第 回せ ん だ い ・ み や ぎ ゆめ、きぼう、目標を持とう! 井口 泰孝 みやぎ産業振興機構 理事長 さん その調子でどこかに入れるとでも 代わってマサチューセッツ工科大学に ることを決めた。イギリスの大学への 長引くデフレや景気 低迷の中、多くの人 の 間に悲観論が広まっ ている。しかし、苦 難 を乗り越えてきた人 たちの声に耳を傾け て ほしい。自信を持ち 、明るい未来を切り 開 くためのヒントはき っとあるはずだ。 思 っ て い る の か? い ま か ら( 進 路 を ) 変 え る と 言 っ て も、 か な り 苦 し 進 学 し た。 給 料 は な い な が ら も、 文 進学を目指したが、試験に二度失敗。 いぞ。で、お前は何がやりたいのだ」 部 省( 当 時 )の 助 教 授 と し て 研 究 に など、世界に羽ばたく企業がある「も 部品などで有名な「浜松ホトニクス」 大規模な工場だったが、その後、八幡 所 」 に 実 習 に 出 か け た。 兵 機 を 作 る 際ターミナルビルにあった「大森鉄工 大学の2、 3 年には、東 京・羽田の国 4月に仙台に戻った。 し た 後、 弘 前 大 学 に 行 っ て、 こ と し 壇 に も 立 っ た。 東 日 本 大 震 災 を 経 験 2年後、無事に東北大学に戻って、 定 年 ま で 勤 め 上 げ た。 八 戸 高 専 の 教 励んだ。 のづくり」の街だ。 製鉄所に吸収された。 も 担 任 に「 私、 今 ま で 文 系 志 望 で し 映 画 を 見 て、「 こ れ は 面 白 そ う だ 」 と 感 じ、 高 校 3 年 の 受 験 間 近 な が ら 時代の産業だ」と思った。 数百万㌧に達していた。「これからの 成 長 し て い た 当 時、 鉄 の 生 産 量 は 千 「 鉄 作 り 」。 日 本 経 済 が 右 肩 上 が り に の 映 画 を 見 る こ と が あ っ た。 内 容 は 体育館に集められ「総天然色カラー」 され「新日鉄」に名前が変わった。 3 年 の 間 に、 八 幡 製 鉄 所 は ま た 吸 収 てやるから」と言われ、再び大学院に。 タ ー( コ ー ス ) へ 行 け。 給 料 は 払 っ 会社に入ると先輩社員に「マスター (コース)だけじゃ足りないからドク えてから、八幡製鉄所に入社した。 進 学。 マ ス タ ー コ ー ス( 修 士 ) を 終 避 難 し な け れ ば 」 と 思 い、 大 学 院 へ こ こ で 働 こ う と 考 え て い た が、 ま さかの会社の吸収。「これはどこかに がいいと思っています」 か ら こ そ、 い ろ ん な こ と を 覚 え た 方 と、 次 の ス テ ッ プ に は 進 め な い。 だ と こ ろ が、 ひ と つ だ け を や っ て い る 一 所 懸 命 に や ら な け れ ば い け な い。 れ だ と 決 め た ら、 あ る レ ベ ル ま で は が 増 え ま す。 そ れ に 伴 っ て「 感 性 」 が上がると、「知識」や「常識」の量 目 標 』 を 持 つ こ と は 大 切 で す。 年 齢 「 子 ど も の 時 や 若 い 頃 は も ち ろ ん、 大人になってからも『ゆめ、きぼう、 ができるんだったら素晴らしいね」 最初は不可能と難色を示していた 開 発 関 係 者 も、 す ぐ に「 本 当 に そ れ ジャーに就任した。 が 減 り ま す。 学 問 の 基 礎 理 論 は、 こ たが、理系に変えます」とつげた。 そ こ で 会 社 を 辞 め、 大 学 で 研 究 す さん 頭 ご な し に 怒 ら れ た。「 お 前 ね ぇ、 「キャンペーン」で高校にやってきた。 高校3年生の9月のこと。「日本鉄 鋼連盟」という鉄鋼会社の集まりが 東北大学工学部金属工学科を卒業後、会社員を経て、研究の道に。東北大学工学部長、八戸工業高等専門 学校校長などを経て現職。 井 口 泰 孝 さ ん は 年 以 上、 東 北 大 な ど で 教 壇 に 立 っ て き た。 そ う し た ぼう、目標を持つ大切さ」。そう考え るに至った井口さんの人生とは―。 「ホンダ 」 静 岡 県 浜 松 市 で 育 っ た。 