人 まち - タウンニュース

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“シビックプライド”を胸に
■2017年(平成
横浜の中心に位置する中区は、今年 月1日に
区制 周年を迎える。また、開港記念会館も7月
に100周年とあって、今年は中区にとっては節
様々な取り組みを予定しており、中区全体で盛り
目。記念事業実行委員会(平山正晴委員長)では、
〝存在〟が大切な財産
100周年を迎える開港
周 年 を 記 念 し、
記 念会 館は、その名の通り
横浜開港
区 民 を はじ め 地 元 企 業 や
になう子 どもたちが、未 来
また、これからの時 代 を
物は中区の公会堂の役割も
た。横 浜を代 表 するこの建
上がりをみせる1年となりそうだ。
月に立
にな う。その趣 は、開 港の
市民の寄付金で創建され
周 年・ に夢や希 望をもてるように
歴 史 を 今 に 伝 える 語 り 部 の
ち あ がった 中 区 制
各 種団 体で一昨 年
周 年 に関 わる 事 業 に
と、
開港記念会館100周年記
よう。訪 れる人に横 浜、そ
ともに、区民の大切な財 産
して 中 区 の 魅 力 を 伝 え る と
思いを込める。
区民提案
念 事 業 を通して一人でも多
でもある。実 行 委では、記
くの区 民にこの「 大 切 な財
事業も
念事業実行委員会では、
「シ
ビック プライド( 中 区に対
す る 誇 り や 愛 着 )の 高 揚 」
と「未来志向」を目的に掲
実 行 委 が 手 が ける 記 念 事
日の「三
業 だけでなく、区民や中区
日と
産」を伝えたいとしている。
げ、3 月
塔の日 」をスタートに、1
に
ホールで公演された吉田新
その1つで1月 末に関 内
馬 車 道150 周 年、中区 英
た 吉 田 新 田 が 3 5 0 周 年、
今 年は、横 浜の礎となっ
区民の協力が必要
で活動する団体からの
年を通して区内の各所で行
およぶ提 案 事 業 も、この1
年を通して様々な記念事業
を企画している。
田完成350周 年の歴史を
われる。
実 行 委では、区 役 所( 行
周年への契 機 に
政 )だけでなく、中区に関
町出身の小説家・大佛次郎
さん伝説」
は、
大盛況となり、 生誕120 周 年と、様々な
わ る す べ て の 団 体・ 機 関・ たどる市民ミュージカル「お
企 業・施 設 な ど が一緒にな
づくり
まち
れ る 心 の 拠 り 所 で も あ る。
っかり 向き合 うことで生ま
でなく、大 人 が子 どもとし
CE・場 所という 意 味 だけ
所 』が必 要。それはPLA
周年へ 人
スポーツ振興・多文化共生・NPOによる地域活
年後の中区制100周年に向けたまちづくり
動と、それぞれ異なるフィールドで活躍する3人が
集い
について語り合った。議論からは主体的にものごと
に関わる大切さがみえてきた。
(本文・敬称略)
この取り組みは個人レベル
づくり
催した。彼らが見ている世
界を写真というかたちで客
観 的 に 知 るこ と で 彼 ら が
何に関心を持ち、どのよう
な問 題 意 識 を持っているの
かを読み取って相互理解に
――中区の魅力は。
つなげていきたい」
吉野「横 浜開 港の地として
自分が住むまちとして発信
の歴史の深さ。それを学び、
れる土壌 があった。もちろ
個 人 を 尊 重 し 受 け 入 れて く
歳で渡った米国は
のも1つの方法だと思う」
づくりに関心を持っていく
そこから地 域 づくり、まち
能性も生まれてきた」
ジ ネ ス と して 発 展 で き る 可
グも試みるなど、新たなビ
街と連 携し船 上ウェデイン
施。昨 年は、川 沿いの商 店
する運河パレードは4回 実
周 り の 地 域 に 関 心 を 持 ち、 り水上交通の可能性を模索
ビリティを担 保していくか
に最 適 化 して、サスティナ
動 く 村 性のバランスをいか
市 性 と 直 接 的 な 人 間 関 係で
これ か ら は 生 産 性 重 視 の 都
角野「都市性と村性の共存。
勢が魅力」
大 切にしていこうという 姿
っかり 認 識 し、これからも
大 藪「 古いものの価 値をし
できることは喜び」
組みが必要でしょうか。
大 藪「 外国につながる子 ど
でもできることだと思う」
吉野「 地 域のサッカークラ
ん単 純な比 較はできない
真展を今年1月に初めて開
も た ち が 撮 影 した 横 浜の写
問題意識持ち
地 道 に 活 動
ブとして、子 どもたちが着
が、外国につながる人 が多
るために、どのような取り
――あるべき姿を実現す
の 身 着 の ま まで 参 加 で き る
受け入れる環 境 をつくって
