Vol.22

KPMG
Insight
KPMG Newsletter
22
Vol.
January 2017
海外トピック②
タイ子会社管理の基礎知識
第3回 コンプライアンスからみた就業規則
kpmg.com/ jp
海外トピック② − タイ
タイ子会社管理の基礎知識
第3回 コ
ンプライアンスからみた
就業規則
KPMG コンサルティング株式会社
マネジャー
コンサルタント
吉田
崇
Ingcanuntavaree
Ratanachote
グローバルビジネスの拡大に伴って、海外子会社におけるコンプライアンス・リス
クも増大し、
コンプライアンスについての取組みの必要性が高まっています。しか
し、日本本社で作成した画一的なグループポリシーや制度を、そのまま各海外子会
社に適用することは、
コンプライアンスを徹底させるうえで十分とは言えないかも
しれません。タイ子会社における取組みを形式的なものとせず、日系企業として求
められる水準を確保することが課題となります。この実現においては、
コンプライア
吉田
よしだ
たかし
崇
ンスに対する認識や制度について、日本人とタイ人の間には共通理解が存在しない
ことを前提とした、適切な制度設計と丁寧な説明が求められます。
「タイ子会社管理の基礎知識」
第3回は、
タイ労働省労働福祉保護局による就業規則雛
形を紹介しながら、
コンプライアンスにおける就業規則の意義と重要性、および周辺
の社内規程との関係を整理します。
なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめ
お断りいたします。
Ingcanuntavaree
Ratanachote
イングカナンタヴァーリー・ラタナチョート
【ポイント】
− 一般的なタイ人にとって、
「コンプライアンス」とは「法令遵守」に留まる
もので、コンプライアンス違反によって生じるリスクも、それほど大きい
ものとは認識されていない。
− タイ人が「 コンプライアンスを規定するもの 」と理解している就業規則
は、
「手続」
「 趣旨」
「 概念」の3点から、
コンプライアンスを徹底するうえで
十分なものとは言えない。
− 一方、コンプライアンスに関係する社内規程に実効性を持たせるために
ミャンマー
ラオス
チェンマイ
ベトナム
タイ
アユタヤ
バンコク
チョンブリ
は、就業規則を無視することもできない。早い段階で、
グループとして必
カンボジア
ベトナム
要な内容が就業規則に網羅されているか、
レビューすることが望ましい。
マレーシア
1
KPMG Insight Vol. 22 Jan. 2017
© 2017 KPMG Consulting Co., Ltd., a company established under the Japan Company Law and a member firm of the KPMG network of independent
member firms affiliated with KPMG International Cooperative (“KPMG International”), a Swiss entity. All rights reserved.
海外トピック② − タイ
Ⅰ. コ
ンプライアンスに対する
日本人とタイ人の認識ギャップ
も、多額の罰金・課徴金を科されることが想定されていません。
コンプライアンスに対する意識の高まりと事業のグローバル
ては多額の追徴を受けるケースはあるものの、多くの法律にお
化に伴い、本社が定めたコンプライアンスポリシーを海外のグ
いては、罰金・課徴金は数万~数十万バーツ程度と、金額とし
ループ会社にも適用しようとする日本企業が増えています。た
てそれほど大きなものではないことが多く、
コンプライアンス違
だし、
タイ子会社管理を進めるうえで、
タイ人との共通理解の
反が会社の存続を脅かしかねない、というほどのリスク認識が
形成がもっとも難しい事項の1つがコンプライアンスです。
「コ
ありません。特に贈収賄やカルテル・談合の禁止、情報保護と
ンプライアンスとは何か」と問われた際に、日本人にとっては、
いった分野では、
タイの法令は整備が滞っているか、運用が進
細かく説明できるかどうかは別にして、少なくともイメージは
