NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE Title イギリスにおける共通文化の可能性 -D.H.ロレンスとT.S.エリオット を中心にして- Author(s) 中村, 嘉男 Citation 長崎大学教養部紀要. 人文科学篇. 1992, 33(1), p.71-85 Issue Date 1992-07-31 URL http://hdl.handle.net/10069/15307 Right This document is downloaded at: 2017-04-24T16:12:41Z http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp 長崎大学教養部紀要(人文科学篇) 第33巻 第1号 71-85 (1992年7月) イギリスにおける共通文化の可能性 -D.H.ロレンスとT.S.エリオットを中心にして- 中村嘉男 The Possibility of Common Culture in England with Special Reference to D. H. Lawrence and T. S. Eliot Yshio NAKAMURA I 'culture'とは大きな意味の広がりをもつ言葉であるOEDおよびRaymondWilliams のCultureandSocle少によれば、その意味は初め主に「耕作」とか「栽培」の意味で 使われていたが、 17世紀には`The culturing ordevelopment of mind, faculties, manners, etc"の意味ももつようになり、 18世紀になると、陶冶されたもの自体も表わすよう になった。この最後の新しい意味は、 Williamsによれば、次の4つの意味に発展して いく。すなわち、 「第一に、人間の完成の域という意味と密接に関連している、 『精 神の一般的な状態もしくは習慣』、第二に、 『全体としての社会における知的発展の 一般状態』、第三に、 『学芸の総体』、第四に、十九世紀も後になって意味されるよう になった『物質的・知的・精神的生活の仕方全体』」2)である。 WilliarrlSは、 `culturel がこのような意味をもつようになって、 「敵意か困惑のいずれかを誘発する言葉とな るにいたった」と述べる。なぜならそれは、それがどの程度享受されているかで、人 または階級が尊敬されたり蔑視されたりする残酷な判断基準となったからだ。総体 として一つの文化を構成しながら、教養とか学芸という意味の`culture'は、それを受 けとって利用できる側とできない側に、人々を分けてしまったのである。 文化内部のこの分裂が顕著になるのは、当然のことながら、民主主義の発達が急 になる18世紀からである。なぜなら、それ以前には分裂はそれとして意識されるこ とはあまりなかったからだ。平等という観念が普及して初めて、文化の高い相に接 することができる人とできない人に分けられていることが意識されだしたのである。 周知のようにこの時代は、現代社会に直結する大変化の起きた時期であり、 Williams 72 中村嘉男 によれば、 `culture'だけでなく、 `democracy'、 `industry'、 `class'、 `art'などの言葉に、 現代よく用いられている新しい意味が付け加えられた。 Williamsは、先にあげた著書 の中で、このような言葉の意味の変遷の裏にあるイギリス文化の動きを、現代まで の各時期の代表的な文人を主に対立する思想や活動という面からとり上げることに より、追求した。その意図には、分裂や対立が厳しくなりながら修復される見通し もない総体としてのイギリス文化に、何とか共通文化達成のための道筋をつけたい という一貫した思いがこめられている。分裂や対立は当然、進歩や発展の力になる こともあるが、不毛で消耗的なだけの階級的、職能的差による乳礫については、 「人 間の危機はつねに理解の危機」であったことを認識し、 「あらゆる問題において-・・・ 詳細な探究と協定の必要」3)をWilliamsは説くのである。 このような「探究と協定」を可能にする場が共同社会であり、その文化が共通文 化だとWilliamsは考えた。従って、共同社会も共通文化も、その形成はつねに「一つ の探究」とならざるをえない。 「良い共同社会、生きた文化」は、 「共通の必要であ る意識の前進に寄与できるすべての人びと、いかなる人へも道をあけておくばかり でなく、積極的に鼓舞するもの」であり、そこでは人は、 「未来を知らないし、 ・-なにが未来を豊かにしうるのかを確信できない」ので、 「別の立場から出発した他の 人たちに耳を傾けねばなら」ず、 「全注意力を払って、あらゆる愛着、あらゆる価値 を考慮せねばならない」4)のである。結局、 「共同」とか「共通」という言葉が使わ れながら、それは、社会の構成員が一つにまとまり仲良く生きる場や文化を決して 意味していない。むしろそれは、社会内で分裂や対立が避けられないため、対話や 協定の場がつねに探し求められていくところに生み出されるものと考えられる。 この小論でも共通文化を、過去の通産でも、現在の社会生活の状態でもなく、過 去から引き継いだものを現在において踏まえて新しく実現されるものと考えたい。 それは、新たな価値の実現の場をつねに含んでいる文化である。これを求めて、現 代文化に対して徹底的な批判を行ないながら、新しい社会や文化のあり方を模索し た20世紀のイギリスの偉大な文人に、 D.H.LawrenceとT.S.Eliotがいる。