり、ASEAN
トワークを構築し、トップの地位を磐石なものにすることが最優先
の多くの国は、医療インフラの担い手となる 「ヒト」 が著しく不足し
H
BGH グループの病院別ターゲットセグメント
Medical sophistication
Secondary
Internaitonal
patients
BNH
Hospital
Highincome
patients
Target
patients/
Purchasing
power
Middleincome
patients
Social
Security
patitients
Sanamchan
hospital
group
出所 : BGH
8
Super
tertiary
Tertiary
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Bangkok
Hospital
Samitivej
Hospital
THINK ACT
AECがもたらすASEANヘルスケア産業の未来
ている。 したがって、大手民間病院も医療の担い手不足に悩ん
もう 1 つは、 垂直統合的な発想、すなわち、 周辺事業での収
でいる、と考えがちだが、トップクラスの民間病院は、各国の医師
益機会の取り込みだ。例えば、BGHが病院給食や患者輸送サー
にとって 「最も働きたい病院」 であり、採用したいと思えば応募は
ビスを行う会社をグループに取り込んだのは、まさに病院事業周
いくらでもあるのだ。 しかし、 民間病院でも頭を悩ますのが 「専
辺に収益機会を拡大するためだ。 IHHの日本の介護福祉施設
門医」 の不足である。
への投資も、日本の高齢患者へのアクセス獲得と介護事業での
収益機会の発掘を狙ったものではないだろうか。
インドネシアの眼科を例に取ってみよう。 インドネシアには 74
大学に医学部があり、そのうち 12大学で眼科が履修でき、毎年
以上、 民間病院グループの戦略的方向性について、 大きく
70人程度の新しい眼科医が生まれる。 大手民間病院にとって、
3 つの方向性を採りあげた。 国際競争力のある民間病院が、
昔から患者数の多い白内障や緑内障の専門医を雇うのはそれ
ネットワークの拡大とスペシャルティの強化で地域の医療の質を
ほど大変なことではない。 ただし、 加齢黄斑変性など、 近年患
上げつつ、 周辺事業まで裾野を広げていくことは、 間違いなく
者数が増大している 「網膜」 の専門医採用はきわめて困難だ。
ASEAN全体の医療の質、アクセス、効率性を高めていくだろう。
というのも、網膜の専門医自体がインドネシア国内に 40人もいな
いからである。
この例からもわかるように、ASEANの民間病院といえども、スペ
3 . 民間病院グループの 「選択と集中」 がもたらす
事業機会
3
シャルティ (専門診療科目) の強化は、特に 「ヒト」 の面では供給
側の限界もあり、ネットワークの拡大以上に時間がかかる。 した
ASEANのヘルスケアで事業拡大を志向する企業にとっての大
がって、 最も M&A がさかんになるのがこの分野だろう。 画像診
きな悩みの 1 つは、「一気に全方位で攻めることはできない」 「し
断や検体検査などの専業プレイヤーを買収し、「ヒト」 と 「モノ」 を
かし、一カ国ずつでは期待できる事業規模がまだまだ小さい」 と
一気に手に入れる。 IHHによる RedLink の買収は独占禁止法
いう二律背反ではないだろうか。 日系、ローカル含め多くの企業
の観点から断念せざるを得なかったが、「スペシャルティ強化」 が
とのディスカッションを通して得た筆者の 1 つの答えは、「大手民
M&A戦略の大きな柱の 1 つであることに変わりはない。
間病院グループにフォーカスして攻め手を考えてはどうか」 という
ものだ。 これまで見てきたとおり、彼らが ASEAN ヘルスケアの主
3 つ目として挙げられるのが、病院周辺事業の取り込みである。
役である。 また、 カバーすべき企業の数も 100 も 200 も必要と
ここにも 2 つの狙いがある。 1 つは、 米国等で進められている
いうわけではない。 トップ 10民間病院が使っている医療機器が、
IHN (Integrated Healthcare Network : 統合医療ネットワーク) の
そこで育てられて巣立っていった医師たちによって国中で使われ
ようなコンセプトだ。 例えば、本来利益相反の関係にある病院と
るようになるだろうし、トップ 10民間病院が処方する新薬が、その
保険会社が協力関係を築くことで、ユニークな医療保険商品を
国の第一選択薬に採用されるようになるだろう。 トップの民間病
開発し、トータルでの医療費削減や医療の効率化、または患者
院グループをキーアカウントに設定し、自社の製品やサービスが
の掘り起こしを目指す、といった取り組みである。 BGH がタイで 5
使われるように協働で取り組んでいくことが、 結果的に幅広く攻
番手の民間保険会社である MTL (Muang Thai Life) と共同で
める足がかりになるのではないか、と筆者は考えている。
開発した保健商品は、まさに患者の門戸拡大を目的としたもので
ある。 BGHは、グループ病院で医療を受ける場合に限り治療費
あらゆる面で事業拡大を図る民間病院グループが、今後直面
が安くなる保険商品 (Perfect Health) や、がんに特化した保険
するであろう最大の課題は、「やりたいことが多すぎる」 ということ
商品 (Cancer B Plus) などを MTL と共同で開発した。 一方で、
だ。 病院も増やしたい、専門科も増やしたい、バリューチェーン
IHHは、教育機関に投資することで、医療従事者の育成に取り
も広げたい、では、さすがに投資が追いつかない。 どこに優先的
組んでいる。 自身で育てた医師たちがグループ内病院やグルー
に投資し、どこはアライアンスやネットワーク、または将来的な買収
プ外病院で活躍することで、人的ネットワークを強化しよう、という
で補完するか、といったことをこれまで以上に戦略的に考えなけ
のは IHNでも中心的な取り組みである。
ればならない。 加えて、AEC 統合により民間病院間の競争はま
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THINK ACT
