埼玉県三郷市の沖積層から産出した貝形虫化石 - 日本大学文理学部

日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要
No.44(2009)pp.149 - 157
埼玉県三郷市の沖積層から産出した貝形虫化石群集を
指標とする古環境変遷
堀越 英之*・中尾 有利子**・遠藤 邦彦**
Paleoenvironmental Changes Based on Ostracode Fossil Assemblages from the Latest
Holocene Deposits in Misato City, Saitama Prefecture (Central Japan)
Hideyuki HORIKOSHI *, Yuriko NAKAO ** and Kunihiko ENDO **
(Received October 31, 2008)
The MS-N4 boring core was drilled in Misato City, Saitama Prefecture, central Japan. Twenty-seven samples were
analyzed and 24 ostracode species belonging to 16 genera were identified from 14 samples. Six biofacies were recognized
on the basis of ostracode fauna Radiocarbon ages of shells and plants obtained from the samples were also determined.
The vertical change of depositional environments at the study site, was interpreted as follows: 1) inner bay environment where oyster reef began to grow (ca. 8,920 cal. yrBP); 2) gradual change to middle bay environment and maturation
of oyster reef (ca. 8,920-7,740 cal. yrBP); 3) extinction of oyster reef (ca. 7,700 cal. yrBP); 4) temporary shift to inner bay
environment, 5) middle bay environment one again, 6) subsequent change to more shallow environment. The study site
became terrestrial environment after 3,600 cal. yrBP.
Keywords: ostracode, Nakagawa Lowland, paleoenvironment, incised-valley fill, sea-level change
本論で扱う貝形虫類(Ostracoda)はオルドビス紀から
1 はじめに
出現し,多くは体長 0.5mm ほどの微小な甲殻類であり,
沖積層は更新世末期から完新世にかけての海進‐海退
石灰質からなる発達した二枚の殻(背甲)で,キチン質
のサイクルに伴って内湾域となった溺れ谷や湾を埋積し
軟体部が保護されている。この殻は死後も堆積物中に保
た堆積物で構成される。関東平野では縄文海進の最盛期
存されることが多く,地層中から化石として産出する。
には栃木県南部にまで海岸線が達し,奥東京湾と呼ばれ
貝形虫は世界中の淡水~海水に至るあらゆる環境の水域
る内湾を形成していた。しかし沖積層のほとんどは露頭
に生息しており,また特定の種が特定の環境に各々適応
として直接観察することができないため,その研究は
して分布していることから,古環境を推定するうえで有
ボーリングコアデータに基づき行われてきた(例:遠藤
効な微化石のひとつである。特に沖積層から産出する貝
ほか,1983,1992;石原ほか,2004;中島ほか,2006)。
形虫化石群集は大部分が現生種で構成されており,特に
これまで奥東京湾の沖積層の研究では生物化石を指標と
内湾域の貝形虫類の分布や生息環境の調査は,現世にお
した古環境の解析が多く行われており,珪藻,有孔虫,
いて多数行われているため,いくつかの研究はそのまま
貝 が用 いら れて き た(例: 小杉,1992; 黒澤・ 小 杉,
地層堆積時の環境解析や環境復元に応用できる。
1996;関本,1992;中島ほか,2006)。一方,貝形虫を用
埼玉県の東縁部に位置し,三郷市が含まれる中川低地
