フランス革命の夢

小説
フランス革命の夢
(笑子の夢)
目
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第1章:アントアネットと笑子
第2章:ラボアジェと順
第3章:ロベスピエールの最期
第1章:アントアネットと笑子
その日は散々な日であった。最終の新幹線で京都に戻ってきたものの、興奮して、なかなか
寝付けなかった。何故なんだろう?東京駅のプラットホームで、順と別れる時、涙が溢れて
きて仕方がなかった。これからも、会えるというのに、変ネ。
笑子は少しブランディーを飲んだ。そして、眠りについた。
翌朝、眼が覚めた時、違和感を覚えた。わずかに、窓から、朝の陽光が差し込んでくるのだ
が、戸外で聴く小鳥の囀りなど、いつもと雰囲気が違うのだ。
「笑子先生!起きた?」
見れば、4・5才の男の子と女の子が話しかけていた。日本の子じゃない。フランスの子だ
わ。どこかで見かけた情景だ。そうだ、池田利代子さんの“ヴェルサイユのバラ”の1シー
ンだ。ただ、華やかなヴェルサイユ宮殿ではなく、どこかの塔に幽閉されているみたい。
笑子には、眼の前に見える光景は、現実ではなく、夢の様に思えた。
「ルイ!マリー!先生を起こしちゃダメよ。先生は、昨晩は、お忙しかったのだから」
母親らしき女性が、子供たちの向こうに見える。髪は短く刈られているが、髪が豊かに整え
られていれば、そのブロンドの髪は、神々しいばかりに輝いていただろう。同じ女性ながら、
笑子は、見とれていた。
「先生!昨晩は、さぞかし、驚きになられたでしょうね?」
質素な服を身にまとっているとは言え、この女性は、前国王ルイ16世のお妃のマリー・ア
ントアネット。その人に間違いない。そう、笑子は確信した。
笑子は、昨晩の事を想い出しかけていた。ルイとマリーに絵の描き方を教えている最中、
ロベスピエールからの使いという兵隊が、笑子を、有無を言わさず、宮殿から連れ出したの
だ。連れていかれたのは、
“革命軍”が開いた“聴聞”会場だった。多くの男たちから、あ
れこれ、質問された。
「どの様なご用事でしたの?」
「マリーアントアネットとフェルゼン様の関係について詳しく説明しろと強要されました」
「やっぱりね。あの人たちは、私とフェルゼンが特別な関係にある事を証明したいみたい!」
アントアネットは深いため息をついた。
「私たちの事で、あなたにご迷惑をかけましたね。ご免なさいね」
アントアネットは深く詫びた。
「私の実家のハプスブルグ家とフェルゼンの祖国のスウェーデン王国とは昔から親戚みた
いなつきあいだったの。だから、フェルゼンとは幼い時から、よく知っているの。お兄さま
みたいな存在だったわ」
少女時代が懐かしく想い出された。神聖ローマ帝国皇帝に連なる名門のハプスブルグ家に
生まれたアントアネット。両親の深い愛情に包まれ何不自由なく育った少女時代。ただ、名
門故か、結婚は、両親の奨める政略結婚。遠いフランスの名門のブルボン家の御曹司に嫁ぐ
ことになった。アントアネットにとっては、祖国のために、結婚した様なものだった。
「お妃さまも、ここに来られて、大変だったのではありませんか?」
「そうね。ここの宮廷は華美というか派手だったわね。ドイツの人は元来地味だから、音楽
の都と言われる“ウィーン”だって、結構、質素でした。ところが、芸術の都“パリ”は、
桁外れに、派手だったわね。私は、
“田舎娘”だと感じたわ」
「昨晩の“聴聞会”で、ロベスピエール様は、ヴェルサイユ宮殿の庶民感覚からずれた生活
感覚は、すべて、お妃さまが原因だと糾弾していました。」
笑子はキツイ事を言い過ぎたかなと思った。しかし、アントアネットは否定をしなかった。
「そうでしょうね。その当時、フランスは戦争につぐ戦争。軍事費が高騰しているので、ヴ
ェルサイユ宮殿での出費を抑えてくださいと、財務大臣が、懇願してきていたわね」
アントアネットは、深く、ため息をついた。
「旦那様と私は、
“出費を抑えよう”と、宮廷改革に乗り出したのよ。でも、その当時、宮
廷サロンは、パリの文化情報の一大発信地でしょ。パンパドール夫人は、既に亡くなってい
ましたが、デュ・バリー夫人などの大反対に会い、改革は、頓挫してしまったわ」
「先生は、“ルソー”って方、知っていらっしゃる?今の権力者のロベスピエールが敬愛し
ている人物だけれど」
笑子には馴染みのない名前だった。
ルソー。18世紀前半に活躍した啓蒙主義の思想家である。ルターによって始められた宗教
改革は、ヨーロッパの民をキリスト教の軛から解放した。神を中心にした世界観から、人間
を中心にした世界観へとの転換。中には、
「国王の統治権は、神によって与えられたもので
はなく、国民の意思に基づくものだ」とまで言い出した思想家が出現。この思想は、ヨーロ
ッパ中に広まっていったが、一番強く、根付いたのが、ヴォルテール、モンテスキュー、ル
ソーなどの啓蒙主義思想家の多いフランスだったのだ。
当然、時の権力者のブルボン王家にとっては、その思想は、危険なものであった。しかし、
