省略の手掛りとその復元に関する推論からみる日本語の主題の省略

省略の手掛りとその復元に関する推論からみる日本語の主題の省略
について
―中国人日本語学習者と日本語母語話者との比較を中心に―
Topic ellipsis in Japanese from the Viewpoint of Inference:
The Comparison of Narrative between Japanese Learners of Chinese and Native Speakers
劉 澤軍
Zejun Liu
神戸大学大学院生,中国・天津外国語大学
Kobe University Graduate school, China・Tianjin Foreign Studies University
[email protected]
Abstract
The aim of this paper is to compare the topic ellipsis
of narration between Japanese learners of Chinese and
native speakers from the viewpoint of inference. In
order to compare the difference between learners and
native speakers, this paper collected data from oral
Japanese of Chinese learners and those of native
Japanese by employing oral-retelling the story chosen
from Little Cat, a story volume for children.
The results reveal that learners are different from
native speakers. They tend to use the inference much
more base on pragmatics implication and also to use
the more inference clue out of the sentence or the
context in topic ellipsis. Why the tendency is that the
learners depend on the context, the scene, or the status
rather than the sentence.
Keyword―Topic , Topic ellipsis, Inference, Clue
研究では省略された内容が前出の文においてすで
に存在している手掛り(言語的・言語外的)との関
連性を推論により,どのように理解するのかに焦
点を当てようとする.
日本語では話し言葉は書き言葉と比べて,前出
のものが瞬時に消えてしまうという特性をもつ.
それで,主題の省略を行う際,主題の省略に多く
の影響を与える言語的な手掛りが瞬時に消えてし
まうということになる.その手掛りが完全に消え
てしまうまでに,話し手は脳裏で僅かな時間で手
掛りについての情報を処理し,言語外的な要素を
加えながら,主題の省略を完成するのである.こ
のような脳裏での高度な処理作業は母語話者にと
ってはそれほど難しくないが,学習者にとっては
1. はじめに
日本語において主題の省略は頻繁に見られるも
のである.但し,話し手であれ,書き手であれ,
なぜ主題を省略したのか,どのような手掛り1によ
りどのような内容を省略したのかについては興味
深い問題となる.話し手や書き手は一般的にある
手掛りをもとにし,主題の省略を行っているが,
具体的に省略された主題とその手掛りとの関係を
どのように見ていくべきなのか,更に主題の省略
の場合に復元された内容とその手掛りとの関係を
推論の観点からどのように見ていくべきなのかに
ついてはまだはっきりしていない.そのため,本
かなりの難題と言わざるを得ない.実際に,この
難題は学習者にどのような影響を与えているのだ
ろうか.特に学習者によって行われた主題の省略
の手掛りと実際に省略された内容の復元との関係
について推論の観点から考察する場合,母語話者
と比べて,どのような違いが存在しているのだろ
うか.
本研究は以上の問題点から,主題の省略を行う
前に主題の省略の手掛りと実際に省略された内容
の復元との関係について推論の観点から分析・考
察し,更に中国人日本語学習者(以下は学習者とす
る)と日本語母語話者(以下は母語話者とする)に
おける主題の省略の使用実態を明らかにすること
1
ここでの「手掛り」は省略された主題が復元す
るまで参照できるものを指し,照応関係における
「先行詞」に近いものである.以下同様.
を目的とする.
2. 先行研究との関連及び本研究の対象
るべき要素は,言語的,或いは非言語的文脈から,
2.1 主題の省略と推論について
復元可能(recoverable)でなければならない」と述
主題の省略については,三上(1960)の「略題」
べられている.この原則から,省略の復元に関し
をはじめ,久野(1978)の主題の省略に関する視点
て,言語的な文脈と非言語的な文脈の存在の必要
制約の「自己同一視化」
,畠(1980)の主題の省略に
性が示されていると考えられる.このように,主
関する働き,甲斐(1995,1997,1999)の主題の省
題の省略の復元に関する言語的・非言語的文脈に
略に関する「リンク」などといった構文上の研究
ついては,山梨(1992)により「柔軟な情報処理」
は数多く存在している.省略の復元については,
と位置づけられた推論の観点からどのように扱う
堀口(1997)の「省略の復元のストラテジー」に関
べきなのだろうか.ここで,推論から主題の省略
する研究などが挙げられる.一方,推論に関して
を研究するにあたり,前述の山梨(1992)の推論に
は,山梨(1992:13)の「推論」についての説明か
ついての位置づけを参考にし,本研究での主題の
ら,
「推論は言葉の文字通の意味に関わる情報だけ
省略の分類について試みる.