この二人 は互いに対照的に異なっていて、保守的な伝統主義者Eliotがその幾つかの文化論で キリスト教社会の可能性を積極的に考察したのに対し、西洋社会の伝統を嫌悪した Lawrenceは、キリスト教こそが社会や人間を卑少化させた要因と考え、人を真に生 かすものとしてキリスト教より古い古代の人々の心性をクリエイティヴに想像した。 EliotはこのLawrenceの試みを、最初のうち異教的とみなして厳しく批難したが、後 年にその否定的態度を和げた。実はこの二人には、対立する要素に劣らず類似点も 多く認められるのだ。例えば、二人とも、現代文明を特徴づける民主主義や自由主 義や共産主義などを厳しく批判したし、西洋文明の中で育まれたヒュ-マニズムに イギリスにおける共通文化の可能性 73 対しても、それがより大切なものを見失わせていることを指摘した。このような類 似点のうちこの小論では、二人が共同社会や共通文化に対して対照的なアプローチ をしながら根底的に似かよった提言を行なっている部分に注目したい。イギリス「最 初の近代的保守主義者」 EdmundBurkeが亡くなって百年近くあとに生を受けながら、 Burkeの時代にすでに古くなっていた社会の伝統をよみがえらそうとするEliotと、 ヨーロッパの文明より古い文明に生きていた人々の心を想像的に生かそうとした Lawrenceでは、現代のイギリスの共通文化創造への貢献度は低いとしか患えないか もしれない。しかし、この二人の偉大な文人が、主張を大きく異にしながら、共通 して見せた重要な類似点を見逃しては、イギリスの、いや世界の文化に残された財 産を無駄にすることになるだろう。 Ⅱ 先に述べたようにLawrenceは、西洋社会の内部に亀裂を走らせ、それを大きくし てきたものが、その社会を統一するはずだったキリスト教だと考えた。その宗教の もたらした害について彼は、晩年の名著Apocalypseで詳しく説明したが、そこで彼は、 人間の存在の仕方を、個としてのそれと集団的なそれに分け、人が努力してキリス トや仏陀に近づけるのは個として生きているときだけだと述べた。そして「この世 に純粋な個人というものはな」く、また、国家や社会も決して「個人的心理をもち えない」5)ゆえに、私たちの集団的な存在の仕方が考えられねばならないと説いたの だ。この集団的存在がキリスト教の影響を受けてどれほど歪な形になるかを、聖書 中の-篇「黙示録」の分析によって、 Lawrenceは明らかにしようとしたのである。 まず、 Lawrenceは、 「黙示録」において「己れの強敵を打ち倒して致命的な破滅と 挫折に逐いこみ、己れひとり光栄の座に這いのぼろうという--・心根」6)が実に派手 に表明されており、それは「第二流の精神に強く訴え」かけると見る。それは、彼 によれば、長いあいだこの地上での統治を欲していたユダヤ人の繰り返された挫折 のあとで、内部にうっ積した支配欲の見た不気味な夢なのだ。そこに現われている のは、 「人間のうちにある不滅の権力意思とその聖化、その決定的勝利の黙示にはか ならない」7)というのである。 しかし、 「黙示録」が唾棄すべき内容をもっているということより一層重要なのは、 聖書からそれを追い出せば、キリスト教が頼れる力になるわけではないという憂う べき事実である。この問題は、悪いものは追放すれば片がつくような簡単な問題で はないのだ。というのも、 「イエスが己れの弟子のうちにイスカリオテのユダをもた ねばならぬ宿命にあったように、新約のうちに黙示録-篇の紛れこむこともまた不 74 中村嘉男 可避の運命であった」からである。イエスがユダを招き寄せたように、キりスト教 の一流の精神が「黙示録」の二流の精神を呼びこんだというわけだ。なぜそうなっ たかというと、人間の本性がもともと立派でないからである。イエスの精神に満足 できるのは人間の本性のごく一部で、残りの「広汎な領域」は、 「旧いアダム的要求」 に、つまり「自己の勢力範囲において、しかも届きうるかぎり広く、支配者となり、 主となり、かつ栄えある存在となろうとする」8)欲求に支配されているからなのだ。 しかもこの欲求は、魂の奥からのものであって、決して軽々に取り扱うことは許さ れない。その扱いをまちがえると、 「黙示録」に見られるように、それはまことに卑 しい心根に堕し、惰るべき集団を形成しかねないのである。しかも、 Lawrenceによ れば、人間を卑少にしてしまうのは、キリスト教だけではない。 19世紀に広まった 民主主義や20世紀になってその体制の国も出現した社会主義もまた、それぞれの形 で人間の内奥の欲求を押えこみ、ねじまげ、歪にすることによって、人間を矯少化 なにぴと してきた。民主主義の国では、平等の観念がいきわたって「何人も他の人以上にこ とをなすのを禁じられている」ため、人は、 「他人がその欲することを行うのを不断 に干渉し妨害することによって、自己の力を主張しようという妄念に惹かれ引きず り回されざるをえない」とLawrenceは言う。 「黙示録」でねたまれていた「かの強さ 者」は、民主主義国ではもはや弱者でしかなく、その弱者すら強くなろうとするた びに周囲から抑えこまれるというのが、平等を唱えるその社会組織で行なわれるこ とである。こうして弱い者いじめが一般化しそれが権力にとって代り、 「魂を腐食さ せる勢力」となり、 「なんら有機的な全体をなさぬ断片」からなる社会を支配する。 社会は「相互になんの結合もない無数の断片から構成されていて、それらの断片は おのおの虚偽の全体性、虚偽の個人性を仮装」9)するというわけだ。 