56 “シビックプライド”を胸に ■2017年(平成 横浜の中心に位置する中区は、今年 月1日に 区制 周年を迎える。また、開港記念会館も7月 に100周年とあって、今年は中区にとっては節 様々な取り組みを予定しており、中区全体で盛り 目。記念事業実行委員会(平山正晴委員長)では、 〝存在〟が大切な財産 100周年を迎える開港 周 年 を 記 念 し、 記 念会 館は、その名の通り 横浜開港 区 民 を はじ め 地 元 企 業 や になう子 どもたちが、未 来 また、これからの時 代 を 物は中区の公会堂の役割も た。横 浜を代 表 するこの建 上がりをみせる1年となりそうだ。 月に立 にな う。その趣 は、開 港の 市民の寄付金で創建され 周 年・ に夢や希 望をもてるように 歴 史 を 今 に 伝 える 語 り 部 の ち あ がった 中 区 制 各 種団 体で一昨 年 周 年 に関 わる 事 業 に と、 開港記念会館100周年記 よう。訪 れる人に横 浜、そ ともに、区民の大切な財 産 して 中 区 の 魅 力 を 伝 え る と 思いを込める。 区民提案 念 事 業 を通して一人でも多 でもある。実 行 委では、記 くの区 民にこの「 大 切 な財 事業も 念事業実行委員会では、 「シ ビック プライド( 中 区に対 す る 誇 り や 愛 着 )の 高 揚 」 と「未来志向」を目的に掲 実 行 委 が 手 が ける 記 念 事 日の「三 業 だけでなく、区民や中区 日と 産」を伝えたいとしている。 げ、3 月 塔の日 」をスタートに、1 に ホールで公演された吉田新 その1つで1月 末に関 内 馬 車 道150 周 年、中区 英 た 吉 田 新 田 が 3 5 0 周 年、 今 年は、横 浜の礎となっ 区民の協力が必要 で活動する団体からの 年を通して区内の各所で行 およぶ提 案 事 業 も、この1 年を通して様々な記念事業 を企画している。 田完成350周 年の歴史を われる。 実 行 委では、区 役 所( 行 周年への契 機 に 政 )だけでなく、中区に関 町出身の小説家・大佛次郎 さん伝説」 は、 大盛況となり、 生誕120 周 年と、様々な わ る す べ て の 団 体・ 機 関・ たどる市民ミュージカル「お 企 業・施 設 な ど が一緒にな づくり まち れ る 心 の 拠 り 所 で も あ る。 っかり 向き合 うことで生ま でなく、大 人 が子 どもとし CE・場 所という 意 味 だけ 所 』が必 要。それはPLA 周年へ 人 スポーツ振興・多文化共生・NPOによる地域活 年後の中区制100周年に向けたまちづくり 動と、それぞれ異なるフィールドで活躍する3人が 集い について語り合った。議論からは主体的にものごと に関わる大切さがみえてきた。 (本文・敬称略) この取り組みは個人レベル づくり 催した。彼らが見ている世 界を写真というかたちで客 観 的 に 知 るこ と で 彼 ら が 何に関心を持ち、どのよう な問 題 意 識 を持っているの かを読み取って相互理解に ――中区の魅力は。 つなげていきたい」 吉野「横 浜開 港の地として 自分が住むまちとして発信 の歴史の深さ。それを学び、 れる土壌 があった。もちろ 個 人 を 尊 重 し 受 け 入 れて く 歳で渡った米国は のも1つの方法だと思う」 づくりに関心を持っていく そこから地 域 づくり、まち 能性も生まれてきた」 ジ ネ ス と して 発 展 で き る 可 グも試みるなど、新たなビ 街と連 携し船 上ウェデイン 施。昨 年は、川 沿いの商 店 する運河パレードは4回 実 周 り の 地 域 に 関 心 を 持 ち、 り水上交通の可能性を模索 ビリティを担 保していくか に最 適 化 して、サスティナ 動 く 村 性のバランスをいか 市 性 と 直 接 的 な 人 間 関 係で これ か ら は 生 産 性 重 視 の 都 角野「都市性と村性の共存。 勢が魅力」 大 切にしていこうという 姿 っかり 認 識 し、これからも 大 藪「 古いものの価 値をし できることは喜び」 組みが必要でしょうか。 大 藪「 外国につながる子 ど でもできることだと思う」 吉野「 地 域のサッカークラ ん単 純な比 較はできない 真展を今年1月に初めて開 も た ち が 撮 影 した 横 浜の写 問題意識持ち 地 道 に 活 動 ブとして、子 どもたちが着 が、外国につながる人 が多 るために、どのような取り ――あるべき姿を実現す の 身 着 の ま まで 参 加 で き る 受け入れる環 境 をつくって い 中 区 において は、もっと 大 藪「 サッ カ ー ス ク ー ル も 開 い て い く 必 要 が あ る と 感 じ る。 