いた研究は少なく(例:池谷ほか,1987;塚越ほか,
にも縄文海進時に堆積した沖積層が分布しており,その
1994),特に本研究の調査地である中川低地では,中尾
堆積環境について多くの研究が行われてきた。本研究で
ほか(2008)によるものに限られる。
は三郷市北部で掘削された沖積層ボーリングコア
*
**
静岡大学大学院理工学研究科:
〒 422-8539 静岡市駿河区大谷 836
日本大学文理学部地球システム科学科:
〒 160-0023 世田谷区桜上水 3-25-40
*
**
─ 149 ─
Institute of Geosciences, Faculity of Science, Shizuoka University : Oya
836, Suruga-ku, Shizuoka 422-8529 Japan
Depar tment of Geosystem Sciences, College of Humanities and
Sciences, Nihon University: 3-25-40, Sakurajousui, Setagaya-ku, Tokyo
156-8550 Japan
( 87 )
堀越 英之・中尾 有利子・遠藤 邦彦
(MS-N4)から産出した貝形虫化石群集の垂直変化に基
をすべて拾い出した。化石として保存される貝形虫類の
づき,縄文海進期の奥東京湾の拡大に伴う三郷市の古環
背甲は二枚の殻から成るが,本研究では合弁個体も離弁
境の変遷を復元する。
した片殻の個体もそれぞれ 1 個体としてカウントした。
殻の破片やサイズが極端に小さいため同定できなかった
2 試料と方法
個体は除外した。
本研究で分析を行ったボーリングコア(MS-N4)は埼
また,コア深度 33m,31m,28m,26m,22m,21m,
玉県三郷市北部に位置する(図 1)。掘削地点の標高は
20m,15m の堆積物中に含まれる貝化石,植物片につい
3.9m,コアの全長は 52.0m である。ボーリングコアは層
て株式会社パレオ・ラボで加速器質量分析法(AMS 法)
相によって,下位から砂礫層(コア深度 52.0-46.0m),
による放射性炭素年代測定を行った。
砂層(同 46.0-43.0m),シルト層(同 43.0-38.0m)砂層(同
38.0-37.0m),貝混じりシルト層(同 37.0-34.0m),貝密
3 堆積曲線
集層(同 34.0-26.0m),シルト層(同 26.0-23.0m)
,貝ま
加速器質量分析法(AMS 法)による放射性炭素年代測
じり砂層(同 23.0-20.5m)
,貝まじりシルト層(同 20.5-
定の結果を表 1 に示す。採取されたボーリングコアの深
13.0m),下部に貝を伴う砂層(同 13.0-6.0m)
,盛土(同
度と,放射性炭素年代測定より得られた暦年較正年代値
6.0-0m)に大別される(図 2)。コア深度 34-26m の貝密
に基づき堆積曲線を描いた(図 3)
。堆積曲線の傾きは堆
集層はマガキの化石礁で,化石の間はシルトで埋められ
積速度を近似しており,また放射性炭素年代が得られて
ている。また,コア深度 22.7-13m には微小二枚貝が大
いない任意の層準についても,その深度から年代を推測
量に含まれている。
す る こ と が で き る。 堆 積 曲 線 よ り, お よ そ 8,920 cal.
コア深度 6.0-52.0m を 1 m 単位で切断・小分け保存さ
れたコア全 47 試料中 27 サンプルを湿潤重量 80 g を目安
に秤量し,250 メッシュ(0.063mm)の篩を用いて洗浄し
た。篩上に残った堆積物を乾燥させ,四塩化炭素を用い
て浮選し,浮選した試料から実体顕微鏡下で貝形虫化石
越谷市
-50
コア採取地点
古
中
川
草加市
-60
50’
35°
三郷
古
古荒川
東
京
川
隅田川
-70
40’
35°
旧江戸川
139°
40’
139°
50’
140°
00’
図 1 MS-N4 コア掘削位置.沖積層基底面図は遠藤ほか(1988)より引用
( 88 )
─ 150 ─
図 2 MS-N4 コア柱状図と分析層準および貝形虫化石産出層準
埼玉県三郷市の沖積層から産出した貝形虫化石群集を指標とする古環境変遷
yrBP ~ 7,700 cal. yrBP の間,すなわち後述する化石相
などの理由が考えられる。この年代のギャップを挟んで
Ⅰから化石相Ⅴまでがほぼ連続して堆積していると考え
4,000 cal. yrBP から 3,600 cal. yrBP の間,すなわち化石
られる。堆積曲線の傾きを見ると化石相ⅠからⅢでは比
相Ⅵの中部からその上位(コア深度 20-15m)では再び連
較的堆積速度が遅く,堆積相Ⅲよりも後からⅤにかけて
続して堆積したと考えられる。
