VOL7 2015年 3月 発行

NEW
FACE
2015.3
7
VOL
管理職ユニオン関西
TEL 06-6881-0781
http://www.mu-kansai.or.jp/index.html
アルバイト・派遣・パート・関西労働組合 TEL 06-6881-0110
http://www.ahp-union.or.jp/
〒530-0044
大阪市北区東天満1丁目10番12号 新日本天満ビル4階 401号室
管理職ユニオン・関西とアルバイト・派遣・パート関西労働組合の統一に向けて
管理職ユニオン・関西 書記長/アルバイト・派遣・パート関西労組顧問 仲村 実
はじめに
管理職ユニオン・関西を立ち上げて18年(1997年5月24日結成)
、管理職ユ
ニオンが資金提供しアルバイト・派遣・パート関西労働組合を立ち上げて11年(2
004年5月23日結成)たちました。
今年に入ってから、MU,AHP双方の役員による合同会議を持ち、統一に向けて
の検討を始めています。管理職ユニオンの結成初期から現在も在籍する組合員は9
名で、AHP組合員も含めて現在籍組合員は、管理職ユニオン・関西結成後の経緯を
ご存知の方は、ほとんどいないと思います。集中して、統一に向けての取り組みを進
めますので、ご協力をお願いします。
1、なぜ一体化をするのか(必要性と目的意識性について)
管理職ユニオン・関西の結成後、若い非正規労働者の組織化に向けて、2003 年 11 月の定期大会で組織化
方針が決定されました。その当時の管理職ユニオン・関西の組合員の多数は中高年齢管理職層であり正社員
で所得もそれなりに高かったと思います。
非正規労働者の組織化にあたって、①組合費は 4 千円では高すぎること、②AHP結成前は、人材の設定
から大阪・神戸・京都の自力での建設としており非正規労働者の組織化は、管理職ユニオンとは別組織が自
然の流れでした。
約半年間の準備をへて、内藤さん(現在、神戸の別の組合所属)が大阪に来て専従として「アルバイト・
派遣・パート関西労働組合」が、2004 年5月23日に結成となりました。
他のコミュニティユニオンの各組合と同じく、AHPも財政問題から見て自立・独立は不可能でした。実
態は、管理職ユニオン・関西事務所に間借りし、専従費も低く抑えて活動してきました。自力で独自事務所
を構え、専従費、諸経費を賄う収入は、現状では難しい状態にあります。
管理職ユニオンに比べて、AHP結成時からの困難点、財政(2000 円の組合費)
、専従費、諸経費の捻出、
行動力などがありました。
未組織労働者の圧倒的多数は、中小零細企業で働く労働者であるか、非正規雇用の労働者です。熊沢先生
が「かつて総評は、未組織労働者が圧倒的な中小企業に「合同労組」を作ろうとしたとき、全組合員の 10 円
カンパ運動を展開した」と、現在の連合やナショナルセンターに期待し願望を述べています。未組織労働者
の組織化には、組織者(オルガナイザー)という人材と事務所等の財源確保が必要です。
管理職ユニオンの活動も、AHP結成当初も現在も、未組織労働者の組織化、非正規労働者の組織化、労
働者の団結力ということからみて必要性は同じです。現在の目的意識性は、正規・非正規を別けるより統一
して成果を上げる姿勢こそ必要だとの考えになっています。
MUとAHPは、現組合の実態(以下の2項で示しています)は、一緒にやれることはすでに始めていま
す。しかし組織が違う以上、財政と運営は別々になります。また、基本的にはそれぞれの別々の専従としな
ければなりません。統一は、この点の解消です。
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財力があるところと、困難で財力が不足のところが一体となり運営と行動を一体として力が発揮できる
体制にすること、MUとAHPの統一によって統一専従体制にすること、迅速かつ行動力のある統一執行委
員会にして活動が行いやすくするという考え方です。
一体化することは、財政と統一組織の複数専従とすること、執行委員会を一つにすることです。そのため
の統一です。
解決すべき点、決めるべき点は、組合費、正規・非正規にかかわらず組織のグループ化(職種・業種別)
、
執行部の体制をどうするか、統一時期の問題などです。
2、現組合の実態
MUは、2007 年大会後から 2011 年の大会まで3人の専従体制でやっていました。その後 1 年間は2名、
2012 年大会後は仲村1名で多忙を極め、拡大に力を入れてこなかったという影響もありますが、傾向的に
組合員は減少しています。AHPは、最初から1名の専従で、昨年は神戸の組織的分離も行いました。組合
員数は横ばい状態です。
【比較してみると】
MU
組合員数(実数)
加入金
組合費
基本収入(数×組合費)
年間予算額
専従人数
専従手当費用
執行委員(役員含む)
執行委員会の開催
事務所費用
AHP
220名
1万円/一回のみ
4千円/月
880,000円/月
1500万円
1名(最大時 3 名)
23万+5万円/月
15名
月1回
250,000円/月
90名
5千円/一回のみ
2千円/月
180,000円/月
400万円
1名
18万円/月
7名
月1回
20,000円/月(負担分)
【すでに統合もしくは、一緒に行っていること】
機関誌(NEW FACE)、抗議行動、春闘デモ、学習会、行事など
【統一のために、具体的検討が必要なこと(考え方の例を含めて)
】
①組合費
ア 所得に応じた比率による:例えば、所得の2%とか、1.5%
イ 現状と同じ 正規職労働者:加入金 1 万円、組合費 4000 円
非正規労働者:加入金 5 千円、組合費 2000 円
②組織形態
ア MUにAHPを吸収する → MUの中にAHP支部を設ける。
イ 新しい組織に双方が加入する。それぞれを支部とし、その支部の名称を現状とする
(それぞれ対外的活動をほぼ現状に近い形として維持する)
。
③執行部
役員中、副執行委員長を3名とし、非正規労働者(今のAHP)から最低 1 名は選出するも
のとする。執行委員は 10 名以内とし、最低 3 名は非正規労働者(今のAHPから)とす
る。
④専従体制
3 名体制とする。主要な分担としては、正規と非正規担当を決める。ただし、相互に補い
合う。
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3、これまでの歴史経緯 (別紙の資料1、2を見てください)
(1)関西での管理職ユニオンの立ち上げ
東京管理職ユニオンがマスコミ等の注目の中で設立したのが1993年12月、この東京管理職ユニオ
ンの設楽・大野氏から関西で管理職ユニオンを立ち上げて欲しいと要請が、私、仲村にありました。
私は1994年4月、自らの解雇争議(8名の不当解雇撤回闘争)を終結し、その後、京都市中京区で
事務所を構えていました。1996年、東京管理職ユニオンの関西在住のメンバーの解雇事件の裁判を全
面的に応援していました。
その後いろいろあったが、東京管理職ユニオンからの資金提供、私自身も資金拠出して1997年4月
から大阪市北区松ヶ枝町に事務所を構え、組合事務所に必要な備品等を調達しました。結成までに東京管
理職ユニオン所属組合員を大阪、京都、神戸で事前に集まってもらう交流会を組織しました。1997年
5月24日に東京管理職ユニオン関西支部として結成をしました。1年後の1998年5月に東京管理
職ユニオンから独立し、管理職ユニオン・関西としました。
(2)アルバイト・派遣・パート関西労働組合の結成に至る経過
管理職ユニオン・関西の内部で若者組合員(30才台)に働きかけ「ユニオンあ
ゆみ」として活動をしてもらっていました。東京管理職ユニオンでは、中高年齢
管理職層の組合員以外で「ネットワークユニオン東京」が結成されていました(現
在も東京都渋谷区に事務所を構え活動しています)
。
こうした中で、本格的な非正規労働者のためのユニオン建設が提起され、管理
職ユニオンとして組織的に取り組むこととなりました。当初の構想としては地域