一流の文化人を自負する、宮廷サロンの実力者のパンパドール夫人などは、この思想に傾倒
した。絶対君主の身内が、その対極にある共和制信奉者を支持するという理解しがたい構図
になっていたのだ。ただ、彼女らの傾倒は、うわべだけのもので、結果的には庶民を苦しめ
る元凶になる、“王宮の贅沢”自体は、止まらなかった。
「旦那様は、実は“ルソー”という方の隠れ信奉者なの」
アントアネットの口から意外な言葉が飛び出した。
「だから、
“国王は国民に奉仕しなければならない”と常々、おっしゃっていらっしゃった。
お爺さま(ルイ14世のこと)のお友だちのパンパドール夫人の影響かな?それで、今まで
のやり方(アンシャン・レジーム)を改めていこうとした。それまでも“三部会”と言って、
特権階級の聖職者、貴族と、特権を持たない平民から成る“立法機関”で、国の政治が決め
られていましたが、これからは、平民の意見がもっと反映されやすい様にとの配慮から、
“国
民議会”の設置などの道を開いたのよ」
笑子は、アントワネットの言葉に、意外感を覚えた。ルイ16世は、美人で勝ち気な、妃
のアントワネットの尻に敷かれている気弱な旦那と思われていたからだ。更に、妻とその愛
人のフェルゼンとの不倫にも気がつかない愚鈍な亭主だとも見られていたからである。
「でも、力及ばなかった。聖職者とか貴族とか言った“特権階級”の人たちと、平民の方た
ちの間に立って、旦那様は、それはそれは、ご苦労されたのよ」
アントアネットの眼には、涙がうっすら浮かんでいた。
「でも、平民の方の不満は収まらなかった。それ程、庶民の生活は大変だったのでしょう」
言葉が詰まった。
1789年、7月、ついに、『我々にパンを与えよ!』という女性の方たちの行進がパリで
起きてしまった。それに呼応するように、群衆の手により、政治犯が収容されていた『バス
ティーユ』が襲撃された。後に『フランス革命』と呼ばれる事件の始まりである。
アントアネットは悲し気な表情をした。
「『庶民が食べるものも無いという時、ヴェルサイユの宮殿では、毎晩、
『酒池肉林』という
か、華やかな舞踏会が開催されていた』とロベスピエール様が言っておりましたが」
笑子が口を挟んだ。
「それは誤解よ。多分、私たちをよく思わない、
“ジャコバン派”の方々が、
“私たちへの憎
しみ”を煽るために、流した“デマ”でしょう。でも、私たちの方も、庶民の方の生活が、
そこまで追い込まれているという認識は無かったのね」
しかし、アントアネットの不幸は、それに留まらなかった。
娘の嫁ぎ先であるフランスでの“異変”は、オーストリアのハプスブルグ家に大きな衝撃を
与えたのだ。母親のマリア・テレジアは、娘と娘婿とその家族の救出を計画した。その計画
を実行したのが、スウェーデン王国の貴族フェルゼンだった。
「バスティーユを襲った暴徒が、ヴェルサイユ宮殿にまで流れ込んでくるという噂が流れ
たのね。私たちを警護するため、近衛兵の方々が、駆けつけてくれました」
「その中の一人が、あの“オスカル”ですね。
」
「そう。オスカルは勇敢な兵士だったわ。でも、“男装の麗人”というのでしょうね。男の
格好をしているが、瞳の綺麗な、女の子だった。だから、オスカルの傍には、いつも“アン
ドレイ”という家来が控えていた。まるで、彼は、妹を見守る兄の様だったわね」
「フェルゼン様はかけつけなかったのですか?」
「そうなの。小さい頃は、兄と妹みたいに育ったのにね。しかし、オスカルは、私あてのフ
ェルゼンからの手紙を持っていたわ。私の事、少しは心配だったのかしら?その手紙には、
父も母も、私の事を、非常に心配しており、一度、ウィーンに里帰りする様に、書いてあり
ました」
「それで、お妃さまは、お子さまを連れて、ウィーンに里帰りしようとされたのですね?」
「そうなのよ。それなのに、『国王一家は敵国に逃亡を図った』という事になってしまった
の。その辺の事情は、ロベスピエールは、よく知っている筈なのに」
アントアネットは、再び、悲しい表情に戻った。
1791年6月、アントアネットは、フェルゼンの手引きで、子供を連れて、里帰りを決行
するが、ヴァレンヌというところで、足止めを食う。そして、パリに連れ戻された。彼らに
は、敵国オーストリーへの“国王一家の逃亡”という容疑がかけられていた。
当然、アントアネットは、この容疑を否認した。しかし、この当時、フランスとオースト
リーは戦闘状態に入っており、彼らが逮捕された時、“他人に変装”していた事もあり、彼
女の“里帰り説”は、国民に、受け入れられなかった。
“前国王一家”から、
“売国奴”にさ
れていた。かくして、彼女を含む国王一家は、ロベスピエール率いる、革命軍の下、軟禁状
態に置かれる様になったのだ。
笑子が最後にアントアネットを見たのは、彼女との打ち解けて話しあった、あの早朝のひ
と時から、3日後の事だった。
その朝、革命広場にはギロチンが備え付けられていた。この日、デュ・バリー夫人とアン