い 中 区 において は、もっと
大 藪「
サッ カ ー ス ク ー ル も 開 い て
い く 必 要 が あ る と 感 じ る。
年 後 に はス
動 で きる 施 設の 実 現 を 掲 げ
持ってまちづくりに取り組
向 け た 共 通 した イ メ ー ジを
が問われる。区民が将来に
に任 せて、サー ビスの消 費
る。ま ち づく り を一部の人
識 をつくっていく 必 要 があ
は多 様なバック グランドを
願い。サッカースク ールで
に向 け区は、防 災
区制100周 年
持つ子 どもたちと接してき ・ 福 祉・ 子 育 て な
た中で、相 手を理解しよう
る課 題に横 断 的に
ど 住 民 生 活に関 わ
中区
三上 章彦区長
広聴強化と住民参画推進を
ま、学 ぶ皆 さま、中 区に関
用としても、
て今に至る。土地の有 効 活
と努め信頼関係を築くこと
支援など地域包括ケアシス
年 度 は、介 護・医 療・生 活
るような仕組みを整えるこ
区民との多 様なチャンネル
対 応 す る 機 能 がよ
接 し た 大 岡 川 と 中 村 川の 水
を持ち、区民の声に耳を傾
り一層求められていく。
質 調 査 を するな ど 水 質 改 善
角野「 濱 橋 会で、生活に密
町の祭 を知 らないのはいか
に 向 け た 取 り 組 み を 進 めて
を大切にしている」
前に帰国したが、帰国 後に
識から地域同士の橋渡しを
がなものか、という問 題 意
子 どもたちが自 尊心をしっ
努めるとともに、区 民の区
の視 点に立った区 政 運 営に
な総合行政機関として区民
いく。さ らに は、このよ う
政参画も進めていきたい。
る 重 要 な1 年 だ。一番 身 近
な 広 聴 機 能 を 強 化 した う え
くみ取り、区の政 策に反 映
で、区民 が区 政に参画でき
していく機 能も求められて
そ の 機 能 強 化 の た め に、 とも 重 要 だろう。2017
感じるのが人権意識の希薄
年住み3 年 『 濱 橋 会 』 は、 そ も そ も 隣
が問われると思う」
いる。そこに は、外 国 につ
ながる子ども、学校 生活が
この現状を改善するには同
子どもなど、参加者は多様。 じコミュニテ ィー の一員 と
う ま くい か ず 転 入 して き た
いう 意 識を、時間をかけて
全ての子どもに居場所を
一人ひとり がまち づく りに
つま り、居 場 所 になってい
年間は短いが、それを地道
吉野「 人に優しいまちであ
年後
対する意識レベルを上げて
醸 成していくしかない。
の環境は変化していない」
って 欲 しいというのが 私の
なんでしょうか。
角野「 自 分のまちは自 分で
年活動してきたが施設面
様 な チャンス、この3 つの
つくろうという『 市 民 』意
――まず、中区の
議 論 し、 行 動 す る 時 代 だ。 る。このような取り 組みを
に続けていくことが大切だ」
周年が重なる。実行委では、
の あ るべき 姿 について、そ
題は、活 動 をしっかり 継 続
―― 実 践していることは
周 年の 幕 開 け
れ ぞ れ の 考 え や 思い を お 聞
の地である中 区として、国
するための場所がないこと。
記念すべき
こ れ らの 周 年 と 連 携 し な が
かせください。
際 的な存 在 感・サスティナ
周 年を祝い、記 念 事
待する。中区連合町内会長
ら 相 乗 的 な 盛 り 上 がり を 期
吉野「子どもたちに夢を与
ビリティ(持続可能性)
・多
って
そのほかにも、まち歩 き
連絡協議会会長で、記念事
ーム をつく り たいと、19
える地域 主体のサッカーチ
86 年にYSCCを立ち上
ベル を い か に 上 げ て い く か
げた。
そして、 周年の時に、 要 素についてそれ ぞれのレ
をお願いいたします」と呼
んでいるのが
が関 わっているNPO 法 人
者のままではいけない。私
ポーツを通して誰もが笑顔
大藪「米国に
の姿だと考えている」
年 後の理 想
れ ばと思う。そこが起 点と
で1日を終われる場所があ
びかけている。
月1日、横浜市の区制
なってコミュニテ ィー も 生
中区は1927(昭和2)
年
施 行 により 誕 生した5 区
さだ。外国につながる住 民
角 野「1990 年 代 ごろま
谷・ 磯 子 ) の う ち の 1 つ。
まれると考えている」
(鶴見・神奈川・中・保土ケ
テム構 築の推 進や区マスタ
が1割を占める中区におい
け、それらの声に対 する説
では 経 済 成 長 す る 社 会 状 況
進 め よ う と 始 ま っ て い る。 いる。ま た、2つの川 を 通
横 浜 大 空 襲 や 戦 後の 接 収 な