社会主義の国においては、事情はさらに悪くなる1917年の革命を経て1922年 に誕生したソビエト連邦についてLawrenceは、 「ロシアにおいては・・-・レニンを聖徒 の頭とする聖徒政治が実現された」が、それは果して「実に戦懐すべきものと化し た」と述べる。というのも、それは今までのいかなる「皇帝の支配にもまして多く の汝-すべからず式の禁止をもってい」たからだ。これは、キリスト教的であろう が社会主義的であろうが関係なく、あらゆる聖徒政治の宿命である。キリスト教も 民主主義も社会主義も、それぞれの高遠な理想に人を向かわせ、多くの禁止を押し つけるが、人の暗い魂の欲求については一切顧慮しようとしない。この欲求は前に も述べたように根源的なものであり、無視されたり抑えつけられれば、人は「意気 消沈し、みづから卑少になってしま」い、その結果は、その人にとってのみならず、 社会や国家にとっても大きな不幸となる危険さえある。これに対して、 「偉大といわ れるあらゆる王はすべての民におのおのささやかな縄張りのなかで小君主たること イギリスにおける共通文化の可能性 75 を許し、主観と威光をもって想像を満たさしめ、そうすることによって魂の満足を 与え」10)た。が、ヨーロッパの現代国家は、個人に卑少感しか抱かせず、国全体を大 きな牢獄に変えているというのが、第二次大戦にいたる前の西洋社会とその構成員 との関係についてLawrenceが考えたことである。そこでは分裂は個人をも引き裂い て、暗く陰湿な状態に陥れており、そのような個人が集まってできる集団や社会は 不健康で暴力的な形になりやすいと言えよう。 この種の分裂と異なり、真の共同社会と共通文化の実現に向けて必要とされる分 裂もある。それはもちろん、キリスト教や民主主義や社会主義といった形で人々を 無理矢理まとめようとする動きに対して異を唱えざるをえない力によるものである。 その力は、 Lawrenceによれば、あらゆる人が内にもつ「聖霊」から発する。 「聖霊」 とはLawrenceにとって、 `thedeepestselfから己れの欲することを行わせる力であり、 これに従いさえすれば、人は誰もが固有性を保ちながら共同の場に出られるという のである。 Apocalypseでは、この「聖霊」に従って生きる喜びは次のように表現され ている。 吾々は生きて肉のうちにあり、また生々たる実体をもったコスモスの一部であ るという歓喜に陶酔すべきでなかろうか。眼が私の体の一部であるように、私も また日輪の一部である.私が大地の一部であることは、私の脚がよく知っている。 そして私の血はまた海の一部である。私の魂は私が全人類の魂の有機的な一部で あり、おなじように私の精神は私の国民の一部なのだ。私は大いなる全体の 一部であってそこから逃れることなど絶対にできないのだ。吾々の欲するこ とは、虚偽の非有機的な結合を、殊に金銭と相つらなる結合を打ち股し、コスモ ス、日輪、大地との結合、人類、国民、家族との生きた有機的な結合をふたたび この世に打ち樹てることにある。まず日輪と共に始めよ、そうすればほかのこと は徐々に、徐々に継起してくるであろう。ll) これはLawrenceの「聖霊」が見せてくれたヴィジョンだが、同時に多くの人を根 底から解放してくれるヴィジョンでもある。 「聖霊」は各々の人が個別にもっている が、誤解されてならないことは、それが各自の勝手な自由を許すわけではないとい うことだ。逆にそれは、放縦な自由を捨てさせ、人を裸で大宇宙に直面させ、個よ りも大きなものの存在を自覚させてくれるのだ。これによって人は、偽りの様々な 結びつきから解放され、周囲から分離させられ、それを通して他者と出会える場へ と出られるのである。 「聖霊」は偽りの粋を断ち切らせ個を孤立させながら、彼を共同の場へ連れていく 中村嘉男 76 のであるが、その際に孤立化の過程を考えず、他者との出会いを融合化、同一化の 動きと誤解すれば、 Lawrenceの主張に全体主義の危険を認めることになるだろう。 実際、一時彼と親交のあったBertrandRussellは、彼を「夢想家」と考えただけでなく、 彼の死後、彼の「血」の哲学をナチズムと結びつけた。12)しかし、最初に相手のうち に破壊衝動があることを指摘したのはLawrenceの方であり、彼はRussellの平和主義 を、彼の内なる残虐な欲望の逆さまになった現われであると批難した。この批難を Lawrenceは、 Russellとまだ親交のあった時期に直接手紙に書いて送っている。 Dear, Russell, I'm going to quarrel with you again. You simply don't speak the truth, … Your basic desire is the maximum of desire of war, you are really the super-war-spirit. What you want is to jab and strike, like the soldier with the bayonet, only you are sublimated into words. And you are like a soldier who might jab man after man with his bayonet, saying `this is for ultimate peace'. The soldier would be a