トアネットが処刑される事になっていた。共に、国民、特に、女性から、大きな“恨み”を
買っていた。
先に、デュ・バリー夫人が処刑された。夫人の最期は惨めであった。ギロチンの刃を見た
時、恐怖に襲われたのだろう。思わず、失禁してしまった。周囲に頭を下げて、
“命乞い”
をする姿は、宮廷での、あの“優雅さ”の一かけらもなかった。その彼女の首に、ギロチン
の刃が落下する。こんな残酷な刑も無いだろう。“ギャー”という言葉と共に、彼女は息絶
えた。周囲の群衆から、
“このアバズレ!”とか、
“ルイ15世の妾!”とか、怒号が飛び交
う。まるで、地獄の絵、そのままだった。
しかし、その地獄の様な光景を見ても、アントアネットは平然としていた。否、それ以上
に、前フランス国王の妃としての風格が周囲を圧倒していた。アントワネットが、デュ・バ
リー夫人の様に、醜く、“命乞い”する光景を期待していた群衆には、その姿は、意外であ
っただろう。
ギロチンの刃がアントアネットの首をめがけて落下する。その光景を見て、群衆の中から、
『あの女は、パンが食べられなかったら、ケーキを食べろと、言っていたわね』という中傷
も、
『フランス共和国万歳』という声も起きたが、アントワネットの堂々たる最期の振る舞
いに対する感動が、それらを吹き飛ばし、周囲を包んでしまっていた。
何故、アントワネット様を殺したの?笑子の胸に、疑問が沸いた。そして、その疑問は、時
の権力者のロベスピエールに対する怒りに変わっていった。
第2章:ラボアジェと順
順のその日はいろいろな事があった。やっとの事で、独身寮の自分の室に戻った時には、既
に、午前1時を過ぎていた。着替えもせず、ベッドに潜りこむと、一気に、睡魔に襲われた。
翌朝、目を覚ますと、傍らに、一人の男が、机に向かい、仕事を始めていた。
「ジュン!起きたかい?」
ヒゲづらの男がこちらを向いた。夢の中で見た覚えのある顔だった。
“小学館”という日本
の出版会社が“近代科学のパイオニアたち”というタイトルで、
“ニュートン”とか“ガリ
レオ”と並んで紹介していた男だった。たしか、“ラボアジェ”という名前だった。
「まだ、午前6時頃だろう?もう仕事を始めているのか?お前の事だ。朝メシも食っていな
いんだろう?」
順は、目をこすりながら、軽口をたたいた。
「オフ コース。
『タイム イズ マネー』だ。時間が勿体ないじゃないか?」
自分も変わっているが、この男も、相当の変人だ。そう、順は思った。
「実は、夢で面白いアイデアが浮かんだんだ。早速、書き留めようと思ってね」
僕も、どこかの警察で取り調べを受けていた様な夢を見たが、彼の夢は、そんな陳腐なもの
ではないらしい。
「どんなアイデアなんだ?」
「我々のしている呼吸は、物質が酸素の存在下で『燃える』という現象、つまり、『酸化』
と一緒なんだ。」
「つまり、僕たちは、その『酸化』によって、生きるエネルギーを得ている。と言うんだよ
な?」
ラボアジェの説に、順は、少しコメントを付け加えた。
すると、ラボアジェは驚いた様子だった。
「ジュン!キミの住んでいる“ジャポン”という国には、宇宙人がやってくるのかい?何故、
そんな事知っているんだ?」
「そう言えば、キミに初めて会った時、へんな事を口走っていたな。パソコン?とか人工知
能とか?僕にもチンプンカンプンだったが、カトリックのヤツらが聞けば、卒倒しそうな事
ばかり口走っていた」
そう言えば、順も、ラボアジェに会った時、ビックリした。自称“理系男子”の順にとって
は、
“ラボアジェ”は、
“神さま”の様な存在だった。その男が、
“税金の取りたて”で、生
計を立てていた。そして、
“サラ金”の取りたて人まがいの強引な取り立てをして、世間か
ら“鼻つまみ者”と思われていた。
「今、我が国でも、ジュンの祖国の“ジャポン”の“ウキヨエ”は大人気だ。でも、
“ジャ
ポン”は鎖国令とかで、世界の国と交流せず、文化は遅れていると聞いているぞ」
ラボアジェは不思議そうな表情で、順に問いかけていたが、それ以上は、つっこまなかった。
「ジュン!キミは、革命軍の聴聞委員会に呼ばれたそうだな?」
ラボアジェは話題を変えた。
当時の革命軍は、ジロンド派とジャコバン派が権力争いをしており、国王ルイを支持する
“王党派”は、すっかり影をひそめていた。
1789年、国王ルイ16世は、平民の声がより反映されやすい様に、それまであった“3
部会”を解散し、平民、即ち、
“第3身分”を中心にした、国民議会を作った。その当時は、
“ミラボー伯爵”の率いる“王党派”など、立憲君主制を目指す勢力が権力を握っていた。
しかし、1791年、例の国王一家逃亡事件が発覚。それ以降、国王は、
“裏切り者”のル
イとして、国民の支持を失っていった。結果、王政は廃止され、共和制を目指す勢力の“ジ
ロンド派”と“ジャコバン派”が権力を握る事になったのだ。
昨晩、順は、聴聞委員会に参考人として招致された。順以外にも多数の参考人が呼ばれてい
たらしい。委員会の開催されている各のテントの前には、数人の人たちが待機していた。