や「ヤマハ」をはじめ、光関連の電子 広い世界で自分の夢を! あなた自身で世の中を楽しい豊かなものに 高橋 四郎 東北イノベーションキャピタル 取締役 などと理解を示し、開発を開始した。 商品開発には苦労が絶えなかった。 生産の段階になると、磁気ヘッドは月 に 対 し、 百 四 十 万 個 の 投 入 が 必 要 だ っ た。 し か し、 原 産 二 万 台 のV T ビ が 発 売 さ れ た 時 代 だ っ た。 画 面 て し ま っ た ほ ど、 苦 労 が 絶 え な か っ 料からできる磁気ヘッドの歩留まり いくらでも好きな仕事をするチャン た」。メタル・蒸着テープも開発した。 は 丸 く、 後 ろ の 方 に ぐ っ と 伸 び て プレコーダーやトランジスタテレ ソニーの社員として、ビデオカメラやリチウムイオン電池の開発に携わった経験を持つ。東経連事業化セ ンター産学マッチング委員長も務める。 東北イノベーションキャピタル取 締 役 の 高 橋 四 郎 さ ん は、 栗 原 の 農 家 で生まれた。 入 社 式 の こ と だ。 会 社 の 副 社 長 は新入社員を前にあいさつでこう切 スを与えるから」 は わ ず か 3 %。「( 関 わ っ て い る 複 数 ん だ。 東 京 な の か、 ア メ リ カ な の か り出した。「もし、寄らば大樹の陰と るのが、何ともカッコよかった。 分 か ら な い が、 い つ か は そ う し た 場 思 っ て い る 人 が い た ら、 即 刻 こ こ か メーンだったラジオに代わって、テー 岩 手 大 を 卒 業 し て、 ソ ニ ー 本 社 に 入 社。 会 社 で は、 そ れ ま で の 開 発 の な夢を抱いていた。 分で考えて行動する人になってくれ。 い く し か な い 」 と 決 意。 洋 書 を 読 み の た め に は ど う す れ ば 良 い の か、 自 が 必 要 な の か を 考 え て ほ し い。 実 現 ら 出 て い っ て く れ。 こ の 会 社 に、 何 あ さ る な ど し て 知 識 を 磨 き、 情 報 を か ら に は、 良 い 仕 事 を し て 頑 張 っ て の人たちと一緒に同じ会社に入った リチウムイオン電池の大幅な性能向 が率いる工業化プロジェクトによる ん だ そ の カ メ ラ は 数 年 後、 高 橋 さ ん 見られた。「パスポートサイズ」と呼 で、 そ れ を 使 っ て 撮 影 し て い る 姿 が 画期的な技術を取り入れたビデオ の 売 れ 行 き は 好 調 で、 街 の あ ち こ ち % サ イ ズ ダ ウ ン。 一 その時、ビデオ事業部は「(ビデオ カメラを従来品より)十分の一ほど 上した。 負 け、 売 上 は 激 減。 大 き な 赤 字 を 計 いま会っても、『あんたともう一度や りました。苦労をかけたスタッフが、 ノができた』『やれてよかったね』と 「何よりも変わったのは、私たち自 身 の 気 持 ち。『 で き っ こ な い っ て モ ふうび の小さなものにしよう」と社内で提 り た 』 と 言 っ て く れ る。 そ れ が 生 き みんなの達成感とやりがいにつなが 案 し た。 高 橋 さ ん は、 中 で も 最 も 難 がいだと思うんです」 50 しい磁気記録プロジェクトのマネー ク ス が、 後 か ら や っ て 来 た V H S に 上 で、 さ ら に 集めた。 を聴いた さんの話 ) 高橋四郎 世を風靡した。 井口泰孝さんの 話を聴いた 瀬 セミナーの感想 士 さん (介護 平井勝喜 い世界 自分は狭 し 今 ま で、 思いき ま ていた と 、 で生活し 外向きに はダメ。 思 内向きで た。 いこ う と を向けて 世 界 に目 。 いました 陥っ 年ほど前に会社は経営難に ベータ た。 ソ ニ ー が 開 発 し た ビ デ オβ マ ッ そうやって良い仕事をしてくれたら、 の部署の)係長が、円形脱毛症になっ 所で活躍する」。子どものころ、そん なんて良い会社なんだろうと思っ た。「東大とか、トップクラスの大学 農作業はきつかった。「一生ここで 暮 ら す の は い や だ。 世 界 に 飛 び 立 つ 「 鉄 作 り が や り た い で す 」 と 答 え、 担任に勧められた東北大に進学した。 