、、 ISSN 0910-9242 \、 .」 201211.30 ◇研究ノートー 三業惑乱研究の可能性 大舶ξ RESEARCHINSTITUTEFORBUDDHISTCULTURE 学容 RYOKOKUUNIVERS11Y(NBC) NO.35 (2011) CONTENTS 化研完鵡 Note l: Possibiliw oftbesat1名δWak山抑(三業惑乱) study Note 2: On tbe posat11a ceremony in the Tochari飢 Budd11isttexts Daisuke ueno 0名ihara Hirotoshi < 28 ◇Note2 On the posatha Cerenlony in the Tocharian Buddhisttexts . 0、 C、 第35号 著﹁願生帰命弁﹄がまとめられ、同一四 を行った。この教戒の内容をもとに功存 章では、これらの研究成果の内、現時点 史・教学史の立場からの研究である。本 まず、覚成寺超然が嘉永三年(一八五 で基本文献と称し得るものを提示する。 0)に﹃反正紀略﹄全一三巻を、次いで 年正月に出版された。本書に説かれた三 六年二七六九)四月、功績を認められ 全七巻をまとめ、これらの大著にょり三 安政元年(一八五四には﹃続反正紀堕 業帰命が、後の惑乱の要因をなす。明和 た功存は西本願寺学林の能化に就任した。 業惑乱の主な経緯と史料が眼下に示され 時代は下り、明治期にも幾つかの文献 その後、寛政八年(一七九六)九月に彼 が刊行されたが、大正期に入ると、﹃反正 0 が死去すると、翌年五月、門下の浄教寺 一)以降には美 智洞が能化となり、三業帰命説を宣伝し なる。享和元年(一八0 た。これを受けて惑乱が拡大することと 紀略﹄及ぴ﹃続反正紀略﹄がそれぞれ妻 (蔵経書院 濃大垣藩領で騒動が激化し、やがて幕府 に収録され、また﹃龍谷大学論叢﹄二六 一九一三年)、同一六(同、一九一四年) 三(一九二五年)で当時第一線の研究者 木直良編﹃真宗全書﹄一0 三業帰命を不正義とする立場より、事件 らにょる三業惑乱特集が実現するなど、 の介入を招くこととなった。そして文化 関係者を処罰すると共に、西本願寺に閉 三年(一八0六)七月、幕府寺社奉行は 門を命じた。同年三月、開門を許され の後、﹃顕真学報﹄一五S一八(一九三六 今日的にみて有益な成果が上がった。そ 一九三七年)で信願論特集が組まれ、 が披露され、﹁正統﹂な教巽が示された。 S た西本願寺では門主本如の﹁御裁断御書﹂ 以上が三業惑乱の概略である。この事 (龍谷大学出版部、一九三九年)で三業惑 次いで龍谷大学編﹃龍谷大学三百年史﹄ 乱が詳述された。これらは昭和戦前期を 件については彪大な研究蓄積があるが、 ていない。そこで以下では、第一章及び 研究史の検討や課題の展望は殆どなされ 代表する成果である。 戦後に入ると、まず大原性実が﹃真宗 第二章で三業惑乱の先行研究を整理・検 願生論の展胆(永田文昌堂、一九五二年) 討し、それを踏まえ第三章において今後 及び﹃真宗異義異安心の研き(同、一九 六0年)をまとめ、次いで梅原隆章は の研究課題を展望し、以て三業惑乱研究 すことにしたい。 が可能性に満ちたテーマであることを示 乱に論及した。一方、﹁古義派﹂を代表す 一九六二年)を著して、それぞれ三業惑 る学僧大瀛(生没年宝暦九S文化元年 ﹃近世真宗史の諸問題﹄(顕真学苑出版部、 三業惑乱研究には江戸時代以来の彪大 第一章教団史・教賞分野の基本文献 な蓄積があり、その根幹をなすのが教団 た OGlf仏.RA Hirotoshi ' 貞1 (Renmin university ofchina) じ ( It is known that there is a 名roup of bilingualtexts written either in sanskrit and Tocharian A or in sanshit and Tocharian B.1n the light ofthem, thete should be monks Who were competent to analyze sanskrit texts and translate them into Tocharian Iangua名es.' Then a question arises as to how the sanshit lan名Ua名e w'as used in Tocharian Buddhism.' A few Tocharian manuscripts sti11Show's monks' immediate usage of sansbit texts in Tocharian Buddhism. For instance, a sanshit-Tocharian B KarmaV巨Can巨 text pteviously discussed by schmidt confirms that sansbit sentences w'ere used on the occasion of the Upasatnpad五,' where the master's words were w'ritten both in sanskrit and Tocharian B, and the candidate's only in Tocharian B.' Furthermore, some sanskrit KarmaV巨Can五 texts Were found with commentsin either Tocharian A or Tocharian B. They may also indicate 1. see B550, where one can see that the declension of sanskrit words is immediately f0110wed by that of 血e Tocharian B counterpart. To be noted,in the sanskrit fra号ments unearthed in the Northern rim of the Taklamakan desert, SC110lars have even identi丘ed some fra3ments as the manual of sanskrit 8皿mmar, cf. wiⅡe (2005.13). 2. Here the term 'Tocharian Buddhism' is used to refer to the Buddhism that was practiced in t11e area Where the Tocharian lan名Uages were current. 3. see schmidt (1986). 4. concerning the KarmaV五Can五 texts in the Tocharian Buddhistliterature, see 0目ihara (forthc.). -1- ・1 C 上野大輔 極楽往生が定まるとする三業帰命説が登 た祈願請求、すなわち身では礼拝し、ロ 本稿の課題は、歴史学の立場より三業 場し、信仰の具体的な形式が整えられた。 はじめに 惑乱研究の有する可能性を提示すること 同説を主張するグル︼プは﹁新義派﹂と では助け給えと称え、、心では願うことで、 である。本論に先立ち、まずは通説的な 信順)で、極楽往生が定まるとする。伺 阿弥陀如来を疑いなく信じること(帰依 説を奉じるグループは﹁古義派﹂と称さ 称される。一方、後者の信楽正因説は、 最大の異安心事件であり、教団の内外に レベルで三業惑乱の概略を確認しておき 大きな波紋を生じた。思想面では、蓮如 れる。続いて、惑乱の展開過程を辿って たい(典拠は後述)。それは西本願寺教団 の﹃御文章﹄等の解釈が焦点となった。 宝暦年間、越前で浄願寺龍養が無帰命 みょう0 という行為は欲生(往生を欲し願うこと) とりわけ、極楽往生を実現する﹁たのむ﹂ (一七六己二月、本山から派遣された平 の教説を流布させたのに対し、同一二年 等功存は録所の福井御坊で龍養を糾明、 のか。前者をとる欲生正因説は、阿弥陀 改心させ、二月晦日と翌日に僧俗へ教戒 なのか、信楽(信じて疑わないこと)な した。そして、身・ロ・意の三業を揃え 如来への祈願請求にょる極楽往生を提示 THEANNUALOF -28 - (一九五四年) △七五九S一八0四>)の死後一五0年 のは、三業惑乱が教団史・教学史研究に ところで近年の動向として注目される 文を改稿)では、因幡・伯耆・但馬・丹 蔵館、二00七年。