的には京阪神をカバーすることを考え、仲村が管理職ユニオンと兼務で大阪を担当し、神戸を内藤さん、
京都を姫田さんに話を持ちかけました。神戸、京都とも使用可能な事務所(神戸は活動家の共有のマンシ
ョンの1室、京都は姫田氏の居宅の一室:祇園労組としてすでに使用していた)があったので、管理職ユ
ニオン・関西からの支出は、神戸の事務所の補修費として 50 万円程度ということでした。
その後、2004年2月に管理職ユニオン・関西の京都事務所を開設したので、管理職ユニオン・関西の
大阪と京都事務所内に間借り状態でスタートすることになりました。諸事情で大阪での結成となり、内藤
さんを事務長専従としてスタートしました。フリーターの小原さんが代表で、私も副代表で管理職ユニオ
ンと兼務となりました。管理職ユニオン・関西が内藤さんのトレーニングのため1年間専従費の面倒をみ
ました(管理職ユニオン・関西の大会決定によりAHPの神戸事務所設置までの 1 年間と神戸事務所設置
の権利金約40万円をカンパしました)
。もともと自立体制と確認していたことから神戸事務所開設後、
大阪、神戸とそれぞれ別財政・別運営の変則体制となり、神戸での争議や抗議行動は大阪が支援・協力す
る体制としてきました。そして管理職ユニオン・関西での村上の委員長選挙落選後、変則的運営体制も維
持できなくなり、昨年、別組織となりました。兵庫県労働委員会で係争中の神戸が取り組んでいたマルア
イ事件については、労働委員会で事件継承できるよう最大限の配慮をした結果、神戸事務所が別組合を立
ち上げ引き渡せました。
4、労働運動全体の現状認識と我々の組織の現状認識
(1)労働運動全体として衰退が著しく、社会的に見ればほとんど影響力を失っています。MUやAHPも
そうした全般的衰退と無縁ではありえません。コミュニティユニオンに限って見ても、熊沢誠先生は以下
のように述べています。
「日本型一般組合としてのコミュニティユニオンにやはり変わらぬ期待をかけ続けます」
としていますが、
「全国ネットの集計では2010年秋、73組合、1万5千人ほどと推定されます。平均して1組合20
0人ほど。力不足の小組合であることは否めません」としています。困難点として管理職ユニオン・関西
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は例外として「専従はといえば、1人か2人にすぎないのです。組合費は月1000円~3000円で、
年間予算は100万~680万円。専従の収入は150万円以下でしょう。
」
、
「組合員の定着の不確実性
は、財政問題であるとともに、もともとが寄る辺なく流動させられている非正規労働者が居場所を見つけ
ることの難しさ」としています。そして「かつて総評は、未組織労働者が圧倒的な中小企業に「合同労組」
を作ろうとしたとき、全組合員の 10 円カンパ運動を展開した」と願望を述べています。
多くのコミュニティユニオンが抱える課題として、財政難と後継者難があります。
(2)MUについては、専従費が大幅に削減されたことから、財政はさしあたり立ち直っています。AHP
については、相変わらず解決カンパ依存で不安定です。財政ストックは積み上げてきたものの、実際には
事務所費等についてMUに依存しているので自立は難しいです。後継者育成と専従強化については、個別
AHPのみでは出来ないことです。現在具体的に名前をあげて取り組み中ですが、統一を前提にして進め
ていく以外ないといえます。
(3)組合員の中には私、仲村(67 才)が、いつまでも元気であると思っています。し
かし、現実には徐々にペースダウンしていくことと、運動の観点からの世代交代を考
える必要があります。
(4)MUとAHPは、様々な行動や企画を一緒に行っており、また機関誌・紙も統合し
ました。MU仲村、AHP大橋の専従は協力し合ってやっているが、専従費、執行委
員会は別であるので、ムダや時間的ロスを省くことを具体的に考えると統一となりま
す。
5、問題意識
(1)
労働運動全体をどうするかという視点から、
MUとAHPの方向性も考えて行かなければなりません。
大阪では“労働運動の再生をめざす懇談会”が、連帯労組関西生コン支部や全港湾大阪支部、金属機械労
組港合同の呼びかけで、組合の枠を超えて産別、業種・職種別で連携を強化していこうという協力・共闘
の動きが始まっており、MUの私、仲村が積極的に関与しています。
関西生コン支部の一般部門との連携強化についても、大橋さんが関西生コン支部の市内ブロックの一般
の会議や団交にも相互参加できる関係となり、信頼関係を深めています。また、1 月からはMUとAHP
合同で、毎月 1 回のペースで、
「実践報告と検討会&懇親会」も始め、これをもとにMUとAHPの垣根
を越えて職種別グループ化に乗り出しました。積極的な意味で正規-非正規労働者が協働して、賃金をは
じめとする労働条件の底上げを図る労働運動をめざし、拡大できる条件が出来つつあります。
(2)今後のMUとAHPの相談―団交―行動体制を考える場合、別組織にする必要性はないと考えていま
す。MUは書記長専従中心の組合でしたが、結果的には大濱、村上中心の体制(2004 年 11 月~2012 年 11
月)が崩れ、再び仲村中心の体制となっています。私、仲村が仮に現在と同じペースで専念できるとして
も数年と考えています。
世代交代も含めて統一集中した体制こそ次に向けて必要です。
組織統一した上で、
私、仲村は継続して組合のまとめ役をし、新しい専従も補充し、当面、新しい専従を加えた3人体制を作
っていき、私が中心から外れていくという形を実行したいと考えています。
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報告
2 月 21 日(土)
、22 日(日)
無料街中生活労働相談会&労働相談ホットライン
2 月 21 日(土)と 22 日(日)の 2 日間、働く者のメンタルヘルス相談室主催、管理職ユニオ
ン・関西と派遣パートユニオン・関西の後援で、無料街中生活労働相談会&ホットラインを開設
しました。大勢の組合員にも協力いただき、何とか無事やりきることができました。協力いただ
いた方、本当にありがとうございました。
実のところ 12 月に開催した相談会&ホットラインは、総選挙直前ということもあってさっぱり
でした。それで、今回も外れる
かと不安に思っていたのですが、
前回の反省を活かして看板や照
明等を工夫した結果、飛び入り
の相談も多く、まずまずの盛況
でした。相談対応していただい
た山中有里弁護士と宮沢孝児弁
護士には、休憩する暇もなく相
談を受けていただきました。御
礼申し上げます。
街中無料生活労働相談会&労働相談ホットライン 結果報告
○ 現在ある一般財団法人にて管理職(課長職)をしている。今年度の評価で、顧客からのクレー
ムを理由に、二階級降格の内示があった。厳しすぎると思う。納得できないので、相談したい。
(来所相談)
○ (同僚についての相談)同僚は 2010 年 10 月、会社と面接の上採用されることになった。そ
の際の約束では、半年後には正社員として登用するとのことであった。ところが、まずは派遣
で働いてもらいたいと言われ、派遣のまま 2013 年 9 月まで働き、その後直雇用となったが、
最長 3 年までの契約社員にされた。何とか正社員にしてもらえないだろうか?
○ 以前働いていた会社で賃金の未払いがあった。自分で小額訴訟をやったところ、相手側が出席
せず勝訴したが、会社が無くなり取立てができない。
○ ある税理士事務所に勤めていた。1 年半ほど前にその事務所は法人となった際に、社会保険へ
の加入を求めたが、使用者は言葉を濁して加入させてくれなかった。年金事務所にも相談に行
ったが、労基署に行けと言われ、取り合ってくれなかった。法人化以降、遡って社会保険に加
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入したい。
○ スマートホンの契約で、約款には書かれていたが説明のなかった条件で料金を取られていたこ
とが発覚し、返金を求めている。可能かどうか?