年 後 に はス 動 で きる 施 設の 実 現 を 掲 げ 持ってまちづくりに取り組 向 け た 共 通 した イ メ ー ジを が問われる。区民が将来に に任 せて、サー ビスの消 費 る。ま ち づく り を一部の人 識 をつくっていく 必 要 があ は多 様なバック グランドを 願い。サッカースク ールで に向 け区は、防 災 区制100周 年 持つ子 どもたちと接してき ・ 福 祉・ 子 育 て な た中で、相 手を理解しよう る課 題に横 断 的に ど 住 民 生 活に関 わ 中区 三上 章彦区長 広聴強化と住民参画推進を ま、学 ぶ皆 さま、中 区に関 用としても、 て今に至る。土地の有 効 活 と努め信頼関係を築くこと 支援など地域包括ケアシス 年 度 は、介 護・医 療・生 活 るような仕組みを整えるこ 区民との多 様なチャンネル 対 応 す る 機 能 がよ 接 し た 大 岡 川 と 中 村 川の 水 を持ち、区民の声に耳を傾 り一層求められていく。 質 調 査 を するな ど 水 質 改 善 角野「 濱 橋 会で、生活に密 町の祭 を知 らないのはいか に 向 け た 取 り 組 み を 進 めて を大切にしている」 前に帰国したが、帰国 後に 識から地域同士の橋渡しを がなものか、という問 題 意 子 どもたちが自 尊心をしっ 努めるとともに、区 民の区 の視 点に立った区 政 運 営に な総合行政機関として区民 いく。さ らに は、このよ う 政参画も進めていきたい。 る 重 要 な1 年 だ。一番 身 近 な 広 聴 機 能 を 強 化 した う え くみ取り、区の政 策に反 映 で、区民 が区 政に参画でき していく機 能も求められて そ の 機 能 強 化 の た め に、 とも 重 要 だろう。2017 感じるのが人権意識の希薄 年住み3 年 『 濱 橋 会 』 は、 そ も そ も 隣 が問われると思う」 いる。そこに は、外 国 につ ながる子ども、学校 生活が この現状を改善するには同 子どもなど、参加者は多様。 じコミュニテ ィー の一員 と う ま くい か ず 転 入 して き た いう 意 識を、時間をかけて 全ての子どもに居場所を 一人ひとり がまち づく りに つま り、居 場 所 になってい 年間は短いが、それを地道 吉野「 人に優しいまちであ 年後 対する意識レベルを上げて 醸 成していくしかない。 の環境は変化していない」 って 欲 しいというのが 私の なんでしょうか。 角野「 自 分のまちは自 分で 年活動してきたが施設面 様 な チャンス、この3 つの つくろうという『 市 民 』意 ――まず、中区の 議 論 し、 行 動 す る 時 代 だ。 る。このような取り 組みを に続けていくことが大切だ」 周年が重なる。実行委では、 の あ るべき 姿 について、そ 題は、活 動 をしっかり 継 続 ―― 実 践していることは 周 年の 幕 開 け れ ぞ れ の 考 え や 思い を お 聞 の地である中 区として、国 するための場所がないこと。 記念すべき こ れ らの 周 年 と 連 携 し な が かせください。 際 的な存 在 感・サスティナ 周 年を祝い、記 念 事 待する。中区連合町内会長 ら 相 乗 的 な 盛 り 上 がり を 期 吉野「子どもたちに夢を与 ビリティ(持続可能性) ・多 って そのほかにも、まち歩 き 連絡協議会会長で、記念事 ーム をつく り たいと、19 える地域 主体のサッカーチ 86 年にYSCCを立ち上 ベル を い か に 上 げ て い く か げた。 そして、 周年の時に、 要 素についてそれ ぞれのレ をお願いいたします」と呼 んでいるのが が関 わっているNPO 法 人 者のままではいけない。私 ポーツを通して誰もが笑顔 大藪「米国に の姿だと考えている」 年 後の理 想 れ ばと思う。そこが起 点と で1日を終われる場所があ びかけている。 月1日、横浜市の区制 なってコミュニテ ィー も 生 中区は1927(昭和2) 年 施 行 により 誕 生した5 区 さだ。外国につながる住 民 角 野「1990 年 代 ごろま 谷・ 磯 子 ) の う ち の 1 つ。 まれると考えている」 (鶴見・神奈川・中・保土ケ テム構 築の推 進や区マスタ が1割を占める中区におい け、それらの声に対 する説 では 経 済 成 長 す る 社 会 状 況 進 め よ う と 始 ま っ て い る。 いる。ま た、2つの川 を 通 横 浜 大 空 襲 や 戦 後の 接 収 な 方針)の素案策定に着手す ー プラン(まちづくり基本 め、一人 ひと り が 大 切 にさ て、私たちが人権意識を高 がある。