liar. And it isn't in the least true that you, your basic self, want ultimate peace. You are satisfying in an indirect, false way your lust to jab and strike. Either satisfy it in a direct and honorable way, saying `I hate you all, liars and swine, and am out to set upon you', or stick to mathematics, where you can be true. But to come as the angel of peace - no, I preferTirpitz a thousand times, inthatrole. You are simply full of repressed desires, which have become savage and anti-social. And they come out in this sheep's clothing of peace propaganda....13) 引用文中の`Tirpitz'は、当時のドイツの海軍大将の名で、彼は無制限な軍拡親争を 主張した。 Russellの、自分を見失った平和主義より、 Tirpitzの武力主義の方が、自己 の破壊的欲望を正直に表明している分、まだましだというわけだ。しかしRussellに は、このLawrenceの考えがどうしても理解できなかった。彼の平和主義は、危うい 当時の国際状況に対する良心的な抗議であるが、そのような良心による活動は人間 の全体のごく一部しかカバーしないだけでなく、破壊衝動を密かに育てるというの がLawrenceの一貫した考えである。だがRussellには理性の健全な働きで人間の問題 はすべて処理できるとしか思えなかった。彼には、理性の明るい光によって生じる 暗い影がみえなかったのだ。 この光と影については、 Lawrence同様Nietzscheから大きな影響をうけたGeorge Steinerが影を追い払う光こそ西洋文明の中核を構成すると同時に、ナチズムを育んだ 土壌の一つとなったと見ているSteinerにとって最大の問題は、アフリカの奥地から イギリスにおける共通文化の可能性 77 ではなくヨーロッパの真申から、ナチズムのような蛮行がなぜ現われたのかという ことである。これは、彼には、現代において文化のあり方を問うとき、絶対に避け て通ることはできない問題である。それゆえ、ナチズムの蛮行の衝撃も生々しい 1948年に、当時イギリス文壇の大御所的存在だったT.S.Eliotが、そのことに一言も ふれないで〃otes towards theDefinitionofCultureを出したことに対して、 Eliotの死後 彼の記念講演会に招かれたSteinerが不満をもらしたのも当然であろう。このときの 講演をもとに書かれたのがInBluebeard'sCastleであり、その副題は、 Eliotの文化論の 題をもじって、 `SomeNotesTowardstheRe-definitionofCulture'となっている。ここで Steinerは、古代の多神教からMosesの唯一神への移行が「人間の心霊をその最古の根 から引き裂」き、 「その裂傷はその後-・・-一度として接合されたことはない」14)と述 べる。一神教の発明が与えた衝撃については、例えばArlloldSchonbergのオペラ MosesandAwnから「想い見るをえず、眼に見えざるゆえに/測りがたきゆえに/莱 つることなきゆえに/永遠なるがゆえに/遍在するがゆえに/全能なるがゆえに」を 引用し、非存在でありながら圧倒的な力を遍在させる唯一神の、 「人間の意識を強打 して、意識自体の超越を求め、目もくらむばかり純粋な理性の光に到達することを 強要する」15)苛酷さを強調している。この光は西洋の歴史を貫いて現在まで届き、さ らに遠く未来にのびていくだろう。 Steinerはこの光の耐え難さがユダヤ人の大虐殺の 大きな原因になったと見るNietzscheの言う通り、 「唯一絶対なる信仰とは『人間が 犯したあらゆる過ちのうち、最も甚だしい過ち』」だったと見るSteinerは、 「人間の 『思考を絶する』神」、 「砂漠の空気のように空白な神」が「西欧人を責めさいなみ続 け」、その長期にわたる耐え難い圧迫の「反射作用」の一つがあの血も凍る大量虐殺 となったと見るのである。16) 加えて、唯一神という「至高のフィクション」のほかに、それに付随した様々の ものが人類に強要され、その「反射作用」を一層強力なものにしていった。例えば それらは、イギリスにおいては、 MatthewArnoldの唱えた`culture'という理念であっ たり、またRussellの平和主義であったりした。それらはいずれも人間に「完全さ」を 求め、それが各人を圧迫して心の中に自分の不十分さを自覚することによるストレ スをため、ついに爆発的な暴力行為へ走らせるのだ。 LawrenceがRussellの平和主義 を「銃剣」で背後から突き刺す行為にたとえたのは、前者の人の善性を信じ切る美 しい態度に、もともと不完全な人間を追いっめる不吉な光を認めたからである。そ の光がたまって限度を越せば、想像を絶する残虐行為も簡単に行なわれてしまうだ ろう。