○ 堺にある工場で勤務していた。その時の同僚から現金や携帯電話を騙し取られた。被害額は
100 万円程度。返却を求めたい。現在は傷害年金を受け、生活保護の手続もしている。
○ 以前勤めていた会社で、車を運転中に追突事故に遭った。事故直後は大丈夫だったが、その後
体調が悪化して、週 3 日ほどしか働けなくなった。労災を申請したが、認定されなかった。休
業証明を出して欲しいと会社に求めたが出してくれないため、直談判に行ったところ、社長か
ら暴行を受けた。
○ ある会社で掃除・風呂焚き等の仕事に従事している。勤務時間は、朝 6 時から午後 4 時 40 分
まで。契約形態は清掃の委託契約ということになっていて、有給休暇も無ければ、雇用保険・
社会保険にも加入していない。仕事を辞めたいと考え、今年 1 月頃から言っているが、辞めさ
せてくれない。どうすればよいか?
○ 町内会で役員が町内会費を飲食に使っている。これまでずっと抗議し続け、町内会の規約まで
改正したが、変らない。そのため、町内会を脱退した。何とか使い込みを辞めさせたいと思う
が、どうすればよいか?
○ 飲食店で勤務している。1 日 8 時間、週 6 日働いているが、日給 5,000 円である。最低賃金を
割っていると思うので、差額を請求したい。
○ デイサービスの事業所でケアマネージャーとして勤務している。2011 年 9 月に入社。求人広
告では「退職金有り」と書かれていたが、契約書では「退職金無し」とされていた。また、正
社員であったが、2012 年 12 月頃に転勤を断ったところ、準社員にされた。昨年の冬季賞与は
3 割カットと言われた。退職金がどうなっているのか、正社員と準社員ではどこが違うのか、
なぜ賞与カットされたのか、等分からないことが多いので、説明してもらいたい。
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AHP 中労委 ゲオホールディングスの団交拒否事件「再審査申立てを棄却する」
中労委でも勝利命令!
団体交渉申入れに対し、
“ゲオ”またまた引き伸ばし策!
この事案は 2012 年 8 月 22 日にはじまる。アルバイトで週 39 時間の契約の勤務が一方的に減らされ週 3
日、1 日 6 時間ほどの勤務となる。さらに週 2 日、1日 4 時間まで削減されたことが発端である。大阪での
団体交渉を申し入れたが、名古屋に本社があることを主たる拒否理由とした団体交渉拒否事件である。
2014 年 1 月 27 日に大阪府労委で勝利命令を受け、ゲオが不服として中労委に再審査申し立てをした。今
年 2015 年 1 月 28 日、組合勝利の中労委命令がでた。実に、相談から 2 年 6 ヶ月かかっている。
さらに会社ゲオは、中労委命令を不服として行政訴訟(東京地裁)をやるという。フザケルナと言いたい
が、ひとえに労働委員会命令を守らない会社に対する罰則や強制力がないからである。対抗策を、他労組(港
合同など)の経験を教えてもらいながら考えていきます。
2015 年 2 月 20 日にゲオホールディングスに提出した団体交渉申入書(協議事項のみ)
4)協議事項
①不当労働行為認定がされたことに対し、組合に謝罪すること。
②不当労働行為に至る経過、労働委員会(大阪および中労委)での判断、今後の会社の姿勢を文書にして
全従業員に明らかにすること。
③組合員伊集院純氏に関わる勤務時間について、アルバイト雇用契約書通り、1 週の労働時間を約 39 時
間とし、この時間を増減する場合においては、当該組合員の同意を得ること。また、全アルバイト従業
員に対し、各々のアルバイト雇用契約書で交わした1週の労働時間を増減する場合においては、アルバ
イト従業員の同意を得て行う旨を、文書にて周知すること。
④組合員伊集院純氏が著しく勤務時間を減らされた期間について、その理由と、誰の指示により行われた
ことかについて、当該組合員に説明するとともに、当該組合員の勤務時間削減に関わった者への処分を
行うこと。
⑤組合員伊集院純氏が平成 26 年 6 月 9 日付け「催告書」で請求した契約不履行による未払い賃金もしく
は損害賠償金 53 万 4400 円に、同日から支払うまで年 6 分の割合による遅延損害金を加算して支払う
こと。
⑥店舗運営に関わる事項について、アルバイト従業員への説明、同意無しに、それらを無断で実行しない
こと。
⑦労働基準法を遵守し、全従業員に就業規則の周知徹底すること。有給休暇取得とその行使方法を示すこ
となど。
⑧社会保険(健康保険、厚生年金)
、雇用保険の加入資格のあるアルバイト従業員について、その制度を
周知徹底し加入を認めること。
⑨ ①~⑧項に関連ある事項。
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㈱汐江花金、㈱花金、㈲GFS.JAPAN
三社同時に 3 日間ストライキ決行!
要求貫徹! 勝利!
2 月 28 日(土)午前 8 時から 3 月 2 日(月)の足掛け 3 日に渡って、㈱汐江花金、㈱花金、㈲
GFS.JAPANの三社同時ストライキを決行した。もっとも、この三社は形式的には別々の
会社となっているが、実態は一つの会社。尼崎にある葬儀会社である。社員は 10 名ほど。会館を
4つ持っている。
㈱汐江花金が中心会社で、この会社の社長であるKN氏は沖縄に在住し、月に一度くらい尼崎
に出てくるだけ。日常的に会社を仕切っているのは、㈱汐江花金取締役であり、㈱花金と㈲GF
S.JAPANの代表取締役であるKB氏。もっとも、実権はKN氏が持っており、KB氏はいわ
ば番頭役。
さて、このKB氏が仕事はしないは、パワハ
ラをやるはで、社員全員から猛反発を受けてい
る。このため、退職者も含め全社員がKB氏の
パワハラの改善を求める要請書まで作成。また、
労働条件が無茶苦茶で、タイムカードを見ると
全く休みが無い状態。月 7 回ほど夜勤もあり、
残業時間だけで 150 時間は超えているだろう。
完全に過労死ラインを超えている。しかも、残
業代はまともに支払われていない。
そんな状態で、6 名がMUに加入。また、M
Uへの加入に踏み出せなかった社員 4 名につ
いては、社内組合(三社合同組合)を立上げて
組織。つまり、全社員が組合に組織化されたの
である。そうした準備の後、2 月 16 日に会社に
対して組合加入通知書と団体交渉申入書を送
付した。尼崎から沖縄への転送に時間がかかっ
たりして、KN社長がこれを目にしたのは 2 月
23 日。組合はKN社長と電話で話し、衝突を避
けるためにさしあたり団交開催までの間はK
B氏を自宅待機にすることも提案した。ところ
が、その後会社からMUに対して届いた書面の
内容は、今後電話・面談を一切拒否するとした
上で、KB氏をさしあたり自宅待機にするとい
う提案も拒否し、3 月 2 日頃まで団交開催日時に関する回答を引き延ばすというものであった。組
合員たちはこの書面を見て怒り心頭。その結果、団交を 1 回も開催しないままに、ストライキ突
入という異例の行動となった。
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2 月 25 日に、2 月 28 日午前 8 時から 3 月 2 日午前 8 時までの 48 時間ストライキを通告。その
後の組合員からの事前情報では、会社は業務についてどんどん外注に出しているという。組合員
の中にはストライキ通告をした段階で会社側が折れてくるとの期待もあったが、会社はストライ
キを受けて立つということらしい。結果、2 月 28 日午前 8 時からストライキに突入。組合員全員
が集まり、二つの会館の前で抗議行動を行った後、全員でミーティング。翌 3 月 1 日は抗議行動