また、区 民の声 を 経済状況を背景にまちづく であり、横 浜 もそのような りが行われてきた。しかし、 れる社会の実現をめざすべ かりと持てるような『居 場 150 周年 周年の紹介 歴史語り継ぐ 馬車道 吉野 次郎さん 広告・記事のお問い合わせは☎045・227・5050 中区・西区編集室へ 現在の中区中心部の礎となったのが「吉田新田」。350年前に釣鐘状の 入海を石材木材商・吉田勘兵衛が埋め立てた。横浜が開港の地となったのも、 この新田があったからこそ。今年は完成350周年を振り返り、これから のまちづくりを考える契機として、様々なイベントが企画されている。 1965年 本牧 小港町生まれ。総合型 地 域 ス ポ ー ツ クラブ N P O 法 人「 Y.S.C.C.(横浜スポーツ&カルチャー クラブ)」の理事長。運営するサッカー チームはJ3リーグに所属。子ども向け のサッカースクールなども展開する。 わ る 全 ての 皆 さ ま の ご 協 力 2 02 m 明責任を果たしていく必要 業地として横浜の発展を支 どを乗り 越え、観 光 地・商 え、現 在にいたる。開 港 記 パラ ダイムシフト( 考え方 は難 しく なってきた。市 民 こ れ ま での や り 方 での 発 展 や価値観の変化)が起こり、 識 を 育 て て い く た め に は、 きだと思 う。また、人 権 意 念 会 館 は関 東 大 震 災 や 接 収 などの危機を乗り越え、 化財に指定されている。 ( 平 成 元 )年に国の重要 文 面 業 に 関 わ っ て い く こ と で、 を演出した。 ツアーや中区の歴 史をジャ 業実行委員会の委員長を務 着 実に続 けていきたい。課 中区に対する意識を高めて ズや貴重な今昔映像などで める平山さんは「 中区をあ げ て 盛 大 に お 祝 い を して ま 子 どもも高 齢 者も一緒に活 年 後に向け、開港 いくとともに、 〝地域愛〟お 振 り 返るイベントなど、主 民の皆さま、お勤めの皆さ いりましょう」と話し、 「区 そこで よび協働・自治意識を醸成 催 団 体の 個 性 が 光 る 事 業 が -5 1 Fax 0 5 Tel 04 -2 7-50 検索 10 1971年 大阪生まれ。フォトジャーナ リスト。米国の新聞社専属写真家を経 て2002年よりフリーに。プロジェクト 「STAND:性暴力サバイバー達の素 顔」が反響を呼び全米で講演会と写 真展を展開。14年に帰国、中区在勤。 ys350 田義 編集室 区・ 外 大藪 順子さん 詳細は 日 月 年 成 日 送 1867(慶応3)年に 60 フィート(約 18.3m)の計画道路が整備 されたのが馬車道の始まり。開港後、現在の関内周辺は外国人の居留地 となり、外国人の要請を受けてつくられた。馬車が通るようになると「馬 車道」と呼ばれるように。昨年、馬車道商店街協同組合主催で「記念ロゴ」 コンペを実施するなど 150 周年に向け盛り上がりをみせている。 、校 は 則 2 ま さ なる 合 ご いま ◉締 発行 の 面 掲載 きません 願い し げま 。 印刷作業 な ッ い します 作 を進 て りま 3 回目以 校 は 定しない場合 ずご返送く さい 正 せ られた日 の中 い い おり ま に 載内 指定期 ま りま と内 の 10年後を語る三上区長 30 10 返送ください 100 年 後の区 制100 盛りだくさんだ。 特別号 25 角野 渉さん 18 座 会 談 25 10 周 年に向けた契機にしたい 周年 10 ース社 タウンニ 株式会 ください 10 350 周年 吉田新田完成 未来へ向けて中区全体で盛り上がる1年に させ、 中区制 としている。 年)2月 90 1983年 山手町生まれ。一級建築 士/博士(建築学)。一級建築士事 務所「角野デザインノード」代表。 れ、ご署名の上期日ま 「横浜山手やってみよう会」コー ディネーター、NPO法人「Hama Bridge濱橋会」の理事を務める。 90 右から吉野さん、大藪さん、角野さん 10 19 90 12 12 10 50 90 11 19 100 90 10 10 中区制90周年・開港記念会館100周年 29 知成 義知 発行責任者/宇山 編 集 長/清田 ☎045-227-5050㈹ FAX045-227-5051 中区・西区編集室・〒231-0033横浜市中区長者町2-5-14セントラルビル2F http://www.townnews.co.jp ㍿タウンニュース社 90 89 中区区制 90 周年特別号 2017/0 23 掲載日
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