オータムセ ミ ナ ー 2 0 1 2 6 経験から感じているのが、「ゆめ、き 40 戸恵介 さん (一般社団 法人MAKOT O理事) やはり夢や希望を持たなけ れ ばいけ な いと、あ ら た め て認識しました 。司 法 書 士 とい う 法 律 関 係の仕 事に就い ています が、元 々、東 北 大で工学 系の金 属材料を 学 んでいた こ と も あ り、共 感 す ること が たくさんありま した。 30 4 せんだい・みやぎオータムセミナー 特定非営利活動法人ハーベスト(仙台市)の主催。若者が将来を考えるきっ かけをつろうと 2007 年から毎年、仙台市内で開催している。同法人では、市民講師が生き方や仕事について語る 中高生向けの「キャリアセミナー」も開いている。問い合わせは 022(395)4311または [email protected] まで。 5 R 新し い自 発 分を 見しよう ! O - g a - l e! 好奇心が大切。 庄司 貞雄 日立ソリューションズ東日本地域復興貢献室長 さん 核融合工学を大学で学び、 会社員になって鉄の研究にのめり込む。子どものころ憧れを抱いた「鉄腕アトム」 への憧れを捨てず転職して、人工知能の開発に。日立ソリューションズ東日本地域復興貢献室長。 鉄腕アトムの人工知能。『たどり着い たな』という気持ちになりました」 製 鋼 所 の 仕 事 が 終 わ っ た 午 後7 時 頃 に 日 立 ソ リ ュ ー シ ョ ン ズ 東日本の 事 務 所 を 訪 れ た。 担 当 者 か ら「 夢 の のが楽しみだった。新しい技術で経済 テレビでアニメ「鉄腕アトム」を見る ば」と考え、鉄鋼会社に入った。 い、 も の づ く り に 携 わ る こ と で あ れ が 出 来 れ ば、 工 学 で あ れ ば 何 で も い きる就職先はなく、「東北に残ること 度 な 技 術 で、 知 識 を 生 か す こ と が で て い か れ て、 翌 日、 気 づ い た ら 転 職 締めされるような格好で飲みに連れ 話が始まってから 時間ほど。「帰 れ る 」 と 思 い き や、 両 側 か ら 羽 交 い 内容のことを延々と話された。 ある会社を作っていくんだ」という が 成 長。 明 る い 未 来 を「 技 術 」 で 作 日立ソリューションズ東日本の庄司 貞 雄 さ ん は、い ま か ら 年 近 く 前 に るという夢にあふれた時代だった。 会社では、自動車のクランクやミッ ション関係の部品になる鉄鋼材料を 建ち、鉄道は延びる、街は大きくなっ 技 術 が も て は や さ れ て い た。 工 場 が 選 ん だ。 当 時 は 原 子 力 発 電 所 を 作 る 中 学 か ら 高 校 に 進 む 中 で、 理 系 に 進 ん だ。 大 学 に 入 る 時 は、 工 学 部 を がらも魅力を感じた。 を 持 つ ―。 そ ん な と こ ろ に 子 ど も な が あ っ て、 ロ ボ ッ ト が 人 と 同 じ 感 情 い く 奥 深 い ア ニ メ だ っ た。 電 子 頭 脳 分 の 役 割 な ど を、 悩 み な が ら 学 ん で アトムは友達を通じて人間関係な ど を 学 ん で い っ た。 世 の 中 に 立 つ 自 なる分野の勉強も重ねた。。 で は な い の か 」 と 思 い、 仕 事 と は 異 は『 情 報 』 が 世 の 中 を 変 え て い く の 究 に の め り 込 む と 同 時 に「 こ れ か ら ごく勉強が面白くなったんです」。研 て い く 立 場 に な っ て み た ら、 も の す 「学生時代はまじめに勉強をしませ ん で し た が、 実 際 に 何 か を 生 み 出 し なる鉄の開発に携わった。 工 し や す い 鉄 な ど、 目 的 や 用 途 が 異 熱 に 強 い 鉄 や さ び な い 鉄、 機 械 で 加 作 っ て い た。 研 究 部 門 に 配 属 さ れ、 に成 績 処 理や 履 修 関 係の詳 細が処 理 研 究 の 流 れ が シ フ ト し た。 個 人 ご と 人 工 知 能 が 実 用 化 さ れ て い く と、 インターフェイスの処理など、周辺に 究が始まった。 テ ム ) が あ る が、 関 連 情 報 を 出 し て く れ る 機 能( シ ス ど を や り 始 め た。 