を行わなかったものの、再度組合員全員が集合して 3 月 2 日午前 8 時以降の行動についてミーテ
ィングを行った。最大の目標であるKB氏の即刻自宅待機という目的は達成されていない。3 月 2
日午前 8 時でストライキを終え、その後は残業拒否等の遵法闘争に転換するか、それとも 3 月 2
日午前 8 時以降もストライキを継続するか? 議論した結果、組合員の圧倒的意見はストライキ
継続だった。そこで、組合は会社に対して、KB氏の即時自宅待機を再度要求し、午後 9 時まで
に要求を飲まないときはストライキを継続すると通告した。同日午後 8 時 40 分頃、会社の社労士
と名乗る人物から組合事務所に電話が入り、KB氏を自宅待機にすればストライキを中止してく
れるのかと聞いてきた。組合はKN社長が直接電話せよと要求。同日午後 9 時にKN社長から電
話があり、KB氏を自宅待機させる方向で考えていると伝えてきた。組合は午後 9 時半までに書
面でKB氏を自宅待機にする旨を書面で送付するよう要求。同日午後 9 時半に、再度KN社長か
ら電話があり、社労士に書面を作ってもらっているのでもう少し書面送付を待ってくれと言って
きた。ところが、午後 10 時になっても書面は届かず。そこで、組合は、会社に対して 3 月 2 日午
前 8 時から 3 月 3 日午前 8 時までのストライキ継続を通告するとともに、組合員に対してストラ
イキ継続を連絡した。なお、会社はこの電話のやり取りの中で、3 月 2 日午前 10 時半から団交に
応じると伝えてきた。
翌 3 月 2 日団交開催。会社側はKN社長と社労士、組合側は当該組合員の代表 3 名とMU交渉
委員 3 名が出席した。組合はKB氏を 3 月末までに一切の役職から解任することを要求。KN社
長はダラダラと決断しなかったが、まずは辞任を勧め、辞任しない時には解任すると確約した。
その他、人員の補充と異常な長時間労働の改善も約束させ、会館応接室を組合のミーティング等
に使用することも認めさせたのである。もちろん、労働条件の改善はこれからの話であり、今後
粘り強い交渉が必要となると思われるが、ストライキはほぼ完全勝利で終了したのである。
11
[逆労働審判―本訴―和解]
N 酵素
H さん
前回、
「労働審判」の1回目までの経緯を機関誌でお伝えしましたが、今回、その後の報告を
させて頂きます。
酒蔵を母体として酒造りの過程における醗酵をベースにした製薬
会社に、私は 26 年間勤務しておりましたが、平成 14 年に社長が
外部から就任すると、パワハラ、給与大幅減等により、これまで
170 名程もの大量の社員が退職させられてきました。
私は平成 24 年 6 月から社長(当時)から難癖を付けられ、降格と大幅な給与削減の上、平成 25
年 4 月に退職勧奨を受けました。それ以来、組合に助けて頂き、これまで「団体交渉」3 回、
「労
働審判」
、
「本訴」と闘い、平成 26 年 11 月に「和解」という形で終結に至りました。
前回の機関誌では、
「団体交渉」を嫌い、通常は労働者側から主として訴えを起こす「労働審
判」の制度を利用して、逆に、会社側から「労働審判」を申し立ててきたにも関わらず、第 1 回
目の「労働審判」に於いて、会社側への「求釈明」に対し会社側は「求釈明の回答書」を全く準
備もせずに審判の場に臨んだ上、その書面を会社側が準備する間を待つ為に、第2回目の労働審
判以降の日程を先延ばしの要求をしてくるという事態に労働審判官も呆れた様子であった、とい
う経緯までをお伝えしました。
平成 25 年 9 月 第2回労働審判(当時:山岸副委員長、私)では、法廷を会社側と相互に入れ替
わっての「和解交渉」となり、双方の和解金の提示額を審判官に伝えた。
平成 25 年 10 月 最終の第 3 回労働審判(仲村書記長、山岸副委員長、北村委員長、私)では、
会社側は「社員が納得しない」という理由で、第 2 回労働審判で提示した和解金額を半額にする
と主張してきた。
会社側から逆に「労働審判」を訴えてきたにも関わらず、
「労働審判」になると会社側は・書
面を準備していない・その書面作成の為に第 2 回目、第 3 回目の日程の先延ばしの要求をした
上、さらに第 2 回労働審判で審判官に示した和解金額を第 3 回目になって半額に減額するという
会社側は主張してきた。
第 2 回目に双方が提示した金額について、第 3 回目の労働審判までの期間に審判官が検討して
きた審議の結果をくつがえす会社側の主張には、さすがに審判官は呆れたのか、会社側の主張す
る金額は裁判所には受け入れられず、最終的に、第 2 回労働審判で双方が提示した金額を折半し
た金額となり「勝利判決」となった。
第 1 回「労働審判」で私の側の弁護士から厳しい指摘を受けた社長は、普段、社内だけで通用
している強引な論理が通用しない場である事を悟ったのか、第 2 回、第 3 回の法廷では始終下を
向いたまま、こちら側とは目も合わせる事も出来ない様子で、弁護士も「社長も全く元気が無く
なったな」と言われていた程だった。その後、会社側は「労働審判」の結果を不服として「異議
申し立て」を行ない「本訴」となった。
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平成 26 年 1 月 第 3 回団体交渉 (仲村書記長、山岸前副委員長、私)
労働審判の後、会社側に「団体交渉」を申し入れたが、何度も引き伸ばしさせられた上、平成 26
年 1 月に第 3 回目の「団体交渉」を行なった。
「団体交渉」の席では冒頭に、会社側が「労働審判の結果」を履行する気はなく、
「本訴」で
争うという事を確認した後、組合側はそれに対して「反訴」を申し立てた事、抗議行動を行なっ
ていく事を会社側に伝えると、社長は明らかに動揺した様子を見せ、団体交渉終了後、社長から
仲村書記長と 2 人だけで話をしたいと申し出が有り、山岸前副委員長と私は部屋を出て外で待機
した。20 分程の話し合いの後、仲村書記長から話の内容について聞くと、社長の話の内容は支離
滅裂だった様で、最初は「金は払う気はある」と言っていたが、話の終わりの方になると「社員
が納得しないから」と結局、社員に原因が有ると言い出す始末だったとの事だった。
「本訴」になってから会社側が提出してきた証拠写真についても、明らかに私の退職後の日付
の写真であるにも関わらず、私の在職中の証拠写真であるとして裁判所に提出してきました。
その証拠写真の日付は、私の退職後に撮った写真であり証拠とはならないと指摘すると、会社
側は新たに、私が在職中の証拠写真であると、再度、日付と内容を変えて同じ写真を証拠写真と
して裁判所に提出してきたものもあった。
又、会社側は明らかに外部の者に頼んで作らせたと思われる私に対する
誹謗中傷の限りを尽くした「陳述書」へ社内の者にサインさせた書面も、
裁判所に書証として提出してきた。
社長自身は、実務内容を理解していない上に文章作成能力など皆無であ
り、
「陳述書」についても全て社員もしくは外部の者に強要して書かせた
ものである事は明白である。
いずれも私に対する根拠の無い悪口を綴った陳腐な書面であり、実務内容を充分に理解してい
ない者が書いたとすぐに判る内容であった。会社側の私に対する悪意のある誹謗中傷と捏造に満
ちた書面に対して、私は実務内容については全て携わってきたので、自分の感情を押し殺して全
て冷静に反論してきており、反論書面の内容は完全に会社側の書証類を圧倒していたと思われま
す。
「本訴」になると「労働審判」とは担当の裁判官が変わりました。
「本訴」では合計 7 回の公
判が有りましたが、9 月の 5 回目の公判から担当の裁判官は双方に強く「和解」を勧めてきてお