は堆積速度が速かったと考えられる。ただし,コア深度
22m の年代値 7,700 cal. yrBP は直上のコア深度 21m の年
4 貝形虫化石群集の結果
代値 4,000 cal. yrBP と大きな差がある。コア深度 22m と
分析された 27 試料のうち 14 試料から貝形虫化石が産
21m は連続した砂層であり,この二つの地点の年代値に
出し,16 属 24 種が同定された(表 2 ,3)
。貝形虫化石が
大きな差を出すような違いはみられない。コア深度 22m
産出したのはコア深度 33-25m ,23-20m の範囲に限ら
の年代測定に用いたサンプルが下位層に由来する貝の再
れた。コア深度 33-20m の試料に上位から順に 1 から 14
移動による可能性,あるいは,7,700 cal. yrBP から 4,000
の番号を付けた。
cal. yrBP の間に侵食が起こったか無堆積期間であったか
貝形虫化石が産出した試料はその優占種に着目する
表 1 放射性炭素年代測定及び暦年較正の結果
14
14
測定番号
試料データ
C 年代
(yrBP±1σ)
C 年代を暦年代に
較正した年代範囲
PLD-10949
深度15m
試料の種類:植物片
3355±20
1682BC
(68.2%)1624BC
PLD-10950
深度20m
試料の種類:貝
(海洋性)
3815±20
1861BC
(68.2%)1769BC
PLD-10951
深度21m
試料の種類:貝
(海洋性)
4010±20
6375BC
(68.2%)6280BC
PLD-10952
深度22m
試料の種類:貝
(海洋性)
7240±25
5787BC
(68.2%)5714BC
PLD-8411
深度26m
試料の種類:カキ
7280±20
5830BC
(68.2%)5745BC
PLD-8412
深度28m
試料の種類:カキ
7805±25
6375BC
(68.2%)6280BC
PLD-8413
深度31m
試料の種類:カキ
8035±20
6580BC
(68.2%)6495BC
PLD-8414
深度33m
試料の種類:カキ
8320±20
7030BC
(68.2%)6910BC
表 2 貝形虫産出試料リスト
試料番号
深度(m)
試料100 g 換算の産出個体数
個体数
種数
1
20
116
70
9
2
21
22
17
9
3
22
61
23
9
4
23
61
28
7
5
24
0
0
0
6
25
3
1
1
7
26
503
254
13
8
27
158
94
11
9
28
53
19
8
10
29
71
28
9
11
30
45
19
9
12
31
139
84
10
13
32
11
9
3
14
33
30
13
5
─ 151 ─
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堀越 英之・中尾 有利子・遠藤 邦彦
表 3 貝形虫化石産出リスト
Species name
Sample number
Amphileberis nipponica
Aurila corniculata
Aurila cymba
Aurila disparata
Aurila tosaensis
Aurila sp.
Bicornucythere bisanensis
Buntonia hanaii
Cornucoquimba tosaensis
Cytheromorpha acupunctata
Hanaiborchella triangularis
Hemicytherura cuneata
Loxoconcha uranouchiensis
Loxoconcha tosaensis
Munseyella japonica
Neocytheretta sp.
Nipponocythere bicarinata
Pistocythereis bradyformis
Pistocythereis bradyi
Pontocythere miurensis
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
1
21
54
6
1
1
11
12
13
14
1
1
7
1
3
1
1
2
27
7
6
3
3
46
10
7
9
1
2
1
5
16
2
3
19
1
4
3
6
2
7
18
1
2
1
22
6
1
88
37
7
2
2
6
2
6
1
3
3
6
3
3
1
5
23
28
254
6
3
3
1
4
2
4
1
1
10
2
4
2
7
1
1
2
1
4
2
1
1
3
2
1
1
2
6
Pontocythere subjaponica
Pontocythere sp.
Spinileberis quadriaculeata
Trachyleberis sp.