い ま で は、 携 帯 電 を し た。 機 械 翻 訳 や 自 然 言 語 処 理 な 入 れ て も ら い、 人 工 知 能 の 基 礎 研 究 入 社 後 に は、 横 浜 に あ る 日 立 製 作 所( グ ル ー プ ) の A I の 開 発 部 門 に することになっていた。 て い く ―。 そ う し た 中 で、 電 力 需 要 できるシステムを大学に提案した。 年 前 に、 そ の 研 話に話しかけると、それを理解して、 が 伸 び、 大 量 の 電 気 を 一 度 に 安 く 作 入 社 し て 4 年 目 の こ と。 日 立 ソ リューションズ東日本が正月4日の新 はやされた時代だった。 と。 「これだ!」と思って応募した。 告を掲載した。AIとは人工知能のこ 聞に、 「仙台でAIをやる」と全面広 知 能 に 出 会 い ま し た。 東 北 に 残 った て、 実 際 に( 会 社 で、 仕 事 で ) 人 工 「鉄腕アトムの人工知能が、すごく 楽 し そ う だ な と 思って 理 工 系 に 入 っ る と い う 観 点 で、 原 子 力 発 電 が も て 大学では「核融合工学」を学んだ。 水素が核融合をすることで熱を出す の は、 や は り 地 域 が 好 き だ か ら。 い 起業家としての弁護士。 マーケティングとネットワークが大事。 さん けで仕事が来る時代は終わりました。 こ れ か ら は、 新 し い 分 野 に ど ん ど ん チャレンジしなければならない。その た め に は、 顧 客 ニ ー ズ を 知 る た め の マーケティングや新しい分野を開拓 するためのネットワーク作りが必要 う い う 現 場 を 見 ている と 胸 がワ クワ 型 に は め ら れ て 形 を 変 え てい く、 そ と 流 れ て く る、 熱 い 鉄 が い ろ い ろ な りません。工場で、溶けた鉄がガーッ れたようなショックを受けた。 ださい」という言葉を聞き、雷に打た の原告が訴える「自分たちを助けてく の参加者の前で、不安な表情で被害者 支援する講演会に誘われた。300人 大切だと思っています」 これまでの枠にこだわらない活動が リース会社の社員から、弁護士に。目指すは起業と社会貢献。アネスティ法律事務所を立ち上げ、新たな 分野を開拓すべく、ネットワーク構築に余念がない。 弁護士 勝田 亮 「 自 分 の 技 術 者 と し て の 出 発 点 は、 という未だに実用化されていない高 までは、仙台に本社のある会社にいま すし、震災に出会い、自分が持ってい るIT・情報工学の技術の力を使って、 壊れてしまった故郷の復興の仕事に携 わ る こ と が で き て い ま す。 振 り 返っ て み る と、 そ の 時 々 で、 い ま の よ う ク し て く る ん で す。 情 報 シ ス テ ム を です。資格を『死格』にしないために、 作 る 部 分 で も、 そ れ と 同 じ よ う な 面 ト も で き な い。 自 分 が一番、 興 味 を 仕事に、正解はどこにもない。リセッ たい」という一心で、勉強を続けて、 仕 事 を し な が ら 司 法 試 験 を7 回 受 験 し た。「 起 業 し た い 」「 社 会 貢 献 し 「弁護士、行政書士、社会保険労務 士など法律に関わる資格の選択肢は 合格することができた。 大 学 卒 業 後、 大 手 リ ー ス 会 社 に 就 職した。業界の認知度は当時、低かっ とを、まず突き進んでみてほしい。そ のためにはいろんな勉強をしなくては い ろ い ろ あ り ま し た が、 こ れ ら( 起 ちは、情報 いまの若者た 道を 自分の進むべき されてなかなか いま て じ 感 に るよう 決められずにい 方に た き 生 に 生懸 命 す。講師は、一 め、 集 を 人 、 が 心さ 感じ まし た。 熱 と思 たのではないか 成功に結び付い 分を 自 に う よ の 社長 います。講師の うこ 思 と 」 る き 「で 信じて、自分が と考 伝えていきたい とを若者たちに えました。 護士の資格を取ろうと思ったわけで そんなある日、HIV訴訟の原告を が続いた。 