順が呼ばれた聴聞委員会の隣のテントの前には、異国人と思われる婦人が待機していた。フ
ランス風の格好はしているが、自分と同じ、東洋的なオーラを放っていた。どこかで、会っ
た様な、懐かしい感覚が、順の脳裏を、一瞬、駆け巡った。
「お嬢さんは、どうして、呼ばれたのですか?」
順は、思い切って、話しかけてみた。
「マリー・アントアネット様について聴きたいことがあるみたいです」
女が応えた。
「参考人 ジュン!入れ」
突然、テントの中から、大きな声がした。高圧的なもの言いだった。
中に入ると、前に、5人の男が座っていた。
2人はジロンド派、3人はジャコバン派。国王ルイの命令で、庶民から税金の取りたてをや
っていた男。そんな男を弁護してくれそうな者は、誰一人、居そうになかった。
「ジュンさん、本日は、あなたの友人のラボアジェ君の事で聴きたい事があります」
中央に座っている男が、丁寧な物言いで、質問を始めた。
「ラボアジェ君は、税金の払えそうにない人たちからも悪どい取りたてをしていると言う
告発がありました。本当でしょうか?」
「その強引な取り立てを苦にして首を吊った者も居るそうじゃないか。可哀そうに!」
左隣の男が口を挟んだ。
「更に、その取りたてた税金を、国に納めず、私腹を肥やしているという噂もある」
更に、右隣の男も、口を挟んだ。
聴いていて、順は、腹が立ってきた。
「まず第一に、強引な取り立てで首を吊った者も居ると、仰いましたが、貴方さまは、それ
なら取りたてる必要は無かった、と考えておられるのでしょうか?」
順は、左隣の男の顔を、じっと見た。男は、一瞬、たじろいだ。
「仕事だから仕方のない事かも知れないな?でも、ケース・バイ・ケースだろう。もっと優
しく接してやる事は出来なかったのか?」
左隣の男の口調は以前の様な高圧的なものではなくなっていた。
「第二に、取りたてた税金を、着服しているという噂があると、仰いましたが、貴方さまは、
その噂を確かめられたのでしょうか?」
順は、右隣の男の顔を睨みつけた。
「だから、お前に、確かめているのじゃないか?」
順の剣幕に、右隣の男も、そう言うのが精一杯だった。
順は怒りのあまり、発言するのも億劫だった。一体、お前さんたちは、何者なんだい?偉そ
うにしやがって!
暫くの間、沈黙が続いた。
「ジュンさん!失礼な事を言いました。お詫びします」
その場が凍り付いている事を懸念したのだろう。中央の男が、口を開く。
「僕は、ラボアジェ君については、よく知っている。彼は、高潔な人です。公金を着服する
様な人ではない。仮に、百歩譲って、彼が、公金を私用に使っていたとしても、彼は、国の
科学の発展のために、お金を使っているのです。本来は、国が、研究費として支給すべきも
のです」
中央の男が言葉を継いだ。
「ロベスピエール同志!キミは、反革命分子を擁護するのか?」
右隣りの男が遮った。
「そういうつもりはない。ダントン同志!僕は事実を単に述べているだけだ」
内輪モメが始まったようだ。革命軍も一枚岩じゃないのだ。順には、そう感じられた。
「ラボアジェは、将来の科学の発展のために、いろんな実験をしています。例えば、水を電
気分解して、
“酸素”と“水素”を取り出す事に成功しました。
」
順も口を開いた。
「そんな実験が何の役に立つと言うのだ?」
ダントンと呼ばれた男が口を挟んだ。偉そうに!順は、再び、気分を害した。
これは、将来、水素を酸素を反応させる事により、電気エネルギーを取り出すという、実用
化につながるのだが、
“頭の固い”ダントンには、到底、理解できないだろう。この男は、
“税金の取りたて人”というラボアジェの“外見の姿”だけを見て、彼を馬鹿にした。そし
て、科学者として、将来、人類に貢献する事になる、ラボアジェの“真実の姿”を見ようと
もしない。そう、考えると、順は、馬鹿らしくなった。
当然、順は、それ以降、何もしゃべらなかった。
暫くして、ラボアジェに決定がくだった。その決定書をシゲシゲとラボアジエは眺めてい
た。
「ラボラジェ!何かあったのか?」
「どうも、僕に死刑の決定が下ったようだ」
ラボアジェは他人事の様に言い放った。
一瞬、順の顔から血の気が引いた。ラボアジェの首にギロチンの刃が落下する情景が浮かん
だからである。
「首領格のロベスピエールは、キミの事を高く評価していたぞ」
順には死刑の決定が納得いかなかった。
「ロベスピエールならそうだろうな。公正に評価できる人だから。しかし、実際に力を持っ
ているのは、子分のダントンだ。理想主義に走るロベスピエールを抑えて、革命をここまで
進めてきたのはダントンの力だ。彼らは、
“革命”なんて言っているが、所詮、
“国民の機嫌
伺い”のため、常に誰かを悪者にしておかねばならない茶番劇さ。」
「キミは、よく平然としていられるな。
“死”が怖くはないのか?」
「僕も人間だから怖いさ。しかし、人間は、いずれ死ぬんだぜ。遅いか、早いかの差だ。死
なない人間なんて、逆に、僕はゴメンだな」