方針)の素案策定に着手す
ー プラン(まちづくり基本
め、一人 ひと り が 大 切 にさ
て、私たちが人権意識を高
がある。また、区 民の声 を
経済状況を背景にまちづく
であり、横 浜 もそのような
りが行われてきた。しかし、 れる社会の実現をめざすべ
かりと持てるような『居 場
150 周年
周年の紹介
歴史語り継ぐ
馬車道
吉野 次郎さん
広告・記事のお問い合わせは☎045・227・5050 中区・西区編集室へ
現在の中区中心部の礎となったのが「吉田新田」。350年前に釣鐘状の
入海を石材木材商・吉田勘兵衛が埋め立てた。横浜が開港の地となったのも、
この新田があったからこそ。今年は完成350周年を振り返り、これから
のまちづくりを考える契機として、様々なイベントが企画されている。
1965年 本牧 小港町生まれ。総合型
地 域 ス ポ ー ツ クラブ N P O 法 人「
Y.S.C.C.(横浜スポーツ&カルチャー
クラブ)」の理事長。運営するサッカー
チームはJ3リーグに所属。子ども向け
のサッカースクールなども展開する。
わ る 全 ての 皆 さ ま の ご 協 力
2
02 m
明責任を果たしていく必要
業地として横浜の発展を支
どを乗り 越え、観 光 地・商
え、現 在にいたる。開 港 記
パラ ダイムシフト( 考え方
は難 しく なってきた。市 民
こ れ ま での や り 方 での 発 展
や価値観の変化)が起こり、 識 を 育 て て い く た め に は、
きだと思 う。また、人 権 意
念 会 館 は関 東 大 震 災 や 接 収
などの危機を乗り越え、
化財に指定されている。
( 平 成 元 )年に国の重要 文
面
業 に 関 わ っ て い く こ と で、 を演出した。
ツアーや中区の歴 史をジャ
業実行委員会の委員長を務
着 実に続 けていきたい。課
中区に対する意識を高めて
ズや貴重な今昔映像などで
める平山さんは「 中区をあ
げ て 盛 大 に お 祝 い を して ま
子 どもも高 齢 者も一緒に活
年 後に向け、開港
いくとともに、
〝地域愛〟お
振 り 返るイベントなど、主
民の皆さま、お勤めの皆さ
いりましょう」と話し、
「区
そこで
よび協働・自治意識を醸成
催 団 体の 個 性 が 光 る 事 業 が
-5 1
Fax 0 5
Tel 04 -2 7-50
検索
10
1971年 大阪生まれ。フォトジャーナ
リスト。米国の新聞社専属写真家を経
て2002年よりフリーに。プロジェクト
「STAND:性暴力サバイバー達の素
顔」が反響を呼び全米で講演会と写
真展を展開。14年に帰国、中区在勤。
ys350
田義
編集室
区・
外
大藪 順子さん
詳細は
日
月
年
成
日
送
1867(慶応3)年に 60 フィート(約 18.3m)の計画道路が整備
されたのが馬車道の始まり。開港後、現在の関内周辺は外国人の居留地
となり、外国人の要請を受けてつくられた。馬車が通るようになると「馬
車道」と呼ばれるように。昨年、馬車道商店街協同組合主催で「記念ロゴ」
コンペを実施するなど 150 周年に向け盛り上がりをみせている。
、校 は 則
2 ま
さ
なる 合 ご いま
◉締
発行 の 面 掲載 きません
願い し げま 。 印刷作業
な
ッ
い します
作 を進 て りま
3 回目以
校 は
定しない場合
ずご返送く さい
正
せ
られた日 の中
い
い おり
ま に 載内
指定期 ま
りま と内 の
10年後を語る三上区長
30
10
返送ください
100
年 後の区 制100
盛りだくさんだ。
特別号
25
角野 渉さん
18
座 会
談
25
10
周 年に向けた契機にしたい
周年
10
ース社
タウンニ
株式会
ください
10
350 周年
吉田新田完成
未来へ向けて中区全体で盛り上がる1年に
させ、
中区制
としている。
年)2月
90
1983年 山手町生まれ。一級建築
士/博士(建築学)。一級建築士事
務所「角野デザインノード」代表。
れ、ご署名の上期日ま
「横浜山手やってみよう会」コー
ディネーター、NPO法人「Hama
Bridge濱橋会」の理事を務める。
90
右から吉野さん、大藪さん、角野さん
10
19
90 12
12
10
50
90
11
19
100
90
10
10
中区制90周年・開港記念会館100周年
29
知成
義知
発行責任者/宇山
編 集 長/清田
☎045-227-5050㈹ FAX045-227-5051 中区・西区編集室・〒231-0033横浜市中区長者町2-5-14セントラルビル2F http://www.townnews.co.jp
㍿タウンニュース社
90
89
中区区制 90 周年特別号
2017/0 23
掲載日