んでいないため、日本人が持つほどの関心も示されません。一
共有されており、
コンプライアンスが徹底すべきものであるこ
方でタイ企業の海外進出も、一部の例外を除き、まだ盛んとは
とは、もはや常識ともなっています。ところがタイ人にとって
言えませんので、日本企業が経験したように、米国等で同胞が
は、学歴や社会的地位を問わず、日本人に突然コンプライアン
多額の罰金・課徴金を科されたような事例もなく、現実的なリ
スと言われても、それが何を意味しているのか理解されない
スクとして危機感を感じていないようです。
第二に、
タイの場合、法令違反としての罰則を受けたとして
違反行為によっては懲役刑も規定されていますし、税務につい
ことが多いようです。タイ人とコンプライアンスについて議論
すると、
「何についてのコンプライアンスなのか」、
「どの法律に
このような背景のもと、
タイ人にとっては、たとえコンプライ
関して言っているのか 」という質問が、何度も投げかけられま
アンス違反があったとしても、その影響は法令に基づく限定的
す。日本語の「コンプライアンス」の意味合いが、既に英語の
なものに留まると認識され、その点を考慮せずに日本人が説明
「Compliance」から乖離していることも理由の1つかもしれませ
しても、
「法令遵守は当然のこと」という一般論に矮小化されて
んが、
タイ人にとっては具体的な法令の遵守は理解していても、
理解されがちです。
「 何を今さら日本人は当たり前のことを言っ
より抽象的なコンプライアンスのイメージはほとんど共有され
ているのだ」とタイ人は思っているだけかもしれません。タイ企
ていません。タイ人の「コンプライアンス意識」が弱いように感
業として、
タイ国内だけで活動するのであれば、それでも問題
じられるのは、
タイ人が法令や企業倫理を軽んじているという
ないかもしれません。しかし、
グローバル展開する日本企業の
ことでは決してなく、以下のような社会的背景が影響している
グループ会社としては、従業員がそのような理解では困ります。
ためと考えられます。
日本から送付された機密情報がタイ子会社から漏えいするかも
しれませんし、
タイ子会社のビジネスが欧米から贈収賄を認定
第一に、
タイの場合、
コンプライアンスに反する企業の行為が
されるかもしれません。そうした場合に、
タイの法令には違反し
明らかになったとしても、消費者やマスコミから強い批判を受
ていない、
タイ国内ではレピュテーションを損なっていない、と
けることがなく、企業イメージや営業活動に大きな影響を及ぼ
タイ人従業員が主張しても、
グループとしては何の言い訳にも
すことが少ないようです。最近も、
タイでは大手小売業の最高
なりません。こうした事態は、これまで明らかになっていない
幹部がインサイダー取引で処罰を受けましたが、社内処分とし
だけで、今後も常に発生し得るものです。特に情報漏えいにつ
ては役職も解任されず、そうした一連の対応について世間から
いては、
タイ語のため日本人に知られていないだけで、
インター
目立った批判や不買運動も見られません。日本人と比べ一般に
ネット上に日系企業の機密情報と思われる資料や画像も多く出
会社への帰属意識が薄いタイ人は、他人に対しても同様に、会
回っています。
社と個人を同一視することはなく、個人がコンプライアンス違
反を行ったとしても、会社とは切り離して考える傾向にありま
日本企業のグループ会社として、
タイ子会社にコンプライア
す。加えて、
コンプライアンス違反があったとしても、自分の生
ンスを徹底するには、そもそもコンプライアンスに対する認識
活に直接の影響を及ぼさない限り、一般的なタイ人はそれほど
がタイ人と日本人とでは異なる、という大前提を踏まえ、日本
関心を持ちません。会社側にとってみれば、法令違反としての
人との共通理解を得るための努力から始めなければなりません
罰則や行政処分は覚悟しても、影響はその範囲に留まり、より
(図表1参照)
。それがないままコンプライアンス活動を推進しよ
広範なレピュテーションリスクを懸念する必要性がありませ
うとしても、表面的で形式的なものにしかならず、決して浸透
ん。2 016年末現在、大手検索サイトのタイ語版で「レピュテー