13
6
Number of Specimens
70
1
2
17
1
1
1
3
4
2
11
2
3
6
7
94
19
28
19
84
1
1
9
13
と,6 つのグループ(化石相Ⅰ~Ⅵ)に分けられた(図 4)。
分 20-30 の汽水域に最も良く適応している(池谷・塩崎,
以下にそれぞれの化石相の特徴とそれぞれに基づいて推
1993)。L. uranouchiensis は内湾の砂底の 10m よりも浅い
定される堆積環境について述べる。図 5 に産出した主要
ところに多く生息している(Flydl,1982)
。M. japonica
貝形虫化石の電子顕微鏡写真を示す。
は砂質底の海岸や波打ち際からの報告があり(Hanai,
1957),山根(1998)によると,水深 10.4-36.0m の砂底
化石相Ⅰ
およびシルト質砂底からの殻の産出も報告されている。
試料 14,13,12(コア深度 33m,32m,31m)の 3 試料
下部から中部には産出個体数は少ないものの,内湾奥
からなる。また,この範囲はマガキ化石の密集層である。
部の汽水域に生息する種が安定的して産出する。上部で
化石相Ⅰでは全体を通して Cytheromorpha acupunctata
はその頻度が減少し,かわりに内湾中央部の泥底に生息
が優占的に産出する(26.2-66.8%)
。下部(試料 14)で
する種の頻度が増した。このことから化石相Ⅰは淡水の
は,Bicornucythere bisanensis(30.8 %)が続き,その他
流れ込む内湾奥部の砂泥底であったと考えられ,そのよ
Munseyella japonica, Pontocythere miurensis, Spinileberis
うな場所にマガキの礁が形成されていったと考えられ
quadriaculeata(7.7%)が産出した。中部(試料 13)では,
る。
Loxoconcha uranouchiensis( 22.2%)
,M. japonica(11.1%)
が続いて産出する。上部(試料12)ではB. bisanensis( 21.4
化石相Ⅱ
%)が続き,M. japonica, Trachyleberis sp.(各 8.3%)が産
出した。
試料 11,10,9(コア深度 30m,29m,28m)の 3 試料か
らなる。この範囲はマガキ化石の密集層である。化石相
C. acupunctata は内湾域における特徴的な種のひとつ
Ⅱでは全体を通して B. bisanensis が産出し,化石相Ⅰで
であり,内湾奥部の水深 2 m 前後の砂質泥底,27-29 の
優占的であった C. acupunctata は試料 9 からのみ産出し
塩分に最も良く適応して生息していることが報告されて
た。下部(試料 11)では Aurila cymba が優占(21.1%)し,
いる(池谷・塩崎,1993)
。また B. bisanensis も同様に内
B. bisanensis, M. japonica, S. quadriaculeata, Pistocythere
湾域に特徴的な種で,内湾中央部の水深 2-16m の泥底
bradyi が続く(各 10.5%)。中部(試料 10)では Trachyle-
に生息していることが報告されており,水深 5-9 m で塩
beris sp. が優占し(39.3%),B. bisanensis(21.4%)がそ
( 90 )
─ 152 ─
埼玉県三郷市の沖積層から産出した貝形虫化石群集を指標とする古環境変遷
図 3 MS-N4 コア柱状図と堆積曲線
図 4 MS-N4 コア柱状図と主要貝形虫化石種の百分率
凡例の貝形虫生息環境は,Munseyella japonica は山根(1998)を参考にし,その他の種は入月ほか(1998)を参考にした
─ 153 ─
( 91 )
堀越 英之・中尾 有利子・遠藤 邦彦
図 5 MS-N4 コアから産出した主要な貝形虫化石の電子顕微鏡写真
スケールはそれぞれ 100μm を示す.写真はすべて側方向より撮影.RV:右殻.LV:左殻
1:Amphileberis nipponica (Yajima), LV. 2:Aurila cymba (Brady), juvenile RV. 3:Bicornucythere bisanensis (Okubo), LV. 4:Cornucoquimba
tosaensis (Ishizaki), LV. 5:Cytheromorpha acupunctata (Brady), RV. 6:Hanaiborchella triangularis (Hanai), LV. 7:Loxoconcha uranouchiensis
Ishizaki, LV. 8:Munseyella japonica (Hanai), RV. 9:Pontocythere miurensis (Hanai), RV. 10:Pontocythere subjaponica (Hanai), RV. 11:
Pistocythereis bradyi (Ishizaki), RV. 12:Spinileberis quadriaculeata (Brady), LV. 13:Trachyleberis sp., RV.