り、あと 2 回位の公判の後、
「審問」になると思っておりました。
会社側の名古屋の弁護士によると、社長は「とことんやる」
「証人も 9 人(あり得ないと思う
が)出す」
「和解する気など無い」と息巻いていた様だが、その割に、弁護士に指示するだけで、
結局、社長自身は「労働審判」の後、7 回の「本訴公判」の内、1 度も法廷に出席する事は有り
ませんでした。
私自身は、
「裁判」はやる気でしたし、判決金額が低いなら抗議行動を含めてまだ続けるつも
りでおり、後 1 年以上はかかると見込んで書面類も準備していました。
私を担当して頂いている弁護士によると、担当の裁判官は双方に強く「和解」を勧めるが、そ
の「和解」案に乗らなければ不利になる傾向が有るとの事でした。
会社側は、担当裁判官から今後予想される組合の抗議行動の事を強く言われ、裁判当初に会社
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側が主張していた金額を裁判官に説得されて 4 割増やした金額(裁判官が会社側に増額を指示し
た金額)から7回目の公判で「和解」交渉が始まった。
弁護士からも、今回の公判では「和解」にはならないだろうと聞いておりましたが、担当の裁
判官の判決の傾向から、こちら側も「和解金額」を一応、妥当だと思える額まで下げる事を打合
せて裁判官に提示しました。
公判時には会社側は裁判官に対して、何かと条件を刻んだ様でしたが、結局、裁判官の指示に
従い「和解」に至りました。
今回、
「団体交渉」から会社側が逆に「労働審判」に訴え、その「労働審判」の結果を不服と
して、会社側が更に「本訴」に訴えました。
「本訴」では「公判」開始当初に会社側が主張していた金額から、最後の「公判」当日には 4
割増やした金額から交渉が始まり、その当日の「公判」では最終的に更に 2 割以上、上乗せした
金額となって終結しました。
当日の公判前にこちら側が提示した金額が裁判所に全面的に認められた形となり、私は「勝利
的和解」であると思っております。
会社のオーナーの知り合いの関係から入社してきた社長の数多くの社員を辞めさせ資金を使い
まくる傍若無人な会社内の振る舞いについては、オーナー側と、どの様な関係が裏に潜むのか
は、私がうかがい知る所ではありませんが、常に社長から責任転嫁され迷惑するのは社員達であ
り、現在、社内に残る社員もいつ退職を迫られるかもしれません。会社が傾いた時には社員に責
任を押し付けて逃げるのでしょう。次の社長も既に決まっている様だし、子飼いの社員も今後
は、自身の身の振り方を良く考えた方が良いだろうと思われます。
会社側から受ける不利益に対しては、通常、社員が個人で対抗する為には力不足ですが、しか
し、たとえ組合を持たない会社の社員であったとしても、1人でも加入する事の出来る労働組合
である管理職ユニオンの力を借り、組合の組織力で対抗すれば、社員個人でも会社側と様々な交
渉に関して対等に渡り合えることが可能であり、他の理不尽な状況に耐えている人達を援助する
事も出来、又、その活動を通じて自分自身の人生経験の厚みを増す事が出来るはずです。
今回、この様な結果を勝ち取れたのも、
「団体交渉」から「労働審判」
、
「本訴」から「和解」に至るまで、励まし、支えて頂いた組合の仲村書記
長、山岸前副委員長、北村委員長、常に応援して頂いた組合員の方々と中
田弁護士のお蔭であり、ここに至るまで辿り着けた事を本当に感謝してお
ります。今後はこの貴重な体験をどなたかのお役に立てる様、お手伝いさ
せて頂けたらと思っております。
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(解決報告)
C社
組合員 A さん(40 代男性)
介護の大手企業。2014 年 10 月 20 日に訪問介護のヘルパーとして入社、11 月 1 日より正社員、
試用期間 3 ヶ月。
1 月 21 日 相談内容
① 同僚の嫌がらせ。業務についての質問や意見が口答えと受け取られ、次第に約 5 名の同僚全
員から冷たい態度を取られるようになった。しかも同僚からは A さんが威圧的だと苦情を言
われている。
② 試用期間の延長と、デイサービスへの配置転換についての、
「合意書」の提出を迫られている。
1 月初旬に同僚とのトラブルがきっかけで、企業内組合に相談したが親身に対応されず、ユニオ
ンに来た。試用期間延長・配置転換の理由を明らかにし、撤回させる方向で組合加入、団交申し入
れ。
1 月 26 日 第 1 回労使協議
組合側から理由説明を要求し、会社側からは大きく 2 種類の問題点が指摘された。
①仕事上の課題。利用者からの苦情が多い、法律上の理解不足で禁止行為・逸脱が見られる。
②人間関係上の課題。同僚・上司からの指導に反発し改善が見られない、結果的に今のメンバー
と一緒に働ける状況でない。
A さんは会社側の一方的な見解に納得せず、具体的な事実の調査を要求。2 月 1 日からは自宅
待機、協議継続中は発令を凍結することになった。
2 月 4 日第 2 回労使協議
前回協議で要求した事実関係について、事前に会社側から文書が提出され、これを基調に協議。
会社側の基本姿勢としては、
①解雇は考えていない、処分としての異動ではない。
②日常会話に問題はないが、自分の非を指摘されたときに感情的になることがある。
③ 利用者からの苦情が相対的に多い。
④ 訪問介護でなくデイサービスで同僚と仕事をすることにより自分の課題を克服して欲しい。
というもの。結果的に、
①列挙された出来事に対する A さんの見解を文書で提出する。
②異動先として本人の希望通り訪問介護の事業所を検討する。
という 2 点で合意した。
2 月 13 日 第 3 回労使協議
当初より A さんは、
「自分は悪くない、異動させるべきは同僚たちのほう」という意向を強く持
っていた。しかし一つ一つの事実について誰がどのくらい悪いか検証し尽くすのは現実的でない
ため、
15
①事実関係について一通りの反論はするが、責任の追及は続けない。
②異動先で勤務することを通じて、指摘された課題を克服する。
という方向で A さんと合意して臨んだ。
協議では、入社してから今に至る A さんの思いを直接本人の言葉で伝えた上で、
①異動先については訪問介護の事業所にする。
②試用期間は 3 ヶ月延長するが、途中段階で協議の場を設けて本採用を検討する。
という回答が得られ、
「自分は悪くない」という感情面は満たされない内容であるが、翌週から異
動先で勤務することに合意した。
(解決報告)
A社
組合員 Y さん(30 代男性)
警備会社。2014 年 12 月 13 日初出勤。あるとき上司に「残業した場合には割増が付くのか」と
質問したところ、
「付かない」と言われたことに疑問を感じ、組合員の紹介で、2 月 10 日相談に
来た。
2 月 10 日 相談内容
①求人票によれば 8:00-20:00 勤務(休憩 90 分)、時給 1,227 円だが、実際のシフトは 22:00-翌
10:00(休憩 4 時間)の夜勤で、日給 13,000 円。
②求人票では、週 1-5 日勤務となっているが、実際には勤務が入らない週もある。週 2 日は勤務
しないと生活が成り立たない。
③当初は 1 時間前集合、途中からは 30 分前集合を指示されており、賃金は支払われていない。
④雇用契約書がなく労働条件が不明。
2 月 17 日 団体交渉
まず日給 13,000 円の内訳について質問したところ、
①時給 1,300 円で深夜割増は含まれているという認識。
②休憩時間も帰宅できるわけではないので、4 時間中 2 時間は労働時間と見なしている。
③結果として、1,300 円×10 時間=13,000 円の計算。