一九九八年の初出論 (三業惑乱)の構造分析を通じて﹂(同 衆と仏教思想1真宗教団の教学論争 続いて、澤博勝は論文﹁近世後期の民 0 に合わせ、﹃真宗学﹄一 -2- ﹃近世宗教社会逃吉川弘文館、二00八 -27 ー 波・肥後・{女芸でも裁定後に対立が続い 12. see 0名i11ara (2009.450-455) and 0名ihara (2011:125-128). The inte8ral edition of these 'posatha Calendar' fra名ments is in progress. 13. T11e ttansliteration here is my rereadin号. The system oftbe transliteration is aS 仏110WS: ///:1acuna ofunklown len8th ー: i11egible aksara =: sandhi (): restored (part ofan) ak$ara .: i11egible part ofan aksara []: damaged (part ofan) a1くSara キ: punctuation mark たことが指摘され、分析に際しては﹁新 11. SHTrV70.66. とどまらず近世史・思想史研究の立場か also indicate the posatha ceremony. 10. on these sanskrit fragments, see simson (200の. らも積極的に取り上げられている点であ 8.1t is noteworthy 血at 面e KarmaV巨Can巨 texts for the pravrajy五 are written only ln Tocharian B (i.e. THT2386 fr名.j , S, frg.a + C + t). They wi11 be publiS11ed in 0牙iham (forthc.). 9. see Hartel(1956:10の. As noted in ogihara (2011.126 n.24), the Tocharian B word W11ich indicates 'tbe posatha ceremony' is poS互t. T11e 11apaxpoS互t in TOC11arian A attested in A454a3 Could 以上のように、教団史・教学史研究の フ. see A415. では彼の特集が組まれた。続いて研究の 5. cf. Hartel(1956:109 § 69). 6. see A414, cf. Hartel a956:114-115). 拠点機関からの成果である本願寺史料研 C 5 ardham互Sえ'avaゞ心麺 11 ⑤・/// 立が激化したとし、同地出身の功存の影 C 4 avaゞiすr互Ⅱ W互rsa五eposta010nc)④/// 年)において、越前では幕府裁定後に対 教団構造、領主ごとの対応差といった諸 饗御坊・大坊間の確執を生んだ地域の 3 mえ'saゞC互avaゞ41互" W互tsa五1五ノeBソ// 三業派﹂という霖が用いられると共に、 ﹁新古之中間二進退﹂するグループという 条件が、越前三業惑乱の推移を規定した 1 紅'寸仏ノβノωβノ1仏U/ 11 βノωkωm/C化ノP区/1化ノmω/Wノ価leノ加・ 2 Va'ifraU Ⅱ Sケ殴a五Ceposn/0/nomξ\P互4fne/2)/// 義派﹂﹁古義派﹂ではなく﹁三業派﹂﹁反 まず、奈倉哲三は論文﹁本願寺門跡体 帰命説がそれなりに﹁正統﹂な教えとし 新たな範疇が提起された。引野は、三業 b つか取り上げて私見も交えたい。 制下の特質的信仰﹂(同﹃真宗信仰の思想 4 Ⅱ ni1召'atam 司yufmant06eイhlant巨d//// る。本章では、その中の主要な成果を幾 十年史編集委員会編一龍谷大学三百五十 史的研究1越後蒲原門徒の行動と足跡﹄ 3 n煩d ekonal'互ttie //ノ 願寺派、一九六八年)や龍谷大学三百五 年史﹄通史編上巻(龍谷大学、二000 一般民衆層などの階層にょり思想面に相 と論じた。また、在地寺僧・村落上層・ , 究所編﹃本願寺史﹄第二巻(浄士真宗本 年)が刊行され、三業惑乱にも紙数を割 て定着している状況下での、一握りの先 として主張し、一般民衆層は教義上の論 違があったことを思想・信仰の﹁本質﹂ 鋭化した﹁反三業派﹂学僧にょる本山糾 弾として惑乱を捉え、﹁反三業派﹂が﹁自 では幕府裁定後も対立が継続したことを 力﹂の徹底排除という現代に繋がる真宗 校倉書房、一九九0年)において、越後 示した。そして、現実世界における可変 点を理解してというよりも日常的{示教実 今日では、特に一真宗異義異安心の研 究﹄と﹃本願寺史﹄第二巻が、研究のス 的範囲の拡大を受けて、阿弥陀如来に直 践の秩序の破壊を憂えて騒動に関わった いている。 タンダードとして引用されることがある0 教義の根幹を新たに生み出し﹁古義﹂と <知>﹂(澤博勝・高埜利彦編﹃近世の宗教 世民衆の仏教知と信心11真宗門徒の 面した自己の能動性を問う新たな﹁自力 ﹁正統﹂の複数化と宗派意識の強化がある と社厶亘第三巻・民衆の<知>と宗教、 とはいぇ前者では、三業惑乱に関する事 とした。引野の論は、﹁三業派﹂の新義 と推定した。同じく澤の論文である﹁近 性・異端性と﹁反三業派﹂の古義性・正 ﹁助け給えと頼む﹂をどのように理解する 吉川弘文館、二00八年)では、蓮如の には、近世における諸宗の分立に伴う んど入口に立つ﹂(奈倉前掲書一三五頁) 的思考という枠のなかで、近代へのほと 統性とを所与の前提とはせず歴史的な構 かが、一般宗判寺院僧侶、及び中下層を 措定したのだと論じた。そしてその背景 ものと把握した。このように三業派門徒 的状況の中で把握しようとした点で新鮮 築過程を検討し、それを近世社会の特質 と推定され、論調が異なっている。澤の 含む一般門徒層の最大の関心事であった 偏向﹂が強烈な往生願望を伴って真宗門 に﹁近代﹂への方向性を見出し、民衆思 な成果である。とはいぇ、今後は三業惑 研究で特に重要なのは、性格を異にする 徒に生まれたことが、三業帰命説への帰 三百五十年史﹄通史編上巻にょったもの の展皿﹃本願寺里第二巻、﹃龍谷大学 想史への位置づけを試みたことが、奈倉 乱以前の思想状況も検討する必要があり、 避けている。本稿冒頭で略説した惑乱の なお、三業惑乱に関する史料改題とし の研究の特色である。しかしこの主張で それにょり﹁三業派﹂と﹁反三業派﹂の 柄は﹃真宗願生論の展開﹄に譲り詳述を て大原性実・禿氏祐祥・杉紫朗﹁三業惑 は﹁正統﹂とされた信楽派の位置づけが 依に繋がったとし、かかる事態を﹁真宗 乱関係書解題﹂(︻龍谷大学論叢﹄王ハ六、 不明確であり、近代にかけての実際の歴 を形づくつたことが提起された点である。 様々な問題が重層的に展開して三業惑乱 思想対立及び推移は、主に﹃真宗願生論 一九二六年)があり、また人物紹介・書 た、﹁三業派﹂と異なり﹁反三業派﹂は主 位置づけがより明確になるであろう。ま である。 籍目録・研究論文目録をまとめた龍谷教 理論的にも、信楽派より呪術性ないし連 史過程と乘籬しているようである。また と思想論との架橋を目指すも、﹁本竺 しかし、上記の研究を含めて地城社会論 大瀛死後二00年に合わせて﹁龍谷教学﹄ 張の核心を示す呼称ではなく、﹁信楽派﹂ 学会議幹事作成三棄惑乱関係資料﹂が 続的思惟の濃厚な三業派が近代的である 地域社会構造への還元論に傾斜している 三九(二00四年)に掲載されており、 加えて問題と思われたのは、対立の展開 ﹁聞信派﹂等の呼称を用いる余地もある。 次に、引野亨輔﹁異安心事件と近世的 ^ 自明性はない。 ^ 1 11 0kta五Cepostanlo/0ユUn)/ノ/ 2 ttitrayo m巨S互 a /// 憾みがある。 a が過小評価されていることであり、地域 【SHT1656] 差への更なる配慮も求められる。 