こうして、 Lawrenceをナチズムと結びつけたRussellの方が、実はナチズムに 近いところにいたことが、現在の私たちには見えてくる。しかしながら、 Russellの ようにLawrenceを理解できない人が、それでも彼の思想を美しい理想と考え信奉し 蝣蝣HSi崇監 78 た場合は、やはりそれも人をいっの間にか残虐さへと追いっめる光となるだろう。 LawrenceとRussellを共に崇拝したLady OttolineはWomen in LoveのHermione Roddice のモデルと言われているが、17)そのHermioneのように自らのうちに宇宙に感応する 力の湧出を感じることができなければ、たとえLawrenceの分身と思われるBirkinの考 えに共鳴しても、頚の中だけの共鳴になってしまい、かえってそれが自己の存在の 不足感を強く意識させ、自らのうちの破壊衝動を高めてしまうことになるO実際 HermioneはBirkinに対する殺意に身を任せてしまうが、このときに彼女が感じる官能 的な喜びは実にリアルに描かれていて、18)その描写は、すぐれた思想も頚の中だけで 理解されれば、諸々の理想と同じような破壊的な働きをすることを、 Lawrenceらし い力強さで納得させてくれる。 Lawrenceが何よりも嫌うのは、理想化や観念化のような、現実との関係を見失わ せる捉え方である。それはすべてを個人の内にとりこみ、個をふくれ上らせて、他 者や外在するものの姿をゆがめたり消したりするのだ。 Lawrenceの唱える「聖霊」 は、このような内面化と根本的に異なり、内にとりこめない絶対的なものとの関係 へ個を導いてくれる。言わば「聖霊」は、繰り返し起こる内面化の動きを一時的に せよ消滅させ、私たちを共同の場へ連れ出してくれる根元的な力となってくれるの である。 とはいえ現代においてはこの内面化の流れの中に、絶対的なものに目もくれず愚 かれたように前進する科学的な知が大きく入りこんでいる。この知のあり方につい て、先に紹介したGeorgeSteinerなどは、それがもはや西欧人の逃れられない宿命と なっていると考える。 Steinerは、 TheodorW. AdornoとMaxHorkheimerとの共著 DialektikderAufkldrμngの中で主張されている現代科学批判をさらに批判して、次のよ うに述べる。 事実を追究するということは--・決してエリート主義の、あるいはブルジョワ 的な食欲をもつ西欧人が、ある特定な時期にたまたま始めた偶然の過誤なのでは ない。私の信じるところでは、この追求心は人間の大脳の構造に、脳の電気的な 化学構造に、興奮神経の網目のなかに刻印されているものである。それは適当な 気候と栄養のある環境を与えられて必然的に進化し、たえず新しいエネルギーの フィードバックを受けながら増殖増大してきた19) 従って、ヒッピーなどがやっている「新原始主義」的活動は、 「余剰の富」のおか げで可能になっているだけで、私たちは「原始状態に引き返すことはできない」し、 「無知の夢を選ぶことはできない」とSteinerは説く。逆に私たちは、真理を追いかけ イギリスにおける共通文化の可能性 79 る現代社会という「青髪の城にあって、たとえその最後の扉が人間の理解も支配力 もおよばぬ現実に通じる扉であろうと、いやそれだからこそ、きっとわれわれは最 後の扉を開けるだろう」と、暗い見通しをSteinerは述べるのである。 このSteinerの考えは、現実社会のあり方が必然的であり、たとえ破滅にいたろう とその歩みを止めないだろうというものである。もちろんこれは、現実理解として は正確この上ないもので反駁の余地もない。ただ、この状況に対する対応策として Steinerが考えるNietzsche的「快活さ」は、それだけではあまりにも漠然としている かもしれない。その「快活さ」は、 「われわれ人間が今も昔も人間に無関心で、しば しば殺敬的な世界、しかし常に魅惑をひめた世界に招かれた不安な客人であ畠とい う、非情な真実を認め、緊張と皮肉に満ちてその真実を噛みしめながら、しかもな お快活さを失わぬ態度」20)だと説明されている。このいかにもNietzsche的で、しかも ユダヤ的認識は、個の絶対的な孤絶化を通して、 「非情」で「魅惑」的な世界という 絶対的なものと向きあっている。それは、厳しさにおいて際立っているが、 Lawrence の「聖霊」同様、個が内面化できないものに人を直面させるのだ。結局、 Lawrenceも Steinerも、この現代社会でますます強まる内面化の傾向の中で、内にとりこめないも のの姿を見失うことなく、 Nietzsche的快活さによって生きる強者の道を目指してい ると言えよう。これに対してこの二人と異なりキリスト教を重んじるT.S.Eliotは、 いかなる方向を目指しているのか、次に考察してみたい。 Ⅲ 最初にも述べた通り、 T.S.EliotとD.H.Lawrenceは共通の問題意識をもちながら、 それぞれの主張はほとんど正反対の方向を向いていた。とくにEiiotは、 Lawrenceの 存命中から、キリスト教文化の伝統を守る正統派の立場から、彼を厳しく批判した。 が、そのLawrenceやThomas Hardyなどの主情主義を異端として否定したAfterStrange Godsは、発表されたのち作者自身から絶版にされ、 Lawrence批判も1939年出版の TheIdea ofa ChristianSocietyでは次のように弱められている。 自然と神との連関の感覚を回復する苦闘、最も原始的な感情さえも私どもの通 産の一部であるとの認識は、 D.H.