( 92 )
─ 154 ─
埼玉県三郷市の沖積層から産出した貝形虫化石群集を指標とする古環境変遷
れに続く。上部(試料 9)では Trachyleberis sp., M. japon-
に生息する(入月ほか,1998)。L. uranouchiensis は湾沿
ica(各 21.1%)が優占となっており,S. quadriaculeata,
岸の砂底に生息する種である。このことから化石相Ⅳで
B. bisanensis が続く(各 15.8%)
。
は化石相Ⅲと比べると水深は浅くなり,湾奥部の環境に
化石相Ⅱでは化石相Ⅰと比べ,C. acupunctata のよう
なったと考えられる。
な内湾の砂質泥底の汽水域に生息する種の産出量が相対
的に減少し,内湾の泥底に生息する種(B. bisanensis)の
化石相Ⅴ
産出頻度が増加した。また中部(試料 10)では湾口に生
試料 3(コア深度 22m)からなる。化石相Ⅴでは B.
息する Trachyleberis sp. が産出した。これらのことから,
bisanennsis,Trachyleberis sp. が優占している(それぞれ
化石相ⅡはⅠと比較して水深が増加したと考えられる。
26.1%)
。S. quadriacureata(13.0%)がそれに続き,A. to-
また,カキ礁の発達が見られることから,水深の増加に
saensis(8.8%),P. miurensis(8.7%)となる。化石相Ⅴは
伴い,カキ礁が成長し続けたと考えられる。
化石相Ⅳと比べ内湾中央部に生息する B. bisanensis の産
出頻度が増加し,湾口部に生息している Trachyleberis
sp. の産出頻度が高いことから,化石相Ⅳと比べ水深は
化石相Ⅲ
試料 8 ,7(コア深度 27m,26m)の 2 試料からなる。ま
た,コア深度 26m はマガキ化石の密集層の最上部であ
深くなり,内湾中央部の泥底環境であったと考えられ
る。
る。化石相Ⅲでは M. japonica が優占し(34.7-39.4%)
,
Aurila tosaensis(17.0-21.3%)
,Cornucoquimba tosaensis
化石相Ⅵ
(18.1-20.2%)が続く。C. tosaensis は水深 10.4-36.0m の
試料 2 ,1(コア深度 21m,20m)の 2 試料からなる。化
砂底およびシルト質砂底からも殻が産出している(山
石相Ⅵでは B. bisanensis が優占している(41.2-38.6%)。
根,1998)。一方 A. tosaensis は水深 1-3 m 潮間帯の藻場
下部(試料 2)では B. bisanensis に続き,P. bradyi の産出
に生息する。従って化石相Ⅲは生息場所の異なる種が優
頻度が高い(11.8%)
。P. bradyi は B. bisanensis 同様に内
占種として産出する混合群集であるといえる。このよう
湾中央部の泥底に生息する種である。上部(試料 1)で
な群集から水深の推定を行うのは難しいが,得られた年
は B. bisanensis に続き S. quadriaculeata の産出頻度が高
代が縄文海進最盛期に近いこと,成長し続けてきたカキ
い(18.6%)
。
礁が試料 7 の上部で突然なくなることから,水深が増加
化石相Ⅵは化石相Ⅴと比べ,内湾中央部の泥底に生息
した結果,カキの成長が追いつかなくなり,死滅しつつ
す る B. bisanensis の 産 出 頻 度 が 増 加 し て い る が,Tra-
あるカキ礁の間を埋めるように,異地性の混合群集が堆
chyleberis sp.の産出量が相対的に減少していることから,
積したと考えられる。また,一般に Aurila 属は殻が厚く