「ギロチンで首を刎ねられるのだよ」
「ジュン!おかしな事を言うものだ。キミの国、ジャポンでは、チョンマゲの男が腹を切る
時、
“カイシャク”と言って首を刎ねる習慣があると聞いたぞ。
」
それは、今から200年以上も前の、“江戸時代”の風習で、現在の日本では、そんな風習
はない。順は、そう言いたかったが、今、彼は、1791年のフランスに居た。
「そこでだ。ジュン!僕からお願いがある。この願い、引き受けてもらえないだろうか?」
「何でもきいてあげるさ。手紙でも届けるのか?」
「いや、そうじゃない。僕がギロチンで処刑された後、何時間ぐらいで息絶えるのか?計っ
て欲しいのだ。できれば、どういうプロセスを経て、各臓器が死んでいくのか、詳しく」
「そんなの僕は嫌だ」
順は悲しかった。この不条理な提案に、大声をあげて、叫びたかった。
「こんな事は、キミにしか頼めないじゃないか!僕は、最期まで、科学者でありたいのです。
だから、同じ志を持つ、キミに頼みたいのです」
それから、数日して、ラボアジェの処刑が、革命広場で、執行された。マリーアントアネ
ットの時と違って、群衆は少なかった。しかし、群衆の中から、
「いい気味だ。
『国民の敵』
よ。地獄へ行け!」など、怒号は、やはり、飛び交った。
順は、
『群衆の無知さ』が、悲しかった。ラボアジェが、何の悪さをしたというのだ。税
金の取りたてという仕事をしただけではないか?それどころか、彼は、科学の基礎を作った。
いずれは、この基礎の研究から、世の中に役立つものが、バンバン発明され、国民の生活は
豊かになる。それなのに、この当時のフランス国民は、
『近視眼』的視野で、この大科学者
を裁いてしまったのだ。
順から離れた所から、もう一人、ラボアジェの処刑を眺めていた人物が居た。彼の目から
も、一筋の涙がしたたり落ちた。彼の処刑の決定を下したロベスピエールであった。
許してくれ!こうしない事には、新しい時代は来ないのだ。
ロベスピエールは、何度も、何度も、この言葉を繰り返した。
第3章:ロベスピエールの最期
フランス革命とは何だろう?複雑なプロセスを経過しているので実に掴みづらい。
1979年、群衆の、政治犯が収容されている“バスチューユ牢獄”への襲撃と、パリに住
む女性たちの、
「パンをよこせ」と叫ぶ“ヴェルサイユ宮殿へのデモ行進”。この二つによっ
て、この革命は始まった。
歴史に“もしも”ということが許されるならば、この革命は、啓蒙的な思想の持主のルイ
16世の手で、国民の不満は解消され、
“絶対専制君主国”から“立憲君主国”に看板をか
けかえるだけで、収まっただろう。ところが、ルイ16世が共に改革しようと計画していた
パートナーの“ミラボー伯爵”が急死した。これが、異変の始まりだった。ミラボーは、国
民に絶大な人気があっただけに、ルイは、目の前が真っ暗になったのだろう。共和政を要求
する、“ジロンド派”や“ジャコバン派”の台頭を恐れて、妃のマリー・アントアネットの
母国のオーストリアへの脱出を試みる。そして、失敗した。
“もしも”というのは、この“国王の国外逃亡”と言う事件である。この事件も、ミラボ
ー伯爵の急死がなければ起きなかっただろうし、この事件さえ起きなければ、フランスも、
イギリスの様に、
“立憲君主国”として、生まれ変わっていただろう。しかし、現実は、こ
の事件が起こり、ルイは“裏切り者”として国民の支持を失い、彼を擁護する“王党派”は
急速に勢力を失う。かくして、この革命は、
“ボタンの掛け違え”で、いきつくところまで、
突き進んでしまう事になるのである。
ロベスピエールだってそうだった。ルソーの啓蒙思想に触れ、国民が主体の理想王国を夢み
た彼は、その理想を実現するために、それを妨害する勢力と常に闘わなければならなかった。
まず、ルイ14世の時代の古い体制(アンシャンレジーム)
、即ち、絶対専制君主(ルイ1
4世の様な)とカトリック教会と、立憲君主政を目指すグループや自由を重視する共和政治
を目指すグループと連携して闘った。そして、1789年のバスチューユ襲撃とヴェルサイ
ユ行進を扇動する事により勝利。国民議会を作らせ、世界で初めての“人権宣言”を発表す
る。
国民議会は、立憲君主政を目指す“王党派”
、自由を重視する共和政治を目指す“ジロン
ド派”、そしてロベスピエールが属する、平等を重視する共和政治をめざす“ジャコバン派”
の新体制派の議員で構成されていた。中でも、啓蒙的思想を持つルイ16世とタッグを組む
“王党派”は、リーダーのミラボーが国民に圧倒的な人気があり、このグループが中心で、
政治改革は、
“穏健に”進む筈であった。
ところが、歴史は皮肉なもの。王党派のリーダーのミラボーが急死したのだ。改革の後ろ
盾を失ったルイ16世は、妃のマリー・アントアネットの母国のオーストリアへの国外逃亡
を図る。何故、ルイが、こんな馬鹿な事をしたのか?僕は、ロベスピエールら、共和政を目
指すグループが、ルイに、この逃亡計画を唆したのではないか?と、推察している。