AECがもたらすASEANヘルスケア産業の未来
ASEAN民間病院の 「選択と集中」 がもたらす事業機会 (例示)
I
コア領域の強化
非コア領域の効率化
ネットワーク拡大
> 地域連携医療モデルの
ベストプラクティス展開
オペレーション効率化
(医療専門職の生産性向上)
> 地方患者をカバーするための
遠隔医療システム度の減少
> EMR や院内システムなど) ITの活用による
省力化
> 医療従事者の役割分担の最適化、
院内動線の最適化のソリューション提供
スペシャルティ強化
> 遠隔モニタリングによる患者の通院頻度
の減少
> 最先端の医療機器や新薬を活用した
臨床試験など、研究開発分野への貢献
> デジタルヘルス、再生医療、遺伝子治療など
最先端分野での協業
アウトソーシング/流動化
> 医薬品/消耗品購買における GPO の活用
病院周辺事業の取り込み
> 通常検体検査におけるブランチラボの提供
> HMO のような、ターゲット顧客
を起点とした新たな事業モデル
の提案、協業
> 医療事務分野などでの人材派遣サービス
出所 : ローランド ・ ベルガー作成
すます激しくなる。 やりたいことは増える、しかも競争が激しい、
かし、 独立系検査会社大手である Prodia によると、 最近では、
となれば、経営資源を企業の差別化に直結する部分に集中し、
院内のラボのオペレーションを丸まる請け負う 「ブランチラボ」
差別化にも収益機会にも直結しないノンコア領域に関しては限り
へのニーズが高まっているという。 また、 タイの民間病院では、
なく効率化を進めたり、場合によっては外部の活用を進めていく
医療消耗品や医薬品の調達を医療 GPO (Group Purchasing
ことになるのではないだろうか。
Organization : 共同購買組織) に任せることで、調達プロセスの
効率化と調達コストの削減を達成した例もある。 独立系検査会
筆者は、戦略領域における貢献はもちろんだが、こうした民間
社や GPO のような、病院側がアウトソースしたい領域に展開する
病院の 「選択と集中」 に貢献できる企業/ビジネスにも、大きな
サービスプロバイダへのニーズは今後ますます高まるだろう。 人
事業機会があるのではないかと考えている I 。 例えば、オペ
件費が高騰するにつれて、 人材派遣サービスのように、 人件費
レーションの効率化によって、医師を診察や手術などの付加価
を流動化できるサービスにもニーズがありそうだ。
値業務に集中させることができるサービスへのニーズはますます
高まるだろう。 EMRや院内システム、ナースコールなどの ITシス
何度も繰り返しになるが、AECが ASEANのヘルスケアをどう変
テムの導入は、より多くの病院で一般的になっていくだろう。また、
えるか、その中で自社がどのような事業を描くか、という問いに関
規制の確認は必要だが、患者の通院頻度を下げるような簡易モ
して、シンプルな戦略を描くのは極めて難しい。 ASEAN を全方
ニタリングのしくみなどは、先進国以上にニーズがあるかもしれな
位で攻めるには国毎の違いが大きすぎるし、各国を個別に攻め
い。
るには市場が小さすぎる。 本稿で論じた、ASEAN ヘルスケアの
特質を理解し、その最大の担い手である民間病院にフォーカス
もう 1 つ例を挙げると、非コア領域のアウトソーシングに対応で
をあてる、というのは、 結果的に事業機会がそれ以外の分野で
きるビジネスもチャンスが大きいように思う。 例えばインドネシア
あったとしても、少なくとも複雑かつ予測の難しい ASEANの未来
では、 検体検査の 6 割以上が自前のラボで行われている。 し
を捉える 1 つの補助線になるのではないだろうか。
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ローランド ・ ベルガーはドイツ、ミュンヘンに本社を置き、ヨーロッパを代表する戦略立案とその実行支援に特化した経営
コンサルティング ・ファームです。 1967年の創立以来、成長を続け、現在 2 ,700 名を超えるスタッフと共に、世界 36 カ国 51
事務所を構えるまでに至りました。 日本におきましては、1991年にオフィスを開設し、日本企業及び外資系企業の経営上
の課題解決に数多くの実績を積み重ねております。 製造、流通 ・ サービス、通信業界等数多くのプロジェクトはもとより、5
~ 10 年後を予測する各種トレンドスタディの実施や学術機関との共同研究などを行うことにより常に最先端のノウハウを蓄
積しております。
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ローランド ・ ベルガー東京オフィスは、経済成長が著しいアジア
地域の主要国に経験豊富な日本人コンサルタントを配置すること
で、日本企業のグローバル化を力強くサポートしています。
アジアジャパンデスクでは、製造業、消費財、運輸、ヘルスケア、
エネルギーなど、幅広い産業についての知見に加え、新規参入
戦略、クロスボーダーアライアンス・M&A、販売戦略、ブランド戦略、
事業再構築、コスト最適化など、幅広いテーマにおけるプロジェク
ト経験を有しています。
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プリンシパル 株式会社 ローランド・ベルガー
諏訪 雄栄 Suwa Yoshihiro
広報担当: 西野、山下
京都大学法学部卒業後、ローランド・ベルガーに参画。日本および欧州に
〒107-6023 東京都港区赤坂1-12-32 アーク森ビル23階
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03-3587-6660(代表)
ファックス
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おいてコンサルティングに従事。その後、ノバルティスファーマを経て、
復職。製薬、医療機器、消費財を中心に幅広いクライアントにおいて、成長
戦略、海外事業戦略、マーケティング戦略、市場参入戦略(特に新興国)
のプロジェクト経験を多数有する。
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