ロレンスの生涯を説明し、その正しいことを示 し、彼の奇矯な行為も止むをえないものであることを物語っているように私には おもわれます。しかし私どもはメキシコ・インディアンの眼をもって世の中をみ る方法を知る必要があるだけではありません-この点でもロレンスは成功したと は私は考えません一私どもは確かにそこに止まっているわけにはいかないので 80 s^mi転配 す。21) AfterStrange Godsで正統派の立場からLawrenceを厳しく批判した姿勢は、もはやこ こにはない.逆に、 Lawrenceを「私どもの通産の一部」として吸収しようとさえし ている。 Lawrenceが生きていたら、このような吸収のされ方に異を唱えたかもしれ ないが、そこはより長く生きた者の強みでEliotは、彼の努力を原初的な段階にとど まっていると考え、22)さらにそれを越えて、現代に適応できる望ましい社会の形を考 えようとしたのだ。その形は、共産主義的でも自由主義的でもない。西欧の現代社 会を特徴づける自由主義については、それが「伝統的社会習慣を破壊し、その自然 な集団意識を選挙民という個体に分解し、もっとも愚かなものの意見を涌浸させ、引 出す教育(education)ではなく詰めこむ教育(instruction)をやり、叡知よりも小利口 を、有能なるものよりも成り上りものを奨励し、その対立物としては絶望的無気力 があるにすぎない出世主義の観念を養」23)うがゆえに、厳しく否定される。多くの人 が愚かしい状態に平均化され、つまらぬ分裂をさせられて生きがいが見失われた社 会を否定して、 Eliotが望むのは、キリスト教社会である。もちろんEliotのキリスト 教は、 Lawrenceが否定したもの、つまり卑しい心根を裏側から呼びこむ第一級の精 神を唱道する宗教とは似て非なるものである。というのも、 Eliotのキリスト教社会 では、その構成員が皆「信仰厚いキリスト教徒」になることを求められているわけ ではないからだ。 Eliotは、 「新しい宗教復興論者流---の『精神の変革』は私どもが いっも用心しなければならぬ危険な陥算です」24)と述べ、意識的な操作による宗教心 の昂揚を警戒する。結局、そのような操作による回心は個人の心理的問題のレベル で処理される弱点をもっているが、 Eliotが求めるのは長い伝統という基盤に支えら れた「社会的態度の変革」である。 「社会的態度」なるものは、単に個人の意識的な 努力で変えられるものではない。その変革には宗教がなくてはならないが、個でで きることは、せいぜいヒューマニズムの理想とする状態に近づくことぐらいであろ う。このヒューマニズムなるものは、 Eliotによれば、宗教に「とって代る」ことな ど到底できない25)なぜならヒューマニズムは、教養主義同様、個人の内面の問題し か扱えないからである。ヒューマニズムを唱えるIrvingBabbittや教養主義を主唱する Arnoldは、各個人の内面の充実が信仰の代りになると考えているが、 Eliotはこのよう な考え方に徹底して反対する。彼によれば、信仰は単に個人の内面に生じるだけで なく、内面に取りこめない絶対的なものの認識を促し、それを通して人々を共同の 場に連れ出すものだ。この絶対的なものは、ヒューマニズムや教養主義では簡単に 内面化され、その姿を歪められてしまうが、宗教的な認識ではそれとの距離は保た れ、その姿が見失われることはない。このことは、絶対的なものが私たちに脆拝を イギリスにおける共通文化の可能性 81 求めているということを必ずしも意味しない。繰り返しになるが、 Eliotの望むキリ スト教社会はその構成員がみな深くキリスト教に帰依した「聖人社会でな」く、信 仰心の厚い人もいれば薄い人もいる「常人の社会」なのである。 「常人の社会」の自 然な肉体性は、一部のエリートの意識的な努力とかむつかしい教理の押しつけによ って歪められてはならないのだ。逆にそれは、すぐれたキリスト教の特質が自然に 浸みこんで、他者または絶対的なものへの配慮がほとんど習慣的に行なわれる社会 の土台となるものである。 EliotもLawrence同様、西欧のヒューマニズムや教養主義や民主主義といった伝統 が絶対的なものまたは他者性を見えなくしてきたと考えた。特に民主主義は、人間 の平等を唱え、階級を悪とみなしたが、 Eliotは逆に階級こそ「常人の社会」の自然 性を保ち、互いの他者性の認識を確実なものにする土台と考えた。このため彼は、上 位の階級としてKarlMannheim同様エリート集団を必要としながら、彼のエリート主 義には反対したのだ。 Mannheimの試みは、 RaymondWilliamsによれば、 「階級を職能 と再一体化しようとする長い19世紀の試みの結尾」である。 Coleridge, Carlyle, Ruskin それにArnoldたちが職能の役割を回復したり新しい階級を形成しようとして失敗し たことに鑑み、 Mannheimは「生れや金銭にもとづく階級の観念をしりぞけて、現代 社会の不可避的専門化と複雑性とを強調して、古い諸階級の代りに、その根底が生 まれでも金銭でもなくて業績である、新しい諸エリート」26)を考えたのだ。 しかし、このMannheimの考えは結局、今の社会のあり方に沿っているだけで、そ れでは個人個人がばらばらの現在の「アトム的社会」27)をそのまま是認することにな る。それでは共通文化の豊かな実現は望めないし、世襲制ではないエリートの世代 ごとの交代に際して、各専門分野以外の広範な社会的連続性という肉体性は失われ てしまうであろう。