C 宗派意識﹂(同﹁近世宗教世界における普 C 遍と特殊★宗信仰を素材として一法 According to tbe vinaya texts in pali and chinese, monks should recite the Pr豆timoksasotra on the posatha ceremony9 W'hich is to be held twice a montb. Then, Which language did monks use in 丁Ocharian Buddbism w'hen doing the redtation? Given that in addition to a lot of sanskrit fragments found locaⅡy that have been identified as the pr五timoksasatra,'゜ there is also a group of fragments to be dassi金ed as the same sotra by their remainin名 Content but w'ritten purely in Tocharian, theoretica11y bot11 Sanskrit and Tocharian version were available for the recitation. un仏rtunately, it is impossible to determine which lan名Ua名e was actua11y articulated during it. However, some 'posatha calendar' fra名ments may show how sanskrit was used in the Case of the posatha ceremony.1n addition to such a sanshit-Tocharian B fra名ment that Was published as sHT1656,Ⅱ Six more fra名ments of similar type have been identified by the present author (four pieces in skt.・Toch.B; No pieces in skt.・Toch.A).口 Here the transliteration ofsHT1656 is quoted:B 舌足らずな本章を超えて研究史などの基 the posatha5, the praV百.ra0五,6 the sayy巨Sana7 and so on8. 本情報を把握する上で、喜である。 第 二 章 近 世 史 ・ 思想史分野の近業 that some monks w'ould have used sanskrit on the occasion of certain ceremonies such as 陰獄中書簡には、﹁皆言ふ、﹁四十年前、 ritual formula in the in杜oduction to the Bhiksu-pr巨timoksasetra (= skt. nid互na-) as Underlined below:N ぐ [skt.] Sイι)ddham. niFkr互nt巨 anupasampann互h sama召'rah sa々1召'hah samnip,atitah kim Sams'hasya ιaraoTyam an互召'at互n巨m 互yufmantaゞ chandalp pan:ゞ'uddhilp C互rocayata 互tocite ca pravedayat血 nh' ata111 互 Inanto rim互d ekarえ'trono m互Sa五 Sa於at互trえ'S tta o nlasa avasl 互6" According to the present author's teseatch, the Tocharian B part of sHT1656bl can be understood as 'on the fU11 moon ofthe l0血 Iunat monthM, it should be recited'(i.e. to C" . 0月、藩にょり籠舎に処せられた。そ () 、( 道然と推測される。というのも、﹃学饗万 As indicated in the footnotes of sHr, a part of the text of B510 is similar to this fragment. The sanskrit parts of both fra今ments are further comparable to the sanskrit ' 一九八五年>所載書棄惑乱﹂<千葉乗隆 て人に藹ふ、事伝へて今に至る。而来未 浮屠大疫獄に在りしとき、亦善く書を以 (1) possible to restoreP互kδne lvefle.(2) possible to restore wefle.(3) possible to restore 12邑/1etne weye.(4) possible to restorePえ'kfne wefle.(5) To restore Toch. B rapalihe 12邑11etne weye hereafter. ぐ 蓄積を受け、近世史・思想史に位置づけ 検雑憤﹄(﹃龍谷大学三百五十年史﹄史料 だ曾て今日の盛あらざるなり﹂と。﹂(﹁野 改めて強調しておきたい。 執筆>等)を自明とせず、教団外への影 山獄文稿﹂<﹃吉田松陰全集﹂第四巻、岩 第三章幾つかの問題提起 よ、つとする研究も進展していることを、 波書店、一九三八年、四六頁>)とある。 編第一巻、一九八七年)には﹁防州道然﹂ 三田尻西法寺道然が三田尻光宗寺大療・ 寺文書)からは、寛政七年四月より防州 ての大疫と重なるものだったようである。 獄中で盛んに講義する松陰の姿は、かつ とあるのみだが、﹃長門国諸記﹄(西本願 或いは、惑乱に伴う寺院・僧侶の分裂を 長州小月明円寺天寧と共に西本願寺から の際、これまでの各自治体史の成果や、 本末争論との関連で把握した木村寿﹁本 召喚を受け、しかし上京ならなかったこ 響も含めて検討することが望ましい。そ それでは今後どのような研究の展開 向を中心として﹂(時野谷勝教授退官記念 は、理由は不詳だが文化五年二月に赤間 ところで、道然・大疫と共に見える天寧 願寺教団本末制度の動揺1但馬国の動 とが窺え、また三田尻西法寺所蔵﹃当山 関沖の六連島へ遠島となり、同三年三 るポイントを順次述べる。その中で、ま 事業会編一日本史論集﹄清文堂出版、一 過去録﹄には、﹁五世享和元辛酉年二月 を見通し得るのか。以下、重要と思われ だ触れていない先行研究にも論及したい。 九七五年)、同﹁解説﹂(同編﹃丹波国諸 (一八0こ頃に生まれた彼女は生前の天 ﹁妙好人﹂お軽が登場するが、享和元年 まずもつて、研究の基盤となる史料活 と記されているからである。ところで彼 も参照すべきである。 月同地で死去した。その後、同地では と共に名の見える大療は、﹁欲生秘事﹂流 二之大徳也/本堂再建﹂(﹁/﹂は改行) 布のため清光寺で糾明を受け、寛政七年 廿三日遷化/円成院道然正琳権律師/無 ここで小ノし長くなるが、長州藩地域に この問題は、教団自治と幕藩行政との関 記﹄同朋舎出版、一九八五年)等の研究 おける惑乱の展開とその中で見られる人 - 係を問う視座より検討される必要がある。 記・丹後国諸記・但馬国需・佐渡国諸 証することができる。例えば、西本願寺 本願寺のみなら喜地の動向も豊かに検 間模様について例示したい(拙稿﹁長州 の際、組合総代(組頭)の三田尻光妙寺 教団の自治能力を超えた事件に際して、 用について述べておく必要がある。西本 文書(本願寺史料研究所保管﹁本願寺文 大日比宗論の展開1近世後期における 好従が、上記の糾明や、大療の影響下に 幕府がなおも本山に宗教上の判断を求め 願寺及び龍谷大学の所蔵史料はとりわけ 書﹂)の所謂﹁諸国記﹂には、三業惑乱関 宗教的対立の様相﹂<﹃日本史研究﹄五六 る。このように、触頭1組合(1講中) あった﹁邪党﹂の﹁取鎮﹂に関与してい 活用が望まれる。これらの史料からは西 係の記事も多く含まれている。同史料は は典拠を省略)。同地城では、天明年中に たことは、本山の教学統制権が国家的に ニ、二00九年>での既述部分について に基づく教団の運営構造も垣間見られる は三業帰命を不正義とする判断を、事件 保障されていたことを意味しよう。幕府 一部が刊行されており、その解説欄には 三業帰命説をめぐる﹁惑乱﹂が発生し、 (ここでの﹁触頭﹂は広義の用法)。この 編者が惑乱に論及している箇所もある。 