しません。特に、
コンプライアンスを徹底する意義については、
ションリスク」と検索しても、数百件程度と驚くほど少ない件
曖昧となりがちなポジティブな側面だけを説明しても、
タイ人
数しかヒットしないのが現状で、まさにタイ人にとってレピュ
には決して伝わりません。より具体的に、
コンプライアンス違反
テーションリスクの重要性が低いことを示しています。
によって引き起こされるネガティブな側面をタイ人に説明し、
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海外トピック② − タイ
タイ子会社で発生した事象が在外のグループ全体に対しても
甚大な被害を及ぼし得る、というタイ人にとっては「 不都合な
真実」
を丁寧に説明し、影響の大きさを理解してもらうことが重
解したつもりになっているだけ、という状況に陥っていないか、
タイ人従業員の理解度を定期的にモニタリングすることも必要
です。
1. 勤務日、
通常勤務時間、
休憩時間
2. 休日、
休日の原則
3. 時間外勤務、
休日勤務の原則
4. 賃金・時間外賃金・休日時間外賃金の支払い日と場所
5. 休暇、
休暇の原則
6. 規律、
規律上の罰則
【図表1 コンプライアンスに対する認識ギャップ】
コンプライアンスの
対象
コンプライアンス違
反による罰則
コンプライアンス違
反によるレピュテー
ションリスク
日本人
法令に留まらない
会社の存続を脅かす
ほどの高 額となる可
能性がある
極めて大きい
コンプライアンス
「 コンプライアンス」 規程
からイメージする社 贈収賄防止規程
内規程
情報セキュリティ
規程、等
法令
タイ人
それ ほど 高 額とは
ならない
「 レピュテーション
リスク」という概念
をそもそも認識して
いない
就業規則
Ⅱ. コ
ンプライアンスからみた
就業規則
タイ人とコンプライアンスについて議論を深める過程で、次
に必要となるのが、
タイ子会社における既存ルールの把握です。
本社が定めたポリシーを適切に運用・浸透させるためにも、既
存ルールとの関係整理は欠かせません。タイ人と日本人の共通
理解ができていない段階では、
タイ人従業員から「コンプライア
ンスは就業規則に規定されている」と主張されることが多々あ
ります。タイ人従業員の言う「コンプライアンスを規定する就
業規則」
とは、具体的に何を指すのでしょうか。
1.「就業規則 」における「 規律 」
7. 不服申立
8. 解雇、
補償金、
特別補償金
タイ人のいう
﹁コンプライアンス﹂
は
この部分を指すと考えられる
要です。日本人は説明したつもりになっているだけ、
タイ人は理
【図表2 就業規則の法定記載事項
(労働保護法 第108条)
】
出所:タイ労働省労働福祉保護局のサイト掲載資料より KPMG が訳して作成
http://www.labour.go.th/th/doc/law/labour_protection_2541_new.pdf
「 規律 」は、従業員として行うべき、または行ってはならない
行動を示したもので、
タイ労働省労働福祉保護局が用意する雛
形には11項目が示されています(図表3参照)
。
【図表3 就業規則雛形における
「規律」
】
① 従業員は、就業規則の規定に従って行動しなければならない
② 従
業員は、上位者の正当な命令に従って行動しなければなら
ない
③ 従
業員は、時間どおりに勤務し、定めに従って勤務時間を記録
しなければならない
④ 従
業員は、誠実に責務を果たし、使用者に対してや従業員間に
おいて侮辱したり、故意に損害を引き起こしてはならない
⑤ 従業員は、勤勉かつ全力で責務を果たさなければならない
⑥ 従業員は、労働安全の法令に従って行動しなければならない
⑦ 従
業員は、機械や工具、設備が秩序正しく良好に維持されるよ
う、必要性または自身の責務に従って、管理保全しなければな
らない
⑧ 従
業員は、勤務場所や工場の資産が、何者かによって、または
他の事故によって紛失したり、損害を受けることのないよう、注
意と防止に可能な限り協力しなければならない
⑨ 従
業員は、勤務場所や工場の清潔と秩序の維持に協力しなけ
ればならない
⑩ 従
業員は、勤務場所や工場において、誰に対しても口論や暴行