でなく,その表現の前後関係に関わる文脈情報,
伝達の場面に関わる情報,更に論理的な推論や言
2.2 推論に関する主題の省略の分類
語外の知識を背景とする語用論的な推論によって
誘引される情報という多用な柔軟な情報処理を可
能とする重要な要因の一つである」というように
山梨(1992)では推論のタイプに関して,相対的
に次の三つの種類に分けられると述べている.
ア「意味的な含意に基づく推論」
まとめられる.更に山梨(1992)は「推論」を「意
基本的には文脈や言語外の知識があたえられ
味的な含意に基づく推論」
「文脈独立的な含意に基
なくても,問題の言語表現それ自体の意味的な
づく推論」
「語用論的な含意に基づく推論」という
性質による推論である.
三つのタイプに分けている.他に柴崎(2003:129)
イ「文脈独立的な含意に基づく推論」
は「物語における推論」について Grasser,Singer
次第に文脈から独立して誘引され,次第に意
&Trabasso(1994)の「照応関係」
「文法上の格」
「原
因を見出す」「主題」など 13 の分類を引用してい
味的な推論に近い傾向を示す推論である.
ウ「語用論的な含意に基づく推論」
る.高橋他(1989:358)は「あいまいさを含む時間
文脈や言語外の知識を背景として誘引される
概念の推論」を「ファジィ推論」「相対関係推論」
推論である.
「速度と距離との関連」に分けて述べている.
更に,アとウは一方の極であると位置づけられ,
主題の省略や推論についてそれぞれ研究されて
きているが,推論の観点から主題の省略を取り扱
イはアとウの中間段階にある文脈独立的な推論と
して相対的に位置づけられると述べている.
っている研究は筆者が知る限りで稀である.そこ
2.1 で主題の省略の復元と推論との関わりにつ
で,本研究は主題の省略と推論との関わりに焦点
いて述べたが,本節では省略された主題と省略に
を絞り,更に話し言葉を研究対象とし,学習者と
必要な手掛りとの関係を考慮しながら,筆者が推
母語話者における省略の使用実態を明らかにしよ
論の観点から主題の省略について次のように分類
うとする.
する.
前述でも述べたように山梨(1992)では「推論」
A
主題の省略 A 型(TE-A 型)
:意味的な含意に
を言語的な文脈(文字通の意味,表現の前後の文脈
基づく推論による主題の省略
など)や非言語的な文脈(場面,言語外的情報)に対
言語表現それ自体の意味という手掛りのみに基
する柔軟な情報処理の要因の一つとして扱われう
づく推論による主題の省略.
ると述べられている.また,省略(主題の省略を含
(1)しろちゃんは非常に悩んでいました.(φしろ
む)の原則としては,久野(1978:8)では「省略され
ちゃんは)死ぬほど悩んでいました.(出自を示
さない場合は筆者の作例である.以下同様)
による主題の省略である.
「しろちゃんは悩んでいました」→
「(φしろちゃんは)悩んでいました」
B
2.3 主題の省略の手掛りの内容について
主題の省略 B 型(TE-B 型):文脈独立的な含意
主題の省略において,その省略された内容(主
に基づく推論による主題の省略
題)を復元する場合,どのような主題が省略され
文脈から独立し,また意味的な推論による主題
たのかを決める手掛りを見つけ出さなければなら
の省略.
ない.しかし,手掛りはどのような性質をもって
(2)老人は病院で息が止まりました.(φ老人は)
いるのかが確定していないし,更に手掛りはすべ
あの世に行きました.
ての省略された部分の前にある文にそのまま顕在
「老人は息が止まりました」
しているものではない.よって,手掛りを見つけ
→「老人は死にました」
C
出す前に,その内容について検討しなければなら
→「(φ老人は)あの世に行きました」
ない.本節ではその主題の省略の手掛りの内容に
主題の省略 C 型(TE-C 型): 語用論的な含意
ついて検討し,次節では主題の省略の手掛りの在
に基づく推論による主題の省略
り方について検討する.