いいのか・・・」と自問自答する日々 みに行くことがしばしばで、「これで わ れ、 残 業 後 に 上 司 に 連 れ ら れ て 飲 上司と飲みに行くことだ」などと言 以前のように、 「弁護士」の肩書きだ で新しい仕事にチャレンジもできる。 と 仕 事 を す る。 時 に は、 そ の チ ー ム を構築して、一緒にチームを組める人 知った。 「 だ か ら こ そ、ネット ワ ーク 弁 護 士 に な っ て、 自 分 だ け で は 解 決できない問題が非常に多いことを し か し 現 実 は 違 っ た。 給 与 水 準 は す」 高かったが、 「新人のおまえの仕事は、 と思い入社した。 の 業 界 な ら 面 白 い こ と が で き る な 」 業と社会貢献)が決め手となって弁 たが、成長している分野だった。「こ 持ってやれること、頑張ってやれるこ を やって き た だ け な ん で す。 社 会 や 白 さ を 感 じ ま す。 自 分 の 好 き な こ と 「こういう人たちを救いたい。弁護 士になろう」。そう決めた。 な 未 来 を 思い 描いていた わ け で は あ 佐山浩一さん(宮城教育大 3 年) ひとつのことに熱 中できる人ってなか な かいない。そういう 人と出会うことが出 来 て良かったです。 「自分のコンプレッ クス を書き出してそれに 赤丸をつけてあげな さ い」ってところがす ごく印象的でした。 教 師を目指しています 。マイナス面にも自 分 で向き合える子ども たちを育てたいです 。 地元を離れて仙台に来て悩み、 考えていたことが、学術的に研究 されているんだと知り、純粋に嬉 しかったです。文献など機会があ れば読んでみたいと思いました。 木村達男さんの話を聴 いた 佐藤雄介さん(東北大4年) 弁護士の資格を持っていれば、仕事 が舞い込んでくるイメージがあったの ですが、話を聞いて、ちょっとイメー ジが変わりました。社会保険労務士な ど他の士業に関しても同じような考え を持たなければならないんだと思いま した。 安倍由香利さん(保険業) 3 30 若新雄純さんの話を聴いた セミナーの感想 勝田亮さんの話を聴いた 50 いけない。好奇心も持たなければいけ ないと思うんです」 県職員) 及川正行さん(岩手 に振り回 話を聴いた 早坂慎一さんの 6 7 セミナーの感想 O - g a - l e! O - g a - l e! コンプレックスは力になる。 木村 達男 三陸オーシャン 社長 さん す。これをなんとかしなくちゃいけな いというのが、わたしの商品開発のコ ンセプト。なぜ、ホヤにこだわってい るのか、全国に流通している %が宮 城県産。なのに、嫌われているから。 れ る。 ホ ヤ は 世 界 に 誇 れ る 食 材 に な この ホ ヤ で 宮 城 は ま だ ま だ 有 名 に な 年前に会社を設立した。 ればと思っています」 5、 6歩先を走っていると、 チャンスや経験をたくさん得る。 さん れる可能性がある。一生を捧げていけ 「世間ではホヤは『くさや』かホヤ かって い わ れ る く ら い 嫌 わ れ て い ま 学歴や能力にコンプレックスを持ちながらも、保険会社時代に、努力で保険会社の支店長に。外資系との合併を 機に、脱サラして、ホヤを取扱う会社「三陸オーシャン」を設立。世界に誇れる食材を目指す。 仙 台や鹿 児 島 など カ所の支 社 長 を 務 め た。 歳 の 時 に 会 社 は 外 資 系 の会社に吸収合併された。 「その後も 年間やりましたが、企 業文化が一気に違ってくるのは、やっ ぱりいろいろ考えることが多かったで すね。このまま我慢して 歳の定年に 石井 力重 アイデアプラント 代表 商 社 に 勤 め てい た 時、 大 き な 取 引 をしていた。 商社から転身し、アイデアを出す組織「アイデアプラント」を立ち上げた。企業からテーマをもらいアイ デアを返す取り組みは、さまざまな広がりを見せる。 いまの 会 社の 設 立 も、周 囲 に 反 対 さ れ た。 兄 弟 か ら も、 妻 か ら も、 親 族 に 反 対 さ れ るって い う の は わ かっ 戚からも反対された。ある人には「木 「大きな変化って恐怖なんです。ひ と た び 変 化 が 自 分 に とって ネ ガ テ ィ サ ラ リ ー マ ン 時 代、 学 力 や 能 力 に ずっとコンプレックスを 抱いていた。 