化石相Ⅴと同様内湾中央部の泥底環境であったが,上部
頑丈であるため遠方まで流されやすい。例えば山根
へいくにつれて水深は浅くなったと考えられる。
(1998)は A. tosaensis の遺骸が水深 15.5-36.0m のシルト
質砂底および砂底から産出したと報告している。このこ
5 復元された古環境の変遷
とから Aurila 属の生息環境となるような藻場が付近にあ
本研究で用いたボーリングコア中から産出した貝形虫
り,産出した A. tosaensis は死後に運搬されてきた可能
化石群集に基づき,古環境の変遷について考察する(図
性が高い。このことは,化石相Ⅲが混合群集であり,カ
4 参照)。コア深度 34m から最深部 52m までは貝形虫化
キの間を埋めるように堆積したことを支持する。 石は産出しなかった。しかしながら,コア深度 37m で
試料 6(コア深度 25m)では M. japonica が 1 個体のみ
は海生貝化石が産出することから,この頃にはすでに海
産出したため,化石相には含めなかった。また試料 5(コ
が入り込んでいたと考えられる。コア深度 33,32,31m
ア深度 24m)は貝形虫化石は産出しなかった。
は化石相Ⅰに区別される。また,この範囲はマガキ化石
の密集層下部である。試料 14(コア深度 33m)はマガキ
化石の密集層の最下部であり,年代は 8,920 cal. yrBP で
化石相Ⅳ
試料 4(コア深度 23.m)からなる。化石相Ⅲで優占し
あった。マガキ類は現生種も化石種も内湾汽水域の砂泥
た M. japonica が産出しなくなる。C. acupunctata が優占
底が主要な生息域であり,内湾の干潟に大きなカキ礁を
(25.0 %) し,P. miurensis(21.4 %)
,L. uranouchiensis
形成し密集して生活している(鎮西,1982)。このことか
(17.9%)がこれに続く。P. miurensis は湾口が広く,沿岸
ら,8,920 cal. yrBP 頃に調査地点でカキ礁が形成され始
流が湾奥にまで入り込む水深の浅い(10m 以浅)の砂底
めたと考えられる。マガキの着床は潮間帯の下部で起こ
─ 155 ─
( 93 )
堀越 英之・中尾 有利子・遠藤 邦彦
ることが多い(鎮西,1982)ため,このころは潮間帯下
は貝形虫化石は産出しなかった。
中尾ほか(2008)では本調査域より北西へ約 1 km の地
部であったと考えられ,産出した貝形虫化石群集組成と
も矛盾しない。コア深度 30,29,28m は化石相Ⅱであり,
点で掘削されたボーリングコアから産出した貝形虫化石
産出した貝形虫化石の群集組成から,化石相Ⅱよりも水
を報告している。それによれば,三郷市の古環境の変遷
深の深い環境であったと推定される。上部で M. japonica
について,海進により湾央部の環境を経て,湾口部のよ
の産出が増加することから,上部へ向けて水深が増して
うな外洋の影響を受けるような場所へと変化した後に,
いったと考えられる。また,この範囲もマガキ化石の密
海水準が低下し浅海化が進み,干潟の環境になった後,
集層にあたる。マガキ類は成体のカキの上に次の世代が
淡水環境へと変化し徐々に陸化していったと解釈してい
着床して成長し,次々と積み重なっていくリレー戦略と
る。本研究では,湾中央部の環境を示す化石相Ⅵの産出
いう方法で礁を形成していく(鎮西,1982)ことから,
の後,貝形虫化石は産出しなくなり,徐々に陸化した様
水深の増加に伴いマガキが礁を形成し,化石礁として保
子を貝形虫化石に基づいて示すことができなかった。し
存されたと考えられる。コア深度 27,26m は化石相Ⅲに
かしながら,化石相Ⅵが産出した層よりも上位の層準か