このエリート社会の欠陥を補い、 「全般的連続性を確保する」に は、 「エリートが重なりあい、たえず影響しあう一つの支配的な社会階級を保有しな ければならない」とEliotは考える。 「階級の機能は、起居動作の標準を保存し維持す る」ことであり、それが「生命的な要素」となることで、 「何等の社会的粘着力もな く、何等の社会的連続性もない」 Mannheim的な「アトム的社会」も有機的なまとま りをもつようになるとEliotは見るのだ。28) しかし、階級の差は、ねたみや様々な摩擦の元となるという問題に対しては、 Eliot はいかに対処するのだろうか。この問題について彼は、階級差のほかに中央と地方 の差にも言及し、これらを「社会にとって有益な--・多くの闘争と警戒嫉視のうち の・-・・二例」にすぎないと見て、 「このようなものは多ければ多いほどよい」と述べ る。それは、様々な闘いの場が存在することによって「単に一種の闘争、嫉視、恐 怖のみが他のすべてを支配するという危険から脱却することが」できるからである。 82 中村嘉男 「ある限界を越さない限り、個人と個人のあいだばかりでなく、集団と集団とのあい だの摩擦というものは文明のためには-・・・必須の条件」29)なのだ。 「摩擦」をこのように積極的に評価するとき、その否定面はもちろん看過されてい る。 「摩擦」のもつ二つの対照的な性格については、ずいぶん昔から、例えばバンドー ラ神話などですでに問題にされた。バンドーラの箱から最後に飛び出した「希望」が 先に箱から出ていた諸悪の母Eris (不和の神々)と一緒になり、生を積極的に展開 する力になることがある、と古代ギリシャの詩人Hesiodはその著『仕事と日々』で やから 語ったのだ。彼によれば不和の神々の族は二つあり、 「その一つを悟るものはこれを はめたたえるであろうが他の一つはそしりを受ける」ほど、この二つは対照的に異 なる。そして、前者のよい神々を「高空に住まう神(ゼウス)は、大地の根のあい だに置き、人々に与えるはるかによきものとした」というのである。このため、そ れらの神々のもとにいれば、 「隣人が富をつもうと精をだすのを見」て「負けじとは やるのが人のつね」であっても、そのような親争JLを「世の宝」に変えることがで きるというのだ。30) 競争心や不和乳蝶といった様々な摩擦は、当然のことながら、手をこまねいてい て大きな価値に変わるのではないO不和の神々の中でも「大地の根のあいだ」にお かれた方を自らの側につけて力にするには、人それぞれの努力のほかに、対立する 相手への特別な認識が必要だろう。この認識は、つまるところ自己の内部にとりこ めない存在の自覚であるが、 Lawrenceの場合は個々人の「聖霊」の存在を認め合う ことによって、 Eliotの場合は階級が「生命的要素」となるキリスト教社会の伝統を 生かすことによって可能になるはずである。 しかし、 Eliotの言う階級がこのような積極的な役割を果たした時期は、もしあっ たとしてもBurkeやColeridgeの時代より前であろう。その時代以前なら、各階級の 人々が豊かなキリスト教の伝統に支配され、それぞれの階級の文化を全体の文化に 調和させながら生された時代があったかもしれない。しかし現在では、古き良さ伝 統はその力の大方を失いっつある。正統ももはや本来の力を発揮できず、様々な肉 体性は正統的な精神の規制を受けないまま、放縦に流れたり無定形な状態で活力を なくしたりしている。 このような現代社会の状況の中で、 EliotもLawrenceも時代の流れに抗して悪戦苦 闘したわけだ。二人とも、時代の流れに異を唱え、それから分離していかざるをえ ないものの立場から、共同社会とその文化の可能性について提言したのである。二 人が離れざるをえなかったのは、宗教的な感情の衰退の時代からであり、二人とも その中で個と社会の問題を扱うために、その感情の復活の必要性を説いたのだ。二 人にとって宗教は単に個の神に対する個人的な関係の問題ではない。それは、個が イギリスにおける共通文化の可能性 83 自らの内面にとりこめない絶対的なものを認識することにより、個をとりまく様々 な関係を病んだ状態から立ち直らせてくれるものである。病んだ状態とは、現代を 特徴づける様々なもの、ヒューマニズムや民主主義、自由主義や共産主義といった ものが個や社会を陥れた状態である。現代とは、 LawrenceやEliotにとって、神が消 えていき、個が限りなく完成された状態に近づけるという幻想をもたされることに より、自らの内にとりこめない絶対的なものの姿を見失っていった時代である。 この時代に、 LawrenceとEliotは徹底的に抗してそれぞれの戦いを展開した。二人 の戦いは互いに対照的に異なる方向に向かったが、その基本的な精神に重要な似か よりがあることは今まで見てきた通りである。最初にも触れたように、この類似点 が見逃されれば、二人は互いに無関係な文人と見なされるばかりか、共通文化へ向 けての大切な足がかりも失われることになりかねない。この足がかりについては、 様々な場で様々な表現が可能であろう。例えばRaymondWilliamsは、その著『長い革 命』の中で、生物学者J.Z.Youngの「われわれ一人一人の脳は、文字通り、一人一人 の世界を創造する」という生物学的発見を基にして、私たちの「眼と脳」が「映像 を写真のような仕方でただ記録」しているのではないこと、 「自分が世界を現に見て いるように見ている」31?