国王のルイが祖国のフランスを捨てて、敵国?オーストリアに逃亡!国民の国王への信
頼を失墜させる、この事件は、国王を不要とする勢力には、うってつけの事件であったろう。
尾鰭をつけてプロパガンダした事も、十分推察できる。
案の定、ルイは“裏切り者”の烙印を押され、怒ったパリ市民により、パリ市内の“ティ
ルリー宮殿”で軟禁状態に置かれる事になる。
国王への信頼失墜は、国民議会にも大きな影響を与えた。国王を支持する“王党派”は急
激に勢力を失い、
“共和政治”を目指す、
“ジロンド派”と“ジャコバン派”が権力を握る様
になった。
この事態を憂慮したオーストリア帝国は、1792年、本格的に、フランスの政治に干渉
し始める。“共和政”という下克上の様な“革命”が、ヨーロッパに波及しない様にとの配
慮からである。それに対し、国民議会内では、オーストリアに宣戦布告をする。
ある日、アントアネットの母のマリア・テレジアの命を受けたフェルゼンは、ティルリー
宮殿に忍びこんでいた。そして、国王一家と会っていた。
「このままでは、革命軍によって、ブルボン王家は滅びてしまいます。どうか、オーストリ
アに亡命ください」
フェルゼンは、ルイに、必死に懇願した。
「この様な事態になったのは、お前の口車に乗ったからではないか」
ルイは冷ややかに応えた。しかし、このままでは、ジリ貧。余程の事がないと、王政は廃止
されるだろう。ルイは考えこんでいた。
「フェルゼン!お前の話は信用できないわ。前の時も、失敗したではないか」
アントアネットは、あからさまに、不信感を示した。
「それは、ロベスピエールの計略にひっかかったからです。彼が、『国王が祖国フランスを
捨てて、オーストリアに逃げた』というプロパガンダをしたためです」
フェルゼンは、必死に、抗弁した。しかし、ルイの決断を引き出すことは出来なかった。
長い沈黙が続く。
そんな時、どこからか、叫び声が上がった。
「オイ!くせものが、この宮殿に忍び込んでいるぞ!」
「どの部屋だ!」
怒号が宮殿内に飛び交った。
フェルゼンは説得を諦め、ティルリー宮殿から、急いで、退散しなければならなかった。
皆さまは“ノストラダムス”という人物を覚えておられるだろうか?“1999年の7月、
恐怖の大魔王がやってくる”と予言し、僕たちを恐怖に陥れた男だ。その男は、「1789
年、ヨーロッパの一角で天地がひっくりかえる大事件が起きる。そして、その3年後の8月
10日に未来の国より使者が来る」とも、予言している。
その運命の1792年8月10日、パリの郊外で、“ゴーン”という大音声と共に、巨大
な隕石が落ちた。多分、その時、“時空の壁”が破られたのであろう?一組の男女がフラン
スの大地に降り立った。
丁度その頃、パリでは、熱病に取りつかれたように、
“サンキュロット”と呼ばれる貧民
群の一団が、
「ルイを倒してしまえ」と叫びながら、ティルリー宮殿目指して行進していた。
“国王ルイと、密かに連絡を取りあっているオーストリア軍が、パリを目指して、進軍を
開始した”と、いう噂が、パリ中を駆け巡った。そして、その噂に動揺した彼らが、
“自分
たちの生活が苦しいのも、祖国が危機に陥っているのも、全部、贅沢をしている国王一家の
せいだ”と考えたためであった。
初めは、静かな行進だったが、途中、数が増えるにつれ、その行進は暴徒化していく。
ついには、国王一家を、ティルリー宮殿から連れ出し、
“タンプル塔”に監禁してしまった。
暴徒化した群衆から石をぶつけられたり、こつかれたりしながら、弱々しく、監獄の様な
“タンプル塔”に入っていく一家。もう、そこには、嘗ての“栄光”の一片(ひとかけら)
もなかった。惨めだった。
その群衆の怒りの“激しさ”を見ていた、この騒ぎの“仕掛け人”、ロベスピエールさえ
も驚くほどであった。
「国王を監禁すると言うのは、何が何でも、やり過ぎじゃないのか」
ロベスピエールは、傍らのエベールに言った。
「その甘さは、いずれキミを滅ぼすよ。国王の権威を徹底的に失墜させない事には、共和政
治は進まない!きっと、反革命分子が国王を担ぎ出すよ!ロベスピエール!それが解らな
いお前ではあるまい!」
エベールは、一番、進歩的な考えの持ち主。そう言い切った。
「群衆と言う者は、自分勝手なものだ。この事をよく覚えておく事だ。ロベスピエール!こ
こで、手を抜くと、今度は、俺たちに、彼らの怒りは向けられてくるぞ」
ダントンも口を挟む。さすが、この男は、
“汚れ役”の名人。人情の機微に通じていた。
この日の事件を機に、国王の王権は廃止された。ルイ16世は“前国王”
、マリー・アント
アネットは“前妃”と呼ばれる様になる。廃止された“王政”に代わり、国民による“普通
選挙”が行われ、国民議会に代わる“国民公会”が発足する。“フランス共和国”の誕生で
ある。
実は、この物語は、ここから始まっている。笑子が、目を覚まして、初めて、マリーアント
アネットに会ったのも、国王一家、否、前国王一家が幽閉された、ここ“タンプル塔”の一