との回答があった。深夜割増を含んで 1,300 円というのはグレーゾーンだが、厳密には追及せず、
時間外については 1,300 円に割増を付けて支払うことを要求。またシフトについても週 2 日確保
することを要求し、いずれも持ち帰って検討することになった。
2 月 20 日 回答内容
①時給 1,300 円で時間外は割増を付ける。
②1 時間前集合、30 分前集合の未払い賃金を支払う。
③週 2 日の勤務を確保できるよう努力する。
という満額回答。今回の申し入れを契機に、雇用契約書や労働条件の整備を進めている最中だと
いう積極的な姿勢も感じられた。
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~労働運動の再生をめざす懇談会~
医療介護現場の交流会 報告
2 月 17 日(火)午後 6 時半より、エルおおさかにおいて、労働運動の再生を目指す懇談会の呼
びかけで、
「医療介護現場の交流会」が開催され、全港湾大阪支部、全日建連帯関生支部、港合同
労組の他、多数の労働組合が集まり、MUとAHPからも計 6 名が参加しました。会場はほぼ満
席で、全部で 30 名以上はいたかと思います。
当日は、介護保険の仕組みとそれがどのように改悪されようとしているのか学習し、認識を共
有することから始めるということで、港合同の大野さんの発表で学習会を行いました。港合同は、
自ら「みなと合同ケアセンター」というNPOを立上げ、デイサービスや訪問介護を行っている
組合です。さすが専門家、介護保険制度とその改悪についてとても分かりやすく説明していただ
きました。学習会の内容を、私なりに要約すると以下の通りです。
昨年 6 月に「医療介護総合確保法」が制定され、医療介護制度の大改悪が今後順次進められよ
うとしている。端的にいえば、医療費・介護費削減。そのために、自助(本人・家族)や共助(保
険)を強調し、公助(税金)は極力出さない。病院への入院を減らし、特養への入所も減らし、在
宅介護も重度の場合を除いて介護保険の対象外としていくというもの。具体的にはこの 4 月から
次のようなことが実施されていきます。
改悪の内容
現状
医療費を削減するため大きな急性期医療のベ
36 万床
ッド数を減らす。
特別養護老人ホームに入れる対象者を限定。
要介護 1~Ⅴ
要支援Ⅰ、Ⅱ
介護保険の対象とするサービスの削減
要介護Ⅰ~Ⅴ
介護保険料の自己負担増
1 割負担
介護報酬の大幅引き下げ
4 月以降
18 万床に削減
要介護Ⅲ以上
3 年以内に要支援は対象
外
所得によって 2 割負担
平均 2.27%削減(処遇改
善加算や事業所への加
算も含めた平均)
活発な議論が交わされた学習会の後、今後の取り組みについての話し合いとなりました。さし
あたり、4 月 16 日に引き続き介護医療現場の交流会を開催。そして、その後介護現場の労働者や
介護事業所などにも呼びかけて、大きな集まりを持っていく方向も議論しました。
介護労働者の抜本的な労働条件改善は、一つの労働組合だけの取り組みでは無理があります。
労働組合が垣根を越えて大きな運動を作り、介護事業者も巻き込んで、介護保険制度そのものを
変えていかねばならないと考えます。関心のある方は、是非今後の交流会にもご参加ください。
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2015 年 2 月 13 日 金曜会 実践報告と検討会
S 電機での追出し部屋での3年間
組合員 F
組合に入る前の経緯から現在まで、お話をさせて頂く機会を頂きました。3年間の
会社とのやり取りを、思い出しながら、時系列で掻い摘んで話させて頂きました。
(1)始まりは、組合に入る前の出来事ですが、職場で、転勤前提の退職勧奨(次の
仕事は無い)を受けました。当日は、本当にショックでした。”あなたの仕事は、社
内で探したけど、見つからない”と上司からまじめな顔で言われました。しかしながら、辞めるつもりは
無かったので、これを拒否しました。
(2)社内の仕事はないとのことで、人材派遣会社(大手 R 社)経由で、社外出向(印刷会社の子会社で単
純な肉体的労働)となりました。労働環境が最悪な職場に於いて、労災事故でその会社を40日も休まざ
るを得ない状況にも遭遇しました。また、その派遣会社の担当者からの執拗な退職勧奨(脅迫、いやがら
せ)を受け、何度も雇用契約のある出向元に連絡を取りましたが、無視されました。この事がきっかけで、
組合に入会したのです。
(3)その後、その派遣会社担当者は、直ぐに外されました。出向元とは団交を重ね、会社も対応を変更し
てきました。団交はこの3年間で、6回実施と皆様にご協力頂き、実施できました。参加していただいた
方、本当に感謝しています。
(4)また、その話の途中では、次の書類を回覧させて頂きました。
①人材派遣会社からの個人情報消去のお知らせ(これにより、派遣会社と縁が切れた)
②追出し部屋での業務提示(選択するよう指示がありましたが、嫌がらせの提示で、すべて拒否)
③転籍の案内(全体の内容で、個別の内容は、転籍同意書提出後)
(5)また、当日は、転籍同意書の提出締切日でした。
私は、1月末に団体交渉申し入れをしていましたが、相手が日程をどんどん遅らせたため、月曜日の組合
への説明会実施となり、同意書の提出は未だしていません。
(6)そして最後に、今後の展開については、時間の関係もあり、出席者の自己紹介が始まり、途中となり
ました。しかしながら、これにより、組合員との親交は確実に深まりました。
今後の展開については、機会あれば、ご相談させて頂きたいと思います。
(7)その影響もあってと思いますが、翌日の団体交渉は、組合側の出席者は、書記長始め、執行役員2名、
組合員4名と私を入れての8名と大入りとなりました。参加していただいた皆様有難うございます。
今後は、団体交渉の前に、実施するというのは、どうでしょうか。団交に参加
するに当たり、背景や論点が深まることは勿論ですが、団交に参加いただける
人数が多くなることは、なんといっても心強い限りです。
PS 現在の私の立場ですが、引き続き、追出し部屋の延長にあります。
これまで、営業の経験が全く無いのにもかかわらず、何のアドバイスも無く、
新規開拓営業の業務命令を受け、”1日40件、新規開拓しなさい社長指示だ”
とそれ以外の説明は無く、こちらからの質問や提案は無視され続けています。
少しでも件数(実績)を上げるため、毎日、足を棒に活動しています。
今年の1月に、上司のパワハラ(自らの1日40件の計画、実行を要求しました。)で、団体交渉を行
いました。
その結果、今まで、会議室に度々呼ばれ、理不尽なことを言われていましたが、それは少なくなりました。
しかし、1日40件の看板は上がったまま、降ろしません。また、会社の実態は、グループ会社の売上げが
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殆どであって、グループ会社以外に営業する営業能力が無いのです。そのため、企画・販促・営業・管理と
いった当たり前の仕事が普通ではなく、驚きの連続です。
現出向先(SH 社)とは、今後団体交渉を重ねていくつもりですので、その機会に報告させて頂きます。ま
た、新規開拓営業のご経験がある方は、初心者である私に、アドバイスを是非お願いいたします。
~報告~2 月 27 日 実践報告&交流会
神戸北郵便局期間雇用社員
【基本情報】
・ 勤続 11 年/業務:郵便外務(郵便物の配達・集荷等)/契約期間は 6 ヶ月(更新時期は毎年 4 月 1 日、
10 月 1 日)
・ 賃金は①基本給、②基礎評価給、③資格給で構成され、現契約期間での査定によって、次の契約期間に