省略の復元の内容が直前の文と省略を行った文
主題は殆ど名詞句からなり,単語レベル3や節レ
の意味だけでは決められない,或いは複数の候補
ベル4のものであるが,省略された主題と呼応して
があり,文脈を含む言語外的な要素に基づく推論
いる省略の手掛りの内容については,必ずしも省
により,決められる主題の省略.
略された主題と同じようなレベルのものであると
(3)①その白い大きな猫はえっと白い子猫のおう
は限らない.前出の(1)では,省略された「φしろ
ちについたのでした.②えっとお母さん猫が出て
ちゃんは」と省略の手掛りとしての「しろちゃん
きて,「お帰りなさい,お父さん」と言いました.
は」とは同じ単語レベルのものであるが,次の(4)
③そこで(φ白い子猫は)その白い大きな猫がお父
のように異なる場合もある.
さんであるということに気付きました.(母語話者
(4)しろちゃんは何を見たでしょう.(φしろちゃ
2
の口頭データ )
んが見たのは)体がしろちゃんの何倍も大きく真
第一段階
っ白な猫でした.(学習者の口頭データ)
①から,
「その白い大きな猫は白い子猫
と何か関係がある」と分かる.
第二段階
第三段階
(4)では,省略された主題は前の「しろちゃんは」
②から,
「その白い大きな猫はお母さん
という単語レベルのものではなく,
「しろちゃんは
猫の子供のお父さんである」と分かる.
何を見たでしょう」という文全体を手掛りとして,
③で,①と②から分かったことに加え
「φしろちゃんが見たのは」という形を変えた内
て,更に「白い子猫はお母さん猫の子
容となっている.
供であるため,その白い大きな猫が自
以上をもって,主題の省略の手掛りの内容につ
分のお父さんであることに気づいた」
いて,言語内と言語外の要素を考慮しながら,そ
と推論できる.それで,省略された主
の内容の性質により,言語レベルと言語外レベル
題,つまり,省略の復元の内容は「(φ
に分けて,分析を行うことにしたのである.言語
白い子猫は)」と決められる.
レベルでは「単語レベル」
「節レベル」「文レベル」
③の「(φ白い子猫は)」は①②③の文の意味と
という下位分類を行い,言語外レベルでは「文脈
文脈及びそれ以外の言語外的な要素に基づく推論
レベル」
「場面・状況レベル」という下位分類を行
3
2
ここのデータは第三章で述べた調査方法で母語
話者と学習者に分けて収集してきた被調査者の口
頭データを指す.以下同様.
一つの名詞だけの場合.例えば,
「日本は」など.
一つの名詞だけではない場合.例えば,
「日本と
韓国は」
「嬉しいのは」「見たのは」
「好きなのは」
など.
4
った.単語レベルについては,
(1)(2)のように省
分と同じ白い体の猫を見て,嬉しくなりました」
略の手掛りは前出する単語としてそのまま現れる
のは誰かという主題と同じであるという文脈を考
場合を指す.同じく,節レベルについては,省略
慮せずに,
「しろちゃんは」という主題に決めるこ
の手掛りは前出する文の一節として現れる場合を
とができない.つまり,単語レベルの手掛りと文
指す.文レベルについては,(4)のように省略の手
脈レベルの手掛りを両方とも用いて推論してはじ
掛りは前出する文として現れる場合を指す.更に,
めて,省略された主題として「(φしろちゃんは)」
文を越え,語用論的な視点から観る言語外レベル
に復元できるのである.
に属する文脈レベルについては,(3)のように省略
の手掛りは文脈から読み取れる部分を指し,場
2.4 主題の省略の手掛りの在り方
面・状況レベルについては,省略の手掛りはその
主題の省略の手掛りがそのまま省略された主題
限られた場面・状況からしか読み取れない部分を
の前の文,或いは前の節で明確に提示されるのは
指す.例えば,
一般的であるが,そうでない場合もある.また,
(5)(テレビでワールドカップの日本とカメルーン
手掛りはすべて言語的な手掛りのみならず,言語
戦を見たあと)
外的な手掛りも含んでいる.言語的かどうか,明
(φ日本は)初戦勝ったよ,1 対 0 で勝ちました
確に提示されているかどうかにより,手掛りにつ
よ.