部屋であった。笑子には、初めての会見だったが、アントワネットは、笑子の事をよく知っ
ていた。
順の場合も、同様であった。ラボアジェに初めて会った筈なのに、ラボアジエは、順の事
を、よく知っていた。そして、昔からの友人の様に遇してくれた。何故か?それは、笑子も
順も分からなかった。ただ、
“大事な人”をロベスピエールに奪われたという思いだけは、
共有していた。
そんな思いが、この2人を結びつけたのだろうか?“ロベスピエールが逮捕された”
という、俄かには、信じられない情報が、交錯する、ある日、偶然、この2人は、パリの“カ
フェ”で顔を合わせたのだ。
「ヤー!また、お会いしましたね」
順は女に声をかけた。女は、一瞬、驚いた様子だった。
「革命軍の聴聞委員会な時に、私に、声をかけて下さった方ですね?」
順は、黙ってうなずいた。やがて、
「アントワネットについては可哀そうな事をしましたね。でも堂々たる最期でした。僕は感
動しました」
順から、アントワネットを悼む言葉が発せられると、女の目には、うっすらと、涙が滲んだ。
「あんな良いかたを、ロベスピエールは、騙した上に、ギロチンにかけたのよ。彼も、ギロ
チンにかけられればいいわ」
女の唇から、過激な言葉が発せられた。今度は、順が驚く番だった。
「ロベスピエールは、そんなに冷酷な男ではないよ。実際、ジロンド派のメンバーは、国王
一家の処刑までは望んでいなかった。彼らは、オーストリアに、形式的に、宣戦布告をした
ものの、
“国王一家を処刑すれば、オーストリアとの戦争は本格的になるだろう”と踏んで
いたからね。だから、彼も、同意するつもりだった。」
順は、ロベスピエールを弁護した。
「それなら何故?」
「彼の属する“ジャコバン派”は、国民の“怒り”のエネルギーを利用して、革命を更に進
めたかった。そこで、
“国民は国王の処刑を望んでいるぞ”と、仲間のダントンに止められ
ると、腰砕けになってしまった。結局、彼は、革命を更に進めるため、
“国王一家の処刑”
も、
“必要悪”と判断したんだ」
「“見せしめ”ってワケね。」
「そう。彼の“大義”が彼の“個人的感情”に打ち勝ったという事だろう」
「男の人って、イザとなると、冷徹になれるのね」
女は、ため息をついた。
結局、アントワネットもラボアジェも処刑された。その結果、ジロンド派が心配したとおり、
国王一家の処刑は、アントワネットの母国のオーストリアの態度を硬化させた。隣国プロシ
アと組んでパリに攻めこんできた。この事態に対して、ジロンド派のメンバーは慌てるだけ
で、有効な対策を打てなかった。この時、ジロンド派に代わって、「フランス国民は、団結
して敵と戦え」と国民の士気を鼓舞したのは、ジャコバン派だった。その鼓舞により。国民
の多くは“祖国フランスを守る”義勇軍に志願した。現在のフランス国歌“ラ・マルセーユ”
が歌われる様になったのも、この頃だった。今までの“傭兵”とは違い“義勇軍”は強かっ
た。プロシア・オーストリアの連合軍を追い払ったのだ。
「それから、ロベスピエールの独裁が始まったのネ?」
「そうじゃない。ジャコバン派は一枚岩じゃなかった。一見ロベスピエールがボスの様に見
えるが、右派のダントン、左派のエベールとの3頭政治だった」
順は一息ついた。
「エベールは“理性”を重視する“無神論者”で、カトリック教会を目の仇にしていた。そ
れで、カトリックの坊主に、“強制的”に妻帯させようとした。神の、この世での、代理人
も、平凡な俗人であると、証明したかったんだろうね」
「カトリックの神父さまも、私たちと同じく、
“煩悩”を持っていること?」
「仏教ではないので、
“そうだ”とは、断言できないけれど、その様だろうね。これに対し
て、ダントンが、
“それは、神への冒涜だ!”と噛みついた。」
「それでどうなったの?」
「ロベスピエールも、
“エベールの考え方は、時期早尚”と考えた様だ。そこで、ダントン
と組んで、エベールを、“ジャコバン派”から追放した」
「ダントンという人は、凄い人ね?」
「そうなんだ!それに、この男、人情の機微にも通じている。笑子ちゃん!“清濁併せ呑む”
という日本の言葉を知っているでしょう?」
「セイダクアワセノム?」
「そう!だから、ダントンは、
“ワイロ”もよく受け取っていた。ロベスピエールは、元来、
清廉潔白な人間だ。だから、将来、ダントンの存在は、彼が目指している革命の汚点になる
のではないか?と心配になってきた。それで、ダントンも追放してしまった。
」
「ロベスピエールにとっては、都合の良い話ね」
順の説明をきいても、女は、ロベスピエールへの不信は取れそうになかった。
暫くして、女が口を開いた。
「順!確か、
“ロベスピエールが逮捕された”と言っていたわね?ライバル2人を追放した
のだから、ロベスピエールの天下じゃないの?どうして、彼が捕まってしまうの?」
女は首をかしげた。
「笑子!そうだね。僕にも、分からない。本人に、その辺、詳しく、訊いてみようか?」
順は女に提案した。