のほかならぬ自分なのだということを知る必要があると述べ るOこれは、 Lawrenceの「聖霊」同様、私たち一人一人が生まれながらかけがえの ない固有性と創造性をもっていること、そしてそのことの自覚が互いのかけがえの なさの認識につながることを暗示しているWilliamsはさらに、個々の「創造する心」 にとってすぐれた手本の一つになってくれるのが偉大な芸術家の手になる作品だと 言う。彼によれば、 「芸術が創造される、とわれわれがこれまで考えてきたのと同じ 仕方で--われわれ人間の世界」も創造されるが、そのとき「芸術は、まさに創追 の一つの重要な手段」32)となるのであるo LawrenceやEliotの作品は、もちろん、そのとりわけ重要な手段となるだろう。二 人は、私たちが日々「創造」して生きていくための力強い手本を、ほとんど予盾す るようにみえながら必ずしも対立的でないヴィジョンによって見せてくれた。大き く異なる主張にもかかわらず、それぞれの作品を通して、共通文化に向けたヴィジ ョンを指し示してくれたのだ。もちろん、二人のヴィジョンをどのように日々の「創 造」につなげていくかは、各人のとりわけ重要な課題となるけれども。 84 中村嘉男 Note 1 ) `culture', The Compact Edition of the OxfordEnglish Dictionary, 1971 edn. 2 ) Raymond Williams, Culture andSociety : Coleridge to Orwell (1958 ; rpt. London : The Hograth Press, 1987), p. XVI. なお訳文は、若松繁信他訳r文化と社会」 1780・1950」 (ミネルヴァ書房、 1968)を参照させて頂いた0 3) ibid.,p.338. 4 ) ibid., pp. 334-5. 5 ) D. H. Lawrence,Apocalypse (London : Heinemann, 1972), p. 100.なお訳文は、福田悔存訳r現代人は愛し うるかJ (白水社、 1951;筑摩書房、 1965)を参照させて頂いた。 6)ibid.,p.7. 7) ibid.,p. 13. 8) ibid.,p. 18. 9) ibid.,p. 101. 10) ibid.,p. 18. ll) ibid., pp. 103-104. 12)ハートランド・ラッセル、 rラッセル自叙伝ⅡJ日高一輝訳(理想社、 1977)、 p.20. 13) D. H. Lawrence, Letterto Bertrand Russell, 14 September 1915. 14) George Steiner, In Bluebeard's Castle : Some Notes Towards the Re-difinition of Culture (London : Faber & Faber, 1971),p.36.なお訳文は、桂関東利訳r再現の城にて一文化再定義への覚書j (みすず書房、 1972) を参照させて頂いた。 15) ibid.,p.37. 16) ibid.,p.38. 17) HarryT. Moore, The Priest of Love : A Life ofD. H. Lawrence (London : Heinemann, 1974), p. 242. 18) D. H. Lawrence, Women in Love (London : Heinemann, 1971), p. 98. 19) Steiner,p, 105. 20) ibid.,p. 106. 21) T. S. Eliot, The Idea ofa ChristianSociety (London : Faber & Faber, 1939), p. 62. なお訳文は、中橋一夫訳rキリスト教社会の理念j (中央公論社rエリオット全集J第5巻所収、 1971) を参照させて頂いた。 22) Lawrence自身は、処女作のTheWhitePeacock以来繰り返して、私たちが原始的楽園にもどることが不 可能であることについて語っている。 23) T.S.Eliot,p. 16. 24) ibid.,p.ll. 25) T.S.エリオット、 「ア-ヴィング・バビットのヒューマニズム」平井正穂訳(蒲生書房『エリオット選 集』第3巻所収、 1967)、 p.115. 26) Williams,p.239. 27) ibid., p.240. 28) T. S. Eliot, Notes towards the Definition of Culture (1948 ; rpt. London : Faber & Faber, 1962), pp. 42-44. なお、訳文は、深瀬基寛訳r文化の定義のための覚書』 (中央公論社rエリオット全集』第5巻所収、 1971) を参照させて頂いた。 29) ibid.,p.59. 30)久保正彰、 rギリシャ思想の素地』、岩波新書、 pp.140-161. イギリスにおける共通文化の可能性 85 なお、 「競争心」という問題については、拙稿「D.H.ロレンスの『虹』にみる知識と技術と願望の主題」 でも論じた。 31)レイモンド・ウィリアムズ、 r長い革命」若松繁信他訳(ミネルヴァ書房、 1983)、 pp.20-21. 32) ibid.,p.39. (1992年4月28日受理)
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