いて細分化してみると,明確に提示される場合,
(5)では話し手はそのサッカーの試合の状況や
部分的に提示される場合,暗示的に提示される場
テレビで試合を見た場面に基づいて,
「(φ日本は」
合と言語的にはまったく提示されていない場合と
という主題を省略したのである.省略された主題
いう 4 つの場合に分けられる.
の手掛りは前文に明確に存在していないが,その
時の状況や場面から読み取れるのである.
明確に提示される場合は前出の(1),(2)のよう
に,手掛りが明確に提示されるということから,
以上で,主題の省略の手掛りの内容について述
本研究ではそれを「明示的な手掛り」と呼ぶこと
べたが,その分類をまとめると,次のようになる.
にする.一方,(3),(5),(6)の文脈レベルの手掛
言語レベル:
I 単語レベル,II 節レベル,III 文レベル
言語外レベル:
IV 文脈レベル,V 場面・状況レベル
りの部分は直前の文では言語的な手掛りが提示さ
れておらず,言語外的な手掛りにより推論する場
合を「言語外的な手掛り」と呼ぶことにする.他
に,(4)では手掛りは明確に提示されていないが,
但し,一つの主題の省略は言語レベルに当たる
前出の文を手掛りとして,暗示的に提示されてい
場合もあれば,言語外レベルにも当たる場合もあ
る.このような場合を「暗示的な手掛り」と呼ぶ
る.つまり,言語レベルと言語外レベルの複合的
ことにする.最後に,主題の省略の手掛りは明確
なレベルの手掛りとなりうることがある.
に提示されていないが,その手掛りが部分的に提
(6)①しろちゃんは自分と同じ白い体の猫を見て,
示されている場合を「部分的な手掛り」と呼ぶこ
嬉しくなりました.②(φしろちゃんは)その大き
とにする.
な猫に,大きな白い猫についていきました.
(母語
(7)中からお母さん猫が出てきました.(φお母さ
話者の口頭データ)
ん猫は)子供たちに言いました.
(6)では①の手掛りとしての「しろちゃんは」に
(7)では省略された主題の手掛りは前出の「お母
よる②の「(φしろちゃんは)」の省略であるが,
さん猫」である.この場合,
「お母さん猫」と省略
一見したところ,ただ単語レベルの主題の省略の
された「(φお母さん猫は)」は内容的には完全に
手掛りのようだが,実際は,②の「大きな猫につ
一致していないが,その大部分が明確に提示され
いていきました」のは誰かという主題は①の「自
ている.
以上の主題の省略の手掛りの在り方については,
表1
学習者と母語話者の主題の省略の使用数
次のようにまとめられる.
①明示的な手掛り:省略された主題と同じ場合.
②部分的な手掛り:省略された主題の大部分
と同じ場合.
③暗示的な手掛り:形式の変換により省略された
主題と同じ場合.
④言語外的な手掛り:言語的な手掛りではなく,
次に,学習者と母語話者の主題の省略の分類別
について比べたところ,次の結果が得られた.
表2
学習者と母語話者における主題の省略の分
言語外的な手掛り.
類別の比較
①から③までは言語的な手掛りで,④は言語外
的な手掛りである.一つの主題の省略の場合でも
言語的な手掛りと言語外的な手掛りは同時に現れ
る可能性がある.
以上の表 1 と表 2 から主題の省略の使用数につ
3. 調査と分析方法
いて全体的に見ると,学習者は 94 回,母語話者は
本研究は推論に関する主題の省略の分類,手掛
74 回であり,相互の有意差が見られなかった
りの内容,手掛りの在り方という三つの項目から,
(t(38)=1.48,n.s.).分類別に比べた場合,TE-A
主題の省略の手掛りと省略された主題の復元との
型と TE-B 型については学習者と母語話者の間に
関わりを明らかにしようとする.そのために,学
有意差が見られないが,TE-C 型については学習者
習者(日本語能力試験 1 級)と母語話者のそれぞれ
と母語話者の間に有意差が見られた(t(38)=2.69,
20 名を被調査者として,13 頁の『しろねこしろち
p<0.05).以上の結果を踏まえて,具体的には次の
ゃん』というタスクを与え,オーラルナレーショ
4 点にまとめることができる.