区分される。コア深度 26m はマガキ密集層の最上部で
ら海生の貝化石が産出していることから,本調査域にお
あり,年代は 7,740 cal. yrBP を示す。化石相Ⅲは混合群
いて急激に陸化が進んだわけではなかったと推定でき
集であり,直接的に水深を推定するのは難しいが,マガ
る。貝形虫化石が産出しない理由としては,地下水など
キ礁の存在に基づくと,水深の増加に伴ってマガキ礁が
の影響によって石灰質からなる殻が溶けてしまった可能
形成され続けていたと考えられる。そして,形成された
性が考えられる。
カキ礁に堆積物が掃き寄せられ,マガキの間を埋めるよ
うに堆積し,混合群集が形成されたと考えられる。コア
6 まとめ
深度 24m からは貝形虫化石は産出しなかった。また,
三郷市で掘削されたボーリングコアから産出した貝形
マガキ化石もまったく産出していない。鎮西(1982)に
虫化石について報告された。その群集組成の垂直変化,
よると,マガキが死滅するのは,堆積物の増加に伴う急
堆積物の観察,産出した貝化石に基づいて,同地域にお
速な埋没がもっとも一般的な原因とされている。年代測
ける縄文海進時の奥東京湾の拡大に伴う環境の変化が明
定結果から描かれた堆積曲線に基づくと,このころは堆
らかにされた。特に貝形虫化石群集は 6 つの化石相が認
積速度が速かったと見積もられる。また,この層からは
識された。それらに基づくと 8,920 cal. yrBP 頃はカキが
植物片が産出することからも,陸上からの堆積物供給量
生息できるような内湾の砂泥底であった。7,740 cal. yrBP
が多くなりマガキが死滅したと推定される。貝形虫化石
頃まで水深は増加し,それに伴いカキ礁が形成された。
が産出しない原因は陸上からの堆積物の増加との関連が
縄文海進最盛期頃にカキ礁が死滅し,その後水深が浅く
考えられるが,現時点のデータでは原因を推測すること
なり,3,600 cal. yrBP よりも後に陸化したことが明らか
は難しい。コア深度 23m は化石相Ⅳに区分され,湾奥
にされた。また,カキ礁が形成される際の水深の増加を,
部の環境であったと推定される。コア深度 22m は化石
貝形虫化石に基づいて説明することができた。
相Ⅴに区分され,湾中央部の泥底環境であったと考えら
れる。年代は 7,700 cal. yrBP であり,この頃,内湾が拡
大していたと考えられる。ただし,この年代については
貝化石の再堆積の可能性もあり,もっと若い年代であっ
た可能性が考えられる。コア深度 21,20m は化石相Ⅵに
区分され,試料 2 と 1 の年代はそれぞれ 4,000 cal. yrBP,
3,770 cal. yrBP であった。この頃は内湾中央部であった
が,下位の化石相Ⅴが堆積した頃と比べると,水深は浅
くなっていたと考えられる。本研究で分析したボーリン
グコア(MS-N4)ではコア深度 20.0m より上位の層準で
( 94 )
謝辞
本研究をすすめるにあたり,石綿しげ子氏(基礎地盤コン
サルタンツ株式会社)にはお世話になった。株式会社パレオ・
ラボには AMS 年代測定のデータを提供して頂いた。東亮一
氏(静岡大学)には画像編集ソフトの使い方について教えて
いただくとともに,数多くの有益な助言をいただいた。田中
隼人氏(静岡大学)には SEM 試料作製の際に指導,助言をい
ただいた。査読者である塚越哲氏(静岡大学)には有益な御
意見をいただいた。また,日本大学文理学部地球システム科
学科第四紀地球環境研究室の皆様には,本研究を行うにあた
り様々な意見をいただいた。以上の方々のご指導,ご協力に
感謝し,お礼を申しあげる。
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