また、西本願寺・龍谷大学の所蔵史料以 点、越前の龍養に対処すべく功存が録所 本山の意向を容れるかたちで行っており、 当事者にょる対論の結果や、最終的には 天明四年(一七八四九月に萩の録所清 へ出張したことも想起すべきである。さ 光寺が﹁智洞之徒﹂六名を処罰したこと て、幕府裁定後も長州藩地域の惑乱は容 料を検討することが重要である。これら 西本願寺の間で交渉が行われ、門徒中も を受け、寛政元年まで同寺隠居聞信院と 外にも、各地の寺院などに伝存する資史 は現代の社会変動の中で様々な事情にょ 一定の政教分雜原則の存在を窺い得る。 一尓していゑここから幕府統治における り失われていっており、調査は喫緊の課 は文化五年三月に出籠し、同一 0年一 以上の点を追究するに当たり前提となる 介入当初から裁定時に至るまで自己の立 二月に廻心俄悔と認められ、同一四年二 場を世俗的統治レベルに限定する姿勢を 西本願寺での講義を一時停止される報い 月平体となり、そして文政八年(一ハニ れない状態が続いた。そうした中、大疫 を受けた(平田厚志﹁能化功存時代の学 ﹁古義派﹂騒動を政治史的に位置づけ直し 最近の研究には、享和年間の美濃での 易に収束せず、西本願寺の使僧も派遣さ 林管見﹂<千葉置博士傘寿零論集冒 (一八五五)六月二六日付の月性宛吉田松 五)六月に死去した。下って、安政二年 西本願寺へ糾明を願い出ている。天明八 - 年には前述の処罰に関与した学僧道然が 第一に、地域的展開の研究である。三 本の歴史と真宗﹄自照社出版、二00 題である。以上を踏まえた上で、次に具 業惑乱は寛政九年(一七九七)から文化 年>)。この道然は、周防三田尻西法寺の 体的な研究内容について三つの方向性を 三年(一八0六)までである、という通 提起しよ、つ。 念(﹃国史大辞典﹄第六巻全園川弘文館、 [Notes] recite the f0110win名 Sanskrit). Thus this fragment seemin名ly shows that the sanskrit Passa号e should be recited on the posatha ceremony, which is to be beld on the fUⅡ moon Of each month and probably again on the end of it.(i.e. tbe new moon). on this assumption,1think that monks probably replaced the sentence underlined above with the expression indicated in the posatha calendar. More precisely, SHT1656 Contains the bilin8Ualindications for the pU中Ose of exptessin名 the timin名 according to the Kuchean Calendar so that in each month, the respective sanskrit expression can be used to Substitute for the ori名inal one when monks redted the sanskrit formulae. The expressions remained in this fra今ment are from the second posatha ceremony of the 8小 Iunar month to the 6rst one ofthe 12小 Iunar month. A sanskrit-Tocharian A posatha calendar fragment identified by the present author as We11is also w'ortb discussion. Here an identi丘able part is transliterated as f0110WS: たいち 寧とも会っているかもしれない。 じらい さて第二に、裁定過程の研究である。 [THT2387 丘名.1aU口 加@ω五小P"'切ωm/t叩ノt回d1聖14゛n/mノ卿t血ノ川 'on the fU11 moon ofthe ,.1Unar month it sbould be recited:[skt.],.' 14. see simson (2000:157). 15. cf. simson (2000:267):'EhNurdige B血der, ver部n名en ist (jetzt) ein Monat weniger eine Nacht Von der beiβen Ja11teszeit; drei Monate und eine Nachtsind iibrig.' 16.1n KUC11ean secular documents, a month begins on the new moon, and the 15血 day is named t11e fUⅡ moon. Here the one held on t11e fUⅡ moon can be taken as the 6rst ceremony ofthat mont11, and the One in the latter halfofmonth the second in accordance witb the lndian calendar. 3 -26 - た平田厚志﹁美濃古義派騒動﹂(﹃日本宗 今後の更なる成果が俟たれる。 おわりに る研究成果の一部である。 研究費補助金(特別研究員奨励套にょ 教文化史研き七・ニ、二00三年)や、 これまで述べてきたように、三業惑乱 谷大学仏教文化研究所研究談話会での報 ﹁三業惑乱の裁判は驚くほど公正に執り行 われた﹂(七六豆として壽の宗教的中 告をもとにまとめたものである。報告に 平成二十三(二0三)年度本研究所の研究計画は、指定研究二件(継続一、新規 研究は先学にょる蓄積の彪大さもさるこ 近年盛り上がりの顕著な近世宗教史研 こ、常設研究三件(継続二、新規こ、特別指定研究三件(継続三)、共同研究四件 とながら、近世史研究と繋げてゆく余地 究の成果の一つである﹁近世の宗教と社 立性を指摘した島津恵正﹁三業惑乱研究 まり、書物等を媒介として流通した言説 △亘全三巻全口川弘文館二00八年) ロジエクトが構成された。次に示すような具体的な計画のもと、総研究員数二二九名 (継続二、新規二)、そして個人研究一件(新規こが設置され、合計十三件の研究プ も大いに残されている。その進展は、新 に着目することで、従来の教学史とは異 は、各巻を﹁地域のひろがりと宗教﹂(第 序説﹂(朝枝善照先生華甲記念論文集刊行 なる思想史像を構築するわけである。三 一巻)、﹁国家権力と宗教﹂(第二巻)、﹁民 たな三業惑乱像の構築を実現するのみな 業惑乱は実のところ本稿冒頭の整理に収 衆の<知>と宗教﹂(第三巻と題し関連 会編﹃仏教と人間社会の研究﹄永田文昌 まらない複雑な思想的展開をみたが、上 論文を収録しているが、本稿で問題提起 堂二00四年)などがある。 記の方法はその分析に堪えるものであり、 した第一から第三までの諸点を踏まえる 研究所創設五十周年記念講演会および仏教文化講演会の講演記録を収めた。仏教文化 らず、近世史像の見直しにも少なからず 近世史研究との接続も更に進むものと期 ならば、三業惑乱研究は同書各巻の論点 研究叢書としては、﹃問答と論争の仏教'尓教的コミユニケーションの射程1﹄(責任 そして第三に、書物論を踏まえた思想 待される。この点と関わり注目すべき論 を横断し得るものといぇる。以上のよう 寄与し得るものと考えられる。 文に、小林准士﹁三業惑乱と京都本屋仲 な意味でも、大きな可能性を秘めた研究 を、最後に述べておきたい。 対し貴重なご意見を下さった皆様、そし - 氏に、深く感謝申し上げます。なお本稿 本稿は、二0 ︻結︼ 0年三月一九日の龍 て調査に際しお世話になった五十香正英 は、日本学術振興会の平成二三年度科学 ◇研究概要報告◇ 本研究所が創設五十周年をむかえ、その零事業として七月八日に零講演会を開 の協力にょって推進される。 研究成果として﹃佛教文化研究所紀要﹄第五十集に共同研究他の報告論文六編の他、 催し、マーク・ブラム氏、三角洋一氏、蓑輪顕量氏にご講演いただいた。 馬氏)が出版された。永年の研究成果にょるものである。 