三月の言葉 - 安来清水寺

安来 清水寺
通信
厄ばらいの寺
2016 年 3 月号
が出来る。
と教えて下さっているのです。
この法華経が説かれるまでは、悟りは凡夫には
難しく、
ある特別な人、特別な行をした者しか悟れ
ないと思われてきました。
お釈迦様は弟子達のこの思いをお知りになり、
いや、特別な修行をしなくても誰でも等しく仏に成
れるのだ。
と教え示して下さったのです。
ですから、私たち凡夫も等しく仏に近づき、悟り
を得ることが出来るのです。言い換えれば、誰でも
何時でも極楽往生が出来るのだと説いて下さって
いるのです。
ではその教えとは如何様なものかと申しますと、
お釈迦様は方便力を持って、私たちの周りの自然
家族・仲間・友人達、或いは周囲に起こるあらゆる
ものを通して慈悲の心の大切さを示し、悟りに導い
12 日
17 日
稲荷社ご縁日
心経講座
観音様ご縁日
20 日
春の彼岸会
26 日
第 1 回 神仏霊場巡拝
28 日
懺悔護摩供養
4 月 行事予定
8日
9日
11 日
11 日∼17 日
花祭り
心経講座
稲荷社ご縁日
春のお経会式
て下さっているのです。
17 日
観音様ご縁日
慈しみの心を育て、慈悲行の実践をしていくことが
23 日
第 2 回神仏霊場巡拝
28 日
懺悔護摩供養
29 日∼
5月5日まで
還誕祭&ちびっ子厄ばらい祭
よって、私たちはそのことを心得、素直に感謝し、
悟りに近づく道であると心得なければなりません。
言い換えれば、良いことはお釈迦様の、御仏の
ご加護、
お導きと感謝し、悪いことは御仏の忠告と
心得て己の行動を直していくことが大切なのです。
26 日∼
5月5日まで
宝物館公開期間
声聞、菩薩で我が所説の法、
仏様に近づきたいと願うものは誰でも仏に成ること
11 日
乃至、一偈を聴かば
(一言)
でも聞き、教えに感動して御教えを実践し、
皆、成仏せんこと疑いなし。
このお経では、
お釈迦様は私の説く教えを一偈
3 月 行事予定
三月の言葉
法華経方便品より
ご祈祷の他、柳灌頂、なで仏身
� 体
健全祈願、夢と目標を高くかかげる
対象
13 才以下
大声コンテスト参加が含まれます。
4 月 29 日
〜5 月 5 日
一願 三千円
社会変化の中で子供たちが安心して遊び、
勉学することが難しい時代となって来ました。
子供受難の時代に当たり、厄除けの観音様の偉神
力と文殊菩薩の智慧、さらに柳の持つ再生再会の力
を合わせて祈願し、無事安全、勉学の向上、そして
環境に負けない強い心を持つ子供を育てましょう。
申込締切:平成 29 年 4 月 27 日
お申し込み・お問い合わせは本堂受付まで
仏教入門 No.30
先月までに釈尊の生涯を概観し、さらには
沢山の弟子の中でも重要な役割を果たした
人々を紹介してきました。
今月からは、釈尊入滅後について紹介して
いきます。今月は、釈尊の遺体がどのように
扱われたかについて記していきます。
釈尊は入滅に先立って、アーナンダへ自ら
の遺体をどのように扱うべきかを説いていま
す。中村元先生の『ブッダ最後の旅』
(岩波
文庫)から、その部分を引用してみましょう。
「アーナンダよ、お前たちは修行完成者の遺
骨の供養にかかずらうな。どうかお前たちは、
正しい目的のために努力せよ。正しい目的を
実行せよ。正しい目的に向って怠らず、勤め、
専念しておれ。アーナンダよ。王族の賢者た
ち、バラモンの賢者たち、資産者の賢者たち
で、修行完成者に対して浄らかな信をいだい
ている人々がいる。かれらが修行完成者の遺
骨の崇拝をなすであろう」
ここでは、出家修行者(=弟子の僧侶たち)
が修行完成者(=釈尊)の遺骨の供養に関わ
らず、覚りの境地を獲得できるよう修行に専
心すること、その一方で、遺骨の供養や崇拝
については在家信者がすることになる、と説
かれます。
釈尊がクシナーラーで亡くなると、釈尊の
訃報を報せるために、侍者のアヌルッダがそ
の地の住人であるマッラ族の人々のもとへ
アーナンダを遣いとして送ります。先ほど引
用したように、出家修行者が遺骨供養に関わ
らなくても良いようにするためだと考えられ
ます。
連絡を受けたマッラ族の人々は、釈尊の遺
体を舞踏、歌謡、音楽・花輪・香料でもって
6 日間供養してから荼毘に付そうとしました
が、薪木に火が点きませんでした。しかし、
釈尊の入滅を知って駆けつけたマハーカッサ
パが弟子とともに遺体を礼拝すると、薪木が
自ずから燃え上がり、舎利(遺骨)だけが残っ
たと伝えられています。
釈尊がクシナーラーで亡くなった事実は、
その周辺地域に存在する弟子や信者たちにも
知れ渡ります。入滅の知らせを聞きつけた八
つの周辺部族が釈尊の遺骨の分配を要求しま
した。そのため、遺骨は八つに分割され、そ
れぞれの部族が遺骨を祀るための仏塔(ス
トゥーパ)を建立しました。そして、遺骨の
分配を取り仕切った人物は火葬で用いた瓶を
祀る仏塔を建て、遺骨の分配に遅れてやって
来た部族は灰しか手に入れられなかったの
で、灰を祀る仏塔を建てたとされています。
そして信者たちは仏塔を中心に集まって釈尊
を祀りつつ、その教えを守ったとされます。
釈尊滅後からまもなくの間は、この教えが
守られたものであろうと考えられます。しか
し、時代を経ると、出家修行者の間でも仏塔
建立や供養が受け入れられたことが知られて
います。遺骨の供養に関わらないよう説かれ
た出家修行者であったとしても、釈尊への思
慕の念を断ち切るのは難しかったようです。