年後、上司に「お前、今度支社長だよ」 村 さん 無 理 だよ。 ブに働き始めると、つぶれてしまう。 …」と不安だったが、入社してから と言われて驚いた。 「なんでオレが? 全 然 違 う 仕 事 で、しか も 水 産 関 係の そ う い う 不 安 を 消 せ な い と き に、 不 ないか」と。 歳 を 超 えてから 俺より優秀な奴ならいっぱいいるじゃ 会 社 な んて、そ ん な 無 謀 な こ と 辞 め 退 転 の 覚 悟 を す る 力 が 大 切 だって こ さん 東 北 大 の 地 域 連 携 プ ロデュー サ ー をしていた時に話した言葉だ。 何のために、誰のために働くのか 伊藤 真 豊徳 社長 アプラント」を立ち上げた。 多 く のコン サ ル タ ン ト か ら「 そ ん なことやって成功した人はいない」と 言われたが、反対を押し切り、 「ア イ い ま 伊 藤 さ ん は 社 長 と し て、 ト ン ネルな ど土 木 構 造 物 をより 安 全で安 価 に、 長 く 運 用 し てい く た め に は ど う す べき か を 考 え な が ら、日 本 全 国 に 存 在 す る ト ン ネ ルの 定 期 点 検 や 補 を 目 指 していたが、ポス 性 について 研 究 し、学 者 院では政 治 と教 育の関 係 きっか け に なった。 大 学 の 先 輩 か ら 誘 わ れ たの が 最 初 に 就いた 専 門 学 校 の教 員の仕 事 は、研 究 室 員 や 参 議 院 議 員 の 秘 書 と し て 働 いて い を す る こ と だ と 思って い ま す。 教 に 使 い、 次 の 世 代 に 引 き 継 ぐ お 手 伝 先 輩 た ち が 作った 土 木 構 造 物 を 大 切 と思っています。私のいまの仕事は、 来 につな ぐ た め に 働 く ん じゃ ないか 「 『何のために』 『誰のために』働 く か を 考 え る と き、 知 識 や 経 験 を 未 修設計を提案する仕事をしている。 ト は 順 番 待 ち の 状 態 で、 として働き始めた研究室の先輩から、 教 育 系 の 大 学 院 を 出 た 後、 保 育 士 を 養 成 す る 専 門 学 校 で 教 員 を 務 め、 「 (教員を)やらないか」と誘われ、「ま い た こ ろ は、 ど ち ら か と 言 え ば 自 分 ず は 社 会 人 と し て の一 歩 を 踏 み 出 そ す。 自 分 の 都 合 だ け で 仕 事 を 選 ぶこ 空 き が な かった。そ う し 大学院を出た後、専門学校の教員、国会議員の秘書、建設関連の会社と転職してきた。共通するのは、 「人 から誘われて進んだ道であること」 。今は建設関連の点検・調査やコンサルタントを行う会社の社長を務め ている。 そ の 後、 商 社 を 退 職 し、 大 学 院 に 進 学。 ア イ デ ア を 出 す 組 織「 ア イ デ た方がいい」と言われた。 会 社で優 秀 な 大 学 を 出 た人 たちの 先陣をきって出世したのには、 「何事 も、一生 懸 命 取 り 組 ん で あ き ら め な かったから」と考 えている。 「計算も 「三陸にはホヤがあるじゃない。あ まり食の研究が進んでないと思うよ」 目からウロコだった。三陸に帰り、 ホ ヤ を 食 べ 歩 い た。 石 巻 市 内 に あ る 企 画 書 作 り も 人 よ り 時 間 が か かって するまでやりとげた。 その積み重ねが、 県 の 水 産 加 工 研 究 所 に 通 いつ め、 しまうが、睡眠時間を削ってでも納得 評価されたといまでも思っています」 デア出しの代行サービス」を始めた。 内 容 は こ う だ。 優 秀 な 学 生 を 集 め 「ブレインストーミング」をしてもら う。 企 業 か ら テ ーマ を も らって ア イ デ ア を 返 す。ア イ デ ア 代 と し て 学 生 チ ケット を 配 る。 学 生 に に Amazon は教科書を買う足しにしてもらう―。 そんな取り組みだ。 続 け て い る と、一つの 案 件 で、 か な り の 金 額 を 報 酬 と し て、 も ら え る ようになった。