を行ってはならない
⑪ 従
業員は、勤務場所や工場に、違法薬物や危険な武器、爆発
物を持ち込んではならない
出所:タイ労働省労働福祉保護局資料より KPMG が訳して作成
http://www.labour.go.th/h/attachments/article/28386/27102-3.doc
タイの労働保護法(第10 8条)は、従業員が10 名に達してか
ら、15日以内にタイ語で作成した就業規則を施行し、それから
ただし、
「規律 」がこの程度の項目数に収まっている例はほと
7日以内に当局へ届け出ることを義務付けています。就業規則
んどなく、事業の特徴や想定されるリスクに応じて適宜追加す
には8つの必須記載事項が定められ、
「コンプライアンスは就業
るのが一般的で、多くの場合は数十項目、なかには100に近い項
規則に規定されている」
というタイ人従業員の主張は、このうち
目を列挙しているケースもあります。コンプライアンスについ
「6
規律、規律上の罰則 」と「 7
不服申立 」を指しています
(図表2参照)
。
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KPMG Insight Vol. 22 Jan. 2017
て議論をするなかで、日本人が具体例として「 贈収賄を禁止す
る」、
「情報漏えいを起こしてはならない」、
「セクハラ・パワハラ
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海外トピック② − タイ
をしない」といった内容を挙げて説明すると、そうした事項は、
第二に、社内規程に示す事項が「規律」
でカバーされ、そこで
就業規則に「規律 」として列挙されているものの1つである、と
規定する内容が運用上も十分である、というケースです。この
タイ人は理解します。
場合は、
ルール整備段階は既に終えていることになりますので、
次は運用段階として就業規則が従業員に正しく理解され、社内
「 コンプライアンスは就業規則として既に運用されている 」
にコンプライアンス意識が浸透しているかをモニタリングする
とタイ人から主張され、分厚いタイ語の就業規則を見せられる
ことになりますが、残念ながら、このようなケースはあまり多
と、日本人の側もつい納得してしまいそうですが、就業規則の
くないようです。
「手続」
「趣旨」
「概念」
の3つの観点から、就業規
「 規律 」が示す内容は、
コンプライアンスの観点から十分なので
則で規定する内容は、運用上は十分と言えないことが多いから
しょうか。そもそも就業規則は、会社設立直後の多忙な時期に
です。
急いで作成されることが多く、法律上の制定義務を果たすため
「とりあえず」として外部から入手したサンプルのままで、会社
「手続」については、就業規則のスタイルの問題でもあります
の実情に合っていない事例もあります。
「 就業規則」という名称
が、雛形にもあるように、
「規律」
の各項目は基本的に「してはな
から、本社人事部門はレビューしていても、
コンプライアンスと
らない」
「 しなければならない」事項を簡潔に示すものの、具体
の関連は認識されていないため、他の関係部門のレビューは不
的な手続には立ち入りません。たとえば「 情報漏えいを禁止す
十分で、必要な内容が網羅されていないこともあります。就業
る」という項目があったとして、禁止すること自体は明確(すな
規則はタイ語で作成しなければなりませんが、数十ページに及
わち「規律でカバーされている」状態)
であったとしても、
「機密
ぶこともあるため、英語・日本語に翻訳されず、日本人が内容
資料を持ち帰ってはならない」、
「私用のパソコンを業務に使用
を把握していないことも珍しくありません。一方、
タイ人にとっ
してはならない」といった、情報漏えいを禁止するために従業
ても、文章を読むことに慣れ親しんでいない従業員は、きちん
員に求める具体的な手続や手段までを示すものではありませ
と読んだことがなく、やはり内容を認識していない可能性があ
ります。こうした点からも、
「コンプライアンスは就業規則に規
定されている」
というタイ人の主張は、日本人の期待に一致する
ものとはなっていないかもしれません。