ン(口頭物語再構築法)という手法を用いて,調査
1)主題の省略を使用するかしないかについて,学
データを収集する.
収集したデータを学習者と母語話者別に文字化
し,そのデータから見つけ出した主題の省略の例
を日本人母語話者 2 人に確認してもらい,統計作
習者と母語話者はかなり近い傾向を示している.
2)学習者と母語話者は TE-A 型と TE-B 型の使用数
について,似たような傾向を示している.
3)TE-C 型の使用数については,学習者は母語話者
業を行うことにする.更に,主題の省略の分類,
より多く用いていると言える.
手掛りの内容と在り方について,筆者以外の 2 人
4)学習者の場合,TE-C 型は TE-A 型や TE-B 型より
にも確認してもらう.その統計によって,学習者
多く使用している.一方,母語話者の場合,TE-C
と母語話者の主題の省略に関する共通点と相違点
型は TE-A 型や TE-B 型より多く使用していると
について分析・考察する.
は言えない.
主題の省略を選択するかしないかについて,学
4. 調査結果と考察
4.1 主題の省略の分類
習者と母語話者との差異がそれほど目立たないの
は学習者の日本語の主題の省略に対する認識や習
主題の省略の分類について,2.2 で述べたよう
得などが進んでいるからだと言えるだろう.しか
に「主題の省略 A 型(TE-A 型)」
「主題の省略 B 型
し,主題の省略の使用が適切であるかどうかを知
(TE-B 型)」
「主題の省略 C 型(TE-C 型)」に分類さ
らない限り,学習者の習得状況がどこまで上達し
れる.その分類に従って,学習者と母語話者別に
ているのかについてはまだ明言できない.また,
それぞれ統計した結果は次の表 1 である.
学習者は母語話者よりも,TE-C 型を多用している.
更に,三つの分類の中で,TE-C 型も最も用いてい
そも「名詞句+は」の場合が多いため,学習者で
る.なぜなら,学習者は母語話者と比べて,文と
あれ,母語話者であれ,単語レベルの手掛りの内
文との関係への理解が不足しているため,主題の
容が最も多くなったのである.更に,手掛りの内
省略を行う場合,直接,文と文とのつながり(意味
容として単語レベルだけでなく,文脈的な要素も
的な含意及び文脈独立的な含意)に基づいて推論
考慮しながら行った主題の省略が少なくない.こ
するよりも,文外(語用論的な含意)の要素を用い
れは学習者と母語話者が共に単語や文だけの意味
た推論をよく利用しているからである.このこと
を越えた文外の要素に基づいて推論していると考
から学習者によって産出された文を理解する際,
えられる.但し,IV 文脈レベル及び I+IV の複合
読み手や聞き手としては多くの文脈や場面・状況
的なレベルについては,学習者は母語話者より高
などの言語外的な要素を加えながら理解した方が
い数値を示している.これは 4.1 ですでに述べた
いいということが分かる.
ように,学習者が主題の省略を行う場合は,文脈
レベルの手掛りへの依存度が母語話者より高いこ
4.2 主題の省略の手掛りの内容
2.3 で主題の省略の手掛りの内容について次の
とと関わっていると考えられる.その結果として
は,学習者が行った主題の省略の中で,文脈レベ
ようにまとめている.
ルや文脈レベルを含む複合的なレベルの使用が多
言語レベル:
く観察できるのである.
I 単語レベル,II 節レベル,III 文レベル
言語外レベル:
IV 文脈レベル,V 場面・状況レベル
学習者と母語話者は主題の省略の手掛りの内容
4.3 主題の省略の手掛りの在り方
2.4 で主題の省略の手掛りの在り方について次
のようにまとめている.
について,どのようなレベル的な違いをもってい
言語的な手掛り:
るのだろうか.本節ではその違いを明らかにしよ
①明示的な手掛り:省略された主題と同じ場合.
うとする.学習者と母語話者との主題の省略にお
②部分的な手掛り:省略された主題の大部分と同
ける手掛りの内容についての統計結果は次の図 1
じ場合.