おける賃金が決まる。変動するのは、②及び③である。基本給は全ての神戸北郵便局で郵便外務に従事
する期間雇用社員は全員同額であり、
2014 年 10 月 1 日~2015 年 3 月 31 日では 930 円となっている。
基礎評価給は服装、勤務態度等職務能力以前の基本的な事柄を評価するものとされていて、10 円であ
る。ただし、制服をきちんと着ていなかった等つまらない理由で、0 円にされることがある。
・ 当該である楠さんの賃金は、2014 年 10 月 1 日~2015 年 3 月 31 日まで、基本給 930 円、基礎評価給
0 円、資格給 550 円、合計 1480 円である。
【現在争っている事柄】
・ 2014 年 4 月 10 日、楠さんは郵便配達中にバイクで数メートル歩道走行。たまたま警察に見つかり、反
則を取られた。楠氏は帰社後すぐにこのことを集配部長に報告。
・ 2014 年 5 月 7 日付けで、戒告処分。
(処分の種類は、注意、訓戒、戒告、減給、停職、諭旨解雇、懲戒
解雇)
・ 2014 年 10 月 1 日からの賃金について、基礎評価給 0 円とされた。
・ 処分の妥当性と基礎評価給 0 円について争っている。
【交渉経過】
計 4 回の団体交渉を行ってきた。今回の処分は近畿支社で決定したのもであるが、会社側担当者として
団交に出席するのは、神戸北郵便局の総務副部長。何の権限もなく、壊れたレコードのように会社の公式見
解を繰り返すだけ。現在、不誠実団交ということで、労働委員会で係争中。
【目標と見通し】
日本郵便㈱は、極めて硬直的な官僚組織であり、昔ながらのお役所そのもの。一度決定したことは絶対に
不合理であろうと絶対に覆さない。そこで、処分の撤回は困難と考えており、目標を近畿支社を団交の場に
引っ張り出すことに目標を定めている。
また、今回の問題は日本郵便㈱における非正規社員の差別的扱いの一環として捉えている。そうした視点
から、郵政非正規労働者が集団訴訟として闘っている労働契約法 20 条裁判とも関連付けながら、長期戦で
望むことを考えている。
【検討会の様子】
約 10 名の組合員が参加。管理職ユニオン・関西の組合員も多数参加している中で、非正規労働者の問題
にも目を向けてもらう良い機会であったと考えている。途中からはビールも飲みながら和気藹々。今後も非
正規労働者の問題を積極的に取り上げて行きたい。
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韓国と労働者連帯第10回
「フィリピンで男女の働き方を考えてみました」
今回で10回目の寄稿となりました。寄稿を開始してからとい
うもの国際情勢は目まぐるしく変化していろんなことがあり
ました。労働者にとって生きづらいことばかりが進んで格差社
会が広がっています。基本的には人間として労働者としてどう
すれば幸せになれるかを考えながら書き進めてきました。社会
運動の進歩による恩恵を受けながら、一方で古い悪しき価値観
(古い価値観のなかには素晴らしいものもいっぱいあります
が)や狭く偏った価値観(こちらも地域や民族、宗教に根差した素晴らしい共生社会的なものも
もちろんあります)と闘いながら、これからも歩みを進めていきたいと思います。
さて前回第9回では世界の宗教をざっとみて、男女が協力して働
ける社会を考えてみました。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教と
いった世界人口のかなりの割合を占める一神教の経典である旧約聖
書からアダムとイブの話を通して男女の差に対する考え方の起源を
考えました。今回はキリスト教国のなかでもアジアのカトリックの
人口大国であるフィリピンを通して男女の協力し合える働き方を考
えてみます。
カトリックについてはその教義において避妊や中絶に対して否定
的であることから、日本では受け入れられにくい宗教の一面があります。女性の産む権利産まな
い権利とかとの整合性で労働者としても考えさせられるところではあります。そういうところを
加味しても、フィリピンは少子高齢社会の日本に比べて子供がいっぱいいて活気に溢れていて羨
ましい限りです。
2月にセブ市に行ってきたのですが、マニラほど大きな都市ではありませんが、神戸市に似てい
て綺麗な海と、六甲山より少し低いくらいの山が背後にあり、頂上からの景色は摩耶山の展望台
にそっくりです。海にはマクタン島がリゾートと空港を形成しています。旅行者として空港やホ
テル、アヤラセンターなどの商業施設で働く男女は活き活きとしていますし、親切な人が多い印
象を受けました。フィリピンのホスピタリティがよく言われますが、マニラ以上に強く感じまし
た。
また私が行った建設現場では女性が作業の進捗について報告を受けていますし(つまり責任者
なのです)
、その女性の方に現場を案内してもらいながら、いろんな説明を受けました。女性の活
躍できる場があるのと男性側の意識も柔軟なのかもしれないと感じました。銀行では行員の女性
の対応がテキパキしていて、無理難題をいう!?私もきちんと対応していただけました。
ところで、日本の儒教の考え方による男女差別などを考慮しても、若い人たちの人口が多いフ
ィリピンで女性が活躍しているということは、若い労働者人口が減少している日本ではもっと女
性にチャンスがあるはずです。足を引っ張っているのは身の周りの世話がかかる男性たちかもし
れません。フィリピンの男性はよく気が付きます。おそらく家庭のなかで
「メシ、風呂、寝る」のかつての日本のおやじの姿はそこにないはずです。フィリピン男性がよく
20
気が付くのは「子供たちの数が多いので小さな子供(弟や妹)の世話もよくやりながら大人にな
るからなのでしょう」という現地の人の話も聞きました。日本は今後についてフィリピンを参考
にできることも多いのでは思います。
セブ市では現在農業、漁業からIT産業、観光産業、教育産業に大きく方向転換しています。I
Tパークには大規模なコールセンターがあって若い男女がいっぱい働いています。ホテルやショ
ッピングモールも建設ラッシュですし、日本、韓国、中国からの英語留学も増えています。やはり
フィリピンの強みは英語にあります。コールセンターはかつてインドが強かったのですが、今は
フィリピンに勢いがあります。
男女が互いに尊重しあって働ける社会の実現には、その国の文化や宗教的な要素も考えないと
いけないと思います。パキスタンで育ったマララさんのように、女性が教育を受ける権利を得ら
れるように運動しないといけない国もあれば、日本のように女性が働きやすくなるために男性女
性双方の意識改革を進めていかないといけない国など様々です。
男性、特に中高年齢の自立に向けてのプログラムが日本では必要ですね。これは次回に書きま
す。
最後にフィリピンの美味しい話をしましょう。ラプラプという英
雄の名前をもらった魚なのですが、刺身や薄造りが最高に美味しい
です。もちもちした食感がたまりません。日本でいえばクエのよう
な外見と味でしょうか。セブに旅行された時はぜひ御賞味くださ
い。セブ料理が万が一口に合わない場合は韓国料理店がいっぱいあ
るのもセブの特徴です。ネイティブの韓国人がやっていて本場の味
が食べられるとのことです。
21
社会問題研究会 上映会『スタンドアップ』(原題:North Country)報告 K.N
管理職ユニオンの事務所にて2月18日の水曜日の午後7時から、映画『スタンドアップ』の上映会があ
りました。内容は、2005年に制作されたアメリカ映画で、1988年に行われた世界初のセクシャルハ
ラスメント訴訟を描いた社会派の映画です。主人公は暴力夫と別れ子どもを養うために給料の高い鉱山で
働くことになったシャーリーズ・セロン演じるジョージーという女性。炭鉱という男社会に女性が働くのを