2.「 規律 」とコンプライアンス関連規程との関係
コンプライアンスからみた就業規則における「 規律 」の意義
を理解するために、個別の社内規程との対比によって関係を整
【図表4
ンプライアンス関連規程運用のために必要な確認
コ
事項と対応】
【必要な対応】
【確認①】
その事項は、
就業規則の
「規律」
でカバー
されているか
就業規則で
カバーされない
事項に実効性を
持たせることは
困難、
就業規則を
修正
カバーされていない
理します(図表4参照)
。
第一に、社内規程に示す事項が、
「規律」でカバーされていな
カバーされている
いケースが考えられます。たとえば不正ソフトウェアについて、
情報セキュリティ規程を設けて使用を禁じる規定を置いた一方
で、就業規則の「規律」
には、それを読み取れる項目が置かれて
いない、といった事例があります。この場合、就業規則ではカ
バーされていない以上、たとえ情報セキュリティ規程に違反し
【確認②】
就業規則の
規定は、
運用上も
十分か
て不正ソフトウェアが使用されたとしても、就業規則違反とし
て懲戒処分を科すことは難しく、一方で就業規則に定めていな
い懲戒処分を、他の社内規程(ここでは情報セキュリティ規程)
で定めることも難しいと考えられます。不正ソフトウェアの使
用禁止に強制力を持たせたいのであれば、就業規則の「 規律 」
でカバーされているかどうかを確認し、
カバーされていなけれ
ば、就業規則自体の修正を検討する必要があります。
「 規律」で
カバーされないコンプライアンス関連のルールを設けても、そ
十分ではない
十分
従業員が正しく
理解していることを
モニタリング
※
「手続」
・
「趣旨」
・
「概念」
の点で
「十分」
と言える
ケースは少ない
社内規程・
雇用契約等に、
就業規則の
枠内で詳細を制定
こに強制力を持たせることは難しい、ということです。
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海外トピック② − タイ
ん。どのようにすれば情報が漏えいされないのか、漏えいを防
容易かもしれませんが、真に機能させることを考えるのであれ
ぐためにどのような手続が求められるのか、就業規則の「規律」
ば、
タイ人が制度をどのように捉えているのかを理解すること
はほとんどの場合、従業員に具体的には示しません。
が重要です。日本本社のポリシーだけにしたがって一方的に進
めても、
タイ人幹部の抵抗に遭って日本人駐在員との信頼関係
「趣旨」
としても、就業規則上の「規律」
は、違反した従業員に
罰則を与える根拠として、個人的な責任を負わせるものに過ぎ
を損なうか、またはタイ人従業員に周知も運用もされず、とい
う事態になりかねません。
ません。実際にコンプライアンス違反が生じた際に、それによ
る損害は、たとえ当事者を懲戒解雇しても挽回できるものとは
内部通報制度を導入するに際しても、
タイ人従業員からは
限りませんので、違反を未然に防止することこそが重要な課題
「そのような制度は、既に就業規則に規定されている」、そして
ですが、就業規則は、
コンプライアンスを積極的に推進する位
「通報を受けるのは人事部」という説明がされることがしばしば
置付けとはなっていないのです。
あります。この場合、
タイ人は就業規則の必須記載事項のうち
「7 不服申立」
を念頭においています。
「概念」
についても、たとえば「機密情報」
との記載がある場合
に、機密情報とは何を指すのか、
イメージする内容が日本人と
不服申立制度について、労働保護法(第109条)は、その範囲
タイ人では大きく異なる可能性があります。タイ人が自分の勤
と意味を就業規則に明示することを義務付けています( 図表 5
めるオフィスや工場内で撮影した写真はインターネットやSNS
参照)。細かい制度設計は各社異なりますが、基本的に就業規
にたくさん掲載されていますが、そこに「偶然」重要な試作品や
則上の不服申立制度とは、人事上の処遇が不当だと考える従業
原材料が写っていても、
タイ人従業員は機密情報とは思ってい
員本人が、上司や幹部に対して公式に不服申立できることを制
ないかもしれません。
度化したものです。このため、不服申立制度では不正等に関す
る通報は想定していませんし、たとえ人事上の不当な処遇に関