1794年の7月29日(革命暦の“テルミドール(熱月)9日)ロベスピエールは逮捕さ
れた。
この日、順と笑子は、囚人服を着せられたロベスピエールに面会していた。
「何故、捕まったのですか?」
「本日の国民公会で、私を弾劾する動議が提出されたためです」
「あなたは、何でも出来る立場に居たのではないですか?」
「そんな事はありません。いつも大勢の敵に囲まれていました。だから、革命の大義を達成
するためには、その敵と闘わねばなりませんでした。」
そのために、たくさんの人たちを、ギロチン台に送ったのネ。そう言いたかった。しかし、
笑子は我慢した。
「あなたの云う“革命の大義”って何?そのために、マリー・アントアネット様を殺した
の?」
その口調は激しかった。
「あなたは、たしか?アントアネットの弁護に来ていた女性ですね。
」
ロベスピエールは、しげしげと、女の顔をみた。
「あなたの弁護は実に雄弁だった。わたしは感動した。だから、私は、“彼女は、母国オー
ストリアに里帰りするために宮殿を離れたのであって、世間で言われている『国外逃亡』を
計画したのじゃない”と思いました」
「それなら何故?」
「政治的な駆け引きがあったからです。その当時、国民に人気のあったミラボー伯爵が死ん
だとは言え、王党派の勢力は依然強かった。彼らの手で、フランスが“立憲君主国”に生ま
れ変わろうとも、それは、この革命が、真に目指したものではない。中途半端な形で終了し
てしまう。私たち、ジャコバン派は、それだけは、何としても避けたかった。
」
「それで、あなたがたは、
“国王一家の国外逃亡説”をでっちあげた」
順が口を開く。
「国民と国王の絆を断ち切るには、うってつけでした。
」
ロベスピエールは当時を振り返った。
「ギロチンまでは必要なかったでしょう?」
「私もそう思いました。しかし、当時は、
“前国王が生きている限り、彼を担ぎ出す『反動
勢力』が出てくるだろう”という意見が多数を占めておりました。」
「それで、ギロチン?」
「ハイ!“ルイの時代は終わった”と国民に知らせるためです。
」
「ヒドイ!」
笑子は思わず叫んだ。
「でも、マリー・アントワネット様まで、殺す必要はなかったのじゃない?」
「パリ市民は、自分たちの生活が苦しいのは、
“ヴェルサイユで贅沢な暮らしをしているご
婦人方のせいだ”と思っていた」
「ご婦人方の贅沢などは、たかが知れている。国民の生活を苦しめたのは、莫大な費用を費
やして、
“アメリカ独立”を助けたからではありませんか?」
順は冷静だった。
「その指摘は正しい。しかし、パリ市民の、特に、女性の多くは、怒りの矛先を、宮殿で毎
晩、踊り狂っていたご婦人たち、特に、アントアネットにむけられていた」
「“それ故、彼女をギロチン台に送った”という訳ですか?」
「私たちは、国民の期待に応えただけです」
「ヒドイ!」
笑子は、再び、叫んだ。そして、次に、気まずい、重い沈黙が襲った。
「ところでキミたち。この国の人ではありませんね」
ロベスピエールは、今初めて、気が付いた様だった。
「僕たちは、嘗て、マルコポーロが“ジパング”と呼んだところから来ました」
「それも、21世紀から」
順と笑子の答えに、ロベスピエールは驚いた。
「それなら尋ねるが、私は、どうなるのだろう?」
「残念ながら、ギロチンにかけられます。でも、堂々たる最期だった様です」
「仕方ないよネ。たくさんの人をギロチンに送ったのだから。天罰だ。ただ、
“革命の大義”
が貫けないのが、残念です。」
「“人間の生命”より大事な“革命の大義”って何なの?」
笑子が叫んだ。
「“自由主義”と“民主主義”の確立です。僕は死ぬ事は怖くありませんが、これで、革命
が頓挫するのが残念です」
ロベスピエールは悲しそうな顔をした。
「ロベスピエール!あなたは、ナポレオン・ボナパルトという青年を知っていますよね?」
「ハイ!私たちが、
“祖国を守ろう”と呼びかけた時、
“義勇兵”として駆けつけてくれた青
年です」
「あなたの死後、少し混乱はあるのですが、彼が、フランスをまとめあげます。そして、あ
なたがたの“理念”は、彼によって、ヨーロッパ中に広まります。そのおかげで、21世紀
のヨーロッパのほとんどは、“自由主義”と“民主主義”の国です」
順の言葉に、ロベスピエールの顔はパッと明るくなった。
「私は、キミの友人のラボアジェくんも殺してしまったが、キミの云う21世紀では、どう
評価されているの?」
「ご安心ください。彼は、
“近代科学の父”として尊敬されています。彼を知らない者はモ
グリです」
「それは良かった!救われる思いだ。もう思い残すことなく死んでいける。」
ロベスピエールの顔は更に明るくなった。
順は、ロベスピエール自身の評価についても、語ろうかとも思ったが止めた。後年の歴史
に出て来る“ロシア革命”の際の“スターリン”と同じく、反対者を“血を以って”粛清し
ていく“独裁者”とは、言えなかった。彼の心情を理解し、
“真実”を後世に伝えていくの
は、自分の使命と考えたからであった。