トップになったクリエ イ タ ー は、 そ の 後、 文 具 メ ー カ ー に 入社。ヒット製品を開発している。 「その後、アイデアプラントは、発 想用のカードセットを開発し、アイデ いろんな形のアイデアワークショップ 参 議 院 議 員 の 秘 書 に 転 職。 そ し て い う」と、 教員の道に進むことを決めた。 の興 味 本 位で 職 業 を 選 んでき た とこ が世の中に広まりました。 『 ア イ デア ま、日本全国にある様々なトンネルの た中で、専 門 学 校で教 員 プラントっていう会社があって、あれ 点 検・ 調 査 を し、 補 修 設 計 の 図 面 を し ば ら く す る と、 病 気 で 倒 れ た 母 を 含 め、 実 家 の 家 族 の 面 倒 を み る 必 ア ワ ー ク シ ョッ プ を 各 地 で 行 っ て き は 結 構 成 り 立つん だ 』 と 知 ら れ る よ 描 く 建 設 系 のコン サ ル タ ン ト の 仕 事 人の子 ど も もいま 「専門学校の教員をやって、国会議 員の秘書をやって、建設系のコンサル に携わっている。 な い 」 と 転 職。 し か し、 実 際 に は な 目を向けつつ、仕事ができるかもしれ 議員の秘書の話をもらい、 「 実 家にも 要 が 出 て き た。 そ ん な 時 に、 参 議 院 立ち止まって、 『何のために』 『誰のた が、 そ う し た 節 目 に、 ち ょっ と だ け や 転 職 す る 時 ぐ らいし か 考 え ま せ ん え ま す。 そ う し た こ と は 普 通、 就 職 に 』 働 く の か とい う こ と を す ご く 考 からこそ、 『 誰のために 』 、 『 何のため と は、 な か な か 難 し い 状 況 で す。 だ 結 婚 し て、 妻 と 長、私が社長で、社員が何人かいます。 ろ が あ り ま す。い ま の 会 社 は 父 が 会 う に な り ま し た。 面 白 いの は、 何 か 同じ速さで走っていても、チャンスや タントの仕事っていうと、全然つなが か な か 実 家 に 帰 って 親 の 面 倒 を み る めに 』 (働くのか)ということを考え 6 先 を 走 って い る と、 ほ か の み ん な と 歩 経 験 をたく さん得ることができると りのない仕事だと言われます。ただ、 こ と が で き ず、 歯 が ゆ さ を 感 じ な が てもらえればいいのかなと思います」 、 いうこと。もし、何かやりたいと思っ 私の中では、一つの共通点を感じてい ら、働いていた時に、父親から「維持 を 始 め て 競 り 合 う と き に、 たなら、まずは動いて、やってほしい ます。それはすべて、 『やってみない ですね」 誘われ、いまの仕事に就いた。 管理の仕事を一緒にしてみないか」と です」 か』と誘われた仕事だったということ ました。参加者がリーダーとなって、 8 「 好 き な 道で 志 を 極 め 社 会 を 豊 かに する」 とを学びました」 「わー。オレどうしたらいいんだろう 80 背 中 を 押 し たのは、長 野 県 内のあ る水産関係者のひと言だった。 ていたので、相談せずにね」 時に、 『辞めよう』と思いました。家 しがみつくのか、ということを考えた 60 拓殖大学を卒業後に生命保険会社 に入社した。 年、 その会社でサラリー マン生活をした後、2005年 月に 49 3 東大や東北大を出た同僚に囲まれ 「三陸オーシャン」を立ち上げた。 5 50 17 2 5 8 特定非営利活動法人「ハーベスト」 恒常的なキャリア教育支援を推進しようと2007 年 3 月に現団体名で活動を開始、09 年 8 月に法人化した。代表理事は中山聖子氏。 団体では、せんだい・オータムセミナーのほか、県内の中・高校で「キャリアセミナー」などを開催しており、現在 900 人が市民講師しとして登録、5500 講座を 提供している。講師、キャリアセミナーに関する問い合わせは 022(395)4311または、[email protected]まで。ホームページは http://www.heartbest.net/ 9 2 30
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