このため、現実的には第三のケースとして、社内規程に示す
するものであっても、本人以外の申立は認めていないケースが
事項が「規律」
でカバーされているものの、運用上は十分とは言
大半です。したがって内部通報制度に期待する役割を不服申立
えない、という状況に陥ってしまうことがよくあります。
「 規律」
制度が果たすことは、
パワハラ・セクハラのような問題を除け
でカバーされていることを大前提に、
コンプライアンスを推進
ば、基本的に考えられません。
するための「手続」を具体的に示し、違反防止のための「趣旨」
を明確にして、共通理解のための「概念」
を定義することで、就
業規則の「 規律 」を補足する詳細を個別の社内規程として整備
するという点に、
コンプライアンス徹底のためのタイ子会社に
おける規程整備のポイントがあります。
【図表5
業規則に定めるべき内部通報制度の要件
就
(労働保
護法 第109条)
】
( 1 )不服申立の範囲と意味
( 2 )不服申立の方法とステップ
コンプライアンスと就業規則における「 規律 」は、似て非な
るもので紛らわしく、また日本人が就業規則を把握していない
ケースも多いため、議論が噛み合わないことに双方が気付かな
いまま、
「コンプライアンスに関連する規定は整備済み」と誤解
( 3)不服申立の調査と検討
( 4)不服申立の終了プロセス
( 5)不服申立人と関係者の保護
出所: タイ労働省労働福祉保護局のサイト掲載資料より KPMG が訳して作成
http://www.labour.go.th/th/doc/law/labour_protection_2541_new.pdf
されがちです。タイ子会社でコンプライアンスを推進するうえ
では、こうしたタイ人の認識と現状を踏まえ、就業規則とは趣
ところが、社内で何か問題が発生した際に通報できる窓口が
旨が異なるというスタート地点から丁寧に説明することが必要
あるか、そう聞かれたタイ人は、上述した「規律」
の問題と同様、
です。
似て非なる制度であるにもかかわらず不服申立制度のことを指
すと誤解してしまい、一方で日本人は、制度の詳細を確かめる
Ⅲ.「不服申立」と「内部通報」の違い
コンプライアンスを徹底するための具体的な手段として、
タ
ことなく、内部通報制度が整備済みであると認識してしまうの
です。これも、内部通報制度が社会にある程度浸透している日
本人と、そうではないタイ人の間に生まれる認識ギャップの1つ
です。
イ子会社にも内部通報制度を導入するケースが増えてきまし
た。内部通報制度についても、形式的に設置するだけであれば
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海外トピック② − タイ
内部通報制度を新たに導入しようとする際も、上に立つ
ような形で合意を取り付けるのか、そもそも合意を取り付ける
「プーヤイ(大人/たいじん)
」
が下位にある者を庇護する「ウッ
ことが可能なのか、状況は会社によってケース・バイ・ケースで
パタム(面倒を見る、支援する)
」という概念がベースにあるタ
す。会社設立直後であれば従業員も少なく容易かもしれません
イ社会において、経営層に近いタイ人は、自らの頭を飛び越え
が、設立から時間が経ち、従業員数が増えるほど、就業規則に
て日本や社外に通報される制度に違和感を持ち、それほど自分
メスを入れるのは困難となります。必要に応じて事後に修正す
は信頼されていないのかと落胆するかもしれません。従業員の
れば済む付属定款とは異なり、就業規則の見直しは、
タイ子会
側も、そもそも不服申立との区別がつかず、内部通報制度が理
社のコンプライアンスの基盤構築として、可能な限り早期に取
解されないままであったり、たとえ理解したとしても、そのよ
り組むことが望まれます。
うな制度が本当に機能するのか疑わしいと感じるはずです。就
業規則上の不服申立制度に関しても、
「最後の砦」として制度化
また同時に、本社ポリシーを反映した就業規則とコンプライ
されているものの、現実的には制度外で人事担当者等が相談に
アンス関連社内規程の整備は、
タイ子会社にコンプライアンス
乗っていることが大半だと思われます。内部通報制度は、不服
を徹底するうえでの最初のステップでしかないことも忘れては