指定研究寵谷大学図書館蔵の貴重書の研究・出版) 、 主任・平田厚志研究員七名 国史学﹁西本願寺宗意惑乱一件﹂文書を読み解く(三年次) 4 -25 - 研究も新たな地平を拓くことだろう。つ 0年)があ ﹃興復記﹄出版 の 波 紋 ﹂ ( ﹃ 書 物 ・ 間1 性を主張したが(大桑﹁幕藩権力と真宗﹂ A 出版と社会変容﹄九、二0- <﹃国史学研究﹄一一三、龍谷大学国史学研 1 編集者マルティンレップ氏・井上善幸氏)、﹃典籍と史料﹄(責任編集者大取一 それらの相互関係についても分析し、三 究会、二00九年>)、﹁救済﹂或いは﹁生 い 17. The P110tograph given in TITUS TOC11arica should be teversed. 18. The NO KarmaV五Can巨 texts in sanshit are preceded by the verses which do not belon名 to the ritU紅 fotmulae, cf. SけTイVIP:65. The pr五timoksasotra mentioned here can permit us to connect this fragment with the posatha cetemony. 19. This fra今ment treated in ogihara (2009:36 and 180-181) should be dassi丘ed aS 血e posatha of the また最近、大桑斉は救済宗教論の必要 業惑乱という素材を近世社会論に接続し と死﹂に関わる知見を歴史に即して獲得 5 /// Maitreya /// 領域なのである。 ている。また、小林の報告﹁神祇礼拝論 3 /// the glory ofBuddha ,.,,. to obtain ,., he should seize firmly ,./// 4 ///,./// 十六冊からなる古文書(写)が所蔵されている。本文書は、 Whom the wish to overcome/// (研究の目的)龍谷大学大宮図書館に﹁西本願寺宗意惑乱一件﹂と題する全 ..., C C a 1 /// wbere the good deed not ,.,1 honor this with my head. The pr巨timoka for me /// by whom the way of monk(hood) has been adopted. By など、さまざまな個別文書を時系列的に全十六冊に収録したも 3 /// d五互rmjkim samghas.・・・② dV珂taPムフ trrイえノ07/0'" se d/ch互ノnd含k互tmne /// 4 ///n互ネSama召'msam召'ha βa/mnio)a/tita キ bm sams'ムaga 4a/moTyam [キν// 5 ///ιyノイえノta キ巨tocite capravedayataG)Ⅱ kal'mak'artt互n/entse働/weノ§le Ⅱ Sa⑤/// 2 /// Buddha should be る。小林は東西本願寺派の寺院・僧侶の 争と近世真宗の異端性'岐国におけ ころは小ノなくないだろう。 する上でも、三業惑乱研究が裡益すると 1 ///pa/au@a//// 2 ///.ml/a ha ・/// [Translation] みならず幕府や本屋仲間の各方針、及ぴ る了九千教乗論争の検討を通じて﹂(龍谷 至る文化八年までの期間に記された﹁伺書﹂﹁答書﹂﹁趣意書﹂ わゆる﹁三業惑乱﹂騒動が発生した享和元年から騒動の終結に 大学仏教文化研究所研究談話会、二0- こうした可能性を有する研究の推進に 、 .. 一年九月)では、内面と外面の一致・不 一 5 /が厶ηノ仏1フtルye /ガ b 当たっては、個人研究だけにとどまるこ 4 ///、 nmane 、/// となく、共同研究の組織も望まれること a 1 ///- k ta111em yalpo mえ'maiyle キ Ce" winえ'skau tarnesapr互'timokΣ\五i/// 2 /// uepud五立kte keι\yak12=巨tttau fa111え'm五e キ kete ak互1乙lk \yakatsi/// 3 ///中,e/mepoy'!五五e ネ 4/e ・・1.ek三/d/il'd6/i・・φrえ)be e五Cinξ逸)ω/// 一致の観点より、三業惑乱研究の前提と 師 B/97(2)] もなる興味深い思想分析が提示された。 C C NthoU名h it is impossible to restore in which month the f0110win名 Sanskrit sentence Should be recited, it is comparable to the formula underlined above. Therefore, this idend丘Cation implies that in the Tocharian A Buddhism, the redtation would have been Conducted in a way similar to that in the Tocharian B Buddhism. And these posatha Calendar fra名ments revealtbat some monks w'ould have recited at least the ritual formulae Ofthe nid互na partin sanskritin the occasion ofthe posatha ceremony. On the other hand, attention should also be paid to an unpublished sanskrit-Tocharian B fra号ment kept in saint-petersbur名.1nte,restingly, before the sa那bit part in b4-5 that 名ives tbe ritual formulae of the nid互na part, the pr豆timoksasatta is mentioned in Tocharian B in the form ofverse.玲 Here the fUⅡ transliteration is provided with the translation ofits Tocharian part:抄 2、 (研究計画) 1 /// the praise /// 23 主任・大取 (研究の目的 日本語日本文学 b ///,./// ///[skt.] 11 The approval ,. in tho ritU址 fo,mula ,./// ので、﹁三業惑乱﹂騒動の全容を解明するための基本史料とも いぇる貴重な史料である。本文書の解読と翻刻は、﹁三業惑乱﹂ 研究にとって不可欠であり、真宗教学史・教団史・教育史・思 想史の研究者が、それぞれ専門分野の視点から読み解いて行こ でには三S四年の期間を要すると思われるが、今年度は、四S うとするものである。全作業を終了して翻刻の段階を迎えるま 五冊読み了え、そのうちの重要文書に頭注・補注を付して、 ﹃仏文研紀要﹄誌上にその成果を報告できるようにしたい。ま た、第一冊の全文を翻刻し、刊行することをあわせて今年度の 目標としたい。 近世西本願寺三大法論のうち、最大規模のものといわれる ﹁三業惑乱﹂に関する基本史料である﹁西本願寺宗意惑乱一件﹂ 0年度)で五冊(﹁一件﹂文書、六S すなわち第一期(二00九年度)で、まず五冊(﹁一件﹂文書、 - 文書(全十六冊)を三年間三期に分けて読み解く予定である。 - S五)、第二期(二0 十)、第三期(二0二年度)で残り六冊(﹁一件﹂文書、十一 三年度中に、龍谷大学仏教文化研究所善本叢書と S士ハ)を原稿化する。その間、頭注・補注を作成し、かつ解 して、二0 読論文も順次作成して﹃仏文研研究紀要﹄で公表して行く。そ して刊行する予定である。 龍谷大学図書館蔵中世歌書の研究二年次) 一馬研究員三二名 本研究では、本学大宮図書館に所蔵する中世歌書の中、最善 本と思われる﹁光闡百首﹂﹁愚見抄﹂﹁詞字注﹂﹁後鳥羽院自讃 歌注﹂﹁九代抄﹂の五点を対象として研九九、これを三年後に善 本叢書として刊行することを目的とする。 