受け入れない同僚の男性たちから執拗な嫌がらせをされつづけ、それに対抗するため立ち上がり闘う姿を
描いた作品でした。
ジョージーが働いている炭鉱会社は法律の縛りから仕方なく女性を受け入れていて、セクハラを訴えて
も冷たく、それくらい何もいわないで我慢しろ、我慢できないなら辞めろと男たちに味方する姿勢でした。
セクハラをやめさせようと行動すると会社は敵にまわりました。会社を相手にジョージーは訴訟をするこ
とを決意します。しかし、困ったのは集団訴訟にすれば勝つ見込みはあるが、集団訴訟にするためには、あ
と二人共に立ち上がる人が必要で、その協力者を得ることがなかなか難しいことです。同じ女性従業員たち
は、男たちから性的嫌がらせをされていたものの、仕事を失いたくないあまりに非協力的で、むしろ主人公
の行動を迷惑がります。それにジョージーの上の子供がレイプによってできた子供だということを知らな
い父親からも誤解されてふしだらな女だと責められており父親も協力的ではありませんでした。そのよう
な状況の中、孤立無援の形ではじまった訴訟も、事実があきらかになるなかで徐々に周りの共感を得ること
ができるようになり、最後は、傍聴席の全員から女性だけではなく男性陣の賛同も得られて、ついに集団訴
訟が実現していくことになります。ジョージーの強さは守るべきものを持っている人の強さだと思います。
その強さは彼女に最初同調しなかった他の女性たちにもあったと思います。彼女たちも炭鉱という男社会
のなかでずっと我慢してあの執拗なセクハラにも耐えて男性と同じに職場で働いていましたが、それは並
大抵のことではなかったはずです。あまり映画では描かれてはいませんでしたが、彼女たちも守るべき生活
があったのだと想像できます。ただジョージーは受身的に生活を守るだけではこれからも同じことが続く
だけで、会社と男性たちの態度を改めさせなければ根本的な解決にはならないと考え、その状況を変えてい
こうと決意して訴訟に踏み切ったのです。
「養ってくれる男が見つかるって?自分でちゃんと稼いで子供を
養いたいの。これは女性みんなの問題よ。」というセリフに主人公の心情が現れています。女性でも自分た
ちの家を持ち、
仕事をして収入を得、
子供を守り育てる。
それで一人の人間として誇りを持つことができる。
炭鉱で働くことでジョージーはその生活が可能になりました。ここで諦めたらやっと手に入れた自分たち
の生活だけでなく人間としての誇りまでも失うことになるという気持ちがそのセリフをいうジョージーの
顔を通して伝わってきました。
また映画では、裁判の経過とともに、一人、また一人と彼女の味方が増えていき、父親や息子とのあいだ
でこじれてしまっていた家族の絆が取り戻される過程が丁寧に描かれていて感動的でした。それに途中、事
務所の白板に映し出された主人公が被るショッキングなあまりにひどい嫌がらせに、観ていた人たちから
思わず非難の声が上がったこともあります。そういう感じでなかなか引き込まれる映画でありました。上映
会に来ていた人から、映画は原作本を読むと映画よりも深く内容が分かって面白いよといわれたので、原作
本を探してみました。原案となったノンフィクション「集団訴訟―セクハラと闘った女たち」は竹書房から
文庫版で翻訳が出ています。「スタンドアップ」は実話に基づいている作品です。ミネソタ州のエヴェレス
鉱山で働いていたシングル・マザーのロイス・ジェンセンがセクハラで鉱山会社を訴えたアメリカで最初の
セクハラをめぐる裁判が元になっています。差別是正措置であるアファーマティブ・アクションは60年代
の後半ごろから導入されていて、75年に就業したロイス・ジェンセンはその措置で炭鉱に進出した最初の
世代です。しかしまだセクシュアル・ハラスメントという言葉も浸透していなかった頃なのでそういう概念
がなく相当な嫌がらせをされたようです。実際は、訴訟を裁判所で受け付けるかどうかで紆余曲折があり、
その上会社側の引き伸ばし工作などによってだいぶ長引いたようです。98年にやっと和解に至っていて、
就業してから20年以上も経過した長い戦いだったようです。それで原告が得た和解金というとわずかな
金額だったそうですが、この訴訟を契機に労働者保護法が作られるという成果を導き出しています。興味を
持たれた方は是非読んでみてください。
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報告~メタボ解消!
遊歩会
冬の京都 八瀬~哲学の道~南禅寺を歩く
天気予報では当日は雨。朝起きると雨音がしとしと。しかし、家を出る頃には雨はほとんど止
んでいた。さて、京阪電車に揺られて出町柳へ。さすがに晴天とは言えないものの、かろうじて天
気はもっている。集合場所では、意志薄弱な数名のメンバーのドタキャンが判明したが、さすが
に主だったメンバーは雨など物ともしない。リーダーのO氏を先頭に強靭な意志を持つ 8 名が京
福電車に乗りこんで八瀬へと向った。
八瀬比叡山口は山間に佇む無人駅で、瓦屋根の古風な
感じが風景に溶け込んでいる。駅を降りると、しっとり
と冷気が肌を包む。一行は木橋で高野川を渡り、山道を
川沿いに下り始めた。多少迷いながら、最初に訪れたの
は赤山禅院。平安時代に創建された古寺である。位置が
京都御所の鬼門に当たることから、寺の屋根には鬼門除
けの猿の像が置かれている。リーダーのO氏は奉納され
ていた酒に興味津々であったが、一行はO氏が盗み飲み
等しないように監視しつつ、赤山禅院を後にした。
次は鷺森神社へ。参道は紅葉並木となっていて、秋に来ればさぞ美しいと思われる。境内には、
「縁結びの石」という巨石がある。まだ一縷の望みをつないでいる数名のメンバーが目を血走ら
せて巨石に群がる一方、もはや神仏からも見放されたと考えている一部のメンバーはこれを冷や
やかに眺めている。私はこの異様な雰囲気に耐えがたい気持ちにであった。鷺森神社から雲母坂
を下っていくと、途中に休憩所らしきものがある。立ち寄ってみると、雲母漬けを売っている「老
舗穂野出」であった。元禄 2 年創業の茶店だという。一行は雲母漬けを試食させてもらったのだ
が、NGさんが爪楊枝をこねくり回して目一杯口にかき込んでいるのを見て、店の人が思わず止
めた。もはや試食というレベルではなかったため、一行はその尻拭いで商品を購入せざるを得な
い羽目になったのである。茶店を後にして、宮本武蔵が吉岡一門と決闘したという一乗寺下り松
を見学。
ぼちぼち腹も空いてきたところで、京都で有名なラーメン屋「ますたに」へ。とは言え、もちろ
ん、遊歩会の目的はメタボ解消! とりわけ特別チームのメンバーには自粛が求められるところ
である。ところが、ことある毎にビールを飲み、イカ焼きを食うなど自制心の欠片も無いHR氏
はここでもいきなり大盛りを注文。口の周りをラーメンの油でギトギトにしている様子は見られ
たものではなかった。ともあれ、ラーメンは中々の美味で、一行大満足。
昼食を済ませ、哲学の路に。かつて西田幾多郎が思索にふけりながら歩いたという。もっとも、
試食をほおばり、縁結びの石にしがみつき、ラーメンでギトギト
というメンバーには到底高尚な思索など期待するべくも無い。桜
並木の中を疎水沿いに伸びる小路を歩きつつ、いつか私一人で思
索にふけりながら歩いてみたいと考えていた。
哲学の路を抜けて、湯豆腐屋を横目に見つつ、南禅寺に。有名
な水路閣はローマの水道橋を髣髴とさせる。そして、最後に蹴上
のインクライン(琵琶湖疏水による舟運ルートの 1 区間をなす傾
斜鉄道)を見学し、平安神宮の横を通って三条京阪で解散となった。盛りだくさんではあったが、
満足のいく一日であった。
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