申立以上にタイ人従業員にとって心理的ハードルが高いもので
なりません。冒頭で示したように、そもそもコンプライアンスに
す。これを機能させるためには、意義や必要性を丁寧に説明す
ついてタイ人と日本人の間に共通理解はありません。整備され
るとともに、
タイ人を信頼していないから設ける制度ではない、
たポリシーを運用し、
タイ子会社に浸透させるためには、本社の
ということも明確に示さなければなりません。
主管部門による研修や、定期的なモニタリング等、本社サイド
も積極的に関与・支援したうえでの、地道で継続的な取組みが
通報者の保護についても、不服申立制度であれば労働保護
求められます。
法に即して、不服申立人と関係者の保護が就業規則にも明示さ
れるのに対し、現在のタイ社会には内部通報制度自体が浸透し
ているとは言えず、したがって通報者を保護するための法的裏
【図表6 コンプライアンスからみた就業規則の課題】
付けも十分ではありません。通報者が保護されるべきという点
についても、やはりタイ人にとって常識とはなっていない以上、
適切な制度設計と、丁寧な説明が求められます。
実務上の
課題
本シリーズ前回の「付属」定款と同様に、
タイ子会社の就業規
ばよいものとして、重要性が過小評価されている傾向がありま
す。しかし、
タイ人にとっての「コンプライアンス」を理解し、
グ
内容的な
課題
ループのポリシーを適切にタイ子会社に落とし込むためには、
就業規則の把握と関係整理が極めて重要であることは本稿で
解説したとおりです。
日系企業の就業規則には、ここまで述べてきた点も含め、大
きな課題が山積しています(図表6参照)。特に厄介なのは、労
• 分量が多いため、
英語・日本語に翻訳されておらず、
日本
人が内容を確認していない
• 分量が多いため、
タイ人従業員が読んでおらず、
内容を理
解していない
• 雇用契約書もタイ人スタッフ任せで、
日本人は内容を確
認していない
Ⅳ. コンプライアンス徹底に向けて
則についても、その名称のためか人事関係者だけが気にかけれ
• 労働保護法による要求に応じて
(慌てて)作成したため、
実態とあっていない
法律上の
課題
• コンプライアンスに関係するものとの認識がないため、
本
社のレビューが十分に行われず、
従業員に遵守・浸透させ
たい事項が、
規律として網羅されていない
• そもそもの位置付けとして、
規律違反に対する従業員個
人の罰則、
という意味合いが濃く、
積極的にコンプライア
ンスを推進する機能は果たさない
• 日本人とタイ人の間の認識ギャップが考慮されていない
• 労働保護法に整合しないルールや懲戒処分を就業規則
に設けることは困難
• 就業規則に整合しないルールや懲戒処分を他の社内規
程で設けることは困難
• 就業規則の改訂は困難となるケースがある
働保護法と並び主要なタイ労働法である労働関係法(第10 条)
において、
「 労働協約の有無が不明な場合、就業規則を労働協
約とみなす 」と定められている点です。従業員が 1 0 名以上と
なった際に整備する就業規則に対し、労働協約は従業員20人以
上で整備することになっていますが、労働協約を設けている企
業はそれほど多くありません。就業規則が労働協約とみなされ
ることで、その改定には労使の合意が必須となりますが、どの
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海外トピック② − タイ
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定款
(KPMG Insight
第1回
第2回
タイ人にとっての社内規
ガバナンスからみた付属
Vol.21/Nov 2016 )
本稿に関するご質問等は、以下の担当者までお願いいたします。
KPMG コンサルティング株式会社
TEL: 03-3548-5111(代表番号)
マネジャー
吉田
崇
[email protected]
コンサルタント
Ingcanuntavaree Ratanachote
(イングカナンタヴァーリー
ラタナチョート)
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