まず一年目は対象とした典籍の写真撮影をし、紙焼を手元に の価値を明らかにする。 置いて、それをもって他の伝本との比較研究をし、本学所蔵本 二年目も伝本研究を引き続き行いながら、主に作品内容の読 所紀要に掲載する。 解を通して、内容上の意義を明らかにする。その成果を本研究 4 ///[skt.]/// 5 ///[skt.] 11 The one who redtes the ritual formula should say (thus:) 11[skt.ν// [Notes] ぐ ぐ ^、1 、 (研究計画) As indicated in b5, this fragment explains how' the posatha ceremony should be held. As far as known to the present author, no rule in the vinaya texts is referable to the 三年目には二年間の研究を集約して、五点の典籍の影印に解 上記に三年間の研究計画とその方法を略述したが、本研究で 説を付して善本叢書を刊行する予定である。 は、実際に資料の内容検討を通して、同類の伝本中での位置付 けと、内容上の意義を明らかにすることにしたい。また、各資 料が日本和歌史の上でどのように位置付けることができるのか ではなく、広く和歌史の勉強も合わせてする必要があるものと についても合わせて考察したい。それには当該資料の検討だけ 考えている。 尚、三年目に善本叢書を出版した後、四年目には、三年間の 定にしている。 研究成果として研究者全員で原稿を執筆して研究叢書を出す予 主任・桂紹隆研究員九名 つつぁる梵語仏典写本を中国と日本の仏教研究者が協力して研 (研究の目的)本プロジエクトの最終目標は、現在中国で次々と再発見され 究し、批判的校訂を出版し、世界の仏教学界に貢献するための 両国学界の協力体制を確立することにある。そのためには、ま ずチベットの僧院で保存されてきた梵語仏典写本の写真データ を大量に保管している北京の中国蔵学研究中心と日本における 仏教研究の中核の役割を担い続けてきた龍谷大學との間で、同 中心がオーストリア学士院やハンプルク大学と結んだのと同様 の正式な研究協力協定を締結する必要がある。それを実現する ためには、互いに相手の胸襟を開かせるための親密な人的交流 後述するように、二00八年に藏学研究中心で開催された国 が必要である。 際チベット学会への桂の出席を端緒として始まった同中心と本 学との学的交流は、昨年中に実現した同{示教研究所長ダンドゥ の同中心訪問にょって確実なものとなった。プロジエクト初年 ル教授及ぴ同研究員李学竹博士の本学招聰並びに桂・若原両名 -5- 共同研究 仏教学梵語仏典写本の研究(二年次) IB (1) The verseS 名iven al-3 are in stanzas of 4 × 14 Sy11ables. The rbythm would be 7 /フ (4-3y゜.1t is uncertain w'hether they w'ere the translation ofthe sanskrit text. (2) skt. sa々ユS'haS信miC如 evam/ should be restored here, althoU名h 血e number of the remaining aksaras does not permit us to make further restoration. (3) concernin号 the sanskrit part given in b4-5, see simson (2000:157): Sωddham. nifkrえ'nt互 anupasalppann互h sama rah sam hah samni atitah kim sam has a ι旦』迅空ι^ an互召'atえ'nえ'm え'yuFmantaゞ chandam patiゞ'uddhim C互toca ata 巨tocite ca 1塗y^." (4) Toch.B katmakartt互rentse, the gen. sg. ofkatmakarttえ're*, borrowed from skt. karmakal'q-. But the word in sanshit which indicates 'the one who gives the ritual formula' is karmak互raka・'he or she presents thejliapti, and tbe f0110wing katmaV互Can互'(BHSD:170b).1n dassical sanskrit, katmakartr、 means 'an objecta名ent' or 'object・containin名 a今ent (MW:258C)'.飴 (5) 1t w'ould be possible to restore saイhla11V互五ar司yufma11/. recitation of verse of this sort. However, it cannot be denied that these Tocharian verses C < Could be recited in order to express monks' honor to the prえtimoksasetra.1f this bypothesis is correct, some monks probably recited verses w'hich were not 名iven in tbe Ori名inalvinaya texts but composed in their ow'n language. This may be taken as a piece of evidence to te11 how Tocharian Buddhists would 11ave sli名htly modi丘ed the ordinaty Procedure as re今Ulated in the vinaya texts.お ln other words, althoU号h it stands to reason that the Tocharian vinaya texts basica11y belon名 to the (Mela・)saN五StiV豆dins,N a doser 1くartnaV昏Can五. 20. These lines do notshow the dear scribal di仔erence from the f0110win名 lines. 21. This sansbit partis als0 名iven in the posatha・praV五ra0五 fragment, see A414a2-3. 22. Toch.B *katmaV互Cake can be also testored as the word which indicates 'the one wh0 名ives the ritual formula', cf. schmidt a986:51). The corresponding Toch.A word should be *katmaV互Cak. Tbey Would be borrowed from skt.*katmaν互Caka・, cf. carlin8 (2009:105a). 23. AS S110wn in the KarmaV巨Can五 texts publiS11ed by schmidt' a986), the discrepancies from that re名Ulated in the vinaya texts are obsetvable in the upasampad巨 in Tocharian Buddbism. see also Chung (2004). -24 - (研究計画) analysis reveals how' the local monkS 名enerated their own tradition of ritual practice, despite oftheir obseNance ofthe teachin名 ofthis schoolto a 名reat extent.お が決定しているが、二年目となる来年度はこの良好な関係を更 度の本年も既に中国人研究者二名の招聰と桂他三名の北京再訪 言して頂く。 