である(データの中で実際に現れているものだけ
③暗示的な手掛り:形式の変換により省略された
を示す).
主題と同じ場合.
言語外的な手掛り:
④言語外的な手掛り:言語的な手掛りではなく,
言語外的な手掛り.
一つの主題の省略の場合でも言語的な手掛りと
言語外的な手掛りが同時に現れる可能性がある.
本節では学習者と母語話者は主題の省略の手掛
りの在り方についてどのような共通点と相違点を
もっているのかを分析・考察する.学習者と母語
話者のデータをそれぞれ整理し,次の図 2 のよう
図 1 から,全体的には各レベルの分布について
見ると,学習者と母語話者は IV と I+IV 以外のレ
ベルでは殆ど近い数値を示している.更に,学習
者は母語話者と比べて,II+IV 以外のレベルで主
題の省略を使用している.省略された主題はそも
な結果が得られた.
これは学習者が文と文とのつながり,文そのもの
の意味などへの理解が不足していることに関わっ
ていることが明らかになったと言える.また,こ
のことは学習者によって産出された文が理解しづ
らい原因の一つになっているとも言える.
学習者が一人でより長い時間をかけて,物語を
再構築する場合は,数多くの要素からの影響をう
まく排除できなければ,主題の省略の回避を行っ
たり,過剰に使用したりする可能性が高い.その
図 2 から,学習者の場合は,言語的な手掛りが
不適切な使用を少なくするためには,学習者にと
多いが,言語外的な手掛りや複合的な手掛りも少
って主題の省略の手掛りの構築及びその手掛りに
なくない.母語話者の場合は,言語的な手掛りが
よる推論が重要である.但し,学習者は文に対す
最も多く,次が複合的な手掛りで,言語外的な手
る自然な理解がないため,文と文のつながりにつ
掛りがそれほど多くない.学習者は母語話者と比
いての理解不足などにより,主題の省略を行う場
べると,④と②+④の使用が大幅に母語話者を上
合,自分が想像したもの,その文外に存在してい
回っている.それは学習者は文脈を含む文外或い
るものを手掛りにしている場合が多い.学習者は
は言語外的な手掛りに基づいて推論しているため,
その場でその状況でしか理解できない文,数多く
主題の省略を行った場合,その手掛りの在り方は
の情報を補充しなければ理解できない文が産出さ
言語外的な手掛りとなりやすいからである.
れやすくなってしまうのである.そういう意味で
は,学習者が主題を省略する場合には,言語的で,
4.4 結論と分析
ここまで推論の観点から主題の省略の分類,主
題の省略の手掛りの内容及び手掛りの在り方につ
より明示的な手掛りの構築とその言語的な手掛り
を活かすことについての理解と意識を高める必要
があると考えられる.
いて述べてきたが,その結果としては次の 3 点に
まとめることができると考えられる.
5. まとめと今後の課題
(1)主題の省略の分類について,学習者は母語話
今回の調査では,学習者と母語話者を比べるこ
者より言語内的な推論ではなく,言語外的な
とにより,推論の観点から学習者における主題の
含意に基づく推論による主題の省略を多く用
省略の使用実態についての状況を明らかにした.
いている.
但し,量的に主題の省略の分類,主題の省略の手
(2)主題の省略の手掛りの内容について,学習者
掛りの内容と手掛りの在り方について学習者と母
は母語話者より,他のレベルと比べて,文脈
語話者との違いを分析・考察したが,質的な考察・
レベル及び文脈レベルを含む言語外レベルの
分析を行っていない.更に,調査手段や方法の適
手掛りの多用が目立っている.
切性については今回の調査では触れなかった.更
(3)主題の省略の手掛りの在り方について,学習
に,学習者の言語外的な手掛りによって推論し,
者は母語話者と比べて,言語的な手掛りより
文を産出するような傾向に対して,今後どう改善
も言語外的な手掛りを多用していることが見
すべきなのかについてはまた検討の余地がある.
られる.
以上の諸問題は今後の課題とする.
以上の結果から,学習者は物語について再構築
する場合,母語話者と比べて言語外的,文外レベ
参考文献
ルの手掛りへの依存度が高いことが示されている.
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