に精通される京都大学文学研究科製乏勢碑ン号aN教授から助 京大学の斉藤明教授ネパール写本を中心として梵文写本全般 (研究の目的)江戸幕府は宗教統制政策の一環として、仏教諸宗派の学問を 2 主任・殿内恒研究員六名 真宗学三業惑乱関連書籍の翻刻と註釈(二年次) 一端を、浄土真宗本願寺派の教学論争である三業惑乱を手がか た。本研究は、近世における仏教研究と出版事業との関わりの 三業惑乱は、本願寺派第六代能化功存(一七二OS一七九六) -23 - 6 24. cf.0名i11ara (2009:498-508). 25. To be noted, it is not deniable 血at the discrepandes from the (M丑la-)saN巨StiV豆din vinaya texts transmitted to us may be e仔ectively due to dぜ丘rent traditions wbich would bave existed in this sC11001. りに窺、つものである0 Fm召'mente eines buddhist心Chen ordmationsn'tuals m westtochar太Cher sprache. しかしながら、従来の研究では一願生帰命弁﹄と、その論駁 SCHMIDT, K.T. 書である大瀛(一七五九S 一八0四)の一横超直道金剛鉾﹄ 入4ARTINI(eds.), Buddhism amon召'thelranianpeoples ofcentralAsm. 本計画は、﹃横超直道金剛鉾﹄が出版されるまでの論争書か forthc. on the KarmaV巨Can互 textin Tocharian.1n: NI. De cHIARA, Nf. NfAGGl and G. することが本研究プロジエクトの第一次目標であり、従来の研 2011 Notes on some Tocharian vinaya fra名ments in the London and paris C011ections.フ'ochan互n andlndo・五Uropean studieS 12:111-144. 究を行うことが第二次目標である。 dissertation. paris, EPHE). 究で等閑に付されがちであった、論争に関する害籍群の内容研 Researches about vinaya・texts in Tocharian A and B (unpublished doctoral ( OG11仏RA Hirotoshi C Clarendon press. 1986 に深めると共に、本来の目的たる写本研究を進め成果を公表す 研究されてこなかった大乗経典・論書の梵語原典写本の写真を 系の制度化、さらには印刷技術や出版事業にょって可能となっ 奨励したが、実際の宗学研鐙は、研究教授機関の整備、修学体 Das pofadhavastu. votschti五'en 命r die 6Uddhist太Che BeiC五t允ietim vihaya der MalasarVえ'stiV巨di那. AU1唇'rund des sansbit・rextes det Gi/g't・Handschnt五' und der tibetiKhen vetsion s0伽'e unter Burιicksicht鴈'ung det sanskrit-Fta召'mente des p0§ad6avastu aus zentrasiat太Chen 11andschri五'en五lden herausgegeben, mit der paral/elversionen ver召'1ichen, abersetzt und kommentiert.(studien zur Ind0108ie und lranistik, Mon0名r.13). Reinbek: W'ezler. MW = MON正R、WⅡUAMS, Monier 1899. sansktit・五ngh'sh Dictionaty. oxford: 1994 2009 る0 持参し、桂・若原・藤田との協力の下に、校訂・出版する。具 既に再来日している李博士は、これまでチベット語訳でしか 体的には、残りの研究期間内に、少なくとも二種の新しい梵語 本研究プロジエクトはこの二年を以て完結するものではな 仏典写本の校訂作業を完了する。 く、今後も李博士を始めとする中国人若手研究者が毎年龍谷大 學に一定期間滞在して貴重な梵語仏典写本を日本人研究者と共 つたと言える。やがて天明年間になると、大麟(生没年不詳) が著した﹁願生帰命弁﹄(一七六四刊)に対する批判から始ま や宝厳(生没年不詳)にょって批判書が出され、以後十数年に 同研究出来るよう長期的体制を確立し、斯学の一層の発展に寄 主たる研究目的である中国蔵学研究忠と本学との人的交流 わたり、主として批判論駁書の刊行を通して論争が繰り広げら 与せんとするものであることを付記しておく。 を更に推進する。本年度は十月末に桂、若原、斉藤明博士の三 (一八0一刊)のみに研究が集中し、﹃横超直道金剛鉾﹄が出版 れていった。 されるまでの論争書のほとんどは、和綴本のまま翻刻されてい 名が李博士と共に蔵学研究忠を訪問し、研究発表・資料調査 李博士は龍谷大學沼田研究奨学金の交付を得て既に本年九月 等を行う。来年度も引き続き桂・若原両名に他の研究者を加え より七ケ月間の予定で来学中であり、藤田祥道博士との共同研 ない状況である。 て同中心訪問を重ね交流の実を挙げる。 究にょり、蔵学中心所蔵の﹃五百頌般若経﹄荒文写本の校訂作 ら代表的なものを翻刻し、併せて註釈的研究を行い、それらを 業を進めている。本年度中に版下を用意し、来年度には蔵学研 究中心から公刊する。来年度も同様に﹃入中論偶頌﹄など新た 三業惑乱に関連する第一次資料群を広く公開し、研究の一助と 公開していくことを目的とする研究の一環である。具体的には、 . な写本を李博士が持参し、李博士が準備した写本の翻刻を藤田 ゛ fur orientforschun8, ver6ffentlichung Nr.30). Berlin: Akademie・verla名. HU・VON HINUBER, Haiyan る0 Turfanfunden 111. Deutsche Akademie der wissenschaften zu Berlin,1nstitut 博士がチベット語訳・漢訳と対比して、批判的校訂本を作成す aus ostturkistanischen sansktit-HandsC五tiften.(sanskrittexte aus den 上記の結果は、桂、若原が点検し、蔵学研究中心から出版可 1956 κarmaV互Can互. Fotmulate命t den Ge6rauch im 6Uddhist太Chen Gememdele6en この研究目的を達成するために、二00八年度に一年間の期 H愈TEL, Herbert 能な状態にする。写本の種別に応じて、梵語仏典写本研究の第 C 2004 DaS ι少asampad互・vastu. vorschri五'en 命tdie buddh太tischeubnchsotdmation im vinaya der satV巨StiV互da-rradition. sanskrit-version und chinesische Version. G6ttingen: vandenhoeck δこ Ruprecht. C CHUNG, Jin・il 限で共同研究を行い、二00九年度に殿内恒・井上善幸がそれ Dictiona1アand Thesautus ofTOC厶atia11A. volume l:Aつ1'.in c011aboration with Georges-Jean plNAULT and lNI'ernerlw'1NTER.叉Wiesbaden: Harrassowitz. 一人者である仏教大学松田和信教授、藏学研究中心との共同研 2009 ぞれ個人研究を行った。二0-0年度からは、これまでの研究 CANING, Getd 究所主席研究員苫米地等流博士、中観仏教研究の権威である東 BHSD = EDGERTON, Franklin 1953. Buddhist Hア'brid sanskrit Grammar and Pictiona1ア.2 VOIS. New Haven: Yale university press. 究にょる写本校訂出版に顕著な業績をあげられた人文情報学研 Refetences 3、 (研究計画) Indたes.[unpublished habilitation thesis]. SHT 需 Sanskrithandschri1Ξ'en aus den Tur1号n五lnden. Tei1 1-4, wiesbaden; Tei1 5-10, Stutt名art: Franz steiner,1965-2008. 三年度 にょって蓄積された成果を基盤としつつ、より包括的な研究へ と進展させるべく新たに共同研究を始めており、二0 もその継続を申請するものである。 これまでに遂行している研究と、今後予定される研究計画は 以下の通りである。 二00八年度共同研究一﹁近世仏教における教学論争と書籍の 刊行1三業惑乱を中心に1﹂ ・﹃願生帰命弁﹄の翻刻ならびに註釈的研究 ・﹃願生帰命弁﹄への第一次批判書の翻刻ならぴに註釈的研 究 二00九年度個人研究一殿内恒﹁三業惑乱関連書籍の翻刻と注 釈﹂ ・﹃願生帰命弁﹄翻刻デ︼タに基づく本文・註釈作成 ・第一次批判書翻刻データの作成、本文・註釈の検討 ・学林側からの第一次批判書への論駁書の調査・収集 二00九年度個人研究一井上善幸﹁大瀛﹃浄土真宗金剛鉾﹄ と﹃横超直道金剛鉾﹄の対照翻刻﹂ ・﹁金剛鉾﹄諸本の収集 ・﹃浄土真宗金剛鉾﹄の本文データの入力及び校正 ・﹃横超直道金剛鉾﹄の本文データの入力及び校正 比較検討 ・﹃浄士真宗金剛錬﹄から﹃横超直道金剛鉾﹄に至る諸本の ・第二次批判書群の調査・収集翻刻ならびに註釈的研究 二0-0年度共同研究一﹁三業惑乱関連書籍の翻刻と註釈﹂ 三年度共同研究一﹁三業惑乱関連書籍の翻刻と註釈﹂ ・第二次批判書群に対する学林側の論駁書の調査・収集 二0 傘筵 ・第二次批判書群に対する学林側の論駁書の翻刻ならびに註 釈的研究 ・論争に関する諸文献の内容研究に向けた基盤形成研究 主任・吉川悟研究員一 0名 教育学悩みに対する宗教的・心理的アプローチに関する研究(一年次) Aus der schule det sarV互StiV互dins. rext, obetsetzun召', Anmetkun召'en und SIMSON, Geor名Von 2000 Pt互訂hlok紹Satta der saN巨StiVえ'dms. Tei11ι' Kiitische rextauS召'abe, obetsetzun今, Wor訂hdex.(sanskrittexte aus den Turfanfunden,×1). Gδttin名en: vandenhoeck δι Ruprecht. W丘LE, Klaus 2005 C C Survey of the sanskrit manuscripts in the Turfan c0Ⅱection. Lecture held at the Conference P1召'it証isierung der chmesiゞchen, tibetischen, sytbchen und sansktitTexte derBerlmer Tur1をnsammlung,June 2,2005, Berlin. see http://WWW.bbaw.de/bbaw/Forschung/Forschungsprojekte/turfanforschung/de/ IDPBerlin. ◇研究所収書目録◇ . 4 422.m4/ TON /11 敦煌吐魯番研究第Ⅱ卷/香港中華文 業)に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 /高野町教育委員会,元興寺文化財研 究所編 0Ⅱ2/GAN/金剛寺の版木:財大和文化財保存会援 0112/ GAN / 金剛寺の版木:財大和文化財保存会援 助事業によるノ元興寺文化財研究所 [編]摺写物篇 266.8/ C H I /15 智山の真言:常用経典における真言の 解説 0173/ 1 NT /12 List of publications received / [1nternational c011ege for Advanced Budd11ist S加価es Libraryl no.12 敦煌學國際聯絡委員會通訊 2008= 023/1161/101 () 、( ことで精神的に進化してきたといぇる。その人間の持つ悩みは (研究の目的)人間は悩みを持つ動物である。そして、その悩みを解決する つは心理的な悩みである。この宗教的な悩みは、仏教でいう四 大きく分けて二種類ある。一つは宗教的な悩みであり、もう一 苦八苦すなわち生苦、老苦、病苦、死苦、愛別雜苦、怨憎会苦 求不得苦、五蓮盛苦などであり、特に死に対する悩みが中心で ある。これに対して心理的な悩みは、日常生活における個々の また従来の日本では、人々の悩みについての解決方法として、 悩みであり、この世を如何に生きていくのかが中心となる0 各々の檀家寺の住職に相談するという伝統があった。しかし近 年、社会が近代化され、その構造が複雑になるに従い、人々の なってきた。このため、人々の悩みに対応するには、一定の知 悩みも多様化し、単なる人間性や経験だけでは対応しきれなく 識と技術が要求され、今日、多種多様な臨床心理学的アプロー チ(カウンセリング)という概念ができあがり発展した。 そこで本研究では、生死を中心とした宗教的な悩みに対する アプローチ(関り)と日常生活を忠とした、心理的悩みに対す るアプロ︼チの接点および相違点を明らかにするとともに、宗 教活動と悩みの相談活動の統合を試みるものである。 (研究計画)<初年度> 人として生れたことにょり、全人類共通の課題であり誰しも 宗教的悩みと心理学的悩みの研究 る解決方法のあり方を、仏教特に浄士真宗の教義の観点から分 がもつ生死の問題を宗教的悩みの中心と考え、その悩みに対す 析する。また、日常生活に起因するそれぞれの人にょって異な 観点から分析する。 る心理的な悩みに対する解決方法のあり方を、非指示的療法の 宗教的悩みの解決過程と心理学的悩みの解決過程を、具体的 <次年度> な事例をとおし検証し、その接点と相違点について考察を加え る。 仏教史学晴代における造塔・造像銘文の調査・研究二年次) <平成二二年度登録図書一覧> 08νRYU/26 仏教とカウンセリング/友久久雄編 414.6/KOY/高野山壇上伽藍整備事業(中門再建事 助事業による/元興寺文化財研究所 [編][正篇] 俄羅斯國立艾爾米塔什博物館藏黒水城 藝術品/俄羅斯國立艾爾米塔什博物 館,西北民族大學,上海古籍出版社編 纂 081/KON/104 「痛みの情報処理過程における鉞鎮痛 化促進中心等合辧 422.035/ TO K /15 唐研究第15卷/榮新江主編 4222/ KAK / の作用機序上多チャンネル脳波計に よる責任部位の同定 081/KON/105 バルク敏感光電子分光による 1次元構 造を持つホーランダイト型バナジウム 酸化物に見られる金属絶縁体転移の起 源解明 488.2/OKA/八色の姓と古代氏族/岡森福彦著 208/ STM/25 Crossfire : shingon・Tendai strife as Seen in tw'o twe出h・cen加ry pole111ics, Newsletter of lnternational Liaison 574/ K 1 1 / と参詣道関連地域伝統文化伝承事業実 行委員会編集 241/ HA C /1 君牡翊谷弓却却/[肝国斗司包 田委ヱ祖曽〒企剰]1 24ν HAC /2 晋牡翊秀弓却初/[人1国斗可翹 田雪ヱ祖包〒全弔]2 24ν HAC /3 雪牡翊君弓引却/[人1国叫卦剖 凪委ヱ祖包〒全迴]3 24ν HAC /4 雪牡翊君弓却創/[肝国斗司翹 処委ヱ祖就〒企剰]4 241/ HAC /5 雪牡翊谷弓却却/[人1国斗卦剖 田雪ヱ祖包〒企項]5 24ν HAC /6 妥牡翊秀弓司利/[凡国叫司翹 With special references to their backgound in Ta11g china / Jinhua Chen 208/ STM/26 The theory of karman in the Abhidharmasamuccaya / Achim Bayer 7 -22 - Committee for Dunhuang studies / 都春文主編;周尚兵副主編 高野山麓の六斎念仏/紀伊山地の霊場
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